ものすごく立派な力強い根っこが四方八方に広がっています。
幹の下のほうは膨らんでスカートをはいたよう。
注連縄巻かれた木の周りをぐるぐる廻ってみる。
まるで祈ってるか捧げているようにも見える。
今城塚古代歴史館の埴輪巫女さんのイメージに重なります。
ホンと、不思議な木でした。
茨木市五十鈴川にある溝咋(みぞくい)神社。
安威川のほとりにあって、かつては川の右と左に上宮と下宮があった。
明治になって下宮にまとめられ一つになった。
橋から上流を見て、右岸のこんもり木々の塊見えるところが下宮で、現在の溝咋神社があるところ。
左岸の高い建物みえるあたりにかつての上宮があったそうで、
高層住宅団地内(学園町・旧浪商学園跡)の道路脇に『溝咋神社上宮跡』と刻した石碑が立っているらしい。
この川を遡り、事代主命は八尋熊鰐となって溝咋玉櫛媛命のもとへ通ったのですって。
そして生まれたのが、天日方奇日方命と媛蹈鞴五十鈴媛命。
いすずひめは神武天皇のお后となり、その兄あめのひかたくしひかたのみことは宰相となった。
なんと、奇日方命は、石生のいそ辺神社の神様です。
なんかまだ良く把握できていないのですが、
この数ヶ月「
石生の水分かれにある いそべ神社」の記事がこのブログの人気ベスト5。
そしてなんと昨日は第2位に。
早く記事にしろとせかされてるようで、とりあえず見てきたとおりを報告します。
私には何にも見えないけれど、
この神社には神様がいたはる気がしました。
溝咋神社の祭神は
主祭神
媛蹈鞴五十鈴媛命(ヒメタタライスズヒメ)
溝咋耳命の孫で神武天皇正妃(
ヒメタタライススケヨリヒメともいう)
溝咋玉櫛媛命(ミゾクイタマクシヒメ)
溝咋耳命の娘/五十鈴媛の母(セヤタタラヒメ or ミゾクイヒメともいう)
相殿神
溝咋耳命(ミゾクイミミ)
溝咋一族の長で五十鈴媛の祖父(タマクシヒメの父)
天日方奇日方命(アメノヒカタクシヒカタ)五十鈴媛の兄
速素盞鳴命(ハヤスサノヲ)五十鈴媛の先祖
天児屋根命(アメノコヤネ)藤原氏の祖