福島原発事故メディア・ウォッチ

福島原発事故のメディアによる報道を検証します。

疑わしきは食せず!:これからも正々堂々、健全な「風評被害」でいこう!

2011-07-22 23:29:01 | 新聞
最初のセシウム汚染の牛肉が発見されてからほぼ2週間、今では、汚染の疑いのある牛の出荷は1500頭に近づいた。その分布も、規制値を超えた肉の販売が明らかなところで21都道府県、「疑わしい」にいたっては35都道府県、もう全国に散らばったと考えて間違いないだろう。大阪府は、20日に汚染の疑いのある肉を販売した小売り店名を公表する方針を出し、21日に公表した。公表した方が『こういう問題に耐える力が社会に醸成される』という知事様のありがたいおぼし召しからだ。『不安感が風評被害につながる』とも知事様はおっしゃったそうだが、私たちが何日か前に大阪府下の保健所に問い合わせたときは、「公表すると風評被害がうまれるから」といって非公開を正当化していた。どっちにしても風評被害で、愚かな大衆の集団心理的妄動がすべて悪い、という言い草だ。

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そしてこの牛肉汚染の元凶とされているのが、汚染された稲わらだ。福島ばかりでなく、宮城や岩手の稲わらもセシウムが検出され、さらにその稲わらが、原発から何百キロも離れた岐阜県三重県にも出荷され、当地のブランド牛の餌にされていた。

ブランド側とメディアは、またまた『風評被害が一番こわい』などと言っている。しかし、そもそもなんでこんなことになったのだ?農水省の課長はこの期におよんで堂々と、

『「稲作農家まで指導が行き届いていなかった可能性がある」。14日夜の記者会見で、農林水産省の大野高志・畜産振興課長は、指導に不備があったのでは、との質問にそう答えた。同省は原発事故後、各県を通じて畜産農家に対し、牛の餌となる牧草について、事故前に刈り取られたものや、屋内で保管されたものを与えるように指導した。しかし、稲わらの対策については手つかずだった。』

とし、『「盲点だった」と認識の甘さを認めた』のだそうだ。認識の甘さ!原発が爆発を起こし、メルトダウンが確実視されていた時に、言うに事欠いて『認識の甘さ』とは!ほんとうは単にそんなことではないだろう。

まず第一に、農水省と言わず、文科省・厚労省、そして言わずもがな、経産省など、ありとある国家機関と、その意を受けていい子にふるまう地方のお役所が、なにをおいてもしたかったことは何か。それは原発事故と放射線の危険を最小に見せかけ、放射線被ばくをあたりまえの日常に凡庸化し、そうして原発産業と東電と、その御用組織を守ることだった。したがって、第二に、彼らの意図は、間違っても放射線の健康被害から国民を守ることではなかった。むしろ、国民が本当の危険を認識することを阻むこと、国民の間に『認識の甘さ』を醸成・育成・強制することだった。食品レベルで言えば、彼らの意図は、最初から放射能汚染の食品を国民にできるだけ手際よくたくさん食べさせることだった。彼らが家畜の飼料レベルで「手抜き」をしたとしても、そしてそれを今になって『盲点』とか何とか、高級官僚の特権である「居直りバカ」になって認めたとしても、それは、もともと手抜きを許し、はげまし、教唆し、前提する暗黙の了解・職場の雰囲気・官僚たちの紳士協定が、彼らの間にあったからだ。もし、だれか、これがわからない地方大学出や三流私立大学出の職員が、「稲わらが、稲わらを、稲わらも、稲わらに、稲わらから、稲わらすら、稲わらは・・・・」と騒いでいたら、ずいぶんとひどい目にあったのではないか。

国家官僚から地方のオヤジ役人に至るまで、この連中が消費者の健康などどうでもよく、ただ彼らの商品を滞りなく販売し、そのためにむしろ放射能の一般的「消費拡大」に努めている様子は、こんなエピソードからもうかがえる。

三重県松坂市の市長は、はセシウム汚染肉が問題になり始めて1週間ほどの16日の時点で、『福島県からの子牛や飼料の稲わらの仕入れはない』から『松阪牛は安全』と、堂々と宣言した。ところが、22日になって、『宮城県登米市内の稲わらを4月から7月にかけ約2.4トン購入し飼料として使用』した生産者がおり、それを食べた牛の肉はすでに販売されたいたことが明らかになった。この生産者は16日の時点では『盲点』だったとでもいうつもりか、最初からまじめに調べる気のないことは明白で、とにかく「OKということにしてしまう」姿勢が露骨だ。

また、共同通信によれば、今後の牛肉の放射線検査は、
『政府は22日、・・・簡易機器を使った放射性物質の検査を容認する方針を固めた。全頭検査の実施に当たっては、膨大な検体に対応する自治体の検査態勢が課題。早急に態勢を整え、消費者の安心感を取り戻すためには、現在使われている精密な検査機器に加え、簡易機器も活用してスクリーニングすることで、効率化する必要があると判断した。』

『消費者の安心感を取り戻すためには』という目的意識が露骨なこの『効率化』された簡易検査体制が引き出す結論は、初めからわかっているではないか。いつも後出しで、かっこだけつけて「やりましたよ」という体裁を確保する。もともとやる気がなく、本当に汚染食品をチェックして流通から排除しようという意図も意志もないから、とりあえずの責任逃れができればいい。ばれたときには『認識が甘かった』、でももうみんな消費されてしまったからいまさらしょうがない・・・。

ところで、問題の稲わらを乳牛たちは食べていなかったのだろうか。というのも肉の話ばかりで、牛乳の汚染が話題にならないからだ。『牛が食べた飼料中の放射能が牛乳の中に入って体外に出る割合は、・・・・セシウムではもっと高く十数~二十パーセント前後である』『食卓にあがった放射能』56ページ)。報道された稲わらの中にはキロ当たり5万7千ベクレルというのもあった。

別の報道では、ある畜産家のところでは、稲わらを一頭当たり日に2Kg食べさせるという。それが上の稲わらだったら、1日当たり11万4千ベクレルの摂取。もしこれが乳牛だったらその乳に影響が出ないわけがない(乳牛の飼料が肉牛とそんなに異なるというなら、その事実をしっかり報道すべきだ)。しかし、牛乳のセシウムについては、いっこうに話を聞かない。そんな時、こんな報道が思い出された。

『28日午前2時35分ごろ、大津市野郷原2の名神高速道路下り線で「ヤマラク運輸」=山形県白鷹町=のタンクローリーが道路左側のガードレールに衝突し、横転した。積み荷の牛乳18トンの一部や軽油が道路や近くの瀬田川に流出』


「ヤマラク運輸」という会社は、山形県酪農業協同組合の子会社で、『地元山形で搾乳された新鮮な生乳を16t、20tミルクタンクローリーで関東、東北各地へ毎日輸送します』という会社だ。その『新鮮な生乳』がなぜはるばる滋賀県大津市に来ていたのか。むろん、関西以西で加工されるためだろう。肉は混ぜられないが、液体は混ぜられる。セシウム検出のリスクがある原乳なら、最初から遠隔地に運んで当地のものと混合し、そのうえで流通させれば検出のリスクはなくなる。ただしむろん、放射能自体はなくならない。

上で参照した高木仁三郎・渡辺美紀子著『食卓にあがった放射能』(以下『食卓』)は、チェルノブイリ後の状況について書かれているが、今の日本の情勢でも大変役に立つ本だ。その中で、汚染された肉がソーセージなどの加工品に、汚染牛乳が脱脂粉乳などの形態で飼料に変えられて流通した話が出ている。今後、私たちが直面するのは、このような現実だろう。混ぜること、形を変えてわからなくすること、秋からはいよいよわれらが瑞穂の国の誇るお米にも同様の問題が生ずるだろう。

当局には、放射能汚染を食い止めよう、国民の被ばくを抑えようという意志はまるでない。それどころか、汚染水の無責任な放出と同様、広く拡散させてしまえば分らなくなるという発想で、汚染をすべての国土すべての国民に広げようとするだろう。関西広域連合は放射能汚染されたものを含むガレキを受け入れ、それを関西で焼却して、灰は埋め立てに使うという。また、放射性の下水汚泥も肥料として「加工」することが認められた(反対署名こちら)。放射能の拡散など、おりこみ済みというか、それでいい、というか、そうなってほしいのだろう。

あげくの果てに、この放射能拡散政策から身を守って被ばくを避けようとする私たちを、放射能自体より有害な『一番こわい風評被害』をばらまくものとしてお説教をする。風評被害でけっこうです。ソーワット?『食卓』47ページに注目すべき図がある。これは、チェルノブイリ後のハンブルグで人体中のセシウムを測定した結果だが、測定結果は「食物に気をつけた人」と「食物に気をつかわなかった人」に分けて集計されている。時間の経過によって変化があるが、おおよそ「気をつけた人」は「気をつかわなかった人」に比べて少なくとも200ベクレル、多いときで300-350ベクレル少ない被ばくで済んでいる。これは、「気をつかわなかった人」の半分の量である。「気をつける」ことは、だから決してばかにならない。疑わしきは食わず、買わず、当局が何とか私たちに被ばくさせようとしている今このときこそ、健康で健全で強靭な風評被害でがっちりと身を守ろう!

ところがここに、原発推進でもなく、当局でもないのに、「汚染食品を食べろ」という人がいる。いまや世間で知らぬ人とてない京大の反原発助教・小出浩章氏である。私も原発事故後の氏の発言・事故の分析には大変ありがたい思いをした。しかし、以下のように言う氏の姿勢にはまったく同調できない。

『今現在、福島原発から噴き出してくる放射能が土地を汚染し、海を汚染し、そして野菜などの食べ物を汚染している。・・・誰だって、放射能など食べたくない。しかし、消費者が汚染された農産物・海産物を拒否すれば、農業と漁業は崩壊する。…正確な情報を与えられずに来た消費者は騙されてきたのだと言えないことはない。しかし、騙された者には、騙されたことに対する責任がある。子どもたちは放射線感受性が高いので、汚染された食料を与えてはならない。何よりも子どもたちには原子力を許した責任がない。しかし、私を含めた大人には、責任のない者は一人もいない。農業・漁業を崩壊から守るためには、私たち大人があえて汚染食品を食べるしかない…』『放射能汚染の現実を超えて』2ページ)

小出氏は、他のところで、汚染食品を豊かな国のニッポン人が拒否すると、それが他に食べる物のない第三世界に回されることになる、という議論も加えて、汚染食材贖罪消費論を展開している。大人にはみんな責任がある、というのは、このブログでもおなじみの毎日ゆうだい君を思わせる。小出氏はその上に、第三世界に代表される「弱者・犠牲者」に対する搾取者・収奪者・簒奪者・虐殺者である「先進国」の原罪を呼び起こして、豊かな財・エネルギー消費を享受する先進国の消費者は、結局、その原罪ゆえに死に値する、と言っている。この議論の中に、ゆうだい君を持ちあげる「罪悪感による原発容認」誘導や、マッドドクター中川恵一らの「死の受容」や、「本当の被害者」である農・漁民を守るためには「一番こわいのは風評被害」というという当局と共通するものを感じるのは私だけだろうか。小出氏の子ども保護の図式にもおかしなところがある。今、仮に、危機に瀕した共同体がその成員が生存するためのぎりぎりの食料しか持っておらず、しかもその一部は放射能汚染されているとする。放射能汚染の食料も生存のためにだれかが食べざるを得ない。その場合、放射能に対する感受性の観点からも、汚染食料を年長者が食べるという選択は理にかなっているように見える。この状況でこの選択をするのには、別に「原発を許してきた責任」とか、「農漁業の崩壊」とか、「第三世界の飢餓」とか考慮する必要はない。小出氏は、こうしたサルトル(小出先生、きっとサルトルあたりお好きでしょう?)なんかが操作しそうな「極限モデル」におけるモラル原則を、「子ども」という大方の人が反論しにくいポイントを軸にして現代の日本に重ね合わせ、「責任」云々の論点をこっそりと滑り込ませている。これは大変に不誠実な論理的操作だ。さらに、どうして大人の責任の取り方が「汚染食品を食べる」という儀式的自己犠牲行為に収れんするのだ。責任の取り方は様々だろう。その中には、誰も汚染食品を食べずに、しかも農業・漁業の人々の生活を守るべく、考え、発言し、行動することも含まれるだろう・・・。

私は、断固として、小出氏の「一億総ざんげ反原発版」なんてものは絶対にお断りだ。現実的にも、汚染を隠ぺいし、混合し、平準化しようとする当局の前では、「大人が汚染食品を食べる」ということは、子どもにそれを食べさせないことを全く保証しない。それどころか風評被害に抵抗するかしこい大人、世界内存在の罪深さに戦慄するセンシティブな大人が汚染食品を受け入れたら、それは全くそのままで子どもにも回されることになる。セシウム牛も、習志野船橋で、すでに給食で出ているではないか。

放射能汚染が国民すべてにいきわたれば、やがて福島医大のダマシタ先生らが行う疫学調査で使用される原発事故圏外の「対照グループ」の被ばく線量・晩発障害も大きくなり、それだけ、原発事故の影響・原発放射能による健康被害が低く見積もられることになるだろう。それは、「世界一」を目指すダマシタ教授グループはもとより、ICRP,IAEAなど、全世界の原子力マフィアにとって願ってもない好結果ということになる。福島の子どもが「ぼくたちはモルモットなんでしょう」と言っているという。ル・モンドにも報道された。しかし、モルモットは福島だけではない。アメリカの黒人指導者マルコムXは、自称民主主義国家アメリカの大好きなまやかしを鋭くついて、こういっている。

『おれたち黒人は、アメリカの市民ではない、おれたちはアメリカの犠牲者だ。』

私たちにも同じことが言える。

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