佐賀県の古川康知事は、オヤジは九州電力の幹部社員で、自分も真っ先に『国のプルサーマル計画の玄海原発3号機導入に同意、全国初の実施につなげるなど「原発容認派」で知られる』原発村の利権男だ。その古川知事が佐賀県の玄海原発再稼働に『前向き』な姿勢を示したということだ。すでに地元玄海町は、町長以下原発マネーに涎を垂らしてなんと福島原発事故からわずか1カ月の時点で『5月中に再開するのが好ましい』と『再開容認』を売り込んでいた。
しかし、そのころには、知事自身は『「(国の安全基準を)クリアしてさえいれば(再開して)良いというわけではない」・・・「国の安全対策が見えない中で、再開うんぬんの話ではない」』と地元の勇み足を相手にせず、その後も慎重派の姿勢をこんなふうにアピールし続けていた・・・。
・・・・・・・
5月17日『古川知事は・・・「運転再開に支障なし」と判断した保安院の説明は不十分とし、現時点で再開の判断はできないと表明』
6月3日『古川康知事は・・・玄海原発再開の判断時期について、「今の段階でいつごろに判断すると答えるのは難しい。県民の安全確保が最優先だ」と強調した』
6月06日『古川知事は「まだ道筋を持っていない」などと答え、慎重に判断する考えを繰り返し強調した』
6月08日『古川知事は「私どもは『安全第一』の考えでやっていますと申し上げた・・・」などとし、再開問題については引き続き、安全確保を最優先に取り組む考えを示した』
6月10日『古川康知事の話 ・・・とにかく安全性の判断、確認が一番のメーンで、・・・』
6月11日 『古川康知事は10日、九州電力玄海原発2、3号機の運転再開をめぐり、・・・必要性よりもまずは安全性だ」と定例記者会見で語った。あくまでも国の緊急安全対策が十分なのかの確認を優先させる姿勢を強調したものだ』
6月14日イタリアの脱原発国民投票結果を受けて『古川康知事は「当然の結果」と淡々と国民投票結果を受け止めた。安全性確保が優先とし、再稼働に慎重姿勢を示している古川知事は「福島第1原発事故があったのに、賛成という結果が出る方が驚く」とし、「一度廃止された原発を再開するというのはゼロのものを増やすということと同じだ。それはどこであれあり得ない」と指摘した』 (注:「どこであれ」って言ってますよ!)
しかし、古川知事のこの慎重姿勢が突如変化して、住民を気づかうやさしいおばあさんの化けの皮がはがれ、耳まで裂けたオオカミの口から臭い息を発しながら玄海原発再稼働容認を語り始めるのは6月17日。
『九州電力玄海原子力発電所(佐賀県玄海町)2、3号機の運転再開問題で、佐賀県の古川康知事は17日の県議会一般質問で、「中部電力浜岡原発の停止要請問題を除けば、国の説明は一定程度理解できる」と述べ、国に求めていた再開条件が一部を除きクリアされたとの認識を明らかにした。これまで古川知事は一貫して運転再開に慎重姿勢だったが、初めて前向きな考えを示したものだ』
以後、一方で、国が選んだ住民代表と経産省の役人が語り合う自称「説明会」を演出してアリバイ工作を図りつつ、他方では『再稼働容認』という最後の切り札を安売りしないように、見え透いた結論をわざわざ迂回するかのような自作自演の思わせぶりで、
6月23日『「立地県の知事として安全確保が最優先だが、電力需給も全く無関心ではない。日本全体の経済や社会の中で、今回の再起動をどう考えるのかも私に求められている。様々な意見があり、非常に悩んでいる」』
などと、もったいをつけたので、盟友の自民党県議の中には『「知事は再起動に前向きなのか」と疑問を持った県議もいた』くらいだった。いや、これでいいのだ。欲望ギロギロで利権モロ出しの自民党の土建屋いなか県議とはお育ちも学歴も経歴も、役者が違う。どうせ最後は、『再稼働容認』という「責任ある苦渋の選択」に落ち着くのだ。それまでにとれるだけのものはとっておこう。そのためには、決断は困難を極めなければならない。タイムリミットぎりぎりまで「安全」ネタでごねれば、それだけ多くの政治的利益を引き出すことができる。
いよいよ29日、知事は海江田経産大臣を、九州のサイハテの佐賀まで呼びつけて頭を下げさせた:
6月29日『海江田氏は「緊急対策をとり、安全は確保できている。再開については国が責任を持ちます」と述べ、直接、運転再開に理解を求めた』。
古川知事はむろん、すぐに承諾なんぞしない。『さらなる安全性の確認』だの、議会の意向だとか、首相がはっきりしないとか保留や文句をつけて、せり上げをはかる。しかし、経産相との会談後、その日の夕方には、『「安全性はクリアできた」として、再開容認の姿勢を示』すに至るのである。
最初から決まっていた「玄海再稼働」を容認するのに、利権地元・玄海町の露骨な売り込みから遅れること2カ月半、いったいこの間、古川知事は何を手に入れたのだろう。
むろん、選挙対策。東電福島原発を推進してきた福島県佐藤知事でさえ、議会に同調して今さら恥知らずにも『脱原発』を宣言した(その前に原発誘致の責任をとって辞任しろ!)。福島ほどでないとしても、今軽率な原発推進姿勢は、政治生命の命取りとなりかねない(福井県知事はじめとして、原発立地県知事はみんなこの認識では一致しているだろう)。「住民の安全が第一、再稼働容認には慎重」という出だしは、補助金喪失の危機感で目を血走らせた地元自治体のなりふり構わぬ迷走が予想されるだけに、絶対に欠かせない。
ではこの状況をいったいどうかわして原発再稼働に持っていけるか、と思っていた矢先、「浜岡原発停止」という管首相の政治決断が下された。これには、全国の原発知事同様、古川知事も、足元をすくわれてあっけにとられ、怒り、いらだったことだろう。それは、古川知事が繰り返し、首相に対して「浜岡の責任」を持ち出すことからもうかがえる。しかし、この逆境はチャンスでもある。ここで、浜岡のハンディをひっくり返して、原発再稼働の『全国の「火付け役」になる』ことができたら、古川の原子力利権組織への貢献は多大なものとなるだろう。将来の政治的(そしてその他もろもろの)見返りも少なくないはずだ。そこで、古川は、あたかも、保安院に模擬試験を課すかのように『宿題』を出し、彼らに全国キャンペーンの予行練習をさせてやる。
『5月17日に保安院から緊急安全対策の説明を受けた古川康知事は、浜岡原発だけに停止要請した理由のほか、福島の事故は地震で原子炉が損傷したのではないか▽プルサーマル運転中だった福島第一原発はMOX燃料を使っていたため被害が拡大したのではないか――という3点の説明を求める「宿題」を出した。』
そして、この宿題への答えを、上で引用した6月17日の議会で「国の説明は一定程度理解できる」とし、あとは管首相みずからに、知事殿に仁義を切るべく、「一面田んぼだらけでまるで弥生時代」(はなわ)である辺境の佐賀県へお越しいただくことで、県民とともに満足することとしよう。
古川知事はこうして他の県が原発再稼働を認めるためのシナリオを作ってやった。(『全国知事会などでは他の知事に「どうするの」「頼むね」と声をかけられたこともある』のだそうだ!なんという連中だろう!)その際、さすが東大出の国家官僚出身だけのことはあります、大事なツボは外しません。
『古川知事は3日、「地震が原因という報道もあり、保安院の説明より県民に浸透している」と牽制(けん・せい)した』
表面だけのごまかしでやり過ごそうとしても駄目だぜ、住民の方が賢いぞ、と保安院の向こうずねを一本蹴っておいて、自分の存在感を高めるとともに、今後の他県での国のごまかし・まやかし装置が思わぬ故障をきたさぬよう、後輩役人をしかっておく。後になって「なるほど、それで結構です、『一定程度理解できる』」と、どうせ言うのだが、それが他県で「佐賀の前例」として機能しないようでは、せっかくのオレの仕事が無になってしまう。
ところで、古川知事が理解を示したという対策、すなわち、津波ばかりでなく、地震による原発の機能損傷をも想定している緊急安全対策とはどんなものだろう。
『ところが、九電が計画している緊急安全対策の一部は1年以上かかり、玄海原発が夏の電力需要のピークに向けて再稼働すれば、対策が完全に整わない中での「見切り発車」になりかねない。・・・原子炉を「冷温停止」に導くために必要な大容量発電機の配備は1年、海水系ポンプの追加は3年程度かかる。水素爆発対策として原子炉格納容器内の水素を減らす設備を設置することにしたが、それも3年程度かかる見通しだ』毎日新聞 2011年6月29日
こうした「緊急対策」が本当の対策となっているかという議論を別にしても、今から玄海原発を再稼働させるのは、記事の言うとおり時間的にとんでもないごまかしなのである。古川知事は、地に落ちた安全神話を再興しようなどとと大げさなポーズはとらない。ただ、全国の停止中原発の再稼働への道筋をつけるために、「みんな嘘だったんだぜ」とバレてしまったごまかし装置を、目立たぬようにこっそり再稼働させようとしているのだ。
最後に古川知事の政治利得としてなんだかとても不健康な感じを与えるものがある。まあ、健康な政治利得なんてものはもともとないかもしれませんが・・・。古川が管首相にいろいろと食い下がるのは、再稼働容認のシナリオとは別に、中央政局への自分なりの貢献を意図しているのかもしれない。それはそんなもんとして、気になるのはこの男がここに至るまでの政治駆け引きをなんだか楽しんでやっているように見えることだ。田舎県の首長が総理や大臣を向こうに回して五分以上に渡り合える機会などめったにないだろう。しかし今回、古川はいわば「原発という玉」を握っている。だから、『国がどこまで腹をくくっているか』みたい、と真正面から勝負を挑める。
『資源エネルギー庁幹部から9日に運転再開を要請されたことについて「軽く受け流したつもり・・。」』と知事様をなめるなよ、という態度。極めつけは、やはりこれ、中央政府の無能首相など何するものぞ、オレが焼きいれてやる、という気合十分。
『古川康知事は28日、朝日新聞の取材に対し、原発の安全性や今後のエネルギー政策について「総理の認識を聞きたい」などと話し、再稼働の是非の判断に向けて、菅直人首相に直接説明を求める意向を示した。・・・佐賀県は国の考えを聞くため、海江田万里経産相に今週中にも来県するよう要請している。古川知事は「(国の意向を)経産相がきちんと説明できて、我々が県民に説明できるかどうか。ハードルは高いかもしれない」と話し、「総理を呼ぶことも、大臣を呼ぶことと並行して考える」とした』朝日新聞6月28日
佐賀出身のコメディアンの塙(はなわ)の自虐的佐賀ネタにある通り、これが辺境の地の政治家の「悲しいサガ」なのかもしれない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
付録1
政治家が言を左右にして、私たちをまやかすやり方をほとんど言語学的に分析した歌が高田渡の「値上げ」だ(You-tubeで見られます)。半世紀も前の作品だが今でもパワーを失わない。「値上げ」を「再稼動」に置きかえれば今回もそのまま。ほんとにおかしい。
付録2
毎日新聞の原発推進キャンペーン・ボーイ「ゆうだい君」の手紙に古川康佐賀県知事様からご返事をいただきました。以下、全文掲載します。
「ゆうだい君(くん)、私(わたし)は君(きみ)の手紙(てがみ)を読(よ)んで大変(たいへん)うれしくなりました。君(きみ)のような聡明(そうめい)で健全(けんぜん)な精神(せいしん)にめぐまれた少年(しょうねん)が明日(あす)の日本(にっぽん)をになってくれるのだと、ほんとうに心(こころ)つよく思(おも)いました。私(わたし)は君(きみ)といろいろな共通点(きょうつうてん)があります。私(わたし)の父(ちち)も電力会社(でんりょくがいしゃ)ではたらいていました。そしてそれをとても誇(ほこ)りにしていました。私(わたし)も父(ちち)にすすめられて毎小(まいしょう)を読(よ)んでいました。ゆうだい君(くん)、これだけはおぼえておいてください。君(きみ)はこれから東大(とうだい)のような立派(りっぱ)な学校(がっこう)で勉強(べんきょう)するでしょう。私(わたし)もそうでした。でもたいせつなのは、学歴(がくれき)なんかではありません。そんなもは、どうやって自分(じぶん)のほしいものを手(て)にいれるか、教(おし)えてくれません。たいせつなことは、きみがしていること、きみが考(かんが)えていることを決(けっ)して他人(たにん)に知(し)られないことです。ドン・コルレオーネも「思(おも)っていることを口(くち)に出(だ)すんじゃない」といましめています。理想(りそう)をいえば、君(きみ)のしていることを、まったく反対(はんたい)のことだと他人(たにん)が思(おも)ってくれるのが一番(いちばん)いいのです。そして、人(ひと)は、安全(あんぜん)とか、健康(けんこう)とか、生命(せいめい)とかいうことが問題(もんだい)になると、わりとかんたんに反対(はんたい)のことを信(しん)じるものです。すこし話(はなし)がむずかしくなりましたね。でも、君(きみ)にもわかる日(ひ)がきっときます。これからもがんばって、社会(しゃかい)に貢献(こうけん)できるりっぱな大人(おとな)になってください。
辺境(へんきょう)より愛(あい)をこめて
佐賀県知事、知事、知事 知事 古川康 (ふるかわやすし)
付録3
最後に一句:
『プルト君にてなくもないヤスシ知事』
ついで、一首、
『玄海のやらせのウミの黒幕のチジなきぬれて銭とたわむる』
当ブログの関連記事:
→『九電やらせメール事件:第三者調査やらせ委員会の仕込み不足』20111018
→『佐賀県・玄海原発再稼働をかすめ取る古川康知事に抗議のメールを殺到させよう!』20110704
→『利権に目のくらんだ玄海町町長をパシリに使う佐賀県・古川知事を好きにさせておいてはいけない!』20110705
→『経済産業省様、脱原発お願いします:おれたちのメールはやらせじゃない!』20110710
しかし、そのころには、知事自身は『「(国の安全基準を)クリアしてさえいれば(再開して)良いというわけではない」・・・「国の安全対策が見えない中で、再開うんぬんの話ではない」』と地元の勇み足を相手にせず、その後も慎重派の姿勢をこんなふうにアピールし続けていた・・・。
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5月17日『古川知事は・・・「運転再開に支障なし」と判断した保安院の説明は不十分とし、現時点で再開の判断はできないと表明』
6月3日『古川康知事は・・・玄海原発再開の判断時期について、「今の段階でいつごろに判断すると答えるのは難しい。県民の安全確保が最優先だ」と強調した』
6月06日『古川知事は「まだ道筋を持っていない」などと答え、慎重に判断する考えを繰り返し強調した』
6月08日『古川知事は「私どもは『安全第一』の考えでやっていますと申し上げた・・・」などとし、再開問題については引き続き、安全確保を最優先に取り組む考えを示した』
6月10日『古川康知事の話 ・・・とにかく安全性の判断、確認が一番のメーンで、・・・』
6月11日 『古川康知事は10日、九州電力玄海原発2、3号機の運転再開をめぐり、・・・必要性よりもまずは安全性だ」と定例記者会見で語った。あくまでも国の緊急安全対策が十分なのかの確認を優先させる姿勢を強調したものだ』
6月14日イタリアの脱原発国民投票結果を受けて『古川康知事は「当然の結果」と淡々と国民投票結果を受け止めた。安全性確保が優先とし、再稼働に慎重姿勢を示している古川知事は「福島第1原発事故があったのに、賛成という結果が出る方が驚く」とし、「一度廃止された原発を再開するというのはゼロのものを増やすということと同じだ。それはどこであれあり得ない」と指摘した』 (注:「どこであれ」って言ってますよ!)
しかし、古川知事のこの慎重姿勢が突如変化して、住民を気づかうやさしいおばあさんの化けの皮がはがれ、耳まで裂けたオオカミの口から臭い息を発しながら玄海原発再稼働容認を語り始めるのは6月17日。
『九州電力玄海原子力発電所(佐賀県玄海町)2、3号機の運転再開問題で、佐賀県の古川康知事は17日の県議会一般質問で、「中部電力浜岡原発の停止要請問題を除けば、国の説明は一定程度理解できる」と述べ、国に求めていた再開条件が一部を除きクリアされたとの認識を明らかにした。これまで古川知事は一貫して運転再開に慎重姿勢だったが、初めて前向きな考えを示したものだ』
以後、一方で、国が選んだ住民代表と経産省の役人が語り合う自称「説明会」を演出してアリバイ工作を図りつつ、他方では『再稼働容認』という最後の切り札を安売りしないように、見え透いた結論をわざわざ迂回するかのような自作自演の思わせぶりで、
6月23日『「立地県の知事として安全確保が最優先だが、電力需給も全く無関心ではない。日本全体の経済や社会の中で、今回の再起動をどう考えるのかも私に求められている。様々な意見があり、非常に悩んでいる」』
などと、もったいをつけたので、盟友の自民党県議の中には『「知事は再起動に前向きなのか」と疑問を持った県議もいた』くらいだった。いや、これでいいのだ。欲望ギロギロで利権モロ出しの自民党の土建屋いなか県議とはお育ちも学歴も経歴も、役者が違う。どうせ最後は、『再稼働容認』という「責任ある苦渋の選択」に落ち着くのだ。それまでにとれるだけのものはとっておこう。そのためには、決断は困難を極めなければならない。タイムリミットぎりぎりまで「安全」ネタでごねれば、それだけ多くの政治的利益を引き出すことができる。
いよいよ29日、知事は海江田経産大臣を、九州のサイハテの佐賀まで呼びつけて頭を下げさせた:
6月29日『海江田氏は「緊急対策をとり、安全は確保できている。再開については国が責任を持ちます」と述べ、直接、運転再開に理解を求めた』。
古川知事はむろん、すぐに承諾なんぞしない。『さらなる安全性の確認』だの、議会の意向だとか、首相がはっきりしないとか保留や文句をつけて、せり上げをはかる。しかし、経産相との会談後、その日の夕方には、『「安全性はクリアできた」として、再開容認の姿勢を示』すに至るのである。
最初から決まっていた「玄海再稼働」を容認するのに、利権地元・玄海町の露骨な売り込みから遅れること2カ月半、いったいこの間、古川知事は何を手に入れたのだろう。
むろん、選挙対策。東電福島原発を推進してきた福島県佐藤知事でさえ、議会に同調して今さら恥知らずにも『脱原発』を宣言した(その前に原発誘致の責任をとって辞任しろ!)。福島ほどでないとしても、今軽率な原発推進姿勢は、政治生命の命取りとなりかねない(福井県知事はじめとして、原発立地県知事はみんなこの認識では一致しているだろう)。「住民の安全が第一、再稼働容認には慎重」という出だしは、補助金喪失の危機感で目を血走らせた地元自治体のなりふり構わぬ迷走が予想されるだけに、絶対に欠かせない。
ではこの状況をいったいどうかわして原発再稼働に持っていけるか、と思っていた矢先、「浜岡原発停止」という管首相の政治決断が下された。これには、全国の原発知事同様、古川知事も、足元をすくわれてあっけにとられ、怒り、いらだったことだろう。それは、古川知事が繰り返し、首相に対して「浜岡の責任」を持ち出すことからもうかがえる。しかし、この逆境はチャンスでもある。ここで、浜岡のハンディをひっくり返して、原発再稼働の『全国の「火付け役」になる』ことができたら、古川の原子力利権組織への貢献は多大なものとなるだろう。将来の政治的(そしてその他もろもろの)見返りも少なくないはずだ。そこで、古川は、あたかも、保安院に模擬試験を課すかのように『宿題』を出し、彼らに全国キャンペーンの予行練習をさせてやる。
『5月17日に保安院から緊急安全対策の説明を受けた古川康知事は、浜岡原発だけに停止要請した理由のほか、福島の事故は地震で原子炉が損傷したのではないか▽プルサーマル運転中だった福島第一原発はMOX燃料を使っていたため被害が拡大したのではないか――という3点の説明を求める「宿題」を出した。』
そして、この宿題への答えを、上で引用した6月17日の議会で「国の説明は一定程度理解できる」とし、あとは管首相みずからに、知事殿に仁義を切るべく、「一面田んぼだらけでまるで弥生時代」(はなわ)である辺境の佐賀県へお越しいただくことで、県民とともに満足することとしよう。
古川知事はこうして他の県が原発再稼働を認めるためのシナリオを作ってやった。(『全国知事会などでは他の知事に「どうするの」「頼むね」と声をかけられたこともある』のだそうだ!なんという連中だろう!)その際、さすが東大出の国家官僚出身だけのことはあります、大事なツボは外しません。
『古川知事は3日、「地震が原因という報道もあり、保安院の説明より県民に浸透している」と牽制(けん・せい)した』
表面だけのごまかしでやり過ごそうとしても駄目だぜ、住民の方が賢いぞ、と保安院の向こうずねを一本蹴っておいて、自分の存在感を高めるとともに、今後の他県での国のごまかし・まやかし装置が思わぬ故障をきたさぬよう、後輩役人をしかっておく。後になって「なるほど、それで結構です、『一定程度理解できる』」と、どうせ言うのだが、それが他県で「佐賀の前例」として機能しないようでは、せっかくのオレの仕事が無になってしまう。
ところで、古川知事が理解を示したという対策、すなわち、津波ばかりでなく、地震による原発の機能損傷をも想定している緊急安全対策とはどんなものだろう。
『ところが、九電が計画している緊急安全対策の一部は1年以上かかり、玄海原発が夏の電力需要のピークに向けて再稼働すれば、対策が完全に整わない中での「見切り発車」になりかねない。・・・原子炉を「冷温停止」に導くために必要な大容量発電機の配備は1年、海水系ポンプの追加は3年程度かかる。水素爆発対策として原子炉格納容器内の水素を減らす設備を設置することにしたが、それも3年程度かかる見通しだ』毎日新聞 2011年6月29日
こうした「緊急対策」が本当の対策となっているかという議論を別にしても、今から玄海原発を再稼働させるのは、記事の言うとおり時間的にとんでもないごまかしなのである。古川知事は、地に落ちた安全神話を再興しようなどとと大げさなポーズはとらない。ただ、全国の停止中原発の再稼働への道筋をつけるために、「みんな嘘だったんだぜ」とバレてしまったごまかし装置を、目立たぬようにこっそり再稼働させようとしているのだ。
最後に古川知事の政治利得としてなんだかとても不健康な感じを与えるものがある。まあ、健康な政治利得なんてものはもともとないかもしれませんが・・・。古川が管首相にいろいろと食い下がるのは、再稼働容認のシナリオとは別に、中央政局への自分なりの貢献を意図しているのかもしれない。それはそんなもんとして、気になるのはこの男がここに至るまでの政治駆け引きをなんだか楽しんでやっているように見えることだ。田舎県の首長が総理や大臣を向こうに回して五分以上に渡り合える機会などめったにないだろう。しかし今回、古川はいわば「原発という玉」を握っている。だから、『国がどこまで腹をくくっているか』みたい、と真正面から勝負を挑める。
『資源エネルギー庁幹部から9日に運転再開を要請されたことについて「軽く受け流したつもり・・。」』と知事様をなめるなよ、という態度。極めつけは、やはりこれ、中央政府の無能首相など何するものぞ、オレが焼きいれてやる、という気合十分。
『古川康知事は28日、朝日新聞の取材に対し、原発の安全性や今後のエネルギー政策について「総理の認識を聞きたい」などと話し、再稼働の是非の判断に向けて、菅直人首相に直接説明を求める意向を示した。・・・佐賀県は国の考えを聞くため、海江田万里経産相に今週中にも来県するよう要請している。古川知事は「(国の意向を)経産相がきちんと説明できて、我々が県民に説明できるかどうか。ハードルは高いかもしれない」と話し、「総理を呼ぶことも、大臣を呼ぶことと並行して考える」とした』朝日新聞6月28日
佐賀出身のコメディアンの塙(はなわ)の自虐的佐賀ネタにある通り、これが辺境の地の政治家の「悲しいサガ」なのかもしれない。
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政治家が言を左右にして、私たちをまやかすやり方をほとんど言語学的に分析した歌が高田渡の「値上げ」だ(You-tubeで見られます)。半世紀も前の作品だが今でもパワーを失わない。「値上げ」を「再稼動」に置きかえれば今回もそのまま。ほんとにおかしい。
付録2
毎日新聞の原発推進キャンペーン・ボーイ「ゆうだい君」の手紙に古川康佐賀県知事様からご返事をいただきました。以下、全文掲載します。
「ゆうだい君(くん)、私(わたし)は君(きみ)の手紙(てがみ)を読(よ)んで大変(たいへん)うれしくなりました。君(きみ)のような聡明(そうめい)で健全(けんぜん)な精神(せいしん)にめぐまれた少年(しょうねん)が明日(あす)の日本(にっぽん)をになってくれるのだと、ほんとうに心(こころ)つよく思(おも)いました。私(わたし)は君(きみ)といろいろな共通点(きょうつうてん)があります。私(わたし)の父(ちち)も電力会社(でんりょくがいしゃ)ではたらいていました。そしてそれをとても誇(ほこ)りにしていました。私(わたし)も父(ちち)にすすめられて毎小(まいしょう)を読(よ)んでいました。ゆうだい君(くん)、これだけはおぼえておいてください。君(きみ)はこれから東大(とうだい)のような立派(りっぱ)な学校(がっこう)で勉強(べんきょう)するでしょう。私(わたし)もそうでした。でもたいせつなのは、学歴(がくれき)なんかではありません。そんなもは、どうやって自分(じぶん)のほしいものを手(て)にいれるか、教(おし)えてくれません。たいせつなことは、きみがしていること、きみが考(かんが)えていることを決(けっ)して他人(たにん)に知(し)られないことです。ドン・コルレオーネも「思(おも)っていることを口(くち)に出(だ)すんじゃない」といましめています。理想(りそう)をいえば、君(きみ)のしていることを、まったく反対(はんたい)のことだと他人(たにん)が思(おも)ってくれるのが一番(いちばん)いいのです。そして、人(ひと)は、安全(あんぜん)とか、健康(けんこう)とか、生命(せいめい)とかいうことが問題(もんだい)になると、わりとかんたんに反対(はんたい)のことを信(しん)じるものです。すこし話(はなし)がむずかしくなりましたね。でも、君(きみ)にもわかる日(ひ)がきっときます。これからもがんばって、社会(しゃかい)に貢献(こうけん)できるりっぱな大人(おとな)になってください。
辺境(へんきょう)より愛(あい)をこめて
佐賀県知事、知事、知事 知事 古川康 (ふるかわやすし)
付録3
最後に一句:
『プルト君にてなくもないヤスシ知事』
ついで、一首、
『玄海のやらせのウミの黒幕のチジなきぬれて銭とたわむる』
当ブログの関連記事:
→『九電やらせメール事件:第三者調査やらせ委員会の仕込み不足』20111018
→『佐賀県・玄海原発再稼働をかすめ取る古川康知事に抗議のメールを殺到させよう!』20110704
→『利権に目のくらんだ玄海町町長をパシリに使う佐賀県・古川知事を好きにさせておいてはいけない!』20110705
→『経済産業省様、脱原発お願いします:おれたちのメールはやらせじゃない!』20110710