安倍内閣が企む検察官定年延長法案に対する世論の反発で、「日本の民主主義は風前の灯火だ」「三権分立が破壊される」「戦時独裁国家に逆戻りだ」など物騒な悲鳴が飛び交ったここ数日間。こんな風雲急を告げるTwitterへの投稿数が、重複も含めてとはいえ、1000万件を超えたという。
空前絶後の政治的空間の誕生であった。特に、この国では政治的発言はそれが権力側を讃美するものならば許されるが、これを批判することは禁忌とされている芸能界に身をおく人々が「反対」の意思表示をしたことが殊の外に注目され、世論形成にも大きく影響したもののようである。
かてて加えて、この間に、立法の対象組織となった検察庁の特捜検事を含むそうそうたる検察官OBたちが主務官庁法務省に異議申し立ての意見を具申するという、これもまた前代未聞の事態であった。この激しい世論にけおされたか、安倍晋三首相はあっさり尻尾を巻いて、強行採決の決定を急遽中止し、法案を撤回した。これぞまさに「泰山鳴動してネズミ一匹」であった。
しかし、この間、衆参議院における議席のほぼ3分の2を占有する与党の議員たちは何を考えていたのであろう? この法案賛成の党の決定に異議を申し立てたと報道されたのは泉田裕彦、石破茂、船田元、それに中谷元の4氏のみであった。それ以外の雲霞の如き多数の議員たちは、執行部が「強行採決」から「撤回」、「次期国会まで延期」と目まぐるしく変転するのをただただ傍観していたということだったのであろうか? この議案に賛成であれ、反対であれ、彼らはただただ執行部の混乱に右顧左眄するだけの存在として国会に議席を持ち専ら徒食していたということなのか?
この朝令暮改の二足三文劇場があわただしく過ぎ去っていったにも拘らずその後政権与党とこれに賛同していた政党の議員からなんの見識もまして不満やうっ憤の声も聞こえてこない。
言論が徹底的に不活発にも拘らず、政治的決定だけが良悪を問われないままなされていくここ数年の事態、これこそ「全体主義(ファシズム)」である。
安倍首相は、その後も「検察庁法改正案」を秋の臨時国会に再び提出すると言っている。それもまた執行部独裁である。このようにして議院内閣制の欠陥だけが露呈する。与党と言えども議員は自らの政治的信念(これを持ち合わせているのであればだが)を内閣に向けて発露する。賛成すべきは賛成するものの、批判すべきは批判する。それが欠陥だらけのこの国の議院内閣制が健全化する唯一の途である。これが叶わない原因は、あげてかくの如き「立法府」の弱体による。それというのも、政党とそれを構成している議員の質的レベルがのっぴきならない状況までに劣化しているからであろう。それを象徴しているのが「魔の3回生」という塊である。
この因は、選挙時における選挙民の知性と理性が必須であることの証左である。良い政治は畢竟良い選挙民によってしか作られない、ということを明らかにしている。