秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

拳禅一如の続き

2006-05-28 | 少林寺拳法
晩御飯食べて一段落したので続き書こうとしたら、あずきさんがコメント書いてくださってました。話が前後してしまってややこしくなるから、新たに書くことにします。

今日は乱捕り大会ではなく演武大会でした。
まぁいわば映画で見られる格闘シーン、立ち回りみたいに、1分半から2分の間で、習得した技を繋げたものを評価してもらいます。

大阪府民大会で二人の年齢合わせて80歳以上シニアの部にノミネートする予定。
相方は白髪ですが、先生ではなくて、ともに稽古する同士です。

年齢を足すとなんと100歳以上。
足して80と100ではえらい違いなんですよ。
80歳なら二人が40歳でOKなんだもん。
やはり50歳を超えるとがくんと体力も落ちてきますから、こんな部門があればいい線いくのにね。

お互い体の切れが悪いだけでなく、膝に故障を抱えてます。
相方は頚椎も痛めてますので、整形外科でリハビリ受けながらの稽古です。

さらに悲しいことに、お互い頭もぼけだしてるから技の順番がなかなか覚えられない。

そこまでしてようやるわ、と思われる方がほとんどでしょうね。


前置きが長くなりましたが、「拳禅一如」に見事繋げてみせますからね。

読んで字のごとく、拳と禅は一つの如し、いわゆる心身一如というように、表裏一体切り離せないものだということです。

拳は体を使った動禅、禅は心の修業で静禅ともいいます。
達磨さんのように足が腐るまで座禅を組んで悟りを開くのに対し、体を動かすことで修行を積む。
これらはどちらも切り離して考えるのではなく、バランスよく行うことが正しい修行のあり方であるという、少林寺拳法の修行のあり方を示した言葉です。

「病は気から」ということはよく言われることです。
すべての病気が強い気持ちだけで治るものではないでしょうが、精神状態が大きく影響を与えるのも事実です。

相方も私も50歳前後は、もうでけへん、と体の不調を理由に、少林寺拳法を卒業しようと思っていました。

相方は2年前の春には首にギブスを巻いて暗い日々を送っていたぐらいです。

それでも縁あってまた修行再開、今度はぼちぼちとシニアにしか出せない味を身につけようと頑張っています。

そう思うとまたできるもんなんですね。
ほんとに心身一如を実感します。

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お疲れ様でした (猫背の拳士)
2006-05-28 23:34:55
酒屋の猫背ですw

写真ありがとうございました。添付のURLからここに入りました。

次は府民大会ですね。あまり順位やらにとらわれずに、自分の為になるように練習しようと思います。

楽しくないと意味ないですからねw

ではでは失礼いたします。
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猫背さんて (草津の百姓)
2006-05-29 00:25:05
おざさ店主さまへ

 猫背のケンシさんて あのたこ焼きがとくいな

ケンシ様でしょうか、この百姓が最近またいきだした。先週二回もいきましたよ。
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Unknown (おざさ)
2006-05-30 00:21:52
☆猫背の拳士さん&草津の百姓さん

今日月曜の練習後も打ち合わせと称して、猫背さんとこへ行ってきました。なんかローカルなコミニュティですね。



猫背さんコメントありがとう。

皆なかなかコメント書いてくれないんですよね。

是非ここに足跡残したいという琴線にふれるブログ記事は書けないからしょうがないんだけどね。

今年になってからミクシー、全く参加してなくて。

二つも書くのはしんどいもんで、メンソールさんのも読めてなくてごめん。

でもまたコメント書いてくださいね。



いつも百姓さんのマメさには感心しています。

ご自身のHP掲示板とブログ、どちらもこまめに更新されてるし、コメントにも丁寧にお返事くださるし。

今後ともどうぞよろしくお願いします。
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ブログとうちゃん (草津の百姓)
2006-05-30 12:31:35
コメントの秘訣

会社でブログをみてここへかかなあかんと、記憶して 家で。

でも途中で忘れてしまうこと、おおいにあり



猫背さんは やっぱり あの方でしたか
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武道の事になるとゴメン (トンサン)
2006-05-31 09:10:38
拳禅一如・・我々も良く使います解釈は少し違うかも分からないが究極的には一緒と考えます。

如何に四肢の動作軽妙自在でも精神面が伴わないと意味が無い現在我々のやっているのは動態の禅である。武道の奥義・秘伝・技術に関することよりも、むしろ精神面に重きを置き、武道は、道より更に宗教にまで深まる性格rを持つ、武道の名人・達人は最高の技術を習得し直武道の道を深めるため仏道の修行にもつとめ〔拳禅一如)の境地を開き武道の真髄を体得されたことを言うのでわないのかなと思います。我々は常に技術よりも心術に重きおき修行に努めなければならないとおもいます。
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