菅仮免の手続きか中身か二者択一的に把えて中身をより重視する性懲りもない学習能力ゼロ

2011-07-21 08:01:27 | Weblog



 7月19日(2011年)の衆院予算委員会。菅仮免は小池百合子自民党議員の質問を受けた答弁の中で政策作成過程に於ける手順と中身について、例の如く立派なご高説を述べている。

 小池百合子「原発というのは最早律することのできない技術とおっしゃったんですね。これについては、即ち、親成長戦略から、原発を外すと言うことなんですか。

 それから一方で、リトアニアでの原発で、優先交渉権を日本は獲得したばかりでございます。トルコ、ベトナム、それぞれ、原発の輸出ということを進めているんですが、その、おー、親成長戦略から原発を外すのかどうか、その一点だけ、お答えください」

 「原発というのは最早律することのできない技術とおっしゃった」とは7月13日に行った菅仮免の例の「脱原発依存」記者会見での発言を指す。次のように言っている。

 菅仮免「3月11日のこの大きな原子力事故を私自身体験をする中で、そのリスクの大きさ、例えば10キロ圏、20キロ圏から住んでおられる方に避難をしていただければならない。場合によっては、もっと広い範囲からの避難も最悪の場合は必要になったかもしれない。さらにはこの事故収束に当たっても、一定のところまではステップ1、ステップ2で進むことができると思いますが、最終的な廃炉といった形までたどり着くには5年10年、あるいはさらに長い期間を要するわけでありまして、そういったこの原子力事故のリスクの大きさということを考えたときに、これまで考えていた安全確保という考え方だけではもはや律することができない。そうした技術であるということを痛感をいたしました」

 その結論が「脱原発依存」であり、「原発に依存しない社会」というわけである。で、菅仮免は小池百合子の質問に次のように答えている。

 菅仮免「先程ですね、浜岡のこと、あるいは、あー、ストレステストのことも聞かれました。あの、あまり細かく申し上げませんが、浜岡の件については経産大臣の方からの提案を受けて、えー、まあ、二人だけではありませんが、両経産大臣とも十分に話をして、えー、要請をいたしたものです。

 ストレステストについても色々と言われておりましたけれども、是非ですね、私は、あのー、確かに、えー、多少手順に於いて、私の不十分さや遅れはあったと思いますけども、あー、すべてを、おー、保安院に任せていくということでは、えー、国民の理解を得られないということで、原子力安全委員会も関与させる形に、えー、両大臣、官房長官含めて、方向性を決めていただいたことは大変よかったと思っておりまして、是非ともですね、御党に於いても、御党に於いてもですね、その中身が悪いか、ただ手続きだけを色々言われているようですが、中身が悪いのかどうか是非ですね、ご議論をいただきたいと、このように思っております。(民主党席から拍手)

 その上で、先程『律することができない』という言葉をー、まあ、取上げられました。私も3月11日、イー、から、勿論今日にまでですが、特に最初の1週間、本当に、イー、今思い出しても、背筋が寒くなるような思いをいくつかいたしました。

 私もどちらかと言えばですね、従来は3月11日まででは、安全をきちんと確認して、えー、原子力というものを活用していくと、そういう方向でものを考えていた、あー、わけですけれども、その、おー、事故というものを実際に体験して、そして、そのリスクが今回、ある程度のところで、えー、収束に向かうことができつつありますけれども、えー、そのリスクの大きさを、考えたときに、果たしてですね、この技術を、完全に安全なものとして、えー、コントロールでき得るかどうかということに、疑問を感じたことが、あー、率直にありましたので、そいういう言葉を使わせていただきました」

 小池百合子は菅仮免のこの“手続きか中身か”については何も尋ねていない。

 菅仮免はこの“手続きか中身か”で一度手痛い思いをしているはずだ。その手痛さは今以て回復できていない。2010年7月参院選前のマニフェスト発表記者会見で党とも内閣とも何ら手続きを踏まずに突然消費税増税の中身を打ち出した。その中身にしても肝心の増税率は与党でありながら、自らの主体性を考えずに自民党の10%案を参考にするという名目で相乗りするもので、自ら手続きを経て試算した10%ではなかった。

 いわば手続きもいい加減、中身もいい加減の消費税10%増税政策の打ち上げであった。

 後になって、この自民党10%増税案相乗りが実際は悪乗りだったことが判明する。菅仮免が「消費税で自民党と一緒の主張をすれば争点から消えるから大丈夫」だと打ち出したことを鳩山前首相が暴露している。小沢一郎元代表と共に反対したが、細野豪志が言うように「アドバルーンをドンと上げて、そこに向けて走るというタイプの人間」に相応しく、ギリシアの危機を一種の威しに使って威勢よく打ち上げ、突っ走って、参院選大敗北・ねじれ国会というしっぺ返しを喰らうこととなった。

 この悪乗りについては当ブログ2010年7月24日記事――《菅首相の“消費税争点隠し”論に見る指導性・責任性の欠如 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いた。
  
 菅仮免は頭のいい人間らしく、政策を打ち出す場合、手続きよりも中身が重要だと言っているが、実際はどちらも重要で、手続きか中身か二者択一的に把握するのは多くの場合、正しい方法とは言えないはずだ。

 要は順序の問題であるはずだ。手続きを議論と検討を重ねて用意周到に踏むことが最初にあり、その結果としてある次ぎの中身ということでなければならない。

 また手続きを滞りなく果たすことによって中身はより万全となる。中身が最初にあるわけではない。ストレステストにしても、菅仮免は諸費税増税政策の打ち上げ同様に手続きを抜いたばかりか、やはり消費税増税と同様に中身を具体的に整えもせずに言い出した。

 だから、枝野詭弁家官房長官と海江田経産相、細野原発事故担当相の3人による雁首を揃えた原発稼動及び再稼動の新たな安全基準を設けるための「内閣としての統一見解」づくりが後付けとなり、その統一見解を受けた原子力安全・保安院の「安全評価」の実施計画がさらに後付けで作成されることになった。

 いわば具体的な中身がここで出来上がった。具体的な手続きを経て中身の発表という当たり前の順序を取ったわけではない。実態はEUが既に実施しているストレステストという参考書とすることができる基準、もしくは土台があったから言えた菅仮免のストレステスト発言に過ぎない。

 それを「その中身が悪いか、ただ手続きだけを色々言われているようですが、中身が悪いのかどうか是非ですね、ご議論をいただきたい」などと言うのは原発立地自治体や電力会社に「私の不十分さや遅れはあったと思いますけども」程度では済まない混乱と戸惑いを与えたことを棚に上げた不遜なまでの質の悪い開き直り過ぎない。

 手続きを十分に踏んでいたなら、原発立地自治体や電力会社に混乱を与えることもなかったろうし、それらの自治体の首長から手厳しい批判を浴びることもなかったし、批判している様子が繰返しテレビに流されることもなかったろう。

 繰返しの報道は国民の菅仮免に対する元々低い評価に影響を与えてをさらに悪化させたはずだ。

 このことは7月9、10両日に行った朝日世論調査の世論調査が証明している。

◆原発の運転再開をめぐる政府の一連の対応を見て、菅首相はきちんとかじ取りができていると思いますか。できていないと思いますか。

かじ取りができている  9%

できていない     84%

 菅仮免は内閣支持率について、「国民の声は、真摯に受け止めなければならない」と国会で答弁しているが、「その中身が悪いか、ただ手続きだけを色々言われているようですが、中身が悪いのかどうか」の発言は実際には国民の声を真摯に受け止めていないからできる発言であろう。

 但し順序を踏まないままに打ち上げた後付けの中身自体は一応の評価を受けているが、新しい安全基準だと言われれば、具体的な中身を詳しく知らなくても、賛成を示すのは自然な流れである。

◆政府は、運転再開を求めたあと、原発の安全性についての新たな調査をすると決めました。定期検査で停止中の原発を再開するかどうかは、この新たな調査が終わってから判断した方がよいと思いますか。新たな調査とは関係なく、判断してよいと思いますか。

調査が終わってから判断した方がよい 66%

調査とは関係なく判断してよい    21%

 また、政治が手続き、中身、結果を順序として国民の審判を受けるルールとなっていることからすると、菅仮免のように手続きか中身か二者択一的に把握し、中身をより重視する姿勢は結果を抜いていることになり、あるいは結果を見据えていないことになり、その政治姿勢は計画性や先見性を欠いていると言える。

 だからこそ、参院選大敗を招いたのであり、小さな失態で済んだが、ストレステスト打ち上げによる原発立地自治体等の混乱を招くことになったということなのだろう。

 首相就任早々、手続きと中身を欠いたまま消費税増税を打ち出して参院選大敗という手痛い失態を経験したにも関わらず、それを苦い教訓とすることができないままに中身さえよければいいという思い込みのもと手続きを抜くことによって中身も満足に仕上げることができないままに打ち出して何らかの混乱を招いて自らの評価を下げる同じ失態を性懲りもなく繰返すことが菅仮免の常態的な姿勢となっている。

 学習能力なき一国のリーダーと言わざるを得ない。


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江田五月の無責任発言「瓦礫処理は進んでいます」

2011-07-20 13:22:44 | Weblog



 昨日(2011年7月19日)の衆院予算委員会質疑で政府の瓦礫処理は進んでいないという自民党の追及に江田法務相兼環境相がケンカ腰でムキになって、「瓦礫処理は進んでいる」と答えていたが、最後になってケンカ腰がトーンダウン、その無責任な上合理的判断能力と観察眼を欠いた姿を曝した様子と菅仮免の政府の復旧・復興対策は基本的に進んでいるとする事実と反する発言を取上げてみる。

 小池百合子に引き続いて自民党2番手の茂木敏充議員の質問に対する菅の復旧・復興は進んでいるの発言。

 茂木議員が最新の内閣支持率、8割が菅首相を支持できないとする棒グラフをパネルで示して。

 茂木議員「世論調査の結果、国民の厳しい声をどう受け止めるか、歴代内閣でも最低レベルの支持率になっている。なぜそうなっているのか簡潔にお答えください」

 菅仮免「ま、世論調査を含めて、国民の声は、真摯に受け止めなければならない、えー、受け止めているつもりであります。

 えー、先程申し上げましたが、私は、3月11日の、おー、大震災発災以来、内閣として、やるべきことがやれているか、それともやれていないか、私なりに見てまいりました。

 えー、そして、えー、それは100点万点とは言えませんけれども、しかし、きちっとですね、当初の救命、えー、そして復旧、ウー、そして今復興、を進めております。そして原子力、うー、発電所の事故に関しても、ステップ1が今日で、予定通り、ま、一部は予定よりも、オ、前倒しで、あのー、おー、達成し、えー、ステップ2に向かっていくというところまで来ております。

 えー、そういう意味で、私は、内閣としてやるべきことは、あ、基本的に前進していると、そのように、え、考えていることも併せて、エ、申し上げて、えー、おきたいと思います」

 この手の答弁は大袈裟に言うと、何百回も繰返してきた、相変わらずと言っていい菅のツラにショウベンの、のらりくらりの答弁であろう。

 茂木議員「内閣としてやるべきことはやられている。ま、こういう話でありますが、具体的に震災の復旧状況を見てみたいと思います」

 と、義援金の配布率や瓦礫処理進捗率、仮設住宅菅成立、入居換算率等、具体的例を挙げていく。 

 「内閣としてやるべきことは、あ、基本的に前進している」という答弁に対して、では、なぜこのような支持率になっているのか、なぜ与党内からも菅退陣の声が上がっているのかと問うべきだったろう。

 最初の小池百合子議員が、6月下旬に「お墓にひなんしますごめんなさい」と書いて自ら命を断った被災者を取上げた質問を行っている。

 小池議員「このニュースを聞いてどう思われましたか」

 菅仮免「私も報道で、えー、このニュースを知りました。本当に、あのー、折角、地震、津波ー、の えー…、何とか命を、保たれた、あー…、方が、あー…、そのー、復旧・復興ー、えー、あるいは、避難生活の中で、えー、あるいは、あー…、将来の中、おー、の問題ー、について、えー、そういった、あー、形で、自らの命を絶たれたということについては、えー、まあ、大変、えー、政治の、おー…、十分、な手当ができないこと、を含めて、えー、えー、反省もし、また、大変申し上げなく思っています」

 小池議員「反省するだけではなく、政治と言うのは次が出ないように誠心誠意行うことではないでしょうか」
 
 そして一人だけの問題ではなく、×(かける)何百倍もの問題ではないかといったことを言っていた。 

 インターネットで調べてみたら、自殺者は福島県南相馬市の93歳の女性だそうだが、自殺の一因を菅仮免は「政治の十分な手当ができないこと」だと挙げた。

 要するに政治の手当が被災者一人ひとりに十分に行き届いていないということを言ったはずだ。

 このことを前提とすると、「内閣としてやるべきことは基本的に前進している」という答弁はできなくなる。だが、この答弁をオハコ(十八番)としている関係からすると、自殺の一因を「政治の十分な手当ができないこと」だとしたのは被災者の中から自殺者が出たことについて下手なことを言えないことからの外交辞令であり、「反省もし、また、大変申し上げなく思っています」も口先だけの反省に過ぎないということなのだろう。

 その程度の責任感しかないのは前々から知れていた。

 江田五月の「瓦礫処理は進んでいます」の発言の前に茂木議員の瓦礫処理の遅滞の追及に対する菅仮免の答弁を見てみる。前以てパネルで示した瓦礫処理率は219,964トンに対して7,564トン、34%(約なのだろう)となっていた。

 菅仮免「8月中には瓦礫処理は、あー、いわゆる生活地域からの、少なくとも、一次、イー、仮置場に移すという方向で、ま、それぞれの自治体、また、多少進捗状況に差はありますが、進んでおると聞いています」

 8月中に生活地域から一次仮置場に移すと1カ月も先のことを「進んでおる」としている。地震発生月の3月中は手をつけられなかったとしても、4月から5ヶ月も経過する計算になる。

 このような答弁に対して、茂木議員は「着実に進展している、被災者の実感と全く違うと思います」と批判している。

 茂木議員「我が党の小野寺(五典)議員が5月24日の震災復興特別委員会で、この(ハエ・蚊駆除の)対策の予算措置があるかどうか質問をしております。

 それに対して、総理、よく聞いてください。松本環境大臣は瓦礫処理に伴う衛生害虫の駆除は当然のことながら、災害廃棄物処理事業の対象事業と答弁しております。

 瓦礫処理に伴う衛生害虫の処理は処理事業の補助対象と、こういう答弁をしております。総理、これが政府の見解でよろしいでしょうか」

 江田五月が答弁に立つが、ムキになってケンカ腰で突っかかるような調子の答弁をする。

 江田五月「あの、瓦礫がですね、遅れている、ま、筆頭格のように言われますが、(ヤジ)答えます。筆頭格のように言われますが、私、土日行ってまいりました。前、法務大臣のときに見たときの比較で言えば、これ、オーキク進んでいる。

 その上で、今の有害、イー…、チュウ(虫)、虫(むし)ですね、。これは、廃棄物処理事業の補助事業の対象になる、と答えておきます」

 瓦礫処理は「オーキク進んでいる」とムキになって反論した。

 茂木議員「違うんですね(落ち着いた声で)。松本大臣が24日に答弁をした3日後、5月の27日に、ここに文書があります。ここに文書がありますけども、環境省の大臣官房、えー、廃棄物リサイクル対策部の廃棄物対策課長が、各都道府県のですね、災害廃棄物処理、エ、担当部長に文書を出しています。

 東日本大震災にかかる、エ、災害廃棄物処理事業の取り扱いについて、ま、こういう文書でありますが、ま、その内容を読んでみますと、2ページ目から、対象となる事業、これが列記してあります。

 そして3ページの最後の部分、からですね、補助事業対象から除外される経費及び事業という項目がありまして、その中に災害その他伝染病の流行の恐れがある場合行われる鼠族(そぞく)、ネズミですね、昆虫との駆除のための薬剤散布という項目が入っています。

 除外される経緯費、そして除外される事業の中に入ってるんですよ。国会答弁と被災地への通達、全く違ってるんじゃないですか。どうなってるんですか」

 江田はハエ・蚊の昆虫の駆除は「廃棄物処理事業の補助事業の対象になる、と答えておきます」とケンカ腰で断言した。

 江田五月「これは今申し上げたとおり、ちゃんと処理します」

 茂木議員「通達が違っている。国会答弁と通達が違うんです。全く180度。どうなってるんですか」

 江田「それは申し訳ありませんが、あのー、私、えー、先月の末に就任したところで、その他の事情はつまびらかにしておりませんが、私の責任でこの廃棄物をきちっと処理って言うことは環境省が責任を持って処理するってことを申し上げて起きます」

 茂木議員「就任したばかり、そんなこと理由にならないんです。それは菅内閣の都合なんですよ。被災地が替えているわけではないんですよ。コロコロ大臣を替えているのは、菅さん、あなたなんですよ。その問題がこういったところにも出ているわけなんです。ですから、通達を出し直してください。

 そしてこの経費が入っていません。これから夏にかけて伝染病の蔓延、被災地に大変大きな問題です。そして、予算にしたら、50億円ですから、総理がここで決めたらできることです。50億です。総理、ここで決めてください」

 「就任したばかり、そんなこと理由にならないんです」と批判したなら、その無責任さを追及すべきだったろう。被災地の復旧・復興は日本全体の政治・経済にかかってくる重大問題なのだから、些かの遅滞は許されない、少なくともそういった姿勢で臨むべきことが被災者に対すると同時に国民に対する政治の責任のはずである。

 実態は厳格に行うべき引継ぎを単に怠ったに過ぎない。自らが責めを負うべきその怠慢を棚に上げて、就任したばかりで知らないと逃げる。その無責任さを江田は曝け出した。開き直ってキレたに過ぎない。

 江田五月「(相変わらず突っかかるように)だから、よろしいですか。この別に私が就任間近だから、それをちゃんと申し上げたんで、責任がないと言ってるわけではありません。

 従って、これはゴミの処理の問題ですから、環境省が責任を持って処理するっていうことを言っているわけです」

 一大臣が「就任間近だから」知りませんで済ましていること自体が既に責任逃れになっていることに気づかずに処理に関することの責任でかわすゴマカシを働いている。このこと自体も無責任な態度であろう。

 しかも被災自治体、被災者にとっては重大な問題であるにも関わらず、「これはゴミの処理の問題ですから」と、些細な問題であるかのように言う無責任さも底なしである。

 茂木議員「先ず通達を出しなおしてください。それから今問題になっているのは単純に瓦礫の処理置場じゃないんです。瓦礫の処理置場、撤去したあとの水溜りにもハエが出てます。さらに言うと、避難所にもハエや蚊が出ています。これは環境省でできません。

 だから、総理、内閣の責任者のあなた、総理に聞いてるんですよ。50億の対策費を是非補正予算に盛り込んでください。総理お答えください」

 江田「今、通達について私がつまびらかにしていないというのは一つ、ご理解ください。

 しかし、しかし、その通達がそうなっているなら(ケンカ腰)、私の責任で色々と官邸の皆さんと相談して変えます」

 相変わらず前任者との引継ぎのまずさを棚に上げた、自分には責任はないという態度となっている。

 菅仮免「ま、あの、ハエとか蚊の発生は、あのー、心配をしております。先日、防衛、大臣の方からですね、えー、自衛隊の方で、え、こういった駆除の、お、部隊がいるので、それを、あの、派遣したいという、うー、ことを、あの、お話がありまして、それは是非お願いしたいと言うことを、おー、言ってまいりました。

 えー、そして今、あー、環境大臣からもありましたが、あの、この作業で、えー、補助、事業としてやると、いう方針を明確にされましたので、それに必要な費用については、あのー、補正予算と言わずに、あー、いわゆる、予備費等もありますので、えー、きちんとした、財政措置、必要な財政措置は、えー、やら、やるように指示をいたします」

 野党議員から指摘を受けてから、やると言う。補正予算ではなく、予備費があるから、そこから財政措置をすると言う。これも「内閣としてやるべきことは基本的に前進している」と言っていることに反する遅滞を示す状況に他ならない。

 大量のハエの発生は6月初旬の時点でマスコミが報道している。6月の気温上昇で冷凍庫から津波で流されたサンマやサメのすり身が腐ってハエを大量に発生させ、その臭気が海岸から2キロ、3キロと離れた仮設住宅にまで風に流され、そこでもハエ・蚊を発生させているという。

 それを1カ月以上も過ぎて防衛大臣の方から駆除の部隊がいるから派遣したいと申し出る。「基本的に前進している」と言うなら、気温が上昇する前に上昇と共にハエ・蚊の発生を予想して駆除の対策を施しておくべきだったはずだ。施しもせずに「基本的に前進している」と言う。

 昨夜の「asahi.com」記事が、陸上自衛隊が150人態勢のハエ駆除の防疫支援隊を編成し、そのうち陸上自衛隊第6師団の防疫支援隊19人が昨日(2011年7月19日から)から大量のハエが発生している宮城県塩釜市の離島で駆除作業を開始したと伝えている。遅い出番と言わざるを得ない。

 自治体でも薬剤を散布しているが、積みあがった瓦礫の下の隅々まで散布するのは困難で、発生に追いつかないと言う。

 自民党5番手の小里泰弘議員も瓦礫処理で政府の対応を追及している。

 小里議員「(政府の)瓦礫処理が遅れている、その原因は何でしょうか。いくつかお答えください。総理、お答えください」

 江田「瓦礫処理の問題が、あー、この遅れている、うー、ものの一つ、典型的なものと挙げられている、うー、ことはよく承知しております。(相変わらずケンカ腰)ホントーに遅れているかどうか。

 これはやはり私は、本当に皆さん考えていただきたいと思うんです。私は4月の半ばに、4月の初めです。法務大臣として気仙沼に行ってまいりました。そのときに、そのときに、津波の状況をよく見てまいりました。もう身の毛もよだつような事態でした。

 そして先週、土日に、今度は宮古とか、あっちの方に行ってまいりました。そうするとですね、確かにそれは仮置場でありますよ。仮置場ではあるけれども、生活の現場からはちゃーんと移されているんです。

 そして今、7月の14日の数字で言えば、ほぼ40%近くまで、えー、処理をされております。あるいは、また8月の末にはほぼ沿岸の市町村の全てに於いて一次処理まで、一次仮置場にまで移すという、そういう方針で前へ進んでいます。遅れた、遅れたと、いうことだけ言わずにですね、どういう状態で進んでいるかということをちゃんと見ていただきたい(拍手)。

 これ程大量の瓦礫があって、しかも、そこの底はご遺体が埋まっていたというような状況の中で、自衛隊10万人を注ぎ込みながら、塩もかかっている、あるいはヘドロもかかっている、そういうものをやってきているんでありまして、(怒りも露に)ここんところは国民のみなさんにもよく分かっていただきたいと思っています」

 余っ程菅仮免内閣低支持率が腹に据えかねているようだ。遺体捜索はほぼ終了しているはずだし、終了した地域から瓦礫処理を進めていたはずだ。それを自衛隊を持ち出し、遺体捜索を今更ながらに持ち出す。責任逃れ以外の何ものでもない。

 小里議員「全く答弁になっておりません。(落ち着いた声で)先週ですね、先週被災地意見交換会で、えー、多賀城市の市長さんだったと思いますが、こうおっしゃっておられました。『学校のすぐ傍に瓦礫が5メートルも積んであるんですよ。悪臭がたまらない。ハエがたかって、授業にならない』、ま、大変な声でありました。グラウンド学校、いや、グラウンドとか野球場とか、公園とか使えるところを全て使ってですね、今もう、一次置場で使われて、満杯状態なんです。

 こっから次の段階に一刻も早く移していかないといけないんです。今はですね、えー、この第一次仮置場にある。これを次ぎの第二次仮置場に運んでいかなくてはならない。

 さらに、その先の最終処分までですね、本当にこの気の遠くなるような作業工程が待っているわけであります。40%とおっしゃいましたけど、その中のほんの第一次仮置場、入口の部分のその4割に過ぎないんですよ。全体から見れば、瓦礫処理は緒に就いたばかりであるということを、しっかりと認識をしていただきたいと思います」

 18日月曜日の「ビートたけしのTVタックル」でも生活地域に近い海岸近くの広場が瓦礫の仮置場になっていて、ハエが大量発生していると報じていた。また街中の道路は瓦礫一つないが、多分家が流されて空き地となった場所なのか道路脇ギリギリのところまで瓦礫が小高く積み上げられていて、ときにはそれが壁のように何メートルか続いている光景をテレビでよく見かける。

 一次仮置場だろうが二次仮置場だろうが、そういった場所自体が生活圏近くに設置されていたなら、処理率何%と言ってもかなり意味を失う。それも40%の処理率なら、さして意味はない数字となる。

 こういった状況を認識できずに「瓦礫処理は進んでいる」と言う江田は無責任であるばかりか、合理的判断能力も観察能力もないぼんくらと言わざるを得ない。

 小里議員が自民党が野党と共同で7月1日に国会に提出した瓦礫処理特別措置法案を進めて欲しい、「被災地のみなさんから、自民党案なら瓦礫処理が進むといっている」と促されて、江田が答弁している。 

 江田「えー、野党のみなさんが、あー、大変前向きに様々なチエを、おー、出して、法案を提出して、いただいていることは、これは、あの、私共も高く評価したいと思います」

 江田はさすがに自らの認識不足に遅蒔きながら気がついたのだろう。ケンカ腰も突っかかる様子もトーンダウンさせて、物分りのいい口調となっていた。

 但し、自民党案よりも民主党案の方が優れている、役割分担は余程しっかりしていると負け惜しみの強いところを見せ始めた。

 与党であり、政権党である。菅内閣として瓦礫処理法案を8日に閣議決定して、開催中の国会に提出する予定だと言うが、瓦礫処理こそ、復旧・復興のスタート地点なのだから、この点も菅仮免が言うように「内閣としてやるべきことは基本的に前進している」状況に反する遅れ、遅さとなっている。

 勿論、江田の「瓦礫処理は進んでいます」は事実に反する虚構に過ぎない。二人とも単に責任逃れから事実でないことをさも事実であるかのように言い触らしているに過ぎない。無責任な連中だ。


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菅仮免にはなでしこジャパンを「勇気をくれた」と称賛する資格はない

2011-07-19 09:29:35 | Weblog



 ――東日本大震災が菅仮免を生き延びさせ、なでしこジャパンに戦意高揚のモチベーションを与えた――

 菅仮免が余命幾ばくもない、風前の灯かと見られていた政権の命運が東日本大震災で生き延びることができたのは周知の事実となっている。

 10%台にまで落ちた菅内閣低支持率、各地の県議選や市議選の敗北、前原前外相の外国人献金問題を受けた引責辞任、菅仮免自身の外国人献金問題に対する国会追及等で窮地に立たされていたが、東日本大震災発生が野党に休戦と協力を強いることとなって、窮地からの解放、感謝、感謝の延命装置となって働いてくれた。

 一方なでしこジャパンの佐々木監督はドイツ戦の前のミーティングで東日本大震災のビデオを見せたと言う。《サッカーの女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会で…》(西日本新聞/2011年7月13日 10:39)

 〈▼ドイツ戦の前のミーティングで佐々木則夫監督はビデオを見せた。東日本大震災の被災地の映像が収められていた。映像の最後に「自分たちに今できることは何だろう」のメッセージが流れた。頑張るしかない、と選手は思いを一つにした。〉――

 「自分たちに今できること」とは被災者に夢と希望と元気を与えること以外にあるまい。当然、優勝こそが夢と希望と元気を最大化し得る唯一最高の機会であることは監督に教えられなくてもそれぞれの胸に響いたはずだ。

 優勝して被災地に最高・最大の夢と希望と元気を与えることができたなら、大震災も影響した日本の経済の低迷や菅仮免発信の日本の政治の混迷を受けて自信喪失している国民にも被災地を越えて夢と希望と元気を与えるができる。

 もし佐々木監督が自信喪失状態の日本全体を対象として国民に夢と希望と元気を与えようと各選手に奮起を促したとしたら、却って漠然とした対象となって精神を一点に集中するには妨げとなったかもしれない。

 だが、東日本大震災の被災者に夢と希望と元気を与えることは日々テレビでも被災地や被災者の映像を目にしていただろうから、具体的対象足り得て、そこに向けて精神を一点に集中することもより現実感を得ることが可能となる。

 要するに佐々木監督は被災地のビデオを見せることで、各選手の勝利に向けたモチベーションを高めた。優勝こそが被災者への贈り物となる夢と希望と元気を最大化し得ると各自の心に自ずと刻み付けることとなった。

 早々の退場は自分たちの意図を自ら裏切ることになる。夢と希望と元気を与えるどころか、失望を与えかねない。

 菅仮免が昨日(2011年7月18日)、サッカー女子ワールドカップなでしこジャパン初優勝に関するコメントを発表している。《菅首相、なでしこ絶賛「あきらめない闘い、勇気くれた」》(西日本新聞/(asahi.com/2011年7月18日21時6分)

 菅仮免「日本国民に、そして中でも被災地の方々に最高の贈り物をありがとう。劣勢になっても最後まであきらめないで頑張りぬく闘いは、皆に勇気を与えてくれた。本当にうれしく思う」

 記事論評。〈政権内からも辞任要求が噴出する自らを鼓舞するかのようだった。〉――

 確かになでしこジャパンはスポーツの分野で被災地・被災者だけではなく、それを超えて多くの日本国民に「勇気をくれた」。だが、政治の分野で菅仮免はどれ程に日本国民に「勇気をくれ」ているだろうか。
 
 先ずは基本は菅仮免自身が政治の分野で国民に勇気をくれることであるはずだ。一国のリーダーを担っている以上、自らの政治の力で日本の経済を活性化し、社会を活性化して国民に勇気を与えることを自らの責務としているはずである。

 だが、現実は勇気どころが、菅政治は国民に政治不信を植えつけることにのみ役立っている。NHKが7月月8日から3日間行った世論調査では無党派層は46.2%。今の方式で調査を始めて以降、最も高い数値だそうだ。

 7月9、10日実施の朝日新聞世論調査によると、無党派層は53%。7月2、3両日実施の毎日新聞世論調査では、無党派層は54%に達して、97年に始めた現行の電話調査方式で最高を更新したという。

 7月7~10日実施の時事通信社の世論調査では無党派層は67.4%。菅仮免が如何に国民に政治不信を植えつけているか、勇気どころか、有り難いことに失望を「与えてくれ」ている。

 自らが役目としている政治の分野で国民に何ら勇気を与えることができずして、他者の勇気づけを称賛する。自身がウソつきでありながら、他者の正直を大称賛するようなものだろう。称賛する資格はないということである。

 他をいくら称賛しても、国民の日本の政治に対する希望・食欲を満たすことはできない。

 もし称賛するなら、元左翼らしく、これまでの政治活動を自己否定する総括を経てから行うべきだろう。

 今日19日、菅仮免は首相官邸でなでしこジャパンのメンバーと面会する予定そうだが、無能首相に面会する資格もない。

 なでしこジャパンはモチベーションのみで決勝戦を勝ち取ることができたわけではないことは断るまでもない。練習と実戦の積み重ねで得た高度な実行力とブレない精神力を強力な基盤として、それに加えた被災者に最大・最高の夢と希望と元気を与えようという+αのモチベーションをさらなるバネとして戦意を高めていったはずだ。

 菅仮免みたいに政界を生き延びていく世渡り上手の処世術のみで首相の座を射止めたものの、自身を立脚させ、力を発揮させる指導力の基盤も実行力の基盤も元々持たないために結果として政治不信のみを成果とする以外になす術がなかった無能力とはわけが違う。

 結果としてウソつきが正直という美徳に関しては他者の正直を大称賛する以外に手がないように菅仮免も誇ることができる自らの能力を持たないために他者の目を見張る能力を称賛して自らの無活躍を誤魔化すことになる。

 自身に褒めるべき能力のない人間が往々にして陥る他者能力の称賛であり、そうすることによって自身の無活躍の埋め合わせとし、自己存在の維持をどうにか図る。

 菅仮免が7月16日昼すぎに自衛隊のヘリコプターで福島第一原発を訪問、作業員100人余りに対して「原発の最前線で闘っている皆さんのおかげで事故の収束に向けてだんだんと前に進んできている。本当に厳しい環境だが、日本を助ける、日本人を助ける、その先頭に立っているんだという心意気で、これからも頑張っていただきたい」(NHK NEWS WEB)と激励、その努力を称賛しているが、本来なら、「日本を助ける、日本人を助ける、その先頭に立」つのは菅仮免自身でありながら、その義務と責任を満足に果たし得ていない自らの能力不足・対応遅れを作業員の行動を称賛することで埋め合わせようとする、同じ心理からの自己存在維持に当るはずだ。

 あるいは首相としての体面を保った。

 体面を保つこと自体が自己存在維持に相当する。

 普通の神経の持主なら、自らの能力不足、政府の対応遅れの謝罪から入るはずだ。

 その夕方、福島県郡山市を訪問、福島第一原発の周辺の12の市町村長らと会談して、「この4か月余り、市町村長、職員の皆さんが、みずから被災している中で、避難生活を続けている人たちのために全力を挙げていることに心から敬意と感謝を申し上げたい」(NHK NEWS WEB)と発言したことも、全力を挙げるのは第一番に政府でありながら、全力を挙げ得ていない、あるいは菅仮免の存在自体が復旧・復興の障害となっている代償に市町村長たちの「全力」を称賛することで自らの能力不足を補って自己存在の維持を図るあるいは自らの体面を保つ「敬意と感謝」であるはずだ。

菅仮免は昨日の「KAN-FULL BLOG」でもなでしこジャパンの優勝に最大限の称賛を送っている。 

 素晴らしい!(「KAN-FULL BLOG」/11/07/18(月曜日))
先を見すえて/菅直人直筆のページ 

本当に、うれしい。なでしこジャパンが、優勝しました。 

今回の女子サッカーW杯優勝は、日本国民に、そして被災地の皆さんに、最高の贈り物です。澤選手をはじめ、あたらめて日本女性の精神力の強さを感じます。 

外国選手に対して、比較的小柄な日本選手たち。一歩も引かないプレーで接戦に持ち込み、劣勢になっても最後まであきらめないで頑張りぬく、なでしこジャパンの闘いは、皆に勇気を与えてくれました。

 私の代わりに、強烈なサッカーファンであるスポーツ担当の鈴木寛文科副大臣が、政府を代表してフランクフルトに応援に行きました。なでしこチームは、明日帰国して、官邸に来てくれることになっています。素晴らしい結果を出してくれたことに、心から、おめでとうとありがとうを伝えます。

 手離しの称賛となっている。

 先ずは自身が成すべきことを成し得ず、そのために国民から祝福も称賛も受けていない一国の首相がスポーツの分野で偉業を成し得た彼女たちを大絶賛で祝福し、称賛する。

 この矛盾は無視できない。

 祝福し、称賛することで自身の無活躍から自らも目を背け、国民の目も背けさせようとする。そうすることで自己存在の維持を図る。体面を保つ。

 この倒錯した感覚は如何ともし難い。

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細野原発担当相「総理の発言でですね、個人的というものはありません」

2011-07-18 09:36:35 | Weblog



 細野細野豪志原発担当相が昨日(2011年7月17日)の日曜日、NHKの「日曜討論」と朝日テレビ「サンデーフロントライン」に続けて出演、7月13日の総理大臣「脱原発依存」記者会見が個人的な思いなのかどうかの質問を受けて、そうではないと否定している。

 その発言の箇所だけを拾ってみた。
 
 NHK「日曜討論」――

 番組は最初に7月15日の細野担当相の記者会見の発言を伝えている。多分、記者会見に先立って行われた閣僚懇談会で菅仮免が閣僚から、「記者会見の発言は内閣の考えなのか、総理の思いなのか」と問い質されて、「自分の考え方を述べた」と答えた後の記者会見ではないかと思う。

 細野担当相「原発に対する依存度は下げざるを得ない。これは政策論と言うよりも現実論である」

 福島の原発事故があっても、なお原発政策を進めるという選択肢もあり得る。それを決定するのは政府であり、その決定に審判を下すのは国民である。

 勿論、福島の原発事故を教訓に、その原因が巨大地震であり、地震と共に襲った巨大津浪であったことと、日本が地震と津浪の宿命を背負った国であると同時に原発が海岸線に立地していることと考え合わせて国民の生命と財産を守る観点から脱原発を選択する政策もあり得る。

 いわばあくまでも「政策論」でなければならない。だが、細野は「現実論」だとすることによって「脱原発」を絶対前提としている。

 これは菅記者会見に同調した「現実論」にもなっているのは後の発言から分かる。

 菅記者会見のサワリの発言をフリップで紹介してから、

 アナウンサー「これを菅内閣の担当閣僚として、どう受け止めていますか」

 細野「えー、恐らくは、菅総理は、あのー、おっしゃりたかったことは二つあるんだろうと思うんです。先ず一つは、えー、今回の、あのー、原発の事故を受けてですね、エネルギー政策そのものの根本的な見直しが必要だろうということです。

 具体的には昨年エネルギー基本計画というのを、政府は、あの、閣議決定をいたしましたが、え、これはいわば原発ですね、50%という、電力供給、非常に大きな部分を占めることになっておりますんで。えー、これは、えー、恐らくですね、今年から来年にかけて、しっかりと見直されていかなければならないと思うんです。

 もう一つは、えー、再生可能エネルギーを、もう政府として全面バックアップをして拡大していかなければならない。えー、いうならば、その準備を始めなければならない。

 そういう時期に来たことを総理はおっしゃりたかったんだと思います」

 低音の渋い極めて男性的な声で発言するから、聞いているだけで素晴らしい内容のことを言っているように錯覚するが、文字に起してみると、たいしたことは言っていない。この点、菅仮免とそっくり似ている。

 エネルギー基本計画を「今年から来年にかけて、しっかりと見直されていかなければならないと思う」と言っているが、政府として決定した見直しを受けた発言なのかどうかが問題となる。

 政府決定でなければ、単に菅仮免の思惑を受けた同調で終わる。

 細野「ま、若干、あのー、色んな、えー、厳しい声が与党内でも出ているというのは、菅総理というのはアドバルーンをドンと上げて、そこに向けて走る、というタイプの人ですから、ま、その遣り方が若干批判を受けているんだろうと思いますが、あのー、言いたかったことは、この二点ですから、閣僚の一員としてですね、しっかりサポートしていきたいと思っています」

 菅仮免が「アドバルーンをドンと上げて、そこに向けて走るというタイプの人」であったとしても、実行力があれば、批判は受けないはずである。アドバルーンを上げたことは必ず実行し、成果を上げるという評判を得たなら、それが菅仮免の政治手法として認められることになるだろう。要は「政治は結果責任」に必ず行き着く。

 批判を受けるということは、実行と成果に行き着かないアドバルーンだからではないか。細野は批判を受けていること自体を問題としない矛盾を犯している。

 このことは「サンデーフロントライン」で司会の小宮悦子に指摘される。

 細野の「閣僚の一員としてですね、しっかりサポートしていきたいと思っています」は内閣が決定した菅仮免の「脱原発依存」、「非原発依存社会」であることを前提としている。

 アナウンサー「ただ、その発言の後ですね、金曜日の本会議でも、個人的な考えを述べたという、説明の仕方をしましたねえ。この点ちょっと,どうなんだろうと、気がしますが」

 細野「総理の発言でですね、個人的、というものはありませんので、それは、あのー、アドバルーンを上げるという意味で、総理として、先ず、えー、まあ、思い切って言ったんだろうと、そういう趣旨の発言と、私は受け止めています」

 個人的な発言というものはない。内閣としての発言、あるいは政府としての発言だと言っている。

 内閣として、あるいは政府として決めた「脱原発依存」、「非原発依存社会」に向けた政策を「アドバルーンを上げるという意味で」、「思い切って言った」ということになる。

 だが、既に触れたように肝心なことは「政治は結果責任」であり、政策実現は指導力・実行力の問題に帰着する。アドバルーンの上げ方ではない。

 次に朝日テレビ「サンデーフロントライン」

 小宮悦子「記者会見で行った脱原発依存宣言。あの、個人の考えだとおっしゃったんですが、さすがに原発担当大臣である細野さんは、事前に相談はあったんでしょうか」

 細野「あの、基本的なエネルギー政策についての考え方はずっと議論してますので、あの、その議論の方向性に添った発言だというふうには受け止めていました。

 えー、記者会見の個別の、あの、文言が、どうなんだということについては、ま、これは総理の周辺でやっていますので」――

 「基本的なエネルギー政策についての考え方はずっと議論してますので、あの、その議論の方向性に添った発言」だと言っている。

 当然閣内で行われた議論であって、「議論の方向性に添った発言」と言っている以上、記者会見の発言と内閣の議論は全体的には同じ方向を辿っていた、一致していたということになる。

 小宮悦子「よく分からないんですけど。個人の思いという…んですけど、総理大臣ですから。菅政権の方針ではないんですか」
 
 質問の仕方が間違っている。細野は「議論の方向性に添った発言」だと言っているのだから、「では、個人の思いではなく、菅政権の方針だということですね。そうなると、よく分からなくなるんですが。総理は個人の思いだと言っているんですから」と問うべきだったろう。

 細野「あのー、総理である以上ですね、あの会見で言ったことがですね、純粋に個人的な、見解ということはあり得ないですね。

 ですから、これは、あの、大きな意味のある発言だというふうに思います。総理がおっしゃりたいことは、あのー、エネルギー基本計画はありますね、あのー、この50%原発で発電するってのは実質的に無理ですから、その根本的な見直しは踏み出す、踏み出すべきではないかと、いうことだと、私は理解しています。

 あとは遣り方ですね。菅総理の常にアドバルーンをドンと上げて、そこに向かって走るという、これはもう、本当に昔の、えー、市民活動から、遣り方がですね、必ずしも、党内とか政府内から認められていないというのが現実だと思います」――
 
 菅仮免の「アドバルーンをドンと上げて、そこに向かって走る」という政治手法は「日曜討論」では「若干批判を受けている」となっていて、ここでは、「党内とか政府内から認められていない」となっている。

 いわば指導力・実行力がないばかりか、この欠如の当然の行き着く先でもあるが、内閣を把握する組織運営能力さえも失っていることを細野は気づかずに指摘している。求心力を失っている状況に立たされていると。

 だとすると、「アドバルーンをドンと上げて、そこに向かって走る」という政治手法は、細野は市民活動以来の遣り方だと盛んに持ち上げているが、そのことに反して意味も力も失っている状況にあることになる。

 小宮悦子「ゴールまで辿りつかないんですよね。途中でやめちゃうんですよね。菅さんは」

 細野「ただ、まあ、菅総理であろうが、なかろうが、私の仕事を含めてそうですが、目の前でやらなければならない課題は非常に明確ですから、それに向かってしっかり進んでいくことはですね、今政府がある以上、我々の責任だと思います」――

 小宮悦子の疑問には直接的には答えずに、問題としていたのは「アドバルーンをドンと上げて、そこに向かって走る」菅仮免の「脱原発依存」、その他の発言であり、そのことによって発生する菅仮免の責任でありながら、そのことに代えて目の前の閣僚たちがすべき課題に「向かってしっかり進んでいく」ことが「我々の責任だ」とした。

 直接答えることができなかったから、閣僚たちの問題にすり替えて逃げたということなのだろう。

 以上見てきた細野の発言に色々と矛盾はあるが、「総理の発言でですね、個人的、というものはありません」、あるいは「総理である以上ですね、あの会見で言ったことがですね、純粋に個人的な、見解ということはあり得ない」と言っている細野の発言は正しい。菅総理大臣記者会見と銘打って首相官邸で記者を集めて発言した以上、公の発言であって、個人的な思いを伝える会見であろうはずはない。

 だが、菅仮免自身が7月15日の閣僚懇談会で、「個人の考えとして示した」と公の発言、政府の立場からの発言ではなく、個人的な発言だと釈明した。

 同じく7月15日の衆院本会議でも、「私の考え方を申し上げた」と、同じ日に二度までも個人的発言だとした。

 とすると、菅仮免は総理大臣として記者会見を開いて、個人的な考えである「脱原発依存」、「非原発依存社会」政策の「アドバルーンをドンと上げて」、個人的に「そこに向かって走」ろうとしていたことになり、極めて滑稽なことになる。
 
 細野は菅仮免の「個人的な考え」だとした、いわゆる記者会見の発言の否定を知らないはずはない。知っていた上で、「個人的な発言はない」、「純粋に個人的な見解ということはあり得ない」と、菅仮免自身の否定を否定したのである。

 菅仮免の腰が定まらないことに対して、あるいは発言を自ら軽くしていることに対して細野は記者会見に於ける菅仮免の発言を「アドバルーンをドンと上げて、そこに向かって走る」などと言って一生懸命に守ろうとしているが、部下のそういった姿勢よりも、内閣のリーダーである菅仮免の姿勢、資質、あるいは適格性が何よりの問題であって、菅仮免がそれらを欠いている以上、守ろうとすれば守ろうとする程、あるいは贔屓の引き倒しをいくら謀ろうと、細野自身が矛盾を犯すことになる。

 ここで取上げた細野の発言だけでも既に矛盾を犯しているのである。

 また7月16日の当ブログ記事――《7月13日菅記者会見が個人的思いを述べたに過ぎないなら、記者会見を開いて国民に訂正・謝罪すべき - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いたが、菅総理大臣記者会見という公の場で個人的な考えを述べるという個人的利用を図ったとしたら、総理大臣記者会見の私物化となるのだから、やはり総理大臣としての立場から国民向けの謝罪の記者会見を改めて開くべきだろう。


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菅仮免の被災者より自分に目を向けた自己中心が国民との間のコミュニケーションとなっている

2011-07-17 09:52:45 | Weblog


 
 ――政府が発した政策を国民が支持した場合、政府と国民との間にコミュニケーションが成り立ったことを意味し、支持されなかった場合、コミュニケーションの不成立を意味する――

 菅仮免は国民の位置にある誰かと話し合って意見を通し合うことだけをコミュニケーションだと勘違いしている。

 菅仮免が昨日(2011年7月16日)夕方、福島県郡山市を訪問、福島第一原発の周辺の12市町村長らと会談、事故の収束に向けた工程表の最初の節目となる「ステップ1」の目標をおおむね達成できたことを報告したと、《“ステップ1 おおむね達成”》NHK NEWS WEB/2011年7月16日 19時50分)が伝えている。

 菅仮免「この4か月余り、市町村長、職員の皆さんが、みずから被災している中で、避難生活を続けている人たちのために全力を挙げていることに心から敬意と感謝を申し上げたい」

 相変わらず問題意識を的確に把えることができない発言となっている。被災自治体の「全力」が政府の全力に相呼応した「全力」であったなら、相乗的・加速度的効果が期待できて問題はないと言える。もし政府が全力を挙げていない状況下での「全力」であるなら、全てを自治体のみで対応できない関係から、自治体の「全力」は常に不満足な形を取らざるを得なくなる。

 これまでの一貫性を欠いた避難対策にしても、放射能汚染土壌の処理がなかなか進まない問題にしても、今回発覚した放射能に汚染した肉牛が食肉として広く流通していた問題にしても被災自治体から見た場合、政府が全力を上げていないことによって起きている混乱や遅滞であるはずである。

 特に肉牛の放射能汚染は餌であった稲藁が元々放射能に汚染されていたことから起きたが、稲藁等の飼料は原発事故の前に刈り取って屋内で保管されたものに限るよう、農水省は今年3月に畜産農家に通知したということだが、稲藁を餌として提供する農家には通知を怠っていた周知不徹底が原因であったというから、被災自治体から見た場合、政府の手落ちだけが浮き立って見えたはずだ。

 当然、被災自治体の努力に「心から敬意と感謝を申し上げたい」と言う前に政府の至らなさ、不首尾、あるいは努力不足の謝罪から入るべきだったろう。「政府が的確に行動できていないために、被災自体に多大な迷惑をおかけしていることを謝罪します」と。

 だが、政府のそういった不行き届きに触れずに自治体の頑張りだけを言う。相互性によって成り立つべきコミュニケーションのこの一方性が何が問題となっているのか認識することができない問題意識の欠如を生じせしめ、このコミュニケーションの不成立がそもそもからして的確な対策を打てない、被災自治体の要請とズレた対応の原因となっているはずだ。

 佐藤雄平福島県知事が昨16日午前、福島県庁で細野原発事故担当相と会談、放射性廃棄物の処理費用の全額国庫負担を求めた。《放射性廃棄物、国の財政負担を明言 細野原発相》MSN産経/2011.7.16 12:43)

 細野「自治体に任せるのではなく国の責任でしっかりとした処理態勢をつくりたい。財政面も全面的に対応したい」

 なぜもっと早くに決定し、スタートさせているところにまで持っていくことができなかったのだろうか。

 佐藤知事「政府の対応が一元化されていない。迅速な対応を求めたい」

 震災発生後4カ月も経過していながら、政府の対応が一元化されていないと受け止められている政府と被災自治体間のこの不適合は両者間にコミュニケーションを成り立たせ得ていない状況となっていることの証明でもあろう。

 にも関わらず菅仮免は被災自治体の努力を「心から敬意と感謝を申し上げたい」と済ましていられる。この鈍感さはどう説明したらいいのだろうか。

 佐藤福島県知事は同じ日に江田五月環境相とも福島県庁で会談している。就任後初めての訪問だそうだ。《福島県知事は握手拒否…環境相に「がれき処理要望」突きつける》MSN産経/2011.7.16 11:44)

 記事からだけでは細野原発事故担当相と枝環境相とどちらが先に会談したか書いてないが、記事発信時間を見ると、江田環境相の記事の方が1時間程早い発信となっている。

 記事は書いている。〈旧知の間柄の江田氏は冒頭で握手を求めたが、佐藤氏は拒否し、厳しい表情のまま、福島第1原発事故の放射性物質で汚染された震災がれきの早期処理に関する4項目の緊急要望を江田氏に突きつけた。〉

 〈緊急要望は、高濃度に汚染された焼却灰や下水汚泥の最終処分方法を国が早急に明示することや、最終処分場の確保、必要経費の全額国庫負担などを求めている。〉
 
 江田五月(会談後記者団に)「のんびりやっているわけではないが、現地から見るといらいらするのだろうと痛感した。要望をしっかり受け止めて作業に拍車を掛け、結果を出したい」

 震災後4カ月も経っていながら、「のんびりやっているわけではないが」という言葉を今更ながらに使うのはそれだけ対策・対応が遅れていることを自ら証明する言葉となっている。

 また「のんびり」という言葉を使うこと自体がいくら否定語を伴ったとしても、政府の姿勢として元々許されない、あってはならないことで、それを敢えて使うのは政府側のコミュニケーションの言葉としては相応しいとは決して言えないはずで、その感覚が疑われる。

 「作業に拍車を掛け、結果を出したい」と言っているが、拍車は最初からかけなければならない政府に義務づけられた身構えであって、それを今更ながらに言うのはやはり対策・対応遅れを証明する言葉であって、「のんびりやっているわけではないが」の言葉を受け継いだ対策・対応遅れの証明でもあるはずだ。

 この証明はまた政府と被災自治体間のコミュニケーションの不適合の証明とすることもできる。

 菅仮免と原発周辺12市町村長らとの会談に原発事故で警戒区域などを抱える桜井勝延南相馬市長が欠席し、新潟県内開催の中越沖地震から4年のシンポジウムに出席したと伝えている記事がある。《首相来訪より新潟知事優先? 南相馬市長が意見交換欠席》asahi.com/2011年7月16日22時31分)

 政府と被災自治体間のコミュニケーションの不成立と相互対応した政府の対策・対応遅れに対する抗議の意味も含まれていたに違いない。

 桜井南相馬市長(欠席した理由について聴衆に述べる)「新潟県の泉田裕彦知事からのオファーはずっと前からあった。首相が突然来るといっても、そちらには出席しない。泉田知事から震災直後に避難者を『全部受け入れますよ』と言われ、市民を県外に誘導する決断ができた」

 政府の対応よりも新潟の対応に価値を置いている。次の言葉がこのことを証明している。

 桜井南相馬市長(報道陣に)「市民を救ってくれる泉田さんの方を優先すべきだというのが私の判断」

 理由は言うまでもなく政府の対応が新潟の対応よりも遅れたことと的確性を欠いていたことにあるはずだ。

 桜井南相馬市長(首相に対して)「一つのメッセージを出したら、最後まで責任と忍耐力を持った対応が必要なのではないでしょうか」

 そうはなっていないことがそのまま政府と被災自治体との間のコミュニケーションの不成立となって現れているということであるはずだ。

 最初の「NHK NEWS WEB」に戻るが、菅仮免は記者たちに次のように発言している。

 菅仮免「被災地の住民の中で活動している首長の皆さんと一堂に会することができ、お互いのコミュニケーションが深まってよかった。皆さんからは、『とにかく早く地元に帰りたい』という思いや、『放射性物質の除染を進め、安全に帰れる状況にしてほしい』という要望が多かった。国としては、多くの皆さんがふるさとに帰れるように、『ステップ2』を前倒しで実現できるよう全力を挙げたい」

 震災発生後4カ月も経過してから、「被災地の住民の中で活動している首長の皆さんと一堂に会することができ、お互いのコミュニケーションが深まってよかった」と言っている。

 政府の対策・対応が的確且つ具体的な成果を上げることで政府と被災自治体間に確立証明可能となるコミュニケーションの確立を欠いたまま、単に意見を交換しただけのことを以って「お互いのコミュニケーションが深まってよかった」と言うことができる、この矛盾に気づかない認識能力は一国のリーダーとしての資質に相応しくない欠格性だと指摘できる。

 また、「皆さんからは、『とにかく早く地元に帰りたい』という思いや、『放射性物質の除染を進め、安全に帰れる状況にしてほしい』という要望が多かった」と言っているが、前々から言っていた要望であって、それが改めて痛感した要望であったとしても、単に要望を受け止めることがコミュニケーションの確立ではなく、その要望を的確に具体化して初めて確立できる相互性を持ったコミュニケーションのはずである。

 大体が「お互いのコミュニケーションが深まってよかった」、だが、満足な具体化を果たせないでは意味を失うコミュニケーションとなる。
 
 さらに言うなら、現地に乗り込んで会談・会合の類いを持たなくても、いわば現地に存在しなくても対策・対応の責任者として被災地の要望を可能な限り汲み取って、その要望実現の有効な方策を構築し、具体化を指示、着実に実行して相手を満足させることによって成り立たせることもできる両者間の良好なコミュニケーションであるはずだが、話し合いを契機としてのみ成り立たせ可能とする狭い意味での把え方のコミュニケーションとなっている。

 菅仮免が誰かと話し合って意見を通し合うことだけをコミュニケーションだと勘違いしているから、あるいはそういった機会を持つときだけ必要とする要素だと思い込んでいるから、コミュニケーションのより重要な意味を見失うことになって、その方法を踏み間違えそうになったのだろう。

 《首相、独でなでしこ応援しようとしていた…幻に》YOMIURI ONLINE/2011年7月16日08時58分)

 ドイツで開催のサッカー・女子ワールドカップ(W杯)の決勝戦に菅仮免が現地で応援する方向で首相周辺が一時検討したものの、断念していたという内容の記事である。

 首相周辺が一時検討したと書いているが、菅仮免に話を通さないまま計画を進めるはずはない。あるいは菅仮免が言い出した検討ということもあり得る。

 首相が現地で観戦できるよう、17日朝に政府専用機で日本を出発し、19日朝に帰国する「強行日程」が秘密裏に検討されという。但し、〈「東日本大震災の対応もあるのに、サッカー観戦している場合ではない」と慎重意見が出たほか、「政府専用機を使用すれば数千万円の経費がかかる」(防衛省)ことも考慮し、結局、“ドイツ外遊”は幻に終わった。政府は代わりに鈴木寛文部科学副大臣の派遣を検討〉

 民主党内の声「被災者への義援金が行き届かない中、数千万円を使ってサッカー観戦など、あきれる」――

 観客席でニコニコ顔で声援を送る、あるいは日本のシュートが外れたときは大袈裟に悔しがる、成功したときは大袈裟に喜ぶ姿を日本のマスコミの誰もがカメラに収めた報道を通して、一見日本国民との間に支持率に好影響を与えるコミュニケーションが確立できると計算したかもしれないが、記事が書いている断念理由だけではなく、被災自治体との間の満足のゆくコミュニケーションの確立を最優先させるべきを満足に確立できないままにいくら日本代表の世界大会だとしても、その決勝戦を通して発することになる自らのコミュニケーションの優先は、その成功・不成功に関係なく被災者に目を向けない、自分にのみ目を向けた自己中心の優先と見られても仕方があるまい。

 震災発生以来優先的且つ強力に専念すべきコミュニケーションが政府と被災地・被災者との間の齟齬のないコミュニケーションでありながら、そのことを深く認識できないために指導力と実行力の欠如もあって今以て両者間のコミュニケーションを確立できないでいる。

 「被災地の住民の中で活動している首長の皆さんと一堂に会することができ、お互いのコミュニケーションが深まってよかった」と狭い意味でしかコミュニケーションを把えることができない、その程度の認識能力だから当然の結末かもしれない。

 だが、被災者のことを考えないこういった自己中心が20%以下の内閣支持率という形で国民との間のコミュニケーションの成果として現れることになる。

 しかし一国のリーダーがこの程度の認識能力では許されないはずだが、その認識能力に反して「これまでの教訓を生かして(東日本大震災の)被災者や国民への責任を果たしていく」(47NEWS)と、国民との間に満足なコミュニケーションを確立できていないのだから見せ掛けでしかない責任を振り回すことだけは一人前と来ている。


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7月13日菅記者会見が個人的思いを述べたに過ぎないなら、記者会見を開いて国民に訂正・謝罪すべき

2011-07-16 06:59:52 | Weblog


 
 昨日(2011年5月15日)午後1時20分頃発信の評論家の江川紹子氏のツイートが、お互いにフォロー関係にあるわけではないが、忘れた頃に我がツイッターに表示される。こんなことが書いてあった。

 〈クリーンでオープンで、大局観があり、強い指導力を持ちつつ人の話に耳を傾け、判断は慎重かつスピーディで、反TPPで、脱原発で、消費税上げず、社会保障しっかりやり、米国にも中国にも毅然と対応し、共感力があり、正直でかつしたたかでもあり、漢字もちゃんと読める。そんな政治家いますかにゃ?〉

 で、まあ徒然なるままに昨夕9時半頃返信してみた。

 〈反TPP除外でいます。唯一人。菅直人の中に存在する菅直人です。日本の政治家も捨てたものではありません。ご心配に及ばず。本人は小便をかけられても何も感じない蛙のツラでそうと信じ切っています。ごめんなさい。小便などと下品な言葉を使って。〉

 〈反TPP除外〉と言ったが、〈消費税上げず〉も除外しなければならなかったと後で気づいた。二つの除外で済むのだから、菅直人の中に存在する菅直人の政治家としての優秀さ、自己過信に変わりはあるまい。

 7月13日の首相官邸で菅仮免が「脱原発依存」、「非原発依存社会」の実現を訴えた記者会見が中長期的な展望も計画性も欠いていただけではなく、党とも内閣とも議論・検討を加えないままの発言だったからなのだろう、岡田幹事長や枝野官房長官から、「首相の思い」を述べたに過ぎないと言われ、本人もそうであることを認めざるを得なかったに違いない、先ず15日の閣僚懇談会で認め、次に同じ15日の衆議院本会議で認めることとなった。

 《首相 脱原発依存は“個人の考え”》NHK NEWS WEB/2011年7月15日 11時49分)

 菅仮免「原発事故を受け、これまでの経緯を総合的に整理して、自分自身の決意と今後の方向性を個人の考えとして示した。将来的には、再生可能な自然エネルギーに重きを置いたエネルギー政策をやっていく」

 中野国家公安委員長(閣議後記者会見)「菅総理大臣は見解を発表されたけれども、閣僚はこのことを聞いたことがない。総理の気持ちを国民に説明するためにも、その真意は、折に触れて説明してほしい」

 海江田経産相「方向性は否定するものではないが、大事なことなので、いろいろなプロセスが必要だと思う」

 北沢防衛相「最近はとにかく、菅総理大臣が何か言うと、全部政局に絡めて『延命だ』などと言うが、総理が自分の思いを提示したあとは、その賛否について、政治の場で真剣に議論を行うべきだ」

 江田法務大臣「多くの国民が、原発の将来性について大きな疑問を感じているのは事実だ。総理の発言に対し、閣内や党内で議論が足りないという批判はあるが、総理として、『未来の方向は、こうではないか』と、国民に問題提起したということだと思う」

 菅支持・非支持の利害に応じて発言も肯定・否定の違いが出てくる。だが、菅仮免本人が「個人の考え」であって、政府の方針ではないと認めた事実は残る。

 次に衆院本会議。《“政府見解でなく個人の考え”》NHK NEWS WEB/2011年7月15日 17時5分)

 菅仮免「原発事故を踏まえて、エネルギー基本計画の見直しなどの検討が進んでおり、そうしたなかで、私自身の考え方として、原発に依存しない社会を目指すべきと考えるに至った。計画的、段階的に依存度を下げ、将来は原発がなくてもきちんとやっていける社会を実現していくべきだという、私の考え方を申し上げたところであります」

 だが、13日の記者会見は政府を代表する総理の立場で行った記者会見であり、発言の内容自体も政府の立場に立った発言であり、あるいは総理としての発言となっていた。

 改めて冒頭発言の最初の方の発言を振返ってみる。

 菅仮免「一昨日で、3月11日の大震災からちょうど4カ月目になりました。この間、大震災に対する復旧復興の歩み、被災者の皆さんにとっては、遅々として進まないという部分もあろうかと思いますけれども、内閣、自治体それぞれの立場で全力を挙げてまいっております。そうした中で仮設住宅の建設、あるいは瓦礫の処理など復旧の分野も着実に進むべきところは進んでまいっていると、そのように認識を致しております。そうした中で復興基本法が成立をし、6月28日に復興本部が立ち上がりました」

 決して個人としての発言ではない。続いて復興構想会議の提言が出たことや復興基本方針を今月中に纏める話、15日の第2次補正予算国会提出の予定となっていること、原子力事故収束の動きも進んでいるといったことの報告を単なる個人の思いとしてではなく、政府及び総理大臣の立場で発言している。

 特に断りがなければ、当然のこととしてエネルギー政策に関する発言も政府及び総理大臣の立場からの発言となり、「総理大臣記者会見」と銘打ったこととの整合性を得る。

 菅仮免「そういった中で、原発、あるいはエネルギー政策について、私自身の考え方を少し明確に申し上げたいと思います。私自身、3月11日のこの原子力事故が起きて、それを経験するまでは原発については安全性を確認しながら活用していくと、こういう立場で政策を考え、また発言をしてまいりました。しかし、3月11日のこの大きな原子力事故を私自身体験をする中で、そのリスクの大きさ、例えば10キロ圏、20キロ圏から住んでおられる方に避難をしていただければならない。場合によっては、もっと広い範囲からの避難も最悪の場合は必要になったかもしれない。さらにはこの事故収束に当たっても、一定のところまではステップ1、ステップ2で進むことができると思いますが、最終的な廃炉といった形までたどり着くには5年10年、あるいはさらに長い期間を要するわけでありまして、そういったこの原子力事故のリスクの大きさということを考えたときに、これまで考えていた安全確保という考え方だけではもはや律することができない。そうした技術であるということを痛感をいたしました。

 そういった中で、私としてはこれからの日本の原子力政策として、原発に依存しない社会を目指すべきと考えるに至りました。つまり計画的、段階的に原発依存度を下げ、将来は原発がなくてもきちんとやっていける社会を実現していく。これがこれから我が国が目指すべき方向だと、このように考えるに至りました」

 「私自身の考え方」と言っても、個人的な「私自身」ではなく、総理としての「私自身」であって、政府の立場に立った「私自身の考え方」でなければ整合性を失う。

 いわば政府の立場・総理大臣の立場で発言した国のエネルギー政策の大転換を図る、日本の経済と国民生活に将来に亘って深く関係する「脱原発依存」、あるいは「非原発依存社会」等々の訴えであったはずだ。

 だが、それが政府の立場として、政府を代表する総理大臣の立場で述べたエネルギー政策の大転換ではなく、個人の思いを述べたに過ぎないと訂正した。

 無責任極まりないが、その訂正も閣僚懇談会では閣僚に向かって、衆議院本会議では出席議員を直接的対象として行った。ここに国民が抜け落ちている。

 勿論国民はマスコミを通じて知ることになるが、あくまでも訂正対象は閣僚であり、国会議員であって、国民ではない。

 総理大臣記者会見は国民を対象として行う記者会見でもあるはずである。国民に語り掛ける思いや姿勢を込めて発言しているはずである。

 個人的な思いを総理大臣の立場からの考えとして、あるいは政府の方針であるが如くに国民に対しても話したに過ぎないとしたら、やはり訂正対象に国民を加えて、発言が総理大臣としての考えを述べたものではない、政府の方針を話したものではないと記者会見を開いて国民に向かって訂正し、謝罪するのが筋というものではないだろうか。

 この手の筋を通さないのは国民の存在を蔑ろにする無責任の上に無責任を重ねる態度と言うほかない。


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菅仮免の「脱原発依存」に見る先見性と自己過信

2011-07-15 10:06:15 | Weblog



 我が日本の誉れ高い菅仮免総理大臣が7月13日に首相官邸で内外大注目を集める中、記者会見を開き、従来の日本の基本的エネルギー政策の大転換を図る「脱原発依存」を掲げた。

 菅仮免「私としてはこれからの日本の原子力政策として、原発に依存しない社会を目指すべきと考えるに至りました。つまり計画的、段階的に原発依存度を下げ、将来は原発がなくてもきちんとやっていける社会を実現していく。これがこれから我が国が目指すべき方向だと、このように考えるに至りました」

 そして原発に代る電力の供給については先ず今夏という当座の問題について述べている。 

 菅仮免「しかしその一方で、国民の生活や産業にとって必要な電力を供給するということは、政府としての責務でもあります。国民の皆さん、そして企業に関わっておられる皆さんの理解と協力があれば、例えばこの夏においてもピーク時の節電、あるいは自家発電の活用などによって十分対応できると考えております。この点については、関係閣僚に具体的な電力供給の在り方について計画案をまとめるように既に指示を致しております」

 節電と自家発電の活用で今夏は乗り切れます、安心してくださいと言っている。

 では将来に亘る電力供給に関しては。

 菅仮免「以上、私のこの原発及び原子力に関する基本的な考え方を申し上げましたが、これからもこの基本的な考え方に沿って、現在の原子力行政の在り方の抜本改革、さらにはエネルギーの新たな再生可能エネルギーや省エネルギーに対してのより積極的な確保に向けての努力。こういったことについて、この一貫した考え方に基づいて是非推し進めてまいりたい。このことを申し上げておきたいと思います」

 新たな再生可能エネルギーや省エネルギーの積極的な確保で「脱原発依存」に代えていくと太鼓判を押し、これで冒頭発言は終わっている。将来的な電力供給問題を含めた緻密な計画に基づいた中長期的な工程に関しては一切言及がなかった。

 但し新聞記者がこのことに関しての質問を行っている。
 
 松浦共同通信記者「共同通信の松浦です。先ほど脱原発、大変大きな目標を出されたと思うんですが、これは何年までにどのぐらい減らしていくのかという目標をまず明示すべきではないかということが1つと、もう1つ、その大きな目標に取り組むのは9月以降、菅総理なのか、それとも違う総理大臣なのか、ここをはっきりさせていただきたいんですが、その2点お願いします」

 菅仮免私も割と先に先にものを考える方ではありますけれども、こういう大きな政策を進める上では、まずは基本的なところからきちっと積み上げていく必要があると思っております。先ほども申し上げましたけれども、まず現在の状況そのものが既に3月11日の事故を踏まえて、ご承知のように多くの原子力発電所は停止状態にあります。しかしそのことが、国民の生活やあるいは日本経済に大きな悪影響を及ぼさないために何をやるべきなのか、またそれのためにはどういう政策が必要なのか、そこをまずしっかりと、まずは計画を立ててまいりたい。このように考えております。

 そして、原子力政策についていえば、現在存在している炉の中でも、かなり長い間運転を続けている、簡単にいえば古い炉もありますし、比較的新しい炉もあります。そういったことも含めて、どういう形で安全性を確保しながら、ある時期まではどの炉は安全性を確保して動かすけれども、しかしある時期が来れば古い炉は廃炉にしていくといった、そういった計画については、今後しっかりと中長期の展望を持って議論をし、計画を固めてまいりたい。

 今私が具体的なところまで申し上げるのはあまりにも少し早過ぎるのではないかと思っております。ですから何月というようなこともいわれましたけれども、このエネルギー政策の転換というのは、やはりかなりの議論を必要といたしますので、今まさに国会においてもその議論が活発に行われているところでありますので、そういう議論も踏まえながら、私が責任を持っている間は私の段階でもちろんその議論、あるいは計画を、立案を進めますけれども、私の段階だけでそれが全てできると思っているわけではありません」――

 「私も割と先に先にものを考える方ではありますけれども」と先見的計画性を備えていることを先ず宣伝してから、その宣伝に反して、「今私が具体的なところまで申し上げるのはあまりにも少し早過ぎるのではないかと思っております」と、「少し早過ぎる」という理由で中長期的な目標の提示を断っている。

 大いに結構だが、中長期的な目標の提示を断りながら、現在の原発停止状況が日本の経済や国民生活に与える影響の緩和にはどういう政策が必要か、これから計画立てていく。耐用年数に達する古い原子炉を廃炉とする場合の計画については「今後しっかりと中長期の展望を持って議論をし、計画を固めてまいりたい」と、中長期的な目標の計画作成はこれから行っていくと言っている。

 何のことはない、「私も割と先に先にものを考える方ではありますけれども」言いながら、「何年までにどのぐらい減らしていくのかという」中長期的な目標は菅仮免の頭の中には何も入っていないということに過ぎない。

 いわば具体的計画性がないままにく記者会見を開いて公表した「脱原発依存」、「将来は原発がなくてもきちんとやっていける社会」の実現を訴えたに過ぎない。

 しかも与党民主党とも内閣とも謀った「脱原発依存」でないことがたちまち露見することになった。

 《脱原発依存は「首相の思い」=民主・岡田氏》時事ドットコム/2011/07/14-19:25)

 7月14日の記者会見。

 岡田幹事長「本格的な議論はこれからだ。(今後の)道のりを示すためには、きちんとした議論がなされなければならない。そういうものがない中で首相の思いを述べた」

 「脱原発依存」は菅仮免の個人的な思いに過ぎないと切り捨てている。

 だからなのだろう、「今私が具体的なところまで申し上げるのはあまりにも少し早過ぎるのではないか」ということになったのは。
 
 《脱原発は首相の希望、内閣の目標でない…枝野氏》YOMIURI ONLINE/2011年7月14日15時24分)

 7月14日午前の記者会見。菅仮免の「脱原発依存」について。

 枝野「遠い将来の希望という首相の思いを語った。政府の見解というより、そういったことを視野に入れた議論を進めるというのが政府の立場だ」

 やはり菅仮免の個人的な思いに過ぎないと言っている。記者には見せないだろうが、陰で見せていたに違いない苦虫を潰した顔がいともたやすく想像できる。

 記者「原発をなくすことは内閣としての政策目標か」

 枝野「首相の記者会見ではそこまで言って」

  菅仮免はごく個人的な「遠い将来の希望という」思いを語ったに過ぎないのだから、「内閣としての政策目標」であるはずはない。聞かずもがなのことだが、確認のために聞いたのか。

 政府が成長戦略の一環に位置づけてきた原発輸出について。

 枝野「我が国はどの国よりも厳しい安全性の下で(原発を)当面活用していく。輸入する側がどう受け止めるかを含めて、中期的に検討する」

 儲け話は早々簡単に捨てられるかっ、といったところか。

 こうなると、菅仮免の「私も割と先に先にものを考える方ではあります」も大分怪しくなる。

 この菅仮免の「脱原発依存」に橋下大阪府知事がエールを送っている。《菅首相に橋下知事エール「支持率、確実に上がる」》MSN産経/2011.7.14 12:50)

 7月14日の発言。橋下知事は原発依存度を下げる必要性を訴えてきたとのこと。

 橋下知事「確実に国民の声をくみ取っている。これからが大勝負なので、具体図を描いてほしい」

 「確実に国民の声をくみ取っている」と歓迎はしているが、「具体図を描いてほしい」と他と同じように中長期的展望に関する言及がないことを指摘している。

 橋下知事「今まで誰もこんな大号令は掛けられなかった。吹っ切れた状態でぐいぐい進んでいけば、(支持率は)確実に上がると思う」

 具体的計画性も展望もない、個人的な思いを「大号令」だと持ち上げるのは本人の自由だが、「(支持率は)確実に上がると思う」などと言うと、支持率狙いの前科がなかったわけではないのだから、そうか、やっぱり支持率狙いの記者会見だったのか容疑を固くすることになる。

 記者会見翌日の14日の夜、民主党の石井一選対委員長と当選1回の衆院議員約20人と会食したという。ご機嫌よくニヤニヤ笑いを満面に浮かべていただろう菅仮免が想像できる。《脱原発依存、言い訳連発=新人議員と会食-首相》時事ドットコム//2011/07/14-23:44)

 菅仮免「東京、神奈川から3000万人が移住するような事態も想定して決断しないといけない。だから『脱原発(依存)』なんだ」

 記事はこの発言を次のように解説している。〈「脱原発依存」をめぐる政府・与党内の調整不足などへの批判を意識してか、福島第1原発事故の行方によっては、首都圏から避難させることも一時考慮したことなど、言い訳のような発言を繰り返した。〉

 記者会見では「東京、神奈川から3000万人が移住するような事態」の想定については一言も触れていないのだから、言い訳のための後付けの発言と取られても仕方がないだろう。

 脱原発依存を打ち出した理由について。

 菅仮免「原発事故はすごいことだと印象を受けた。工学部出身で原発問題について相当基礎知識も持っていたし、自身で研究を重ねた」

 知識と研究を自己過信する割には計画性も展望もない「脱原発依存」の記者会見であった。個人的な希望、あるいは思いを話したに過ぎないから、当然の反映なのだろう。

 出席議員「全原発へのストレステスト(耐性評価)の実施は思い付きでは」

 菅仮免「3月11日から考えていたことを整理して、思いを国民に伝えようと思った」

 オーストリアのベルラコビッチ環境相が欧州の原発について耐震性などを調べる「ストレステスト」を欧州連合(EU)各国に提案する考えを示したのは3月13日。検討を加えて実施したのが6月1日から。

 菅仮免が原発事故発生の「3月11日から考えていた」ことであっても、「ストレステスト」という形ではなく、原子力安全・保安院がこれまで行ってきた安全基準に基づいた安全性のチェックに代る新しい方法を「3月11日から考えていた」ということなのだろう。

 それがいつか分からないが、EUが検討し、行うことになり、6月1日から実施に踏み切った「ストレステスト」が頭を占めるようになった。

 日本の政治家で最初にストレステストの必要性を訴えたのは河野太郎自民党議員だと「Wikipedia」に出ている。

 〈日本の政治家で最初にストレステストの必要性を訴えたのは、自民党の河野太郎衆議院議員。浜岡原発の停止を政府が指示した際に、5月6日付けの自身のブログで「ようやく浜岡原発の停止を政府が要請した。残りの原発に関してもきちんとしたストレステストをすべきだ。」と発言している。〉

 浜岡原発停止要請は今後30年間に87%の確率で東海地震発生の確率論からの停止要請であって、ストレステストを行った上での停止要請ではない。地震発生の確率論からの要請だったから、他の原発の停止は必要ないとした。ストレステストに基づいた停止要請なら、他のすべての原発も浜岡停止時点でテストをクリアする必要が生じただろう。

 事実だと俄かには信じ難いが、菅仮免は「3月11日から」から原子力安全・保安院に代る新しい安全基準を模索していた。

 だがである。菅仮免がストレステストを言い出したのは3月11日から4カ月近く経った7月6日午前の衆院予算委員会の答弁の中であって、海江田経産相は鳩山前に、「首相の独走。もう頭に来た。今さら何を言っているんだ」(毎日jp)と怒りをぶちまけたという。

 要するに前以て知らされていなかったし、議論や検討を加えて打ち立てた原発再稼動の新しい安全基準というわけでもなかった。ストレステストに関する「内閣としての統一見解」づくりが後付けとなったのはそのためだろう。枝野官房長官と海江田経産相、それに細野原発担当相が纏めて5日後の7月11日に公表することとなった。

 「3月11日から考えていたことを整理し」た新しい安全基準でありながら、また相当に煮詰まった具体像を描いていてもいいはずだが、自身の頭の中だけにとどめて前以て内閣の誰にも謀らず、当然誰とも議論も検討も経ずに、要するに自分だけの「思いを国民に伝えようと思った」。

 内閣というチームを組んでトップに立つリーダーの態度と言えるだろうか。チームワークを必要とするのに個人プレーで国家運営を謀るこの独善性は自己優越性からきているに違いない。

 「脱原発依存」の中長期的な目標も展望も示さない記者会見と言い、当選1回の衆院議員約20人との会食の場に於ける計画性もない個人プレーでしかなかったことを暴露する発言と言い、自己過信だけは優れているが、先見性も計画性もない政治家像しか窺うことができない。

 これが一国の総理大臣としての政治家像というわけなのだろうか。


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菅仮免の思いつきのストレステストを正当化するための保安院を悪者にする記者会見

2011-07-14 10:18:10 | Weblog

 

 昨日(2011年7月13日)夕方6時から菅仮免が首相官邸で記者会見を開いた。冒頭、「一昨日で、3月11日の大震災からちょうど4カ月目になりました」と言っているが、原子炉稼動の新しい安全基準として突然持ち出した「ストレステスト」が政府内や特に原発立地自治体に混乱をもたらし、批判を受けることになったため、「ストレステスト」指示を正当化するための記者会見となっていた。

 そしてそれらを正当化するために原子力安全・保安院を悪者にしている。

 各発言箇所は首相官邸HP「菅内閣総理大臣記者会見」から引用。 

 このことを論ずる前に冒頭発言部分で被災地の復旧・復興に申し訳程度に触れていることについて。

 菅仮免「この間、大震災に対する復旧復興の歩み、被災者の皆さんにとっては、遅々として進まないという部分もあろうかと思いますけれども、内閣、自治体それぞれの立場で全力を挙げてまいっております。そうした中で仮設住宅の建設、あるいは瓦礫の処理など復旧の分野も着実に進むべきところは進んでまいっていると、そのように認識を致しております」

 自分たちの不足部分や至らぬ点を一方に置いてそれをさりげなく打ち消す肯定的要素を対置させて自らを正しいとするレトリックは菅仮免にとって十八番のパターンとなっている。

 この冒頭発言の最後の方でも、ストレステスト導入指示によって混乱をもたらしたことを「私からのいろいろな指示が遅れるなどのことによって、ご迷惑をかけた点については申し訳ない」と至らなかった点を謝罪しているが、この謝罪だけを見ると素直に謝っているように見えるが、その前段に導入指示は「国民の皆さんの安全と安心という立場」からのものだと肯定されるべき点への言及を対置させているために差引き至らなかった点を打ち消すことになるレトリックも同じパターンを踏んでいる。

 あるいは7月12日午前の衆院東日本大震災復興特別委員会の国会答弁でストレステストの混乱に関して、「私の不十分さ、指示の遅れなどで混乱やいろんなことを招いたのは申し訳ない」と自身の至らぬ点についての謝罪を一方に置きながら、「結果として国民的にも納得していただける形で、物事が進められることはよかった」(毎日jp)と肯定要素を対置させることで、至らぬ点の打消しを図って自らを正しいとしている。

 だが、「全力を挙げて」いるからといって「遅々として進まないという部分」は打ち消していいということにはならない。あるいは自分たちの方から許していいわけのものではない。

 政府や自治体の側の不足部分や至らぬ点を打ち消すことができる、あるいは許すことができる主体はあくまでも被災者や国民の側であって、政府の側にあるわけではない。それを政府の側としているのは被災者や国民の立場に立っていないからできることである。

 あくまでも政府の立場に立ち、そこから離れれないでいるから、「遅々として進まないという部分」を打ち消したり、自ら許したりすることができる。

 実際は被災者の側のみが政府も自治体も「全力を挙げて」いるのだから、「遅々として進まないという部分」があっても仕方がないと打ち消したり許したりすることができる。決して政府の側ではない。

 主体を取り違えて何とも思わないから、「着実に進むべきところは進んでまいっている」と主体不明なことが言える。あくまでも復旧・復興の主体は政府や自治体なのだから、「着実に進めるべきところは進めている」と主体を明確にした言葉を使うべきだが、現実には「着実に進めるべきところを進め」ることができていないから、主体を誤魔化すことになる。

 この主体の誤魔化しは主体としての責任意識の欠如と相互対応している。主体としての責任意識を欠如させているから、当然の結末として被災者の立場に立つことができないことになる。

 国会答弁で菅仮免は「結果として国民的にも納得していただける形で、物事が進められることはよかった」と言っているが、NHKの最新世論調査ではストレステストの評価を聞いたところ、

▽「大いに評価する」  ――3%
▽「ある程度評価する」 ――22%
▽「あまり評価しない」 ――34%
▽「まったく評価しない」――32%

 となっていて、否定的評価が合計で76%に上っている。

 朝日新聞の世論調査での「定期検査停止中の原発再開はストレステストが終わってから判断した方がいいか」といった質問に対して、

調査が終わってから判断した方がよい――66%
調査とは関係なく判断してよい   ――21%だが、

 「原発の運転再開をめぐる政府の一連の対応を見て、菅首相はきちんとかじ取りができていると思いますか。できていないと思いますか」の質問には、

かじ取りができている――9%
できていない    ――84%

 となっている。「結果として国民的にも納得していただける形で、物事が進められることはよかった」といった状況には決してなっていないにも関わらず、そうだとすることができるのは独善的観念が強いからだろう。この独善性が一国のリーダーとしての資質を欠いているにも関わらず、菅仮免を首相の座に居座らせるエネルギーとなっているに違いない。

 では「ストレステスト」を持ち出したことの正当化とその正当化するために原子力安全・保安院を悪者としている発言箇所を拾ってみる。

 菅仮免(冒頭発言)「これまで私が例えば浜岡原発の停止要請を行ったこと、あるいはストレステストの導入について指示をしたこと、こういったことは国民の皆さんの安全と安心という立場。そしてただ今申し上げた原子力についての基本的な考え方に沿って、一貫した考え方に基づいて行ってきたものであります。

 特に安全性をチェックする立場の保安院が現在原子力を推進する立場の経産省の中にあるという問題は、既に提出をしたIAEAに対する報告書の中でもこの分離が必要だということを述べており、経産大臣も含めて共通の認識になっているところであります」

 菅仮免(質問に対する応答)「私の基本的な考え方は、今回の事故を踏まえて、従来の法律でいえば、例えば再稼働については、経産省に属する原子力安全・保安院が一定のこうすべきだということをいって、そしてそれを自ら審査をして、そして自ら判断をして、最終的には経産大臣の判断で行えるという形になっております。しかし今回のこの事故が防げなかった理由は、数多くありますけれども行政的にいえばこの原子力安全・保安院が、ある意味原子力政策を推し進める立場の経産省の中にあるということが、一つの大きなチェックが不十分な原因ではないかと、これは当初から強く各方面から指摘をされておりました。そういった基本的な問題意識を持っておりましたので、そのことについてはIAEAの報告書の中でも述べて、そしてそうした保安院を近い将来、少なくとも経産省からは切り離す、このことでは海江田大臣とも全く同じ認識を持っているところであります。

 今回の問題について、私が多少指示が遅れた点はありますけれども、一番問題としたのは、そうした保安院だけで物事を進めていくことが、国民の皆さんにとって本当に理解を得られ、安心が得られるのか、この1点であります。そうした中で改めて私の方から関係大臣に指示をして、そうした国民の皆さまの立場に立っても理解なり納得が得られる、新しいルール、新しい関係者がどういう関係者かということも含めて、そういう新しいルールと判断の場を持ってどのようにすればいいかということを考えて欲しい、こういう指示を出しまして、先日官房長官からも皆さんにご報告をさせていただきましたけれども、統一的な見解を出すことになったわけであります。

 そういった意味でいろいろとご指摘をいただいておりますけれども、私が申し上げているのは、まさに経産省の中にある原子力安全・保安院だけの判断で、こうした形をとることについて適切でないという、その認識から行ったもので、それ以外の理由は全くありません」

  菅仮免(質問に対する応答)「現在の状況は、法律では保安院が単独でいろいろと基準を出して判断をしてもいいけれども、しかしそれは今のこの大きな事故があった中で、それが国民的に理解されるとは私は思えないわけです。ですからそういう国民の皆さんから見ても、このしっかりした形であればきちっとした判断ができるという、そういう形を作ってもらうために1つの統一見解を出していただきましたので、そういった統一見解に基づいて、きちっとした形での項目に沿った判断がなされて、そしてその判断が妥当なものだと、最終的には先日の4人、私を含む4人の大臣で、政治的にはその4人で最後は判断しようということで合意をしておりますけれども、そういう専門的な立場の皆さんのきちんとした提起があれば、そしてそれが大丈夫ということであれば、4人の中で合意をして稼働を認める、そのことは十分に有り得ることです」

 全て保安院を悪者としている。特に、「しかし今回のこの事故が防げなかった理由は、数多くありますけれども」と複合的要因だとしながら、「行政的にいえばこの原子力安全・保安院が、ある意味原子力政策を推し進める立場の経産省の中にあるということが、一つの大きなチェックが不十分な原因ではないかと、これは当初から強く各方面から指摘をされておりました」と直接的に悪者視している。

 事故を防ぐことができなかった原因は原子力安全・保安院が原子力行政を推進する経産省の中にあり、チェックが不十分になっていたからだ、だから原子力安全・保安院の安全判断・安全基準に代る新しい安全基準を必要とすることになったと「ストレステスト」を持ち出したことを正当化している。

 このストレステスト正当化のための保安院悪者視は昨日(7月13日)のブログにも触れたが、7月12日「KAN-FULL BLOG」でも同じ扱いにしている。

 〈原子力安全・保安院が経産省の中に存在して、“推進”と“チェック”を同じ所が担っているという矛盾は、早く解決せねばなりません。これは、既にIAEAという国際的な機関への報告書の中でも言明しており、今になって急に言い出したことではありません。この考え方に立てば当然、各原発の再稼働の判断等を、現行の保安院だけに担わせることはできません。現行法制上はそうなっていても、現実として、独立機関である原子力安全委員会を関わらせるべきだ、というのが、今回の政策決定の土台です。この決定と並行して、問題の本筋である原子力規制行政の《形》の見直しも、既に検討作業に入っています。〉と、原子力安全・保安院の立場上の役割により大きな責任を負わせている。

 確かに原発稼動の審査・判断は原子力安全・保安院が担っていたばかりか、原子力安全・保安院の寺坂信昭院長は2010年5月の国会参考人答弁で「(全電源喪失は)あり得ないだろうというぐらいまでの安全設計はしている」と「原発安全神話」に立った姿勢で原発の稼動に臨んでいた。

 だが、内閣府所属の原子力安全委員会が2009年8月30日に策定した「発電用軽水炉型原子力施設に関する安全設計審査指針」「電源喪失に対する設計上の考慮」に関して、「長期間に亘る全交流動力電源喪失は、送電線の復旧又は非常用交流電源設備の修復が期待できるので考慮する必要はない」と全電源喪失を想定しない指針となっていて、こういったことに対応した原子力安全・保安院の「原発安全神話」姿勢だったはずで、原子力安全委員会と原子力安全・保安院は相互責任を負っているし、東電にしても貞観地震クラスの津浪の危険性の指摘を受けながら、それを想定外とした経緯がある。

 いわば原子力安全・保安院を一人悪者にするのは公平性を欠くことになる。 

 また、事故が発生してからベントを早急に実施させることができなかった政府の対応、さらには真水注入から海水注入に切り替えるに4時間もの間があり、真水注入停止から約43分後に水素爆発を起こしたことを考えると、原子炉冷却を継続できなかったことも無視できない事故拡大の人災的要因となっていたはずで、見逃すことはできない危機対応に入れなければならないはずだ。

 こういった諸要素を無視して、菅仮免は原子力安全・保安院のみを一方的に悪者にしている。

 浜岡原発停止要請もストレステストの導入指示も国民の皆さんの安全と安心を考える立場からの、「一貫した考え方に基づいて行ってきたもの」であると恩着せがましく言っているが、そうである以上、原子力安全・保安院に対する悪者視、少なくともその稼動審査・稼動判断に対するあからさまな疑義も「一貫した考え方に基づいて」いなければならない。

 だからこそ、昨日のブログでも触れたが、2009年衆院選用の「民主党政策集INDEX2009」で経済産業省と原子力安全・保安院の分離と独立性の高い原子力安全規制委員会の創設を謳ったはずだ。

 だが、謳ったにも関わらず、分離・創設に動かなかった。

 このことだけでも「一貫した考え方に基づいて」いるとは言えないが、震災発生19日後の3月30日に社民党の福島瑞穂党首と首相官邸で会談。福島党首が原発建設を推進してきた経産省に原子力施設を規制する保安院が付属している問題点を指摘、いわば経産省の外局という身内意識から安全面のチェックが甘かったのではないかということなのだろう、分離を要請したのに対して、菅仮免は「今後、議論になる」(毎日jp)と答えていながら、しかも2009年マニフェストで政策としていながら、約3カ月半経過しているが、経産省と原子力安全・保安院の分離は今後の課題としていることも「一貫した考え方に基づい」た姿勢とは決して言えない。

 勿論、「国民の皆さんの安全と安心という立場」に立った行動とは言えない。

 この取り掛かりの遅さは原子力安全・保安院に対する悪者視、少なくともその稼動審査・稼動判断に対する露骨な疑義に反するスピードとなっている。

 また海江田経産相が6月18日に「原発の対策は適切」だと再稼働へ向けて打ち出した「安全宣言」は原子力安全・保安院の稼動審査・稼動判断に基づいた行動であり、その翌日の6月19日に菅仮免が「きちんと安全性が確認されたものはですね、順次稼動をしていこうじゃないか。あるいはいただきたいと。まあ、そういう趣旨のことを経産大臣が言われたわけであります。ですから、私もそこはまったく同じですね」と「安全宣言」を追認した時点では原子力安全・保安院に対して悪者視、その稼動審査・稼動判断に対する露骨な疑義は持っていなかったことになる。

 この追認は2009年マニフェストで経産省と原子力安全・保安院の分離を謳い、尚且つ3月30日の福島社民党党首との会談で福島党首から分離を要請されながら、実際行動に移さなかったスピードの遅さに対応しているはずだ。

 原子力安全・保安院の判断に厳格に疑義を持ち、悪者視していたなら原子力安全・保安院の判断に基づいた「安全宣言」は追認などできなかったろう。

 要するにその当時は原子力安全・保安院に対して身内意識から安全面のチェックが甘かったのではないか程度に見ていたに過ぎなかった。

 だが、事ここに至って原子力安全・保安院に対する一方的な悪者視、少なく見積もっても、稼動審査・稼動判断にあからさまな疑義を呈することになっている。しかもこの悪者視・疑義は「ストレステスト」指示と殆んどの場合対応させて発言している。

 これは一方に自分たちの不足部分や至らぬ点を持ってきて、それをさりげなく打ち消して肯定要素と対置させるレトリックと同じ構造を取った、その最大級のレトリックであろう。

 この相互関係からすると、「ストレステスト」指示を突然持ち出したことに対応させて原子力安全・保安院に対する一方的な悪者視、あるいは稼動審査・稼動判断に深い疑義の突然の提示ということになる。

 このことを逆説するなら、「ストレステスト」指示を突然持ち出さなかったなら、決して口にして言い出さなかった原子力安全・保安院に対する一方的な悪者視、あるいは稼動審査・稼動判断に対するあからさまな疑義だと言える。

 「ストレステスト」指示を突然持ち出す前までは、そういう関係にあった。特に6月19日の時点では、保安院だけを取上げて公言して憚らない形で悪者視することはなかった。

 いわば「ストレステスト」を突然言い出して混乱を招いた失態を打ち消し正当化の補強とする保安院に対する悪者視という関係しか見えてこない。

また、記者会見が「ストレステスト」を思いつきで突然言ったことの正当化を図ることを主眼としていたからこそ、「原発に依存しない社会を目指す」、「計画的、段階的に原発依存度を下げ、将来は原発がなくてもきちんとやっていける社会を実現していく」と言いながら、具体的な時期や具体的な削減の形を伴った具体的なスケジュールを、本来なら逆の構造を取らなければならなかったにも関わらず示し得なかったのだろう。


 
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菅仮免「直筆」の7月12日「KAN-FULL BLOG」は自分から自分で発した首相失格宣言となっている

2011-07-13 11:10:07 | Weblog



 海江田経産相が原発再稼動に向けて安全宣言を出し、菅仮免もそれを追認、玄海原発再稼動が目前という状況になって自らの追認を突然忘却の彼方に投げ捨てて、「ストレステスト」を原発稼動の新たな安全基準とすると発言。その変心を例の如く「思いつき」、「場当たり」と批判されていることと最新の世論調査で内閣支持率が15~16%といった急激な低迷が気になってのことだろう、昨日(2011年7月12日)の「KAN-FULL BLOG」ブログで、「決して思いつき」ではないと反論している。

 「首相官邸HP」から全文を引用してみる。 

 ストレステスト導入の背景にある、問題の本質(KAN-FULL BLOG/2011/07/12 火曜日)

先を見すえて/菅直人直筆のページ 

大震災発生から、昨日で4か月。この間、復旧・復興と原発事故への対応に、私なりに全力を挙げてきました。しかし、私の言動について、なかなか真意をうまくお伝えすることができません。総理という立場を意識しすぎて、個人的な思いを伝えきれていないことを、反省しています。

今回の各原発へのストレステスト導入をめぐっては、昨日、内閣としての統一見解をまとめました。私としては、《国民の皆さんが納得できるルール作り》を指示し、その方向でまとめることが出来たと思っております。決して思いつきではなく、《安全と安心》の観点から、辿り着いた結論です。

原子力安全・保安院が経産省の中に存在して、“推進”と“チェック”を同じ所が担っているという矛盾は、早く解決せねばなりません。これは、既にIAEAという国際的な機関への報告書の中でも言明しており、今になって急に言い出したことではありません。この考え方に立てば当然、各原発の再稼働の判断等を、現行の保安院だけに担わせることはできません。現行法制上はそうなっていても、現実として、独立機関である原子力安全委員会を関わらせるべきだ、というのが、今回の政策決定の土台です。この決定と並行して、問題の本筋である原子力規制行政の《形》の見直しも、既に検討作業に入っています。

一方で政府としては、当面の電力供給に責任を持つ、という、もう一つの《安心》も確保しなければなりません。そのために今、企業の自家発電の更なる活用や、節電対策の工夫など、電力供給の確保策についても、近日中に具体的方針を示せるよう、検討を指示しています。

従来のエネルギー計画を白紙から見直し、中長期的に再生可能エネルギー導入と省エネルギーを促進し、原発への依存から脱却してゆく―――この明確な“決意”を、1日1日の中でどこまで“形”に置き換えていけるか。今日も全力で取り組みます。

 のっけから「先を見すえて/菅直人直筆のページ」と書いてある。ゴーストライターの手によるものではない、「直筆」だとわざわざ断らなければならないとは恐れ入る。

 ブログは直筆が当たり前であって、それを「直筆」と断るということは今までのブログの中には直筆でない文章も含まれていたということになる。

 「直筆」は結構毛だらけだが、自分の言葉の矛盾に相変わらず気づかないトンチンカンな認識能力の提示となっている。

 「大震災発生から、昨日で4か月。この間、復旧・復興と原発事故への対応に、私なりに全力を挙げてきました」と言っているが、「私なりに」とは「自身の能力に応じて」、あるいは「自分でできる範囲内で」といった意味で、それが個人の立場にあるなら許されるが、一国のリーダーの立場にある以上、内閣という総合力を以ってして「私なりに」を超えて国民の期待と希望に十二分に応えなければ、リーダーとしての意味を失う。

 いわば「私なりに全力を挙げてきました」、結果はこの程度ですであっては許されないということでである。あくまでも「政治は結果責任」である。にも関わらず、「私なりに全力を挙げてきました」と、「政治は結果責任」意識を欠いた個人的な努力論で終わっている。

 この程度の認識能力しかない。

 さらに復旧・復興対応と原発事故対応に遅滞と不足生じている原因を、「私の言動について、なかなか真意をうまくお伝えすることができません。総理という立場を意識しすぎて、個人的な思いを伝えきれていないことを、反省しています」と、単に説明不足に置き、説明不足を以って許しを請う形で責任逃れの言い訳としている。

 このような認識を駆使して責任を回避する手管にしてもなかなか見事な図太い神経だと言わざるを得ない。

 何よりも問題なのはこの発言が首相としての資質・資格のなさの自分から発した宣言となっていることである。自らの言動について、なかなか真意をうまく伝えることができない、個人的な思いを伝えきれないとは、何のことはない、自らの思いを言葉で表す能力、思考能力・表現能力を欠いていると自分から告白したのである。言葉を創り出して相手に伝える説明能力・情報発信能力に自分は欠いていますと宣言したのである。

 そんな一国のリーダーが菅仮免以外どこの世界に存在するだろうか。

 菅仮免は自身の情報発信能力欠如・説明能力欠如を責任回避の言い訳に使ったのは今回が初めてではない。以前ブログにも書いたことだが、昨年(2010年)12月4日、千葉県の農業組合法人施設訪問後の記者との遣り取りで内閣支持率が低いことが念頭に置いて次のように発言している。

 菅首相「ただ、現在進んでいることや、進める準備をしていることを国民の皆さんに伝える発信力が足りなかったかなと考えている。『もう少し肉声で語れ』などといろいろと言われているので、今後は、いろいろな機会に国民の皆さんに積極的に私の考え方を伝えていきたい」(NHK記事

 支持率の低迷、その他の不評判は情報発信力不足が原因だと責任逃れしている。

 今年(2011年)の1月7日に「プレスクラブ - ビデオニュース・ドットコム インターネット放送局」に単独出演したときは、「こちらから伝えたいなと思うことの重要な部分が捨象されて、政局中心のニュースにされてしまう」といった趣旨のことを喋っていた。

 これも自身の情報発信力・説明能力を棚に上げたマスメディアへの責任転嫁以外の何ものでもない。

 要するに、「私の言動について、なかなか真意をうまくお伝えすることができません。総理という立場を意識しすぎて、個人的な思いを伝えきれていないことを、反省しています」は昨年来続いている言語状況であって、今日に至るまで何ら成長していない、「反省」を何ら生かすことができていないことの証明ともなっている。

 当然、今後とも成長は望めないことになる。成長が止まった一国のリーダーというのもなかなかの逆説である。 

 自らの思いを言葉で表す能力、思考能力・表現能力とそれを他に向けて伝達する情報発信力・説明能力、さらに指導力、あるいは政策創造能力は相互に深く関係していて、全ては如何に認識し、判断するかの認識能力・判断能力にかかっている。

 いわば自らの思いを言葉で表す能力、思考能力・表現能力を欠いていたなら、相互対応として指導力も政策創造能力も欠くということである。

 すべてが一国のリーダーとして欠かすことはできない能力でありながら、その全てを欠いている。これ程の自分から自分で発した首相失格宣言はあるまい。

 その結果の現在の世論状況ということであろう。

 ストレステスト導入のための「内閣としての統一見解」に関して、「《国民の皆さんが納得できるルール作り》を指示し、その方向でまとめることが出来たと思っております」と自負している。

 いわば国民が納得できる“結果”を得たと「政治は結果責任」を自ら果たしたとしている。「内閣としての統一見解」は次ぎのような内容となっている。
 
 内閣としての統一見解

 我が国の原子力発電所の安全性の確認について(ストレステストを参考にした安全評価の導入等)

       平成23年7月11日  内閣官房長官  枝野幸男
                    経済産業大臣  海江田万里
                    内閣府特命担当 細野豪志

 <現状認識>

 1.我が国の原子力発電所については

 ○稼働中の発電所は現行法令下で適切に運転が行われており、
 ○定期検査中の発電所についても現行法令に則り安全性の確認が行われている。

 さらに、これらの発電所については、福島原発事故を受け、緊急安全対策等の実施について原子力安全・保安院による確認がなされており、従来以上に慎重に安全性の確認が行われている。

 <問題点>

 2.他方、定期検査後の原子力発電所の再起動に関しては、原子力安全・保安院による安全性の確認について、理解を示す声もある一方で、疑問を呈する声も多く、国民・住民の方々に十分な理解が得られているとは言い難い状況にある。

 <解決方法>

 3.こうした状況を踏まえ、政府(国)において、原子力発電所のさらなる安全性の向上と、安全性についての国民・住民の方々の安心・信頼の確保のため、欧州諸国で導入されたストレステストを参考に、新たな手続き、ルールに基づく安全評価を実施する。

 具体的には、原子力安全委員会の要求(7月6日)を受け、次のような安全評価を行う。これらの安全評価においては、(現行法令では関与が求められていない)原子力安全委員会による確認の下、評価項目・評価実施計画を作成し、これに沿って、事業者が評価を行う。その結果について、原子力安全・保安院が確認し、さらに原子力安全委員会がそれの妥当性を確認する。

 ○一次評価(定期検査で停止中の原子力発電所について運転の再開の可否について判断) 

  定期検査中で起動準備の整った原子力発電所について順次、安全上重要な施設・機器等が設計上の想定を超える事象に対しどの程度の安全裕度を有するかの評価を実施する。

 ○二次評価(運転中の原子力発電所について運転の継続又は中止を判断)

  さらに、欧州諸国のストレステストの実施状況、福島原子力発電所事故調査・検証委員会の検討状況も踏まえ、稼働中の発電所、一次評価の対象となった発電所を含めた全ての原子力発電所を対象に、総合的な安全評価を実施する。

 安全確認の具体的な方法は何一つ触れていない。「評価項目・評価実施計画」の作成も今後のことであるし「欧州諸国のストレステストの実施状況、福島原子力発電所事故調査・検証委員会の検討状況も踏まえ」としていることも、具体的方法を模索する段階にとどまっていることの証明にしかならない。

 「国民の皆さんが納得できる」ようにするのは安全確認の具体的方法を作成し、実際に実施して事故が起きないと分かる段階にいかなければならないはずだが、そこまで到達しないうちに「納得できる」と早合点することができるのもまともな認識能力・判断能力を欠いているからに違いない。

 組織再編に関しても、「既に検討作業に入っています」と言い、経産省と原子力安全・保安院の早期分離を提唱しているが、このことは政権交代を果たすことになる2009年衆院選用の「民主党政策集INDEX2009」で既に政策として掲げていたことである。

 次のように書いてある。

 〈安全を最優先した原子力行政

過去の原子力発電所事故を重く受けとめ、原子力に対する国民の信頼回復に努めます。原子力関連事業の安全確保に最優先で取り組みます。万一に備えた防災体制と実効性のある安全検査体制の確立に向け、現行制度を抜本的に見直します。安全チェック機能の強化のため、国家行政組織法第3条による独立性の高い原子力安全規制委員会を創設するとともに、住民の安全確保に関して国が責任を持って取り組む体制を確立します。また、原子力発電所の経年劣化対策などのあり方について議論を深めます。〉

 〈独立性の高い〉とは、経産省と原子力安全・保安院の分離であり、原子力安全・保安院に替えて、「原子力安全規制委員会」なる組織の創設を謳っていたのである。

 それを民主党政権発足後、2年近くも放置していて、今更ながらに〈“推進”と“チェック”を同じ所が担っているという矛盾は、早く解決せねばなりません。〉などともっともらしげに言っている。

 これは自らの不作為を隠す責任回避以外の何ものでもない。

 こうして見てくると、ストレステストの突然の提案は「思いつき」以外の何ものでもないと断言できる。「思いつき」ではあるが、福島原発事故がつくり出した原発を取り巻く現在の状況が結果オーライとしているといったところだろう。

 「KAN-FULL BLOG」で最後に、原子力エネルギー依存からの脱却を含めた従来のエネルギー計画の白紙見直しと再生可能エネルギー導入、さらに省エネルギー促進という〈明確な“決意”を、1日1日の中でどこまで“形”に置き換えていけるか。今日も全力で取り組みます。〉と結果責任追求の姿勢を見せてはいるが、思考能力・表現能力を欠いていることに相互対応して指導力も政策創造能力も欠いていることが既に証明されてしまっているのである。

 何が期待できると言うのであろうか。既に退陣しか期待されていない一国のリーダーという逆説状況に立たされていに過ぎない。

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細野原発担当相の被災者に寄り添わない「廃炉と避難住民の帰宅は別問題」発言

2011-07-12 07:20:50 | Weblog

 

 7月9日(2011年)、民主党本部で開催の民主党全国幹事長・選挙責任者会議の挨拶の中で菅仮免は福島第一原発原子炉の溶けた核物質の処理や廃炉に要する年数について次のように挨拶した。

 菅仮免「3年、5年、10年、最終的には数十年の単位の時間がかかる」(asahi.com

 この発言に関して7月10日当ブログ記事――《菅仮免は東電福島第一原発廃炉工程案を自身の情報発信とするために公表せずに温存した? - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で次のように書いた。

 〈菅仮免は廃炉の工程を自他の見通し如何に関わらず、「3年、5年、10年、最終的には数十年単位の処理の時間がかかる」とした。だが、数十年という長期に亘る処理の時間に伴って当然影響を与えることになる放射能避難者の生活について何ら言及していない。どの記事もそうで、原子力発電の視点のみに立った発言で終わっている。〉

 さらに、〈本来なら細野原発事故担当相等、政府側の誰かが立ち会って原子力委員会と東京電力が正式の記者会見を開いて公表すべき廃炉工程表案でなければならないはずだ。〉と。

 だが、細野原発担当相が廃炉問題に放射能避難者の帰宅は関係しないと7月11日の衆院復興特別委員会で答弁したと次ぎの記事が伝えている。

 《「廃炉と避難住民の帰宅は別問題」 細野原発相が答弁》asahi.com/2011年7月11日21時19分)

 自民党の吉野正芳氏の質問に対する答弁だそうで、福島第一原子力発電所の廃炉と、「警戒区域」から避難した住民の帰宅時期の関係についての答弁。

 細野原発担当相「これは全く別の問題だ。早く帰っていただける努力をしたい」

 また、住民が帰宅できる条件を次のように掲げたと言う。

(1)原子炉の状態が安定し、放射能がわずかな部分以外に出ていない状況
(2)地域の放射線量のモニタリングと、除染作業
(3)上下水道など社会インフラの復旧
(4)野積みになっている放射性物質を帯びた廃棄物処理

 要するに上記条件がクリアできたなら、廃炉作業の脇で普通の生活は可能だとの認識を示したことになる。

 枝野官房長官も同じ趣旨の発言を昨7月11日の記者会見で行っている。《官房長官、被災者帰宅時期「原子炉廃炉と別次元の話」》日本経済新聞電子版/2011/7/11 19:54)
 
 枝野「(被災者の帰宅時期は)原子炉の廃炉などの最終的な手順の話とは次元が違う」

 廃炉には関係のない別問題だと言っている。

 枝野(事故収束工程表で示した原子炉の安定的冷温停止予定の「ステップ2」に進めば)「どの地域でどのくらいの時期に元の生活に戻れるか示せる」

 例え帰宅と帰宅後の日常生活に廃炉作業が何ら影響しなくても、被災者が何よりも知りたい情報のはずである。一般国民も関心を持って見守ることになる情報であろう。

 国会答弁や官房長官の記者会見ではなく、やはりこのことに絞った専門家を交えた国民向けの記者会見を開いて、スリーマイル島やチェルノブイリの廃炉を例に引きながら記者の疑問に答える質疑応答をも加えてより具体的且つ広範囲に疑問を解く方法で説明を尽くすことが被災者を筆頭に国民により多くの安心を与える最善の説明責任となるのではないだろうか。

 いわば菅仮免も細野原発担当相も枝野官房長官も「被災者に寄り添う」を復興・復旧にかける一つのキーワードとしていながら、その精神に反して廃炉と被災者の生活に関して説明責任を満足に果たしていないということである。

 被災者や国民に安心を与える説明責任を心がけるべき姿勢・誠実さを欠いていることからの不作為に違いない。

 朝日新聞とNHKが世論調査を公表しているが、朝日が「菅内閣を支持―15%」。「支持しない―66%」。NHKが「菅内閣を支持―16%」。「支持しない―68%」となっているが、当然の数値と言える。

 指導力は例え備えていたとしても国民に対する誠実さを欠いていたなら、十全な形を取り得ないはずだ。

 このことを逆説するなら、例え指導力を欠いていたとしても誠実さを失わなければ、その誠実さが不足した指導力を補うことになる。

 菅仮免は元々指導力を欠いている上に誠実さをも欠いているから、満足な政権運営ができずに立ち往生することになっている。


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