ミャンマー軍政の迫害を逃れてなのか、タイに小船に乗って逃れようとしたミャンマーの少数民族ロヒンギャ族がタイ国軍に拘束され、暴行を受けたりなどして海上に放置されインドネシアに漂着している事件を2月5日(09年)の「毎日jp」記事≪インドネシア:西部にミャンマー少数民族が漂着 「タイで暴行受けた」≫が伝えていたが、纏めてみると――、
1.インドネシア政府の発表。
・スマトラ島のアチェ州沖で、1月7日に193人、今月3日に198人のロヒンギャ族の避難民を発
見。
飢えや疲労で漂流中に20人以上が死亡し、生存者も衰弱が激しい。
・「政治的迫害が理由の難民ではなく、経済的事情による移住目的」として送還を表明。
3.ロヒンギャ族「タイ南部で軍に拘束され、暴行を受けた。その後、小舟で沖に運ばれ、3週間にわた
って漂流を続けた」
4.治療に当たったインドネシア人医師「避難民の体には、むちか棒によるとみられる傷が残っている」
5.タイの人権団体「タイ海軍が沖合を航行していたロヒンギャ族数百人を拘束し、わずかな食料と水
を与えて再び公海上に放置した」
6.タイ・アピシット首相「海上放置の証拠はない。・・・・(避難民は)仕事を目的にした違法入国者
」
7.インドネシア国内のイスラム団体は政府に対し、ロヒンギャ避難民の保護を求めている。
8.記事解説
・「タイ南部ではここ数年、イスラム国のマレーシアやインドネシアに向けて脱出したロヒンギャ族
が漂着するケースが増加。不法入国したロヒンギャ族がイスラム武装勢力の手先になっているとの
見方もあり、軍が警戒を強めていた。」
・「インドネシア当局は当初、避難民の送還を発表していたが、国連や人権団体の懸念表明を受け、
「人道的見地に基づいて対処する」と方針を転換。今月開かれる東南アジア諸国連合(ASEAN)
首脳会議などの場でミャンマー、タイと協議する考え」
9.ロヒンギャ族
ミャンマー西部ヤカイン州に多く住むイスラム教徒の少数民族。仏教国であるミャンマーの軍事政権
は、国籍を与えず、迫害の対象にしてきた。多くが国外に逃れ、日本にも群馬県を中心に100人以上
が生活。・・・・・
インドネシア政府の発表どおりに「政治的迫害が理由の難民ではなく、経済的事情による移住目的」なのかどうかは現在のところ不明のようだが、タイのアピシット首相がタイ海軍による「海上放置の証拠はない」と否定しているものの、「海上放置」と言うよりも、実態は“海上遺棄”と言うべきで、その種の出来事があったことは事実であろう。
相手はモノではなく、集団の人間である。自国領内に入れて保護すべきを領内には入れずに海上を曳航して、遥か沖にモノではない百人以上もの人間を置き去りにしたのだから、決して「放置」とは言えず、遺棄そのものである。
実際にも「飢えや疲労で漂流中に20人以上が死亡し」ているのだから、「放置」という表現では生易し過ぎる。
タイ側の「海上放置」否定に関しては2月3日の「CNN」記事≪ミャンマー難民200人、インドネシアの海岸で発見≫)が、<CNNは疑惑を裏付ける画像を入手済みで、うち1枚の画像には、難民190人前後の船がタイ国軍によって沖にけん引される様子が写っている。難民の1人はCNNに対し、タイ当局が6隻の古い船に乗っていた一行を沖に連れ戻し、放置したと語った。>と伝え、タイ側の反応を次のように報道している
<タイ国軍は疑惑を全面否定しているものの、関係筋はCNNに対し、難民の海上放置を認めた。関係筋は、難民らに食糧と水を十分与えたとしたうえで、タイの住民らが毎月大勢漂着するロヒンギャ族を恐れていたと語った。住民らは窃盗や脅迫をはたらいているとして、ロヒンギャ族を非難している。>
「窃盗や脅迫をはたらいている」は罪薄め・責任逃れの薄汚い口実に過ぎないだろう。「毎月大勢漂着」ということなら、海軍の艦船による海上警備だけではなく、警察による海岸線及び陸上警備も行っているだろうし、住民も発見次第警察等に通報するだろうから、身柄はそれが保護という状態であろうと拘束という状態であろうとも警察か軍の手に渡る。
例え一人二人逃れたとしても、住民保護の手前却って警備は厳しくなるだろうから、不安を与えることはあっても、実害までは考えにくい。
例え実害が発生したとしても、“住民が恐れている”ことを以ってして海上遺棄の理由には決してならない。
上記「CNN」記事は、<ミャンマー難民をめぐっては1カ月前、イスラム系少数民族ロヒンギャ族が乗った船が、タイ国軍によって海上に置き去りにされた疑惑が浮上した。今回発見された難民らが同じグループかは不明。>としているが、2月4日の「AFP」記事≪インドネシア、漂流中のロヒンギャ難民約200人を保護≫は複数の「国際人権団体」の証言として、「前年末にタイ沿岸部に上陸したロヒンギャ難民約1000人が、わずかの食料とともに小舟に分乗させられ、海上に放置されたと主張している。」と伝えているから、彼らが漂流後、「1月7日」の「193人」、「今月3日」の198人」のインドネシア海軍による保護へとつながったのではないのか。
このことは「AFP」記事が「病院に収容されたあるロヒンギャ難民の男性(43)」の証言として証明してもいる。<仲間1000人あまりとともにタイ軍兵士に身柄を拘束された後、孤島に連行され、2か月後にロープで繋がれた小舟数隻に分乗させられ沖合いに放置された。>
さらに男性自身の直接の言葉として次の証言も載せている。「水も食料もないので毎日のように誰かが死に、私が乗っていた小舟では漂流中に約20人が死んだ。遺体は祈りを捧げた後、海に流した。その後漁船に発見されインドネシア海軍に引き渡された」
そう、「漁船に発見されインドネシア海軍に引き渡された」――タイの住民も同じように当局に知らせるという手続きを取るはずだから、住民が恐れているとする根拠はかなり怪しくなる。
「AFP」記事は最後にダメ押しをする。「タイ政府はロヒンギャ難民への暴行や海上放置を激しく否定しているが、前月7日にスマトラ沖で保護されたロヒンギャ難民174人も、同様の証言をしており、タイ政府への非難が高まっている」
少数民族ロヒンギャ族のミャンマーに於ける存在状況を「東京新聞」インターネット記事≪ミャンマーの「ロヒンギャ」軍事政権から迫害≫が次のように教えてくれる。
<少数民族ロヒンギャは、ミャンマー西部ラカイン州に住むイスラム教徒。軍事政権から迫害され、タイやマレーシアへの密入国が増加傾向にあるとされる。
仏教徒が多数派のミャンマーでは、軍政がロヒンギャをバングラデシュからの不法移民とみなし、百三十五の自国の少数民族の中に含めておらず、ほとんどが国籍も与えられていない。ラカイン州には約八十万人が居住しているとみられる。
人権団体などによると、軍政はロヒンギャの移動の自由を厳しく制限。強制労働なども課せられ迫害を受けている。一九七八年と九一年には国軍が不法移民を取り締まる軍事作戦を展開。数十万人が隣国バングラデシュに避難した。>
但し、続けて次のように伝えている。<タイ南部ではイスラム教徒が多数派を占め、二〇〇四年以降、分離独立を求める武装勢力のテロが頻発し三千人以上が死亡。タイ国内にはロヒンギャの不法移民が同勢力の手先になっているとの根強い批判がある。>・・・・・・
このことも事実なのか、ロヒンギャ族排斥正当化の言い逃れなのか、厳しく検証する必要がある。
上記「AFP」記事が伝えていた「孤島に連行され、2か月後にロープで繋がれた小舟数隻に分乗させられ沖合いに放置された。」とするロヒンギャ難民の男性証言の「2か月後」という時間経過はタイ政府上層部で扱いについて検討が加えられていたことを物語る。タイ王国軍内部の一部部署による独断行為であったなら、時間を置かずに決行されたはずだからだ。
勿論、国防省を含めた軍部内でのどうすべきかの議論の決着に手間取ったということもあるが、手間取ると言うことは自分たちで簡単には結論を見い出せない状況を言い、さらに結論を見い出せないということは責任を取れない状況をも指すから、当然外務省や政府そのものに判断を仰ぐ方向(=責任を預ける方向)に動いたはずである。
いわばタイ政府も関与したロヒンギャ族海上遺棄の国家犯罪であろう。この国家犯罪はかつてのナチスが見せたユダヤ人虐殺と同じ線上にある一つの民族に対する抹殺意志、あるいは抹殺衝動を例え規模は小さくとも、また自覚はなくとも、タイ政府にしても同じように発動せしめたということではないだろうか。
一般にタイ国民は国王への敬愛が深い、敬虔な仏教徒で多く占められているという。「Wikipedia」はタイ国と国民を次のように紹介している。
<伝統的に王家に対して崇敬を払うよう国民は教えられているが、実際は自主的に王家を敬うものが殆どで、国王や王妃の誕生日には国中が誕生日を祝うお祭り状態となる。
また、誕生日の前後には、肖像画が国中に飾られる。日常生活においても、国民の各家庭やオフィスビル、商店や屋台に至るまで、国王の写真、カレンダーや肖像画が飾られている。映画館では本編上映の前に『国王賛歌』と共に国王の映像が流され、その間観客は起立し敬意を表わすのが慣わしとなっている。現代でも不敬罪が存在する数少ない君主国であり、最近も国王を侮辱する画像が掲載されたことを理由にYouTubeへの閲覧アクセスが長期にわたり遮断された。
特に現国王であるラーマ9世(プーミポンアドゥンラヤデート)は、その人柄と高い見識から国民の人気が非常に高い。>云々。・・・・・
「Wikipedia」にも書いてあるが、国王はまたタイの政治危機に際しては直接仲介や仲裁に乗り出し、政治勢力も国軍勢力も国王の指示に従って混乱を解消している。
<近年においても1992年に発生した5月流血革命の際にプーミポン国王が仲裁に入った他、2006年の政治危機でもタクシン首相の進退問題に直接介入するなど、国王の政治や国軍への影響力は極めて大きい。>(同「Wikipedia」)
タイ国民が国王の仲介、仲裁をよしとするのはそこに判断の正しさ・行為の正しさを見るからだろう。つまり正義を行う人とされている。いわばタイ国王は正義を行う存在だと看做されている。正義体現の存在だと意義づけられている。正義体現者であるからこそ、タイ国民はそのような国王に対して価値観の同一作用を生じせしめて深く敬愛の念を抱くのだろう。
当然のこととして、国王を深く敬愛する者は強制されるか、洗脳されていない以上、自らの道徳観を国王が持つ正義感と主体的に響き合わせる価値作用を発動せしめる。国民が国王を正義の存在として深く敬愛しながら、国王の持つ正義感を日常普段の自らの行為・行動に於いても自発的・積極的に表現することができなければ、国民の国王に対する敬愛は形だけのものとなる。国王自身の正義の体現も意味を失う。そこに対象が持つ価値観との同一作用があるからこそ、タイ国民は仏教の教えの影響もあって「敬虔」なる国民性を獲得することとなったということであろうし、そういうことでなければならない。
国王の持つ正義と国民が示す国王に対する敬愛及び国王を見習った正義は国民の代表たる政府が最も色濃く政治に反映させなければならないのは言を俟つまい。そうでなければ国民が自らの期待像としている国民性に対する裏切り行為を働くことになる。
ミャンマー軍事政権が少数民族ロヒンギャ族を異教のイスラム教徒だからと迫害するのはある意味整合していると言える。軍事政権自体がならず者の集団だからだ。国際社会が何ら有効な手を打てないことの方が問題であって、ならず者の価値観からしたら、「国籍を与えず、迫害の対象にしてきた」は筋が通っていると言えなくはない。
だがミャンマーと同じ仏教国家であっても、タイは(国民の95%が仏教徒「Wikipedia」)国王が同じ仏教徒であり、しかも正義の体現者として存在していて強く敬愛しているという点で状況が違ってくる。既に触れたように敬愛の念を通して対象が持つ価値観との同一作用を生じせしめて、国民は正義志向を自らの道徳観にもしているはずである。
ところがそのような国王と国民の価値観に反してタイ政府はナチスのユダヤ人虐殺にもつながりかねない一つの民族に向けた抹殺意志、あるいは抹殺衝動を「海上遺棄」の形で強行した。国家権力として行った。
タイ政府はこれをどう説明し得るのだろうか。それともタイでは仏教のすべてが形骸化していて、国王にとっても国民にとっても単なる仏教的慣習に従っただけの形式的な教えの習得となっているに過ぎないということなら、国王が体現していると見られている正義も、国民がそれに見習って表現する正義も国王に対する敬愛の念も、それらがタイ国民に植えつけることとなった敬虔さも、それが必要な状況が生じた場合に発揮される自身の利害得失に合わせた機械的態度――状況主義的対応に過ぎないということになって、国民の代表たるタイ政府の民族抹殺にもつながる、その一片を示す「海上遺棄」も理解できなくはなくなる。