ひいおじいちゃんの出棺後、パパと一緒に家に戻るエソラです。
当店の先代・小笹清二が10月6日(水)午後7時35分に永眠しました。
すでに家族葬として親族のみにみおくられ旅立ちました。
このブログ記事が最初の死亡お知らせとなります。
享年88歳、生前お世話になった皆様方にこの場を借りて御礼申し上げます。
ありがとうございました。
8月23日に心臓近くの大動脈瘤の手術をしました。
高齢とはいえ普段から達者なほうでしたので、大手術にも耐えうるだろうという判断でした。
しかし予後の快復が悪く、元気に家に帰ることができませんでした。
すでに17回忌を済ませた先代の妻の葬儀は、店近くの大きなお寺をお借りして執り行いました。
しかしあれから年月も経過し、いろんな家庭の事情もあり、
今回は、普段からお世話になる檀家寺で毎月おまいりいただいている唯称寺にお願いすることになりました。
真宗大谷派の末寺・唯称寺は、1615年創立の歴史あるお寺です。
外観は民家と変わらない集会所的な建物で
今なお道場の面影をとどめている市内唯一の寺院です。
このような道場形式による寺は、支配者階級あるいは有力者の創立になる寺と異なり、
宗派をとわず惣百姓持ちで会所を兼ねて立てられたものといわれています。
田舎のお家の縁側みたいな感じです。
濡れ縁の戸を開けると、道場形式の本堂です。
本尊阿弥陀如来立像は室町末期あるいは江戸初期の彫像とみられています。
葬儀会館の立派な祭壇とは異なり、歴史ある阿弥陀如来に見守っていただけました。
10月7日がお通夜
アイフォン・アプリで気を紛らわせながらも、まだ1歳3ヶ月のエソラはじっとしてません。
翌日の出棺の時は、さすがにエソラも微妙な空気を読み取ったのでしょう。
周りをまねて神妙に手を合わせていました。
昨日と違って今日は賢いなぁとおばちゃんたちにほめられました。
年配の親戚のおっちゃん達は、こんな葬式は親しみがあっていいなぁと言われてました。
当店の先代・小笹清二が10月6日(水)午後7時35分に永眠しました。
すでに家族葬として親族のみにみおくられ旅立ちました。
このブログ記事が最初の死亡お知らせとなります。
享年88歳、生前お世話になった皆様方にこの場を借りて御礼申し上げます。
ありがとうございました。
8月23日に心臓近くの大動脈瘤の手術をしました。
高齢とはいえ普段から達者なほうでしたので、大手術にも耐えうるだろうという判断でした。
しかし予後の快復が悪く、元気に家に帰ることができませんでした。
すでに17回忌を済ませた先代の妻の葬儀は、店近くの大きなお寺をお借りして執り行いました。
しかしあれから年月も経過し、いろんな家庭の事情もあり、
今回は、普段からお世話になる檀家寺で毎月おまいりいただいている唯称寺にお願いすることになりました。
真宗大谷派の末寺・唯称寺は、1615年創立の歴史あるお寺です。
外観は民家と変わらない集会所的な建物で
今なお道場の面影をとどめている市内唯一の寺院です。
このような道場形式による寺は、支配者階級あるいは有力者の創立になる寺と異なり、
宗派をとわず惣百姓持ちで会所を兼ねて立てられたものといわれています。
田舎のお家の縁側みたいな感じです。
濡れ縁の戸を開けると、道場形式の本堂です。
本尊阿弥陀如来立像は室町末期あるいは江戸初期の彫像とみられています。
葬儀会館の立派な祭壇とは異なり、歴史ある阿弥陀如来に見守っていただけました。
10月7日がお通夜
アイフォン・アプリで気を紛らわせながらも、まだ1歳3ヶ月のエソラはじっとしてません。
翌日の出棺の時は、さすがにエソラも微妙な空気を読み取ったのでしょう。
周りをまねて神妙に手を合わせていました。
昨日と違って今日は賢いなぁとおばちゃんたちにほめられました。
年配の親戚のおっちゃん達は、こんな葬式は親しみがあっていいなぁと言われてました。
お義父様、きっと、おざささんのお心づくしに感謝されていると思います。
88歳といえば、うちの母と同い年で…。母は心臓が悪く、また喘息持ちなので、悪い所があっても手術できません。父は、33年前にお義父様と同じように、術後の容態が悪くて亡くなりました。私も弟もまだ若かったので、お通夜やお葬式の段取りがわからずに、伯父に任せたら、檀那寺ですが、格式張った形式にされて大変でした。その後、家族葬や密葬が多くなりました。母も私も密葬を頼むつもりです。うちも檀那寺でないといけないみたいですが、ひっそりと。おざささんのおうちのお葬式のように、親しい身内だけでね。
エソラちゃんは可愛いですね。
一度おうちに行ったときにお会いしたことがあります。お元気そうにされていたのに大手術されたのですね。お葬式にエソラ君も出席 なごみますね。こんなときは子供でも分かるのですね。
みなさんに見送られて幸せそうですね。
お疲れが出ませんように。
ご自分のお寺のことを檀那寺というのですね。
檀家は知ってたけど、逆に寺のことをなんと言うのかわからなくて適当に書いてしまいました。
お母様と同じ年齢でしたか。
おじいちゃんは大正11年12月生まれで、戦争にも行ってます。
戦後、大阪市役所勤めから質屋の2代目として高度成長時代を生き抜いてこられました。
質屋協同組合はもちろんのことライオンズクラブなどでもお役を全うさせていただいたので、どのような葬儀にするかはずいぶん話し合いが行われました。
最終的に密葬という形になり、つくづく時代の流れを感じます。
アズキさんちも、いずれおばあちゃんが亡くなられたら家族葬にすると話されていましたね。
今度お目にかかったら経験談お話します。
この連休は氏神様の秋祭りで、9(土)ガ雨だったから、10、11日と一日順延になりました。
しかしいろいろ用事もあり、神社は遠慮した方が言いといわれたので、今家に居ます。
今日中に、アズキさんの作品展見にいかせてもらいますね。
私が昨年見送った、実父の当時の葬儀のことを思い出していました。
参列者三名の、本当に小さな葬儀でした。
元旦の翌日の逝去とあって、「釜開き」と称される日まで、待たねばならず、ご遺体はその間、斎場に冷凍・安置されました。
正月の晴れやかな中、訳あって一人、釜開きを待つ日々は、たった3日なのにひどく長かった様に思えました。
人の死、今生の別れを小さい頃から見送ってきましたが、家族に見送られることは本当に幸せなことです。
そして今生の別れは、私に初心にかえるきっかけを戴けるもの、と今は思います。
ざらめさんのお父様が亡くなられたのは正月2日でしたか。
これはまた違った大変さがあったことでしょう。
夏の疲れと葬送などがかさなったのか、先日20年ぶりぐらいで金縛りに遭いました。
寝床に入っても体が疲れているのに、いろいろ思うことはあるからでしょうか。