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モラモラ会社員がムラムラしながらお届けするヌルヌルアーカイブ。

ゲド戦記は少子化対策映画だった! でXserve

2006-08-27 | シネシネアーカイブ
ゲド戦記をみた。
「宮崎吾郎? どうせダメジュニアでしょ?」という先入観。知育コンテンツのようなコンサバCM。「つまらない」という周りの評価。どうでもいい豪華声優陣。正直ぜんぜん期待していなかった。でも、すごくよかった。

人はいつか死ぬんだと。持っているものもいつかすべて失うんだと。苦しいが、限りがあるからこそ宝物になりうるのであり、天からの慈悲(人間の本分?)なんだと。そんなシンプルなメッセージが、ストレートに伝わってきた。こういうベタなのをクオリティー高くやられると、俺はけっこう弱い。

ファンタジーの様式美的なところをつっけんどんに表現しきっているのもよかった。取捨選択がちゃんとできている感じ。ガキは本能で感じとれ。大人は分かるやつだけ分かればいい――という、本来は非常にマイナーなことを、メジャー配給でやるというのは文句なくすばらしい。

そして、限りある命だからこそ子孫を残していけ、といわんばかりの締め。これも素直にすばらしい。厚労省は認定すべきだ。ゲド戦記こそ、少子化対策映画である――と。

思えばガキのころから宮崎アニメに慣れ親しんできた。ものごころついたときには、ルパンの再放送をみていた。親が毎週末、未来少年コナンのビデオを借りてきていっしょにみていた。

そして、「風の谷のナウシカ」。上映前のあの劇場内の特別な空気はいまでも鮮明に覚えている。その空気は、細野晴臣が作曲し安田成美が歌っていたテーマ曲によってもたらされていた。2本立てになっていて、1本目は「名探偵ホームズ」のTVシリーズ2本が上映された。これもガキにとってはもうたまらないハヤオ流エンターテインメントだった。そのあとに始まった王蟲やらメーヴェやら蟲笛やらユパさまやらガンシップやらやらなどの圧倒的最高品位の妄想ビジュアルの連続。当時8歳になったばかりの俺は、完全にヤられてしまった。

その後、一時期はラピュタ派に転向したこともあったが、いまはやっぱナウシカがいちばんすげぇと思う。

個人的には、カリオストロからラピュタまでがハヤオ黄金期で、トトロ以降は商業主義に走ったんだと思っている。この転換点に、ハヤオは目的のひとつを達成したんだろう。それはたぶん有名になるとか、成功したいとかそういうことだと思う。手塚治虫へのコンプレックスとかなんかいろいろあったらしいが、ラピュタで商業的に軌道にのったことがデカかったんだろう。

その後はもうひとつの目的であるロリコン趣味を極めることに注力。見事、千と千尋で結実した。あれは非常に業深い映画だ。昔の湯屋で女の子が働くというシチュエーションは、いまでいえば「風呂に沈める」のメタファーだし、千尋の動きだけほかのキャラよりやたら細かいのもとても気持ち悪い。変態ストーカー・カオナシは自分自身だ。しかし、そういう自分の恥ずべき趣味を、完全にパンツを脱いで国民的映画たらしめたハヤオはやはり天才だ。そもそも、すぐれた民話とは、そういうグロテスクな人間の欲望が渦巻いているものだ。「本当は怖いグリム童話」という本がむかし流行ったけど、そういう現代のフォークロアをあらたに創造し、しかも大ヒットさせてアカデミー賞までとり、ディズニーに世界配給させるなんて、あまりにすごい。そんなことを意図的にやれている監督は、世界中どこを探してもまずいない。

しかし、その後がまずかった。成功→ロリコンときて、その次のハングリーがなかった。
適当に外国から原作をもってきてつくったハウルは、心底クソだった。

天才ハヤオは、すでに死んだ。
そして、ゴローがやってきた。

で、デビュー作がコレなんて。
出来すぎているゼ?

波が…ジェーンが、来る!? Xserve

2006-08-07 | ヌルヌルアーカイブ
ここんとこ、断続的に波が来ている。

むつかしい仕事で数字をだしてニュースになったり。潜水艦の探査ソナーのような位置づけで出した論文が全国へのきっぷをつかんだり。グロービスマネージメントスクールの「クリティカル・シンキング」を無事に卒業できたり。プロジェクトが評価され社内報で取材されたり。いい仕事がいい仕事を呼んで億単位の大商いになりそうだったり。誰もがびびってお願いできない最高のブレーンと仕事ができそうだったり。

時間はぜんぜん足りない。毎日眠い。しかし、手応えだけはやたらある。今年、いやでも俺は、きっと何かが変わるだろう。

そして今日もまた、ひとつの試練がある。
伝説のビッグウェーブ――ジェーンに乗れるか、乗れないか。

ああ。ドキがムネムネする。