関西は午後から晴れましたが、このたびの台風18号予想以上にすさまじかった。
各地に大きな被害を残しました。
被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
昨日、石清水八幡宮行きましたがずっと雨でした。
夕方さらに雨足が強くなり、
頓宮から山上へ神様がお戻りになる行列もさぞかし大変だったことでしょう。
さて画像は、「レストラン男山」の宮崎牛ハンバーグランチです。
石清水八幡宮での奉納演武が13時からだったので、近場でランチするのに事前調査。
創業45年のレストランで見かけは昭和レトロな建物でパッとしないけど、
昼も夜も駐車場満杯で、実際行ってみたら美味しかったという口コミたくさん見ました。
男山に行って奉納武道見るんだから、この際食事もレストラン男山で決めました。
国道1号線沿いで石清水八幡宮から車で10分と離れていません。
口コミにたがわず美味しかったので、またいつかこのあたり通過することあれば行きたいです。
先の記事で悠々美術館さんがコメント残してくださり、男山中学のことに触れられてました。
今回のキーワード、男山!!
シンクロしましたね~
以前から男山という地名に引っかかりを感じてたので、この際あらたに記事にしておきます。
男山で検索するとまずヒットするのが、日本酒「男山」でした。
「寛文年間(1661年~1672年)に摂津国伊丹で創業した、かつての有名日本酒蔵元。
京都府八幡市の男山が名の由来。明治の初めに廃業したが、
江戸期の模倣や廃業の際のブランドの切り売りなどで数多くの「男山」ブランドが日本全国に存在する。
その中で旭川の北海男山が本家とされる。」
男山という名前の山は日本に何箇所かありました…岩手、新潟、長野、、京都、兵庫、岡山。
兵庫県姫路市の姫路城の近くにある男山は標高57.5m。
山頂は男山配水池公園になっており中腹に男山八幡宮が鎮座。
そして、京都府八幡市にある鳩ヶ峰の別名。標高143m。山上に石清水八幡宮がある。
男山は大阪府枚方市と京都府八幡市の境にあります。
京都府八幡市市立中学校の名称には全て「男山」が付くことも記載されていました。
地図下、男山団地の右側に男山第3中学校があります。
男山という地名の由来は何かなと調べましたが分かりませんでした。
石清水八幡宮は859年の遷座以前は、男山山中から湧き出る清泉を神としてまつっていました。
二の鳥居横から裏参道を上がっていくと山腹に石清水社があります。
社殿前の泉屋の中に井戸があるなど元は水神信仰であったことがうかがい知れます。
現在の祭神は天之御中主神(アメノミナカヌシ)になってるのはなぜか不明だそうです。
一の鳥居をくぐり、麓の頓宮北門から入り
南門を出て右手に高良神社(こうらじんじゃ)があります。
先の記事の、徒然草仁和寺の法師が八幡神と勘違いした高良社です。
もとは河原社と称し、馬場先本道を挟んでその前方を流れる放生川の側にあった。
八幡地区の氏神だったが、極楽寺や頓宮の造営に際して川幅が広げられたため現在地に遷った。
その後、カワラがコウラと訛り、筑紫の高良大社(久留米市)を遷座せしめて『高良社』と呼ばれるようになった。
高良玉垂命(コウラタマダレ)ってどなた?
また疑問が増えました…
高良社は、慶応4年の鳥羽伏見の戦いで焼失し再建されたが、元の豪壮な面影はない。
引用: 京阪奈ぶらり歴史散歩
男山団地の左側に交野天神社があり、樟葉宮伝承地と書かれてあります。
樟葉宮(くすばのみや)は、現在の大阪府枚方市楠葉丘。
日本書紀に拠ると
506年武烈天皇が後嗣定めずして崩御したため、…、越前から「応神天皇5世の孫」である継体大王が迎えられ、
507年河内国樟葉宮において即位し、武烈天皇の姉にあたる手白香皇女を皇后とした。
第26代継体天皇の 諱はヲホド。
『日本書紀』では男大迹王(をほどのおおきみ)
『古事記』では袁本杼命(をほどのみこと)
男大迹王には男という字を使われていますが、男山と何か関係ある?
今年8月に今城塚古墳と博物館を見学して記録残しました。
いましろ大王の杜
日本の兵馬俑は、ちょっと言いすぎや、けど
近畿中央部における大型古墳の分布図を載せましたが、
あの地図の京都南部に大きな湖があります。
それが巨椋池で、昭和8-16年ごろに干拓して農地となりました。
巨椋(おぐら)池という地名は残れども、現在地図からは想像もつきません。
豊臣秀吉は伏見桃山城を築造し、京街道を整備しました。
そのときに巨椋池のまわりに堤を築き整備したようです。
詳しく説明された巨椋池というサイトより古地図もらってきました。
「その昔、全ての川は巨椋池に直結しており、また大型船が航行出来るほど水量も豊富であった」
と書かれてありました。
ちょうど交通の要所としてバッチリな所に、石清水八幡宮ありますね。
それにしても仁和寺の法師、歩いてきたら遠かったことでしょう。
船も使ったのかしら…
男山近辺の過去の日記もよかったら…ご高覧賜れば幸いです。
2006-07-20 松花堂弁当 風雅な癒しの空間 ♪千の風になって
2010-05-06 柏餅と石清水灯燎華
私は中学3年の時にリーダースキャンプと言うのに男山で学校のクラブのリーダーが集まる会議で初めて行きました。キリスト教の学校なのにどういう訳か?神社です(笑)
姪が御殿山神社に嫁いだので、交野天神社は主人の親元です。弟さんは石清水八幡宮で修行されていました。
ドライブイン男山も友達がバイトしていたように思います。
同級生が男山郵便局をやっていて、吉兆なども連れてくれました。吉兆も八幡市では美味しいお店ですよ。一度、ご笑味あれ!
だいぶ涼しくなってきたので、燗酒が飲みたくなりました。
>キリスト教の学校なのにどういう訳か?神社です(笑)
そして神社にご縁のある一家のご様子。
ほんまに笑えますねぇ~
吉兆の松花堂は2006年に訪れて記事にしました。
文章最後の方でリンク貼ってますので、
またまた懐かしく思っていただけるかも…
なんか男山は不思議な気になる所です。
わたしは飲んだことないです。
名前からして辛口なのかしら?
台風一過で秋がいちだんと進みました。
燗酒も美味しくなりますが、食欲の秋といえば、
台風で被害受けた収穫前の田畑、お気の毒ですよね。
男山って大学のサークルのお酒で毎回のお約束のブランドだったので懐かしいのが一番。男ってつくのもちょこっと気になっていましたよ。記事でご指摘の方と手力男さんもですね。田に力ですね。
石清水八幡の関連で高良と交野天神って私の大好きな男性的神と女性的な神っぽい。そう安曇で継体さんも不可欠ですよね。交野といえば8担ぎの鉢かつぎ姫の観音さんのキーワード。
男山もキーワードになってきそうです。長男神社ってのも大阪にありますね、武烈さんかお供さん由来なのか?関西ではほとんど消えていそうなのでかなりいい鍵になりそうです。9550、武烈系は9と5が多いなあ。
その中で木津川の周りの集落が古墳の変化に合わせてどう変わるか?という流れで期を区切って変化を比較してくれていました。その中でもちろん最初からあった集落とのちにできた集落が一発で分かってしまいます。その一つが石清水ですね、地形的にも要ですし、そこは間違いないです。男山って聞こえて自宅に帰って地図見てびっくり木津川ってこの辺りだとは。大阪の地名全く分からずでした。
そしてもう一つが歴史的には不明ではありますがどうやらお寺があり地名が久世って。あれ〜京都の祇園祭の久世かなあ?と連想したら、三匹獅子出てくるお祭りみたいなものまで。おまけに同じ名前で出てきた東京のお寺がまた私がたまたま用事で行った際に父の関係の蔵王権現系の伝説のあって行ったお寺でして。本当また5年くらい前のあたりに戻ってたどっているようで。
京都の祇園と言えばスサノオですけど八幡との絡みは男山の木津川あたりの関係にありそうです。
ここは京都だったか?関西よくわからないのですけどやっぱり関東とも古墳時代にも関係あったように思ってしまいます。なので石清水神社はあれえばかなり古くから地元の歴史をみてきている大事な聖地なのは間違いなさそうです。9598
吉田さんのコメントが興味深いですし、このウォークでムカデに遭遇し、吉田さんのブログとシンクロしました。
http://blog.goo.ne.jp/goo3820/e/11678f7226a6ab76dd1a792ebd9aef14
葛城のカモ氏は木津に移り鴨神社を創建し、その後京都へ北上し下かも、上賀茂神社神社につながります。
DIVAさんのご先祖さんは葛城と木津でご縁つながりあるとコメント下さってました。
巨椋池は現在のものには想像もつきませんが、古代図見てると、石清水、伏見、木津、宇治が繋がってるのがわかりますね。
宇治の菟治、白兎神社の白兎神の兎は菟という漢字でもあらわされるということは…
因幡の素兎、どう書こうか思案中です。
りひとさんは言葉の音に敏感に嗅ぎとられますが、私も同じタイプかも。
いろんな漢字で表記されてまどわされることもあり、ヒントもありで、ワケワカランようにもなりますね。
途中で放っぽり出したこと多々あります。
うららさまとは、説明せずここぞ思いながらもあえて突っ込めない部分を感じ取って頂いているような感じもあり本当助かります。
また先程見た記事での絵空くんの手と足の件は超納得してしまいます。とっても良い縁だと思います。どうぞ守りながら導いてあげて下さいね。
読者のみなさんの周りにも同じように良縁を持って生まれてくる方がいっぱいいるはず。
未来ある日本は身近な子供に託すために導いてあげないといけませんね。
今の日本は、不思議にもいい子ほど陰湿にやられる事が多いので守って行きましょうね。素直な子ほど染まり安いんで正しく厳しくどこを筋通すかが大事です。男の子は難しいですね。4486
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石清水八幡宮の高良神社ですが
検索した地図のどれにも載っていなかったのですが
オザサ様の地図でやっと場所が分かりました。
ありがとうございます。
しかし河原社がなまって高良社になるなんてことがあるのでしょうか?
香春が河原と呼ばれるようになった例はあるようです。
私は香春が高良になったものと考えています。
男山の由来は私も知りませんが
複数ある黒男神社といえば高良社とも縁の深い
武内宿禰を祀っています。
高良玉垂命=武内宿禰説も古くから根強いです。
そういう関係の調査では、
奈良時代からある神社で調べていかないと
勧請社が混乱の原因になっていたりします。
久留米の高良大社そばの大善寺玉垂宮の
祭神の由緒によると
神功皇后の三韓出兵に大功のあった藤大臣となっています。
福岡の宗像大社そばの宮地嶽神社の祭神は
やはり神功皇后の三韓出兵に大功のあった
勝村大神・勝頼大神です。
社説によると
左殿 藤高麿(勝村大明神)
右殿 藤助麿(勝頼大明神)
また宮地嶽神社の参道の坂名は『男坂』だそうです。
男坂女坂は全国にありますからなんともいえませんが
この坂は『光の道』として有名です。
https://matome.naver.jp/odai/2145550565850169001
繋がる時代はとりあえず
神功皇后 武内宿禰公時代ですね。
『八幡愚童訓』に「震旦国(インドから見た中国)の大王の娘の大比留女は
七歳の時に朝日の光が胸を突き、懐妊して王子を生んだ。
王臣達はこれを怪しんで空船に乗せて、
船のついた所を所領としたまうようにと大海に浮かべた。
船はやがて日本国鎮西大隅の磯に着きその太子を八幡と名付けたと言う。
継体天皇の代のことであると言う。」との記載があります。
平安末期作成の『今昔物語集』には
八幡神は大隅国に現れ、次に宇佐に遷りついに石清水に跡を垂れたと
記載されているそうです。
前出の大比留女は筑前香椎に移り住み
聖母大菩薩=息長足姫尊と呼ばれたという伝承もあります。
そして香春神社のの辛國息長大姫大目命に繋がってきます。
辛國であって辛嶋ではありません。
香春神社によると第一座辛国息長大姫大目命は
神代に唐土の経営に渡らせ給比、
崇神天皇の御代に帰座せられ、
豊前国鷹羽郡鹿原郷の第一の岳に鎮まり給ひという由緒です。
辛國は中国ですが
辛嶋 勝 藤は朝鮮由来を暗示させるものとして使われています。
八幡神奉祭の辛嶋勝姓系図では「スサノヲ命を祖神とし、
その子・イタケル命を奉斎して新羅より渡来し、
筑紫国(福岡県筑紫野市付近)にイタケルを祀り(筑紫神社)、
豊前国香春岳(福岡県唐香春町)に移って新羅神を祀り(香春神社)、
そののち豊国を経て宇佐に入った」という伝承となっています。
中国江南の血統というものは全て封印されて
朝鮮に置き換えられてしまっています。
そろそろ糺すべき時期かと思います。
その通り、朝鮮の百済新羅由来と思われているのもには私もかえって怪しいと思えるキーワードになっています。正解は誰にも分かりませんけど。
高良は河原ってのは、少し分かりますよ。河内ってので考えると。この関係者が絡むところ河内って地名が結構出てきますので。石清水とかかなり接点が多いキーワードになるはずです。
そして音してはkが聞こえにくくてコウだったので高を当てちゃったんではないか?と。すると河内から離せてなおかつタカにできるんで
一石二鳥だったのでは?日本語は、子音+母音がセットで一音なのでそもそもそこを逃す事はないけどその常識がなければ最初のkはとても逃し易いのでは?と。
なので河原もありなのでは?だってそもそも水神で川と関係ないはずはないですし。
法師が八幡かと思ったのも頷いてしまいます。
まあ文学ですので作者はそうほのめかすという事はそう思わせたい意思も感じます。
鍵の時代は、確かにその辺りですけどそんなもんではなくもっと古い時代の懐妊事件だと個人的には思っています。一般人のつぶやきですが参考になれば。勝も朝鮮系に思われていますけど、そうでもなさそうですよ。目の神関連でアントシアニン思い出したんですけどすぐりって植物なのか実なのかは分かりませんが、ドイツでヨハネスベーレンを調べたら日本語で黒すぐりと出ていたので勝部(すぐりべ)も薬などの知識のある方々の可能性も。奈良時代のバジルといい当時は中国でしょうし、そうすると日頃黒すぐりのジュースを飲むドイツにも繋がります。結局安曇なのでしょうけど。男山と安曇は全く関係なさそうですけど多分和爾なのかとも。ワニの化石の場所待兼山(兼待?すぐ逆に書いちゃうんですけど)の辺りでだったかお山の名前を変えて勝にしたのもの江戸だったような?そうだファミリーヒストリーで芸能人の丹波さんの先祖は近江で偉いお医者さん的な方だったはずです。その方は古代の歴史からも消えていたように思います。多分消えているのは和爾氏ですよ。なので新羅や百済の時代よりももっと昔の和爾氏をほりおこすと多分高良社の大事な神が見えてくるのでは?と思っています。9606