もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

主体思想家の書類送検に思う

2021年08月25日 | 北朝鮮

 主体思想の研究・普及活動家2名が書類送検されたと報じられた。

 容疑は、他人名義の航空券で羽田~高知間の定期便に搭乗したもので、想像では自動チェックイン機を操作したことで「私電磁的記録不正作出・同供用容疑」という立派な罪名が付けられたものと解釈している。
 逮捕されたのは、練馬区の自称会社役員の男(74)、豊島区の自称自営業の男(65)と報じられているが、ネット上では「日本教職員主体(チュチェ)思想研究会全国連絡会の会長と主体思想国際研究所事務局長ではとされている。
 なりすまし搭乗は運航関係者にとっては重大な事柄であろうが、一般的には説諭に留まる微罪で、悪くても航空会社のブラックリストに記載される程度であろうが、公安が書類送検したのは「なんでもお見通しですので、ほどほどに」という警告の意味を込めているのだろうと勝手に推測している。
 主体思想に支えられた北朝鮮が世界の鬼子と化し、抑圧、人権無視、先軍政策に起因する食糧不足、等々で主体思想の破綻と失敗が明らかとなった現在も、それを信奉して普及(布教)に挺身している人が存在し続けているのには驚きである。
 日本教職員チュチェ思想研究会全国連絡協議会とは、北朝鮮と朝鮮労働党の指導思想であるチュチェ思想を学ぶ教職員の団体で、全国各地の支部と数百名の会員で構成され、会員には日教組に所属する教職員も含まれているとされている。同会の活動は、過去には学校の授業で北朝鮮の歌を教えて「偏向教育」と糾弾されたこともある等尖鋭的で、現在でも沖縄県で毎年、主体思想を学ぶセミナーを開催し、全国から教職員等が多数参加しているらしい。
 ウィキペディアでは、主体思想は北朝鮮の指導思想で、1955年の金日成演説に端を発しており、1960年代後半までに「主体思想」という名称で体系化され、1967年には「唯一思想」となり、1972年には憲法にも盛り込まれ、1980年の朝鮮労働党大会で「全世界の主体思想化」が目標とされて外国での普及も図られた、とされている。
 主体思想の理論体系の全てを理解するのは自分の能力を超えているが、巷間に流布されている「無謬である金一族が頭脳となって労働党を指導し、人民は頭脳の命令に従う手足と化して祖国を統一・団結させる」という解釈で十分であろうと思っている。自分よりは遥かに優れた頭脳を持つであろう大学教授や諸先生方が、この一見して忌まわしいと思える理論のどこに惹かれ・共鳴するのかは理解できないが、主体思想という鰯の頭も噛み締めれば麻薬効果が生じるのかも知れない。

 先に、国事犯の概念と規制法令が無い日本では思想犯は有り得ないために、外国勢力からの使嗾に対しても電波法や外為法でしか処罰できないと書いたが、都合で乗れなかった人の搭乗(乗車)券を拝借する行為も「私電磁的記録不正作出・同供用容疑」という立派な罪名の犯罪として利用できるようである。
 本朝のTVは、指定暴力団工藤会々長の死刑判決で騒然としているが、ISや主体思想に共鳴する知識人の不可解さに比べれば、まだ判り易い犯罪・動機であるように思う。


横浜市長選に考える

2021年08月24日 | 社会・政治問題

 横浜市長選が終わり、立憲民主党推薦の山中竹春氏が当選した。

 横浜市民ではないので、選挙結果と横浜市民の選択を論うこと適当ではないとは思うが、敗北した候補者について考えてみた。
 自民党推薦で国家公安委員長まで勤めた小此木八郎氏は、敗れるべくして敗れ、かつ、無様に負けたの感が深い。
 ID野球で名を馳せた故野村克也氏は「勝ちに不思議の勝ち有り、負けに不思議の負け無し」との名言を残しているが、小此木氏の敗戦は「IR誘致反対」を公約した段階で、既に決していたように思える。小此木陣営は、自民党支持者に加えてIR誘致反対勢力の取り込みを目論んでいたものであろうが、結果的にはIR反対票は山中氏に流れ、誘致推進派の票は林市長に流れる結果となったものと思っている。
 無様な敗戦と書いたのは、「付け焼刃的な選挙公約」は決して有権者には響かず、却って候補者の人物像を「変節漢」と際立たせることにしか繋がらないことである。これまでにも国政・自治体選挙の如何を問わず、所属政党の政策や自身の議会活動実績に反して「消費減税」や「改憲阻止」を突如として掲げる候補者が散見されたが、有権者の嘲笑に迎えられ好結果には結びつかなかったと思っている。小此木氏も、横浜市100年のために政府とのパイプを以てIRを推進と論陣を張れば、敗れたとしても市民の啓蒙や爾後の市政に大きな影響を与え得たのではないだろうか。
 選挙に敗れた小此木氏と林氏は、ともに政界を引退するとしているが、林氏は、少子化による税収減少の補完手段としてのIR誘致が容れられなかったとは言え清々しく選挙結果を受け容れて、節に殉じた人物と評価されるであろうが、小此木氏にあっては、節を曲げて不確かな世論に迎合しようとした変節漢として後悔を残しつつ余生を過ごすことになると思っている。

 小此木氏の敗北を変節の故と書いて来たが、実は選挙戦で掲げたIR誘致反対の本意・本気度は不明である。ただ一つ言えるのは、IR誘致反対が真の所信であったならば、自民党の推薦は辞退したであろうことだけである。首長を選ぶにあたって有権者は、強いリーダーを求めるとともに、未知数ではあっても斬新な人物に期待を寄せることから、山中市長当選も必然であったのかも知れない。
 以後は、横浜市民の物語となるが、市議会での支持基盤に難点を持つ山中市長の選挙公約実現の前途は、必ずしも洋々たるものでは無いようである。


新自由主義を学ぶ

2021年08月23日 | 与党

 経済学に暗いので、巷間で批判・攻撃されている新自由主義の功罪を勉強した。

 付け焼刃なので的外れや誤った点も多いと思うが、一般市民の平均(以下?)レベルの考察・観察と割り引くとともに、新自由主義反対論者からの御教示を期待しています。
 各国の経済政策を一言でいえば「経済活動と富の配分に関する政府の関与」をどの程度にするかであり、新自由主義は政府の規制・関与を「野放し」と表現できるほどに最小化して、経済を完全な自由競争と市場原理に任せる政策を指していると思う。
 新自由主義の対義語は何かといえば、政府関与の度合いに応じて共産主義・社会主義・社会民主主義と様々であり、新自由主義反対論の多くが、政府関与の度合いをどの程度にすべきかという「立ち位置」を明確にしないままに語られているため、自分のような素人は新自由主義の良否について判断に迷っているのが現実である。
 日本の戦後史を振り返ると、3公社5現業、電力大手の地域分割、米の統制、公定料金の設定、等に見られるように、資本主義社会では稀有の社会主義的経済政策を採用し復興には一応の成果を挙げていた。しかしながら、公的な独占経済体制・企業は競争力を失うとともに官財癒着の弊害が顕著になったことから、次第に政府の規制は緩和され、小泉政権以降は新自由主義と称される様相を呈したものと思う。この変化については、野党の「岩盤規制撤廃」の主張・努力にも沿ったものであり、社会主義的経済から新自由主義に移行したのはリベラル政党の功績で、彼等も「規制緩和を勝ち取った」と勝利宣言した事例も少なからず記憶しているが、大きな政府構想を掲げた枝野氏が、どこら辺り釜では不明ながら先祖がえりを企図しているのは皮肉なものである。
 新自由主義経済は、必然的に過酷な競争原理を資本家と労働者に求めるために、当然の帰結として階層の分化と格差を生むとともに、アメリカ社会では「肥大化した資本家が政治権力すら握った」とまで囁かれている。
 一方で、社会主義型・多少穏健な社民主義的な経済政策は、国民が向上心や勤労意欲を低下させて経済活動を低迷させることは歴史が証明しており、中国の人民公社の失敗程ではないにしろ、コロナ禍の猖獗制御に一応の成果を見せたアメリカで、過剰な休業補償に馴れた労働者が職場に戻らないという事例も報告されている。

 新自由主義の行き過ぎによる格差是正や中国を世界の工場視する体制改革は必要であると思うが、政府の関与を如何ほどにすべきか、極めて難しい選択であるように思える。
 なお、新自由主義反対論の多くは、新自由主義で達成した現在の経済規模をベースにして改革を論じているが、社会(社民)主義的経済は必然的に減速・縮小する運命にあるとともに、規制の強化は起業意欲の減退や新規参入者の減少を招きかねない面も持っており、後世の青少年からアメリカン・ドリームを奪う危険性を持っていることを考慮して論じて欲しいと思う。


令和2年発表の簡易生命表に思う

2021年08月22日 | 社会・政治問題

 昨2020年8月に「平均余命と艦船勤務」なるタイトルで平均寿命と平均余命について書いた。

 文末は、来年(2021年)の発表ではコロナ禍がどう反映されるのだろうかという疑問形であったので、調べて見た。
 厚労省の発表した簡易生命表で令和元年との変化を記すと、平均寿命では、男(81.41歳→81.64歳)で2.4カ月延び、女(87.45歳→87.74歳)で3.6カ月延び、75歳の平均余命を見ても、男(12.41年→12.63年)、女(15.97年→16.25年)とこちらも平均寿命と同程度延びている。
 令和2(2020)年のコロナ死者は、そう多くは無かったことによるものと思うので、死因についての厚労省データを調べて見た。表記は順位/死因/概略数の順。
 ①/悪性腫瘍/38万人、➁/心疾患/21万人、③/老衰/13万人、④/脳血管疾患/10万人、⑤/肺炎/8万人、⑥/誤嚥性肺炎/4万人、⑦/不慮の事故/4万人、⑧/腎不全/3万人、⑨/アルツハイマー病/2万人となっている。集計時点では、コロナ死者数はトップテンにも入らなかったことになるが、コロナ猖獗の今年にあっても第8位の腎不全死者数3万人を超えることは無いように思える。
 数字の上だけで見ると、中国コロナの脅威はそう大きくは無いようにも思えるが、コロナ死は個人個人が感染防止に努力することで、ある程度抑制できることが他の死因と大きく違うところであるように思える。
 各個人の努力が限界に近付いたために厭戦気分が高まり、度重なる緊急事態宣言も然程の効果を挙げなくなっている現在、罰則付きの外出制限やロックダウンを求める声が都道府県知事からも上がるようになった。外出規制やロックダウンは感染拡大防止に極めて有効な手段であるが、両者は憲法が禁止する私権の制限であり、時限措置であったとしても法制化できないものであるように思えるので、現行憲法の変更を認めない護憲派には口が裂けても主張若しくは同意できないものであろう。根本的には憲法を改正して緊急条項を設けることが必要と訴えた議員の主張を「火事場泥棒」と一蹴し、私権の制限は現憲法下でも可能とした某政党も、自衛隊や私学助成を憲法条文の読み替えでなし崩しに行った過去を「仏の顔も三度までは可」として容認するのだろうか。

 主題に戻れば、現時点いや2021年当初の時点では、平均寿命等は従来通りに順調?に伸びているが、さて、平成3年のデータではどうなるのであろうか。
 立派な人格への研鑽・陶冶はトウに諦め、スロットに幾許かの喜捨をすること以外生産に寄与しない身であれば、コロナのお召しにも従容としなければならないと覚悟しているが、20代~50代の人には、これまで以上の大いなる自制と自重を積み重ねて欲しいものである。


在アフガン大使館員の輸送に思う

2021年08月21日 | 防衛

 在アフガン大使館員の日本人12名が、友好国の軍用機でアラブ首長国連邦(UAE)のドバイに退避したことが報じられた。

 政府は、16日の時点で大使館の閉鎖と職員の国外退避を決定したが、その際、輸送に自衛隊機の使用を検討したものの最後には民間機のチャーターで対処することとしていた。
 諸外国に取り残された邦人の輸送については、2011年の自衛隊法改正や2014年の閣議決定で、自衛隊機を使用することが可能となったが、派遣できる前提として、自衛隊機の安全が確保される事態であることと、対象国政府の同意が必要条件であるとされている。閣議決定の背景には、北朝鮮情勢の変化による韓国からの邦人輸送が取り沙汰されていた時期で、韓国が自衛隊の艦艇・航空機が自国領域で活動することは、如何なる場合も拒否するという姿勢であったことが影響したと思っている。
 今回のアフガンからの邦人輸送に関しても、自衛隊機を使用するためにはアフガン政府若しくはカブール空港をコントロールしている機関の同意が必要であるということを墨守した結果であると思うが、大統領の国外逃亡によって政権が瓦解した無政府状態にあっては同意を得る機関が無くなってしまった。
 政府が決定した民間機による輸送は、軍隊/軍人の安全確保のために民間機/民間人を危険な任務に就かせるという、凡そ軍隊を保有する国では考えられないものである。
 商船の安全確保のために中東海域に自衛艦を派遣(それも監視のみ)する際にも、立憲民主党は自衛官の安全が確保できないという反対意見を予算委員会で開陳した。このことと今回の対処を併せ考えると、与野党ともに軍隊の使用については極めて無知であるという現実を知らされた思いがする。少なくとも、軍人(自衛官)の安全確保のために、商船員・民間パイロットの危険性を容認するという本末転倒は、軍事組織を保有する諸外国では到底国民の理解・信頼を得ることは出来ない。
 以前、危機管理の究極は簿外・マニュアル外の「泥縄」如何であると書いたが、今回の事例を考えれば、カブール空港は米軍によって空港機能が維持されていたので、地域をコントロールしている団体・機関を米軍と見做せば、米軍の同意で自衛隊機を派遣させることは可能であるように思う。

 現在なお、アフガニスタンには複数のJICA(独立行政法人国際協力機構)職員が遺されており、更にはタリバンの報復も予想される大使館現地スタッフやJICA協力者等200人程度が国外退避を求めているともされる。もし、彼等が何らかの迫害を受けた場合には、国際社会は一斉に日本を攻撃するだろうし、国外退避に手を貸さなかったのは軍人(自衛官)の安全確保のためという理由を、軍隊の何なるかを知っている諸外国は東洋の神秘として見逃してくれるとは思えない。
 宗教テロや民族紛争が多発する今、自衛隊員が外国で活動することを全て海外派兵と呼び、国民の安全よりも近隣諸国への配慮を優先するという、旧社会党が十八番としていた軛・呪縛から脱却する必要がある様に思える。