忘れえぬ体験-原体験を教育に生かす

原体験を道徳教育にどのように生かしていくかを探求する。

教育談義 「委員だけが評価対象ではない」(yutakaの学級通信)

2010年03月23日 | Yutakaの原体験
第3話
『委員だけが評価対象ではない』

 高校入試に使われる中学校の調査書には、委員会活動や係活動の状況を記入する欄があります。
中学3年生ともなると高校入試を意識するあまり、専門委員選挙で落ちたときなど大きなショックを受けることがあります。
しかし大丈夫です。
 委員になることだけが学校生活の評価対象ではありません。
昔こんな生徒がいました。
 その生徒は毎回意欲的に掃除に取り組みました。
黒板下や棚など汚れている部分のぞうきんがけを進んで行うなど、最後まで陰日向なく一生懸命に取り組みました。
 またこんな生徒もいました。
その生徒は黒板ふき係でした。
毎時間毎時間、授業が終わるたびに黒板をピカピカに拭き続けました。
各教科の先生方が驚きと感心の気持ちを抱いていました。
 これらの生徒が、学校から人間性として高い評価を得たことは言うまでもありません。
これらは委員会活動ではありません。誰もが取り組む係活動なのです。
大切なことは委員になることだけでなく、与えられた仕事に全力で取り組むことです。
大切なことは、ひとつでも良いことを続けることです。
 ある人がこんなことを言っていました。
「私はトイレを入るたびにスルッパをそろえて出ることをやり続けています。
 それは私が死んだとき、閻魔さまにひとつだけですが胸をはって言うためです。」
この人のようにひとつだけで良いです。正しいことをやり続けたいものです。

私の原体験 ⑧ (妻の死)

2010年03月23日 | Yutakaの原体験
 お正月が終わる頃、妻は肩の下あたりのリンパ腺が腫れ、
体調が悪いのは風邪のせいだと思い込んでいました。
近くの町医者に診察に行くと
「風邪だと思いますが念のためにリンパ腺の組織をとって検査に回しましょう」
とお医者さんに言われました。
 1~2週間の後、お医者さんから「検査の結果、
たちの悪い組織が検出されましたので、
戸塚の共立病院に行ってください」と告げられました。
数日後から共立病院での検査が始まりました。
 共立病院から帰って来た夜、妻の病気はただの風邪だと思い込んでいる私に、
「私ガンになっちゃった」と言うやいなや、暗いベッドの中で泣き出しました。
ガンが分かってから、妻が涙を流したのはこれが、最初で最後でした。
 私は頭の中が真っ白の状態で、妻に「大丈夫、僕がいつも横にいるから」
と抱きしめてあげることが精一杯でした。
数日間いろいろ検査をしました。
そして、「ガンに間違いないのですが、どこが原因のガン(原発)なのかわからない」
という説明でした。
「ガンセンターへ言って下さい」ということで、
今度は二俣川の県立ガンセンターへ夫婦で出かけました。
ガンセンターでの検査が始まりました。
循環器科やら内科やら呼吸器科やら、あちこちの部局をたらいまわしにされ、
最終的に「ペット」と呼ばれる検査を受けることになりました。
 ペットとは、薬を投与した後にガン細胞をレントゲンで写すと、
ガン細胞だけが光って見える検査でした。
妻の肺は夜の星々のように、小さな光があちこちに光っていました。
妻の病名は肺がんでした。
それも全身にガンは転移していました。末期がんと呼ばれるものでした。(つづく)