忘れえぬ体験-原体験を教育に生かす

原体験を道徳教育にどのように生かしていくかを探求する。

実戦コミュニケーションをめぐって(9)深い「傾聴」を学ぶ

2012年05月19日 | 実践コミュニケーションの講義をめぐって
「実戦コミュニケーション」第7回目の演習である。この回あたりから、学生たちの中に、やや積極的な取組姿勢にかける学生が目立ちはじめた。それどころかペアでの演習を拒んで、やる気でいる相手に気まずい思いをさせたり、全体の雰囲気に悪い影響を与えている場合があった。

内容が来談者中心のカウンセリングの基礎演習といったものに近く、よほどしっかりと動機づけをしないと、必修で受けている学生すべてに強い関心をもたせることのむずかしさを感じた。次年度の取り組みでは、動機づけのための導入をよほどしっかりしなければいけないと反省した。

一方で、演習の2回目、3回目で行った「偏愛マップ」を用いたコミュニケーションでの学生たちの盛り上がりや楽しそうな表情は、あまりに印象的であった。学生たちがそのように関心をもって取り組める演習の中心となる要素を、もっと発展させた演習はどうすれば可能かというのも、もう一つの課題となった。

要するに、学生たちにとっては一見しただけだったり、表面的な付き合いからでは分からない、相手の意外な興味・関心の世界に触れ、相手の大切にしている世界に触れるのが楽しく、またそれを通して何か大切なことを学ぶのである。もちろん逆に、自分が深く関心をもったり、それこそ「偏愛」していたりする分野について聞いてもらえるのは無条件に楽しい。

たとえば「偏愛マップ」を用いての対話の延長として、毎回、相手のこれまでとは違う何か新しい世界を発見しそれを相互に話題にするという課題を加えるのもよいかもしれない。まだまだ工夫の余地はありそうだ。

単純に「コミュニケーションをとることは楽しい」と学生たちに実感してもらえるような演習が半期通してできれば、この演習の意義は十分にあったことになるだろう。

それに対し、今回の演習では、三人が組んで一人が観察役になり、「傾聴」がしっかりできているかどうかをチェックしてもらうという形態をとった。15回の演習の最後に、演習全体を通して感想を書いてもらった中では、この三人一組での演習が意外と不評であった。互いにチェックし合ってカウンセリング的な傾聴の態度を学習するというところまで動機づけができていなかったというのもあるだろう。チェックするのもされるのも、そしてチェックした内容を伝えるのも、それを真剣にやるだけの動機づけが学生たちになかったといえるだろう。

ただし、この演習の最後に書かせた学生たちの感想の中では、このチェックし合う演習について「いやだった」という感想は出てこない。この差が何なのかはよく分からない。最後(15回目)に振り返ってみると、相対的にあれがいちばんいやだったということなのだろうか。

いずれにせよ、学生たちに渡したプリントから演習方法の部分を抜粋してみる。

《やり方》
①3人が1ペアになり、AさんがBさんに話をする(「喜怒哀楽+気」のどれかを用いる)

②Aさんが3分間話をし、Bさんは受容、支持、確認((頻繁に入れる)、質問のすべてを用いながら聴く。Cさんは以下の点をチェックしながら観察する。(以下の項目に○△×をつけチェック)
  ア)受容・支持(うなずき、相づち、「そうだね」等)が充分に行われていたか。
  イ)確認‥‥話の内容を適度な間隔で確認し、それにずれがなかったか。
  ウ)質問‥‥相手の気持ちに沿い、話を深める質問ができていたか。
  エ)相手中心に聴けたか。
   (話の内容をかってに解釈したり、取り違えたり、自分の意見やアドバイスを言ってしまわなかったか。)

③Cはチェックの内容を伝える。Aは話しやすかったか、理解してもらえたと感じたかなどを伝える。Bは、話を聴いていたときの感じなどを伝える。

④役割を交代して順番に行う。

《ねらい》
①聴き手は、深い「傾聴」のための技術をすべて使って聴き方を練習をし、その技術を学ぶ。第三者にチェックしてもらうことで不充分な点を客観的にチェックできる。
 
②話し手は、深い「傾聴」の技術と姿勢で聴いてもらったときの感じを体験する。
 ※日常での会話では、ついつい
   •話の流れを変える    •違うことを言う
   •大げさに言う      •割り引いて言う
   •相手が求めていないのに助言をする
 
などといった返答をしてしまう。これでは「相手が言いたいこと」と「自分が言いたいこと」が混ざってしまい、相手を深く理解することができない。また、相手も理解してもらえたと感じられない。だからこそ深い「傾聴」の技術を学ぶ必要がある。

《学生たちの感想》
3)「傾聴力」を高めるワーク《やり方》を行って見ての感想を書こう。
①話し手として、
★確認をしてもらうと話しやすかった。 
★確認されながらだったので話しやすかった。
★相づちをしてもらうと聞いてくれている感があっていいと思う。

②聴き手として、
★相手中心に話を聴くことは普段からやっているつもりでも、自分の意見も言いたくなる。
★どうしてもあいづちだけではおさまらずに話してしまった。

③チェックする人として、
★意外と「ここ、こうした方が良いかな」っていう所もあったり「ここ良いな」という所があったりと第三者の立場で色々気づくこともあった。
★聴き手の反応を観察することってあまりないので新鮮だった。

4)今日のワーク全体を振り返って感じたこと、気づいたこと、学んだことなどを書いてみよう。
★三人だと二人より色々と気づけることが多いと思いました。
★喜怒哀楽‐気のどれかを話すだけで、かなり親密になれるきっかけになるんだなと思いました。
★話をしている人を見ているのは楽しかった。自分では聞き逃してしまうことも聞けた。
★第三者という立場でやってみて二人の会話を見るのがすごく面白かった。
★やはりみんなと話すのはたのしいです。もっと受け入れる態勢をしっかりつくっていきたい。
★今回のようなワークは楽しかった。またやりたい。また、新たに知った事、発見したことがあった。
★今日の傾聴力ゲーム?は楽しかった。話が弾んでいるから観察者なのについ話に加わってしまった。
★今日を振り返り、自由に相手を探しての雑談はすごく楽しかったです。「傾聴力」を高めるワークの1回目は充実していたのですが‥‥ 
★たくさんしゃべっていたので疲れた。でも楽しかった。
★喜や楽の話をしているときは、みんな笑顔ですごく楽しそう。
★真剣に話を聴くことは大切だと思った。
★良いコミュニケーションをとるには相づちをうったり、うなづいたり、確認して良い質問をし、相手中心に聴くことが大切なんだなと思った。

(Noboru)

大震災、道徳教育を考え直すきっかけに

2012年05月04日 | 東日本大震災と道徳教育
◆震災後の若者の意識変化を知ることの重要性

内閣府の調査結果で見たような、震災後の意識変化は、とくに若者のあいだでどのように表現されているだろうか。

日本人て、なんですか?』は、竹田恒泰と呉善花との対談本であり、2011年11月3日に出版された。この中で呉氏は、ご自身の担当授業で大学生たちに震災についての思いをレポートさせたという。それらの多くが、自分の何かが変わったと述べた。それまでの自分の見直しがなされ、これまでの生き方についての考えが変わった、何か社会や人に役立つことをしたいと思うようになった、日本人であることを誇れるようになった等の感想がかなりになったという。

この本で語られているように、震災を経験したり見たりした若者たちの共通の想いは、「物よりも金よりも人の絆です。家族もそうですし、友だちもそうです。物が一切消え失せても、人間関係だけは残ります。そのことを強く知らされました」というものであろう。

インターネット上でも、震災後の意識の変化を語る若者たちの言葉は多く見つけ出すことができる。前回紹介した調査以外にもいくつかの調査が行われている。震災をきっかけにして若い世代の意識がどのように変化していったかを把握することは、今後の日本の道徳教育のためにもさまざまな意味で欠かせないことだと思う。

◆震災で日本人がとった行動を知ることの重要性

次に、上記の本から、竹田氏が金沢の友人から聞いたという感動的な話を紹介したい。

その友人は、地震直後に米、塩などをトラックに積んで被災地に運んだ。自分で調べると石巻の小学校が救援物資が足りないことが分かり、そこに向かった。ところが、そこの代表は「ありがたいが、自分たちは食糧が足りているので、この先の山を越えた村へもって行ってください」と言う。それで言われた村に行くと、今度はその村の人が「この奥にまだ物資が足りない避難所があるので、そちらへ」と言う。それで言われたところへ行くと、また同じように「うちは足りているので、この先の‥‥」と言う。

同じようなことが繰り返され、巡った場所がなんと11か所になり、12か所目の女川方面の村でようやく救援物資を受け取ってもらった。地元の被災者たちは、涙を流がしながら、拝まんばかりに感謝の気持ちを示してくれたという。

友人がその後、家に帰ってテレビを見ていると、ちょうど「うちは足りている」と言っていたいつかの避難所が紹介されていた。それを見て彼は驚愕したという。そこの人たちが、一日おむすび一個という状態で耐えていたのだ。足りていると言いながら実は足りていなかった。おそらく11か所の避難所は、みな同様の状態だったのである。

実際にこれに類する譲り合いやいたわり合いの精神は、被災地の各地に見られたであろう。個々の避難所でも、秩序が保たれ、少ない物資をみんなで分け合って耐えていた事実が数多く報告されている。

震災中、あるいは震災後に人々が互いに相手を助けたり、いたわったりするためにとった行動は、もちろん無数に存在しただろう。語られぬまま、記録されぬまま消え去ったものも数知れないだろう。しかし、出来るだけ、人々がとった美しい行動を集め、記録しておく必要があると思う。

それらを読んだ若者は、読むことを通してさらに自分たちの生き方を考え直すきっかけを得るかもしれない。教師は、それらの中からいくつかを使って中学校の道徳の時間を有意義なものにすることができるかもしれない。

私たち日本人の「原体験」ともなるであろう東日本大震災、これからの日本人や日本のあり方を大きく変えるきっかけになるかもしれない大震災、これをきっかけにして日本の道徳教育そのものを考え直さないとしたら、日本の道徳教育は形だけのものになってしまうだろう。

《参考図書》
ニッポンの底力 (講談社プラスアルファ新書)
日本の大転換 (集英社新書)
資本主義以後の世界―日本は「文明の転換」を主導できるか
日本人て、なんですか?
日本復興(ジャパン・ルネッサンス)の鍵 受け身力
日本の「復元力」―歴史を学ぶことは未来をつくること (MURC BUSINESS SERIES 特別版)

(Noboru)

震災後の若者たちの意識変化

2012年05月03日 | 東日本大震災と道徳教育
東日本大震災は、日本人の心にもっとも深く刻まれた経験、民族の「原体験」を思い起こさせた。自然の猛威に打ちのめされながら、そのたびに助け合いつつ、いたわり合いつつ再生してきた経験が、日本人のもっとも日本人らしいところを形づくっている。この震災は、そういう日本人の根っこにある記憶を呼び覚まさせたと思う。

震災後一年を超え、震災が日本人の意識にもたらした変化についての調査がいくつも行われている。ここではその代表的なものを一つだけ挙げておこう。

社会の絆、8割が重視=大震災で意識変化-内閣府調査

内閣府が31日発表した「社会意識に関する世論調査」で、東日本大震災以後、社会との結び付きについて「前よりも大切だと思うようになった」と答えた人が79.6%で、「特に変わらない」19.7%を大きく上回った。被災者に対する支援活動の輪が広がり、助け合いの意識が高まったことの表れとみられる。

また、震災後、強く意識するようになったことについて複数回答で尋ねたところ、「家族や親戚とのつながりを大切に思う」が67.2%でトップ。以下、「地域でのつながり」59.6%、「社会全体として助け合うこと」46.6%、「友人や知人とのつながり」44.0%と続いた。(2012/03/31、時事通信社)
 (引用ここまで)

大災害で、みんなが協力し合わなければならない状況を経験したのだから、このような意識変化は当然だと思うかもしれない。しかし、そういう感覚は日本人にとっては当然かもしれないが、世界の常識は必ずしもそうではない。

たとえば、「マイケル・サンデル教授も称賛した日本の「助け合い」精神、共同体意識という強みと、その先にある課題(武田斉起:日経ビジネス20011/4/25)」という記事は、去年4月16日、NHKテレビで放送されたマイケル・サンデル米ハーバード大学教授による特別講義『大震災 私たちはどう生きるのか』に関してレポートしている。その中で武田氏は、震災時の日本人の行動を語った次のような二つの言葉を紹介している。

米ニューヨークタイムズ紙は、「日本の混乱の中 避難所に秩序と礼節」と題する記事(3月26日)の中で、「混乱の中での秩序と礼節、悲劇に直面しても冷静さと自己犠牲の気持ちを失わない、静かな勇敢さ、これらはまるで日本人の国民性に織り込まれている特性のようだ」と評した。

米国のある学生は「カトリーナの時は正反対の状況で、避難者が移った先でさえも便乗値上げが起こった。日本人は略奪をしない、間違ったことはしないという秩序立った精神、責任感といったものが人々の間で共有されている。日本という国全体がそう思っているように見えた。本当に感心し、驚いたし、何だか希望のようなものを感じた」と発言した。別の学生は「同じ人間として誇りに思った」と。


これに類する賞賛は当時かなり多く紹介されていたから、それらを通して日本人は、大災害時には略奪や暴動や無秩序が世界の常識なのだということを知ったはずだ。災害時に略奪や暴動が常態ならば、その経験を通して人々は何を学び、意識をどのように変化させるだろうか。略奪を受けて逆に「社会との結びつきや助け合い」こそ大切だと思う例も少しはあるかもしれないが、多くの場合は、「災害時には周囲の人々は信用できない。人を頼りにせず自分や家族を守ることが大切だ」と思うのが自然だろう。

日本で東日本大震災以後、社会との結び付きについて「前よりも大切だと思うようになった」と答えた人が圧倒的に多かったのは、実際に助け合いやつながりが大切な役割を果たしていたことを見たり、経験したりしたことが前提となってのことだろう。

だからこそ今度の大震災は、「助け合い」精神や共同体意識の大切さを思い起こさせた。つまり日本人の根っこの記憶、「原点」をよみがえらせた。忘れかけていた「国民性に織り込まれている特性」を復活させ、日本人の意識を変化させたのである。

東日本大震災は、まちがいなく日本人の「原体験」のひとつになっていくだろう。いやすでに日本人の、とくに若い世代の意識を少なからず変えつつある。教育の現場は、このような若者たちの意識変化をどのようにして自覚すべきなのだろうか。若者たちのこの変化をどのようにして、さらに育んでいくべきなのだろうか。

《参考図書》
ニッポンの底力 (講談社プラスアルファ新書)
日本の大転換 (集英社新書)
資本主義以後の世界―日本は「文明の転換」を主導できるか
日本人て、なんですか?
日本復興(ジャパン・ルネッサンス)の鍵 受け身力
日本の「復元力」―歴史を学ぶことは未来をつくること (MURC BUSINESS SERIES 特別版)

(Noboru)