7月13日菅記者会見が個人的思いを述べたに過ぎないなら、記者会見を開いて国民に訂正・謝罪すべき

2011-07-16 06:59:52 | Weblog


 
 昨日(2011年5月15日)午後1時20分頃発信の評論家の江川紹子氏のツイートが、お互いにフォロー関係にあるわけではないが、忘れた頃に我がツイッターに表示される。こんなことが書いてあった。

 〈クリーンでオープンで、大局観があり、強い指導力を持ちつつ人の話に耳を傾け、判断は慎重かつスピーディで、反TPPで、脱原発で、消費税上げず、社会保障しっかりやり、米国にも中国にも毅然と対応し、共感力があり、正直でかつしたたかでもあり、漢字もちゃんと読める。そんな政治家いますかにゃ?〉

 で、まあ徒然なるままに昨夕9時半頃返信してみた。

 〈反TPP除外でいます。唯一人。菅直人の中に存在する菅直人です。日本の政治家も捨てたものではありません。ご心配に及ばず。本人は小便をかけられても何も感じない蛙のツラでそうと信じ切っています。ごめんなさい。小便などと下品な言葉を使って。〉

 〈反TPP除外〉と言ったが、〈消費税上げず〉も除外しなければならなかったと後で気づいた。二つの除外で済むのだから、菅直人の中に存在する菅直人の政治家としての優秀さ、自己過信に変わりはあるまい。

 7月13日の首相官邸で菅仮免が「脱原発依存」、「非原発依存社会」の実現を訴えた記者会見が中長期的な展望も計画性も欠いていただけではなく、党とも内閣とも議論・検討を加えないままの発言だったからなのだろう、岡田幹事長や枝野官房長官から、「首相の思い」を述べたに過ぎないと言われ、本人もそうであることを認めざるを得なかったに違いない、先ず15日の閣僚懇談会で認め、次に同じ15日の衆議院本会議で認めることとなった。

 《首相 脱原発依存は“個人の考え”》NHK NEWS WEB/2011年7月15日 11時49分)

 菅仮免「原発事故を受け、これまでの経緯を総合的に整理して、自分自身の決意と今後の方向性を個人の考えとして示した。将来的には、再生可能な自然エネルギーに重きを置いたエネルギー政策をやっていく」

 中野国家公安委員長(閣議後記者会見)「菅総理大臣は見解を発表されたけれども、閣僚はこのことを聞いたことがない。総理の気持ちを国民に説明するためにも、その真意は、折に触れて説明してほしい」

 海江田経産相「方向性は否定するものではないが、大事なことなので、いろいろなプロセスが必要だと思う」

 北沢防衛相「最近はとにかく、菅総理大臣が何か言うと、全部政局に絡めて『延命だ』などと言うが、総理が自分の思いを提示したあとは、その賛否について、政治の場で真剣に議論を行うべきだ」

 江田法務大臣「多くの国民が、原発の将来性について大きな疑問を感じているのは事実だ。総理の発言に対し、閣内や党内で議論が足りないという批判はあるが、総理として、『未来の方向は、こうではないか』と、国民に問題提起したということだと思う」

 菅支持・非支持の利害に応じて発言も肯定・否定の違いが出てくる。だが、菅仮免本人が「個人の考え」であって、政府の方針ではないと認めた事実は残る。

 次に衆院本会議。《“政府見解でなく個人の考え”》NHK NEWS WEB/2011年7月15日 17時5分)

 菅仮免「原発事故を踏まえて、エネルギー基本計画の見直しなどの検討が進んでおり、そうしたなかで、私自身の考え方として、原発に依存しない社会を目指すべきと考えるに至った。計画的、段階的に依存度を下げ、将来は原発がなくてもきちんとやっていける社会を実現していくべきだという、私の考え方を申し上げたところであります」

 だが、13日の記者会見は政府を代表する総理の立場で行った記者会見であり、発言の内容自体も政府の立場に立った発言であり、あるいは総理としての発言となっていた。

 改めて冒頭発言の最初の方の発言を振返ってみる。

 菅仮免「一昨日で、3月11日の大震災からちょうど4カ月目になりました。この間、大震災に対する復旧復興の歩み、被災者の皆さんにとっては、遅々として進まないという部分もあろうかと思いますけれども、内閣、自治体それぞれの立場で全力を挙げてまいっております。そうした中で仮設住宅の建設、あるいは瓦礫の処理など復旧の分野も着実に進むべきところは進んでまいっていると、そのように認識を致しております。そうした中で復興基本法が成立をし、6月28日に復興本部が立ち上がりました」

 決して個人としての発言ではない。続いて復興構想会議の提言が出たことや復興基本方針を今月中に纏める話、15日の第2次補正予算国会提出の予定となっていること、原子力事故収束の動きも進んでいるといったことの報告を単なる個人の思いとしてではなく、政府及び総理大臣の立場で発言している。

 特に断りがなければ、当然のこととしてエネルギー政策に関する発言も政府及び総理大臣の立場からの発言となり、「総理大臣記者会見」と銘打ったこととの整合性を得る。

 菅仮免「そういった中で、原発、あるいはエネルギー政策について、私自身の考え方を少し明確に申し上げたいと思います。私自身、3月11日のこの原子力事故が起きて、それを経験するまでは原発については安全性を確認しながら活用していくと、こういう立場で政策を考え、また発言をしてまいりました。しかし、3月11日のこの大きな原子力事故を私自身体験をする中で、そのリスクの大きさ、例えば10キロ圏、20キロ圏から住んでおられる方に避難をしていただければならない。場合によっては、もっと広い範囲からの避難も最悪の場合は必要になったかもしれない。さらにはこの事故収束に当たっても、一定のところまではステップ1、ステップ2で進むことができると思いますが、最終的な廃炉といった形までたどり着くには5年10年、あるいはさらに長い期間を要するわけでありまして、そういったこの原子力事故のリスクの大きさということを考えたときに、これまで考えていた安全確保という考え方だけではもはや律することができない。そうした技術であるということを痛感をいたしました。

 そういった中で、私としてはこれからの日本の原子力政策として、原発に依存しない社会を目指すべきと考えるに至りました。つまり計画的、段階的に原発依存度を下げ、将来は原発がなくてもきちんとやっていける社会を実現していく。これがこれから我が国が目指すべき方向だと、このように考えるに至りました」

 「私自身の考え方」と言っても、個人的な「私自身」ではなく、総理としての「私自身」であって、政府の立場に立った「私自身の考え方」でなければ整合性を失う。

 いわば政府の立場・総理大臣の立場で発言した国のエネルギー政策の大転換を図る、日本の経済と国民生活に将来に亘って深く関係する「脱原発依存」、あるいは「非原発依存社会」等々の訴えであったはずだ。

 だが、それが政府の立場として、政府を代表する総理大臣の立場で述べたエネルギー政策の大転換ではなく、個人の思いを述べたに過ぎないと訂正した。

 無責任極まりないが、その訂正も閣僚懇談会では閣僚に向かって、衆議院本会議では出席議員を直接的対象として行った。ここに国民が抜け落ちている。

 勿論国民はマスコミを通じて知ることになるが、あくまでも訂正対象は閣僚であり、国会議員であって、国民ではない。

 総理大臣記者会見は国民を対象として行う記者会見でもあるはずである。国民に語り掛ける思いや姿勢を込めて発言しているはずである。

 個人的な思いを総理大臣の立場からの考えとして、あるいは政府の方針であるが如くに国民に対しても話したに過ぎないとしたら、やはり訂正対象に国民を加えて、発言が総理大臣としての考えを述べたものではない、政府の方針を話したものではないと記者会見を開いて国民に向かって訂正し、謝罪するのが筋というものではないだろうか。

 この手の筋を通さないのは国民の存在を蔑ろにする無責任の上に無責任を重ねる態度と言うほかない。



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