もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

稲尾和久氏と日本人

2022年09月22日 | カープ・スポーツ

 本日のオープニングは稲生和久氏の挿話とする。

 稲尾氏は、1937(昭和12)年に大分県別府市に7人兄弟の末っ子として生まれる。家業は漁師で童子期から手漕ぎ伝馬船に乗り漁業を手伝ったことで、度胸と強靭な下半身を手に入れることができたとの回想が残されている。中学校では生徒会長を務めるほど学業成績も優秀であったために育英奨学金を得て県立別府緑丘高等学校を卒業されている。
 1956(昭和31)年に西鉄ライオンズに契約金50万円、月給35,000円で入団し、野武士軍団の一員として西鉄黄金時代の立役者となった。特に、1961(昭和36)年に記録したシーズン42勝は今もスタルヒンと並ぶNPBタイ記録として残っている。また、連投・酷使にも耐えることから鉄腕稲尾と称され、1958(昭和33)年の日本シリーズでは巨人に3連敗したあと稲尾氏の4連投4連勝で制し「神様、仏様、稲尾様」と賞賛された。このシリーズで稲尾氏は7試合中6試合に登板(5試合に先発し4完投勝利)するという超人的活躍を見せた。現役引退後は3球団で監督を務められ2007(平成19)年に70歳で逝去された。
 稲尾氏を紹介したのは、西鉄入団時に得た契約金で最初にしたのは奨学金の返済であったとされているためであるが。余談ながら、高額の契約金を得たことを知らなかった育英会職員は、一括返済金を悪行で得たものと勘違いして、稲尾少年に改悛と更生を諭したとされている。

 稲尾氏に奨学金を貸与した国営の日本育英会は、平成16年に日本学生支援機構に改組されたが、改組の理由は貸与奨学金の返済償還が捗々しくなかったことが一因とされている。さらに、現在では貸与型奨学金は時代にそぐわないとして全額給付型奨学金の拡充や大学教育の無償化すら求める声も少なくない。また、現在の日本を牽引する方々の中には公費による私学助成金の恩恵を受けた人も少なくないように思える。
 この他にも、生活保護費の増額要求、コロナ給付・助成金の増額要求、・・・等々、公的な補助・助成の拡充・新設の要求は引きも切らない有様で、世の中挙って「金よこせ」の大合唱の様相を呈し、恩恵を受けた人も「これらは当然のことで、国恩とは感じないし感じる必要もない」としているように思える。
 国民を守るための防衛費の増額に「そんな金があるなら国民に配れ(還元)」的な主張を見ると、稲尾氏に代表される「良き日本人」「道理をわきまえた日本人」「国(国費)への報恩を忘れぬ日本人」はどこに行ってしまったのだろうかと思わざるを得ない。


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