秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

古代史ミステリー③古来・今来

2008-10-20 | 古代史のミステリー

2006年のなるほど知図帳が家にあります。
その巻頭特集の中に古代遺跡地図と簡単な古代の歴史年表が載っています。
40年ほど前に学校で習ったのに比べずいぶん増えてます。

日本史は漢字の書き取りみたいなところがあって、事件や人名を覚えるのがわずらわしかった。
しょうことなしに、仏教伝来538(ごさんぱい) 大化の改新645(むしごはん)といったぐあいに暗記したものだけが今なお口についてでてきます。

 この40年の間に新しく発掘されたり、
またそれが捏造であったり、しかし確定したこともあります。

それでもまだまだ不確かなことが多い、日本の古代史です。

時の権力は、自分に都合のいいように歴史を書き換えますし、
とくに現天皇制に繋がるとされる大和朝廷成立までの3~5世紀はミステリアスです。

だからといって、いつまでもミステリーのままにしておいていいものでもないでしょう。
別に古代史がどうであろうと、どうでもいいともいえますが、
今のアジアでの日本のスタンスや、環太平洋としてどうあるべきかとか、これから先のことを考えても、日本のルーツ、正しい成り立ちを知っておきたくなりました。

すでに皆さんご承知のことで、いまさらかもしれませんが、
今回の古代史ミステリーは年代順に書いた方がわかりやすいかと思いました。

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 前置きはこれぐらいにして、その年表をみていると、
成人してから新聞やテレビなどで断片的に知った遺跡の年代を確認出来ました。

 例えば次の2箇所はあまりにも有名です。
BC3000年ごろ(縄文中期)青森・三内丸山遺跡
BC100~AD100頃(弥生中期)佐賀・吉野ヶ里遺跡

 

なぜに青森に縄文中期に最大の遺跡があったのか?
というと青森県民に叱られますが、
学校教育が、古代は東北地方を辺境地区として扱ってきましたからね。

やはりこれは気候が大きく関係するに違いないと、氷河期について調べてみました。       

   地球が寒かった時代 J.A.エディ(1984年)

12000年前温帯モンスーンの東アジアに寒冷気候が襲った。

最終氷期の最盛期には、大量の氷がヨーロッパや北米に氷河・氷床として積み重なり、地球上の海水量が減少、世界中で海面が約120mも低下しました。
その影響で海岸線は現在よりも沖に移動します。


アジアとアラスカの間にはベーリング陸橋が形成され、ここを通って北アメリカに人類が移住したといわれています。
北海道と樺太、ユーラシア大陸は陸続きとなりました。
現在の瀬戸内海や東京湾もほとんどが陸地、
東シナ海の大部分も陸地、
日本海と東シナ海をつなぐ対馬海峡もきわめて浅くなり対馬暖流の流入が止まったとか。

 このころ北からはマンモスを追いかけて、日本列島となる場所にやってきたはずです。
日本語はウラル・アルタイ語系らしいけれど、
こうした言語やお尻の蒙古はんは太古の時代のなごりなのかも・・・

そしてもちろん南の海からも。
これがいわゆる古くに日本へやってきた先祖・縄文人なのでしょう。

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 6000年前に間氷期に入り、地球は温暖化し現在に至っているそうです。

気温が上がると氷が溶けて水が増え、海水面が高くなります。

 

「縄文海進」というのは、
縄文時代には今より気候が暖かく、今の海岸線より内陸まで海となり、そのため海岸から離れた内陸部に貝塚が見られるのです。

青森の三内丸山遺跡を地図で確かめてみると5kmほど内陸部ですが、縄文時代はすぐそばまで海が来ていました。
他地域との多くの交易品が発掘され、すでに大航海がなされていたことを裏づけています。

 

 野山の木の実や種、葉を食べ、獣を追って暮らしていると、自然の脅威が身にしみて太陽や山の神に祈りをささげたくなったに違いありません。
海の海産物を採り、交易で大海原に出るときも海の神に祈ったことでしょう。


4 コメント

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Unknown (northin)
2008-10-21 07:24:44
テレビでやっていたのですが
鎌倉幕府は1192年じゃなくて
1185年と今は教えているそうです
1番古いお金は和同開珎ではなくて
富本銭に
歴史は新しい発見で変わっていくのだなぁと
ビックリしました
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Unknown (TM)
2008-10-21 21:21:50
三内丸山遺跡はとても規模の大きい縄文の遺跡ですが、北海道でもそれに負けない大きな縄文遺跡が見つかっているようですね。

三内丸山遺跡では、新潟県糸魚川のヒスイの勾玉も見つかっています。
縄文時代というと原始的な暮らしを営んでいたように思いがちですが、決してそんなことはなく、交易も盛んだったんですね。
縄文土器は世界最古の土器ともいわれていますし。

私は縄文土器がとても好きなんです。
新潟県の遺跡から出土した「火焔土器」などは、エネルギーが満ち溢れていますわ。
それから「縄文のヴィーナス」も好きです。

東京国立博物館に行ったときには、必ず本館に行って縄文土器を眺めてきます。
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northinさんへ (おざさ)
2008-10-22 08:57:43
いいくに(1192)つくろう鎌倉幕府でなかったら、
1185年はどんな覚え方になっているのかな?
それにしても7年も違うとは、どんな認識の違いがあったのでしょう?

1000年までもこれぐらい誤差があるのなら、
2000年も遡ればさらに不明なことは増えますね。
木の年輪で調べるというと科学的に聞こえますが、
どの程度正確にわかるのでしょうね?
建物を造るときに、何年も前に伐採して置いてあった木を使ったら、あるいは以前のも再利用してたらどうなるのでしょう。
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northinさんへ (おざさ)
2008-10-22 09:11:22
以前ひすいの鑑定を習ったときに、糸魚川産のひすいをみました。
ちょっと白っぽい上品な色でした。
中国の翡翠は軟玉で、ビルマの硬玉が見つかるまで、糸魚川産は中国でも珍重されたそうです。
TMさんは新潟ご出身ですが、お近くですか?
今でも糸魚川から海に出るあたりの砂浜で見つかったりするそうですよ。

ひすいや毛皮の流通を調べていたとき、古代は私達が思っている以上に、北方交易が盛んであったことを知りました。
北海道・礼文の船泊遺跡も重要だそうですね。

弥生時代に青銅器や鉄器が伝わったとされていますが、
三内丸山に巨大な建物があったとすると、
金属刃物なくては大木を製材できないのではないでしょうか。

縄文時代ってもっとスケール大きそうです。
あの頃の世界地図、見たいですね。
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