日本国憲法前文と第13条は集団的自衛権行使の一根拠とはなり得ない 憲法の主体は前文以下の各条文にある

2015-10-15 09:32:07 | 政治

 安倍政権が個別的・集団的自衛権の行使が憲法違反ではないことの根拠の一つに憲法前文の文言に置いていることについて私なりに考えてみた。

 防衛省サイトの『憲法と自衛権』は日本国憲法9条の規定に関わらず、憲法が個別的自衛権と集団的自衛権を認めている根拠について書いている。

 個別的自衛権と集団的自衛権に触れている個所のみを拾い出してみる。

 最初に個別的自衛権。

 〈(2)憲法第9条のもとで許容される自衛の措置

 今般、2014(平成26)年7月1日の閣議決定において、憲法第9条のもとで許容される自衛の措置について、次のとおりとされました。

 憲法第9条はその文言からすると、国際関係における「武力の行使」を一切禁じているように見えますが、憲法前文で確認している「国民の平和的生存権」や憲法第13条が「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は国政の上で最大の尊重を必要とする旨定めている趣旨を踏まえて考えると、憲法第9条が、わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置を採ることを禁じているとは到底解されません。〉・・・・・・

 次に集団的自衛権。

 〈わが国による「武力の行使」が国際法を遵守して行われることは当然ですが、国際法上の根拠と憲法解釈は区別して理解する必要があります。憲法上許容される上記の「武力の行使」は、国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合があります。この「武力の行使」には、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするものが含まれますが、憲法上は、あくまでもわが国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、わが国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるものです。〉・・・・・・・

 つまり日本国憲法は憲法前文や第13条に照らし合わせると、決して「武力の行使」(=個別的自衛権)を認めていないわけではなく、さらに国際法上の根拠と憲法解釈を区別して考えると、我が国の存立を全うし、国民を守るため、即ち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置が生じた場合は集団的自衛権も許されるとしている。

 では、〈憲法前文で確認している「国民の平和的生存権」〉とは前文の何を指して言っているのだろうか。

 前文からその個所を取り出してみる。

 〈日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。〉

 〈平和のうちに生存する権利を有する〉、つまり他国から武力攻撃を受けた場合、国民の平和のうちに生存する権利は個別的自衛権による武力の行使によってしかその権利を守ることができないということであろう。

 次に憲法第13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を見てみる。

 〈第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。 〉

 これも他国から武力攻撃を受けた場合という前提条件をつけて、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利が脅かされることになり、その脅威は「武力の行使」(個別的自衛権)によってしか除去できないゆえに、憲法9条は自衛権まで禁止しているとは思えないというわけである。

 憲法前文は前文以下の各条文が国家権力に対して恣意的権力の行使を規制するために絶対的に守らなければならないこととして個別・具体的な規定となっていることに反して憲法の理念、あるいは憲法の趣旨を述べているに過ぎない。

 もしここに個別・具体的な規定に類似した決め事を求めるとしたら、主権が国民に存することを宣言していることぐらいで、主権在民の実際的な個別・具体的規定は前文以下の条文に求めなければならない。

 例えば第11条の〈国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。〉、第13条の〈すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。〉、第15条の〈公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。〉、第43条の〈両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。〉、第97条の〈この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。〉等々、全て主権在民であることの個別・具体的な規定として表現されている。

 要するに前文と前文以下は後者の個別・具体的な規定を絶対的姿としなければならない決まり事に対してその理念を反映させた姿という関係――前文以下を主とし、前文を従とする関係にあるはずである。

 前文が個別・具体的な規定でない以上、前文を主とすることはできない。もし主としたなら、小説の全体を短く纏める形の前置きを主とし、小説の中身全体を従でとするような滑稽なことになる。

 であるなら、武力行使(=自衛権)に限って言うと、主はあくまでも憲法9条の規定であって、その規定を絶対的に守らなければならない決まり事としなければならない。

 〈第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 〉――

 この規定を主として憲法の理念である前文のいわゆる「国民の平和的生存権」を従の位置に置いて解釈するなら、武力の不行使と武力の放棄、さらに交戦権の否認に基づいた「国民の平和的生存権」の確立を求めていることになる。

 第13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」にしても、前記と同じ条件下の「国民の権利」でなければならない。

 例え他国から武力攻撃を受けたとしても、厳格に9条を守った上で前文で言っている〈平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した〉とする理念に則らなければならないだろう。

 かくこのように憲法前文にしても、さらには第13条にしても、個別的、あるいは集団的自衛権の行使の根拠となり得ない以上、もし日本の安全保障上、個別的自衛権と集団的自衛権に基づいた武力の行使と交戦権を必要とするなら、前文以下の条文にそのことの規定を設けた憲法改正を求める以外に道はない。

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