秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

菅浦集落見たまま聞いたまま

2019-09-05 | おでかけ・近畿

この石垣が、かつては琵琶湖湖岸の波除けでした。
救急車が通れる道を石垣下に造られた。
ガイドしてくださった男性は見た目50台半ばかな?
子どもの頃にこの石垣に腰掛けてる写真は白黒でした。



去年の台風21号の風は凄まじく、波除け石垣越えてあちこち被害出たそうだ。



山がギリギリまで迫った狭隘地は水があまり湧かない。
集落には三箇所の井戸が掘られ共同で使ってたそうだ。
そのうちの二箇所を案内されたけど、白濁して淀んでる感じ。

あの高島の安曇川伏流水地とは雲泥の差。
あちらでは澄んだ地下水が湧き上がりじゃーじゃー流れてた。

菅浦では水がないのでお風呂は琵琶湖。
冬はどうしてたのか聞き漏らした。
今は水道あるけど、水が無いとこは想像するだけでも大変。
私には住めないわ。



お寺の名前聞いたけど忘れました。
現在の人口は110人程度。
世帯数も100軒ないでしょう。
排他的な村だから人口減ることはあっても増加が難しい。
しかしお寺は4寺だったかしら?
宗派も異なるって不思議。



阿弥陀寺あたりかな?
ものすごく変わったアカマツのような木が目に留まった。
根元から枝が分かれて見たことないよ。


うつくしまつ、という名。
移植したようです。
何年に何処からか聞き漏らした。
昭和天皇が見に来られたとも言われたので、ネット検索したが不明。



小さな集落ですから村巡るのに30分も歩けば十分。

41人は2グループに分かれて見学した。
私たちのグループは最後に須賀神社参拝した。


須賀神社は、天平宝字8年(764)の創建と伝えられる。
祭神は、三柱を祀る
淳仁天皇(じゅんにんてんのう)
大山咋命(おおやまぐいのみこと)
大山祇命(おおやまつみのみこと)

元は、保良神社(菅浦大明神)と称していたが、
明治42年(1909)に小林神社、赤崎神社を合祀して一つの神社としたものである。


つづく

2 コメント

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Unknown (りひと)
2019-10-02 20:56:37
宗派違うのも本当興味ありますね。
あと須賀神社でスサノオじゃないってのが興味深いです。で淳仁さん、ありかも!
で大山咋神とおおやまつみが一緒なのもかなり嬉しいというかワクワクです。
その地への迷惑をかけたくないのでひっそり調べます。地元あってのその地域、その地の方が喜ぶ事を尊重したいですね。ひっそりのままにしたいですもんね。
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りひとさんへ (ulala)
2019-10-03 11:42:49
そうなんですよ、須賀神社ってスサノオかと思いましたが、違うんですね。
菅浦のすが→須賀となったのかしら?

大山咋命(おおやまぐいのみこと)
大山祇命(おおやまつみのみこと)
私にはよくわからない。
漢字もすぐ忘れてちゃんと書けなくて。

咋は、三島溝咋と同じで、河川に咋打って開墾したのかな。

いっぽう、祇とは、土地神という意味の漢字らしいです。

ともに、なんでこの地に祀られてるんでしょうね。
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