気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ゆるキャン△の聖地を行く33 その8  滝沢ダムの下へ

2023年09月30日 | ゆるキャン△

 「大島屋」を出て、三峰神社の正参道筋を戻りましたが、分岐の上にもう一軒の売店兼食事処の建物「山麓亭」がありましたので、立ち寄って土産物を幾つか買いました。正式名称が「お犬茶屋山麓亭」なのですが、「お犬」とは三峰神社の守護神のことかとお店の人に尋ねたところ、「そうです、山犬様です」と答えてきました。

 江戸期までの日本人は、ニホンオオカミを「山犬」と呼んで他の犬とは区別していた事が、奈良県や岡山県の山間部の記録や伝承などで伺えますが、ここ埼玉県秩父においても同様だったのだろうな、と納得しました。

 三峰神社においては、祭神の日本武尊が秩父を訪れた際に、ニホンオオカミが道案内をつとめたと伝えて、祭神の眷属としてオオカミを祀っています。別伝では、三峰山中興の祖、天台宗系の山岳修験者だったとされる月観道満が初めて三峰山に来た際にもニホンオオカミが道案内を務め、やがて月観道満になついて群れで月観道満を護ったといいます。月観道満が三峰山の復興をなすべく全国各地へ行脚し、帰ってくると必ずオオカミたちが出迎えたそうです。

 これと似たような話を、奈良に住んでいた頃に大台ケ原登山に行った時に聞きました。奈良の秘境とされる大台ケ原を開いた神道系修験者の古川嵩(ふるかわかさむ)が初めて大台ケ原に入った際に、ニホンオオカミの夫婦が道案内をし、仲良くなって山の洞窟で共同生活をしたといいます。古川嵩はニホンオオカミの雄を「剛太(ごうた)」、雌を「えい子」と名付けて可愛がり、彼が山の中を跋渉する際にはニホンオオカミの夫婦も一緒であったため、熊や他の獣が絶対に近づかなかった、ということです。日本の百獣の王だったニホンオオカミが古川嵩を護っていたわけですから当然ですね・・・。

 これとよく似た話は、奈良県の吉野地方に多く伝わっていて、伝記本や証言集も幾つかまとめられています。これらに共通する内容は、ニホンオオカミは人間を護ってくれた、というものです。ニホンオオカミが生きていた頃は、村で飼っていた獰猛な土佐犬でさえ、夜にオオカミの遠吠えを聞いただけで怯え、怖がって村人に家の中へ入れてくれと泣き喚いたほどで、他の獣たちは勿論、大きな熊でさえも逃げ出していった、ということです。それで田畑の作物が食い荒らされることもなかったため、農業安全の神様として「山犬様」を祀ったケースも少なくなかったそうです。

 また、人間が山の中で道に迷い、オオカミに出会ってしまったが、オオカミは人間に近寄ってある方向を向いて吠え、里までの道案内をしてくれた、という話は結構多かったようで、「送りオオカミ」という言葉もそこからきています。オオカミは人間に危害を加えるどころか、人々を護り、導いてくれる有り難い存在でした。道案内された人々は、お礼として必ず塩を玄関口の外に積んでおいたそうです。オオカミがそれを舐めにきて、山では摂れない塩分を補給して帰って行った、ということです。

 オオカミを漢字で描くと「狼」ですが、その字の意味は「良い獣」です。日本人が「狼」と表記したところに、ニホンオオカミの本質が良く表れていると思います。三峰神社の守護神となっている点も、かつて秩父山系に生息していたニホンオオカミが、三峰山の信仰に関わる人々を護ってくれた歴史にちなむのでしょう。

 

 三峰神社には12時過ぎまで滞在しました。そののち駐車場に戻って車に乗り、もと来た県道278号線を引き返して下山、上図の二瀬ダムを渡りました。その手前で信号待ちをしていた際に撮りましたが、志摩リンはもう少し上の方のカーブ辺りから同じ二瀬ダムを見ていたシーンが描かれます。

 

 このシーンですね。同じカーブを私も走りましたが、車を停めて同じアングルを撮るのは無理でした。前にも後ろにも車がいたのと、車を停められるような場所が全く無かったからです。

 

 信号待ちをしていた際に撮った、秩父湖の景色です。

 

 信号待ちしていた場所の前方の景色です。二瀬ダムの上の道路が一車線しかないため、信号にしたがって交互に通る形になっていますが、信号の青の点灯時間が短くて、数台が通っただけで直ぐに赤になってしまいます。土日祝日の大渋滞の原因の一つが、この二瀬ダム通行区間の信号だろうと思います。

 

 で、上の標識の左の「栃本」が、今回甲府から移動してきたルート上の集落の名前で、これから行くのは右の「秩父甲府」方面への国道140号線でした。国道140号線は秩父往還とも呼ばれ、次の分岐で甲府方面へ左折しました。

 

 12時31分、上図の地点に着いて、標識にしたがって左へ折れ、広い駐車場へと下りました。

 

 広い駐車場には車が一台も無く、上には国道140号線の大きなループ橋、奥には滝沢ダムが見えました。

 

 その奥へ道路は続いていますが、上図のように車止めが設けてあって、車は進入禁止となっていました。作中で志摩リンもここに来ていますが、原付ビーノですから奥の道路へ入っていけたようで、その先の広場まで行ってダムの写真を撮っています。
 ですが、私はそこまで行けませんので、どうしたものか、と考えました。滝沢ダムまではまだ距離があり、歩いて行くと時間がかかりそうなので、ダムの方から回ることにするか、と決めました。

 

 この下流広場の駐車場、車で埋まる時はあるのだろうか、と思いました。奥の山肌に見える白いコンクリートの線が、走って来た国道140号線です。

 

 近くに案内板がありましたので、現在地周辺の地理を確かめるべく近寄りました。

 

 これで見ると、志摩リンが行った滝沢ダム下流広場とは、ダムの真下にあたるエリアだと分かります。私の居る位置が右の「現在地」で、300メートル以上離れています。往復で600メートルなら、ちょっと歩けば行けるな、と思いつつ、隣の滝沢ダム案内板を見ると・・・。

 

 上図によって、ダム真下の歩行者ルートつまり下流広場エリアまで、ダム堰堤上からエレベーターで行けることに気付きました。そうか、志摩リンが行こうとして「ぐぬぬ」となったエレベーターはこれか、と気付きました。

 その場で滝沢ダム管理事務所に電話で問い合わせて、この日はエレベーターが利用出来る事を確認しました。よし、これで下流広場へはダム上からエレベーターで行ける、と思いました。とりあえず車に戻って、上の滝沢ダムまで行くことにしました。

 

 志摩リンは、エレベーターが使えなかったために国道140号線を下へ降りてループ橋を渡り、私が居る地点まで来てそれからダムの真下まで移動したわけです。
 そのルートは上のマップでも把握出来ましたが、それ以上にびっくりしたのは、ループ橋の名称が「雷電廿六木橋」であることでした。読みは「らいでんとどろきばし」です。すげえ名前だなあ、雷がとどろく中を走るってわけか、と感心してしまいました。  (続く)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする