気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ゆるキャン△の聖地を行く38 その3  信州の土豪の館

2024年03月14日 | ゆるキャン△

 馬場家住宅見学の続きです。表門を入って右側にある、南向きの中門を見ました。

 

 中門の案内説明板です。格式のある造りから、身分の高い人のみが通れる門だろうと推測していましたが、やはり諏訪高島藩の藩主が訪れた時のみに開かれた、とありました。つまり高島藩の諏訪氏専用の門であったわけです。

 これによって、現地が江戸期には高島藩領に含まれていたことが分かりました。当時の馬場氏の「特別な家格」が具体的にどのようなものであったかは説明が無くて分かりませんでしたが、藩主専用の門を設けるぐらいですから、在地代官職とか庄屋クラスに近い家格だったのだろうと推測します。

 

 主屋の正面にあたる西側の造りです。右手に当主専用の玄関口、左手に使用人の通用口があります。江戸期までは人々の生活全般において身分の差というものがあり、それによる区分が厳然として存在しましたかから、建物の造りにもそれが反映されています。

 

 主屋の案内板です。

 

 主屋の内部をのぞいている最中に、管理事務所の位置表示を見つけましたので、それにしたがって主屋の北側に回りました。上図の長屋風の建物がありました。

 

 長屋風の建物の案内板です。もとは「ひきや部屋」つまり屋敷の建物や屋根のメンテナンスをする職人の住込み作業小屋であった建物です。それが現在は管理事務所となっていて、見学の手続きもそこで行っています。

 

 見学料を支払い、見学の栞と説明パンフをいただいて、主屋の見学順路を案内されました。まず外回りを見て北側から上図の東側に回って文庫蔵の外観を見て、その後に主屋の中へ入って下さい、ということでした。

 

 それで、主屋の東に隣接する上図の文庫蔵の前まで行きました。土蔵造りの書庫です。江戸期の豪農や豪商の屋敷には大抵このような家財や文書記録などを保管収蔵する蔵があり、米蔵や貯蔵用の蔵とは区別して「文庫蔵」や「付蔵」などと呼ばれます。

 

 文庫蔵の案内板です。

 

 文庫蔵の前から引き返して、主屋の内部に入りました。上図の北側の土間通用口が、見学用の出入口にあてられていました。

 

 土間通用口をくぐって土間に進み、左手(東側)を見たところです。「カッテ」と呼ばれた板間が見えました。漢字で書くと「勝手」ですから現在の台所にあたる空間です。中央に囲炉裏風のカマドがあり、奥に簡易流しが置かれています。

 

 同じ位置から今度は南側を見ました。手前の「ゴジョウ」と呼ばれる五畳敷きの控え室の奥に「ゲンカン」と呼ばれる十畳敷きの「玄関の間」、その奥に当主の空間である「ザシキ」つまり「座敷」が見えました。

 つまり、主屋内部は南側に当主や家族の空間が配置されていて、南に行くほど部屋の格式が高くなっています。庭園も南側に配されるため、中門から諏訪高島藩の藩主が入った時にストレートに「ザシキ」へと通されてもてなされるわけです。だから武家専用の中門が南側に設けられているのだ、と分かります。

 こういった、江戸期までの身分による空間の使い分けというのが、古民家を見て理解するうえでの重要なポイントになります。江戸期までの民家建築は、当主の身分に応じてだいたいの空間配分や部屋の配置が決まっていたようなので、全国各地の古民家を見ていると、色々と共通項や似たような要素が見られることにも改めて気づかされます。  (続く)

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 伯爵高校 Ⅳ号戦車G型(1号車... | トップ | 豊家の余香13 豊国神社唐門にて »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ゆるキャン△」カテゴリの最新記事