千両富に当たった水屋と、コロナ感染者ゼロ岩手県知事の心境
「新型コロナウイルスの感染者が急増する都市部から逃れてくる『コロナ疎開』が問題視されている。全国で唯一感染者が確認されていない岩手県では、行政や事業者、県民が『水際対策』を講じつつ、戦々恐々としながら事態を見つめる」(2020/05/08河北新報)。
47都道府県の中で唯一その域内住民から新型コロナウィルス感染者を出していない岩手県。「県内で感染者は確認されていないが、『感染者は確実に存在する。既に治癒した人もいると思う』(岩手医大病院感染制御部の桜井滋部長、同上記事)という冷めた「見解」も無いではないが、ともかくも岩手県内でそれらしき患者を数ある医療機関が認識していない以上「居ない」というしかない。
ところがこうなると、いつなんどき最初の患者が出てくるかと123万岩手県民はハラハラドキドキ、とりわけ知事さんをはじめ県の顔役さんたちは寝ても覚めても第一号の出現に戦々恐々のことであろう。むべなるかなと同感しつつも、そんなに力こぶを入れなくてもと意地悪く冷やかしたくもなるのだが・・・。
大相撲関取の連勝記録、野球選手の連続ホームラン記録、正月の羽根つきの連続回数などなど、はらはらどきどきというものは有るものだが、その記録が破られて初めてほっとするようなシチュエーションというものはしばしば世の中にはあるものだ。この岩手県のコロナウィルス発症者ゼロ記録については、そんな江戸落語の「水屋の富」を思い出させる記録である。
神田上水などができた後も良い水に恵まれなかった江戸下町。少し金に余裕のある富裕層は水屋と契約して遠くから湧き水などを運ばせて安い金で水を買っていた。しかし、これに従事する水屋は重労働の上に、契約相手の水がめは雨の日も雪の日も盆も正月も決して切らしてはならない。責任は重くて儲けは少ないビジネス。当然歳を取ってやれる仕事ではない上、利益を蓄えて老後に備えられるほどの利益も無い。
そんな水屋がなけなしの元手で買った湯島天神の富くじが当選した。来年の2月まで待てば千両そっくり貰えるという賞金を今今欲しいといって2割引きの800両もらって帰ってくる。かくて分限(ぶげん)になったからといって今日までの水屋の客を放り出すわけにはいかない。水汲み仕事に小判800枚の重量物を携帯する訳にはいかない。第一、危険だ。といって、貧乏家の何処へこの大金を隠しておけばよい?。
一晩寝ずに思案に思案の末、床下にぶら下げておくことにした。しかし、この大金を残して仕事に出るのは不安だ。表に出てみると道行く他人がすべて泥棒に見えてくる。すれ違った人が彼の家の方に歩いて行くのを見ると、あの金を盗りに来たのではないかと後を付けていきたくなる。水を担ぐ天秤棒を床下に差し込んでコツンこつんと金の有ることを確認してようやく仕事に行く。こんな猜疑と不安の毎日を送っていたある日、家に帰って畳を手繰って床下を見て驚いた。そこにはあの小判は見事に亡くなっていたのである。水屋:「ああ、これでようやくゆっくり寝られる」。
岩手の達増知事さんがゆっくり寝られる日の来ないことを祈ります。