気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ゆるキャン△の聖地を行く29 その10  川根温泉から家山へ

2023年05月16日 | ゆるキャン△

 川根温泉にて3時間あまりを過ごして充分に楽しんだ後、15時前に川根温泉ホテル前の臨時バス停に戻り、15時1分発の家山行きの代行バスに乗りました。

 

 10分後の15時11分に家山駅に着きました。今回も時刻表ピッタリの運行がなされていました。さすがは大井川鐡道さんです。とにかく不通区間の開通再開が待たれます。

 

 家山駅の駅舎です。何かのイベントが予定されているのか、建物の軒先に電飾が回されていて、その一部がまだ未設置のままになっていました。出入口横の郵便ポストは、京都市でも見られなくなった昭和の古いタイプですが、まだ現役であるそうです。そういえば門出駅にも緑色に塗られた同タイプのポストがありましたね・・・。

 

 ポストと同じく、駅舎の建物もものすごく古いです。昭和四年(1929)開業時以来の建築で、外観も内観も時間が止まったかのような保存度で維持されて現役のままです。大井川鐡道の多くの駅がそんな古さを保つのみならず、天竜浜名湖鉄道のほうでも似たり寄ったりの古い駅舎が多いのですから、鉄道ファンが静岡県を鉄道の聖地の一つとして認識しているというのも頷けます。

 

 家山駅は、大井川鐡道本線において四ヶ所しかない有人駅の一つです。改札口横の事務室には駅員さんが常駐し、列車が停まるたびに検札に立ちます。その光景もまた、昭和四年(1929)開業時以来のものなのでしょう。
 駅舎の南側には平成23年に利用客の要望に応じて設けられた売店があり、名物の抹茶たいやき、静岡おでん、川根冷やしラーメンなどを販売しているそうですが、この日は定休日でした。

 

 すでに15時21分発の金谷行き列車がホームにて待機していました。隣の留置線には、あまり見かけない砂利運搬用の貨車が数輌置いてありました。おそらく不通区間での災害復旧作業の関係でしょう。線路から取り除いた土砂を運び出すのに使われるのでしょう。

 

 最近はこの旧東急電鉄の車輌をよく見かけるようになりましたね・・・。我らが関西出身の旧近鉄車輌はもう見られないのでしょうか・・・。

 

 まだピカピカの真新しい駅名標に「昭和の郷愁」と書いてあるのがなんとなく違和感を覚えさせます。昭和以来の古い駅名標もあるのだから、そちらに書けばいいのに、と思ってしまいました。
 そういえば、この家山駅は映画などのロケ地によく使われていることで知られます。「男はつらいよ」や「鉄道員」を見た方なら、この駅の佇まいには既視感を覚える事でしょう。

 

 発車5分前。

 代行バスからの乗り継ぎ客が約10人ほど、地元の方らしいのが約10人ほど乗り込んでいました。
 年度統計によると、1日あたりの平均乗車人員は約300人ほどであるそうです。が、これは金谷までの全線を運行し、かつSLかわね号やトーマス号利用の観光客が家山駅でよく乗り降りしている時期のデータでしょうから、不通区間が生じて以降は、もっと減っているでしょう。

 

 丸太の電柱に巻かれた駅名の銘板。こちらが昭和以来の古い駅名標の一種です。戦前からのものらしく、「昭和の郷愁」がバッチリただよっています。文化財級の価値があります。鉄道ファンが大喜びで写真を撮るのも、当然ながらこちらです。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く29 その9  川根温泉の幻の塩ラーメン

2023年05月15日 | ゆるキャン△

 川根温泉の道の駅には、当然ながら食事処もあります。さきに二階の和室休憩ルームでゆるキャンコラボのトマすき弁当を食べましたので、こちらの食事処を利用する予定はありませんでした。が、折角なのでどんな感じなのか、一度のぞいてみようと、そちらへ廊下を進みました。

 

 廊下の壁にメニューが並んでいました。道の駅の食事処にしてはかなり充実した品ぞろえになっていました。メニューが多いお店というのは、一般的にははやっているか、人気がある傾向がみられますから、ここも観光客の利用が大変多いのだろうな、と察しました。

 大井川流域においては国定公園に準じての諸規制があって、商業施設や店舗の建設には相当の困難があると以前に何かの特集で読んだことがあり、そのためかどうか、あまり食事処も見かけません。大井川鐡道の主要駅周辺にさえ、コンビニすら見かけませんから、あまり商業スポットがないのも頷けます。道の駅は、数少ない商業施設ですから、観光客は殆どがここに集まってくる流れになるでしょう。

 

 道の駅にはよくある、ご当地メニューもありました。ここでは、ラーメンがメインであるようです。

 

 えっ、幻の塩ラーメンも提供されているのですか・・・。先ほど箱詰めを土産に買いましたけれど、ちょっと食べて味わってみたくなりました。川根温泉の抽出天然塩を用いた、川根温泉でしか味わえない風味のラーメン、とあっては、空腹でなくても食欲をそそられてしまいます・・・・。

 

 結局、誘惑に負けました。ラーメン大好きな身としては食べずにはいられませんでした。上図の見た目がもう、間違いなく美味いヤツ、なのですから、これを食べずに帰れるか、という気持になるわけです。
 で、感想としては、おお、これイケるやんか、でした。塩の味も意外にマイルドで、柚子入りの麵のまろやかな味とさっぱりした薄めのスープがうまく調和しているのでした。これは名物の土産になるわけだ、と納得しました。

 

 先ほど入ってきた温泉の入り口です。川根温泉の元湯をひいて源泉かけ流しになっていますが、湯が熱めでザラザラした感触でしたので、前回立ち寄った川根温泉ホテルの温泉とは泉質が違うのかな、川根温泉の湯も一種類だけではないのかな、と思いました。

 そのことを現地でツィートしたら、川根温泉ホテル公式さんより「川根温泉ふれあいの泉さんと川根温泉ホテルは、湯質はご一緒になります」とのお答えをいただきました。どうも温泉の温度の差によって湯の感触に違いが出るもののようです。
 当時のツィートはこちら

 

 幻の塩ラーメンをいただいた後、再び二階の和室休憩ルームに行って30分ほどまったりしました。

 

 大井川に架かる鉄橋の上を走る列車の姿、出来れば見たかったですね・・・。

 

 まだ時間があるので、外を散歩しようかと思いついて、一階に降りてエントランスへ向かいました。その途中で売店コーナーの脇のロビーの天井に特大サイズの提灯が吊られているのに気付いて、思わず撮りました。その下の人影と比較すれば、提灯の巨大さが分かるでしょう。

 

 外に出て、大井川沿いの園地に行きました。御覧のように堤防上に散策路があり、川原に降りる階段や道も綺麗に整備されています。

 

 左右にのびる大井川の流れを一望出来ます。流水量が最低限なので、広い川の大部分は底が露呈していて広い石敷きのような姿にみえました。

 

 隣の川根温泉ホテルの建物です。10日前の前回巡礼時にはこちらに立ち寄って、ゆるキャンコラボキャンペーンの特典のひとつ、温泉無料サービスを楽しんだのでした。その特典入浴券はもう一枚あり、期限がまだありますので、機会があれば再度立ち寄りたいと思います。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)プラウダ高校 BT-5(プラウダ戦記版)

2023年05月14日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  イタレリ/ズベズダ (商品コード272)

  制作期間   2022年5月21日~5月26日、8月18日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 完成です!!

  総評・備考
 ガルパンコミック「プラウダ戦記」に登場するプラウダ高校チームは、アニメ本編とは異なって多彩な車輌を展開しており、史実の第二次大戦中のソ連戦車部隊の陣容にも近い。その快速部隊の構成単位となって活躍し、ノモンハン事件でも日本軍戦車と対決したBT-5は、1/35スケールキットがイタレリ、ズベズダから発売されている。いずれも初版と再販分の2種があるが、イタレリ製品は模型店ではあまり見かけない。ズベズダ製品のほうは、再販分が現在は多く出回っているとされるが、かなりの個体差があって、バリやヒケが少なくないケースも散見されるようである。出来れば購入時に中身を確認することをお勧めしたい。
 今回は、中古ショップにて見つけたイタレリの製品を利用したが、これはズベズダからのOEM品であった。改修再販前の古い個体で、まだ金型の状態が良かった頃の製品であったようで、バリやヒケが無く、経年による若干の反りや歪みを是正する程度で済んだ。「プラウダ戦記」の作中車は独特の仕様であるが、それに合わせる改造は簡単なものであるため、若干の手間は要したものの、比較的楽に仕上げる事が出来た。

  公式および適応キット一覧(2023年5月現在) 黄帯が今回の使用キット  


目次へ

 

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継続高校 GAZ-AA(フェイズエリカ仕様) 作ります!! その1

2023年05月13日 | ガルパン模型制作記

 御存知ガルパンコミックの「フェイズエリカ」です。同じコミックの「リボンの武者」とともに、多数多種の戦車および車輌が登場することで知られます。アニメシリーズには出てこない車輌が多いので、再現製作も様々に楽しめます。

 これらの作中車のうち、私の製作においては、既に継続高校チームの戦車を5輌作り、あと2輌を予定し、並行して黒森峰女学園チームの車輌を4輌取り上げて、前回はその1輌目を仕上げました。両チームの車輌を交互に製作していますので、今回は継続高校の車輌を作ります。

 

 今回の製作対象は、上図のGAZ-AAトラックです。史実の継続戦争にてフィンランド軍が多数のソ連軍のGAZ-AAトラックを鹵獲し、自軍にて運用していた経緯に因み、ガルパンの継続高校チームもソ連製のこの軍用トラックを移動用などに使用しているようです。コミック第2巻59ページ1コマ目が初登場シーンで、上図のように実車とほぼ同じ姿に描写されていることが分かります。

 

 適応キットはズベズダ、ホビーボス、ミニアート等から出ていますが、今回は上図のミニアートの製品を利用しました。三年ほど前に中古ショップでたまたま見かけて安価で購入しておいた品ですが、細密にして精巧なミニアートのキットですから、ズベズダやホビーボスの品に比べると、製作にはかなり手間がかかるだろうと予想されました。

 

 中身です。相変わらず細かくパーツ割りされ、ランナー数も多くてボリューム充分です。驚いたのは車輪のタイヤゴム部分が独特のパーツ割りになっていて、組み立て方も初めてみる方式であったことです。

 

 説明書および組み立てガイドです。

 

 組み立てガイドは御覧の通り、作業工程が細かく図示されていますが、適度なレイアウトで拡大図も添えられて見やすくなっています。ドラゴンのギッシリ詰め込んだ見づらいガイド図とは全く違います。これがウクライナの模型メーカーの平均的な作りであるようです。

 

 ステップ1からステップ3まではエンジンを作ります。トラックのキットはエンジンもパーツ化されて精密に再現されているのが普通ですが、ミニアートもその例にもれません。インテリアを綺麗に仕上げて見せるという楽しみ方も可能ですが、今回は外見のみを普通に仕上げるという普通の製作で取り組みました。

 ステップ4からステップ6まではシャーシーを組み立てます。トラックのキットにおいては、このシャーシー部分の組み立てが肝要であり、ここを丁寧にきちんと作るかで、その後の作業の在り方が左右されます。

 

 ステップ1の工程を始めました。エンジン本体の組み立てです。

 

 組み上がりました。

 

 ステップ2に進みました。エンジンの組み立てを続けました。

 

 組み上がりました。トラック自体の大きさに対して小柄なエンジンです。

 

 ステップ3にて細かいパーツを色々組み付けて、エンジンがほぼ仕上がります。

 

 組み上がりました。小さいけれど、細部まで精密に再現されています。流石はミニアートだな、と改めて感心しました。実物さながらのディティールにとことんこだわっている、というスタンスが濃厚に感じられます。こういった緻密なメカへの視点に裏付けられた精密志向というものが、タミヤやファインモールドなどの日本製のキットにはなぜか余り感じられない気がします。タミヤやファインモールドなどが戦車の精密なフルインテリアキットを全く出さないのは、そのためでしょうか。

 なので、サークル交流仲間のモケジョさん達が、タコムやライフィールド等の戦車の精密なフルインテリアキットを見て「日本のメーカーにはこういうの多分無理だよねー、日本軍戦車のエンジンすらプラモで出さないからねー」と突き放したような諦めの口調で話していたのも、なんとなく分かる気がします。

 

 ステップ4からのシャーシー組み立てにとりかかりました。メーカーを問わず、トラックのキットは大体組み立て手順が同じですが、最も難しいのがシャーシー部分の組み立てとされています。実車の組み立て同様にパーツを組み合わせて作るので、ズレや歪みが僅かでも生じると、後のステップでの組み立てにてパーツがはまらないケースが多発します。

 シャーシー全部が一体成型ならば良いのですが、そんなケースはまず見た事がありません。細かく分割されたパーツを左右から組み合わせ、全てのパーツを丁寧に繋いでゆく作業が要求されるので、とにかく慎重に、根気よく取り組むことになります。大事な作業ステップですので、何度やっても緊張してまいります。ミニアートの製品はそのあたりも実車準拠で上級者向けの内容であるため、気合を入れて取り組みました。

 

 組み上がりました。この段階で既に実車の組み立てと大して変わりません。

 

 ステップ5で同じ作業を繰り返します。

 

 組み上がりました。

 

 ステップ6でシャーシー全体を一気に組み上げます。ここからが地味に難しいのです。

 

 左右の構造材に挟まれる複数のパーツを、全て同時に正しい位置にピッタリ付けるのは、慣れないとなかなかうまく出来ません。たいていは二ヶ所ぐらいをピタリとはめこむのがやっとで、あとはズレたり外れたりしてしまいます。千手観音のように複数の手が欲しいぐらいです。

 

 10分ほど格闘して、なんとか組み上げました。直後に定規をあててズレや歪みが無いか調べました。トラックの骨格にあたるシャーシーですから、変にズレたりすると、人間の背骨と同じで色々と不具合が生じたりします。  (続く)

 

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安祥寺4 安祥寺の本堂と本尊

2023年05月12日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 青龍殿から降りて、本堂の西側に回りました。境内の参拝路が本堂の周囲を一周する形になっているので、参拝者は最終的には本堂前に戻ります。そのまま山門へ向かう人も居ましたが、大部分は本堂にあがって内陣を拝んでゆくようです。青龍殿の前庭に至った時点で、私たちの前を1人と3組の参詣客が歩いていましたが、その全員が本堂にあがってゆきました。

 

 本堂の右前に立てられた案内板です。嫁さんが真剣に読んでいる間、横で静かに待ちました。

 

 本堂正面外廊より内陣を拝みました。中央の厨子間に本尊、その左右の脇壇上に四天王像の二像ずつが祀られています。

 

 本尊の十一面観音菩薩立像です。像高は252.2センチ、八等身のスマートな体躯に八世紀天平時代の優美な作風がうかがえます。実際に八世紀の作とみられ、嘉祥元年(848)の安祥寺創建よりもずっと前に造立されていることになりますが、いまこの像がなぜ安祥寺に在るのかは分かっていません。

 現地の山科においては、八世紀以前に創建されたという山階寺の事が知られます。いまの奈良の興福寺の前身寺院にあたり、いまは廃絶して遺跡すら定かでなく伝承地しかありませんが、その伝承地はかつての安祥寺の下寺の境内地の西側に近接しています。その山階寺の旧仏ではないかとする説が出ていますが、確証はありません。
 ただ、山科区域には他にも七、八世紀代の古代寺院が幾つかあったようで、一部は遺跡が見つかって確定されているようです。そうした寺の旧仏である可能性も考えられます。

 

 八世紀の観音菩薩立像の典型的な作風がこの像にもよく示されています。表情は唐彫刻からの影響も残してやや異国風の眼差しが注目されます。奈良県に長く住んで奈良の天平彫刻の数々に親しんできた私にとっては、見慣れた、どこか懐かしささえ感じられる表情です。ああいう美麗さはやっぱり天平時代独特だな、と改めて思いました。

 嫁さんが「八世紀の仏像って、京都市内には少ないんじゃないのですか?」と素朴な疑問を小声で囁きました。その通りで、京都府には幾つかありますが、京都市内にはまず無かったと思います。つまりはこの安祥寺十一面観音像のみ、となります。

 京都市内において七、八世紀代に建てられた寺院は幾つかあったようですが、いまも現存しているのは太秦の広隆寺のみです。その本尊弥勒菩薩半跏像はあまりにも有名ですが、七世紀代の仏像としては唯一の存在です。それに続く八世紀代の唯一の仏像がここ安祥寺の十一面観音像ですから、その貴重さが分かるでしょう。国の重要文化財に指定されていますが、貴重さにおいては国宝の広隆寺弥勒菩薩半跏像と同格なのですから、旧多宝塔の五智如来像とともに国宝にすべきだろう、と思います。

 そんな凄い仏像が、世に出たのは確か平成17年(2005)頃のことでした。京都大学による安祥寺への研究調査が契機だったかと記憶しています。それまで安祥寺は非公開寺院で、今でも特別公開は限定的にしか行っていないので、その安置仏像の実態も近年まで殆ど知られていなかったようです。本尊十一面観音像が一躍有名になったのも、平成22年(2010)に奈良国立博物館で開催された特別展「大遣唐使展」に初出展されてからの事でした。

 私は当時奈良に住んでいて、「大遣唐使展」は当然観に行きましたから、昭和63年に初めて訪ねた安祥寺の本尊像が出ているのに驚きました。同時に、八世紀代の優美な乾漆併用の木彫像なんだから、同じ八世紀仏像の2トップたる薬師寺聖観音菩薩像(日本)と神龍二年観音菩薩立像(唐)のビッグ2が初めて顔合わせを実現した稀有の特別展に出てきてもおかしくないな、と納得したものでした。

 ともあれ、個人的には大学時代からの様々な思い出がある仏像です。久しぶりに拝めて良かった、と思います。

 

 最後に、庫裏の横の鐘楼へ行きました。嫁さんが「この寺の鐘もなんか曰くつきらしいですよ」と興味津々だったからでした。
 上図の案内説明板によれば、この鐘は摂津国渡辺郷(現在の大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺)にあった安曇寺(あずみでら)のもので、嘉元四年(1306)の鋳造銘があります。豊臣秀吉の朝鮮出兵にあたって五畿内から陣鐘として出された鐘の1つであったものが、何かの間違いで安祥寺に返納されたと伝わっています。

 何かの間違い、とありますが、安曇寺と安祥寺は一字違いで、曇と祥の崩し字は形が良く似ていますから、それで間違われたのだろうと思います。

 

 ですが、安祥寺側も間違って返納されたこの鐘を、安曇寺へ返すこともせずにそのままに置いてしまっているのもおかしなものです。安曇寺が江戸期には既に廃絶していたため、返しようがなかったのかもしれません。

 ちなみに、安曇寺は古代豪族安曇氏の氏寺として七世紀には建てられたとの伝承があり、位置も遺跡もまだ確認されていませんが、戦国期には摂津国渡辺に在ったことが知られています。古代には安曇氏の本拠地であった渡辺の地から動いていなかったものと思われますが、現在は絶えてしまって幻となっています。
 なので、この鐘は、いまに残る安積寺のたった一つの「記憶」であるわけです。

 

 以上、2022年秋の安祥寺の特別公開見学の顛末でした。  (了)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く29 その8  トマすき弁当と川根温泉の土産物

2023年05月11日 | ゆるキャン△

 道の駅「川根温泉ふれあいの泉」に入ってまずは二階の座敷休憩ルームで昼食休憩にしました。千頭駅の売店で買ってきた上図の「ゆるキャントマすき弁当」をいただくことにしました。

 

 包装を解いて蓋を開けた状態です。ほほう、これは静岡市に本社がある弁当メーカーの老舗、東海軒さんが提供しておられるのですか・・・。なら味はバッチリですな・・・。牛肉にトマトはなかなか合いますね・・・。田丸屋さんのわさび漬けも、静岡ならばでのお約束ですね。美味しくいただきました。

 

 トマすき弁当をたいらげて落ち着いた後、千頭駅の売店で色々買ってきたゆるキャングッズ類を取り出して、ブラインドパッケージの分を開封してみました。上図左はクリアファイルです。

 

 ブラインドパッケージの分はヘッドマークデザインアクリルマグネットが3種、色紙が3種でしたが、開封結果は御覧の通りでした。ヘッドマークデザインアクリルマグネットが1種ダブリました。

 こういったグッズ類は、聖地巡礼旅行の記念品として買う、というスタンスなので、全種のコンプリートとかにはこだわりません。出たデザイン、得たグッズが、そのまま観光記念として思い出の一端を占めるので、大切に飾るか保管する、という流れです。

 

 これらのグッズ類の購入特典として、上図の吊り下げ原画ポスターをいただきました。大井川本線の列車内に吊り下げてあった8種のうちの1枚で、最も気に入った「孫ライダーズ」の画であったのは超ラッキーでした。これも部屋に飾ろうか、いやそんなスペース無いかもな、と考えたりしました。

 

 昼食後は休憩ルームにて30分ほどまったりして、それから一階に降りて上図の物産品販売コーナーに行きました。そこで大体の品ぞろえを一瞥しておいてから、温泉に行き、30分ほど源泉かけ流しの露天風呂などを楽しみました。その後、再び物産品販売コーナーに舞い戻りました。

 

 というのは、嫁さんに「現地のお茶と炊き込み具材よろしくね」と頼まれていたからです。何も買わずに帰ると、ただちに嫁さんの激しい空爆が敢行されて当方の頭が焼け野原になることが確実視されるので、何か買わないといけなかったのでした。
 とりあえずは静岡の川根茶を、と上図の豊富な品揃えから2品を選びました。

 

 続いてこちらのコーナーより、当地オリジナルの醤油とゆず粉をチョイス。嫁さんは管理栄養士なので変な食材や添加物マシマシの品や安物を避ける傾向が強いです。それで私自身も食材の購入には気を付ける習慣がついていて、ラベルの内容をチェックしてそれなりの価格の品を慎重に選びました。

 

 ですが、こちらの有名な川根温泉グッズの「幻の塩ラーメン」は即決の衝動買いでした。これがあの、幻のアレなのか、と感動に震える手で右端奥のパックを取り、しばし眺めてから戻し、左の黒い箱詰めを手にとりました。
 右端奥のパックは1人前ですが、左の箱詰めは2人前です。私も嫁さんもラーメンは好きなので、こういう品はササッと買わないといけません。

 

 で、この箱詰めを2個購入しました。嫁さんと私で2食ずつ楽しめれば良いでしょう。

 

 さらに炊き込み具材として、左図の椎茸スライスカット詰めも2つ買いました。嫁さんが来てからの我が家のほぼ毎日の夕食の御飯は、栄養豊富な炊き込みです。その具材としてキノコは必ず1種は入れますので、椎茸は必需品です。幾つかのサイズがありましたが、最大のパッケージを買いました。

 我が家の炊き込み御飯は、嫁さんの意向により、キノコ、煮干し、昆布、干し海老の4品を基本として入れ、あとは好みでコーン、タコ、イカ、アサリ、サーモン、鰹節などの1品を加えますが、キノコは椎茸、シメジ、舞茸、エリンギ、エノキの5種のローテーションです。椎茸は購入量が最も多いので、週に3回ぐらいは椎茸が入っています。炊き込み御飯、美味しいですね。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く29 その7  川根温泉へ

2023年05月10日 | ゆるキャン△

 千頭駅発の代行バスに乗り、予定通りの11時7分に出発しました。大井川に沿って、来た道を戻りました。移動中は窓の景色をウトウトしつつ、ボーッと眺めていました。

 

 11時41分、時刻表ピッタリに川根温泉ホテルバス停で降りました。流石に時間厳守の鉄道会社だけあって、代行バス便の運行にも隙がありません。降車後、家山駅へ向かって出て行く代行バスを見送りました。

 

 バス停の時刻表を再確認しました。前回と同じ場所にやってきたわけですが、目的地が異なりました。とりあえず、昼食休憩も含めて約3時間ほど滞在する計画でしたので、帰りに乗る家山駅行き代行バスの時刻を15時1分と決めました。

 

 今回の目的地は、前回訪れた川根温泉ホテルの西隣にある道の駅の温泉施設でした。

 

 バス停から駐車場ぞいの歩道を進むと、上図の道の駅売店がありました。地元産の野菜や農産物、緑茶などを販売している直売コーナーでした。園芸用品も豊富にありました。

 

 さらに西へ進んで、上図の道の駅の本館にあたる温泉施設の建物に向かいました。

 

 この道の駅施設の正式名称は「川根温泉ふれあいの泉」です。温泉施設のほかに道の駅販売部、食堂、多目的スペース、休憩ルーム、大井川展望テラスなどを備え、総合的観光レジャー施設として整備されています。大井川流域のほぼ中央に位置して、ドライブ観光の休憩スポットとして親しまれているそうです。

 

 まず二階に上がり、上図の広い座敷タイプの休憩ルームに入りました。この種の和室が他に3室ほどあったようですが、この日はここだけが無料で開放されていて、2人ほどの先客がくつろいでいました。

 

 休憩ルームからは大井川展望テラスへ直接出入り出来ます。大井川本線の鉄橋が目の前です。橋を渡る列車の姿を見、撮るには絶好の場所ですが、このときは台風災害による不通区間にあたっていて、列車の通行するさまを見ることはかないませんでした。

 

 大井川展望テラスは、御覧のようにゆったりとしたスペースがあって座卓や椅子も設けてあります。前回の巡礼で訪れた川根温泉ホテルのほうにも似たような展望テラスがありましたが、こちらのほうが広いように感じました。
 ここで景色を見ながら食事することも出来ます。今回は内側の広い座敷タイプの休憩ルームのほうで、昼食休憩することにしました。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)プラウダ高校 T34-85(4号車)

2023年05月09日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  タミヤ ミリタリーミニチュアNo.138 (商品コード35138)

  制作期間   2022年3月5日~3月7日

  製作記事   関連記事

  総評・備考
 第二次大戦中のソ連を代表するT34中戦車は、ガルパンにおいてもT34-76およびT34-85がプラウダ高校の中心戦力として活躍する。T34-85の劇中車は、1944年から1945年にかけて国営第183ウラル戦車工場にて生産されたタイプの1944年型に該当する。その適応キット(下のキット一覧の11)を公式キット化した製品(下のキット一覧の1および2)が発売されているが、1は廃番となっているので、2を買えば最低限の改造でガルパンの雰囲気に仕上げることが出来る。
 適応キットも複数のメーカーから幾つか出ているが、劇中車に合わせて作る場合には砲塔形状および溶接線を合わせ、転輪のタイプを二段ディスク型に合わせる必要があるほか、車体各所の細かい特徴を全て合わせる作業が追加される。なかでもタミヤの製品(下のキット一覧の6)は劇中車のモデルであろうとされるほどに近似しており、ストレート組みでも劇中車をほぼ再現出来る。公式キットの5番目(下のキット一覧の5)やAFVクラブの製品(下のキット一覧の19)はフルインテリアキットで内部構造もすべて再現されている。
 今回はフォロワーさんより譲渡されたタミヤの製品(下のキット一覧の6)を使用して製作した。他にミニアートからも新製品が連出しているが、殆どは砲塔形状などが異なる国営第112クラスノヤ・ソルモヴォ工場での生産タイプであるため、下のキット一覧には載せていない。

  公式および適応キット一覧(2023年5月現在) 黄帯が今回の使用キット  


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黒森峰女学園 シムカ5(フェイズエリカ仕様) 完成です!!

2023年05月08日 | ガルパン模型制作記

 塗装後の組み立てを進めます。上図は上下の車体パーツで、両方を合わせるだけで車体が出来上がります。接着しなくてもパーツがかみ合って外れないのですが、接着固定しておいた方が何かと安全です。持った瞬間にポロッと抜け落ちて、最悪の場合は床に落ちて破損、なんてことになりかねません。

 

 上下の車体を貼り合わせました。御覧の通りルーフシートを畳んだ状態で、車内が見える状態です。こういう状態に仕上がるから、インテリアパーツが最低限入っているキットであるわけです。

 

 組み付け前のタイヤは、このように左右と前後を明確にメモして保管していました。4輪とも同じに見えますが、前後で内側の車軸へのダボ穴の寸法が異なります。それで間違えないようにメモしておいたわけです。

 

 タイヤを組み付けました。

 

 塗装後の組み立てが完了しました。組み立ては二時間もかかりませんでしたが、塗装のほうはアキーラの乾燥に時間がかかり、ほぼ半日を費やしました。しかし、水性絵具アキーラの仕上がりは御覧の通りで、アクリルガッシュと違って剥落も殆どなく、塗膜がしっかりと形成されていてムラも目立ちませんでした。流石に高級絵具は違うな、室内での塗装用に使えるな、と思いました。
 今回実験的に使ってみたアキーラですが、感触としては、割と使える、です。今後も使っていこうと考えています。

 

 ラストの作業はデカール貼り付けです。上掲シーンのように作中車は左右ドアに校章マークが付きます。

 

 モデルカステンのガルパンデカールセットから適当なサイズのものを2枚切り出して貼りました。上図は右側のドアです。ドア自体は接着せず、自由に外せるようにしています。

 

 左のドアにも貼りました。黒森峰女学園推しとしましては、やっぱりこのデカールがグッときます。

 

 薄くつや消しクリアを吹き付けて仕上げました。

 

 かくして、黒森峰女学園チームのシムカ5がコミック「フェイズエリカ」仕様にて完成しました。製作日数は、2022年11月29日から30日までの2日でした。組み立てに1日、塗装および塗装後の組み立てに1日かかりましたが、組むのも簡単なタミヤキットですので、一気に作れば半日ほどで仕上げられると思います。

 作中車は実車準拠のようでキットとも相違はなく、ストレート組みで気楽に楽しめました。制作に手間がかからないぶん、塗装のほうで新しい方法を試してみることにして、最近導入した高級水性絵具のアキーラを初めて使用しました。
 アキーラは、水性ながら油性絵具の特性も併せ持ち、そのわりには無臭で塗膜も耐性があって剥落もしにくい事が確かめられましたので、室内での塗装ツールとしても使えることが分かりました。冬季の室内での筆塗り塗装に適した塗料なので、ガルパン車輌に限らず、殆どのプラモデルに応用出来ると思います。

 このアキーラは模型店では見かけた事が無く、画材専門店でしか買えないようです。水彩絵具ですので、利用する場合は水彩用のパレットや水入れも必要になります。水彩用のパレットや水入れは100円均一ショップでも扱っています。

 

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安祥寺3 多宝塔跡と青龍殿

2023年05月07日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 安祥寺境内地には、失われた建物の遺跡もあります。地蔵堂を拝した後に北側へ回り、少し高くなっている平坦地へあがると、上図の礎石が並んで残る正方形の建物跡の基壇が残っています。

 

 真新しい案内板が基壇の傍らにありました。明治39年に焼失した多宝塔の跡です。その本尊がいま京都国立博物館に寄託されている国宝の五智如来坐像です。
 嫁さんはこの案内板を見て、あっ、という表情になりました。京都国立博物館に寄託されている国宝の五智如来坐像の姿を思い出したのでしょう。長らく京都国立博物館の仏像展示室の主役として親しまれている5体の仏像ですから、京都の人でもかなりの方が知っていると聞きます。

 

 ですが、その雄大な国宝の五智如来坐像が本来はここ安祥寺の安置像であったことは、あまり知られていません。仏教美術を学び、仏像彫刻史を専攻していた者でも、九世紀代の真言密教系彫像の基準作例の一つ、として覚えますが、その元の位置の安祥寺へ訪ねて行く方は稀である、と聞きます。

 私自身も、京都国立博物館で五智如来坐像に初めて接したのは昭和57年、高校一年生の時でしたが、所蔵元の安祥寺を訪ねたのはその6年後の昭和63年のことでした。そして多宝塔跡に立って、ここにあの五像が、と信じられない気分になったことを覚えています。

 いま再び立ってみて、嫁さんが「小さな建物ですね、ほんまにあの五智如来像がここに入っていたんですか?」と不思議そうに言うのを聞くまでもなく、やっぱり多宝塔の建物はちょっと小さかったのかもな、と思いました。
 もともと江戸期の再建でサイズ的には仏像とマッチしていなかったらしい、との伝承もあったぐらいですから、かなり窮屈だったのでしょう。そのためかどうか、五智如来坐像は早々と京都国立博物館に寄託されましたが、おかげで、その後の多宝塔の火事に巻き込まれることもなく、無事に今日まで伝わっています。

 

 多宝塔跡から今度は西に降りていき、上図の鎮守青龍殿の社へと向かいました。令和3年夏に復興整備を完了してかつての姿を取り戻した境内鎮守社の構えを、初めて拝しました。

 

 昭和63年に調査見学で参拝した時は、この社を見ていません。というか、見た記憶が全くありません。その頃は神域も埋もれて寂れ、林間に社殿がひっそりと建つのみであったそうですから、本堂の安置像と多宝塔跡だけを訪ねて終わっています。

 ただ、この青龍殿から昭和28年に発見された中国唐代の石造品「蟠龍石柱」が京都国立博物館に寄託展示されていたので、五智如来坐像と共に見に行った記憶があります。

 

 現地の案内板にも、その「蟠龍石柱」の図版がありました。安祥寺にも深く関与した平安時代初期の僧、恵萼(えがく)が唐より請来して安祥寺に奉納した「仏頂尊勝陀羅尼石童一基」の一部であろうとされています。

 

 この「仏頂尊勝陀羅尼石童一基」は、「安祥寺資材帳」の記載によれば上寺に建てられていたとあり、石童とは中国式の石灯籠を指しましたから、その一部つまり竿部の石柱にあたる「蟠龍石柱」は、その遺品とみて間違いないと思われます。仮に上寺の遺跡を発掘すれば、この「蟠龍石柱」に関連する他の部位の遺品も見つかるかもしれません。

 唐代の京幾様式石灯籠の遺品であり、現存部分だけで105センチもあり、日本には産出しない漢白玉の製品で三匹の龍を彫り表しています。おそらく上寺が廃絶した南北朝期に、その残存の寺宝を下寺へ収容したなかにこの「蟠龍石柱」も含まれていて、後に鎮守社の御神体として祀られたのでしょう。

 

 その御神体の「蟠龍石柱」は、いまも京都国立博物館に寄託展示されていますから、現在の社殿にはそれに代わる何らかの宗教的遺品が祀られているようですが、それに関する言及は案内板にはありませんでした。
 嫁さんが「蟠龍石柱のレプリカとかじゃないですかね?」と言いましたが、その可能性もあるでしょう。

 

 いずれにしても、周囲に石垣を築いて神域を区画し、これを水濠で囲む大層な構えの神殿なので、社殿内が空っぽというのは考えにくいです。「蟠龍石柱」に代わる何かを祀っていると考えたほうが自然なのですが、安祥寺の公式サイトにおいても、この青龍殿の神体に関しては一切触れるところがありません。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く29 その6  千頭いろいろ

2023年05月06日 | ゆるキャン△

 道の駅「奥大井音戯の郷」展示館の続きです。この施設は体験ミュージアム「音戯の郷」をメインとし、日本の音風景100選のひとつに「大井川鉄道のSL」が選ばれたことに因んで設立されたため、館内には大井川鐡道やその沿線を紹介する展示品が多く並べられています。

 上図の奥大井湖上駅の模型もその一つです。大まかにデフォルメして作られていますが、現地の地形の特徴をよく捉えています。が、トーマス号は実際には井川線を走りませんので、ここは忠実にトビー号を再現すれば良かったのに、と思いました。

 

 ゆるキャンコーナーの奥にはゆるキャンとのコラボで川根本町が作成し各地に貼ったコラボポスターが6種類並べて貼ってありました。これらは昨年1月の第1回コラボキャンペーンに際して作られたもので、いま販売している同絵柄のポスターとは違って、川根本町の名前が入っています。

 第2回の今回の期間中に販売されていたのは、このうちの4種ですが、川根本町の名前が大井川に差し替えられています。今回販売されている4種は、キャンプ場の景色である2種を除いたもののようです。大井川鐡道の観光、という視点からみた場合、車やバイクでの移動が主となるキャンプ場は、推しのスポットから外れるからでしょう。

 

 展示館の玄関付近に立ててあったトーマスのパネル。中国語やハングル語の表記もあり、アジアからの観光客も少なくないようです。しかし、このトーマスはなんだかちょっと怖いんですけど・・・。

 

 展示館の前庭には、上図の蛇口のオブジェが3つありました。無料で遊べる子供向けの設備で、蛇口をひねると音が出てくる仕掛けです。私が横を通った時に家族連れが遊んでいて、二人いた女の子の小さいほうが母親と一緒に蛇口をひねって音を聴いていました。まず大井川の川音と思われるザーッという水の音が響き、その後に鳥のさえずりのような音が聞こえました。

 

 施設のゲートを出て、駐車場に囲まれた広場に戻って、その東側に静態展示されている上図のスハフ1形客車を見ました。これは井川線が中部電力専用鉄道であった時代に製造された車両です。作業員輸送用として昭和28年(1953)に帝國車輛工業で5両が製造されましたが、そのうちの1両が、平成24年に道の駅「音戯の郷」に引き取られてここに展示されているわけです。

 なお、現状は製造当初の姿ではなく、かつて千頭駅と川根両国駅の間の側線で運行されていた遊覧列車「かわかぜ号」の専用客車となった際に、窓枠が撤去された状態のままになっています。

 

 志摩リンもたどったルートで千頭駅前へ戻りました。井川線の踏切を渡りました。

 

 踏切を渡る前に、一度振り返って、道の駅の駐車場の奥を見ましたら、家山駅から乗ってきた代行バスがまだ待機しているのが見えました。上図に3両のバスが写っていますが、手前の2両は寸又峡や閑蔵線の路線バス、左奥の1両が代行バスです。あの代行バスに、帰りも乗るのだろうな、と予想しました。

 

 千頭駅前に戻り、上図のベンチに腰かけて一休みし、ゆるキャンの世界観に浸りました。原作コミック第10巻100ページ1コマ目で志摩リンと土岐綾乃がこのベンチに腰かけていたのです。

 

 時計を見ると10時46分、まだ21分の余裕がありました。ならば、アレもどうなっているか見届けておこう、と思い立ってそちらへ歩いていきました。

 

 アレとは、上図の千頭駅北約50メートルにある「カーケア中原」さんのゆるキャンレンタルバイク2輌のことです。

 

 御覧の通り、志摩リンのビーノ、土岐綾乃のエイプの実物です。レンタルして利用出来るようになっていますが、普段は店先または斜め向かいのカフェ「うえまる」の店先に展示されています。いずれも時々利用客があるようで、綺麗にメンテナンスがされているようでした。
 以前に一度、ビーノのほうを利用して八橋小道まで行きましたが、エイプのほうはまだ機会を得ていません。

 

 続いて上図の川根物産にて川根茶ソフトを買って食べました。ソフトを撮り忘れた事に気付いたのは、全部食べてしまった後のことでした。

 

 かくして、帰りの代行バスの時刻3分前まで、千頭駅前エリアにていろいろと楽しんでいました。これらのスボットの大半は原作コミックにも出ていますから、アニメ3期にも必ず登場するでしょう。

 平均的にアニメ放送がヒットした場合、その聖地への巡礼行動のムーブメントは、だいたい平常時の約10倍になると言われています。ゆるキャンは既に1期、2期がヒットしてアニメ史上でも上位にランクされていますので、3期がさらにヒットすることは確実視されています。

 その舞台がここ大井川鐡道エリアなのですから、相当の経済効果が見込まれる筈です。大井川沿線の聖地スポットは寸又峡や奥地の畑薙に至るまで数多いですが、ファンは絶対に行きます。万難を排してでも絶対に行くのです。その盛り上がりが、そのムーブメントが、台風災害の不通などかつてない苦境に立たされている大井川鐡道にとっても救世主となるのは間違いないでしょう。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く29 その5  音戯の郷

2023年05月05日 | ゆるキャン△

 千頭駅エリアでのゆるキャンミッションの続きです。第一目標のポスター、第二目標の豚串を完了して次の第三目標に進むべく、千頭駅前を西に通り過ぎました。時計台の時刻は10時35分、残り時間は32分でした。

 

 今回のゆるキャンミッションのコラボキャンペーンポスターです。このポスターも欲しかったのですが、非売品で期間終了後は回収して返却するとの事でした。

 

 第三目標は、千頭駅構内のトイレの横にある特大のパネルでした。

 

 あfろ氏描き下ろしの特別デザインのようです。大井川鐡道の車輌や主要駅舎が描かれています。アニメ3期放送後は間違いなくアニメデザインの大井川鐡道コラボポスターも出るものと思われます。

 

 続いて第四目標のキャラクターパネル。駅舎の待合室コーナーに御覧のようにポスターとともにディスプレイされていました。

 

 ポスターとパネルの絵柄は共通でした。大井川鐡道限定のオリジナルデザイン、というのが良いです。

 

 第五目標は、千頭駅の西隣にある道の駅「奥大井音戯の郷」のメイン施設の「音戯の郷」の中にありました。

 

 施設のエントランスの展示コーナーに、原作コミック第11巻77ページのコピーがあり、そのなかに描かれる志摩リンと土岐綾乃のテントの実物が展示されていました。上図右の志摩リンのテントは「ムーンライト3型」として有名ですが、左の土岐綾乃のシングルウォールテントも実物があります。モンベルの「マイティドーム2型」です。

 

 そしてテントの横には志摩リン、土岐綾乃の「孫ライダーズ」のパネルもしっかりありました。薪も置いてあって、アプトいちしろキャンプ場でのあの場面を再現しているようでした。

 

 志摩リンはヤマハのビーノ。

 

 土岐綾乃はホンダのエイプ。

 

 大井川吊橋巡りツーリング中の孫ライダーズです。川根本町のコラボ企画で作られたパネルのようですが、ということは、昨年1月の第一回目のコラボキャンペーンの時に作られたものなのでしょう・・・。
 このパネル、八橋巡りの遊歩道入口や畑薙第一ダム、塩郷吊橋などで見てみると雰囲気バッチリでしょうね。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)プラウダ高校 T34-76(3号車)

2023年05月04日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  イタレリ/ズベズダ (商品コード282)

  制作期間   2022年3月4日~3月5日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 完成です!!

  総評・備考
 第二次大戦中のソ連を代表するT34中戦車は、ガルパンにおいてもT34-76およびT34-85がプラウダ高校の中心戦力として活躍する。T34-76の劇中車は、1942年から1943年にかけて生産された「ナット」と呼ばれる六角形状の新型砲塔を使用するタイプの1943年型に該当する。「ナット」に良く似た六角形状の「フォルモチカ」と呼ばれる砲塔のタイプもあるが、劇中車の砲塔「ナット」は外周部と上面との間に継ぎ目があり、「フォルモチカ」には継ぎ目が無い。前者のキットでは砲塔と天板が別パーツになっており、後者のキットは砲塔が一体成型パーツになっているので、見分けるのは容易である。
 公式キット(下のキット一覧の1)は劇中車に形状がほぼ一致する1942年型のドラゴン製品(下のキット一覧の6)を用いており、転輪も劇中車仕様に合わせてあるので、最低限の改造でガルパンの雰囲気に仕上げることが出来る。
 適応キットも複数のメーカーから幾つか出ているが、劇中車に合わせて作る場合には砲塔形状と転輪のタイプを合わせる必要があるほか、車体各所の細かい特徴を全て合わせる作業が追加される。1943年型のキットが多く、中にはコマンダーキューボラ付きのものがあるが、これはコミック版「フェイズエリカ」に登場する継続高校チーム隊長トウコの搭乗車の型であるので、そちらの仕様で作ってみるのも面白いだろう。またAFVクラブのキット(下のキット一覧の10)はフルインテリアキットで、内部構造もすべて再現されている。
 今回の3号車は、フォロワーさんより譲渡されたイタレリの古いキットにて製作した。タミヤ製品で製作した1号車、AFVクラブ製品で製作した2号車に比べるとパーツの精度などはやや難があるものの、パーツ数が抑えられているために組み立て自体は驚くほどに容易であった。

  公式および適応キット一覧(2023年5月現在) 黄帯が今回の使用キット  


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黒森峰女学園 シムカ5(フェイズエリカ仕様) 作ります!! その3

2023年05月03日 | ガルパン模型制作記

 塗装作業に入りました。今回は、新たに買ってきた塗装ツールを活用して自身なりの新しい塗装法を模索してみたいと考えていましたので、今までとは異なった段取りで取り組みました。

 

 今回、模型の塗装用に新たに買ってきた、クサカベのアキーラです。世界初の「水性アルキド樹脂」をバインダーに使った品として知られ、水性ながら油性の性質も持ち、高発色・高品質の絵具として美術界隈ではここ数年注目されているアイテムです。2006年頃に開発されて発売され、2017年に一般向けにリニューアルが行われて品質と色揃えが向上したため、より使いやすくなっていると聞きます。

 私自身は、芸大での絵画演習および実習、野外描写活動などで、光輝性の高い画を好んだため、そのための水性絵具としてホルバイン、シュミンケ、アクリルガッシュを使い、社会人となって以降も奈良の古社寺の景色の写生などを趣味とした時期があったので、これらの水性絵具類は割合に長く使用して80色余りを今も手元に置いています。

 ですが、これらはいずれも水性塗料の宿命で剥落しやすいため、ガルパン車輌プラモデルへの応用には慎重でした。が、冬季の室内での塗装にミスターカラー等の油性塗料が匂い等で使いづらいため、大学選抜チームのダッジWC57の製作に際して初めて実験的にアクリルガッシュを採りました。剥落防止の策として水性アルキド樹脂液を混ぜて塗ってみたところ、意外にもうまくいったのでした。

 それで、もとから水性アルキド樹脂が含まれている水性絵具のアキーラならば、より良く仕上がるだろうとの感触を得ましたので、いずれアキーラを買って試そう、と決めたのでした。
 しかし、アキーラは水性絵具としては最高級品クラスの品であるが故に、価格もそれなりにします。超高価品のシュミンケほどではありませんが、基本セットの12色セットでも税込みで3850円もします。1色あたり320円です。ホルバインの12色セットは2700円ぐらい、アクリリックU35の12色セットは3000円ぐらい、アクリルガッシュの12色セットは3500円ぐらいですから、アキーラはやっぱり高価格です。

 ですが、ホルバインやアクリルガッシュが基本カラーを軸として揃えるのに対して、アキーラは上級者向けを意識しているのか、混ぜ合わせて出来るカラーや中性色および中間色系のカラーに重点を置いています。
 実際に画材専門店へ行ってアキーラの色揃えを見ていただければ分かるのですが、とにかく渋めのカラーが少なくありません。上図のように、ミリタリー系に使えるカラーも豊富です。

 それで、今回は最低限必要な5色を買ってまいりました。ガルパン車輌のカラーに使えそうな色に絞り、ブラウン系の56番バーントシェンナ、オリーブドラブに近い57番ローアンバー、ニュートラルグレーに近い63番グリサイユグレー、ブラック系の66番マルスブラック、混ぜ合わせにも使えるホワイト系の69番ミキシングホワイト、の5色です。

 上図では6本ありますが、63番のグリサイユグレーは沢山使うだろうと思って2本買ったからです。そしてこの63番グリサイユグレーが、今回のシムカ5の車体色でありました。

 

 初めてアキーラをパレットに出して水で溶いてみました。あ、これは粘り気があるな、水性アルキド樹脂の含有量が多いのかな、と感じました。水性絵具ですから水彩の感覚でサラサラと塗れますが、粘り気があるので、筆で塗る際の手ごたえは油彩に近いものがあると思います。

 

 車体を筆で塗りました。プラの成形色よりやや濃い目で、見た目にはあまり違わないのですが、筆特有の塗りムラが残るところはやっぱり水性絵具だな、と思いました。ただ、このムラは絵具の厚みの差によるもので、水気がとんで乾燥すれば、ムラは殆ど目立たなくなります。

 

 難点は、乾燥するのに時間がかかることです。油性絵具の性質も併せ持ちますから、これは仕方が無いのですが、水性アルキド樹脂のエマルション効果による乳化層が表面に形成されて少々のベトつき感も伴います。このベトつき感は、最後につや消しクリアで保護膜をかぶせれば抑え込めるので問題にはなりませんが、ムラのほうはなるべく絵具を均等に塗り伸ばすことで抑えるしかありません。

 ですが、乾燥後の仕上がりは上図の如くでした。手作業でのペンキ塗り感が出ていて、それはそれで味わいがありました。

 

 各種のパーツをドンドン塗り分けていきました。タイヤゴム部分だけは接触の際の剥落を避けるべく、いつものようにポスカの黒で塗りました。

 

 シートは56番バーントシェンナ、車内色は63番グリサイユグレーに69番ミキシングホワイトを混ぜて明度を上げたものを塗りました。ハンドルやシフトレバー類は66番マルスブラックで塗りました。

 

 折り畳み式のルーフシートは、57番ローアンバーに69番ミキシングホワイトを少し混ぜたもので塗りました。その後に予備タイヤを内側から組み付けました。

 

 ウィンドゥのガラスパーツを全て組み付けました。シムカ5の大体の塗装は、今回買ってきた5色のアキーラで事足りました。これはキットの実車がドイツ軍仕様であることをふまえますと、この5色で大体のドイツ軍車輌のカラーはカバー出来るのだろう、と思います。  (続く)

 

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安祥寺2 安祥寺の諸堂

2023年05月02日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 安祥寺の山門をくぐりました。山門脇には寺のマスコットキャラクターらしき高野聖ふうの「こうやくん」のパネルがありました。高野山真言宗に属する寺ですから「こうやくん」なのでしょう。大変に分かり易いネーミングです。

 

 山門の傍らの案内説明板です。嫁さんが、寺の開基である恵運が空海の孫弟子であるのを初めて知り、「この人も中国へ渡ったのかな」と言いました。
 その通り、恵運はいわゆる入唐八家のひとりです。入唐八家とは、平安初期に唐に渡って日本に密教経典を請来した八人の僧のことです。最澄、空海、常暁、円行、円仁、恵運、円珍、宗叡を指します。

 恵運は山城国安曇郷の出で、出家前の俗姓は安曇氏でありました。初めは奈良の東大寺や薬師寺などで法相教学を学びましたが、後に真言宗の実恵(空海の弟子)の門下に入りました。その後、承和九年(842)に唐の商人李処人の船で唐に渡り、長安の青龍寺で義真に灌頂を受け、五台山・天台山を巡拝しました。
 五年後の承和十四年(847)に帰国し、その翌年に仁明天皇女御の藤原順子の発願により京都安祥寺を開創しました。その功績により僧都に任じられ、安祥寺僧都と称されました。

 

 山門をくぐって境内地に入ると、山裾の傾斜地を整地した段丘のうえに諸堂が並ぶのが見えました。上図中央奥に見えるのが本堂です。その右側に他の諸堂が並びますが、ほとんどは樹木に隠れていて、近づくまで見えませんでした。

 

 現在の境内地は、かつての安祥寺下寺の伽藍が応仁の乱によって全滅した後、江戸時代に残余の仏像寺宝をかき集めて移転して再建した場所にあたります。

 本来の下寺の伽藍域は、いま東寺の所蔵となっている恵運作成の「安祥寺伽藍縁起資財帳」によれば、現在のJR山科駅の辺りとされていますが、1993年の地下鉄東西線の建設にともなう発掘調査では明確な遺構は確認されなかったと聞きます。位置がもう少し北側、山寄りではないかとする説もありますが、現在は住宅地になっていて、地下の遺構を確かめるのは不可能であるそうです。

 

 本堂の前まで進みました。嫁さんがここで立ち止まって周囲を見回した後、右側を指さして、あのお堂から回りましょう、と言いました。

 

 あのお堂、とは境内地の東側に並ぶ大師堂と地蔵堂のことでした。そのまま嫁さんにしたがってついて行きました。

 

 まずは大師堂の前に進みました。江戸時代の安永二年(1773)の建立で、本尊は弘法大師像です。

 

 大師堂の内陣には、本尊の弘法大師像を中心にして左右に四人の僧の肖像が祀られます。開基の恵運僧都像、第十一世にして安祥寺流々祖の宗意律師像、第二十一世興雅僧正像、第二十二世宥快法印像とされています。
 このうち恵運僧都像のみが平安時代の遺品で、後は全て江戸時代の作とされています。恵運僧都像は、かつての下院の伽藍のいずれかに祀られていたものが幸いにして現存しているわけで、貴重な遺品です。

 

 続いて北隣の地蔵堂へと向かいました。

 

 地蔵堂は江戸時代の明和九年(1772)の建立で、本尊は地蔵菩薩像です。

 

 地蔵堂の内陣です。厨子に安置される地蔵菩薩坐像は鎌倉時代後期の作とされますが、寺伝では恵運が中国より請来したものということになっています。本当に請来像であれば唐代の彫像であるはずですが、実際には鎌倉時代と同時期の宋代の彫刻の影響下に作られた日本の彫像です。  (続く)

 

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