日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

「藪の中」を迷走する日本政治

2020年05月27日 07時19分49秒 | 政治
 「今昔物語」を下地にした芥川龍之介の名作「藪の中」。強姦と殺人という厳然たる現実があるにもかかわらず登場人物たちの供述がすべて矛盾しあっていてついに真相に迫れない「迷路」を主題とする。きわめて「知的」な作品であった。
 この物語とくらべればとても「知的」とは言い難いが、紛れもなく証言が食い違いながら結論だけが出てくる話が地方紙に掲載されていた。曰く;―-
「賭けマージャンで辞職した黒川弘務前東京高検検事長(63)の処分を巡り、事実関係を調査し、首相官邸に報告した法務省は、国家公務員法に基づく懲戒が相当と判断していたが、官邸が懲戒にはしないと結論付け、法務省の内規に基づく『訓告』となったことが24日、分かった」(2020/05/25中日新聞)
 この記事は、いわば「藪の中」の矛盾の連鎖というような知的な話ではない。「賭け麻雀」という触法犯罪を犯している検察官(司法行政官)を実質的処罰性を伴わない「訓告」(法務省内規)という公務員に課せられる処分の中では実質的な不利益のまったく無い最も軽微な処分が行われたという笑えない結論話が書かれている。
 この処分の最終判断者はあくまで内閣総理大臣だが、記事によれば、彼は「この『結論』は検事総長の判断であって、それを法務大臣が自分に報告してきたからこれを認めたのみ」と述べている。これに対して、当の法務大臣は、「内閣でさまざまに検討した結果を検事総長に『こう言った処分が相当ではないか』と伝えて、(最終的に)検事総長から『訓告』処分にすると知らされた」と述べているのである。ここまでですでに結論が180℃違っている。
 この前二者に対して、法務・検察の現場からは、「懲戒処分が相当との意見が強かったが官邸の判断で『訓告』となった」と、上記記事には「現場」の声として解説が付いていた。つまり、これは訳が分からない乱雑な状態(カオス)という意味での「藪の中」の話であって、要するに薄汚い政治世界のウソとギマン、芥川の「藪の中」の高尚さは無い。
 冒頭の新聞記事は、要するに実質的処罰性を有する「懲戒処分」の原案を担当部局(法務・検察)が「用意」して、これを法務大臣に「上申」し、同大臣がそれを内閣総理大臣に「報告」したところ、これを「訓告」にするように「命じ」られ、それを受けて法務大臣は検事総長に知らせて、この一往復で「懲戒」から最終的に「訓告」へと180反転して落ちついたということなのである。つまり、この決定は首相=総理官邸の判断である。
 ところが、当の首相は国会で「検事総長が事案の内容など、諸般の事情を考慮し、適切に処分を行ったと承知している」と繰り返している。最高責任者が自らの判断ではないと言うのである。ここが現代版「藪の中」へのとば口になっている。そしてこれを補強するように2日後の5月25日になると、法務大臣の発言がまた変わってきた。
 「黒川弘務・前東京高検検事長を賭けマージャン問題で訓告処分にしたことについて、検事総長に法務省から『訓告相当だ』と伝えた。検事総長からも訓告相当と連絡があったので処分を行った」と述べ、法務・検察の判断で決定したと説明した」(2020/05/25毎日新聞)。これで、この決定に関与した全員の意見が「訓告」で一致していたことになって、争いが消滅?した。
 すべてが実に「知性の欠如」したままの「藪の中」にある。この無責任性こそが現代日本政治のリアリズム。