気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

魅惑の醍醐寺2 醍醐寺理性院へ

2023年09月20日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 醍醐寺の塔頭のひとつにして別格本山でもある理性院は、境内の北方、中心伽藍の仁王門前から北門へと通じる道の途中の西側に上図の総門を置く。今回は初めて特別公開の対象寺院となり、総門の脇に特別公開案内板が立てられていた。

 

 総門から中に入ると、やや下り坂になって石畳道が左手の山門(上図右)前まで続くが、正面には千体地蔵が祀られる。

 

 理性院は、普段は非公開だが、総門からこの千体地蔵までの区画だけは常時開放されているため、いつでも見学出来る。私自身もここまでは二度ほど来た記憶がある。

 

 千体地蔵は、理性院の本来の祭祀対象ではなく、先代住職が集めてここに祀ったものという。醍醐寺の内外から集めたものと思われるが、それにしても大変な数である。雑多な形や年代の様々な石仏が集められており、いずれも風化磨滅が激しいので、本来の尊容、尊名は分からない。それで現在は「千体地蔵」として、毎年十月の第三日曜に「千体地蔵供養」を行なうそうである。

 

 山門を初めてくぐるにあたり、一度立ち止まって一礼し、真言宗醍醐派の別格本山の寺格に敬意を表した。

 

 山門をくぐって右手の高台には上図の破風屋根の建物があった。聖天堂とのことで、今回の公開範囲には含まれなかった。

 

 正面には本堂があった。本尊が大元師明王で秘仏、と聞かされて懐かしい気分になった。奈良県奈良市に住んでいた頃は秋篠寺の近所で、秋篠寺の大元師明王のお堂によくお参りし、秘仏の大元師明王像を年に一度拝見したりしていたからである。

 だが、こちらの大元師明王は80年に一度の開帳であるという。次回は2065年だというが、私自身はもうこの世に居ないだろう。

 

 本堂の左手に上図の客殿がある。本堂とともに江戸期の再建で、その玄関式台が特別公開の拝観受付になっていた。係員の方が一人で受け持っておられた。

 

 式台の直上を見上げて上図の大きな蟇股に目が行き、蟇股の中央に彫られた紋様に気付いた。変わったデザインだなあ、としばらく見ていたが、よく見たら双鶴の意匠であった。家紋でいう「対い鶴」であり、これが理性院の寺紋なのだろうか、と思った。  (続く)

 

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