改憲必要とも受け取れる立憲民主党奥野總一郎議員の私見が報じられた。
奥野議員は衆院憲法審査会の幹事で護憲の旗頭とも云える存在と認識しており、本ブログでも《東大卒の法学士でありながら「現行憲法の何が問題なのか分からない」という発言は疑問》と書いたことがある。
今回の発言は、衆院の憲法審査会で立憲民主党の公式見解である「改憲しなくても参院の緊急集会で対処可能」とは異なり、「参院の緊急集会では対処困難なものがある」と発言したものである。
憲法では、予算の決定や法律の制定に関して衆院の優位を規定しており、それらについて参院が否決しても衆院で再可決した場合には成立するとされている。いわば「予算と法律」について憲法は、参院の審議と採決は「参考的」と捉えていることは明らかで、その趣旨に照らせば、参考的な権能しか与えられていない参院の緊急集会決定を「最終決定」とするのは憲法違反であるように思う。奥野議員は漸くにして法学士としての知識・識見の一端を開陳したようにも思えるので、かって「紺屋の白袴」と揶揄したことをお詫びするところである。
昭和40年代までは「参院は良識の府」とされ、緑風会という会派が良識の象徴とされてきた。政争・政局から距離を置いて国政を観るという緑風会の姿勢に共感した党所属議員の何人かは、院内会派としての緑風会に身を置くこともあったので、衆院も緑風会の意見・良識に耳を傾けることも多かった。その後、参院の衆院化が進んで党議拘束が普通となり、党議拘束に違反すれば公認外しや選挙支援を行わないということから、緑風会の存在は消え、同時に参院の良識も無くなってしまったように思える。
参院野党第一党の立憲民主党を眺めても、自身も各種手当の恩恵に与る身でありながら「てとう」と理解していた田島麻衣子議員、他者への恫喝・侮蔑で名を挙げた小西洋之議員、政権の瑕疵攻撃には類稀な手腕(口腕?)を発揮する西村智奈美議員・杉尾秀哉議員・・・を観ると、彼等の決定が国家の大綱を定めることには些かの不安が伴う。書き忘れたいたが、経綸の片鱗も窺い知れない蓮舫氏も参院議員であらせられた。
この一事で君子豹変とまでは激賞できない奥野議員の発言を観ると、党利・党略を忘れ・自身の選挙対策などを離れて虚心に憲法を読めば、立憲民主党議員と雖も改正すべき点は数多く発見できるのではないだろうか。
大日本帝国憲法の発布時の「大日本帝国憲法発布ノ勅語」には《現在及将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス》とあって、「不磨の大典」の言は一般的に「欽定憲法としての素晴らしさと、改正の困難さを示したもの」とされているが、諸事に亘って大日本帝国を否定する諸氏が、マッカーサー憲法を「不磨の大典視」する可笑しさ・不条理さに奥野議員が目覚めてくれたのなら、喜ばしいことであるが。サテ
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