福島原発事故メディア・ウォッチ

福島原発事故のメディアによる報道を検証します。

ふてくされて混ぜっ返す文科官僚のごまかし対策:校庭表土上下入れ替えの転倒と倒錯

2011-05-10 17:11:26 | 新聞
学校の「安全」基準で、仲間内(それもよりによってあのデタレメ委員長)からも批判を浴び、地元住民からの抗議・交渉(要約こちら:この場での官僚たちのタイハイぶりは目を覆うものがある)や地元自治体からの要望をうけて、なんだか文科省は、大臣以下、気分を害しているようだ。校庭の土を入れ替えろ(その効果は伊達市の例で歴然としている)、と言われて、はい、かしこまりましたでは、国家統制の権威を保てない。オレたち官僚としても、人に命令して、(たとえば被曝を)強制するのは気分がいいけど、人から無理やりやらされる羽目に追い込まれるのは、不本意である。

そこで、校庭の土を除去して廃棄する代わりに、土をその場で「上下入れ替える」方式を検討し、提案することになった。これは、『「除去」ではなく、・・・郡山市の問題が起きる前から省内で検討されていたもので、土を校外に搬出する必要がなくなる「メリット」がある』(朝日)。わざわざ、郡山が勝手なことをしたのでちょっと叱ったら、普段なら文科省様失礼しましたと平伏する連中のくせに、今度は、抗議だの、辞任だの、デタラメ批判だのを引き起こしたという『郡山市の問題が起きる前から省内で検討』と言うところなんぞ、こりゃあ、高級官僚の意地ってもんだぜ。

で、こんな「検討」に地元はびっくり。困惑・疑惑・当惑・本当?・・・福島民報は「校庭の線量減本当?」と正直な見出し。

『「本当に効果はあるのか」。文部科学省が・・・表土と下層を入れ替える手法を打ち出した7日、福島県内の関係自治体や保護者の間に疑問が広がった。』

すでに表土を除去し、それを仮置きしている学校に対する対策や配慮がまったくないことにも疑問が出たが、さらに至極もっともな原理的な問題。

『(伊達市の)仁志田昇司市長も「上下置換により地中に(放射性物質が)残るのは確かだ」と疑問を投げかけ』

市長さんの懸念は当然です。半減期が30年以上というセシウムもある土壌を「ひっくり返して」よしとする発想、こんな話に素直に乗れるわけがありません。それにしても、文科省はなぜ、こんな説得力のない「対策」を打ち出してきたのでしょう。彼らは愚鈍な「ぼんくら」なのでしょうか。私はそうは思いません。「上下ひっくり返し」が彼らにとってどんなメリットがあるか、考えてみました。

・単純な除去ではなく、異なった方式を提案することで、「郡山に追随するわけでもなく、郡山の行為を追認するわけでもない」という姿勢を示す。同様に、親たちとの交渉以前から検討していた新方法が実際に存在した、と(後出し気味に)公表することで、「親たちに言われたからやるのではない」という形をつくれる。国家公務員試験一種合格者たる官僚が、非科学的な風評に踊らされる愚民に譲歩したわけではない!

・「土を施設外に運び出さない」、という選択には象徴的意義がある。学校施設は、その内部でのやりくり(屋外活動制限もその一つ)さえやれば、基本的に今のままで「普通の学校生活」が可能である。土を外部に運び出す、ということまでしては、その施設の危険性・不適格性を認めることになる。「普通の学校生活」という文科省の最大の権力基盤の維持は、佐藤福島棄民知事らの原発事故・放射能の極小化、「何にもなかったかのようないつもの福島」という被曝強制の上に立つ虚構の維持と利益の一致をみる。

・「土を施設外に運び出さない」、という選択には予想される行政的メリットがある。今後、様々なところで土壌の処理という問題が生じるであろう。その時、「大事な子供をあずかる学校でさえ、上下入れ替えで我慢しているんだ」と、相手の身勝手を責め、最悪でも「上下入れ替え」で済ませる伏線を用意できる。原発何十キロ圏に及ぶともしれない今後の対策のコストにとって、学校での新対策の「実験」は意義が大きい。

・「上下ひっくり返し」方式は、上の記事で見たように誰もが疑問を呈するいい加減な方策である。それでいいのである。一方で、文科省には「対策をとった」というアリバイができると同時に、他方、親たちには対策の効果への疑問が残る。親たちの不安は継続し、文科省への期待はそがれる。「文科省というのは、何かやっても、結局、何もしてくれない」という状況が常態化することは、あきらめを通して、今後の文科省への要求を削減する効果が期待できる。

・「上下ひっくり返し」が一度なされてから、もう一度、表土が汚染された時、「これ以上ひっくり返したら、下からまた汚い土が出てきますよ」と無対策を正当化することができる。

私が思いついたのは、こんな程度ですが、もしかしたらこんなものではないかもしれません。彼らは「無能」なのではありません。都合がいい時に、ということはつまり個人的に刑事責任を問われる可能性がない限り、彼らはいくらでも「無能」になることができ、どのような「無能」がいちばん効果的か、私なんかの推測能力が及ぶべくもないくらい、入念かつ洗練された考察を日々とり行っていることでしょう。そして今回は、もう一つの隠されたモチベーションが彼らの「無能」をいっそう研ぎ澄まされたものにしているような気がします。それは、倒錯したふてくされ。手のひらを返した下っ端・地方公務員への、子どもたちを守れとうるさい反原発オタクへの、交渉で自分たちを罵倒した愚民への、裏切り者の御用学者への、「政治主導」とか言う落ちこぼれ政治家への、エリート官僚たちのプチ復讐心。

さて、今日の朝日新聞によれば、

『原発事故で放射性物質が降り注いだ校庭の表土について、福島県の二本松市、本宮市、大玉村は9日、校庭に穴を掘って表土を埋め、覆土する方式で処理すると発表した。・・・文部科学省は表層の土と下の土を入れ替える方式を実験中だが、二本松市などは「上下を入れ替えても校庭一面に汚染土がある状態は変わりない」として採用せず、新たな方式を採った。』

『表土を厚さ3~5センチ削り、それを校庭に掘った穴に遮蔽(しゃへい)シートを敷いて埋め、上からもシートをかぶせたうえ、厚さ1メートルの土をかぶせる。・・・「穴に埋めても、あくまで仮置き」として、表土の最終的な処分は国と東京電力に求めていく』

文科省を信頼する者はもう誰もいない。



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