「キルビル2」の試写会に行ってきた。
Vol.1を“動”だとすると、Vol.2は“静”。あいかわらず過激な描写を道具として使っているし、血みどろ笑グロアオミドロなイカすナンセンスサウンドトラックなんだけど、根底には副題に「ザ・ラブ・ストーリー」とあるように、いたってまともで普遍的な大文字の「LOVE」が描かれていてびっくり。
タランティーノは、ビデオ屋の変態従業員の延長線上のアリアから軽やかに浮上し、これまでのベースラインを基礎としつつも、また毛色の違うメロディーを奏ではじめたようだ(←うまいこといいますな、拙僧も)。
印象に残ったシーンはたくさんあったけど、ネタバレしちゃうとそれこそ「キル」されそうなのであえて書かないでおこう。
あと、言っときたいのが「スタッフロールの最後までちゃんとミロ!(セガ田三四郎風に)」ということだ。「スタッフロールは読まなくてもいいから終わるまで席を立たないのが違いの分かる男の作法ってなもんだぜ?」とか、そういう話ではない。つまり、なんでか知らないが、スタッフロールが異様に凝っているのだ。喩えるなら、そう、偏執と偏愛と偏屈が融合した「ねるねるねるね」を例の婆さんが口に入れる寸前に横取りしちゃったような、なんかそんな感じだ(例えになってない)。さらにいえば、梶芽衣子ファンならクリビー間違いなし、なのである。
上映時間だが、本編が136分くらいあった。1時間36分だと思ってたので、この進数桁を間違えたのはイタく、ちょっとのっぴきならないキルな状況に、あとで追い込まれたり。
にしても、試写会なんぞにわざわざ来るヤツってのは、基本ろくでもない。ほんのちょっとした何気ないシーンで、「うひ? うひひひ。……ウヒョ?」とかいった、「ボクチン、このシーンの元ネタしってるもんね~♪ ゲフン」的な思わずドスを握り締めたくなる系の笑声を、頼んでもいないのに上げてくれたりするので、首を切り落として墓土を盛ってやりたくなる一幕も。
ゲストのオーレン石井が、
_,,.-'" ̄ヽ < ヤ
/λ ヾj < ヂ
i:/ \ | < マ
l ` ´ヽ、_ノ < イ
| ‥ |ノ < ナ
i、 {ニ} ,i < ァ
>ー '",、 ∠ |
/ y'"/ ヽ VVVVV
と言ってたよ(主に俺の心のなかで)。
今日、30,000個限定生産の割には結構最近まで予約できていたVol.1のDVD-BOXが届いた。週明けにはここぞとばかりにこのBOXに入っている、ブライドが着てたオキナワTシャツ(Lサイズ)を着て、出社しようと思う。そして、出張という名のキャバクラ通いをアメリカで満喫してきて血色がいいであろう上司の肛門に、名刀ハットリ・ハンゾウ(1/10スケールモデル)をブッ刺してやりたい。さらに、小腹が減ってどうしようもないときには、ベアブリック(“マーダー・ブライド”バージョン)をチューイングして、とりあえず唾液を出そう。
思ったのが、復讐するブライドと復讐されるビルという構図が、今まさしくこの現世(うつしよ)で起こっているイラクV.S.アメリカにもあてはまるなぁ、と。
たとえば、こちらで紹介されていたこの記事(一部抜粋)。
「私がその小汚い医院にいる間に、米兵に撃たれた女性や子供たちがひっきりなしに運び込まれた。ひとりの女性は首を撃たれ、息をするたびに妙な音をたて、苦しそうにもがいていた。
同じく首を撃たれた小さな子供は、医者が必死で命を救おうとする間も、うつろな目を空に向けて、口から何かを吐き続けた。30分たったころ、医者は二人の命をあきらめざるをえなかった。
夜になると、私たちは地元民の家に泊まった。そこの家主は、自分がここ数日間に撮影したビデオを見せてくれた。次々に出てくる、血まみれになって殺されたファルージャ市民たちの映像・・・中でもひどかったのは、お乳を吸っていた赤ちゃんが、母親の胸から引き剥がされ、海兵隊員によって、無惨に殺されてしまった姿だった。。」
――実際に起こっている出来事は、常に己の想像を上回っているかもしれないと思うと、目眩にも似た自己の存在意義の揺らぎを感じる。
このタイミングで殺し(=破壊)と愛(=創造)という相反する要素を観客に突きつける「キルビル2」は、破壊神であり創造神でもあるヒンドゥー教のシヴァ神のような存在を想起させる。結果、期せずして同時多発的な時代背景を吸収するという名画の条件をクリアーした、示唆深い内容足りえている。
何としても劇場興行期間中にチェックすべき作品であると、本ブログでXserveしておきたい。
・追記
「タランティーノ監督、「キルビル」3作目を計画」しつつ、「キルビル・ゼロ」を企画中の噂。
Vol.1を“動”だとすると、Vol.2は“静”。あいかわらず過激な描写を道具として使っているし、血みどろ笑グロアオミドロなイカすナンセンスサウンドトラックなんだけど、根底には副題に「ザ・ラブ・ストーリー」とあるように、いたってまともで普遍的な大文字の「LOVE」が描かれていてびっくり。
タランティーノは、ビデオ屋の変態従業員の延長線上のアリアから軽やかに浮上し、これまでのベースラインを基礎としつつも、また毛色の違うメロディーを奏ではじめたようだ(←うまいこといいますな、拙僧も)。
印象に残ったシーンはたくさんあったけど、ネタバレしちゃうとそれこそ「キル」されそうなのであえて書かないでおこう。
あと、言っときたいのが「スタッフロールの最後までちゃんとミロ!(セガ田三四郎風に)」ということだ。「スタッフロールは読まなくてもいいから終わるまで席を立たないのが違いの分かる男の作法ってなもんだぜ?」とか、そういう話ではない。つまり、なんでか知らないが、スタッフロールが異様に凝っているのだ。喩えるなら、そう、偏執と偏愛と偏屈が融合した「ねるねるねるね」を例の婆さんが口に入れる寸前に横取りしちゃったような、なんかそんな感じだ(例えになってない)。さらにいえば、梶芽衣子ファンならクリビー間違いなし、なのである。
上映時間だが、本編が136分くらいあった。1時間36分だと思ってたので、この進数桁を間違えたのはイタく、ちょっとのっぴきならないキルな状況に、あとで追い込まれたり。
にしても、試写会なんぞにわざわざ来るヤツってのは、基本ろくでもない。ほんのちょっとした何気ないシーンで、「うひ? うひひひ。……ウヒョ?」とかいった、「ボクチン、このシーンの元ネタしってるもんね~♪ ゲフン」的な思わずドスを握り締めたくなる系の笑声を、頼んでもいないのに上げてくれたりするので、首を切り落として墓土を盛ってやりたくなる一幕も。
ゲストのオーレン石井が、
_,,.-'" ̄ヽ < ヤ
/λ ヾj < ヂ
i:/ \ | < マ
l ` ´ヽ、_ノ < イ
| ‥ |ノ < ナ
i、 {ニ} ,i < ァ
>ー '",、 ∠ |
/ y'"/ ヽ VVVVV
と言ってたよ(主に俺の心のなかで)。
今日、30,000個限定生産の割には結構最近まで予約できていたVol.1のDVD-BOXが届いた。週明けにはここぞとばかりにこのBOXに入っている、ブライドが着てたオキナワTシャツ(Lサイズ)を着て、出社しようと思う。そして、出張という名のキャバクラ通いをアメリカで満喫してきて血色がいいであろう上司の肛門に、名刀ハットリ・ハンゾウ(1/10スケールモデル)をブッ刺してやりたい。さらに、小腹が減ってどうしようもないときには、ベアブリック(“マーダー・ブライド”バージョン)をチューイングして、とりあえず唾液を出そう。
思ったのが、復讐するブライドと復讐されるビルという構図が、今まさしくこの現世(うつしよ)で起こっているイラクV.S.アメリカにもあてはまるなぁ、と。
たとえば、こちらで紹介されていたこの記事(一部抜粋)。
「私がその小汚い医院にいる間に、米兵に撃たれた女性や子供たちがひっきりなしに運び込まれた。ひとりの女性は首を撃たれ、息をするたびに妙な音をたて、苦しそうにもがいていた。
同じく首を撃たれた小さな子供は、医者が必死で命を救おうとする間も、うつろな目を空に向けて、口から何かを吐き続けた。30分たったころ、医者は二人の命をあきらめざるをえなかった。
夜になると、私たちは地元民の家に泊まった。そこの家主は、自分がここ数日間に撮影したビデオを見せてくれた。次々に出てくる、血まみれになって殺されたファルージャ市民たちの映像・・・中でもひどかったのは、お乳を吸っていた赤ちゃんが、母親の胸から引き剥がされ、海兵隊員によって、無惨に殺されてしまった姿だった。。」
――実際に起こっている出来事は、常に己の想像を上回っているかもしれないと思うと、目眩にも似た自己の存在意義の揺らぎを感じる。
このタイミングで殺し(=破壊)と愛(=創造)という相反する要素を観客に突きつける「キルビル2」は、破壊神であり創造神でもあるヒンドゥー教のシヴァ神のような存在を想起させる。結果、期せずして同時多発的な時代背景を吸収するという名画の条件をクリアーした、示唆深い内容足りえている。
何としても劇場興行期間中にチェックすべき作品であると、本ブログでXserveしておきたい。
・追記
「タランティーノ監督、「キルビル」3作目を計画」しつつ、「キルビル・ゼロ」を企画中の噂。