住吉大社の境外末社に大歳神社があります。
その社右横においとしぼし社というのがあって、ここにおもかる石が置いてあります。
年々パワースポットとして有名になり、訪れる人も多くなってるようです。
住吉大社境内でると、「おもかる石→」みたいな貼紙が次々と見られるようになりました。
おいとぼし社は、お愛し星とも老年星とも書かれるそうですが、由緒とかは不明なんだとか。
祀神は金龍さん又は龍神さんともいわれ、隕石を願い事の守護神として祭り始めたものとも云われています。
住吉大社のサイトでは、「大歳社の境内にありますが、もともとは境内の外であつい信仰を集めていました。年に2回、春と秋に例祭が行われます。」としか紹介されていない。
伝承どおり、丸い石は隕石のようにも見えて、老年星が正解なのかも。
3つある石のどれかに、願掛けをしたのち石を持ち上げ、軽く感じれば「可」、重く感じれば「否」であると伝えられています。
今年は軽く感じました。
実は伏見稲荷にもおもかる石があって、そこでも試しましたが、今年はいけるかな…
住吉大社で他に目に留まったもの
兎の手水舎
翡翠のなで兎
古代船を模して作られた歌碑
万葉の歌2首が彫られています。
草枕旅行く君と知らませば、 岸の黄土ににほはさましを
(巻一 清江娘子 長皇子に進る歌)
住吉に 斎く祝が 神言と 行くとも来とも 船は早けむ
(巻十九 多治比真人土 作 遣唐使に餞する歌)
天平5年遣唐使の大使として旅立つ藤原清河を餞する宴で詠まれた8首の一つ
風や雨によって港待ちしながら、長い船旅に悩まされた万葉人にとっては、安全な旅=速い旅が願いでした。
遣唐使船には、住吉神を祀る祠を設けて住吉大社の神主が「主神(しゅしん)」と名乗って乗船。
住吉の大神が舳先に立って航海の安全が保障されたことを詠われています。
その社右横においとしぼし社というのがあって、ここにおもかる石が置いてあります。
年々パワースポットとして有名になり、訪れる人も多くなってるようです。
住吉大社境内でると、「おもかる石→」みたいな貼紙が次々と見られるようになりました。
おいとぼし社は、お愛し星とも老年星とも書かれるそうですが、由緒とかは不明なんだとか。
祀神は金龍さん又は龍神さんともいわれ、隕石を願い事の守護神として祭り始めたものとも云われています。
住吉大社のサイトでは、「大歳社の境内にありますが、もともとは境内の外であつい信仰を集めていました。年に2回、春と秋に例祭が行われます。」としか紹介されていない。
伝承どおり、丸い石は隕石のようにも見えて、老年星が正解なのかも。
3つある石のどれかに、願掛けをしたのち石を持ち上げ、軽く感じれば「可」、重く感じれば「否」であると伝えられています。
今年は軽く感じました。
実は伏見稲荷にもおもかる石があって、そこでも試しましたが、今年はいけるかな…
住吉大社で他に目に留まったもの
兎の手水舎
翡翠のなで兎
古代船を模して作られた歌碑
万葉の歌2首が彫られています。
草枕旅行く君と知らませば、 岸の黄土ににほはさましを
(巻一 清江娘子 長皇子に進る歌)
住吉に 斎く祝が 神言と 行くとも来とも 船は早けむ
(巻十九 多治比真人土 作 遣唐使に餞する歌)
天平5年遣唐使の大使として旅立つ藤原清河を餞する宴で詠まれた8首の一つ
風や雨によって港待ちしながら、長い船旅に悩まされた万葉人にとっては、安全な旅=速い旅が願いでした。
遣唐使船には、住吉神を祀る祠を設けて住吉大社の神主が「主神(しゅしん)」と名乗って乗船。
住吉の大神が舳先に立って航海の安全が保障されたことを詠われています。
不思議な印象ですね。
今年は辰年ですが
ホームの龍が
なにより
カッコイイですね。
毎日、記事を読んで
にやにやしています。
最近「古事記」がちょっとしたブームですが、古事記とのつながりが深い関西や山陰には、調べたらキリがないほど多くの神社や遺跡があるんでしょうね。
翡翠って書かれてなかったら、大理石かとみがまうほど大きな翡翠です。
テンプレートの選択お褒めに預かりうれしいです。
いつも季節に見合ったものをセレクトしてますが、大晦日にこの龍虎を選びました。
今日は11日で鏡開き、もうしばらくこれでいこうかと思っています。
伏見稲荷は参詣者も多いので一番並んでるかもしれません。
住吉大社の摂社のおいとぼし社はなんか不思議なところですよ。
ところで私は古事記も日本書紀も読んだことないのですが、ここ数年神社の成り立ちとかに興味がわいて、すべてネット検索で情報仕入れてます。
興味がわくと神社仏閣詣でも楽しくなってきますね。
関東にも東北にもいっぱいありますよ~
興味がないときは目に留まらないだけで…
で検索中。和歌があるんですね。
船と関わる住吉さん、そしてそれを知っていた多治比真人。船の運行ならば、波や天候変化、地形など様々な情報を持っていたでしょうね。台風近づいているだけにヒントになりそうです。
松原市と堺市美原区の境界あたりに丹比神社があり、過去に参拝記録残してます。
一般的には教科書には出てこないし、非常にマイナーな古代豪族ですよね。
でも和同開珎は河内の国で鋳造されたそうで、その担当したのが多治比三宅麿。
いまでも阪神高速松原線の出入口が三宅インターと地名残ってます。
おもかる石は二ヶ所くらい出会った事あるんですけどどんなお願いしたのかなぁ?記事も加味して多治比さんの全国展開探ってみますね。山陽でも名前が似ているお山何かあったように思います。タジって音もなんか古い日本っぽく感じるんですよね。何か方言ででも意味でて来ないか?気になります。
多治見の地名由来では以下3つ
イタドリの花の古名説
丘陵説
マムシの古名説
https://www.lib.tajimi.gifu.jp/kyodosiryositu/kawa1.pdf