忘れえぬ体験-原体験を教育に生かす

原体験を道徳教育にどのように生かしていくかを探求する。

私の原体験

2010年02月28日 | Yutakaの原体験
私は、現在も中学校の教師をしています。

3年生の学級担任をしており、

「私の原体験」を「学級通信」として掲載することは
それだけで、教育的意味があるという
相談の上で、
「私の記憶に残る出来事」という題名で
受け持ちのクラスの学級通信に掲載しました。
その記事を、少しずつ
紹介します。
毎日のように学級通信に掲載したものですが、
1回の掲載分ずつ、紹介させていただきます。


「私の記憶に残る出来事」①

 長い人生を生きていると、いろいろなことがあります。
良いこと、悪いこと、
頑張ってできたこと、頑張ってもできなかったこと、などなど。
題名に「私の記憶に残る」と書きましたが、
「思い出に残る出来事」ではありません。
「思い出」という場合には、あらかじめ計画された、
楽しい出来事のことを、
心理学では「思い出」というそうです。

「記憶」という場合には、計画されていない、悪いこと、
最悪の出来事を含めて、過去に起きたすべての出来事を
「記憶」というのだそうです。

 さて、では話しを始めます。
私は大学を卒業し、プリマハムという会社に大学推薦で入社しました。

大卒から6人の新人が選抜され、
私は関東ミートセンターという部署に配属になりました。

入社してから1年後に、私は結婚し、
その年の暮れに子どもが生まれました。

 その当時私は仕事を続けるべきか悩んでいました。
教師になりたいという思いが、湧いてきていたからです。

「やはり、教師になろう」と思い始めていました。

とはいっても、教員免許が無い状態でしたので、
会社に勤めながら教員採用試験を受験する訳にはいきませんでした。

会社を退職して、教員免許を大学でとり、
それから教員採用試験に合格しなければならなかった訳です。

上場企業に幹部候補として入社していましたし、
子どもも生まれていたのですから、
周りの人は、私が退職することに、良い顔をしませんでした。

反対を押し切って、それでも会社を「辞めるべきか」
「辞めないべきか」、
休日になると妻とよく相談をしていました。

(つづく)by yutaka

日本的原体験1

2010年02月27日 | 原体験をめぐって
まだ少しいろいろな原体験を報告していきたいと思います。

原体験は個人的なものだけではないようです。
戦争は私達にとって大きな影を投げかけています。

私達は小さい頃はまだまっさらで、
未来もきれいな白紙だと思っていました。

日本が戦争に負けた国だということをはじめて知ったとき
私は大変ショックでした。
もちろんその情報は知っていました。
しかし現実感をもって知っていたわけではなかったのです。

「なんという国に生まれたのだろう。」そんな思いになりました。
私はまっさらに生まれたわけではなかったのです。
そんな失望感が未来にしみをつけるように胸を過りました。
この気持ちを日本的原体験の一つと思っています。

靖国問題や従軍慰安婦、南京虐殺、長崎・広島原爆投下、沖縄米軍基地・・・・・
いろんな戦後問題は深い瞑目を強います。

一番の悩みは自分になじんだ生き方が分からないということでした。
これは戦争によるものだけではありません。
大変込み入った問題です。
しかし敗戦はその問題をクローズアップしています。

私は、私達は一種の国家的なトラウマや自閉的な状況にあると思ってきました。
それは教育現場で感じてきたものです。
教師は本当に児童生徒に言いたいことを言っているのだろうか?
言いたい事や教えたいことを自覚しているのだろうか?
と思ってきました。
日本人としては、私達は本当に生きたいように生きられているのだろうか?
という思いです。

そこから私の生き方を求めるあがきが始まりました。
結論を言ってしまえば、
私達の古来からの生き方の中に一番なじむ生き方があるということです。
これは古代は仏教伝来や、明治開国以来先人がたどってきた道です。
私の中でも一つの確信が芽吹いています。
それは近々別の機会に紹介させていただきたいと思います。

(kenji)


自己紹介をかねて

2010年02月25日 | 管理その他
2月6日に仮オープンしたこのブログ、【忘れえぬ体験-原体験を教育に生かす】。
Kenjiさんが、原体験をめぐっていくつか投稿してくれた時点で、本格始動というところですね。

このブログは、「原体験を教育に生かす会」(あくまでの仮の名称)のメンバーが、随時、記事を投稿していくことになります。メンバーは、今のところKenji、Yutaka、Noboruの三人です。

Noboruがこのブログの言いだしっぺなので、まず最初にかんたんな自己紹介をしておきます。

Noboruは、埼玉県の高校で日本史・世界史などを教えています。(専門は倫理ですが5年以上教えていません。)
Kenjiさんとは大学時代からの友人です。1年ほど前に久しぶりに再会したとき、こんな研究会をやっているから来て見ないかと言われ、参加しました。

参加してみると、自分の関心と重なるところが多く、だんだん興味が湧いてきて、現在に至っています。

まずは、かんたんな自己紹介でごめんなさい。おいおい教育現場周辺の話など語ることも多くなると思います。

この会が何をめざしているのかなどの説明は、KenjiさんやYutakaさんが、自己紹介をかねて語ってくれるかも知れませんので、そちらに譲ります。(Noboru)

フリーの死

2010年02月23日 | 原体験をめぐって
我が家にいた猫の名前である。

この猫が死んだときのショックな体験である。
いわゆるペットロス症候群である。

どこにでもいるオスの野良ネコだったが、
チョッとした縁で、子猫のとき我が家に来た。
黒白できれいな猫だった。
しかし喧嘩早くて、百戦錬磨のボス猫に向かって行っては
やられ、病院に連れて行かされた。
病院でも暴れる始末で、手に負えないこともあった。
どこにでも一緒に連れて行き、よくドライブした猫であった。
家では女房の金魚のフンで、風呂でも前で待っていた。
引っ越しもよくしたが、4回目の家で亡くなった。
歯石がたまった原因で食べられず、歯石取りの全身麻酔が負担で
死んでしまった。
17年生きた。

死んだのは深夜、女房は泣いたが
私はたかが猫だと、意に介していなかった。
と思っていただけであった。
どうしてそうなるのか分からない、
哀れな気持ちで、
いわゆる悔みの症候群に陥ってしまったのである。

数年過ぎて、一人の学生が休んでしまった。
他の学生が休んでも大して気に掛けなかったが、
彼女はいつも一番前の席で熱心に講義を聴いており、
「何があったのだろうか?」と、
友達に聞いてみた。「犬が亡くなった。」
「あつ!そう・・・・・」
彼女は次週も休んだ。
その次は出て、講義後に、休んだ報告に来た。
「大変だったね。私も猫を亡くしてね。」
と言ったら、ぽろぽろ泣きだして困った。

この気持ちは体験者でなければ分からないようである。

これだけではなく、原体験は伝えられないものである。
原体験は共有はできないのである。
だから「2度と戦争は・・・・」の体験も伝わりにくい。

しかし、何かが生まれるのも事実である。
そういことを見つめているのがこのページかもしれない。

(kenji)







柳生博さんの原体験

2010年02月19日 | 原体験をめぐって
今度は他の人の原体験を見てみましょう。

 俳優の柳生博さんに見られる原体験を見てみよう。柳生家とはあの徳川時代の柳生家のことです。柳生家では男の子は13歳になったら1ヶ月の一人旅に出される掟があったそうです。開発途上の森の民族にも似たような習慣があるのをテレビでやっていたことがあります。森の中で一定期間暮らして大人の仲間入りする現地人の森の生活を紹介する内容でした。柳生家の通過儀礼と言えるだろうか。彼はその旅の中で人生にとって貴重な体験をしたと言っています。
 人生で最初の旅の地に選んだのは八ヶ岳の山の中でした。その西沢の原生林に分け入った時に体験したことは、「多感な思春期の、肩をいからせた自分が、この西沢の森の中では、すっと小さくなって、けれども程よい重みの、そう、生き物としての自分の重みを感じることができたのです。とてもバランスがとれて、非常に安定して地面にたっている。そんな感じです。」ということでした。この体験は彼の一生の道標になっているようです。人生のいろんな迷いや悩みや行き詰まった時などその西沢の原生林に入って行ったそうです。「そうすると、僕は少しずつ正気を取り戻していき、またすっと小さくなって、本来の僕の姿になるのです。それはとても安定した、落ち着いた気持ちにさせてくれる重さ。」(「八ヶ岳倶楽部 森と暮らす 森に学ぶ」柳生博 講談社)  
柳生さんのこの様なかけがえのない体験を私は原体験と言っています。はたして柳生さんはどう言うか? まだ聞いていません。

 柳生さんは現在八ヶ岳の麓で暮しており、「八ヶ岳倶楽部」という人気スポットを経営しています。NHKの趣味の園芸などに出ている柳生真吾さんは息子さんです。
 四季折々の美しい森と花々、いい仕事の作品を展示即売しているミュージアム、おいしいレストラン喫茶など、八ヶ岳ではぜひ立ち寄りたいところです。

(kenji)

他人の発見体験

2010年02月18日 | 原体験をめぐって
もうひとつ私の原体験を述べてみます。

他人の発見
何時の頃からか多分中学生の頃には既にそうした体験をしている記憶があります。私の生まれは北陸の片田舎ですが、中学生になると隣の大きな町に本を買いに出かけるようになったようです。本を買うだけの目的ではなく、少年期の憂鬱のやり場を求めて出かけたのです。自転車で行くこともありましたが、その日は電車を使っていました。夕方になり、帰りの電車の窓からぼんやり外に目をやっていると窓からは一つの人影が見えていました。薄暗がりのなか、年齢も性別も判然としませんが、多分中年の男の人でしょう。「その人は家路につき、家族と会話し・・・どんな話をするのか・・・」などと思って、目で追い続けていると、突然私はその人が自分と同じ存在であることを実感したのです。そんなことは誰でも知っていることかもしれません。あの人が足の下に感じているソフトな地面の圧力、顔や体に感じている夕風の心地よさ、家族とのくつろいだ夕ご飯を食べる時のあの人の気持ち、私は感じたのである。その体験以来、私は人に対して自分と同じなのだという視線で見るようになっていたのです。それは今でも変わりありません。これを「他人の認識」というふうに思っております。
このことをコールバーグは「役割取得の機会」という、道徳的発達の要因として採用しております。「役割取得の機会」とは社会生活や道徳的状況において、他者の立場に立って考えたり、他者の見方や感情を推測したりすることです。厳密には私の体験はその「役割取得の機会」と同じではないかもしれません。私の場合は他人との同一状況で、コールバーグの理解や推測という、分離されているものではないからです。心理学的には感情移入とか言われますが、それとも少し違うものかもしれません。しかし同類の問題だろうと思いますので、理解できるものと思います。こうした体験のうちには、他人への愛とか奉仕とか祈りとか、という行為が伴うものだと思います。道徳の授業はそうした体験をどう伝えるかという工夫がなされることが大切なのだろうと思います。たとえば遠くに見える見知らぬ人をモデルにして、その人が今どんなことを考えているか、その人の歩いている足元の感触を感じてみるようにとか指示したり、家族はどうなっていて、交わす言葉は具体的にどんなものか、そのときに浮かび上がる気持ちはどんな気持ちか等などを味わうように指示する方法があります。こうして他人を自分と同一化して感じてしまう体験が多少でもできることは大切なことだと思います。他人を平気で傷つけたり殺したりという精神は病的で自分との同一的な感覚などないからです。一方私たちは他人を感じることによって自分というものももっとあたたかく感じることができるものです。他人の尊さがわからなければ自分のかけがえのなさも自覚の外にあると思われます。

当時、この体験を匿名で学校新聞に投稿したら採用され、クラスの女の子達が誰か作家が書いたものだろうと噂していました。彼女たちの共感を得たものと思い、みんな同じ気持ちになるんだということが分かりました。

(kenji)

千と千尋の原体験

2010年02月13日 | 原体験をめぐって
宮崎駿の映画は誰もが魅了されています。
私はその中には原体験が沢山あると思っています。
それらがストレートに私達の心をシャワーリングするのだと思います。
宮崎アニメに魅了される原因の一つだと思います。

「千と千尋」には私にもそれに似た原体験がある場面があります。
千が伯(竜)の背中に乗って飛来した場面です。
千も伯もおばばに名前を奪われていました。
伯は千を乗せて飛行した時自分を思い出しました。
全身の鱗がパラパラと剥がれ落ちる表現には大変驚きました。
これは多分、宮崎駿かスタジオジブリの誰かスタッフの原体験でしょう?

私の同様な原体験はある人に出会った時でした。
全身の細胞が新生したように、
つま先から髪の毛の先までちりちりという感覚が流れました。
そんなことが2度も続いて大変驚きました。

またある時その人からの電話を受けた時でした。
背中から肩甲骨のあたりを、
静かに気持ち良くむずがゆいものが登っていきました。
これはクンダリーニだと思っています。

私はその人にはただならぬ深い因縁を感じ、親しみと尊さを感じています。

この体験を「千と千尋の原体験」と言っています。

(kenji)






原体験って何?

2010年02月12日 | 原体験をめぐって
「原体験」というと分かりそうな気がするけれども、
「じゃ、あなたの原体験話して!」といわれると
「さて?、何だっけ?」となることがあります。

 私はみんなに自分の簡単な原体験を話して分かってもらうようにしています。
 それが原体験であるかどうかは厳密に枠付けしていないので分かりません。
 これから考えていきたいところです。

 私の心に残る体験から1つ
                 宇宙遊泳の体験
 一つ私にとって、忘れられない体験は子供の頃よく見た天の川です。私はこれを「宇宙遊
泳の体験」と思っています。
 小学校5年かそこらの頃であろうと思います。その頃は私の郷里では空気もきれいで夏の
夜空には天の川がくっきり見えました。暑い夏は蛍の飛び交う庭に夕涼みに出ては星空を眺
めたものでした。大体、北から南の空に天の川がきらきらと渡っていました。今でも空気が
比較的きれいな山間や海辺では見られるますが、大体乳白色のガス状にしか見えず、昔のよ
うに星の―つ一つは見られません。その頃は無数の星はくっきりとひとつずつ浮かび上がっ
ていたのです。
 ある時、あまりの凄い世界に魅了されて、その星空を凝視していると、自分が星の世界に
ぽっかり浮かんでいるような気がしたのです。
 そのとき私は自分が宇宙の住人であるということを強く自覚しました。
 私の周り中が宇宙空間であり、星々の真ん中に浮かんでいるのを見ていたのでした。私は
自分が何であるかということをそのとき自覚したような気がします。
 同様なことを漫画家の手塚治氏が仏陀という長編漫画で描いております。宇宙の真ん中に
浮かんだ生命というものです。彼も同様な体験をしたのであろうかと思います。
 この体験は残念ながら今日では無理だろうかと思っていましたら、大島出身の学生が今で
もそうだというので、いつか行って見たいと考えています。
 そして少し驚いたのは同じような体験をした学生がこれまで数人いたことです。実は小学
校の幼なじみも同じ体験をしていました。
こんなすばらしい体験をみんなしているということは驚きです。

(kenji)

「忘れえぬ体験-原体験を教育に生かす」ブログ版オープン

2010年02月06日 | 管理その他
「忘れえぬ体験-原体験を教育に生かす」ブログ版をオープンします。

現在、試行中ですが、近日中に本格的にオープンします。

教師の各自が持っている原体験を道徳教育にどのように生かしていくかを研究する会です。

現在、短大教授と中学教師、高校教師の三人が月に一度ぐらいのペースで不定期に集まって研究を続けています。

このブログは、この研究会で話し合われたことや、三人が教育現場や日常の中で感じたことを、交互に気軽に書き続けていくために設けました。

これまでに発表した論文などは、同名のホームページに遂次発表していくよていです。

ホームページ:忘れえぬ体験-原体験を教育に生かす

(Noboru)