「あちらが立てばこちらが立たず」、「こちらが立てばあちらが立たず」などというのでなく、「あちらが立ったがゆえに、こちらも立ち、その逆もまた立つ」状態のことを英語ではコンシステント(consistent)という。名詞形ではコンシステンシー(consitency)。つまりすっきりと矛盾の無い状態を言う。連立方程式の正しい「根」などというのは文字通りコンシステントなのである。自然界では現象を記述する何連かの連立微分方程式のソリューションが見つかれば、これは自己無撞着な解という。でなくて、答えを元のあっちとこっちの方程式に代入してみたら、これらが満足していないことが分かればこれを Inconsistencyな撞着性という。以下の話は典型的な撞着の例である。
検察庁幹部の定年を内閣の思い通りにやるという「三権分立」の最後の砦を破壊しようという目論見を画策した政権が、そのモデル的人材として屹立した名前をもって挙証してきた人物。その役職も首都の東京高等検察庁トップの検事長。国家検察行政のナンバー2である人物があろう事かあるまい事か、かけマージャンにうつつを抜かしていたという。挙句に物陰に隠れて追尾するパパラッチに証拠写真を撮られるというテイタラク。
この週刊文春誌に掲載された夜陰にひそむ検事長の写真は5月2日のウシミツ時だったという。時あたかも首都は事実上のロックダウン状態の深夜。市民は言うに及ばず、街で働くすべての人々に政府は彼らが生業を自粛するよう要請していたさなかのことである。「三蜜」を避けよの「指示」は、マージャン荘を営業する主人たちにもとりわけ強く伝えられていたまさにその時期、範をもって示すべき指導者の取った行動がこれであった。
この身辺スキだらけの人物を、内閣総理大臣とその官房長官・法務大臣は「余人をもって代え難い」と主張して、「脱法的に」定年延長を決済し、法の看視者たるべき当人も「唯々諾々」としてその「不当な決定」に従ってきた。それだけではない。国会もこれを不当と言わず3分の2の政権与党議員は目をつぶり、反対党の遠吠え以外には何も異を唱えてはこなかったのである。この決定の「正邪」はかくのごとく夜陰にひそんで裏側から映し出してみればその邪悪さが、リトマス試験紙に掛けたように見事に変色して映し出される類のものであった。この撞着ぶり、見事なほどの辻褄の不具合、これぞ国家的Inconsistencyといわず何と言えばよい?
今更のように、報道によれば黒川氏はかけマージャンの常習者であったという。刑法はこれを「犯罪」と定義している。法治国家を自認するこの国の警察・検察の法務行政はこの事実をどう扱う? そして政府与党はどのような政治判断をする? 安倍総理大臣はこれでも政権の座に居座り続けるつもりか??
かてて加えて、黒川氏のかけマージャンの相手はサンケイ新聞と朝日新聞関係者だったという。サンケイはさもありなんとして、我が国を代表するクウォリティ紙とされてきた朝日新聞には「お前もか?」と尋ねたい。二昔以上の長きにわたって付き合ってきた愛読紙との決別を決心するにあたって弁明をぜひ聞きたい。