秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

いしふみ

2009-09-22 | 古代史のミステリー
まだ見てなかった「おくりびと」、昨夜地上波初登場ということで放映されてたのを視聴した。

印象に残ったのは「いしふみ」です。
かつて人が言葉を持たなかった頃、自分の想いを相手に伝えるために言葉のかわりに石を渡したと言われてました。

確かに、川原や海辺、山でもきれいな石を拾いたくなるものです。
しばらく飾っていたり、誰かにあげたり…

そこまで思いをこめたものではないけれど、確かエジプトで拾った石あったと出してきたら、
もぐちゃん早速反応。

  

これって人間のDNAに組み込まれた「いしふみ」の習慣の名残なんだろうかとググってみました。

でもヒットするのは「おくりびと」のことばかり。
貝殻や石などを拾って、気持ちをのせてプレゼントするというのは、たぶん古今東西してきただろうけれど、特にふれた記事は見つけることができませんでした。


検索していているうちに興味の対象が変化しました。
どうやら石に彫られた文字、石文碑を「いしふみ」というようです。

「つぼのいしふみ」
日本三古碑の一つで、昔から歌枕として知られ平安時代以降多くの歌人が「つぼのいしぶみ」を題材とした歌を詠み、京都の文化人の間でつとに有名でした。
源頼朝や西行法師、そして芭蕉も読んでます。

ところが「つぼのいしふみ」は現在二つあります。

壺の碑(つぼのいしぶみ)

   
仙台市と松島の中間に多賀城遺跡、その南門の近くに有名な壺の碑は、江戸時代に土中から発見されました。
碑面には、多賀城の位置、724年に大野東人によって創建されたこと、762年藤原あさかりが修造したことが刻まれており、多賀城改修の記念碑と考えられています。

芭蕉が、多賀城の碑を「つぼのいしふみ」だと感激して書き付けたためか広く世に知れ渡ってしまったそうです。


もう一つの「つぼのいしふみ」というと、
都母の石文(つぼのいしふみ)

   
都母(つも)と言う古代地名で爾薩体(にさたい)の北部。
昭和24年青森県東北町石文(いしぶみ)地区の雑木林でで偶然発見され、今は東北町の「つぼのいしぶみ保存館」に保存されています。

刻まれた『日本中央』4文字は「ひのもとのまなか」と読むそうだ。

征夷大将軍坂上田村麻呂がアテルイの乱を鎮圧するため東北に赴いた時、弓のはずで巨石に「日本中央」と刻んで建立したと言われています。

アテルイの碑が京都清水寺にあり、首塚が大阪の枚方市にあるそうだから、平安時代の認識はこちらのほうかも。

しかし坂上田村麻呂がこの地に足をのばした記録はなく、実際は次の征夷大将軍・文屋綿麻呂が刻んだとの説もあるそうです。
またなぜ日本中央と刻んだのか、本当はいつの時代に作られたのか、ミステリーは深まるばかり。

6 コメント

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つぼのいしふみ (めねふね)
2009-09-23 12:38:37
かつて蝦夷地は「日ノ本」とよばれてたので、
その中央っていうのがいちばん納得がいくんですが、いろいろ事情もあるようで・・・。

秀吉書簡とか、津軽安東氏の日ノ本将軍とか、諏訪大社の古文書にも北海道のある地域が日ノ本とかかれていたり・・・。
で、ヒナ(鄙・雛)をとおして出雲の日本火出初之社にもつながってきたり・・・。
ようするに、日出ずる処、東が、日のもとだと思うんですけど。

ま、東北にはキリストと弟イスキリの墓なんかあっちゃったりもするので、評価をさげてますね~(笑)。

それにしても、かわゆいなぁ、もぐちゃん。

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めねふねさんへ (おざさ)
2009-09-24 23:28:07
もぐちゃんのかわいさは、画像では伝えきれなくて、実物見てほしいです。

さすが、めねふねさん、いろんな時代、あらゆる地域よくご存知で。
日の本も今回初めて知ったくらいでほとんど知りませんが、三内丸山にしても十和田湖にしてもいろいろ空想かきたてられます。

来月、北東北へ旅立ちます。
遺跡めぐりではなくて、みちのく錦秋と温泉の旅ですけどね。
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ありがとうございます。 (りひと)
2017-05-13 14:42:34
さすが知識と縁凄いお持ちですね。
おくりひとが話題の時もなにも入ってこなかったです。人の思いってなんかいいですね。

そうそう最近の記事になっている仏師の方の後継に木喰さんもいそうでして同じような意思も深読みしちゃいます。東北とか関東とかにそういう仏像があるんですよね。松尾芭蕉もそうですし。

とにかく自分が生まれたこの地の歴史を知り何かをしようとして動いた方がいっぱいいるのでしょうからその方の動きで見るのもかなり大好きです。歴史上の人物の人間ウォッチは最後まで分かっているので予想も出来てマークしやすいです。

いしふみという文化なり心の遺産は今の日本にも残っているといいですね。それこそお金でもコントロール出来ない心の豊かさがないとできないはず。

三大古碑も遺跡からの出土した物もうそだとか偽物だとかそこで終わってしまったら敵の思う壺。
なぜここにあるのか?存在がその地と合っているのか?その時代の逆になかったと断言出来る方がいるのか?

政治でも、献金がなかった事の証明はできないってありましたもんね。なかった事を証明出来ないから証明しないんでは今迄の日本人のままです。

なんでそういう物がそこにあり、どうしてそう解釈されたのか?とかどんな方がそこに絡みその方やその方のその前後の行動を分析していったら見えてくる物はあるでしょう。

なので極端言えばでっち上げでもいいから調べる事に意義がある。でっち上げや偽物だから調べないってのがまずいわけで、そこをついてくる方々はいるので注意です。偽物をなぜそこに作ったのか?でもその作者の意図はあるはずです。時の権力者や水戸黄門さんとかかなり知識を持っていただろうと思える方の動きとかその関係の子孫の方々が研究してくれるようになれば多分見えない世界からのアシストもあり盲点があっという間に見えてくるかもしれませんよね。

なので縁がある土地や縁がある方への感謝が一番その方の未来を明るくするはず。お金楽にもらえる仕事に入って適性が合わないっと事もなく本人たちもお金意外の心の豊かさにつながるはず。

子育てが終わったり、定年後の方々もどんどんその地でその方しか出来ないお役目を見つけられるのだと思います。ふるさととかそういう物にも懐かしさを感じてどんどん関わってくると一億総活躍社会になれるのではないかなあ?

選挙のしがらみで突然やってきたようなお偉いさんにその地を任していたらお金だけじゃなく時間も無駄ですし、あえて日本のマイナス狙っている方々からもその地を護れます。

地形を少し考えたその地のその土地の利用をどんどんその地の方が関わって、どんな天災が来てもうまく対処できるかどんな人災がその地に起こる可能性があってもそれはダメだと地元できちんとと言えるそんな地が各地で出来てくるといいですね。小ちゃいほど楽なはずなので近い所でコツコツと。各地の知事さんの下にそういう方々が行かせたら各地の境界での責任のなすり付けも無駄で、協力しちゃった方がスムーズなのも分かるはず。

その地でしっかり生きながら他の地の情報もあるとwin winになりますね。そこで妥協も学びお互いの立場への理解力も増しますね。日本人はとても適性があると思います。

注目されるべき情報は埋もれてます。
きっかけがあり知ったなら自分にも役に立つ情報と思える経験があるときっと見て見ぬ振りはなくなりますよね。大人が子供の見本を見せて欲しいです。自分だけで生き続けていく事が出来ない時代だからこその楽しさとも思えるといいですね。

各地の歴史も連動しないから出てこない空白の時代があるはず、連動してきたら卑弥呼の国も見えてくるかもしれませんよ。卑弥呼ファンの皆さまも九州と畿内で争うのではなく他の地の情報も突っ込んで行ったら自分の地方の新しい歴史も見えてきやすいように思います。
先入観を抜く方法かもしれませんね。6537、2562
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りひとさんへ (ulala)
2017-05-14 16:33:29
ブラタモリみたいに古い地形図見ながら町を散策するのが流行ってるそうですね。
大阪の上町台地はかつて西は大阪湾、東は河内湖だったのが急激な高低差でよくわかります。
でも川の流れが変わってたり、干拓してて跡形ないぐらいのとこもありますけど。
京阪電車守口市駅の大阪より一つ手前駅に土居神社がありますが、ここの社殿は淀川氾濫して流失と書いてあります。
秀吉が整備した京街道の文禄堤は、今や淀川からかなり離れていて、川の流れを変えてたのでした。
この歴史を知らないと勘違いストーリーを作ってしまいそう。
大和川だって流れを江戸時代に変えてますし、それは江戸の町だって家康が水利事業頑張ったんですよね。
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Unknown (木方)
2021-06-15 14:09:26
もぐちゃん石好きなのかな?
いしふみもやたら気になりましたけどまずはもぐちゃんの思い出辿ります。
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木方さんへ (ulala)
2021-06-16 14:06:55
もぐちゃんは石に反応してましたね。私自身子どもの頃からよく石拾ってました。
「いしふみ」いいですよね。
でも、言葉のかわりに石を渡して、ホンとに伝わるんだろうか。
自己満足でいいのか。
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