川根温泉にて3時間あまりを過ごして充分に楽しんだ後、15時前に川根温泉ホテル前の臨時バス停に戻り、15時1分発の家山行きの代行バスに乗りました。
10分後の15時11分に家山駅に着きました。今回も時刻表ピッタリの運行がなされていました。さすがは大井川鐡道さんです。とにかく不通区間の開通再開が待たれます。
家山駅の駅舎です。何かのイベントが予定されているのか、建物の軒先に電飾が回されていて、その一部がまだ未設置のままになっていました。出入口横の郵便ポストは、京都市でも見られなくなった昭和の古いタイプですが、まだ現役であるそうです。そういえば門出駅にも緑色に塗られた同タイプのポストがありましたね・・・。
ポストと同じく、駅舎の建物もものすごく古いです。昭和四年(1929)開業時以来の建築で、外観も内観も時間が止まったかのような保存度で維持されて現役のままです。大井川鐡道の多くの駅がそんな古さを保つのみならず、天竜浜名湖鉄道のほうでも似たり寄ったりの古い駅舎が多いのですから、鉄道ファンが静岡県を鉄道の聖地の一つとして認識しているというのも頷けます。
家山駅は、大井川鐡道本線において四ヶ所しかない有人駅の一つです。改札口横の事務室には駅員さんが常駐し、列車が停まるたびに検札に立ちます。その光景もまた、昭和四年(1929)開業時以来のものなのでしょう。
駅舎の南側には平成23年に利用客の要望に応じて設けられた売店があり、名物の抹茶たいやき、静岡おでん、川根冷やしラーメンなどを販売しているそうですが、この日は定休日でした。
すでに15時21分発の金谷行き列車がホームにて待機していました。隣の留置線には、あまり見かけない砂利運搬用の貨車が数輌置いてありました。おそらく不通区間での災害復旧作業の関係でしょう。線路から取り除いた土砂を運び出すのに使われるのでしょう。
最近はこの旧東急電鉄の車輌をよく見かけるようになりましたね・・・。我らが関西出身の旧近鉄車輌はもう見られないのでしょうか・・・。
まだピカピカの真新しい駅名標に「昭和の郷愁」と書いてあるのがなんとなく違和感を覚えさせます。昭和以来の古い駅名標もあるのだから、そちらに書けばいいのに、と思ってしまいました。
そういえば、この家山駅は映画などのロケ地によく使われていることで知られます。「男はつらいよ」や「鉄道員」を見た方なら、この駅の佇まいには既視感を覚える事でしょう。
発車5分前。
代行バスからの乗り継ぎ客が約10人ほど、地元の方らしいのが約10人ほど乗り込んでいました。
年度統計によると、1日あたりの平均乗車人員は約300人ほどであるそうです。が、これは金谷までの全線を運行し、かつSLかわね号やトーマス号利用の観光客が家山駅でよく乗り降りしている時期のデータでしょうから、不通区間が生じて以降は、もっと減っているでしょう。
丸太の電柱に巻かれた駅名の銘板。こちらが昭和以来の古い駅名標の一種です。戦前からのものらしく、「昭和の郷愁」がバッチリただよっています。文化財級の価値があります。鉄道ファンが大喜びで写真を撮るのも、当然ながらこちらです。 (続く)