福島原発事故メディア・ウォッチ

福島原発事故のメディアによる報道を検証します。

経産省前の抗議テントに行ってきた!この人たちは原発事故の「難民」なのだ!

2012-01-31 18:15:18 | 新聞
霞が関の交差点、経済産業省前でテントを張って脱原発・福島の子どもたちの避難・原発再稼働反対を訴え続けていた人々のテント村を経産省側が撤去すると通告した期限が、1月27日午後5時。息をのんでその時刻を迎えたが、機動隊がやってきて強制排除をすることもなかった。まずは、ほっとしたところで、翌28日、東京で用事があるついでに、差し入れのお菓子をもって、応援に行ってきた。

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土曜の昼間の霞が関は、人っ子一人いない、まるで映画『渚にて』の核戦争後の廃墟のようであった。地下鉄駅の地下道からして、ダクトや数知れぬ配管・ケーブルがむきだだしで、なんだかトーチカっぽいのだ。地上の交差点には、機動隊のバスとパトカー数台。さては、いよいよ強制撤去か、と思わせる布陣であった。駅のトイレにやたら警官が多いと思ったら、この寒空の下、機動隊の面々が用を足しにきているのであった。

目指すテントはすぐにわかる。交差点の一角にのぼりやら横断幕やらに、怒りの文字がおどっているから。テント前には、折りたたみ椅子数脚。そこに座って話し込んでいる人に、これどうぞ、とお土産を渡そうとしたら、いや私は、きょう来てるだけだから、とテントの入り口に声をかけてもらった。そこには、署名簿とカンパ箱を前にしたおじさん、いや、おじいさんといった方がいい年齢の男性一人、店番といった感じで詰めている。「昨日は、どうでしたか。」「昨日はすごかったよ。700人くらい来たよ」「強制排除とか、だいじょうぶですか。あそこにいる機動隊はそのためですか。」「ああ、あれは違う。外務省に右翼が来てるから、それでいるだけ。強制排除なんてできないよ。もっと宣伝になるからね。」

まあ、中へ、といわれるままに、テントに入れてもらった。中には、やはりおじいさんに近いおじさんが数人。ちょうど九州のほうのテレビ(?)の取材が来ていて、一番奥の人にカメラを向けて話している。足元には、小さな携帯ストーブ。話しながら、おじさんは、それを私の方に向けてくれた。奥には、一段高くなったスペースがテント布一枚のカーテンを隔ててあり、そこが寝るところだろう。話を聞いている最中にも、テントを少し開いて、署名をし、カンパを置いてゆく人が、三々五々、時には引き続いて、何人も訪れた。私のように、昨日の撤去予告を気にしていた人が多い。外に座って話してゆく人もいるが、私のように、初回から堂々とテントに入ってくる人はいない。

「今度のヤマはどの辺でしょう?」とインタビューアー。「3・11。それから2・11も。動いている原発はもう3基でしょう。何が何でも再稼働させようとしてるでしょう。そうしないとなくてもだいじょうぶなことがわかっちゃうから。でも、みんなこんどは黙ってない。連合の内部でも、これではいけないという声がおおきくなっている」(へえ、と私は思った。だって、電力労連とか自分たちの雇用が心配で経営者と結託して原発推進だし、連合基盤の民主党大臣・議員もおなんじだし・・・)。

そのうち、交差点に車が止まり、運転したいた人が2リットル・ペットボトルの水のパッケージを持ってきた。その数20本ほど。これにはみんな大感謝。水の補給は、虎ノ門まで自転車で買いに行くが、重いので大変らしい。「いまのだれ?」「ほら、○○さんの知り合いで・・・」なんて、言ってたと思うと、「今日はじめてだよね」「いえ、前にも来てます」なんて受け答えもある。みんなで雑談している。「今回は、違う。女が動いたから。3000年におよぶ支配がこれで終わる」なんて、威勢のいい話もあった。

さて、その水を、ペット一本もらいに来た女性がいた。それまでも変だと思っていたのだが、このテントには、男しかいない。女性(と若者)がいない。話によると、テントは、男テント・女テントに分かれていて、女テントにはいまお客さんが来ているらしい。それでは、とそちらにもお邪魔しようと席を立つ。「また来てね」などといわれながら。

女テントは仕切りなし。「受付」用の机の奥にこたつを囲んで、20人くらいの人がひしめいていた。10人くらいがお客さんの若者。『福島の子どもたちを守る会』の方から話を聞いていた。「郡山では、チェルノブイリだったら強制避難に相当する線量なのに、国は何もしてくれない。自分たちと自分たちの子どもを守るために、できるだけのことをするしかない。」というような話をこの若者たちは、ときどきメモを取りながら一生懸命きいていた。話をする女性の横には、女の子二人を抱えたカップル。上の子は、興味津々で、聴衆を見回していたが、もう一人の子は、お父さんの胸に顔をぎゅとおしつけて眠っていた。小さい子供がもう一人、つなぎを着た赤ちゃんが、若者たちの後ろで離乳食を食べさせてもらっていた。この子たちもここで寝るのだろうか、と心配になってしまう。

このテントで、「できるだけのことをするしかない」人々は、国が見捨てた原発事故の難民なのだ。そして、ここにいる人たちの後ろに、地元福島には、多くの人々が難民となっているのだ。

「どちらから?」といわれたので、「関西から」というと、「このために?」「いや、すみません、ついでがあったもので。」「いえ、そういう方たくさんおられます。」カンパをして、「とつきとうか・テント広場行動」のバッジをもらって、テントを後にした。


ところで、福島の人たちの声を、海外で代弁してくれている人がいる。フランスの元環境大臣・コリンヌ・ルパージュだ。

コリンヌ・ルパージュ元環境相の緊急メッセージ - YouTube

彼女は「福島の女性たちに会い、彼女らの声を伝えると約束し、いろいろなメディアを通じてその通りにしました。」といっている。

「世界の環境大臣経験者たちの会議で、原発は、安全面からも経済面からも不可能であることがはっきりした」と。



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