「質問取り」は政治家の不勉強を許す時間とカネのムダ遣い

2009-11-01 12:40:26 | Weblog

 10月7日の「YOMIURI ONLINE」記事――《与党「脱官僚」へ国会改革…自民には警戒感》が民主、社民、国民新の与党3党が脱官僚に向けた国会改革に乗り出すことにしたと伝えている。官僚が答弁する「政府参考人」制度や委員会定例日の廃止等を検討、国会法改正も視野に「政治主導」の審議を目指すとしている。

 記事は以下のように「国会改革の主な論点」を挙げている。

 ▽官僚による国会答弁の禁止による政治主導の実現

 ▽委員会定数の削減による議員の専門性の強化

 ▽委員会定例日の廃止による審議時間の増加

 ▽「質問取り」を政務官に一任


 週2~3日の委員会定例日の廃止は、連日の委員会開催を可能にし、審議時間を増やす狙いがあるということである。

 民主党山岡賢次国会対策委員長(6日の党の会合で)「与党の質問時間を大幅に増やそうと思っている。徹底的な審議をして最善のものを作り出したい」――

 記事は改革の問題点を次のように挙げている。

 〈ただ、改革の前途は容易ではない。

 政府参考人の廃止で、閣僚や副大臣ら政治家は高度な答弁能力を求められることになる。委員会の定数削減には「少数政党の社民、国民新両党は委員を置けない委員会が出るため反発しかねない」(民主党国対幹部)との懸念もある。

 自民党も性急な改革に警戒感を隠さない。大島幹事長は6日の記者会見で「国会改革はできるだけ(与野党の)合意をもってやることが大事だ。民主党の思いだけでルールを決めてはいけない」とけん制した。〉――

 「閣僚や副大臣ら政治家は高度な答弁能力を求められることになる」ことを覚悟で「政府参考人の廃止」の方向に持っていくことにした。

 “自分で答える”ことに決めたということである。

 官僚(=他人)に教えられた答弁でいくら的確・明瞭に答えることができたとしても、自分自身の言葉を使った答弁でない以上、殊更断るまでもなく、「高度な答弁能力」を示したとは言えない。他人に教えられた答弁であることを与り知らない国民は騙せるかもしれないが、教えた官僚には分かっていることだから、官僚の言葉の能力があってこその政治家の「答弁能力」ということで、手柄は常に官僚側が握ることとなって足許を見透かされ、本質のところで政治家自身が官僚に頭が上がらない政治家をつくることになり、官僚に対する人事管理の統率能力までも欠くことになる。

 いわば自民党政権下では国会答弁だけではなく、政策立案の面まで官僚依存にどっぷりと浸かることになって、政治家は官僚の操り人形と化していた。結果、官僚の好き勝手を許すことになったということなのだろう。
 
 民主党はそのような自民党政権の官僚依存を反面教師として、「脱官僚」・「政治主導」を掲げた。

 だが、国会答弁に於ける「政府参考人の廃止」を主張しながら、「質問取り」は「政務官に一任」という形式で継続させて、国会答弁に役立たせる。

 民主党が「高度な答弁能力」を自らに課す覚悟の方法として「国会改革」の一つとして掲げた官僚が行ってきた質問する与野党議員に事前にその内容を聞き、省庁側の答弁を作成する「質問取り」を官僚を外して「政務官に一任」は一見「脱官僚」・「政治主導」に添った作業のように見えるが、実態は「脱官僚」・「政治主導」に反した矛盾した方針と言えるのではないだろうか。

 国会で何をどう追及されるか、その質問事項は鳩山首相の政治献金問題、沖縄の基地移転問題、高速道無料化と地球温暖化二酸化炭素25%削減の可能性の問題、自衛隊のインド洋での給油等の補給支援活動問題、アフガン対策、子ども手当て等の民主党政策の財源問題、過去最大の95兆円に膨らんだ概算要求問題、国債を発行しないとしていた当初政策変更の有無の問題、経済成長戦略の欠如問題、マニフェストに掲げておきながら、あとで変更する政策のブレの問題等々、中には選挙戦当時から自民党やマスコミによって指摘されていたことで、すべて予想できた追及点であろう。

 これらの問題を一つ一つ取り上げて、どう追及されるか想定し、追及に対してどう答弁するか自らが理論武装する。その過程で自ずから「高度な答弁能力」が誘導されるはずである。

 また政策立案に関しても、それが自らの手による立案なら、各政策は政治的創造性や政治的洞察力と理論と各種統計の裏付けを兼ね合わせて成り立つものだろうから、政策の立案と併行して理論武装は自身の手によって構築されていくはずである。

 政策の立案自体が官僚依存の場合、政策に関わる理論武装は官僚自身の習得に帰す。政策の立案に関与しないことによって理論武装の機会を持たない政治家が持たないままその政策に関わる質疑を国会で行う場合、国会答弁がその政策に関わる理論武装を果たしている「政府参考人」たる官僚に依存しなければ満足に消化できないのは当然の道理としてあるプロセスであろう。

 民主党が「脱官僚」・「政治主導」を掲げてその逆を行くとした以上、理論武装を自動的に作動させなければならないから、官僚に依存しなくても国会答弁に困るはずはなく、当然のこととして「高度な答弁能力」を自明の理としなければならない。

 いわば「質問取り」は官僚は勿論、政務官も行わなくても済む不必要事項となる。

 それを「政務官に一任」ということなのだから、時間とカネのムダ遣いと言わざるを得ない。

 ところが平野官房長官は「政務官に一任」ということならまだしも、その方針をあっさりと捨てて、各府省の国会担当の官僚に与野党議員への「質問取り」を指示、「脱官僚依存」に矛盾しないかとマスコミに指摘されて、次のような趣旨で言い繕った。

 平野(15日記者会見)「政務官的なスタッフや政務官自らが質問を取るのが理想だが、あくまで答弁は政治家がする。矛盾することにはならない」(時事ドットコム

 鳩山首相「官僚にそれぐらいの手伝いをしてもらうのはあり得る話だ」(同時事ドットコム

 「『質問取り』を政務官に一任」
と「それくらいの仕事」は官僚にやらせないと「国会改革」を掲げていながらの「官僚にそれぐらいの手伝いをしてもらうのはあり得る話だ」となっている。

 自民党大島理森幹事長「あまりにも言うことが変わりすぎる。早く国会を開き、政治主導の在り方や内閣と立法府の関係を論じる必要がある」(47NEWS

 野党としての当然の反応だろう。

 この「官僚依存」の変心は質問取りだけで終わらなかった。首相官邸の内閣総務官室が官僚に対して「国会答弁資料」を作成するように文書で指示、マスコミに「官僚依存への逆戻りか」と騒がれて、すぐさま撤回。

 平野官房長官は質問取りは官僚にやらせても、一度は「あくまで答弁は政治家がする。矛盾することにはならない」と言った。断言した?宣言した?兎に角言った。

 官僚にやらせるのは「質問取り」までと思いきや、「国会答弁資料」まで作成させるべく指示を出した。これをおんぶに抱っこと言うが、これでは「あくまで答弁は政治家」と言っても、官僚に教えられた言葉を機械的に駆使する、あるいは他人の言葉をさも自分の言葉のように喋るだけのことで、政治家自身の答弁とは決して言えない。

 当然、官僚に依存した見せ掛けの「高度な答弁能力」ということになる。

 このようなことは理論武装していないことによって起こる。政策立案まで遡って自分の手で行ってこなかった他人任せが原因する理論武装を欠いた同じ他人任せの答弁ということであろう。

 これまで質問取りや国会答弁で時間外の長時間労働を官僚に強いてきたという。官僚の居酒屋タクシーもこういったことで起こったさもしいタカリ行為と言えるだろうが、民主党政権が「ムダ遣いの徹底排除」を掲げながら官僚に長時間残業の時間とカネのムダ遣いを強いる「質問取り」を行わせるのは自分たち国会議員の不勉強から官僚依存の無為・無策の上に胡坐をかいているからだと把えられても仕方があるまい。

 国会議員だけではなく、県会議員から市町村議員まで、日本全国津々浦々で役人作成の政策づくり、議会答弁づくり、さらに国内外視察の報告書づくりまで行われていることを考えると、その時間とカネのムダ遣いとさらに上は国から市町村の下までの議員と称する者たちの不勉強の総合計は空恐ろしくなるくらいの天文学的数字を示すのではないだろうか。

 民主党は麻生太郎と同様にギリギリまで踏ん張るということを知らないようだ。

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