忘れえぬ体験-原体験を教育に生かす

原体験を道徳教育にどのように生かしていくかを探求する。

日本的倫理性 9 第7章 ソクラテスに学ぶもの

2019年07月16日 | 日本の原体験

7章 ソクラテスに学ぶもの

 

第1節 古代ギリシャア精神に見る「死」と「不死」

孔子が「未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」(「論語」孔子)と言ったように、「死」は不可解な問題である。しかし、にも関わらず、実際に身近の大切な人を失ったような経験をした人にとっては「死」は驚愕であり、愛しい人を失った衝撃は耐え難く、彼等の悲しみは癒えることがない。失った人を懐かしみ、呼びかけ、ついにはかの世界で生きていると信じ、祭ることで悲しみを癒そうとする。こうして残された者達にとっては、死者は死後もその世界で暮らしているのだと思われてしまうのである。しかし、一方では、自分にもまたそのような「死」が来るということを知る時、それまでの日常的関心事は覆され、人生観は揺れ動いて落ち着かなくなる。しかし私達にはなんとなく一つの期待があり、今までもそれほどに悪い結果で終わったことがなかったのだから、死もまたきっとそれ程悪いものではなく、死後もまだまだ先は続いて生きて行けると思い込んだりしているのである。

 しかし果してそうであろうか。私達は死に対して寛容を要求し、それで安心していないだろうか。死に対面した時の驚愕は死が如何に私達の期待に反したものであるかを暗示しているのではなかろうか。一度私に死のドラマがおきた時には私はもはや何ものでもなくなってしまう。もちろん私であることもないし、霊であることもなく、死者でさえない。もはや私の死後ということにも関わりない。それらはみな残された生者にのみ関わる事でしかない。私の死後というのは残された者にとっての私の死後であり、死者には死後は在り得ようはずがなく、万一在るとするなら、それは別の意味ではまだ生き続けていると考えるしか他ないのである。さらに死のドラマの先は、こうして死について思いを及ぼすことさえも関わりのないことであり、死それ自身さえも問題にならないのである。ただ生きている時にのみ問題になるのである。私達は、死を、死後の世界というものがあって、そこで、継続するわけではない。私達は完全に何ものでもなくなって、ただ土になって、そこらの塵芥に混入して、失せ、もはや土でも塵芥でさえもなくなるのである。

このように人は「死」に到らねばならないのであるが、一方では決して、このような「死」を認め切れなくて、「不死」を期待していたり、求めたり、信じたり、つくり出したりしているのである。一体、「死」と「不死」のどちらなのであろうか。こうした問題に関する対立的な立場を古代ギリシアのイオニア精神とイタリア精神との間にみて以下に推考してみたい。

 タレスをはじめとするイオニア哲学者達にとって、全てのものは生成、変化、消滅を免れ得ないものであった。タレスの「汝自身を知れ」は、人が死すべきものであり、とるにたらぬものでしかない、ということを自覚するように促していると思われる。タレスの水は生成、変化、消滅の主体者を探求するということを提示したものと思われるが、この水は神性を帯びているという意味では、神のみが永遠であるということを示しているのであり、従って一方では、人は、永遠なるものの生成という現象でありながらも、その永遠の中に消滅してしまわなければならない、有限の死すべき身であることを示し、それを受容した生き方をするよう人に説いているように思われる。人の生は水に汎化され、水の生成過程でしかなく、その意味で無きに等しいものでしかない。水だけが有り、人はとるにたらぬものでしかない。こうして人は自然の生成消滅の過程の中で初めて人であり得るのであって、それは自然と同化したものである。そこではまだ自己の自覚は弱いもののように思われる。即ち、人は死すべき身であると言われながらも、人ではない不死なる自然に同化することで、不死なる自然の側のものと思われるのである。その意味で人はまだ自然から独立、分離していないのである。死の意識は人としての自我意識に比例して強まったように思われる。イオニアでは、人は、元は水や空気であり、人である今も水や空気であり、人でなくなっても水や空気であり、その水や空気として生きるのであるから、死すべき、断片でしかない人にこだわらず、人でなくなることに抗いさえしなければ、死への悲嘆もないもののように思われる。ここではこのように不死なるものとの同化が一つの共同意識になっているように思われる。それ故にエレア派からの、有と無との混同に対する抗議に対して、彼等の生成と消滅の説明を、有なる原始の結合と分離という説明に移行し得たのである。そこでは依然として永遠に変化し続ける自然との同化が個々の変化よりも主となっているのである。まだ人は永遠であることや、永遠者を捕まえることも、また永遠者から独立することも望んではいなかった。

 一方、イタリアではピタゴラスやエレアのパルメニデス等によって別の関心が育って来ていた。彼等が掲げた原理は思考の整合性という問題であり、イオニア的共同意識と対抗している。永遠者はイオニア的自然に在るのではなく、「非有では無いもの」という定義によるところにあるのである。かくしてエレアのゼノソはイオニア的永遠者を全て非有なるものとして論駁してしまう。その結果有は論理的整合性に裏付けられたメタフイジカなものとなってしまうのである。そこでは永遠者は自然から消えてしまって、思惟の世界でしか存在し得なくなっているのである。このイタリア的原理の特徴は無矛盾性という、人間思惟の側のもの、人間思惟が関わり理解し立証するという意味で、人間の側ものを優先させているということである。イオニア原理においては最優先されている自然、即ち、死すべき部分に拘泥せず、捨象して、生成、変化、消滅の主体者である自然に同化して、埋没して行こうという態度に対して、イタリアでは思惟という人間行為によって、人間を永遠者へと近付けようとしている態度が窮えるように見受けられる。永遠者は人の思惟によって捉えられ、思惟はまた存在と同一であるのだから、人の思惟に永遠性が期せられているように思われるのである。それは不死への探求の始まりとでも思われる態度である。自己を死すべきものとして、虚しく自然に同化して行こうとするイオニア的方向とは逆に、自然を非有として、自らを不死なるものとしようという方向が、そこでは対立しているように思われる。

 こうした二つの立場に対してソクラテス(B.C.470-B.C.399)が示したことは、イオニアの自然の現象にたいして、エレアの人間の側の概念を近付けて、一致を見ようというものであった。しかしソクラテスにおいてはこの問題は、人間の無知によって、決して一致を見得ないものであった。それが人間の側の無知によっているという意味では、ソクラテスにはイオニア的な姿勢が受け継がれているように思われる。

我々はいったいこのいずれの原理にしたがうべきであろうか。「死」であろうか、「不死」であろうか。現代の我々のこの問題に関する観念はヨーロッパ・ルネッサンスのライン上にあり、それはエレア的人間主義にと遡れるものと思われるが、ここでは我々は理性主義的立場をとる。個々人には理性があり、理性は神の心にも届き、永遠で神性なるものであり、それ故に個々人は尊厳であることになっている。しかし我々はみな理性を所持しているのだろうか。理性に目覚めているだろうか。理性は神に届いているのであろうか。理性を開示することが出来るのであろうか。その方法を確立できているのであろうか。そしてソクラテスの訴えた「無知の知」は現代の我々の態度に対して全く別の方向を示しているように思われる。しかし私達の文化、歴史、生活、真理、外、美、意義、愛等々を省みると、そうした素晴らしい一人一人が虚しいものでしかないということも容易には納得しにくいようにも思われる。

 只、死ということによって私達は私達の頭の中だけの世界から自然というリアルな世界に引きずり出されるのである。死について考えさせられることで、私達は自分の何たるかをかいまみる気がするのである。それ故に私達は自分が尊厳であると思えたり、あるいは逆にそれ故に塵芥に等しいとしか思えなかったりするような問題だと思われる。

 

第2節 ソクラテスの「無知の知」から与えられるもの

マスコミ上、体罰やいじめ、自殺等の教育問題が次々と取り上げられて久しいが、なかなか安堵を得る状況にならないままである。こうした事態の原因のIつとして考えられるのは、熱心に教育改革や指導に取り組まれている部分があるにも拘わらず、一方では今日の教育上の諸問題が問題状況であるとして十分に捉えられていなかったり、あるいは解決のための規準についてなかなか関係者の協力し合える体制にならなかったりするようなところにあるように思える。極端な場合には、そうした問題状況も子供達にとって有効な教育的拭練となるのだから、そんなに危惧することもないという態度かとられたりするわけである。一方全員が協力し合うというような体制へのアレルギーもあったりして、学校だけでなくあらゆる場面で様々な生き方や価値に接し、多様な人間性を理解し、豊かな人格を身につけられるように教育環境を準備するのが望ましい、という考えから、自由に放任し、一致協力等という体制をとらない方が望ましい、という考え方もあるわけである。従って学校と社会、教師と親、夫と妻、教師と教師の間に一致した指導というものが得ることが難しく、曖昧な方針のままでいるうちに子供達だけはどんどん年をとって成長してしまうのである。その上そうした教育目的上の曖昧さそのものさえも、望ましいとまでは言わなくとも、止むを得ない教育環境として容認されたりするのである。即ち問題状況そのものが否定されさえするような、あるいは否定されないまでも、問題解決への意欲や努力に水が差されるような時代性がみられるのである。この状況は長い歴史的経緯を持つもので、正しく一つの時代性ということができると思われる。そしてもしこの指摘が的はずれでないなら、マックス・ピカートの言う「アトム化の時代」はこの時代性をよく説明しているように思われる(「騒音とアトム化の世界」M・ピカート みすず書房 訳佐野利勝)。

 M・ピカートの言うアトム化の状況とは、中心を喪失した、彼の言葉では神が沈黙したところに発生してしまった、社会的・人間的に非連続で分断された状況である。そこには中心を喪失して、無秩序・無法則・無目的に浮遊するアトムが現象するだけである。アトムとは他から分断された個人、時間的に分断された意識等の状況を象徴するものである。我々個々人や我々の人格もそうした非連続で非時間的なアトムと化してしまっているのである。中心が無ければ真理規準はなく、個人の気まぐれによって真理が判定されるしかなく、政治政策も時々の力関係によって移ろう以外に決定手段はなく、道徳も中心の喪失によって善悪の規準を無くしているのだからもはや色褪せてしまい機能せず、教育目的は失われ、目標も個々人により、時によって移ろい、次の瞬間には相反するものに変わっていたりするのである。即ち強者生存と隣人愛が同時に教えられ、何の疑問もなく実行されているのである。以上のピカートの時代分析が正しいなら、我々は今日の教育の問題状況を改革できるどころか、それが問題状況なのだということをキチンと把えるということさえあやぶまれて来るのである。それに対するビカートの指針は「アトム化の世界に絶縁せず、――アトム化の世界の只中に踏止まろうと努め、――孤絶の状況を最大限にわが身に背負わねばならない――。その時我々はあたかも世界の発端に立たされたかの如くである。――その時個々のものから――ふたたび全的なものが生じ得るのである(前掲著 167頁)、

というものである。即ちアトム化されて中心のない粉みじんの世界に単独者として立つということである。当面の我々のテーマに関して、教育問題に一人たりといえども取り組み続け、回避しないということである。さらに我々にとっての教育目的もそうした単独者となるというところに置かれるということになる。従ってここでは中心は復活されてはいなく、その代用品としての単独者が主張されているだけなのである。即ち神の沈黙によって発生したアトム化の状況を単独者として把え直すことで抜け出ようというものなのである。一体この指針はどんな新しい方向を示し得ているのであろうか。神が沈黙した時から人は単独者となるべく運命づけられたのではなく、人が単独者となろうとしたので神は沈黙したのではなかったろうか(前掲著 P.164)。従ってアトム化をもたらした当の原因である単独者となるということが果してアトム化を脱出する方法となるのであろうか。

 こうした単独者への道は中心を喪失した、あるいは否定したことで自己を尺度化しよう としたあのソフィスト達の企てにどこか似ていないであろうか。ここで私がみてみたいのは、こうした意味でアトム化の状況と近似する古代ギリシアの、ソフィスト達が横行した 社会に贈られたソクラテスの訴えたことである。その「無知の知」は我々の時代には有効であろうか、というよく取り上げられる問題である。

 当時のソフィスト達の立場は人間や個人を尺度化しようというものである。その活動は

そうした中心喪失状況に当然現象する対立論争に勝利を占め得るための論争術の教授であった。即ち教えることのできる徳を身につけた市民の育成であった。徳とはより優位な尺度、即ち他人を言い負かす知識を習得することであった。あるいは「状況に最もよく適合する言説を、あるいは公共の利益に最もよく合致すると彼に思われる決定を見つけ出す」技術の習得であった(「ギリシア哲学」ジャン・ポール・デューモン クセジュ文庫 有田潤訳 P.48)。彼らは哲学に相対性のカテゴリーを導入したわけであるが、従ってどうしても一致できないケースが発生することになると思われる。そうした状況にむけてこそソクラテスの訴えがなされたのである(「キェルケゴール著作集21」s・キェルケゴール 白水杜 P.85)。

 彼の「無知の知」は経験的な意昧での無知ではなく、哲学的な意昧での無知であったのであり(上掲著P.31)、「人は何者であり」「何をなすべきか」という間の普遍的な答は人知の及ばぬところであるということを神託によって裏付けられたものであった。従ってソクラテスが言おうとしたことは、中心を喪失した時代状況の中では、単独者となろうとか、自らを尺度化しようとかというものではなく、徹底した人間の限界の認知ということだけであり、それ以外のものではなかったのである。「無知の知」の普遍性の補償さえ人間自らによっては得られず、神託に頼らなければならない、ということも加えられると、人間の無知は二重の意味で主張されていると考えられるのである。それは徹底しており、「無限的かつ絶対的な否定性(前掲著p.295)であり、「すべてを無知の無の中へ突き落す(前掲著P.71」ものであった。従って人間を尺度化しようというソフィスト達や今日のアトム化の中で単独者として生きるということは無知という人間本質からすれば造反していることになるのである。ソクラテスの「無知の知」はそうしたソフィストの状況や今日のアトム化の状況へのイロニーであり、そこで行なわれる尺度化や単独化を一切否定するものであった(前掲著P.99)。それらは、言わば人間の傲慢であって、自らを中心化しようとする、あるいはするしかないと思っているものであり、そこでは多様な主張が同等に自我を主張して譲らない状況となり、従って問題状況そのものが的確に捉えられない状況となるのである。これは今日の我々の人為的で、時には矛盾し会う、多様な教育目標への反省を遣るものであろう。個人の権利の主張、個性の伸張、等々という考え方は多分に単独者的・自己尺度的ソフィスト的に捉えられていないであろうか。そこにはソクラテス的な弱小な人間観はない。人は強い考える葦なのである。人間もしくは個人は偉大化しようとし、あるいは偉大なるものと錯覚したり、その素振をしたりするのは、ソクラテスが試問した賢人達のようである。彼等からは敬虔さや謙虚さは失われ、強者生存の原理が人生観を占め、いじめも罪悪感を伴わない、あるいは打ち消されてしまっているのである。

 しかしソクラテスの「無知の知」の問題点は「無知そのもの、無知の根源などを――無規定のままに放ってあるところにある(前掲著P.126)と言われる如く、その徹底的な否定性はその先に深淵を臨ませるだけで、我々を立ち止まらせるだけであり、「たった一日でもソクラテス的な無知のうちに生きることに耐えられる人が、どんな時代にも一体幾人いるであろうか(前掲著P.126)と言われるように先の見えないところがあるように思われるかもしれない。従って我々の時代にソクラテスの訴えが何処まで有効であろうかという疑問がわくかもしれない。しかしこの疑問は二つの点で弱められるだろうと思う。一つはソクラテス’の「無知の知」が現代に欠けている人間のどうしようもない弱さや無力さをうながしている(「哲学入門」 講談社学術文庫 田中美知太郎 P.286)という意味で我々に反省すべきものを与えているのではなかろうか、という点である。もう一点はこうした弱小な面にこそ人間の積極的な生き方がある、ということを示すものとなるように思えるという点である。即ち彼の「無知の知」は人間の生き方にとって一つの弁証法的な契機となるものではなかろうかということである。それは前述のように二重の意味でも主張されるが故に、神のテコ入れによる転換ではあるが、その故にこそ人間の新しい生き方が止揚されているものと思われるのである。そうした意味では中心を喪失した無知なる人間ソクラテスが、「無知の知」を契機として、以前と同様に無知ではあるが、それ故にこそ、遂に今度は無知を根拠として中心を回復した人間として生まれ変わったのではなかろうか、と思われるのである。それは神への畏敬としてソクラテスの心を占領したのではなかろうか(「キルケゴール全集11」P.143)。

我々に無知という事実があり、その事実は今日も明日もその先もずーっと続くかもしれないが、一方何時か止むかもしれない、という曖昧な無知の認識が、神的な絶対性によって覚悟された時、その事実は新しい生き方を指示したのである。

 しかしこのソクラテスの覚悟は決して単独者や尺度化した自己が要求するような主観的な覚悟とは考えられないのである。というのは、彼は神託やダイモンによってその覚悟に到ったのであり、そこにおいては、主観性は完成されてはおらず(前掲著P. 24)、むしろ客観的精神の陣痛である(前掲著「あとがき 飯島宗享」P.295))と云われる如く、その覚悟さえもが中心に負うて、支えられているからである。それ故にソクラテスは「各個人に彼が持っていたと同じ神的招命を確信させよという神的招命(前掲著P. 37)に従い、「ただひたすらに神に奉仕していっそう偉大な無知を追求する(前掲著P.189)のである。そこにみられる二重のイロニーがこうした事情を明らかに示して呉れる。即ち、第一にはその時代が主体性を建立しょうとしていることに対するイロニーであり、第二には主体性を放棄することで逆に主体性が返えされて来るというイロニーである。このうち後者のイロニーは返えされた主体性がそれ故に再び神の前に捧げられそして返えされるという無限のやり取りが続けられ、最後の死によって返えされるが、ソクラテスにおいては、それは同時に主体性が確立されるということとなっているのである。ここに行なわれた転換は「人は何物で何をなすべきか」という問からダイモン信仰とエロスヘの転換ということではなかろうか(前掲著P.21、P.86)。それらは常に自らの微小さを前提として中心に向けられている畏敬となっているものである。そしてこの畏敬の中で絶えず主体性を返し続けることが人間の主体性を支えてくれるのであり、即ち「全体的な無知のうちにみずからの建徳を求め、みずからの敬虔さを表明する(前掲著P.42)かの如くに思えるのである。そしてこの主体性の獲得こそ単独者が切実に求めるものであるということこそソクラテスから現代に与えられた強列なイロニーであるように思える。

こうしてソクラテスの「無知の知」は積極的な意味で現代の我々にも生きる方向を示そうとしているように思える。それは単独者や尺度化した自己となる方向ではなく、自己や人間の徴小さを認知するところから発生する中心への敬虔であり、より高く美しく善なる完全なるものへのエロスなのである。

 

第3節 「生きる意味」の探究

「共に生きる」ということが今日的主題の1つとして取り上げられる時、そこで目的として追求されている人間の姿はどういうものであろうか。それをおぼろげにでも捉え得るように以下に考察してみたい。

  「共に生きる」ということを考えるに当って思い着くことは「生きる」ということである。「共に生きる」ということが人間の目的としての姿であるならば、それは人が 「生きる」ということとも本質的に繋っているものと思われる。そこで「生きる」ということへの考察を通して「共に生きる」という人間の姿を思い描くこともできるように思われるのである。

 この場合ここで人が「生きる」ということについての考察によって得ようとしている答は「生きる意味」についてのものである。この問題に歴史上最初に取り組んだのは古代ギリシアではソクラテスであったと言われている。当時のアテネでは自然学や形而上学的な傾向が中心であり、ソフィスト達には人間学的な立場が見られた。しかしソフィスト達は「生きる意味」を相対的にしか捉えず、結論的には「生きる意味」を否定することになってしまっていた。

一方同様に人間をテーマとしていたソクラテスは、「汝自身を知れ」という言葉によって、人が「生きる」ことの普遍的な意味を求め続けていた。これは、人は客観対象の意味の決定権を持っているとするソフィスト的立場に対して、ではその決定権を持つ主体者としての汝の意味はどうなるのか、と迫るイロニーであった。ソフィスト的立場では人の「生きる意味」も人が決定するしかないのであり、相対的なものでしかないことになるが、何ものかが有意味であるということは、究極的には普遍的な世界の中で有意味であるということではないだろうか。「私はこの子達にとって必要である」ということは、表面上は私とこの子達という相対関係で成立しているものではあるが、この関係自身が教育なりの普遍的な営みに基づくものであるから、そこで私の「生きる意味」という普遍性が発生するのではないかと思われる。そして「生きる意味」をもたらすこの普遍的な世界こそソクラテスが求め続けていたものと考えられ

ないだろうか。

 その探究の答としてソクラテスが得たものは「無知の知」であった。即ち「人は善美のことについては知ることができない」というものである。これを、人は「生きる意味」については知ることができない、と言い換えることができると思う。というのは善美のこととは価値問題のことであり、即ち、「生きる価値」ということ、「生きる意味」ということに関わることであると思われるからである。これは私達に大変な困惑を与える。というのはこう言われるにも関わらず私達は「生きる意味」を求めることを止めることができないからである。「生きる」ということは必ず意味を求めてのものであり、「よく生きよう」とすることを止めることはできない。その意味で「生きる」ことは何か一つの制御できない意志ででもあるかの如くに思われる。

 しかしソクラテスの「無知の知」は決してこうしたジレンマを残して終わっているものではない。この「無知の自覚」は人知の限界を示すものであり、その意味では人間自身による「生きる意味」の獲得を否定したものではあるが、普遍的な意味での人間の「生きる意味」を否定したものではないと思われる。従って表面上は否定されたかの如くに見える「生きる意味」の問題は別の世界、ソクラテスの回心と言われることによって出現した世界では、弁証法的に新しい世界を展開するように思われる。その契機は当初は二つのことのように見える。即ち、人知の限界によって示されることは、一つにはそれにも関わらず残されている、何か意志の如くでもある、「生きる意味」への渇望という人間の側の事情であり、もう一つは人知の限界を示した神託の主体者=神の存在の認知とそれへの関心の高まりである。

 第一の契機はただそれだけの故にソクラテスが最高の知恵者とされたことである。即ち、「無知の自覚」が字義通りにただ「無知」を「自覚」するということだけなら他の賢者達にもそうした人物がいても不思議はないように思われる。むしろこの自覚は単にこうした事実認識なのではなく、「生きる意味」への熱情的な探究心の自覚という態度発見なのではないだろうか。同じ無知の状態にありながらソクラテスの場合は「生きる意味」への探究心が強く、この一点だけが他の人達と違っていたのではなかろうか。しかし実はこの一点は大変に大きな一点であり、その故に神託はソクラテスを最高の知恵者だと言った一点ではなかろうか。知ることができないにも関わらずなおまだ探究心だけが取り残されているのはどういうことであろうか。実はその探究心が探究しているものが見当違いのものだったのではないだろうか。人間の限界を見たのはこの見当違いを知ったところにあるのではなかろうか。この時「生きる意味」の探究の真に求めるものが現われたのではなかろうか。それはソフィスト的な人工の「生きる意味」の作成ではなく、何か神的なものではなかろうか。即ち「無知の自覚」の根底にあるものは神に向かおうとする強靭な意志であり、それは善や美を求めて倦むことのないエロスであるという意味で、神への諦きらめることを知らないラブコール(愛の運動)ではないだろうか。そしてそうした人間にこそ神は人間としての最高の姿を見るというのがあの神託の意図のようにも思われるのである。

 第二の契機は、既に第一の契機に合流させられて述べられているが、第一の契機の不分明な、方向の定まらない、単なる渇望の自覚に、はっきりとした方向性を与える契機のように思われる。即ち人間の限界の認知によってその後から現出して来るものは、かく言明した神託の主体者である。「生きる意味」の探究についての人知の限界という絶望は、残された渇望を浮き彫りにしたのではないかと言ったが、第二の契機はこの渇望が真に求めているものを指示することになったのではないかと思われる。神のみが善であり美であるという発見は、人間的な力による「生きる意味」の獲得を、神への善美の憧れの中に押し流して解消してしまうのではなかろうか。こうして第一の倦むことのない強靭な愛の運動は第二の神への方向性を得て合流することになるように思われる。

 以上のソクラテスによってみた「生きる」ということを、「共に生きる」ということに受け取り直すと、それを回心後のソクラテスの生き方から知ることができるように思える。人知から神への愛へと説くソクラテスの立場はソフィスト的な相対的意味世界に対してのものであった。ソフィストの立場では各自が意味の主体者であり、それら各自の意味は無連関に飛び出してバラバラであり、「共に生きる」共通のベースが成立しないのである。ソクラテスはそうした共通のベースを提示しようとしていたかのようにも思われる。しかしそのベースは決して盲目的で権力的なものであったとは思われない。ソクラテスはあの神託を一方的に鵜呑にしたわけではなく、疑い、反証を試みているのである。彼は自由人であったのである。神に対しても主体的に対しているところに、ソクラテス的な「生きる」姿がみられるとも思われる。それは意志者であるという意味の主体者ではなかったろうか。愛ということでこそ人間は主体者であり、この意味では神に対しても自由であるということになるのではないだろうか。しかし逆の意味でも、即ち自力で悟ったのではないという意味ででも、ソクラテスは権力的ではなかった。というのは、それは神託によって促えられた境地だからででもある。

 

第4節 ソクラテスから学ぶもの

ソクラテスの無知の知から学ぶものは知によっては道を達成できないというものである。無知の地平の先に求める世界があるということをソクラテスは絶望的に悟ったのである。この絶望ということについてはキルケゴールが示しているところである。この点を以下に述べる

 ソクラテスが「徳は知なり」と言い、「無知の知」に到達したのは人間の生きる道を探求してのものであった。彼にとっての最大の問題は人間存在の有意味性の獲得であったと思われる。また人がその故に優れた存在となりうる徳はその知恵であった。しかしここには一種のジレンマがある。というのは人が人たる優れた特性は知であるといいながら、結果的には人は無知を悟るしかないというというものであれば、人は優れたものにはなれないということになるからである。

 このソクラテスの知は彼が概念哲学の祖であるといわれながらも、一方ではその限界を示しているように思われる。なぜなら彼の問答法は、概念を探求しながらも、結局は問答しあっている者同士がお互いに無知を自覚するための手段でしかないからである。概念は人間の手の届かない神の領域に属するもののようで、人は知の望みを果たすことができないというのである。だから彼によれば、認識はわれわれの魂の空腹をみたしてはくれないというのであろうか。それは認識の本質的な限界を示していると思われるのである。

 無神論者はいかなる神の存在証明をも拒否することができるであろう。なぜなら知は本質的に個人的なものであるからだ。彼にとって目前にいかなる奇跡が起ころうともただの幻覚でしかないし、どんな確信もただの独断以上のものにはならないのである。しかし同様なことが有神論者にも言える。たとえ彼が神を見、神と語り、神に使えても、果たしてそれは自分だけの白昼夢に過ぎないのではなかろうかという疑いは消せないのである。自分の異常な心理現象、あるいは体質の性ではなかろうかと疑われるのである。この彼の迷いを誰もどうしようもないのである。

 知はキルケゴールがヘーゲルに向かって言ったように、人間の存在価値をなんら高めてくれなのである。大いなる神、真理、そして世界について知っても、その後も私たちは少しも変われず、相変わらず愚劣で貧弱であり続けるしかないのである。したがって私たちは単に認識によってはその存在意義を高めることはできないのである。その意味で私たちは知識主義の過ちに陥っているところがあるように思える。「徳は教えうるか」という問題に対してソクラテスが挑んだのは産婆術であったが、それは、結局は知の否定であり、知識主義を超えようとする先駆であったと思われる。

知の克服

ソクラテスの無知の知はこうした地の限界の極限に立とうとするものである。この知の最果ての先は果てしない異世界である。そこでソクラテスが生きたのは完全なる存在への憧れであるエロスとダイモンへの信仰と献身である。いわば知の道から愛の道、信の道へと歩み、自己存在の意味を得たかのように思われる。その意味では彼の「無知の知」は人間の位置づけの基盤を探す手段であったのである。受精卵が子宮の壁に着床して育っていくように、人がその着床場所を探し求めるまでのプロセスのようである。知識主義の過ちとは、この着床に逆行する、知識偏重のことである。

 人がいかに自然と共にあるかということをいくら論理立てて説明して、理解しても、それだけでは決して私たちは自然と共にあることは出来ないのである。それは自然と共にある生き方、すなわち自然に着床することによらねば培われないのである。ソクラテスの求めるところによれば人がその存在の意義を得るのは、神の世界に着床することによるのである。

 知そのものは人間の側のもの、すなわちエゴ的であるように思われる。ハイデガーが言う思惟は神のがわのものであるかもしれないが、それでも人の手に落ちた瞬間からもう神のものとはいえないものである。人の人たる限界はこうしたところに発生するのではなかろうか。


日本的倫理性 8 第6章 「英国直観主義と功利主義」の問題

2019年07月16日 | 日本の原体験

第6章 「英国直観主義と功利主義」の問題

 私は、西田哲学も求道の道だと思っている。それは一人深い渓谷や孤高の尾根道を行くようなものだとイメージしている。その道を私は個人倫理と言っている。そこでの世界を記述し、人に伝えようということは極めて難解である。一つには道を歩み、道を得ること、二つにはそれを表現すること、三つにはそれを伝えること、以上の難しさがある。それらは一人の道である。もちろん彼を産んでくれた人、彼の生活を世話する人、彼に導きを与える人、彼を愛で支える人、等がいるので彼は全く孤独であるとは言えない。しかし求道の道はそうした御蔭に恵まれながらも個人の道なのである。誰もその中に立ち入ることはできない。それを個人倫理と言う。しかしその孤高の世界は欧米個人主義とは違う世界である。

 その道は西田だけが歩んだ道ではない。日本人はみなこの道を志、この道を歩んでいるものと思う。少なくともそれを分かり、その尊さが直観できる人達だと思う。次の第1節冒頭で学習指導要領(道徳)を持ち出しているのはそこにこの個人倫理が日本的倫理性として位置付けられていると思えるからである。

 ところで、私は倫理問題には個人倫理と社会倫理の2面性があると考える。この2つの倫理は相容れないもののように歴史的にお互いにその立場を主張し続けている。その現象は英国では直観主義と功利主義に表れている。ここではこの2者を念頭に置きながら、個人倫理を考えていきたい。と言うのは西田哲学の求道の道は、つまり個人倫理として日本的倫理性を代表するものであり、意義があるかどいうかということではなく、我々の倫理性がそこにあるということは動かしがたいことであり、そのように我々はあり、諍えないところであるからである。

ところがこの自分の求道の道は利己主義でしかないのではないかという問題が出てくる。この問題は以下に論ずる直観主義と功利主義の妙な絡み合いを見せる。直観主義は個人の直観に根拠を置く理想主義である。一方功利主義は社会の幸福を中心に置く社会主義であり(コミュニズムではない)、社会全体の幸福をテーマとし、直観主義の個人主義に対する。しかし功利主義には個人主義の問題もある。功利主義の原理「最大多数の最大幸福」のベースは個人の「幸福」である。そして幸福の追求は個人のエゴイズムの問題でもある。そこで直観主義が個人倫理の問題であり、功利主義は個人倫理ではないとは言えないのである。こうしたことを踏まえて、いろんな意味でエゴイズムを諮問し、我々の倫理性を考えてみたい。

 

第1節 個人倫理と社会倫理

 「日本の学習指導要領 道徳」では内容は次のように4つに大別されている。

1 主として自分自身に関すること

2 主として他の人とのかかわりに関すること

3 主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること

4 主として集団や社会とのかかわりに関すること

その1は自分個人に関することであり、2は他の人とのかかわりに関することである。それぞれの内容については、1には5つの説明があり、2には6つの説明がある。それらの説明からは多くの道徳的価値が見いだせる。しかしこれらの道徳的価値が1に含まれているものは自分自身に関することであり、2に含まれているものは他の人に関するものであるかといえば必ずしもそうとは言えない。例えば1-(1)に掲載されている「望ましい生活習慣」は、それらが個人の行為の現象であるから自分に関することと言われるのであるが、同時に家庭や学校、社会などの場面で展開されているのであるから社会的なものでもあると言える。また例えば2-(2)の「人間愛」は他の人に向けられるものであると同時に自分の気持ちの持ち方であるから自分の問題でもある。

 そこで1と2は自分の領域で捉えるか他の人の領域で捉えるかという捉え方の問題として一応受け止めたものと考えることにしたい。従って自分自身に関することは他の人とは無関係であるということにはならなく、他の人に関することも自分自身には一切関係していないということではない。

 また1の個人倫理の問題は3の「自然や崇高なものとのかかわりに関すること」に、2は4の「集団や社会とのかかわりに関すること」にそれぞれ延長していると言える。

 このように、「学習指導要領 道徳」が自分と他人に関することに着目したことは大変意義深いことである。ただ自分と他人との区分けはタイトル通りにはなっていない点は気になるところである。つまり区分けの原理が不透明な点が気になるところである。この不透明性を検討することは倫理・道徳問題の大きなポイントになると思われる。

個人倫理ということには曖昧な面がある。例えば倫理は、結局は個人が受け止める問題であり、社会的な規則や共通の在り方などということになると倫理とは言えないという受け止めや、逆に倫理とはそもそも社会的なものであり個人に限る倫理ということはあり得ないという主張などがある。そうした不分明が学習指導要領にも表れていると言える。そこでまず個人倫理について私の考えるところを検討しておきたい。

1)個人倫理と利己主義

 志賀大学の安彦一恵氏の、「個人倫理に対して社会倫理や公共倫理が対比される。この対比において倫理とはどういう位置にあるのだろうか。プラトンやソクラテスにおいては魂の利益を求めるのが「倫理」であるが、これは公共倫理の観点からすれば本質的に個人倫理でしかありえない。それは自分自身の魂を良くしようとすることで一種の利己主義だと言うことができる。」(筆者要約)(いかなる倫理が「私」を超えうるのか――公共性と倫理――「DIALOGICA 第8号2005年」滋賀大学教育学部倫理学・哲学研究室)という主張では個人倫理は利己主義と受け止められている。

 しかし私は、個人倫理は利己主義と基本的な領域を分けていると考える。利己主義は他とのかかわりの中で言われる倫理的態度である。個人倫理的姿勢が他とのかかわりの中で利己主義と共通するならその場合は利己主義であると言えるであろうが、それでもカテゴリー的には別領域の概念である。

利己主義問題は公共倫理(社会倫理)の中での他者などとの関係上の心理的現象である。個人倫理は社会倫理とは関係しないで、自己を高めることを目的とする倫理である。この点を見るために利己主義について見てみたい。

2)利己主義

私は先に道徳的価値「望ましい生活習慣」や「人間愛」が自分に関することでもあり人とのかかわり関することでもあるといっているが、この自分に関することとした場合は利己主義と考えられ、人とのかかわりに関することとした場合は公共倫理的であると分断することは難しい。たとえ自分に関することであってもその当該の道徳的価値は同時に他人とのかかわりに貢献するものであれば自分だけを利するものではないからである。

学習指導要領(道徳)の「1 主として自分自身に関すること」の視点は個人倫理を扱うものと思われる。「2 主として他の人とのかかわりに関すること」の視点と影響関係にあるが、論理的には分けられることである。一方、利己主義は視点1が視点2と影響し合う場面で発生する問題である。利己主義と個人倫理は混濁しているのが現状であり、以下の諸問題もこの混乱を免れない。そこでできるだけこの混乱を整理しながら利己主義について述べる。

① ボランティアは利己主義であるか:利己主義は私達においては道徳的なブレーキを招く。ボランティア活動をしている時に「結局は自己満足のための行為である。」と言われることがある。そうするとボランティアに没頭する意欲をそがれるようになる。観世音菩薩が衆生を救うまで悟りの世界に行かないというのも自分の満足のために他ならないということになる。芥川龍之介のカンダタ物語は本来悪人の救済にも囚われない境地にあるお釈迦様がカンダタの救済に気を奪われる短編である。芥川のお釈迦様は人間の救済に心を囚われる物語であるという意味でこれは芥川の限界を物語っているということになる。つまり芥川はお釈迦様に隠れた利己主義の要素を混入したのだということである。

別の理屈では、そもそも慈善行為は作為的で不自然であるからやらないというケースがあるが、その判断は自己利益に従っていると言える。つまり他人を利する行為は嫌いであるということではなく、「心から慈善行為をしようという気持ちがないのに慈善行為をするということは自分に不正直だ」という言い分であるが、要するに自分の心情を大切にしたいというエゴイズムであるということには変わらない。ボランティアを利己主義だと批判する利己主義者の詭弁的言いわけである。

ボランティアを行う利己主義の心理には、ⅰ他人からの賛辞を得たい。 ⅱ他人の救済=他人の不幸に痛める心を直したい。 ⅲ困窮者を見て見ぬふりをする罪悪感から逃れたい。ⅳ他人を救済することからの喜びを得たい。ⅴ自分の行動に一貫性を持ちたい。ⅵ道徳的価値を守りたい。ⅶ正義や善を実践したい。ⅷ教義に沿って生きたい。ⅸ自己利害になることをしたくない。ⅹ他人の利益になることをしたい、等々があり、利己主義から逃れ得ない限界を示しているといえる。

①    死は利己主義を排除するか:利己的でない状況は死を連想させる。死ということはこ

の世への興味を失っていくということである。また死に向かう肉体の衰えへの関心も失っていくということである。つまり自己利害への関心も希薄になっていくということである。しかし逆に我々はそんな死を恐れる。そんな死についての我々の不安と恐怖は実は死にまつわることに関する不安や恐怖である。ここには利己主義の希薄化と濃厚化とがある。

ⅰ先ず、死に先立つ身体の苦痛へのそれがある。身体の苦痛は生者の苦痛である。苦痛を感じていることは生きているということである。死体には苦痛はない。苦痛は自我の中心である自分の身体の苦痛である。そこは逃れえないエゴの世界である。死に臨む身体の苦痛は死への門である。その門は最もエゴから逃れ難い世界である。苦痛を苦痛と感じないことはできない。一方では、死の門を前にして我々は来るであろう苦痛に恐怖する。エゴはピークに達する。ただ苦痛に恐れを感じないということはあり得る。しかし生から解放されているなら。先人たちはそこを解決しようとして「心頭滅却すれば火もまた涼し」(恵林寺住職快川の偈)とした。但し身体の苦痛それ自身は個人倫理の問題であり、それをエゴイズムだとすることはできない。

ⅱ次に、苦痛には心の苦痛がある。

喪失:死に赴くものは生者の世界の一切のものを置いていかなければならない。肉親や財産、富・名誉・地位・名声などを失う。しかし死に行くとはこれらのものへの関心が薄く、弱くなっていくということである。肉体の感覚や認識への力が弱まると共にこれらへの認識は断続的で現実感を失っていく。真に悟りとは、自我を滅するところにあることになる。

死はこうした利己主義性を希薄にしていく過程である。利己主義とは自己意識そのものに由来している。菩薩行も自己利害に端を発しているというのは妥当である。自己意識の発生が利己主義の原点である。自己犠牲でさえ利己主義である。完璧な非利己主義というものは成立しない。その故に貴い善行も利己主義の非難を避けることはできない。

死はそうした利己主義を共に無の世界に連れ去って行く。しかし我々の利己主義は解決したわけではない。解決しないまま解答期限が尽きただけである。そのまま後継者に引き継がれていくのである。しかしここでの利己主義の分離は間違っている。我々はこれを利己主義とは考えない。これは個人倫理の問題である。個人倫理はこうした自我を滅し自己を脱却しようとするのである。

②    利己主義と欲求:我々は欲求を利己主義と混同する。上記①のように利己主義がブレ

ーキになるという受け止めをすることは、欲求に叶うことは利己主義であると受け止めることから来る。この混乱を整理すると、ⅰボランティアは動機的には他を利することを欲求している(他利の欲求)が、ⅱ他を利したいという欲求は、自己満足という自分を利したいという欲求から来ている(他利への自利の欲求)、という2つの欲求が混在しているものである、ということである。すると結局は自分を利することになり、自分を利することはしたくないということになる。

ⅲここには隠れた問題がある。それは欲求そのものの受け止めである。欲求そのものも利己主義(欲求=自利)と見なせば、上記のⅰもⅱも利己主義の範囲を逃れられない。ボランティア精神にはこうしたことが混在しているのである。総じて動機的観点から見ているのである

欲求は動機と言えるであろう。しかし欲求を持つことそのことが利己主義であるということは一種の詭弁である。かといって利己主義観は一掃されないであろう。人は動機(欲求)を持たないでは生きてはいない。我々の身体そのものが生きるという欲求の営みであろう。従って動機的には我々から利己主義感を一掃することは難しい。

しかし、利己主義と思っているのは個人倫理の問題と錯覚しているのである。スリップしているのである。このことに気付く必要がある。スリップの原因は欲求が他の人とのかかわりの場面で影響し合うことが多いからである。もちろん個人倫理の中心の一つはこの欲求の克服である。

③    「欲求しないという欲求」というジレンマ:上記ⅰ~ⅲでは、結局はスリップ状況で

は利己主義を逃れ得ないと受け止めるので、ⅳ欲求そのものを廃する(欲求抹消)ことを望む(欲求抹消の欲求)しかない。そうすると自己を利することを望まないということを望むというジレンマが自己の中で共存することになるのである。ⅴ極端には自己の欲求することをしたくない(欲求非欲求)という欲求へと発展する。これは無限後退になる。ⅵもっと極端には自分の欲求することを妨げたいという欲求(欲求逆欲求)へと発展する。このジレンマを逃れる必要やこの論理が間違っているということを検討する必要が何故あるのかという問題を抜きにはできない。このジレンマを逃れることは、自己の意志によって行為するという環境下では不可能である。これは近代ヒューマニズムの限界と言える。近代ヒューマニズムは自我が中心だからである。さらにこの問題は後述する功利主義の本質的な問題にと展開し英国直観主義での焦点的問題である。

④    自分を利さない結果への欲求

さらにここにはもう一点隠れている問題がある。結果的観点からの欲求の問題である。上記ⅲ以降の問題は動機的観点としてこれと併記される問題である。ⅶ非利己主義者は結果的にであっても自己を利することを好まない。「他利」や「他利への自利」、「欲求=自利」という動機面には関係なく、結果的に自利をもたらす、そしてもたらしたというようなこと(結果的自利)を良しとしない、という姿勢である。

自分を利さない結果への欲求:上記④の動機(動機的自利)に対する問題である。ここでは動機についての如何は問われない。動機には心理的情緒がある。予測ではない。この結果的自利は自覚している場合(自覚的結果的自利)と無自覚な場合(無自覚的結果的自利)がある。動機とはまた別に検討すべきである。つまり予測問題で、予測できるのか予測できないのか。さらに予測すべきであるのかどうか判明なのかどうか等々と極まっていく問題である。これは功利主義の「功利の原理(最大多数の最大幸福)」が政治的・法律的問題から倫理問題にと深まる問題である。また倫理問題が個人倫理から社会倫理へと応用されていく問題である。つまり結果について非利己主義者は結果的自利を拒否するということである。つまり

ⅶ結果が自分を利する結果にならないようにという欲求、である。

⑥ そうすると結果的自利になることを望まないという欲求についての命題が出現してく

る。ここでは欲求するという意味では動機的だが、それが結果的に自分を利することを拒否するということも含んでいるので結果論である。つまり結果に向けての動機である。

ⅷ結果が自分を利するようになることを欲求しないという欲求

である。

ⅶは結果に対する欲求で、ⅷは欲求に対する欲求であり、欲求対象が異なっている。後者は欲求を抱くことそのものを拒否する欲求であるという自己矛盾的な状況である。なぜなら「欲求」はそもそも自己を利することを目的とするからである。

「欲求」が、このジレンマを逃れる対策は自己以外の第三者からの強制による行為に寄れば回避出来ると考えられるかもしれない。例えばa.奴隷制における行為者の意志を無視した、あるいは逆行した強制行為や、b.絶対服従の信仰的行為、c.封建制社会における行為者の意志を排除した忠君の行為、等々がそれである。ここでは自分を利したくないことを他者によって強制されることをOKとする、つまりそれが自分の利となるということである。OKしなければそこには自己利益への欲求が発せられているということである。いずれも自己利益である。我々は自己利益主義から逃れられないことになる。その極限はカントの定言命法に関わる。d.自分の欲求からではなく道徳法則だから実施するというスタンスはこのジレンマから逃れるものであるように思われる。しかし上記いずれも、カントのこの立場でもこのジレンマから完全に逃れているとは言えない。つまり道徳法則に従うということも欲求の一つと言えなくはない。道徳法則の尊重とは一見すると欲求とは異なって見える。しかし尊重もまた好意的気持ちの強いものであり、欲求もまた好意的気持ちを前提としているものと言う意味で同類である。つまり自己利益から発していると言われても反論し難い。

⑦ 利己主義と(我?):上記④のⅰ~ⅶ結果が自分を利する結果にならないようにという

欲求は自分に「害となるとまでは求めないが、利となることがない結果」を求めるものである。しかしこの場合でも行為者はその環境下での行為を欲求するものであるなら、やはり決して利己主義を逃れているものではない。これは自分を「利したくない」ということを利とするという自己矛盾にあることである。つまり自分を利さないことが自分の利であるというのは矛盾である。と言うのは利さないことが自分を利することなのだから、自分を利さないことによって自分を利しているからである。従って利さないことと利することが同時に成り立つので矛盾することになる。

こうした矛盾的な展開は人間の考え方や行動を鈍らせる。これを「矛盾サイクルの幻惑」と言ってもよい。これは個人的にも社会学的にも解消しておかなければならない問題だと考える。この矛盾のトリックは利するものと利される自分との分離観から来る。自他不離の世界では利を受ける私はない。ここにあるのはデカルト的な西欧近代的自我観である。デカルト的「我」は、(我?)によって見直されるべきであることは第1章で述べてある通りである。そこでこうした利己主義観は公共倫理の問題としてではなく個人倫理の世界で克服されていくべきである。

⑧ 欲求するorしない場合:上記④や⑤は欲求するということを巡る問題であるがこれに

対する設定を検討する。欲求しないを欲求するのは行為者の内面現象である。内面の制御によって同じ道徳的テーマが欲求するものであったり欲求しないものであったりという具合に変わる。

たとえば、「私は自分の財産を貧しい人に寄付する」ということについて、ⅰ貧しい人への哀れみを満足させたいとか ⅱ善い評判を得たいとか ⅲ税制上の優遇を得たいとか という動機(欲求)が抱かれることがある。ⅳ更にカントの定言命法に従ってそれが道徳法則を尊重するが故に、ということも言える。尊重とは先に見たように欲求と同類で自己利害に関わるものである。これに反して「私は自分の財産を貧しい人に寄付する」というということについて a.欲求を持たないケースや、b.それに反する気持ちを持っている場合がある。

a.欲求を持たないケースはそれへの関心が全くないということであり、それにまつわる上記ⅰ~ⅳのどれにも関心がないというケースである。これには⑤に関わる内的に重要な問題が考えられたり、他方では単なる無自覚ということも考えられる。

b.「私は貧しい人に寄付する」に反する気持ちとは、ア.貧しい人への哀れみを否定する、あるいは憎む。イ.そうしたことで善い評判を得ることを良いとしない。ウ.税制上の不正とは言えないが正当性のためにその手段を良いとしない。エ.道徳法則を尊重するという欲求を否認する、などが考えられる。

⑨ 欲求しないことは可能か:人は欲求しないということに基づく行為をできるのであろうか? できるとすれば不可能性に基づく原理を堤唱できる。「あなたの善行は、結局はあなたの利害の気持ちから発しておりそれ故結局はエゴイズム以外の何ものでもない。」という詭弁的な善行への否定的ブレーキを解除することが可能である。このブレーキで私たちは結構社会的にマイナスを得てしまっているのであるから。

孔子は「七十にして心の欲するところに従えども矩を踰えず(のりをこえず)」と言い、欲求と道とが一致することを良しとした。これはカントの言い分と同じであるようだが少し違う。カントは道徳法則への敬意が先にあり。道徳法則にかなうことを欲求している。ここにはまず自我が先にある。孔子は欲求が先にあり、それが道に外れないというのは、欲求そのものが道となっているということである。従って欲求と道とは矛盾対立にはなく、西田流に言えば、孔子においては絶対矛盾の自己同一が実現しているのである。

孔子の「心の欲するところに従えども」は「心の欲するところのないところに従えども」と言い換えることができる。実はみずからは欲すところはないが、「欲する」が自らの欲求を先行するのである。「我々が長く孔子を愛するのはこうした境地を理解しているからであり、また目指しているからである。しかしそれが欧米的な自我主義と微妙に接触し、迷いを生じているのが我々の実情であり、それとは峻別して道を歩むことを可能としたいものである。つまり、ここには(我?)が働いているのである。こうした問題は個人倫理の問題であり、利己主義の問題ではない。ここに錯覚があり悲劇を生む原因になっていると言えるのである。

3)利己主義は逃れられるか

① 利己主義の彼岸へ:しかしそれでも私達は生きていく中で少しでも自己を利しようとする気持ちがあるとその行為を道徳的に肯定できないと感じるところがあるが、これはどうしてなのであろうか?その理由を知るため個人倫理と利己主義を峻別する必要がある。以下にその区別を試みながら叙述する。

欲求とは自己の生命やいのちの原点であり、自己存在を促進しようとする(我?)の領域である自己を超えた先験的な作用である。これは自然の働きである。従って欲求の原点は自己を超えた生でありそこから発生しているものであり、これは自己を凌駕しているものである。我々はそれを自己の認識の中で自己意識として受け止め、その行為を自己から発している行為として捉えているのである。利己主義への感覚は自然の生の営みの流れを自己のものとするところに発生する。従って利己主義の問題は認識問題として見直す必要がある。

自然の営みとしての行為を自我の営みとしてしまうのは認識媒体が自己の感覚や意識に置かれていると考えるところから発生する。つまり自分の身体や感覚や意識であるから、などというところに誤解が発生しているのである。

そもそも言語や言葉は身体表現が個人に起こっているので個人的なものと錯覚するのである。こうした自覚によれば自己利害とは無縁のところで行為することが可能である。この境地は自己を離れるという境地であり、自己の利にも害にも頓着することはなく、そもそも自己を離れている。

② 彼岸への欲求:しかしこの場合でもそうした境地がそもそも自己の利害にかなっているから成り立つのではないかという後退が起こり、道徳的な責めを負うことになるのではないか、と考えられる。

私達には純粋に欲求はない、むしろ拒否することを実行することは可能なのであろうか? そもそも人は何故自己を利することを恥としたり良いとしたりしないのであろうか? これは文化的な責任なのであろうか?仏教や儒教によって社会的有機的作用で刷り込まれているものであるだろうか。それとも人間本性に先験的に備わっているものであろうか?

③ 親の愛は利己的か:こどもの幸福を願う親の欲求は自分の幸福ではない。その意味で利己主義とはみなせない。この場合、親は自分の不幸をもってしても子の幸福を求める。しかし子の幸福が己の欲求であるということではやはり己の幸福であるから利己主義であるということは変わらないとも言える。自己犠牲が自分の欲求であるという点では似た見解があったが、その見解とは区別される。

しかし自分の幸せ以上に人の幸せを求めるという点では基本的には同じである。ここでは快楽を基準とするところに先に論じたエゴイズムの論点がぼやける原因があるのであり、欲求を重視するとか好感を持つとかに置き換えて論じるべきである。以上は個人倫理の問題で考えるべきである。

①    利己主義の区分:しかしこの④は利己主義問題で考えられるべきである。ホッブスの

リヴァイアサンの主張は、「人間は自然のままでは利己主義によって行動する。そのために法律が必要である。」という説であり、これは所謂性悪説である。ホッブス説では自然のままでは人間は自滅するしかないので規制が必要とされるのである。

この規制ということは人間の本性を制約するものであり、人間は基本的に自由奔放に生きられないことを意味する。そうでなければ人間は種としての絶滅あるいは争いや憎しみがはびこる不安社会という不幸な運命を背負っている。本能か規制かどちらかを選ぶしかないということになる。

このホッブスの見解に類するのが、人間は利己主義でのみ行為するという主張である。先に見たように、この主張を反論することは難しい。ただし人が利己的に行為するにはどの行為をも一律に考えることは正当ではない。他人を全く顧みない利己的行為と他人の幸福のために自己犠牲的に行為する行為とは、利己主義説から見ると同様に利己的行為であったとしても、区別されるべきであろう。そこでその区別を幾つか試みよう。

⑤気付かない利己主義のズレ:道徳のテーマの一つに、これは対人態度の方法と言えるが、またそれは道徳的主張の根拠ともなることであるが、人は自分の主張と考えていることとは別な原理によって動いているということがある。これは第1節2)③で述べたボランティアにおける(他利の欲求)と(他利への自利の欲求)という2つの欲求のズレなどが該当する。

この場合どちらがその人の道徳原理であろうか? 利己主義原理を主張する場合、自己犠牲は行為者にすれば自己利害とは受け止められない。しかし利己主義説者は自己犠牲も当人の自己犠牲の気持ちを満足させるという当人の自覚していないという利己主義の原理によって行為していると主張する。この葛藤については該当箇所ですでに述べたことであるが、そこでは欲求の抹消等ではこのジレンマは逃れ得ないという中間的結論であった。ここでは別な観点で見てみる。

①    心理と論理のズレ:ここにある原理のズレは、他人の幸福を願っているという心理と

それによる自己満足という自己利害の深層心理であるが、これらは同領域に並べられるものではないので葛藤原理ではない。つまり深層心理的に、実行されている自己犠牲が利己的であるというのは実は心理的問題ではなく論理的な問題であるということであり、自己犠牲の心理の問題とは領域が違っているのである。自己犠牲が結果的に自分の利益になるかどうかは意図的な問題ではなく別の次元の問題である。

確かに、自己犠牲によって額面通りの自己犠牲ではなく、その及ぼす効果を目的とし、しないまでも意識していることはある。その時は我々の行為の目的は自己犠牲の自己利害的な効果にあるのであり、自己犠牲に寄る他人の幸福にあるわけではない。両方であったとしても当面の議論の自己犠牲の自己利害的効果は対象に入っている。

一方、逆説的に自己利害がないと思い込んであるいは装って他者の幸福の実現を目的とするという錯綜した行為も十分にある。こうした場合の行為は純粋に他者の幸福を目的とする行為といえるであろうか。利己主義者の主張ではそれでもその行為者の目的が行為者個人から発生しているものであればそれは自己利害的なものと考えられるということになる。この場合行為者は自己利害を自覚していないであろう。こうした場合の自己利害は心理的に位置けられるより、論理的な帰結と考えられる。論理的な帰結を個人の心理的な責任に追わせることは正当ではない。第1節2)の⑤の問題を論理的に考えてみるというものである。

②     論理的自己利害:しかし論理的にであっても自己に帰するということはなんとなく行

為の純粋性を保てないようで不本意であるかもしれない。論理的帰結を予測してそれを求めるのであれば心理的領域に入ってとしても公共倫理的なので利己主義といえるであろう。第1節2)⑤の結果的自利の問題である。ここでは結果的自利に対する心理的負担は必要かどうかということを問題にしている。

問題として浮かび上がることは、こんなに入り組んだ考えをせず単純に受け止める人の場合である。自分の自己犠牲が純粋に他者に利益を願うという以外に自覚しない行為者の場合、論理的に自己を利することになることに関して、これを自覚できないということには別の問題があるが、論理的に自己を利することになるということを道徳的にどう理解するかという問題が残る。

③    情けは人のためならず:もちろん「情けは人のためにならない。」という誤った解釈

は慮外として、「人に掛けた情けは何時か自分に返ってくる」というものであるが、これは「自己利益を目的としないで慈善事業をする」と「論理的に自分の利益になる」いう意味を含んでいる。論理的に自己利益になるから人に情けをかけなさいという道徳的な経験法則的機能を持っている。論理的と言える。これに対して、利己主義を良いとしない行為者は自己利益を想定して他人に情けをかけることはしたくないから他人に情けをかけるのを良いとしないというケースがある。これは論理的帰結に対しての心理的な反応である。つまり論理的利己的帰結に対して心理的に自責を感じるというものである自責の念は心理現象である。この場合は逆説的に論理主義を良いとしないという心理主義に基づいていると言える。

④    論理的帰結への態度:こうしたケースは多くある。つまり動機説だけでは道徳原理は

充足できないのである。人のために良かれと思ってやった行為がその人たちに思わぬ不幸をもたらすということがある。そうした論理的帰結に対しても我々は責任を受け止めるのである。一方、予期しない幸福を人に与えることができた行為もある。こうした時、人によっては「偶然で自分の功績ではない」と謙遜することがある。これも論理的結果に対する行為者の態度である。不幸に対しては責任を感じ、幸福に対しては功績を感じようとしない、という矛盾した態度がこの時には見られる。

論理的帰結とは現実的帰結ということである。先の学習指導要領では「他の人とのかかわりに関すること」に相当する。現実は人の希望や目的・意図から独立しているケースがある。しかし現実を分析すればそうした帰結になることは論理的に辿れるという意味で論理的と言える。

論理的に結果した不幸な結果については自責の念を感じるのは、何に対して心理的に感じているのかというと、その結果を予測できなかったという自分の論理的能力に対してであり、そのために当該の他人を不幸にしてしまったということである。ここには自分の論理的能力と他人の不幸(心理問題)という2重の自責の念がある。

ところが「塞翁が馬」という諺によれば、他人を不幸した結果の延長上においてその結果が当該の他人に幸福をもたらすということがある。この時、人はそれを自分の功績とは感じない。つまりここでも自分の論理的能力の無さによって自分を責めることになる。

つまり人は先ず第1に論理的能力に対して評価しているのである。決して心理的に自分を責めたり誇ったりしているのではない。ということは道徳原理とは心理的原理だけではなく論理的な原理を含めて成立しているということである。2に論理的帰結によって他人の不幸や幸福が起こればそのことを喜憂する心理的反応をするのである。

以上のことは、人は決して利己主義だけで行為しているのではないということを示している。つまり論理的には自分を利することになっても心理的には必ずしも自己利益を感じているわけではないこともあるという点でそう言えるということである。

⑩    利己主義の心理的自責:更に問題であるのは、こうした論理的問題とは別の問題とし

て以下の点が考えられねばならない。他人の幸福を願うということがそもそも自分の幸福であるという場合である。親が子の幸せを願い行為することには自分の幸福を願う隙間は無いかもしれない。自分の犠牲も喜びであると考えられるのである。しかしそのことが自分の生命の公認するところであり、自分の生命の良いとするところである、と考えられる。この次元では自己と子供の境界は外れているかもしれない。しかしそれでもたとえ宇宙全体の利害と一致したとしても自己利益を追求していることには変わりはない。所詮それは自己利害の範疇のことである。この点でギルバート・ハーマンの「利己主義は人間の唯一の動機ではない」という主張は利己主義者の説を論駁するものではない(「The Nature of Morality」哲学的倫理学叙説)G.Harman 大庭 健・宇佐美公生訳 産業図書 P.265)。

⑪    利害に基づかない行為:自己利益に基づかない行為は心理的には自己存在者であれば

不可能である。我々は自己存在を失わなければ心理的に利己的行為をしないで済むことはない。しかし自己を失った者は、自己行為は不可能であるから、自己存在者である者、つまり全ての人間は利己的行為をしないわけにはいかないということになり、いかにして利己的でない行為ができるかというテーマはその設定が矛盾しているものであるということになる。自己存在者でありながら利己的でない行為は可能であるか?これは矛盾した設定・問いであろうか?

①    利己主義が他を利するということ:他を利するということと自己を利するということ

とはパラレルである。慈善行為が自己の欲求から出ているからといってその行為を中止するということは、パラレルである利己主義ということを混入して惑わされていることであり、慈善行為を中止する必然性はない。心理的には中止することも利己主義であれば、どちらも利己主義であるから論理的に利己主義にならない方(慈善行為は中止しない)に従うべきという結論に至る。利己主義を感じる心理的な面の問題解決と慈善行為という論理的帰結を切り離し、心理的課題は心理的課題として解決に取り組むことは問題がない。問題はこの心理的な課題を如何に解決できるかということである。この課題検討として以下の個人倫理の問題を考えたい。

これは心理主義に立つ直観主義倫理と論理主義に立つ功利主義倫理の論争に角解決方向を示している。功利主義倫理はG.E.ムーアによって自然主義的誤りで退けられたが、それは直観主義倫理という心理主義的な領域での話で、論理主義的倫理では上記慈善行為のように功利主義的倫理は妨げられないのである。皮肉なことにG.E.ムーアの功利主義に対する自然主義的誤りの指摘は功利主義の原理が自然主義的であるいうものであった。しかしG.E.ムーアは倫理学の原理は直観と言う心理的領域に置きながら社会倫理の部分は論理的倫理に従って功利主義に置く功利主義者でもあったのでもある。

 しかし心理的倫理の問題は消えるわけではないし、時には心理主義的倫理問題が論理主義的倫理問題を侵すこともあり。両者は葛藤問題なのである。前者は心理主義的倫理の目的としているところの問題であり、後者は公共倫理との葛藤問題として分けて置くことが良いと思う。

 そこで利己主義は公共倫理の中での心理主義的な受け止め方の問題であり、同じ行為が功利主義的には善とされる矛盾したことが日常茶飯事に起こっていることなのである。しかし個人倫理は論理的にはそうした公共倫理と区別される。個人倫理は公共倫理とは別なところでの問題である。したがって個人倫理が、それが利己主義であるかどうかという問題はあるが、利己主義と個人倫理は違うものである。

4)個人倫理

① 倫理用語の限界:A.J.Ayerによって倫理学の成立が打ち消された時、その倫理学概念は倫理用語の根拠に関わる問題であった。これは欧米の精神性というか、生きることへの態度から発生している問題である。先ず彼らは用語の分析整理を手掛けたのである。その中で倫理学の用語は科学的な事実について述べておらず、学としては成立しないというものである。欧米的精神態度とは用語をベースとしたというところにある。これには問題が残る。用語によって全てが網羅されるわけではないからである。また科学的対象のみで学を完結することは物質に還元できない世界を欠くことになり、ニヒリスティックな現象をもたらすことになる。

倫理用語は、言語文化が欧米や東洋や日本では異なるのであるから、欧米の倫理用語によるだけでは我々の倫理を網羅していることにはならない。日本においては倫理用語の対象はむしろ用語化されない世界にあり、俳句や和歌などは、直接はその対象や境地を示すことができないものをどう示すかという工夫なのである。そこでは用語は欧米的な対象言語ではない。言語より境地が問題なのであり、その境地は示されて捉えられるものではなく、捉えた者だけがそれと分かり、言語によっては対象化されないものである。この言語機能を日本では主とする。言語機能が欧米とでは全く異なるものであり、この点を踏まえて述べる。こうした倫理用語の表現する倫理課題は無意味だということはないと考える。

① 個人倫理と利己主義:基本的には個人倫理は利己主義とは領域を分けている。利己主

義は公共倫理の中で発生するものである。個人倫理は個人の内面的な問題で自分のいのちが盛んになる世界の問題をテーマとする。つまり西田や求道の道であったり、デカルトの自我の確立であったり、カントの道徳の格率論とかロックやライプニッツの自我観の形成などがそのテーマである。そこは個人の純粋直観による納得の世界である。その意味で心理主義である。しかし倫理的結果に対する自責感のように、論理的には関係しない結果についての心理的な反応などのように私たちは対他の問題を無視できない。これは個人倫理の問題ではないが、個人倫理の場である心理の場面で受け止めるので個人倫理の問題として受け止めるのである。例えば精神分析における対象喪失にはこうした事例が多く報告されており、深刻な心的障害をもたらしているということである(「対象喪失―悲しむということ―」小此木圭吾 中公新書)。

こうして西田流の求道の道に自責の念が個人倫理の中に侵入して、何時の間にか中心課題であるかの如く居座っているのである。利己主義問題は個人倫理の入口に立ちはだかって、塞いでいるが個人倫理の問題ではない。この弁別がきちんと区別されていないので病理現象に支配されてしまうのである。私たちは常にこの危険にさらされている。そこで世間から遮断されるように出家やそれに似た手段をとることがあるのは当を得ていると言える。

③ 個人倫理と直観主義:直観主義倫理は人間としての境地を目指すことが第一のテーマである。この場合の疑問点はⅰ人間としての境地の追求の問題は社会的な問題と関わらないのかということ、またⅱそのかかわりはどんなものであるのかということ、またⅲそれがどうして単独者(ケルケゴール)としての受け止めに留まるのかということなどがあげられる。これは功利主義倫理との葛藤の問題である。

直観主義倫理は個人倫理の問題である。個人倫理とは個人の心の問題をテーマとする。個人の心の問題には未整理な様々な問題が山積みされている。それらの分類が先ずは課題である。この分類を見ることでⅰの問題との関わりを検討することができる。

④純粋個人倫理:個人倫理の中でⅰのように社会的な問題が全く関わらない問題はあり

得るであろうか。この問題を純粋個人倫理と称する。職人気質という精神的態度がある。職人に限らないが高い精度の作品を追求する姿勢がある。プラトンによれば物の徳はその物の本性を最もよく生かす性質であるが、ナイフの特性はよく切れるということであり、人の特性はよく知性があるということである。なぜ人が高い精度の作品を追求するのかということについては、金儲けとか利便性とか幾つか理由をいうことができるが、高い芸術と評されるまでに高められる製品はそうした属性を超えた世界にあるものと言える。そうした製品は人の何によって制作されているのであろうか。

こうした他人が直接的には関われない個人の追求する世界は他人とは無関係に進行していく面がある。一方こうした個人の追求が他人に功罪をもたらすこともそれに並行して常に起こっていることである。これは論理的にはパラレルでありながら影響し合いながらうごめいている。それは縄文の縄目のように個人の道は鮮明に自動しながらきっちりと縄なった現象なのである。

⑤求道の世界:弓道でドイツ人のオイゲン・ヘリゲルが体験した世界は、弓の目的である敵を射るということを、計算から離れた境地に到るところで達するというものである。これらの境地によって人は何を求めているのであろうか。物事を追求する鬼の境地から神仙の境地に至ることが日本的な道徳性の特徴の一つであろうか。しかしこうした個人倫理の意義は、日本の精神性への昨今のクールジャパンへの評判に見るように、高い評価があることから日本的特性に留まるものではないと言える。欧米の建築技術や諸製品の技術の高さや弓術でもロビンソン・クルーソの子供の頭に載せたリンゴを射抜いた物語のように、日本人のみではなく人間に共通の志向性だと言える。これらの志向性は何を物語っているのであろうか。

⑥「心理と論理」と「個人倫理と社会倫理」:この心理的な利己主義に関わる領域を個

人倫理とし、論理的な領域を社会倫理とする。これは日本の学習指導要領道徳における1の「自己に関する内容」と2の「他人に関する内容」との分類の不透明性に明晰性を差し向ける案となるのではないかと考えられる。

また倫理学におけるこの心理的な領域と論理的な領域を論ずるために英国における伝統的な倫理学の対立、直観主義と功利主義のやり取りを見ることが有意義である。私はこの心理的な領域が英国直観主義や義務論を中心に追及され、論理的な面が功利主義を中心に論じられていると考えている。

5)社会倫理

人間の存在意義や目的性から顧みて個が優先されるか、社会が優先されるか、という問題がある。近代欧米人間主義の精神では個が中心であり、中世までの欧米では社会が優先され、近世までの日本では家族や村などの世間が優先されていた。しかし欧米での近代以降の個人主義はそれとは逆にコミュニズムや福祉社会という社会形成に取り組む働きが活発である。一方社会を優先とする欧米中世や近世日本では個への行き届いた配慮が見られる。この社会優先の社会状況においては個人の幸福や生活の保障への配慮がなされ、個人は案外と満足できていたかもしれない。

社会倫理の課題は個人に対する影響力をどれほどに持つべきか、あるいは個人からの要求をどれほど受け入れるべきかというところにもある。強制力か受容力かという問題は革命論と自然変化論とで反映される。個人倫理は心理的であり、社会倫理は論理的であると私は先に主張したが、社会心理学では個人心理とは別の集団心理現象があるので社会倫理はその意味での社会心理に関係すると考えられる。

いずれにしても社会倫理は個人倫理に影響をあたえることは否定できないが、それは制度的なものでしかない。個人が集団社会の中で個人としての倫理に従って生きようとすることをサポートする社会を維持するための規則がそれである。社会倫理が個人倫理の深みに関わってくることはできない。しかしたとえばハングリー精神のように社会が個人に働きかけているではないかという反論があると思うが、万人がそうであるかと言うと個人差がある。ということは個人の倫理的向上心によるものであって社会の影響とは分けられるべきものであろう。ここには教育に関する哲学的に重要な問題がある。すなわち道徳は教えられるかという問題に関わる。学校や家庭や地域社会がどこまで生き方についての教育力があるかという問題は今日の深刻な問題である。いじめや残酷な犯罪など少年犯罪は目に余るものがある。その哲学的問題とは正しく本小著のテーマに他ならない。

もし社会倫理が個人の深層にまで深く関わってくることがあり得るとすれば、それは倫理としての関わりというよりは法や制度としての関わりであろう。これには功利主義が多くかかわる問題がある。この点は以下の「第2節 直観主義と功利主義」で述べる。

 

第2節 直観主義と功利主義

ギルバート・ハーマンG.Harmanの「The Nature of Morality(哲学的倫理学叙説 大庭 健・宇佐美公生訳 産業図書)」での「Ⅲ 道徳法則」は「第5章 社会性と超自我、第6章 理性の法則、第7章 個人の原理、第8章 慣習と相対性」で構成されている。

 ハーマンはこのⅢ部でこの論文のテーマである「直観主義と功利主義の問題」の領域内の問題を分析している。

 第5章はダブル・エフェクトの問題から、我々の直観的な道徳的判断と社会的な結果との問題提起をしている。前者の個人が良かれと目指す目的と社会的に及ぼす結果との食い違いが発生し、「道徳性が命ずるものと、社会性が命ずるものとは、必ずしも同じではない。」(P.102)とする。この道徳性はフロイトの超自我のように親や社会によって植え込まれた個人原理であるが、普遍的道徳性となりうるものであるかどうかを問おうとする。

 この問題は我々を奇妙な底なし沼に引きずり込む。直観に発する道徳性はそれが孔子の境地「我が欲するところを為して矩を超えず」とは言っても、それが自我に発すれば決して公的なものではないであろう。それ故に、普遍的なものとは見なされない、ということになる。ここには自己中心主義は良くないという道徳感がある。すると極端な非自己中心主義の原理が求められ、自分のためになることは一切求めないという姿勢が良いとされることになる。食べることやセックスや尊重されることや快楽なども否定される。

功利主義は社会的道徳とされるが、快楽主義という側面では心理的であり、個人道徳である。そこで功利主義と快楽主義は区別されるべきである。ただ万人の幸福を基準とするという意味で社会的である。こうした2面性が功利主義にはある。

功利主義と快楽主義を区別したり、G.E.ムーアが指摘した快楽主義の自然主義的誤りを避けたりして、功利の原理を「最大多数の最大善」=「最も多くの人が最も善である」という原理に変えたりすることで快楽的功利主義と善的功利主義とに分けることが可能である。

一方、直観主義は個人道徳とされるが認識レベルの個人性であり、必ずしも幸福を原理とせず、道徳法則の尊敬への直観という意味で個人的であるともされるのであり、普遍的であろうとする志向性においては個人性と普遍性とが合流するのである。

こうした区別は功利の原理と快楽主義の区別を例として見ることができる。この議論に対する先駆的な主張はヘンリー・シジウィックの利己的快楽主義と普遍的快楽主義の区別に寄る功利主義とホッブス主義との決別に見ることができる。しかしH・シジウィックの区別は功利主義を快楽主義の範疇に置く意味では変わりなく、むしろG.E.ムーアにおける正義と功利主義の議論の方が良い。つまり「正しさ」についてのG.E.ムーアの見解は「正しい行為とは、その状況で最大の善さを生む出す行為」(「倫理学」G.E.ムーア 深谷昭三訳 法政大学出版局)だと定義される。これを帰結主義というがここでは快ではなく善さになっているところが、G.E.ムーアが快楽主義者ではなく功利主義者であるということを示している。H・シジウィックが規則功利主義というところでホッブスの利己的功利主義と闘い、G.E.ムーアは快楽主義と闘っていたと言える(「功利と直観―英米倫理思想史入門―」児玉聡 勁草書房)。

以上の直観主義と功利主義の区別は以下の表のように整理される。

直観と功利

直観主義

功利主義

倫理的視点

道徳法則

個人の直観

幸福・快楽

万人の幸福

個人的

 

 

社会的

 

 

1)直観主義

英国における道徳的直観主義は17世紀半ば、ホッブス主義に対してデカルト的理性的直観主義やロック的道徳感覚主義に基づいて反論したカドワースやシャフツベリーに始まる。スコットランド学派やケンブリッジ・モラリスト達がこの流れを継承し、19世紀には功利の原理を提唱したJ.ベンタムや、それに基づいてJ.ミルやJ・S.ミルが構築した功利主義を批判した。

功利主義の原点は「最大多数の最大幸福」であるが、この原理には2つの大きな問題が混合している。1つは幸福でありもう一つは社会倫理の原理である。功利の原理を2つの要素に分離して捉えると「最大多数の最大利益」とか「最大多数の最大救済」のように幸福のところは変数的に扱える。つまり「最大多数の最大X」となる。

直観主義者たちが功利主義批判で主に問題とするのはこのX(要素Xとする)についてである。このXが幸福であることを前提にしたのはホッブスに由来する。ホッブスは、人間は自然状態では利己的で快楽を追求することを前提とする。そこでそうした野放しの混乱状況には法の適用が必要であると主張したのであり、功利の原理はその法を具現していると言える。

これに対して直観主義者たちはこの要素Xに快楽以外の善意や正義、誠実などの他の倫理的課題を主張したのである。こうした要素Xの根拠を求められた直観主義者達は直観によって認識されると主張したのである。功利主義者たちが、快楽追求が自然状態における本能的な行為現象として自明化していることを疑問視して功利主義と直観主義を仲裁したのがH・シジウィックである。つまり幸福もまた直観に基づくものであるということにおいてである。これに追い打ちをかけて、快楽は自然主義的であり倫理的概念ではないと主張したのがG.E.ムーアであり、これによってH・シジウィックの仲裁は灰燼に帰することになった。G.E.ムーアの破壊活動によって実現したのは功利の原理が社会倫理の分野に限定されるということである。G.E.ムーアが主張した倫理の基本概念は「善」であるが、善は功利の原理から切り離され、社会倫理とはパラレルな位置に置かれることになった。

これ以降、直観主義は認識論的観点と規範的観点に分離し規範的観点からの義務論の様相が濃くなってくる。義務論は功利主義では行為の帰結によって善悪を判定するが、直観主義では行為の性質によるもので、良心や実践理性によって直観されるというものである。

行為の帰結は社会的な場面での評価により、一方良心や実践理性は個人の側のテーマとして問題視される。直観主義の系統が義務論に延長したのは欧米では日本的倫理性である求道の方向性の延長が見られなかったということを意味する。最近のクールジャパンの日本のこの求道の精神への注目にあると言われている。直観主義の復権には日本的倫理性が役割を果たすことができるかもしれない。こうして見ると直観主義理論と功利主義理論は個人倫理と社会倫理の問題に還元できるかと思われる。

一方、認識論的問題はA.J.Ayerの道徳言語の無意味性、C.スティーブンソンの情緒的意味、R.M.ヘアの指令説などによる道徳観念の実在性の否定によって衰退することになる。

この道徳観念に熟慮を経た信念に基づく反省的均衡理論によって一石投じているのがJ・ロールズの整合性の理論である。整合性理論は、功利主義が基礎的感覚に基づくのに対し、他の信念との関係による信念に基づくことで直観主義を補足している。しかし熟慮に寄る信念はやはり相対的である難は逃れてはいない。一方J・ロールズが投げた「功利主義は人格の個別性を尊重しない」という主張は、功利の原理には個人への配慮が欠落しているという指摘であり、功利主義の大きなダメージとなっている。J・ロールズは功利主義が個人倫理を無視していると主張しているのである。(「公正としての正義」J・ロールズ 木鐸社)

そこで常識の位置づけと直観の役割とを巡ってこの論争は続いている。

ロールズの主張は功利主義の不足している事実を明かしているものであるが、功利主義の不足を補うための個人倫理の道を担う直観主義は義務論に座を開けて閉塞してしまっている。私はここに役割を担えるのは日本的倫理性であり、西田幾多郎によってその一つが示されていると考える。

2)功利主義

J・ベンタムによって提唱された功利の原理は社会的原理である。その原理は社会を形成する原理を最大多数に置いたところに帰する。しかし最大多数の内容を幸福(快楽)としたところに直観主義者達からの意義が唱えられたのである。清教徒主義者たちは快楽や幸福より信仰や規律を重視する。安全や平和や清貧や希望や達成感などを重視する人たちも考えられる。しかし幸福概念はそれらの概念を包含するところがあるのであまり疑問がもたれなかったのであろう。

「最大多数の最大X」のXは個人心理の領域の問題である。このXがどんな内容であっても社会的には最大多数であることが社会を形成する原理であるというものである。そこではいかに多くの人たちがこのXを手に入れるかということが課題となるのである。その政策や法設定へと進行していくのである。功利主義はこれによって規則功利主義と行為功利主義に分けられるが、このXの定め方の議論であり、功利性の本来の問題に関わるものではなく、功利主義が直観主義の領域に侵入している議論といえる。直観主義の領域に侵入せざるを得ない事情があると言える。行為功利主義では個々の行為の功利性を常識によって推し量ったところにXをおき、直観を常識感覚に基づかせる直観主義に譲る形になっている。規則功利主義がこのXに関わろうとするのは、功利の原理におけるXが個人的ではなく、集団としての場面で位置付けられることに注目するからである。Xを実現する規則の定立によってXの個人性から集団性に基づいて功利原理を適用しようとすることが課題視されており、こちらの方が社会倫理としての規則に依るという意味で功利主義の役割に近い。

3)外在主義と内在主義

直観主義と功利主義の議論は価値の内在性と外在性を巡っている。道徳原理では内在主義と外在主義は次のように対比される。

①内在主義:情動主義、主観主義に陥りかねない。個人的な決断の単なる反映にすぎない

②外在主義:神授説、客観的道徳法の存在、一定の慣習の持つ社会的な強制力

外在主義は道徳性を客観的な実在に位置付けようとしている。内在主義は価値を主観的に位置づけようとするがそれでは道徳性の普遍性を考えることができない。そうすると道徳問題は個人主観でしかなく、社会的規約の根拠を得ることができないことになる。ところが私たちの社会では個人が個人の価値に従って行為することは混乱を来すし、互いに自分の価値を主張し合えば衝突と争いが起こることになる。個人の価値が例えば社会全体の幸福を願うところにあれば個人の価値と社会の価値とが一致するので問題は回避できるが、個人の価値には個人の幸福をしか考えないものもある。

内在主義の本質は個人の認識によって価値を実感するところにある。直観や情緒などによって個人がその価値に賛同したり公認したり納得したりできるということが原則とされている。これは実は認識の問題であり、価値の問題とは区別されなければならない。内在主義は価値が認識の中にあるという個人の自覚を第一に考えているのである。しかし価値と価値の自覚とは別の次元の問題である。

一方、自覚できないものを行為として実践することは賛成や公認やの自覚に寄らないものであるから困難なことであるというのが近代ヒューマニズムの姿勢である。

理性主義は価値の実在を個人の感情によって所有するという内在的立場から理性の対象として考える。理性が認識の一つの手段であると考えればデカルト的に個人精神活動として感情と同様に内在的なものと考えられる。

感情が内在的であったとしても感情の対象は外在的であると位置付けることもできる。Aという価値は好意の感情が抱かれ、個人の感情に起こっている現象であるから内在的であると考えるのが一般的である。この時好意の感情は生理的現象を引き起こし、笑顔や興奮や叫びや感嘆や抱擁など私たちの個人の身体現象に現れる。この故にAという感情は内在的で主観的で個人的なものであると考えられる。しかし好意の感情はこうした私たち個人の身体現象に直接的でない場合がある。感情のレベルとして深く内面で起伏するものもある。さらに深い内面に現象しているという現象は内面から遊離してほとんど客観的な対象と化するところにやってくる。

さらに道教の道の観念では個人の感情を超えた自然の法に当てはまる。また自らの感情の起伏を空しくして神仏の意志を観察する禅宗や神道の随神(かむながら)の境地では個人の内面に起こる客観的情緒である。ここにおいては、感情は個人的なものであるという境界は取り払われる。感情はエゴを離れて普遍化する。

カントにおいて道徳の外在性が定立されるのは理性による。エゴにおける感情に対して普遍性を理性対象に置き道徳価値や原理をその対象として位置付けている。しかし理性が個人的で内在的でないという保証はどこにあるのだろうか。デカルトにおいては、理性は自我存在の根拠として用いられている。「コギト・エルゴ・スムス」は思うという理性の現象に基づく自我存在を定立したのである。これは理性を内在的に位置づけながら外在的な存在を捉えるという内在性と外在性の和解を意図しているのである。

理性とは客観的な対象を個人的なレベルで捉えて個人化すると期待されて位置付けられている認識機能である。この理性に相当する認識機能が我々に備わっているかどうかをどうやって検証できるであろうか。それには理性で捉えられたとされる対象の普遍性を検証するしかないであろう。例えばカントの格率論「汝の意志の格率がつねに同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ」(「実践理性批判」カント 岩波文庫)は個人的な道徳原理と普遍的な道徳原理との一致を理想としているが、この普遍性とは社会的道徳原理を意味している。ここでは個人の理性的道徳原理は個人的な内在的なものであり、社会的普遍性との検証が問われている。しかしカントのこの格率論ではこの2つの格率の一致性の検証法は示されることはなく、ただそれを願うということが重視されている。

ここでは理性は決して外在的のものではなく個人の認識機能として内在的なものである。

こうした感情と理性の内在性と外在性についての区分けは曖昧で相互に入り組みがみられ、明別されているとは言えない。

以上では個人倫理と社会倫理について述べたが、私の主張はこの2つの倫理観に線引きし、双方の役割を重視し、とりわけ個人倫理の重要性を強調しようとするものである。私達は、社会がどのようであろうが個人は個人の目的を持たずにはおれず、それに取り組まずにはおれず、達成していく者が絶えないのである。社会倫理はそうした個人の目的について深く関与はしないが全体としてその社会が良かれと思われる状況を作り維持しようとするところにある。結果的にそうした社会は個人の目的を達成することに貢献することになることが多いかもしれない。逆にそうした好条件は決して個人の目的を成就するためには有効でないかもしれない。この2つの倫理はパラレルでありながら連動しているという奇妙なところにある。私はこの連動を成し遂げているのが人間の能力ではないかと考えている。西田幾多郎が絶対矛盾の自己同一というところの人間の能力であると考えている。

しかしここで検討しなければならないのは、なぜ私たちは利己主義であることを、それが完全には叶わぬにもかかわらず、避けようとするのか、またそれを恥とするのか。ここには西田やソクラテスの示した道が人間の哲学的志向性にあるということがある。私たちは何者かであろうと志向している。あるいは何者かでなかろうと志向しているのかもしれない。ともかく向かっている。それは無の場所であろうかダイモンへのエロスであろうか。この時自我そのものがそこに消えることを志向しているのであり、それに反する自我の志向性は肯定されないのである。ここに私は日本的倫理性を見るのである。

 功利の原理に象徴される社会倫理は個人倫理を踏まえて形成される。個人倫理が目標とするかくあろうとする人間への志向性が社会倫理の内容を満たしていく。個人の内面に培われていなければやがてかくあるべきとその社会が考える目標としての人間を育成しようとする社会倫理は消えていく。社会倫理が弱小化しても個人の倫理性は消えることはない。


日本的倫理性 7 第5章 西田哲学に見る日本的倫理性

2019年07月16日 | 日本の原体験

5章 西田哲学に見る日本的倫理性

 西田幾多郎(1870-1945)は日本を代表する哲学者で、人間の問題テーマとして、禅の行に取り組んで日本の精神性を明確にした。私はそこに日本的倫理性をみる。日本的倫理性というのは私が勝手に使っている用語であって、西田哲学の中に日本的倫理性という用語やそうした命名している研究領域があるわけではない。しかし私は西田哲学こそ最もこの日本的倫理性に相応しいものと思っている。

日本的倫理性で私がイメージするものは、西田哲学が人間の問題を実在的で歴史的であるとし、それに取り組んでいるということで、深く共鳴するものである。その西田哲学の日本的倫理性はデカルトをはじめとする欧米の主語的論理性批判によって浮き彫りにされている。しかしそれは欧米に対比して示されたものであり、いわば日本的倫理性の影のようなものであり、ここでは西田哲学の心の一端に触れられるように試みたいと思う。

その西田哲学について永井晋氏は以下のように述べている。「言わば、矛盾したものを、 一方を他方に還元することなく結びつけること、しかもそれを哲学者として、論理の上で行うことが問題なのである。その問いに対する西田の答えを予め言っておくと、『<東洋>(日本はその一つの現れである) が<自己否定>して<西洋>を<包む>』というものである。」(「西田幾多郎と近代日本の哲学―『東洋哲学』とは何かー」永井晋 国際哲学研究3号 東洋大学国際哲学研究センター)。ここに西田の日本的倫理性の1つ顕著な特徴を見ることができると思う。

 

第1節 西田哲学の問題

こうした近代的自我に対して、明治期に出会った日本の哲学者たちは様々に対応してきた。西田の弟子である下村寅太郎によれば、西周、井上円了、西村茂樹、井上哲次郎らの西洋哲学への関心はその思想的内容よりも思惟の仕方の新鮮さにあったということである。この哲学を受容し欧米と日本との共存を始めたのは井上哲次郎であるが、井上の方法は仏教や儒教を取り入れて日本的に消化したときのように、神仏習合的な伝統的方法であった。日本に哲学なしと言われる時代から、日本での哲学を始めたのは西田幾多郎と言われる。西田の取り組みは西洋哲学を通して東洋哲学を潜在的な状況からロゴス化するものであった(「日本の近代化における哲学について」下村寅太郎(「世界の中の日本の哲学」収録))。

しかし西田は日本の読者に向けてその哲学を書いた。仏教用語や儒教用語ではなく、欧米的表現によって伝統的日本の精神性を積み上げていったことに他ならない。それは欧米的観念が押し寄せ、欧米的な思考との共存に止む無く迫られる状況下で、同じ思考性や観念に基づいて自らの生き方を明確に自覚していかざるを得ない日本人の事情を解決するためのものであろう。またそうした取り組みこそ日本人が歴史的に異質な精神性を受容してきたパターンである。

この西田哲学は「善の研究」において、純粋経験や絶対矛盾の自己同一で明快に述べられるが、第3章の第5節で見た酒井潔氏の批判にあるようにそれで十分なのであろうかという疑問が残る。香山リカ氏はこの点について、西田の純粋経験とフェーダン氏の精神分析の立場からの自我を比較して検討する(「善の研究 実在と自己」香山リカ 哲学書房)。香山リカ氏はフェーダンの自我は「主観的な自我体験を内側から支えるものとして「自我の核」とそれを外部から支える「自我境界」からなる」とし、この「自我境界」は移ろいやすくふとしたことで病理現象に陥る。すると、精神内界の感覚と、外界の知覚、過去の自我状態と現在の状況などの混乱が生じる。この強い実在感を持った「偽りの現実」が、妄想や幻覚となるのである。一方西田の純粋経験においては、「実在の統一作用」が常に働き、決して病理的な自我の状態には発展しない。西田の「自己」は現実感覚の喪失には及ばない。この両者の違いは何に起因するのであろうか?と問う。すなわち

①    西田の宇宙的実在の統一力としての自己とフェーダンの精神病理をもたらす自我観の違いは何であろう?というものである。

 次に香山リカ氏は西田の自己は楽観的であると指摘する。西田においては「「自己」は実在の統一者であり、統一せられるものから離れて別に存在するわけではない(同掲著P.26)」。香山氏は西田のこのスタンスに疑問を投げかける。現実に精神分析的な病理現象が起こっているからである。その責めは楽観的な自己観に基づいているところにあるという感覚を持っているようである。

②西田の「純粋経験」的自己観は精神分析的病理現象を解決しないものであろうか。という疑問である。

香山リカ氏は他にも社会現象での解決点が見えない問題、ネットオカマ、解離性障害、解離反応(過食行動からの解離、万引き行動からの解離)、「ザッピング・ラブ」などをあげ、西田哲学がこれらに無力ではないかと言いたいようである。

しかし私は香山リカ氏のこの問題設定を理解することができない。ここには西田の純粋経験に責を帰せられない現代欧米化的自我観に起因する病理現象がある。正に西田はこうした事態に備えて日本的精神性を明確化しようとしてきたものであると理解する。西田の日本的生き方の哲学樹立は香山氏の指摘するこうした現代の現象が来ることを防げなかったもののようである。それは西田哲学に帰せられるべきものではない。一般大衆世界での政治的、経済的、文化的、マスコミ活動などの群集的な歴史の雑然として雑踏の流れの中では西田哲学の意義はかき消されてしまっているのである。ましてや戦争犯罪的なファシズム思想のような批判では直さらその影響は弱小であった。だから香山氏の記述はそうした事情化での欧米化の勝利宣言のようなものである。

 

第2節 西田哲学の分かりにくさ

1)どこが分かりにくいのか

①西田哲学の前に立って

私は西田哲学に深く納得するところがあるが、一方では酒井潔氏や香山リカ氏が指摘するところも気になっている。それがなんであるのかを見てみたい。

この小著での私の取り組みは、西田哲学に触れ、それによって日本的倫理性を際立たせることができればというところにある。西田哲学は日本的倫理性の結実であり、またその始まりでもある。日本の精神性が有史以来辿ってきた日本人の生き方が、明治期に欧米の近代的自我主義と遭遇し、その欧米の人間観の中で自らを欧米流に現した姿である。またそれがさらに新しい表現を以て現れることを期待すれば始まりであるというのである。特に酒井潔や香山リカ氏の批判は誤解の上でのことのようであるが、その誤解は西田自身の哲学的表現に起因していないとは言えない。

林信弘氏の「無の人間学」は西田幾多郎の哲学を忠実に習おうとする姿勢で書かれている。それゆえその表現は曖昧で、その意味で難解であるが大変インスピレーションに富む叙述である。

戦後東大でアメリカンセミナーというものがあり、日本の学の世界を構築していった若い学徒たちが受講したそうである。彼らはたとえばJ・デューイのプラグマティズムなどは全く分からない思想で、理解するのに大変苦労したそうである。私も八王子セミナーハウスで1週間ぐらい開催されたセミナーに参加し、大森荘蔵氏の「立ち現れ」論のセミナーに加わったが当時は戸惑いの多い学説であったが、私は心のつまりが流されたような気がし、理解に努力した。大森荘藏氏の取り組みも最も日本的な倫理性を樹立したものと思うが、この小著はそこまで及ばない。このように今まで触れたことのない思想や理論に接したときには理解し、慣れるには少し苦労するものである。

②日本的倫理性へのより戻し

今日では私たち日本人には逆に日本的倫理性は馴染みのない、それゆえに理解したり、生活に取り入れたりすることがなかなか困難なものになっているようである。

一方西田の哲学は厳しい禅の修行の賜であれば、たとえ明治以前の日本人でも理解が困難なものだったかもしれない。しかし日本的な馴染のある思考であり、文化的に断絶のある欧米哲学に比べればまだ伝統的な文化を踏まえているので理解し易いだろう。

 基本的に西田哲学は第4章までに上げた欧米的思考とは別なものである。欧米的思考に慣れている私達現代人にはその立ち位置からでは理解し固いものがある。欧米的思考が明治期においてそうであったように、戦後欧米化が進んだ結果、今は逆に自分たちの日本的思考の方が遠くなり、理解し固くなっているのである。その故に政治的、軍事的、功利的な強制力にでもよらなければ、否それでも断固受け入れられなくなり、戦争のトラウマやナウくない面白くないなどの今的社会状況によって見向きもされなくなっているかのようである。しかし戦後は欧米近代的自我観に切り替えられたように日本的倫理性への切り替えも容易に行われるかもしれない。別の見方からすれば欧米近代的自我観はどれほど深く我々に定着したかを振り返ると、むしろ我々には日本的倫理性の方が根深くしっかり命脈を保っているのかもしれない。私たちはそのより戻しに取り組んでいるのである。そこで日本的倫理性は微妙で分かりづらいものである所をどうするかという問題を考えてみることも大切ではないかと考える。

①    西田哲学へのもの足りなさ

たとえば林信弘氏は「それゆえ無の意識においては、いわゆる「自己同一性」が転倒される。一般に「私は私である」として定式化される自己同一性が転倒され、「私は私ではない、ゆえに私は私である」として定式化される。換言すれば、私はいったん私から離脱し、絶対の無に滅しつつ、そこからあらためて私に還ってきて私ということである。我々が何をしていようとも何もしていないのであるがその故に様々を為している」(「無の人間学」林信弘 晃洋書房 P.37)というが、ある意味では大変わかりやすいが、一方では首を傾げたい気もする。西田だけではない。「鈴木大拙の『無心ということ』の中の一節で、「私」と「私ならざる者」、「自」と「他」が「二であって一、一であって二」となる無心の境地を説いたものである。これには筆者は基本的に同意するものである。しかし・・・彼のいう自他不二ということも、それがより具体的にはいったいどのような自他なのかがもうひとつはっきりしない。実感としてわかったようでわからないのである」(「無の人間学」林信弘 晃洋書房 PP.71ー72)。西田幾多郎や鈴木大拙のいうことは我々の共感を得るところ大である。しかし林氏の言うように、それだけで果たして良いのだろうかという疑問が私達にもある。

西田幾多郎や鈴木大拙の言葉は日本的倫理性の代表的なところを表現し、日本人に大きく共感を得ているものであると言えるだろう。そしてその表現は日本人にはまことに理解し安いものであり、みな腑に落ちるものである。それは大変素晴らしいものであると思う。しかし同時に何か腑に落ちない、果たしてこれでいいのだろうかというところがある。これは何であろうか。そしてそれこそ西田や鈴木大拙が言おうとしているところの問題である。

 それは2つの点から検討することができる。1つはⅰ西田や鈴木大拙の哲学が目的としているものがなんであるかということに起因するものであり、もう一つはⅱ西田や鈴木大拙の表現の問題である。②については西田も鈴木大拙も禅をベースにしているが、西田は哲学の用語で禅の世界を考察する功績を上げている。この点は高く評価されるものであるが、一方では考察されているのは禅的人間観・世界観・宇宙観であるから、それが日本的倫理性となるものであるかどうか検討を要するものである。

②  日本的倫理性の分からなさ

西田の世界は主語論理的理解の仕方では理解が難しい。たとえば「無はどこまでも有を裏打ちしている。述語は主語を包んでいる、その極まる処に到って主語面は述語面の中に没入するのである。無は有の中に没し去るのである。この展開の中に範疇的直覚が成立する、カントの意識一般もかかる意味における無の場所である」(「場所」、『西田幾多郎哲学論集Ⅰ』所収、P.122 岩波文庫)我々は2つの理解や表現の仕方を持っている。こうした西田の文に関して、ジェームズ・ハイジャックは「『善の研究』は整合的でない命題のまわりに西洋哲学の諸見解をごたごた並び立てた代物」(『善の研究』と西田哲学における失われた場所」 藤田正勝編『「善の研究の百年――世界へ/世界から』 (京都大学学術出版会、2011年)と嘆いている。この表現は西田の禅の体験から来るものだろうか。これをハイジャック氏はⅰ蒸留された陳述、ⅱ託宣的陳述というが、これはただ西田一人だけのものではない。日本的倫理性は主語論理的理解とは違うこうした表現を取らざるを得ないところにある。分かる時にならないと分かることができないものであり、論理的に、計算を進めて手続きを踏めば誰もが理解できるようにはできていない。不親切でそうしているわけではない。手とり足とりしても分かる時にならなければ分からない世界であると我々は分かっているのである。それは何も日本的倫理性の専売特許だというわけではない。欧米哲学や科学には同様に言えることが多くあるが、しかし欧米では、であるからもっと表現を多くする方法をとる。日本的倫理性の特徴はむしろ逆にそれを言ってはならないとする世界がある。言わないことによらなければ伝わらないとする世界である。言うことによって言われないものとは全く違うものが生まれてくることは、我々はよく知っているからである。そこに日本的倫理性の本質を見るわけだが、西田哲学はその言わざるべきものを言うことによって言われない時のようなものを描き出そうという矛盾葛藤をしているのである。そうした取り組みをしなければならなかったのが明治の日本だったのである。

③  主語論理と述語論理

主語論理と述語論理について小島洋介氏は、親鸞の自然法爾から自分の行為と自然の「おのずから」成る働きとが一体化するという日本的悟りの境地に西田の世界を見、「西田が主語論理と呼ぶ、アリストテレスに由来する西欧的倫理学の命題においては、私と石(石とは自然を象徴した例え)とは、絶対的個の自存性において、合い交わることはない。対して、西田は述語的論理を提唱するが、それは私と石が、それぞれに弁別的にあると思っていることを成立させている地盤、それらが属しているところの、『ある』ところの場所から、この弁別をとらえろということだ。」(「純粋経験と現象学的経験―場の理論のための一考察―」小島洋介 パリ第 12 大学に提出した博士論文(哲学))とし、さらにこの「場」もまた実体的ではなく、仏教の縁起思想によって位置付けられるものとする。

 場所の理論の説明は難しい。その難しさは、1つはⅰその世界は理論的世界ではなく体験的世界(多くの研究者の言う実在である)であるということにある。この世界は西田が若い頃から雪門玄松禅師を師として修行に励んだ禅の悟りの境地である。それを得ること自体が難しいことである。次にⅱこの体験を人にも自分にも自覚したり示したりすることは困難を極める。しかし日本人的直覚は比較的やさしくこの世界を理解する。それを体得することは困難だが、その方向をイメージしそれに向かいながら暮らしているのが日本人の常識である。その工夫が生み出したものが、古来の和歌の道であり、俳句であり、そしてもろもろの道である。我々はそうした道を日常生活として歩み、誰もが西田の言う「場所」であろうとし、「場所」に敬虔であるのである。

 しかし、我々は誰もが西田が「場所」によって言おうとしていることを日常的常識的に理解しているので、どうも馴染まない感じがある。これを「道」と言う方がもっと馴染みやすい。「場所」については第3節(5)で述べる。

2)西田哲学の求めたもの

まず、西田哲学の目的とするところを検討してみよう。

西田哲学の目指すものは世界をどう解釈し、世界の中で生存するためにどう世界を変えるかということではなく、あるべき自分を求め、生きるべき自分を生きることにある。世界の中の自分をどう解釈し、その中でどう位置するのかを自らの心身で知る、ということである。これはいったいどんな意味があるのだろうか。これは神や仏と一体になるというところにある。人間の基本的願望はここにある。「西田は、究極的には「神」を求め、「神」にふれ、「神」を見ることを欲していたともいえるのである。」(「西田幾多郎の思索――深き奥底――」渡邊二郎 放送大学研究年報第十七号)であるが、その「幾千年来我らの祖先のはぐくみきたった東洋文化の基底には、形なきものに形を見、声なきものの声を聞くといったようなものが潜んでひそんでいるのではなかろうか。われわれの心はかくのごときものを求めてやまない、私はかかる要求に哲学的根拠を与えてみたいと思うのである。」(「働くものから見るものへ」西田幾多郎 岩波文庫)という西田の求めるところこそ日本人の求めるところであろう。彼はそれを禅によって到達していったといわれるが、それこそ禅が日本において日本化して日本的倫理性を切り開いたところのものであろう。その日本的倫理性は「カントの『純粋統覚』が自己の外へ超越したのに対して、西田の『絶対無の場所』は自己の内の更なるうちへの超越である。いわゆるコペルニクス的転回の転回である。」(「西田幾多郎の場所論とカントの『物自体』」――西田の『反省的判断の対照会』を手掛かりとして―― 木村美子 立命館文学第618号)ということであり、我々はそれに全く共感する。

こうした日本的志向性には日本人がかくありたいという世界があるのである。これを迂闊に世界ということは誤解を招くもとだが、厳密にいうと、それをあからめたいがために西田が「無」と言わざるを得なかった、そういう世界である。我々はそれを言上げせず、明示せず、しかし誰もが共感できる世界である。西田はそれを明治当時の時代性の中で根拠づけの必要性を強く感じたものであろう。

私は、その世界はそこに住み、それを歩み、それを現し、それを作り、それを生きる世界であると考える。しかし誰もそれを取り出して、目の前に置くことはできない。それとして目の前におかれたものはそれではなく、ただそれを人によってそれからメタファーできるかもしれないだけである。それは私の在り方、生き方であり、それによって世界もまた左右されるものでもある。

強いてそれを形容するなら「いのち」が自ら高まっていく過程である。我々は自らを卑しめることを恥とする。自らを高めないことを恥じる。またそれを指摘されることを恐れ、自ら高まる努力に挫折することを不甲斐なく思う。私たちはそれが何であるかを提示することはできないが、それがそれでない方向を直感するので、それが何であるかということを峻別できるのである。

従ってその方向に反する物や行為を避けようとする。そうした言葉や行動や、そうした言葉や行動の主体者を卑しみ関わることを避ける。私たちは自己主張を得意としない。

 私は神を掴むと理解する。ここに日本人の倫理性がある。主語的倫理が自己理解を外に求め、外に展開するのに対して、つまり法を作り倫理法則を作り社会制度を緻密に体系化するが、我々は心を済まし、心の中に声なき声を聴き、見えないものを見ようとする。自己は心深くに潜水し、自己を無化してそこを自己とする。そういう世界にいて生きようとする。

 

第3節 西田哲学と西洋哲学

1)西田哲学のデカルト批判

 西田幾多郎は若い頃の「善の研究」で、デカルトの方法序説と同様に、自己の意識を起点としてその哲学を開始している。それは「実在形式の過程」と言われるものであるが、そこにおいて西田の立脚点はデカルトのコギトが孕んでいる存在の直観である。本書 「第1章第3節3)日本的コギト」で、「即的直観」と私が言ったものである。デカルトのコギトにはそうした閃きと通じているものがある。この点が西田の哲学と同調できるところであろう。

 デカルト批判については、すでに本書「第1章第3節2)カント認識論への発展?」で述べてあるが、西田のその批判の要は、アリストテレス的論理に基づいて実在を主語的なるものに求めた、というところにあるという。これはカント、スピノザ、へーゲル、フィヒテにも及び、西欧哲学の根本的誤りと考えられているのである。主語的論理と称されるこの西欧的立脚点は、西田においては否定されなければならない論理であった。デカルト以降西欧哲学はカントからフィヒテへの「内」の方向とスピノザは「外」の方向へと真反対の方向に発展していった。両方向とも内的形而上学型と外的形而上学型という反対の方向であるが、本質的には同じ自我主義に違いないところの、その反対型でしかない。

 西田はこれらの発展の過ちをデカルトのコギトが依って立ったところまで戻りなおすことを主張する。というのは、デカルトはその位置から一歩誤った方向に進んだからである。西田とデカルトのちょっとした違いの、しかし西欧科学と日本的倫理性との分水嶺的な位置からの反対方向への一歩で、そういう意味では大きな一歩であった。西田は、その結果が西欧においては「哲学は哲学自身の問題を見失ったかと思われる。」(「デカルト哲学について」西田幾多郎 青空文庫)という事態に陥っているということを指摘しているのである。つまり科学的思考に取り込まれ、歴史的・実在的に問題を抱えた人間の問題を排除していること意味する。西田にとって哲学とは人が生きるということであった。それは古代ギリシアにおいてのソクラテスのそれである。それゆえにこの小著では最後にソクラテスを扱っている。

 そこで西田はデカルトがまだ一歩踏み出す直前に立ち返り、デカルトが直観した自我存在がさらに打ち消されるべき存在であることを認めるべきであるというのである。私はデカルトがこのコギト的直観(即的直観)にいる状態ではまだ主語的なるものからは中間的位置にいると思う。少なくとも論理的にはそう言えると考える。しかしこのデカルト的確信にいる状況から、「我あり」と断定する主語的確信に陥るのである。つまりコギト的幻惑に陥った確信をしてしまうのである。西田は「考えるものが考えられるものであるという主語的実体の矛盾的自己同一的真理を把握したのである。」(「デカルト哲学について」西田幾多郎 青空文庫)ということであると指摘している。つまり矛盾的自己同一から自我存在の確信へというミスリードがおこるのである。これを私はコギトの幻惑と言っている。西田は「私はこれに反しそこから新たなる論理と新たなる実在の概念が出なければならなかったと考える」(「デカルト哲学について」西田幾多郎 青空文庫)というが、その新たなる論理や実在とはいかなるものであろうか?

 私はこの書の「はじめに」で、日本人の脳と欧米人の脳における言語問題を話題にしているが、これに関連して日本語には主語がないという三上文法説があり、西田が西洋の主語的思考姿勢を受け入れないことに関係づけることができる。西田が、アリストテレスは主語を実体とし、デカルトも「アリストテレス的論理学を脱しなかった。実在をどこまでも主語的なるものに求めた。」(「デカルト哲学について」西田幾多郎 青空文庫)という批判に関係する。これから、日本語は主語がないから無の哲学がそこに発生し、西欧では主語があるからデカルトのコギトが生まれたということで結論付けることができるであろうか。

たとえそうだとしても、そうすると我々日本人には欧米的な生き方は合わないということになり、合わせる方に選択肢を取ると、英語を国語化するというようなことが浮上することも考えられる。しかし明治期ならいざ知らず今日では日本語が良いのか英語が良いのかを決めるのは困難である。但し我々が日本語を使い続ける限りは、欧米的主語的論理は我々の倫理性には違和感があるということであり、我々の倫理性について考えられるべきであるということは、西田哲学の評価を高めるものである。

問題がもし言語的であったとしても、デカルトのコギトを起点として、西田は、デカルトは主語的論理に行くべきではなく矛盾的自己同一に行くべきであったと主張するのである。私は、デカルトはコギトの幻惑に陥ったと言っているが、コギトの幻惑に陥らないということはどういうことであろうか。それが西田の言う矛盾的自己同一であり、絶対の否定即自己否定であるということとどう関連するのであろうか。

2)西田の無の世界とは何か?

第1章で私はデカルトの「我」には実は(我?)が隠されていると言った。そしてこの(我?)はデカルトにおいては(我1)の背後にかき消されてしまっていると言った。この点は西田が、デカルトが主語的論理に侵されていると考えていることに関連する。(我?)が西田の世界に通じるものであるとするなら、西田はそこで彼の禅的体験によって自我が滅却する境地からこの(我?)の世界に入るものと思われる。西田の表現によればそこは無の世界である。私が(我?)というのは、「思う」が揺らめくように点滅し、定かではないが鮮明に実在を示すようであるからである。思うに西田がそれを「無」と断言するのもおかしな話である。というのは、無は無と表現するときもはや無ではないはずである。これを無の矛盾ということができる。

その時か? 其処ではか? 私が(我?)と言う時はある種の思考停止にある。私は、その時か? 其処ではか? 「思う」ことが精一杯で内容も伴わず、それさえもついたり消えたりの点滅状態である。私は「思う」ことを自覚したり自覚しなかったりする。意識の世界に入ったり出たりして定まらない。それ以上のことは私にはできない。私は、これは私の意識力の不足かと思い、一心に「思い」を強め、継続し、正体を極める試みを際限なく繰り返してきた。しかし反面そうした揺らめきや不定を、いわば流動を受け入れて生活しているのである。

ここには時間論と空間論が取り払われた世界、西田の「場所」でもある世界がある。

3)西田のカント批判

私は第4章第2節でカントの物自体について考察した。そしてカントの想定する物自体が存在しそうにない危ういものだということを検討した。私の物自体観は、カントの想定するような物自体は存在しないというものである。物自体としての他者についての認識は、私たちが孤立していることはなく他者との融合の中で意識というものは発生して来て、他者の認識はこの融合意識以外にはないというものである。この融合とは他者がそこで発生する現象であり、この現象の中に他者認識が現れるというものである。この現象を西田の物自体観や場所との関連で検討したい。

デカルト的コギトが(我?)という無我の世界を取りこぼさず、その無への我の無化が自他の区別のない意識であればそこには主観から疎外された物自体としての他者は存在しない。しかし我々の意識作用はコギトの幻惑に陥り易く、「我」の現象する場に目を向けそこなう。無窮の宇宙空間にいる時でも私たちはその宇宙空間に虚しくなることを知らず「我」の方向にこだわる。

カントについての検討を西田は重視し、そのコペルニクス転回を評価するなど、西欧を理解し、日本精神の構築に取り組む重要な対象としていると思われる。ここでは西田のカントの物自体に対する批判点を検討する。西田はカントに倣って、認識主観に基づいて認識を組み立てる。そして一方ではこのカント的な認識主観からの脱却を哲学的に思考する。ここには次のようなジレンマがある。主観に基づいている認識がいかにして主観外のものでありうるか、そういうことで定立した物自体を取り込むことができるか、というこのジレンマこそ哲学のテーマであり、西欧自我主義に翻弄される日本がその精神性を見失わないように取り組んだテーマであった。

西田は、アリストテレスが主語を実体とする主語実体論はデカルト、カントに至っても、西欧哲学において継続していると考える。これに反して西田は、「SはPである」という判断において、主語Sを特殊、述語Pを一般とし、一般(述語)が特殊(主語)を包摂する包摂判断から出発する。(「西田哲学の『場所』の論理とカント」井上叢彦 長崎大学総合環境券研究6(1))。主語―述語の包摂関係で主語面をどこまでも主語方向に推し進めると逆対応して述語面をどこまでも述語方向に、より一般的なものへと押しやることになり、一方ではもはや決して述語とはならない主語の個体(極限的主語)が出ると同時に反対の述語面においては他のどのような一般概念にも規定されない述語面(超越的述語面)に到達する。この超越的述語面が、西田が真の実在と考える「無の場所」である(「西田幾多郎の場所論とカントの『物自体』」――西田の『反省的判断の対照会』を手掛かりとして―― 木村美子 立命館文学第618号)

以上を(我?)と関連付けてみると、我を無化した無我の世界では述語面だけの世界になり、その無の述語化が絶対無の場所と考えられる。そしてこの(我?)に至る路程はデカルトにおいては徹底した懐疑による削ぎ落としによる完全に孤立した「我」であるという意味で極限的主語と準えることができる。そこに現象する意識は自他を超え、自他を含み込んで新たに芽吹いてきている個別な意識である。そこでは常に矛盾が自己否定し新に意識となり、ということが繰り返され続けている。

これに比してカントにおいては、主語的方面に実体を置いたデカルトに反して述語的方面に実体を求めたと考えられる。つまりデカルトが(我?)の無我の世界=「疑うも疑うこともできない直証の事実というのは、自己と物との、内と外との矛盾的自己同一ということ」(「デカルト哲学について」西田幾多郎 青空文庫)という世界に入りそびれて主語論理に陥ってしまったが、カントは逆方向の述語的方面での同様な実体化の過ちに陥ったというものである。西田はそのミススリップの過程を次のように示す。

カントはデカルトの「思う」の実体化を独断主義として批判し、思惟や知覚による統覚を以て世界を認識しようとした。しかし西田によればカントのこの統覚(意識一般と同義とされる)には自己の直観がないという。カントの思惑に反して「私は考える」という思惟がそれに該当するということはなく、それゆえにこのカントの統覚我は主語となるものであり、述語的統一とはならない。これを主語となって述語とならない基体が述語化して横たわっているのである、と言われる。(「西田哲学の『場所』の論理とカント」井上叢彦 長崎大学総合環境券研究6(1))。

これを(我?)に照らし合わせると、カントはデカルトが入りそびれた無我の世界を顧みず、西欧的自我の実体化を思惟と知覚に解体した結果、自我をどこかに置いてきぼりにしてしまっているということであろう。そして実はそうやって打ち消したはずのデカルト的近代的自我がこっそりと統覚の影から述語的を装って主語的統一を実行しているのである。そうしないとカントの統覚には自己の直観が失われてしまうからである。実にカントはデカルトが入りそびれた無我(そこから真我に到る)を知らず、一方デカルトが反動で飛び込んだ近代的自我をも受け入れないのだから、自我を喪失した状況なのである

実にカントの自我の喪失は物自体の想定を生み、物自体を取り戻す、つまり自我を取り戻す哲学となるのである。しかしその物自体は自分自身から隔離されたままの存在なのである。それは、コペルニクス的転換によってすべての対象の規定を認識に従って行うことによって起こった事態である。これは認識の権能にはない仕事である。

従ってカントのコペルニクス的転換の範囲外の仕事である。これが知恵の木の実の限界であることかもしれない。欧米主観主義はあまりにも認識にすべてを期待しすぎている。しかしそこにはそれ以外に道はないのだろうか。

けだしカントの物自体はこうしてカント的統覚が立ち上げた反作用的現象なのである。必ずしもそれが実在であったり事実であったりするわけではない。ヒュームやカントの主観に偏重した欧米自我主義は必ずしも疑いのないものではないのである。

4)意識から意志へ

西田幾多郎の場所論を検討するにあたって、意志との関係について木村美子氏が述べている趣旨は次のようである。(「西田幾多郎の場所論とカントの『物自体』―西田の『反省的判断の対象界』を手掛かりにして」立命館大学人文界608号)

西田はカントの物自体を認識以前の直接経験すなわち純粋経験の一部であると考えている。そしてカントの物自体を「絶対意志の自由」として、カント的物自体を改善解釈している。カントは自然の中に有機体的な自然の目的を見、そこに合目的性を見ようとする。西田は自然に因果関係を見るのみで合目的性を見ない。自然には主観的統一作用は認められず、偶然的に連結されているだけであると考える。カントは思惟と知覚による統覚によって世界を認識し、それによって世界の合目的性を見ようとする。しかしその統一は意識一般における統一である。西田の統一はすべての精神現象の統一であり、具体的意識の厳密な統一である。

西田はカントが知覚意識(思惟と知覚の両作用)によって自然界を統一させたのに対し、意志の意識も直接の所与として、形而上学から逃れて、自然を統一しようとする。

 カント的な知覚においては自由ではないが西田的な意志においては完全に自由である。これを「絶対自由の意志」と呼ぶ。そして真の自覚はカントの知的自覚にあるのではなく意志的自覚にある。カント的な知覚による単なる論理構成によっては異なった世界は構成されない。意志の対象は自然界よりもいっそう深い認識主観によって構成される。そしてカント的な自然界以外にもっといろいろな可能世界が考えられる。ここにおいて、物自体としての自然界が主観的自我を離れて存在すると同様な理由で歴史的世界や芸術、道徳、宗教の世界も実在すると要求できるのである。

そして我々が反省することができない、すなわち対象化できない、しかも我々の認識の根底である直接の実在である「絶対自由の意志」の世界をカントの物自体にとって変えているのである。

カントがここに至らなかったのは自己が世界の中で生きている世界ではないからであり世界の外で見ている世界だからである。西田の歴史的世界は我々がその中に生きている世界だからである。ここで残っている認識主観を超えれば直観の世界に入り、真の自覚が現れる。

カントにおいては知覚的意識により主観認識に依るので自然界の認識の背後に物自体が残される。西田においては意志の意識によりカント的自然界以上の歴史的実在的世界にまで到るが、それさえ認識対象界である。我々は叡智界に住むものであり、そこは直観の世界であり、西田が「場所」と言う世界である。この世界は不可知であり物自体の世界である。ここにおいてカントの知的自覚は意志的自覚に深まり、カントの主観は叡智的自己となる。カントの物自体は西田の場所論に包容される。以上である。

 木村美子氏の趣旨は、カントが感覚と理性による主観認識で世界を統一した結果取り残した物自体を西田は意志的自覚によって主観認識から解き放ち、そこに意志の絶対的自由としての物自体を自覚する、というものである。カントの物自体は主観認識では外にいたが絶対自由の意志として所与され、現象している、というものである。第3項において取り戻されはしたが、まだ家の外に待機させられている(というより外に待機していると思い込んでいる)物自体は、この西田の絶対自由の意志によってその幻惑から解放されるのである。そしてこの絶対意志の自由と自我との合一が物自体を認識の呪縛から解き放つのである。

5)西田の場所論

 西田の哲学には実がある。学説が理論的に合理されても実がなければそれは空理である。現実とは無関係である。現実の自分は取り残されたままで意味がない。学説が我々にとって意味があるにはそれが我々の現実に当為するということである。あるいはそれが我々には適合するということである。さて我々はこの当為や適合を何によるのであろうか。これが問題である。

 適合とはその理論が私の実在において私の実在を動かし、可変し、理論によって私の精神的、情緒的、身体的現実が理論と整合性を持つようになることである。理論のもたらした結果が何の可変ももたらさなかったり、理論のもたらすであろうと期待されたものとは異なるものであったりすればその理論は不適合である。そこで哲学がそうした適合性を持つか否かを検証する手段は何であろうか。とりわけ自我論の転回で我々が適合を問題にするのはどう言う想定をしているのであろうか。

 そこで西田の場所の理論は我々の実在にどういう適合を持っているのかがその理論の有効性、つまり人間存在、実在の真理を推し量るものである。適合性の問題は倫理学に検証性のテーマを持ち込むものである。

 通俗的には場所は時間と空間において成立するものである。しかし認識がカント的コペルニクス的転換によって認識が世界を形成するということを前提とする近代哲学では場は意識内の現象ととらえる。西田においても例外ではないといえる。

 それによると「場所」は意識の現象するところと考えるのが順当と思われるかもしれないが、「場所」は意識現象が現れないときには空間であるのかという発想につながり、意識の外の世界を連想することになってしまう。従って逆に意識の現象が「場所」の出現となるということの方が分かり易い。すると無意識の場合、「場所」は出現しないことになる。無意識では存在が消失するのかという問題が起こる。しかしこれは意識を存在根拠とすることによるものであって、無意識が存在を打ち消している根拠にはならない。無意識も意識様態の一つと考えれば無意識を場所と見なすことができる。

西田哲学「善の研究」における純粋経験を起点とし、場所の理論から生命へと広がっていく。純粋経験については語らぬ方が良いかと思われるほど、語るほどに表現の限界を感じる代物である。定説的には主客未分の、というより主客一つの意識を言う。例えると、私の今朝の意識と私の今日の昼の意識は別々であるが同じ私の意識であることは否定されないであろう。同様に私の意識と家族の意識は同じ一つの意識であることが成り立つ。こうして私たちの意識には主客が分離しないというものである。そこに直接経験や純粋経験がある。しかも西田においてはこの純粋意識が実体なのである。

そうすると意識は単なる主観にとどまらない広がりのあるものとなる。つまり無をも含んだ自我を超えた意識に場の根拠を見ることとなる。前項の意志の世界と関わるのである。

6)場所の自覚

以上は西田の場所を認識論的にとらえてみたものであるが、実在論的には、場所は述語論理から来ており、述語的存在者である一般者が主語的存在者である個物を包むことによる現象を場所と言うと理解される。従ってアリストテレスの言う主語的存在は個物として、そうではない一般者が自己限定したものである。そこでは一般者は主語とならないという意味で無化していくのである。言い換えると、一般者は対象としての個物を自己限定し自らは対象とはならない、つまり非対象と言う意味で無である。一般者が無限の自己限定に入り、もはや自己限定する対象がない状況を絶対無と言い、それを西田は神とするが、絶対無の場所である。(「西田哲学研究―絶対無の場所と個―」宇野正三 広島大学応用倫理学プロジェクト研究センター第14回例会)。しかし欧米の神とは異なる。キリスト教的にいえば自己限定する対象は神であるから、非対象は「1」なる神の自己限定になるのである。つまり欧米の「1」の世界にたいして日本的倫理性では「0」の世界なのである。

一般者とは意識の内容であり、意識の現象は個物を別にして現象することはない。一般者を個物と強く峻別すると、この連関に分かり難さを感じることになる。意識(内容)の出現はすでに個物を限定しているノエシス的(意識する)現象であり、個物から見ると限定されているノエマ的(意識される)現象であり、同時的に起こっているのである。そこが場所であると捉えることができる。

一般者は非対象として無であるが、自己限定によって個物が現象する、つまり有となる。述語的存在が無限に拡散し、一般者(意識内容)がもはや自己限定をしない絶対無の状況では、有即無の逆対応の現象が起こる。一般者が無限に拡散し、と言うことは自己限定がない=無限定となるから、限定されなければ現象する対象もなく無化するのである。ここに無限の非対象という意味での有とそれ故に対象が無限に「0」に近くなるという意味での無とが矛盾的に抱き合わさることになり「有即無」ということになるのである。

しかしこれはキリスト教的には対象は無限に減少し「1」(神)に収束することになる。キリスト教では非対象は限りなく「0」に近いところから始まり、無限数へと拡散し、「1」に収束するのである。しかし西田にはこの「1」はない。そこも0なのである。西田は「0」から始まり「0」に収束する。ここに無の哲学の世界がある。

西田のこの「0」の哲学は、その意識体験に追随することができる。欧米的には一般者の無限数のノエシス的限定はどうしても最終的には1者にたどり着くことになる。それは無数の意識の集合隊は1つの宇宙にまとまるので0となることは考えられない。これは論理的整合性によるものである。しかしこの一者を我々は実感し、この手に握り、体現できるであろうか。我々人は一般者の微小な一部としてしか、どんなに霊長類最高の意識を持っていたとしても、宇宙を表象できない。もちろん科学を筆頭にいろいろ試みるが。

しかしここで西田の示していることは、これを覆すものである。一般者の無限数の集まりが個々のセンス・データー的な集合ではなく、次々に対象的(意識的)発展が連続的に進み、その極限においては絶対無を自覚するというものである。西田においてはここには「主」つまりノエマ面、意識される面がなく、無数の一般者、ノエシス面が充満し、意識の背後に滞って、表象しないままである。これは無が無を形成しているというものである。自己限定の対象がなく、主語的存在が消失すると、意識的には限定が消えてしまい、意識内容も同時的に出現しないので無の意識状態になる。この無の意識は自らが無になることによって、すなわち主語的存在を希薄にし、自ら一般者的存在として非対象すなわち無になることによって、宇宙的な無に重なる。私はこれを(我?)と言っているところである。

この実際の意識のない状態と一般者とは、ノエマとして意識される側では意識には上らないものである、ということで存在的位置づけが符合している。

しかし西田の矛盾はこの絶対無を神と言う主語的存在として持ってきているところである。あるいは神と言わないでも「絶対無」と言うところである。しかしこれを言わないでは哲学的には充足感を持てないところであるから、我々は決して存在的に定立するのではなく、便宜的に受け止めるべきと思う。日本的倫理性としてはこれを「見て見ず、見ずして見る」(「東洋的見方」鈴木大拙 岩波書店)と言う半眼的な認識状況により体得するところにあると考える。つまり「見るものなくして見る」(「デカルト哲学」西田幾多郎)ということがそれを示すものと思われ、そこに実際の西田の境地があったと思われる。西田の場所はそうした曖昧さが一瞬時に明確である刹那である。この刹那の持続が禅の行中の透明な意識であろう。

従ってこの絶対無や神や(我?)は、説明用に一時的に使われるだけで、祭司の時の母屋のように終われば速やかに撤去されるもので、滞ってはならない。

7)西田のライプニッツ批判

 西田は自分に一番近い哲学者としてライプニッツとヘーゲルを上げている。そこに西田の倫理性との類似と相違を見ることは日本的倫理性への取り組みに取って有意義である。

①    ライプニッツと近代的自我の対決

ライプニッツのモナド論の狙いはデカルト的二元論の論駁と神の存在証明にあった。この2つは別々の問題ではなく、モナドにおいては一元的問題である。デカルトの2元論は心身の2元であり、人間と世界との二元であり、神と人との2元であり、自我と他我との2元であり、我の中での「我」と「我」の2元である。さらに言葉と意味の2元であり、意識と意志の二元でもある。

ライプニッツはこれらの二元問題を解決するのに直接的に解決したのではなく「モナドには窓はない」ということによっている。この命題は「認識が個人の内で閉じている」という近代的認識論からすれば、「モナドには窓がない」ということは符合している。それは認識が認識以外の何物でもないということと、認識が個人以外の何もののものでもないということによる自我主義との両方と争わない命題である。

ライプニッツがこのように近代的意識論によって意識の外の世界を分断し、モナドには窓がないという設定をしたのは、当時の時代性から抜け出ていたものではなかったからだということである。すべてのことを意識内でのこととして処理することができるかということがそのモナドロジーの問題であった。デカルトが精神と身体の二元論としたのに対して、ライプニッツはモナドの窓をふさいでしまった。そうしてモナドの意識の中にある世界は単独の世界である。その中では宇宙が展開しているが、すべてモナド内のことである。こうしたモナドはモナドの数だけあり、すなわち計り知れなくあるのである。

認識が認識以外のものではないという近代のこのテーゼはどこかおかしいところがあるがなかなか論駁は難しい。と言うよりこれは絶対的真理なのかもしれないと思われる。ライプニッツもこのテーゼに従って、このテーゼから出て来たデカルト的二元論をかわしている。かわしているとはライプニッツはこれを理性的論理的に、すなわち予定調和説によって解決しようとしたからである。

ライプニッツは、認識は認識以外の何物でもなく、認識の外の世界は取り扱うことができないということを「モナドには窓がない」と設定し、そこから始める。そこにライプニッツは表象を持ち込む。意識とは区別される表象は、モナドの内的原理としての変化する欲求からのものである。この表象が明確で記憶を持つような実体を精神という。この表象と欲求は神の知識と意志の模倣である。

このイメージ化は難しいが試験的には、柿田川の地下湧水のように思える。自然の無限のサイクルの中で無限に湧き出てくる富士山の地下湧水は湧き上がって来ては水底に潜り込み、再び湧き出る水とブレンドしながら湧き上がっては繰り返し、やがては柿田川へと川の流れを作っていく。この沸き上がりは神からの意志であり作用であり、それはまた個々のモナドの意志(欲求)として水底に潜り込み、湧き上がる水の模様はその個々のモナドが描き続ける表象となる。

私が分からないのはこの表象や意志がモナドの中の事であり意識の外にある自然世界とは分断されているということである。そして自然世界を反故にしておきながら意識の世界だけで整合的な世界を構築していることであるが、不思議なことにこの意識世界の法則がそのまま意識の外にある世界にと適用するというところにある。我々は意志の外の世界をいったんは外においているが、いつの間にか意識内で起こった法則なりを外の世界に適用している。それ自体が意識内のことであると主張されるかもしれないが、明らかに意識外の世界への適用である。また表象や意志がモナドの中の事であるという、モナドの外の事ではないということであり、つまりモナドの外の世界について言及しているということであり、モナドの認識はモナドの外の世界を認識するということになってしまっているのである。

我々はこうやって意識内の事をいつの間にか意識外の世界に適用しているのである。これをスリップ現象という。我々の意識はこれに気が付くことができない。このスリップは我々の意識よりも巧妙で、我々の最新の注意深さも及ばない。言うなれば我々の生存はこのスリップによって成り立っていると言える。これをスリップできないと我々は分断された生存者になる。意識と実在は分断され、精神と身体は分断され、人と人とは分断される。この点がライプニッツにおいてはどういう展開になるかを見ることが肝心である。

②    ライプニッツのデカルト的二元論の克服

こうした近代自我主義に基づきながらライプニッツがデカルト的二元論を克服したのは次のように、心身二元論の克服と予定調和説による神と人との関係である。しかしその根拠は近代的認識論にもとづく近代的自我主義を脱しているとは言えないだろう。

ⅰ先ず心身二元論について。

意識の外の世界とはなんであるか。精神と身体の関係でみると、我々の日常的理解ではデカルト的二元論的には、身体は意識の外にあるものである。しかしライプニッツ的には「精神も身体も、実体的な「もの」でも現象的な「もの」でもなく、モーメントとしての「こと」でしかありません。」(「ライプニッツ モナドロジー」池田善昭 晃洋書房 P.93)と言われるように、モナドの場で、異なった法則によって作用するモーメントでしかない。つまり精神も身体もモナドの中で説明されるのである。そしてそのモナドはそもそも認識の中に位置するものである。

ⅱ予定調和説

池田善昭氏のモナド論の説明は理解し易いところが大きい。「精神は目的因の法則に従い、欲求、目的そして手段によって働くのであり、身体は作用因の法則或いは運動の法則に従って働く」(79節)からです。「目的因の法則」と「作用因の法則」とは、相互に相容れない関係です。従って、精神と身体とは、本性上別々の存在です。それにもかかわらず、両者が一つに結合しているのは、一体、何故でしょうか。(「ライプニッツ『モナドロジー』」池田善昭 晃洋書房P.92)

ここでは精神や身体がモナドの中に位置付けられる意識的存在であると言いながら運動の法則によって動くという我々の日常的解釈による意識の外の世界の存在であると思われる節がある。そうであるならここにはスリップ現象がある。そうでないなら運動現象というものもモナドの中の壮大な宇宙世界の事と考えてもよい。そうすれば予定調和もモナドの中でのことでしかない。

 しかしこのモナドの中の宇宙は神の意識の中にある(我々にとっては意識の外の世界であるが)ので、池田氏の「包み包まれる」という表現を借りれば、神の中の宇宙意識は我々を「包み」、我々は「包まれるので」それらは予定調和説によって一致しているものと考えられる。そうすれば我々は神の意識に「包まれる」ことによって我々の意識の外の宇宙を我々の意識に捉えることができることになる。こうして我々は意識から取りこぼしている意識の外の世界を、神を模倣することによって与えられているのである。神の知識と意志に包まれて我々は我々の意識の外の知識を得ているのであり、カントの物自体問題からも解放されているのである。

ライプニッツがデカルト主義に対して反論したのは、意識主義というところでは同じだが意志作用だけを以て立ったデカルトの独断主義にあった。そしてその二元論が心身的にも神の存在証明的にも一元化されたということである。いわゆる「包み包まれる」と「包まれ包む」ということによって分離が収拾されているのである。

ライプニッツによるデカルト主義批判は「包まれる」という意識面の作用を取り入れない意志面「包む」ことだけによっているところからくる。我々に起こる神からの意志から来る無数の意識がなければ「包む」だけではそこには自我だけしかない。「包む」だけではなく、「包まれる」作用によって自我は宇宙の意識と混入し合い、自我は宇宙意識を自我とし宇宙意識は自我を宇宙意識として、自我は孤立から逃れることができるのである。

ライプニッツによってその自我は意志や表象ということによって定立された。カントはそこでそうした意識の先験的形式によって自我を客観的に描こうとした。描くということは自我が構成された意識として自我から分離することを意味する。ライプニッツにおいては意志や表象という自我の展開となり、そこでは意識は意志の中に包み込まれて表象の中に生かされていくのである。

③    西田のライプニッツ批判

以上のライプニッツのモナド論は優れた理論で納得できるものである。しかし一つ違和感があるのは、その中での私の有様が見えないというところである。西田はこれを「論理の矛盾的自己同一的原理に着眼していない」とし、池田氏はライプニッツが神と人(諸モナド)との関係を能動と受動の関係と表現しているから無理もないというように理解を示しながらも、西田は晩年には池田氏の「包む包まれる」の理解に到り、ライプニッツの予定調和は矛盾的自己同一的原理が導入されることで現実的原理となると評されている。(ライプニッツ『モナドロジー』」池田善昭 晃洋書房P.128)

そこで、池田氏は「ライプニッツの思惟が、理性の限界内にあくまでも留まろうとしたと言わなければなりません。否、むしろ理性の限界内に留まろうとしたが故に、そのようになったというべきかもしれません。」と西田の批判を認めながらも、しかし「ライプニッツの思考は、もはや矛盾的自己同一にまで到達していると言わざるを得ません。単に自己意識の理性の限界内に留まっていたなどとはいえないことになります。その意味でいえば、「モナドロジー」は、ただ従来の合理論の立場からしてのみ把握され得るものではありません。よく言われるように、モナドに神秘性が認められるのも、まさに理性思考の枠内に留まり得ないところがあるからに他なりませんでした。」(「ライプニッツ『モナドロジー』池田善昭 晃洋書房」(P.24)と言うが、それはライプニッツの内的世界をそのように推察できるということに止まる。実はここに西田とライプニッツの小さいように見えるが根本的で重要な、そして日本的倫理性においても重要な違いが窺えるのである。

これはそこに「私の有様が見えない」いったことに関係すると私には受け止められる。そしてそれは西田の倫理性であり、生きる姿勢であろうと思う。またそれは西田にとどまらず日本的倫理性の根本でもある。西田は予定調和の中に身を置いて、宇宙自然の「包みに包まれ」、西田の「包まれ包む」という、日常の禅定に生きていた。それゆえ西田の表現は「個は個に対することによって個である」というメタファーにより宇宙自然との場所の再現を試みるのである。ライプニッツが構成に取組んだ原理を、我々はおのれの存在をもって宇宙自然の中で日常的に歩もうとし、そこに道を見るのである。実に西田は毎日の自分が世界に生きるそのことを記述し、ライプニッツは世界の有機的構造の解説を行っていたと言える。

従って、西田は川の流れであればその水そのもの、流れそのものとなって流れ、ライプニッツは川の流れの土手にいて見ている川の流れを記述しているのである。もちろん哲学的には西田は流れとなってそれを記述する。そのジレンマが禅坊主ではなく哲学者である宿命である。良寛では歌に依ったところである。

の理論であってもそこで記述の及ぶ内容は異なってくるのである。そして日本的倫理性の特徴はこの流れる水そのものであろうとすることである。それが純粋体験である。そして純粋体験は体験についての描写はできるが体験そのものを伝えることはできない。またそうした体験にいたる幾つかの方法を示すことはできるがそれは純粋体験に到ることを保証するものではない。

8)窓のないモナド批判

 ライプニッツの窓のないモナドへの批判は19世紀フランスでは珍しくないようである。(「人称の周縁―19世紀フランスにおける共同体論についての考察―」杉山直樹 京都ヘーゲル読書会 平成17年7月3日)と言った修正が提起されている。「モナドに窓はない」は近代認識のセンスであるが、西田においてはこのライプニッツ批判への傾向はベルグソン哲学の関心にひかれていくところに見られる。それは前項(7)において結論したライプニッツ批判に共鳴するものである。

①ベルグソンの2つの見方

 西田は以下のようなベルグソンの2つの見方を提示する、

ⅰ 一つは物を外から見るのである、或一つの立脚地から見るのである。物を他との關係上から見るのである、物の外と關係する一方面だけ離して見るのである、即ち分析の方法である。概念的知識とする

ⅱ もう一つの見方は物を内から見るのである、着眼點などというものが少しもない、物自身になって見るのである。すなわち直觀intuitionである。従ってこれを言い現はす符號などいふものはない、所謂絶言の境である。ただ第ⅱの方法のみ、これによって物の絶對的状態に達することができるのである。哲学的直観とし、この直観によって物自身になって見るのである。

 そしてベルグソンの主張は、我々の深層に不断に流れている純粋持続は上記ⅱの直観によりその真相に達することができるというものである(「ベルグソンの哲学的方法論」西田幾多郎)。この2つを言い換えると西田によれば、「我々の知識は行動の手段となるものであつて、外界の成功を目的としたものである。所謂知識はすべて實用的意味を有ったものであり、物を手段として外から見たものにすぎぬ。物そのものを知るにはそのものとなって内から之を知らねばならぬ、是が即ちベルグソンの直觀である。」(「ベルグソンの純粋持続」西田幾多郎)となる。ここでは直観は機械的説明や意匠的説明をも否定する純粋持続である。

②近代的意識論からの脱却

上記に出て来た純粋持続とは連続的創造のことである。この純粋持続には緊張と弛緩があり、緊張によるところが我々の生命であり、自由行為はそこにある。他方、弛緩するところでは自己は拡散し、記憶の並列になり、我々のパーソナリティーは空間世界に陥ってしまう。ここに知識と物質界とが現れる。こうして「ベルグソンに従えば我々の身體は單に行動の器具であって、精神と平行する獨立の存在ではない、ただこの接触面を示すこととなるのである」と言えるのである。つまりライプニッツの意識に閉じられている表象と意識の対比はベルグソンにおいては純粋持続の中での緊張と弛緩によって説明されている。

それは近代認識論における意識内の現象から飛び出している。なぜならベルグソンにおいては精神と物質(心と身)ともに純粋持続から出ており、意識(精神)の中に閉じ込められているわけではないからである。つまりこのベルグソン哲学はカントのコペルニクス転換の批判からも逃れている(「ベルグソンの哲学的方法論」西田幾多郎)。つまり近代的認識論の意識内の限定に封じ込められた呪縛を逃れているのである。

9)西田のベルグソン批判

 しかしこのベルグソンの純粋持続や連続的創造も西田にとっては自分の哲学とは違うものであった。その基本的な違いもライプニッツとの違いと同じところに起因する。片柳氏は西田のベルグソン批判を、ベルグソンの純粋持続には「否定」と「肯定」への真の洞察がないというところでまとめている(「ベルグソンと西田幾多郎」片柳栄一京都大学宗教学研究室紀要Vol.4)。永井晋氏は「否定」に着目し、両者の「否定」の相違を示し、西田哲学に迫っている。(「西田幾多郎と近代日本の哲学―「東洋哲学」とは何か―」永井晋 国際哲学研究3号 東洋大学国際哲学研究センター)

ベルグソンの「否定」は弁証法的な否定による新たな展開を産むという連続的なものである。西田は「否定」を全く違う無の位相においている。否定はその先に連続的につながるための契機なのではなく、一切無の場所であり、その場所でさえも無になり、それ以上の名状は名状の責任のないものである。

一方、因果の関係の全くない平行な現象として肯定があたかも対の縄目のように交差して表出する。これは池田善昭氏が「包まれ包む」と言う原理のように図式化できる。しかし西田哲学の中心はそうした図式化を脇目に置きながらあくまでもその縄目そのものを生きるというところにある。これは禅の三昧を体現することが主であり、でありながらその三昧を見つめる目を研ぎ澄ますところにある。それゆえに西田は西田哲学を語り続けたのである。もし三昧にいるだけならそれは禅の高層でありそこには哲学はなかったであろう。これによって日本は日本的倫理性を自覚する道を歩み始めたのである。それだから日本的倫理性は自らが無の内から「肯定」していく道を生きるものである。

「否定」と「肯定」のこうした違いは目に見えるようになった結果上の相違であり、学としての哲学には重要であるが、この相違は目に見えない、表現できないいわゆる純粋と呼ばれるものにあると思う。西田はこれを場所と言っているようにも思えるが、場所は純粋と呼ばれるものが行き来する時に発生する刹那のもので、持続するものではなく、純粋持続するものである。

永井晋氏は前系の論文でベルグソンと西田が取り上げている「刹那」に着目しているが、この「刹那」の違いにこそ両者の根本的な違いがあると考えられる。ベルグソンにおいては「刹那」は不合理な神秘的体験でしかない。しかし西田にとっては、刹那は純粋経験の様態である(前掲論文 永井晋)。刹那とは無の中から、対象のない、それゆえまだ名状に届かないままの純粋経験が過るふとした間である。そこに「いのち」の様態を窺うことができるのである。

ここにおける、ベルグソンとは一線を画す西田の哲学は、体験の追求とその表現と体験の構造の追求にある。西田にとっては、刹那は純粋経験の時間的な極限点である。それはもはや空間ではない。空間は純粋経験の内容に従って広がるが、それが空間を要しない純粋経験内容であれば空間は存在しない。むしろそこから時間・空間が発現し世界が展開していくのである。

10)ソクラテスの無知の知からエロスヘ

この項は「第7章 ソクラテスに学ぶもの」を踏まえて述べたものである。このまま読んでもよいが、第7章の後で読んでいただきたい。

ソクラテスの「無知の知」には西田と共通した哲学的態度がある。ソクラテスは懐疑から入っている。ソクラテスはダイモンの神託によって自分が最も知恵あるものと言われたことに納得できず、全国の知恵者を尋ねる。その結果人生の問題については誰もが知らないということでは同じだが、彼らは皆それを知っていると思い込んでいるが、自分はそれを知らないということを自覚している。ただその一点でどうやら一番の知恵者であるようだと知るに至る、ということであるが、このソクラテスの状況はそこから先は視覚的には暗闇が続くようなイメージである。それ以上先はないという世界である。しかしソクラテスがそこから先に見たのは、「神のみが知恵者である」ということである。これはデルフォイのアポロン神殿に掲げられている箴言である「汝自身を知れ」から理解される。「人は死すべき無知なるものである」という伝統的ギリシアの姿勢から来ている。ソクラテスのアポロン信仰の根拠となる。ソクラテスの産婆術はここからアテネの青年たちに自分の無知を知らしめるイロニーとダイアローグによるソフィスト(教師)としての活動である。しかし「無知の知」に至ることで人間はいったい如何に生きればよいのであろうか。アポロン信仰(ダイモン信仰)は人間をどのように処しようというのであろうか。

ソクラテスのダイモン信仰はエロスの道である。知ることはできないが知恵者である神に向かう生き方はできる。ソクラテスにおいては、哲学は驚きではなく愛求であった。古代ギリシア哲学は「驚き」に始まるとされるが、ソクラテスの弟子たちの驚きからの愛求とソクラテスの愛とは違和感がある。古代ギリシア自然哲学者たちは自然の神秘やその現象に感動や驚きを感じそこに自然を知りたいという知への欲求を抱いたのである。しかしソクラテスが求めたものは、そうした自然哲学的探求ではなく人間の問題であり、善美の事であった。彼は自然哲学的知恵によって無知ではないとする知恵者たちが無知であるということを自覚していないという神託に覚醒しているのである。従って自然哲学的な驚きと愛知はソクラテスのエロスとは異なっているものである。

その意味ではアリストテレスが哲学を驚きや愛知とした点はソクラテスの道を歩むものでなかったのである。それはプラトンにも言えそうである。エロスの神は古代ギリシアでは富と困窮の間に生まれたが故に、決して困窮し尽くすといことも富み尽くすこともなく、いつも困窮と豊富の中間にあって、美しいもの善いものを求めており、我々人間はそれに重ねられるものである(「饗宴」プラトン 岩波文庫)。それは「完全なるものを求める愛である。」

しかしソクラテスの「無知の知」に基づくエロスは無知なるものが知恵あるものになろうとする愛知ではない。なぜならソクラテスの「無知の知」には無知の知のままでどう生きるかという産婆術の目指すところであるからである。ソクラテスにとって人間の無知は変わらないのである。知を獲得したり知恵あるものになろうとしたりする他の哲学者たちとの違いがここにあるのである。

 プラトンの「饗宴」にはいくつかのエロス論がある。その中で最後にソクラテスが登場し、巫女のディオティマから聞いたという先のエロス論が中心であるが、それに先立ってアリストファネスのエロス論に触れる。アリストファネスのエロスは、人間は、はじめは男女が一体であったが、あまりに横暴であったので、これを神は分けられた。それ以降人は自分の半身を求めて彷徨っているというものである。ここには分離と合一がある。ここではエロスは合一によって自分が止揚的に消えていくのである。ソクラテスのエロスは完全なるものに合流する、つまり無化していくという、西田的哲学と共通するものがあると考えられる。

 しかしソクラテス(プラトン)はエロスとは半身を求めることではなく善そのものを求めることだという。つまり善たろうするということである。しかしその善は知を獲得することによるわけではない。無知者が無知のまま善たろうとする時いったい何によって善であるのだろうか。そこにエロスの働きが生まれる。エロスは完全なるものに向かい、それを知ろうとするのではなく、ただそれに向かう。完全なるものが善であるのか、それとも安全なるものに向かうことが善であるのか、そしてそれ故にエロスが善であるのか、渾然とするところである。善たろうとして善なるものに向かう善なる働きという表現が以上の一連の説明になるであろうか。そしてそれは西田的説明を模しているものとなるだろうか。そうすると私たちはソクラテスに西田的無の倫理、一つの日本的倫理性を見ることができるように思える。そしてそこではもはや善は3重に埋め込み合わされて、自我とエロスと神は互いの分離状況を解消し、西田的にいえば自己否定即自己肯定していると言えるのであろうか。「無知の知」に至った自我とは自己否定による無のこととなり、エロスとはこの無の善への志向であるが、そのことが善であるゆえに、その都度ごとにエロスは満たされ、つまり善は実現されエロスは無化される。しかしそこでは志向対象である善は志向主体者に実現され、対象は主体に同一される。これを矛盾的自己同一とされる。つまり否定即肯定の世界であると考える。


日本的倫理性 6 第4章 カントの物自体論

2019年07月16日 | 日本の原体験

 

第4章 カントの物自体論

 私はすでに第3章第4節第2項でカントの『物自体』についてかなり入り込んで述べたが、この章では改めて手続きを踏みながら述べていきたい。

 

第1節 物自体と認識

1)物自体と超越論的自己意識

カント(1724-1804)はドイツの哲学者で批判哲学により近代欧米自我主義を確立した。デカルトのカント的展開は2つの大きな方向への発展であった。1つは認識論における超越論的自己意識であり、もう一つはその認識が及ばない認識の外にある「物自体」存在である。超越論的自己意識はア・プリオリで、一切の懐疑が及びえないものである。これについてはデカルトのコギトがその幻惑によっているという指摘によってそうした自我の根拠の薄さを見たものである。物自体存在とは、たとえば超越論的自我そのものは認識することはできないように、認識できない存在のことである。

本章でのテーマは一方の「物自体」についての考察である。末木文美士氏は、カントは「それを物自体と名づけた。それは認識されないけれども、何かありそうな、どうにも落ち着きの悪いおかしなものである。ウィトゲンシュタインの「語りえず、示されるもの」は、それをさらに徹底している。それをどう扱ったらいいのであろうか。」(「哲学の現場 日本で考えるということ」末木文美士 トランスビュー P.64)と指摘している。この物自体は超越論的自己意識が及ばない、その外の世界にあるが故に認識できないものである(「自我の哲学史」酒井潔 講談社現代新書 P.54)。こうしてデカルト的近代自我は一層ラディカルに限定され、物自体を除いたすべてが超越論的自己意識の範疇に収められたもの以外のものではなくなる。カントの認識の形式に当て込めて世界は形成され、自我はその形式の絶対基準と化したのである。そしてこの物自体の復権はそのまま放置されたままである。ここに近代的自我意識や理性認識の行き詰まりが始まっていると考える。

2)物自体と他者、それと認識

カント哲学では純粋理性という人間の認識の及ぶ領域を世界とし、それ以外のものは物自体としその領域に含まれない結果になっている。ここには4つの物自体が想定されている。ⅰ自然は意識の外にある物自体であり、ⅱ意識主体である自分自身も物自体であり、さらにⅲ神も物自体から除外されない。神についてはその存在証明も不可能とされる。

末木文美士氏は同前掲著でカントのこの「物自体」を、それを「他者」に置き換えて検討している。それに習って他者存在やその認識について検討してみる。従って第4番目の物自体が想定される。ⅳ他者としての物自体である。この4つの物自体は第2節 2)で検討される。ここではひとまず他者について考察する。

この問題は

①    他者が存在するかどうか、

ということと

②    その他者を認識できるか否か

という2点を考えさせる。ここには存在と認識の関係が横たわっている。

カントは、物自体は存在しないとは言っていない。認識できないといっているのである。しかし、一般的には認識されないものはその存在も証明できないとされる。存在は認識の限界に限定される。従って①の「他者が存在するかどうか」は認識にイニシアティブを握られている。ここで②の「その他者を認識できるか否か」には2つの点から検討しなければならない。1つは②a「私は私を認識している私を認識できるか?」という場合、そうした私があることを推理し、そうした私の存在を察することができるので、そうした私は存在すると言える。これはカントの立場と矛盾することはない。他者が存在しないでは理解できない現象が日常的に我々を取り巻いている。親を認識できるかどうかはさておき自分が存在するということが親の存在を示しているのである。従って①の「他者が存在するかどうか」は物自体存在を保証する。①の「他者が存在するかどうか」についての保証を、居心地の悪い状況でありながらも、与えている。もう1つは、②b「認識は認識であって、それは存在とは別のものであると区別される」。つまり存在については、認識は侵入してはならないということである。そこで他者存在については沈黙するしかないというものである。これはウィトゲンシュタイン的な観点である。

従って私たちはその物自体存在は本当に事実であるかどうかを十分には確信できない。それは単に居心地が悪いだけではなく、例えば自我存在や他者存在や神仏存在にまで我々の曖昧な、不安定な気持ちを解決してくれず、我々の生きることでの不安を解決してくれないのである。

3)物自体の内容の認識

ここで帰結することは②「その他者を認識できるか否か」から出てくる次のような2面性である。

③    存在は認識によって決定される

④    存在は認識とは別物であり認識は存在問題に侵犯してはならない

という2点である。

この③の「存在は認識によって決定される」は上記②aのように間接的に立証できるのであるから解消されたかのようである。しかし③「存在は認識によって決定される」は存在の内容についての問題ででもある。つまり③「存在は認識によって決定される」は認識が存在の内容を決定できるという面を検討することになるのである。これについてはカントが示したように我々は存在を認識することができないとされている。ここに解決したい課題がうかがえる。物自体を、その内容を認識できないということはどういうことなのだろうか?

これに対して④「存在は認識とは別物であり認識は存在問題に侵犯してはならない」は、認識は存在を捉えられないということであり、認識が存在を捉えた瞬間にそれはもはや存在ではない、ということである。ここで前提されていることは、我々の認識形式に存在を落とし込んで、存在を言語などに置き換えてしまうということである。それは存在そのものではなく、加工されたものである。さてこの認識は、カント的には超越論的自己意識によるものであり、当然に感覚や悟性や理性などの認識に分けることができる。これらの認識というものは認識というものの本質として客観的に捉えるという特性によって説明できる。しかしこの認識観は正当であろうか。我々はそうした存在を存在として認められないように哲学的に変化して来たのである。この認識の原理は現代では黄金律化している。

何故我々がそうした変化に至ったのかは大変有意味な問題だと思う。我々はそうした加工したものが真理ではないということを知るようになったのである。我々は加工された後のものではない生の直接的な存在を手に入れたいのである。つまり、③「存在は認識によって決定される」における、物自体の内容の問題に関わることである。物自体の存在が推理されるだけでは十分ではないのである。これは④とは逆で相矛盾する。この④と③の2つは認識と存在にジレンマを持ち込んでいる。

即ち、これは物自体の存在に関わる。先に第3章第4節2)で譲られている問題である。③の命題からは物自体は「②認識対象ではない」から、存在しないことになる。しかし④「存在は認識とは別物であり認識は存在問題に侵犯してはならない」の命題からすれば存在は認識の如何にかかわらず存在することになる。今後これに関わっていく。

先取りして述べると、このジレンマの議論のベースは、存在が固形的で、解剖学的サンプルのように位置づけられているということ、認識がいまだに素朴実在論的状況にあり、固形化した存在を認識対象とする認識とされている状況にあるということである。この観点を踏まえてこのジレンマに取り組むことが今後の課題である。

4)直観認知

そこで

⑤    認識は客観的に捉えるのが特性である。

⑥    認識には客観的に捉える以外の特性がある。

という区分を実験的にしてみたい。

知るということは非常に自己矛盾したもので、知るということによって我々は他者を知る一方、知るということによって他者の本質を失うのである。そこでできるだけ加工しないように他者を直接に知るという直感認知に期待する。ここに⑥「認識には客観的に捉える以外の特性がある。」ということを見ることができる。しかし直感認知は個人に留まるもので共有化できない。共有化=客観化したときには他者の本質は失われる運命にあるのである。直感認知されたものをできるだけ濁さないようにソーッと表現しようとし、さらに学にしようとするのが現象学的試みである。

しかし

⑦    直感を表現することそのことが自己矛盾するものである。

その上

⑧    直感そのことがすでに他者そのものとは言えないものである。

この⑦「直感を表現することそのことが自己矛盾するものである。」とは、直感は他者の直接知であるが、表現は直接知を言葉などに置き換えるという作業であり、その時点で直感内容から引き剥がされることである。直接知を伝えることに高い成功をすることは芸術的、文学的、哲学的な天才に見ることができる。それでも直接知を表現したり伝えたりすることは困難である。(これについては日本的倫理性の立場から言上げせずという日本の伝統的やり方がある。あるいはメタファー的なやり方がある。具体的には善の考案がその典型であるが、善以外にも和歌や俳句、庭園・お茶・お茶・お花・武芸などあらゆる日本文化の奥義にそれが窺がえる。これについては改めて述べる。)

一方、「⑧直感そのことがすでに他者そのものとは言えないものである。」は④「存在は認識とは別物であり認識は存在問題に侵犯してはならない」を言い換えたものである。④は存在と意識との論理的なパラレルを指摘しているものであるが、ここではそれを含めながら主観と他者との垣根を指摘している。この2つは親戚のように絡まっている。ただ「④存在は認識とは別物であり認識は存在問題に侵犯してはならない」では認識には直感という存在に近接した状況を明示していない。しかし直感知であっても存在とは区別される領域であるので「⑧直感そのことがすでに他者そのものとは言えないものである。」と同じことを示しているのである。

 「⑧直感そのことがすでに他者そのものとは言えないものである。」は、苦労して天才的な仕事によって直接知の高い表現や伝達を成し遂げても、それは他者そのものとは言えない。それは直感者の内的な直感知に過ぎないものである。その直感が他者の実態と一致しているものといえるものだろうか。これは単にそうだと力任せに断言することでクリアできることではない。直観に責任がなければならない。

しかし直感がたとえ直感者の内的な直感知であってもそれは単に個人的なものであろうか。それ以上のものを考えられないのであろうか。我々は、直感は個人的なものであることを疑わない。直感とは確かに個人の心理的現象あるいは個人の神経的反応あるいは脳内現象などとみなすことができる。すなわち意識現象は個人的現象であるということが鵜呑みにされているのである。これに疑いはないのだろうか。

5)直観に残された可能性

⑨    直感は個人的のものであるか否か。

 この問題はきわめて重要な問題である。我々は意識や認識は個人的なものであると信じ込んでいる。意識は誰のものであろうか。意識の形成過程では仮想的身体運動によって我々の意識は形成される。メラー・クラインに寄れば母親との育児過程の中で自我と共に発達する。つまりこどもの意識はその自我と共に母親などの環境社会において形成されるものである。意識はその形成場所は個人に所属するが、形成内容は社会的なものであることになる。したがって他者を直感することは、場所は個人に属するが、内容は社会的なものということになる。これは英国常識主義にみるべきものがある主張である。

こうして我々は他者を知る可能性を見ることができるのである。しかしこの場合の知るということは欧米人が期待するような客観的で、誰にでも何時でも何処ででも取り出し示せるものではない。我々は欧米的科学的な知識のみを知識とすることを肯定しない。

 英国において倫理学説は直感主義と功利主義とがある。この2つの立場は長い間反目を続けている。これについては第6章で述べる。直感主義は理想主義と結びつき、例えばG.E.ムーアは倫理学の基本観念である「善」は直感に寄らねば知ることができないと主張した。この直感はおよそ科学的な知識ではない。科学的な知識が優位を占めるのはそれによって物質的な発展が実現されるからである。それに比して直感知は客観的で、誰にでも何時でも何処ででも取り出し示せるものではなく、科学的発展には直接的に寄与するものとは考えられていない。

 一方、私たちは科学の発展だけに満足しているものであろうか。少なくとも日本的倫理性をテーマとする私たちにとっては、私たち日本人の生き方を見直す課題がある。

 

第2節 カントの物自体は存在するか

1)カントの想定するような物自体は存在するか

我々が他者を知ろうとするということは社会的に生きていく生き方を問題とするからである。この他者を、知ることができないものであるとすることは我々の希望や目論見が叶わないということである。ここで前提されていることは他者について知ることができれば我々の目論見が叶うということであるが、その目論見は他者を知るということより、他者とともに社会で生きるということにある。我々は他者を科学的に捕らえるということより他者を直感的に知るということで他者と社会的によく生きることが可能なのである。この直感的な知は科学的な知によって長く阻害されてきているものである。物自体の知はこの直感知によって取得できるものである。それは自分も他者も含めて形成されて、共有されている知において直感される他者である。そこにおいては物自体というものは存在していない。他者は私や諸々の存在を含めた世界の中で生まれて存続する便宜的で可変的な現象である。物自体という発想もまたそうした便宜的で可変的な現象である。つまり我々の認識や存在を超越して永続的に存在するという発想のことである。その発想が1つの現象であればその内容はもちろん同様に現象になる。

 欧米科学は客観的、感覚的、永続的、再生可能的といった対象存在を確固としたものとし、そうして世界を形成しているがそれもまたそういった発想の現象化である。科学の確信しているようなものが普遍的であるわけではない。そうした科学の発想は物以外の世界を希薄化する発想を現象化している。

 そこでカントの想定している物自体のように可変的でない、彫像的な、ミイラ化した、無機的な存在はどこにも存在していない。存在しないものを知ることはもちろんできないということになる。

2)物自体の2面性

「第1節 2)物自体と他者、それと認識」で提示された4つの物自体は認識できないものの幾つかの例として取り上げられている。それらはみな次の⑩に属するものである。

⑩    科学的に認識できないが、認識の根拠として認識の向こう側に形而上学的に、超越的

に存在しているものだという扱いを受けている物自体。

 これまでそのうちの④の他者について見てきたが、他者としてカントが想定しているような超越的存在は存在しないかもしれないと考えられた。すなわち、

⑪    ここでは他者存在の認知としてそこに共有されている現象を想定している。他者とは

この共有現象の中に存在するものであり、それ以外に他者はいない、ということによっている。

カントの物自体観によれば、統覚による認識の範疇にある認識は認識している主観者に属するが、たとえば他者の意識にあることは主観者のものではないし、主観者には認識されないので物自体と定義的に変わることがない、となる。しかし⑪で主張されていることは、意識は個人的なものではなく他者を含めて発生するものであるということである。そしてこの意識はお互いの意識を取り込みながら、混合し、融合しながらとどまることなく変化していく。ここではカントが想定するような他者の固定した意識というものは存在しない。つまりこの意味での物自体は存在しないのである。

ここではカントの想定した物自体とは別な物自体について検討しているが、とはいうものの、では自然的な意味での物自体についてならばカントの物自体は想定されるのではないかという見解がある。しかしそれについても私は確信できない。というのは他者を意識面からではなくその身体面から検討してみると、物理的身体においても私たちはお互いを取り込みながら変化していると言えるのである。意識のような即効的速さはないが、早回しビデオのように観察すれば私たちは急激に変化し、その変化には食物や調理や家族や友人などが多面的に関わっている。それが当然身体的変化に関わり、他者と関わらずにできている全く孤立した身体など存在しないのである。こうして私たちは他者の身体についても他者と共に変化していくものであり、他者の身体についての認識も意識と同様に知りえないということはないのである。

言うなれば現象の中に他者認識が発生するのであり、他者があって現象が発生するのではない。従って他者についての認識は当然、認識が現象の一面であるので認識されるのである。この現象は他者の身体認識で見たように、意識現象だけの現象ではなく、カントが言う自然的世界、物的世界、物自体の世界においても適用できる説明である。西田が言う場の説明に近いが、強いて言えばこの共有現象を場所という。しかし場所という時間空間が超越的にあってそこに現象が起こるのではない。それはそういった素朴実在論的な外的世界を想定することを常識としようという思考の枠づけに起因しているに過ぎない。この点についての考察は第5章第3節 5)で展開する。

第3章第4節2)ではカントの言う認識対象ではないような物自体は存在しないが認識対象となる物自体はこうして現象化することによって物自体の認識となる。

3)物自体は認識の外にあるか?

この唯識論的な発想は一方ではあまりに説得力がないかもしれない。飛行機は操縦を誤れば何百人も死に、私がもしハンドル操作を誤れば事故につながり死傷者が出る。しかしこれもまた世界の現象である。それゆえに高度な操縦技術をマスターし飛行機をオペレーションするし、私は注意深くドライブをする。飛行機も操縦も空気力学も皆世界の現象であり物自体としてどこかに独立して存在するわけではない。それは認識が対象を要するものとする思い込みあるいは前提、そういう発想の枠に縛られているからである。認識には対象のない認識があるという想定にどんな問題があるだろうか。

 感覚も言語も要しない直接に知ることは決して否定されるものではない。対象があってそれを知るのではなく、直接知が起こって、あって対象(内容)が出現するのである。の対象はどこかに永続的に存在するとは限らない。科学が想定しているような対象ではない。

認識は必ず対象を必要とするかという逆転の発想を問いかけている。認識は認識対象しか認識しないが、認識対象が無いとき認識は成立しないのか。すると認識の中に対象化したものが認識対象であるということになる。これは時間的には同時現象としても論理的には認識が先んじているのである。これが逆転すると物自体が存在することになるのである。認識対象は認識なしには現象化できないのである。認識の前に認識対象があることは論理的に成立しない。もし認識の前に認識対象があるならばそれはゾンビである。それこそ認識されない認識対象、否、対象⇒物自体である。

そこで思うに他者を認識できることが問題なのではなく、他者との関係が良好に行くことが大切なのである。

 我々の認識や生き方に転換が起こる。素朴実在論が想定するように対象があるからその対象によって認識が起こるのではなく認識が起こって対象が現象するのである。すると物自体というものも、起こっている認識の中での認識対象でしかないということになる。物自体が認識の外のものだということは論理的に成り立たないのである。カントの問題は物自体を想定したというところにある。それはデカルト的自我に基づきながら、主観だけで世界を構成しようとしたところある。その結果世界は検体を解剖したようなところになり、自我そのものさえ物自体として阻害されることになったのである。

 物自体の認識について例えると、「もし私がニュートリノであるならば、つくば市の高エネルギー加速器研究機構(KEK)から岐阜県神岡のスーパーカミオカンデに向かって走り、カミオカンデによってのみ感知されるだろう。もしカミオカンデがなければ私は認識されないであろう。私はこの宇宙には存在しているのではあるが、その形跡が分かり質量が分かる。そしてニュートリ自体は暗示されるだけである。ニュートリノは存在するのではない。刹那の出現であるのかもしれない。それは量子力学の世界の現象であって実在的ではないのかもしれない。」 

4)世界の外と認識の外

世界の外の主体と物自体とは違うものと思われる。認識の領域外ということでは同じものと受け止められるが、真反対のものである。認識は二重の認識できない主体と客体を持つことになる。認識は認識できないものの間に挟まれた何ものかである。

世界の外の主体とは①デカルト的自我のさらに背景にあるもの(我3)や、②私がそこでメタファーしている(我?)である。また③ウィトゲンシュタインの形而上学的自我である。さらに④「第1章第4節 3)」の「I」ともいえる。しかしこれら4者はみな異なった自我である。共通点は認識するものであっても認識対象にはならないものである。その意味で「世界の外」にいるものである。

「認識の外」とは世界の中に入るが認識対象とはならないものである。カントの物自体は認識客体の背後に想定されているものであり、世界の中にいるものである。しかしそれは想定内の話で実際は存在しないので認識の外である。この物自体にはいろいろなものが放り込まれており、カントの超越論的統覚のようなものもそれとされているが、これは世界の外に位置するであろう。また神もそうである。

この2つが真反対とは世界の中と外に分けられることによる。その意味は宇宙の内的無限性と外的無限性に関係している。そして認識はこの2つの無限に挟まれて現象する場と言える。

認識はパン焼き機が小麦粉でパンを焼くように、焼かれたパンであるが、パン焼き機や小麦粉ではないということである。とすれば認識は世界の全てではないわけである。

この認識の構造は西欧的主体や客体を想定したことによって成り立つものである。しかしこの構造は認識よりも不確実とされる主体や客体の方を確実視する矛盾を前提とする。所謂、主・客体があるが故の認識ではなく、認識がある故の主・客体であるはずである。

例えば物自体存在の想定は間違いであり、そうした存在は人間、or近代人の見当違いな実体化作用かもしれない、だとしたらなかなかそれを受容することは難しいかもしれない。物自体存在もカントがその概念を提唱した時は理解が難しかったかもしれない。

飛行機に乗る事が苦手な人がいうには、「あの鉄の塊が浮かぶことがどうにも信じられなくて、」ということだが、大地がないことを理解することがなかなか難しいのである。物自体についても我々の認識が外部にその根拠がないと落ち着かないという傾向があり、これを払拭することは難しい。

  自我主義は外在化作用を内在している。つまり自我を発動し、自我を明証しょうとすると自我であらざるものを、それと対比するために発祥するのである。

カントが超越論的自己意識を想定するとき、それ自体が無条件に疑念のない存在であり、それこそ物自体に他ならない。これは統覚が確実な、デカルトのいう「我」という永遠な実体であるから、生まれた物自体も同じものでなければならないのである。

カントの統覚にはデカルトの「我」と同様な過ちがあり、コギトの幻惑に分類される。そして物自体にもまた同様にコギトに付随する幻惑がると言える。これは付随の幻惑といえる。

  仮定的に、統覚が確定された実体でなく、たんに現象にとどまり、しかもそれが意識の閃きのように過る反射のようであるなら、そのように自覚し、認めるなら、物自体もまたその様に点いたり消えたりの点滅する現象であり、実体ではない。

5)コギトから物自体への裏切り

物自体としてカントが想定しているものに神認識を当てはめることができる。カントにとって神は物自体として世界外の存在であり、認識はおろかその存在の証明もできない対象である。この結論付けは人間の孤独をひどく鮮明にする。また認識できる世界だけしかなく、我々はその世界に幽閉されているかのごときである。カントをこのように理解したとき世界は非常に狭く、硬く、つまらないものに思えたことがある。こうした自我は偏屈な自閉的な気がする。欧米の近代的自我はこのように、認識できるもの以外をみな拒否して自我ワールドの中に逼塞しているようなところがある。そこでは神に祈る理由も分からない。神の存在意義も分からない。また自然界という物自体についても同様にその意義や心を通わす理由もない。自分以外の人にも同様なわけだが、ついには自分自身をも物自体化し、自分自身さえもその意味を失う。いったい自分とはどこにいるのだろうか。もっとも自分を確実に存在せしめて出発したコギトの結果は自分をも失う逆の結論に陥ってしまったのである。これはコギトから物自体への裏切り行為である。

カントの物自体は素朴実在論の残影と言うべきであろう。認識の原理で進めながら不徹底であったと言える。さらにそれは西欧的思考の限界とも言える。主語論理は外を置かざるを得ない。主語は他者がなければ成立しない。これが西洋的自我の本性である。カントが物自体を想定したのはカント哲学が自我を確定しようとする哲学であることの証である。


日本的倫理性 5 第3章 ライプニッツのモナド論について

2019年04月16日 | 日本の原体験

第3章 ライプニッツのモナド論について

 

第1節   モナドとは何か

ライプニッツ(1646-1716)はモナド論の主張で有名である。はライプニッツのモナド論は自然的なものとも数学的なものとも考えられる。あらゆる場面において、その中の一つ一つの単位を示しているのである。これらの単位は窓を持たないということによって、1つの絶対的なもののように受け取られる。すなわち何者によっても可変性を加えられないという印象を与えるのである。いわば実体観念なのである。

本著では、モナドを人間学的に捉えてみる。すなわちモナドという、絶対的・独立的・実体的な印象を与える単位は私達各個人のことであるということである。個人の間には窓がないということは、個人と社会や国家などとの関係について、こうしたモナド的な1つの原理を提示していることになるのである。

1)モナドの実在

 ライプニッツのモナド論がデカルトのコギトによる自我と相違するところは、デカルトのコギトが思惟を起点としそこを着点としているのに比して、モナドはあの人この人、あの物この物という個体であるという点である。デカルトの「我」が普通名詞的に誰にでも共通する汎用性を持つのに比して、ライプニッツの「我」は特殊化され、他の誰とも違う「我」であり、他の何物とも違う「個物」である。このモナドはア・プリオリでありアイデンティティーを有するのである。

このモナドである個体概念は私の中にあるのではなく私の外から思惟されていなければならない。ここにはライプニッツの大きな矛盾がある。ライプニッツのモナドには「窓がない」ということは、モナドは一人の世界であり、一人の意識の世界である。宇宙には他に誰もいない。これを予定調和によって神の表象の世界に包まれることによって宇宙のすべてを知ることになるが、それでも一人意識の世界である。であるからモナドには外はない。それは神からの意識による私の「外」という概念であるから私の「中」の事である。しかしモナドは存在しているのである。どこかにではなく、とにかく、中ではないところで存在しているのである。それを私たちは神の意識の中から知っているのである。私には外があるということを知っており、モナドがそうした外の世界に存在しているということを知っているのである。それゆえモナドという個体概念は私の外から思惟されているのである。しかしそれは私の中での事である。ここにはだまし絵のような不思議な中外の状況がある。中外の二重認識の同時現象で、相成り立たないものが同時空間を現象化する、西田幾多郎的にいえば矛盾的同一の現れである。それも意識内のことのはずだから中外とは言えない、というのは認識に重きを置きすぎるのであって、私たちの認識はそうした認識外の現象と同観するのである。これはカント的物自体認識の限界という幻惑を晴らすこととも関係する。

この説明は困難であるが、池田氏の「包まれる包み」という説明がかなり成功していると思う(「ライプニッツ『モナドロジー』」池田善昭 晃洋書房)。第3節 2)で述べる。

2)予定調和世界の各レベルでモナド(単子)が存在する

予定調和はそうした単子(モナド)同士が、モナド以外の、外の影響によって1つのまとまった集合を形成することを意味する。例えば、細胞や分子・原子レベルのそれぞれの世界には単位となるものがある。原子世界には幾つかの原子が、鉄やニッケルやマンガンのように限定的にある。これらの原子の組み合わせによって分子レベルのモナドが形成される。形成内容の各原子間には窓はない。それが1つの分子の存在を形成するのは各原子以外の外からの力によって所定の構造を形成するのである。

同様に個人が社会や国家を形成するのは予定調和の原理によっている。それによれば個人というモナドのまとまりは家族という単位を形成する。各個人には、家族であっても窓はなく、予定調和の原理によって家族を形成するといえる。また家族は個人レベルを超えた家族レベルでのモナドとして形成されたものである。その各家族間には窓はない。こうして様々な人間社会の構造が形成されるが、それらが機能しているのは予定調和によっているものである。この「外から」とはいったいどこのことであろうか。モナドには窓がないのであるから、窓の内側での外と言うことになる。予定調和の意味はここに繰り広げられる。

3)各レベル間の世界の繋がりはどうなっているのか

原子レベルと分子レベルの各世界間はどう関わっているのであろうか。同様に分子レベルと動植物の世界はどう関わっているのであろうか。同様に個人と社会・国家とはどう関わっているのであろうか。

基本的に近代個人主義はこの関わりの問題を適切に処理しなければならない課題を抱えているのである。しかし「モナドには窓がない」という発想は、個人の間のコミュニケーションによって社会や国家の問題を解決できるという観点には立っていない。すなわち「モナドには窓がない」のであるから、個人の意志が他の個人に働いたりあるいは他から意志が作用したりすることはない、からである。

4)縦の予定調和と横の予定調和

予定調和は各レベルで閉じられた世界での予定調和であるか、異世界間のつながりをも含めた予定調和であろうか。両方を含めるものであるとしても、前者と後者の予定調和は違ったものであるだろう。しかしここに現れるのは弁証法への流れである。ヘーゲル的であってもマルクス的であっても、つまり下降的弁証法であっても上昇的弁証法であっても、異質な世界間を流れる流れ(縦の流れ)と同レベルの閉じられた世界内を支配する予定調和があるということである。この2つの予定調和は違ったものであるだろう。

(5)縦と横の関係はどうなっているのか

原子が幾つか集まって分子ができているといわれるライプニッツのモナド論に従えば、原子の寄り集まりは原子間の関わりによって生まれるものではない。それを可能にするのは予定調和の発想である。現代の物理化学はこの辺の事情を実証的に詳細に解明しているが、私はそうした予定調和をワープ現象と考えている。予定調和は神の働きによるものと考えられているが、現象的に捉えると異次元へワープしているものと考えるということである。

「このワープは何によっているのか」、また「プロセスはどんなものなのか」ということについて挙げられるのはライプニッツの予定調和である。予定調和はすべてのモナドは宇宙として完成しており、全てを所持しているので、あらゆるモナドはハーモニーして宇宙を現象していくのである。これはワープ現象の1つの説明原理と言える。ワープが無限の過程をワープしていくのはこうしたモナド観によるということは納得できるところがある。従ってワープ現象は当然の方向性を持つと考えられるが、その方向性を与えるのは予定調和であるかもしれない。すべてのモナドは予定調和の方向に向けてワープしていくということになる。しかし予定調和はすでに宇宙の完全体としてのモナド観を示し、閉じられているのでその目的の意味は検討されなければならない。

ここで生じる疑問は、モナドには無限に展開する宇宙の無限も内在しているということになるが、そうするとモナドもまた無限であるはずであり、無限に開かれたまま現在の宇宙現象が展開しているということになるから、現在もまた無限に開かれて現象しているということになる。この点については第2節4)で論じられる。

 ワープ(warp)は「ねじる」とか「曲がる」という意味だが、人気アニメ「宇宙戦艦大和」のワープ航法という表現にヒントを得ている。ワープ航法とは宇宙戦艦大和が住復29万6千光年の旅を二年で成し遂げるために行なう航法で、超光速飛行のことである。時問の点から点へと移ることである。ワープでは中間世界は飛び越えられ、日常的にはジャンプと同じである。原子から分子への移行は両者の中間世界をジャンプしてしまう現象である。それをワープ呼んだものである。こうした異次元の瞬間的移動をイメージしている。

 

第2節 モナドの認識

1)モナドとしての個人観:認識論的意味と存在論的意味

 「モナドには窓がない」ということを個人に当てはめると、個人観には直接的な交流がないことを意味する。私達が日常的に理解しあっていることは、私達個人間に窓があるからというわけではない。私達はお互いに理解しあっていないのかもしれないし、理解しあっているとしても、お互いの間に窓があるからというわけではなく、別の理由によってそうなっているということを意味する。  

こうした「モナドには窓がない」と言う意味は、二通りに考えられる。1つは認識論的な意味において、もう1つは存在論的な意味においてである。認識論的意味においては主観主義を主張していることになるであろうし、存在論的な意味においては、個人の絶対的存在性を意味することになる。

「モナドには窓がない」という認識論的意味合いは英国的主観主義と共通性が窺える。特にバークレイの、一切が主観以外の何もでもないという絶対的主観主義に通じるものがある。しかし、私は、主観主義はそれが認識論であるということによってそのジレンマに陥っていると考える。認識論は認識と言う行為が個人の主観の中でしか起こりえないという暗黙の前提によって、その産物の一切も主観以外の何者でもないという囲い込みに落ち込んでいる、と言えるのである。

2)認識と存在のスリップ関係

いわゆる認識と存在の問題は、相容れない概念がどのように並存できるかと言う問題である。私はここにはスリップ現象があると主張する。認識されたものはそれが認識によってもたらされたものであるからといって、いつまでもその所有権を主張することはできない。それは認識から生まれながらも同時に存在者として変異するのである。

 こうした現象は宇宙の創造の現象である。細胞と血液やリンパ液との間に起きている現象は異世界への受け渡しであるし、言葉によって気持ちが伝わるのは、言葉という物理現象が精神現象に変異する現象である。

英国経験論の主観主義の特徴は、その潔癖主義によって、認識が主観世界でしか生成しないという原理によって、その生成物も主観以外のものでないという因果論や論理に忠実であるというところにある。特にバークレイ的な絶対主観主義的発想では主観の中には主観以外の何者も存在しないのであって、そこに生じている一切は主観からやってきているものである。外界のものが主観に働きかけて認識が発生するという素朴実在論によっては全く疑問視されていない、主観の外の実在世界はその根拠を失っているのである。認識が、個人の認識の中で起こる以上、個人の現象である以外の何者でもないのである。

こうした考え方が近代から現代の日本ヒューマニズムに与えている影響は深刻である。私達の時代の「自分なりに・・・・」とか「私の意見では・・・」という個人主義の態度は、個人の絶対化を強調し、一種の逆ファシズムを生んでいるといえる。逆ファシズムとは完全個人主義的社会である。ファシズムが異論を認めないという全体主義であるなら、逆ファシズムは同意を一切拒否するという社会である。(M.ピカート「騒音とアトム化の世界」 みすず書房)

3)カントに見る認識と存在の境界

 カントは「物自体」の認識を不可能としたが、この発想は認識の領域と存在の領域との住み分けをしなかったことに由来すると思われる。カントのこの命題の意味は2通りに解釈できる。1つは、「物自体というものが存在するがそれを知ることはできない」という意味である。もう1つは、「物自体は認識対象にはならないという意味である」

最初の意味は、認識の対象ではあるが、何らかの理由で認識の手の中には捕らえられないということである。例えば神を知ることはできないのは、神が人の認識には捉えられないからである、というように。2番目はいかなるものも認識の手の中に陥った時は、それは認識以外の何者でもなく、いかに純粋に正確に認識の手中に納めても、それは認識以外の何者でもない。それが物自体であるということはなく、物自体の認識的現象でしかない。その意味では我々は世界や物自体を認識しているといっても、その認識されたものは認識の領域以外の何者でもない。我々が捉えたと思っている世界は我々の認識の手中に納めたものとは全く違ったものでしかない。その意味では世界は我々が思っているものとは全く異なったものであるということができる。というのは我々人間の認識領域は五感感覚に限定されるし、その感覚領域も非常に狭く限定されている領域でしかない。感覚が無限にその領域を持っているというような状況では私達はどうなるだろうか。ここではむしろ感覚能力が限定的であるということは、我々の選択であり、我々の創造性であるといえる。

しかしそれでも、認識の手中にあるものは認識以外の何者でもなく、世界や物自体ではない。世界は認識の手がそこから汲み取る源ではあっても、認識が汲み取ったものとは似ても似つかぬものである。なぜなら世界が認識であることは永遠にありえないからである。

 ここには認識と言う行為が一種の加工作業であるという思い込みが前提になっている。例えば我々は言葉によって認識を成立させるという手段があるが、言葉という認識によって捉えられた時にはそこにあるのは言葉であって、純粋には言葉の加工品でしかなく、純粋には捉えようとしたものではなく、違ったものである。

 また、捉えようとする対象も、常に変化するものであるから、捉えた瞬間には既に他の位置に移動したり、物自体が変化していたりで、既にそこには認識対象と同じものは存在しないという意味で、純粋には捉えることはできないということもいえる。

こうして認識論的意味合いにおいて窓のないモナドは個人主観の領域を出ないものであればそれは存在の世界には出られないことになる。つまりすべては私個人の主観の中の出来事でしかないという寂しいことになる。

私達が互いにコミュニケーションをとるのは、各個人が神との縦の関係によっている。個人はただ神と関係しているだけである。神との交流において他者認識が発生する。もし個人が神との関係を失うなら私達には他者との関係は失われる。この意味では他者とは神の内容に他ならない。私達は他者を知るというより、神を知るということになる。この発想は、印度的発想に共通する。つまり梵我一如の世界は、個人と神との同一性を示唆しているといわれる。

 

 

4)予定調和説とスリップ現象

 
   

 

 

図2

 
   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

認識論的には個人において認識野に捉えられたものはその個人の認識以外のものではないのだからそこに現れた他者認識もまたその個人のもの以外のものではない。最もこの認識現象は個人に所属はしているからといって個人のものとは限らないという発想も考えられる。この発想は別に考察したい。

 個人の認識野に捉えられたものは神からきているものであり、これにおいて個人は神と共通しているといえる。このように各個人はそれぞれ神から来ている他者認識をもつ。こうして他者の認識が神によって成立するのである。

 この認識の内容が各個人によってバラバラでないのは各個人が神との関係によってその認識を得ているからに他ならない。いわば神による整合性があるのである。すなわちそれは1つの調和である。私達がバラバラでなく、一つの整合性の行動下にあることは実は大変不可思議なことである。バベルの塔の言語混乱によって人類はお互いに理解し合えないようになったというが、実はお互いに理解し合えることのほうが不思議なことである。

5)予定調和の現象面としてのスリップ現象

私達が理解し合えるのは共通の感覚や言語によると私達は考える。しかしここではそうした意味で言っているのではない。私達が感覚や言語的な理解を可能とする根拠を問うているのである。感覚は感覚だけでは我々の認識野には上ってこない。感覚だけでは身体の物理的現象に止まっているからである。例えば「痛み」についてみると、皮膚上で針が刺さった現象はまだ痛み感覚ではない。これが言語的に「痛い」という意味と結びついた時に「痛み」が特定されるのである。「針が刺さったという現象」と「『痛み』という感覚」とはパラレルである。パラレルなものが結びつく原理は実はよく分からない。しかしこうした現象は日常的に私達に起こっていることである。

 この説明に類似する現象は心理学における転移やアナロジーといわれる現象である。

私はスリップ現象であると考えている。全くパラレルな世界が同一な世界のもののように統合されて、密接不利なものとなるのである。これと似た学説はヘーゲルの弁証法にも見られる。ここには予定調和の力が作用していると考えることができる。こうして私達は物理的な現象面から認識的精神活動に移行し、また存在(エゴの確立)に至り、やがて永遠性へと飛躍することができるのである。しかし必ずしもその方向性は上昇的とは限らない。

6)スリップ現象の両面性

スリップ現象の道徳的な展開において見られるのは、感情への転化現象である。精神分析学的には投影同一化といわれるこの現象は転移現象として説明されるが、まさかAの感情がそのままBの心に移るわけではない。Bにおいては全く無関係であるにもかかわらず、AとBは感情を共有するのである。このメカニズムはBの何らかの関係する出来事が同様な感情をもたらしているということである。このときのBにおける出来事と感情との関係にスリップ現象が見られるのである。このスリップ現象はさらに次のスリップ現象をもたらすことがある。感情は時には行動を引き起こすといわれている。感情と行動との関係で一般的なのはストレス解消のための行動である。私達は「出来事」→「感情」→「行動」の連鎖は必然的であると思っている。しかしそこにある矢印→は必然的ではなく、スリップ的である。

 問題はこうしたスリップ現象がどうして成立するのかと言うことである。それはこれらの連鎖の各項(要素)が必然的に結びついているという盲目的な思い込みに起因している。心理学的にはここには遺伝的な継承があるといわれている。虐待を受けた親は自分の子にも虐待を及ぼすというデータ―がそれである。これは人類の文化の継承である。道徳的にはこれらの連鎖を断ち切ることができれば本質的な意味で問題を解決できるのである。そこでこのスリップ現象を覚知し、それぞれが元来無関係なものであるということを覚悟することでこの連鎖を断ち切ることができるのである。道徳的にはここに問題解決の糸口が見えるのである。ここに述べた例でのスリップ現象は負のスリップ現象といえるであろう。あるいは下降のスリップ現象といえる。

 以上によってライプニッツのモナド論の絶対主観的で唯我独尊的な閉鎖的自我は予定調和によってその孤独性を逃れようとしていることが窺える。それを異次元世界に通うスリップ現象から見られると考える。このスリップ現象は全宇宙の生命現象に常に働いている不可思議な作用である。それをライプニッツ的に神の予定調調和論的計画による神の働きということもできる。しかしこの解決方向は問題をさらに困難な神の実在証明や神観そして何よりも予定調和論の実態などのオープンな問題に先送りすることになっている。ここに我々は欧米の行き詰まりと、日本的倫理性の無の問題への可能性を感じるのである。

 そしてライプニッツのモナド論の主張から帰結するものはモナドという、個人を強固に主張するところにあると考えるのである。この視点からモナド論を見てみよう。

 

第3節 ライプニッツ・モナド論に見る近代的自我観の本質

1)モナド論の本質

モナド論の本質は人間個人が社会や国家や教会に支配されるというのではなく、神に直接、また神とのみ通じているという、神聖にして犯さざる存在であるというところにある。人が社会や国家や特に教会と関わるのは神を経由してのみ可能であるし、本当のところはそうして個人間のコミュニケーションが成り立っているということである。従ってこの個人の本質性は何者も犯してはならないのである。社会や国家や教会の及ぼす権力は本当の意味で個人を導くことはできないし、また支配することもできない。ただ暴力が物理的に人間を破壊するだけである。永遠のいのちをテーマとする時、暴力による身体的、心理的破壊は何ら人間本質の破壊とはならない。そしてここで問題となっているのは永遠のいのちとしての個人のありようであるから、決して見当違いな話ではないのである。このことに関係して、自ら十字架にかけられながらもその迫害者のために祈ったイエス=キリストを私は思う。

ここには近代の新しい個人観が主張されている。この個人は神とのみパイプがつながっている。それはこれまで虐げられてきた個人を解放するためのものであった。

2)モナドと神とのつながりの分析

しかしここに幾つかの問題がある。

①    「本当に個人は神とのパイプを持っているのか」

あるいは

②    「そのパイプはどのようにして通っているのか」

また

③「そのパイプの通う先の神はどんな神なのか」

 先ず①について、私達は素朴に疑問に思う。神とのパイプがあるとして、なぜそれ以外の社会などの影響がそれ以上に支配力が大きいのかということである。そもそも「モナドには窓がない」のであるから、神以外の力が作用することを理解できないのである。

神のパイプとその他からの影響との力関係が発生するのはどうしてであろうか。これに対して神とのパイプも他との関係も同等な力関係にあるとか、神とのパイプの力を強くできるのは神への信仰的力によるのかもしれないとか、神への信仰が他の力を排除できるとか、といった以上のことは「モナドには窓がない」のだから皆排除される疑問である。

 では、神とのパイプとその他の影響との本質的な違いはなんであろうか。

ア.神とのパイプは個人の核に直結するものであるだろう。その人自身の存在根拠であるからである。

イ.一方他からの影響は身体的あるいは心理学的媒介によるものであろう。ここで他からの影響と言う点について2点考えられる。

先ず

ⅰモナドが神を経由して認識する他者であり、

もう一点は、

ⅱここでいう身体的・心理的影響としての他者である。

ⅰの意味では神とのパイプを経由するものであるから個人の核であり存在根拠であるものに関わっているからアの場合に同じである。従ってイの意味での他の影響と言うものは、個人の本質的なものではなく、「モナドには窓がない」という観点からすると該当しないものである。

しかし実際私たちは他者により命を奪われた場合予定調和的な他者は成り立たないのである。ここには2つの他者がある。1つは予定調和説による意識内の他者(モナド内他者)、もう一つは私を殺す他者(モナド外他者)である。モナド外他者を予定調和説は打ち消せるであろうか?その個人が破壊された場合は予定調和の説明外であると思う。そうした他者からの影響があることは排除できるであろうか、という問題である。つまり意識そのものを破壊されれば成立しない予定調和論である。予定調和説ではモナド外他者は認められていない。

しかし「第11)」での、予定調和によって他者や外の認識についての「中外の二重認識の同時現象、矛盾的同一の現れ」の説明に依ってみると、モナド外他者は打ち消されないかもしれない。内と外が外されているからである。そうするとライプニッツの「モナドには窓はない」というモナド論の根拠が弱くなることになってしまうので、ここではモナド外他者は排除されることになる。 この点については、池田氏の「包まれ包む」を参考に推考してみると、神の表象に包まれる個人は個人の意識に神の宇宙のすべてを映し出すのであるから、個人の外の世界や個人の外から自我を見ることも全て映し出し、そして個人の「包む」表象はその包まれた意識を包み返して、外から外の我を見ることになるのである(ライプニッツ『モナドロジー』」池田善昭 晃洋書房)。メカニズムとしては分かり難いが、中に居ながらにして外に出ることが可能だという結論になる。つまり二重の我が顕在していることになる。そうするとここではモナド外他者は排除されないことになる。

ここにはモナド論独特の不思議な世界が顕在化して来る。ライプニッツの数学的世界がこれに関係するのかどうか判明でないが、無限数列や無理数などを連想してしまうような世界を想像する。神の表象に包まれてモナド外他者が排除されている世界と逆にモナド外他者が排除されない、神からの意識を包み返す表象世界では宇宙へと外在化していく。これはメビウスの帯やクラインの壺に例えられるように内と外が反転していく世界である。

ライプニッツのモナド論に実は神と自我を起点とする世界観があり、自我の存在を濃厚化しているのである。こうしてあくまでも自我の位置を失わない、一筋縄ではいかない説である。別の観点で言うと永遠に無化しないのは強固な自我があるのである。

3)強固な自我の主張

 ライプニッツの時代においては経験的で永遠性のないものによって自己を位置づけるということは歓迎されなかった。自己は永遠性を持つことが当然の前提になっている。ここにある1つの難点はやはり自己を絶対視しようというエゴ観である。ライプニッツのモナド論の深層に流れているのは永遠のエゴの追求である。

モナドは普遍的・永遠的にゆるぎなく存在するものである。そのエゴは神とのみパイプを持ち、他の影響を一切は排除する強固な存在である。そのエゴは絶対的で強力な近代的ヒューマニズムのエネルギーとなっているのである。それは物理的に破壊された場合をも振り返らない程強固な自我観である。

これに対して我々日本人はこうした強固な自我観を持ち合わせていない。必然的に自我が拠って立つ所やより方なども別様のものになる。概して西洋の思想の根底にはこうした強固な自我観がある。あらゆるものを、アインシュタインの相対性理論的に捻じ曲げても、自分の世界に閉じ込めようとする強い引力を持っているのである。それに対して我々日本人の自我観には一種のはかなさがある。平家物語的な無常観が我々の自我観の根底にある。我々の自我は永遠普遍であろうとしない。我々の自我はやがて死と共に消えるものである。かりそめの存在でしかない。(「日本の自然主義 西洋のアニミズム」保坂幸弘 新評論)

4)頑強な自我から矛盾的な自我まで

次に第3節の 2)の②の問題「個人と神とのパイプはどのようにして通っているのか」についてみる。これについてはすでに第3節の 2)で①「本当に個人は神とのパイプを持っているのか」で問題にした時一部先取りして述べた部分もある。

ライプニッツの予定調和では、モナドには初めから神の世界が認識されているので我々としては内在している神の世界をどうしたらよく認識できるようになるかということがここでのパイプについての課題となる。

ⅰこのパイプによって神の意識が個人にどうしたら認識されるのか、

ⅱ個人が神の意識にどうすれば届いていくのかということである。

個人が個人として存在する限りは神が降下してくると考えられる。個人が自我を虚しくするなら神の世界に個人は解消してしまうであろう。分析的にはこの2点が考えられるが、現実的にはどちらが可能的なのであろうか。ここには神と人との関係の有様のモデルが問題となるであろう。私としては、ⅰは神が個人を支配することであり、ⅱは個人が神に溶解することであるように思われる。しかし個人が支配されることもなく、神に溶解するということでもなく、自己が明白に存在しながら神とひとつになる道も考えられる。これをⅲとしよう。この道は分析的というより矛盾的と言うほうが良いだろう。 

ⅲ矛盾的自我観は日本的倫理性の問題に侵入する。これを日本的「無」の世界に偏らせず、表現することが課題である。ここでは自我はライプニッツにおける個人とは逆方向に向かっていく。第3節の2)の③に連結する問題である。

5)どんな神か

次に第3節の2)の③の問題「そのパイプの通う先の神はどんな神なのか」について見る。我々はここで神について問題にしよう。ライプニッツにおいては西洋キリスト教が原点である。この神はヤーベの神であり、キリストの神である。この神観はライプニッツの個人観をも左右していることは言える。そこには頑固なエゴ観がある。単純な違いであるが、この違いは無意識のうちに我々との世界観や人間観や人生観において相容れない対立を引き起こしているのである。一方我々にとっては、神とは八百万神であり、自然神である。エゴは強固に位置づけられるモナドではなく、むしろ自然の神々と共にあり、その一部に溶解するものである。

近代的自我観に基づく西洋流の行き方や自我観は我々日本人にかなり無理なものであったようである。人間の生き方はよく理解できない著書や思想を苦労して理解しなければ達成できないようなものであっては困る。無理なく日々の生活の中で自然体得していくところに極意があるものと思われる。

 

第4節 我々にとってのモナド論

1)認識論の呪縛

ライプニッツのモナド論の前提は窓のない個人の中の世界での意識である。そこに起こる認識でしかない。そして認識以外のものは排除されねばならないのである。しかしここには認識論の自己矛盾が隠れている。認識と認識したものとが別々に分けられるところから発生する。「第1章第3節2)感覚能力と感覚内容(知覚)」における素朴実在論の問題点」で先延ばしにしたことであるが、ここには込み入った議論が出てくるのである。つまり認識について確定しようとして、感覚器官外の物⇔感覚器官⇔感覚・感覚現象⇔感覚性質⇔知覚のように、認識の構造分析が行われたのである。するとそれぞれが分解され、分断されて孤立してしまい、認識と物自体が分断されているように、これらの間は分断されてしまったのである。「手」と「針刺しの現象」とは異なり、「針刺し」と「痛み」は分断し、分けられる。公園の黄色の花は目に映る黄色の花とは違い、目に起こっている黄色い花現象は黄色花の性質とは区別される。この見方からするとカントの物自体問題は特殊なケースではない。あらゆる世界の隅々まで及んでいるのである。これは、認識は認識でないものではないというテーゼによる。そうするとちょうどカントの物自体に到達できないように認識はいつまでも認識の目的にたどり着けないままなのである。我々の認識の目的は何であろうか。ここで認識の自己矛盾と言うのはこうした認識がその目的に逆行しているということである。これを認識論の呪縛という。

この認識論という蜘蛛の糸に引っかかると、上記と同様に、モナド論にしても自分という意識やその認識した世界は電極を差し込まれた脳の夢であったり、蝶の夢であったりするかもしれないという理論から抜けられなくなる。何故なら認識主体は如何に自分を認識できるかという問題はそれが認識である限り特定できないのである。認識の網にかからないものは捕らえられないから知られない。網にかかったものは認識主体の認識であってその客体ではない。同様に自分であるという認識は自分の認識であるという保障はない。こうしてすべてを認識のテーブルに乗せなければ気が済まなく、そこに乗せられないものは置き去りにされていくのである。

認識の呪縛が上記とは逆に外部に向かうと他者や自然や自分自身の身体(内部?)宇宙、神という対象の認識を不可能とすることになる。また存在についてもややこしくなる。こうした認識外部の対象は当然認識されない。(ライプニッツのモナド論において神の表象からの知識としての認識を除くが。)そうすると世界中が認識できないことになる。つまり認識内部においても認識外部においても全てが認識対象化するのであれば、認識対象は認識ではないのであるから物自体化するのである。欧米近代的認識論においてはこうした結末になってしまう。

1)物自体の幻惑

では認識はどうしたときに認識と言うのであろうか。神を見せろという場合、無神論者はどう示しても認識したと認めないだろう。認識が主観である限り、そしてそうなのだが、成立することは難しい。科学的認識もまた認識である。要求に応じて認識はいろいろある。   

認識とは認識以外のものではない。つまり認識対象以外のものは認識できないということである。認識対象以外のものが認識されることは有り得ない。これが基本の原理の原理である。これはG.E.ムーアのNaturalistic Fallacy (自然主義的誤り)になるのであろうか。物自体であれば物自体の認識というものは成立しない、物そのものというものはあるだろうが、物そのものの認識という認識はない。りんごがある。リンゴそのものはあるだろう。しかしリンゴそのものというものは認識対象ではない。認識できないのではない。認識対象ではないのである。認識対象でなければ認識は成立しない。できないのではない。リンゴそのものを認識対象だとすることがおかしいのである。カテゴリーが違うのである。

この論理からいうと、カントは物自体の認識は不可能であるといったが、不可能なのではなく成立しないのである。なぜなら物自体は「認識対象ではない」からである。そういう意味ではカントが「認識不可能」といったような意味での物自体は存在しない。というより認識は物自体ではありえないということに他ならない。カントの物自体は素朴実在論の残影と言うべきであろう。認識の原理で進めながら不徹底であったと言える。さらにそれは西欧的思考の限界とも言える。主語論理は外を置かざるを得ない。主語は他者がなければ成立しない。これが西洋的自我の本性である。カントが物自体を想定したのはカント哲学が自我を確定しようとする哲学であることの証である。

この章の第2節3)について誤解を避けるため以下に明らかにすべく試みる。

「認識できない」は2義的でこの2つの意味を我々に伝達する。そこで幻惑される。1つの意味は①「どこかにあるけれども探し出せない」というような場合に使われる。カント的な認識できない物自体の場合は、「認識の背後にあると想定できるけれど認識できない」、であるが、認識の背後だから認識をどければ見えるようになる、という意味で「認識できない」という意味である、となる。ここではこの場合の認識できないという意味を「①の認識できない」という表現しよう。もう1つの意味は②「認識の対象ではない」という意味で、感覚や理性の対象ではないという意味である。認識としてはもう1つ直観認識がある。つまりカントは、「物自体は感覚、理性、直観の対象ではないが、その背後に存在している」と言っている。ここではこの場合の認識できないという意味を「②認識対象ではない」と表現しよう。

ところで、認識は認識対象をしか認識できない、認識対象でないものは認識に取っては存在しないものである、という原理に照らし合わせてみると、上記「①のの認識できない」という意味では認識をどければ見えるのだから認識対象であることになる。しかしカントの物自体は認識をどければ見えるとか見えないとかという問題ではない。従って物自体は「認識できない」の意味はこの①の意味に該当しない。「②の認識対象ではない」意味は「物自体は感覚、理性、直観の対象ではない」という意味である。「認識対象ではない」と言うのはこの意味である。「①の認識できない」という意味ではない。カントの物自体は感覚の対象ではないが理性の対象にはなり得る。カントが物自体は認識できないというのは理性や直観の対象としても否定していることになる。これについては「第4章第1節」で検討する。

従ってカントが物自体は認識できないというのは、物自体は「②の認識対象ではない」と言明していることになる。そうすると「②の認識対象ではない」という意味での認識対象には物自体というものはないということを意味することになる。この意味で物自体は存在しないとスリップ的にいえる。

ところで「②の認識対象ではない」物自体は、この上記で言った意味以外でならば、存在しているのであろうか。カントの趣旨では存在していると受け止められる。それはどこでどんな風に存在しているのであろうか。この問題については「第4章第2節2)」で検討する。

以上のようなわけで、物自体存在が存在位置を占めるのである。物自体の認識ということはAというものがAとして認識されるということであるが、我々がカントによって与えられた幻惑はAの認識が物自体Aと論理的に同一であるということである。そういうことが語呂合わせ的に前提とされているということである。しかしそれは認識が認識以外のものではありえないということを無視した幻惑でしかない。これを物自体の幻惑という。その意味ではカントが想定したような物自体というものはあり得ないのである。それはやはり幻惑以外のものではない。

中世から近代へと橋渡しのなかでも神や実体というギリシア以来の伝統的テーマは継承されてきた。それが神から個人というヒューマンなものに権威移行してきただけで近代は相変わらず実体的志向が継承されているのである。

同じギリシアに既に発生している流動説は、ヘラクレイトスによって神秘的に輝いているが、実体論の幻惑から開放してくれるものであるといえる。この系譜はヨーロッパ非合理説という分野に入れられている。しかしその思想が実体論や自我論から無縁かというとそうとは思えない。ショーペンハウエルの意志論や、ニーチェの超人思想は基本的には主人公や個人がいるという前提によっているのである。

認識現象はいのちの一つの現象であり、認識によっていのちの全てが網羅されているわけではない。認識至上主義というか、認識によらなければ我々の営みが一歩も進められないという錯覚がとりわけ知識人や教養人を支配しているのである。

認識現象は決して同一表面上や同一直線状にはない。認識現象は前後の連絡もなく断片的に出現する。大森荘蔵氏によれば立ち現れるということになるが。立ち現れたものがすなわち全てであって、それ以外の立ち現れる主体というものが他にあるとは考えられない。にもかかわらずそうした発想が長く人類に支配的であるようだが、迷妄に封じ込められている現象である。既に明らかに立ち現れているものをさらにそれ以上何が立ち現れているのかを探ることは奇妙なことである。それが認識現象として分類しているものでも、認識現象という範疇が過去の範疇であってそれに従う必要はない。認識現象という範疇もいのちの有り様で、それ以上でも以下でもない。

2)モナド論はこの危機を予定調和で回避している。

 以上の認識論上の危機をモナド論は予定調和説で見事にかわしている。山内志朗氏によるとライプニッツのモナドはデカルト的な表象化された自我ではなく表象されない部分も含めている。まだ意識の上に登らないぼんやりした状況や意識にまだ抵触しない暗い部分も含めたものである(「シリーズ・哲学のエッセンス」山内志朗 NHK出版)

ライプニッツのモナド論は何時も気にかかるテーマである。大概は分かりにくい哲学

的表現であり、それを解説したものも分かり良いとは言えないものになりがちである。しかし今年NHK出版から出された「シリーズ・哲学のエッセンス」で山内志朗氏のライプニッツはサブタイトルが「なぜ私は世界に一人しかいないのか」と長年の懸念を払拭してくれた。院生の頃モナド論に引かれて取り組んだことがあったが、結局、私は一人で世界にいるのであり、誰とも窓を開いていないのだ、と密かに思っていたのである。

近代デモクラシーへの先駆的日本人の期待は、個人が完全に自立して、国家や他から強制されることがないというところにある。そうした見解は現代の我々に最もよく受け継がれているところである。「誰の支配をも受けない」というのが絶対自由の条件になっているのである。そのためにはどんな教育的影響も設けないということも条件である。私達は完全に独立した一個の存在であるということは、この自由という魅力的な言葉によって誰にでも受け入れている。ライプニッツのモナド論はそうした完全独立の人間観を主張するものである

 

第5節 「西洋の自我の確立」と「日本の自我の放棄」

こうしたライプニッツの自我の問題について、モナドには窓はないにもかかわらず、酒井潔氏が『自我の哲学史』講談社現代新書」で「ライプニッツでも自我は連続的であるという面が強く、いや一層強く打ち出されているということである。こうしてみると、ライプニッツの個体概念もまた、近代の自我観の特徴を代表していることが明らかである。」(PP.84-85)と述べているように、西欧的傾向性が自我の確立というところにあるということはあらゆる欧米文化的に言えることである。それはエゴイズムという道徳性の根底にあるものであり、社会や自然性と矛盾するものであることに気づかれていないということが悲劇なのである。何とかその矛盾の中に活路を見出そうとしているが、基本的に難しい問題である。

というのは、たとえばハイデッガーは、実存という近代的自我とは逆な方向を示し、近代的主観主義的形而上学を批判して、連続性や、同一性を重視していないように見える。しかし西欧的自我の問題点は表層的自我から深層的自我へと志向しているので、やはり自我の領域を出ていないものでしかない。むしろその構造は自我から自我ならざるものへ、さらに物・科学・物象主義から心・魂・仏神主義、そして言語・表現主義から無心主義へという方向にあるべきところだが、西欧は物・言葉・科学・自我の範疇であがいている。願いはその外を見ようとしながらエゴの重力から解放されていないのである。

酒井潔氏は「我々の自己了解と社会生活の背骨ともいうべき『自我』という概念が、実は西洋近世に哲学的起源を有し、したがって日本の精神的文化的社会的風土にとっては実はもともと異質のものである。」(「自我の哲学史」P.16)と言う。その西洋的自我は自己同一的、連続的、統一的な自我であり、明治になって初めて西洋から輸入したに過ぎなく、それまでの日本人の非同一的、非連続的、非統一的な自我観にとっては違和感の伴うものであり、日本人にとって馴染まないものである。

 日本的自我は、仏教的自我を見ると、自我は煩悩のかたまりであり、おのれを究明することは、煩悩からの自己解放を意味する。自我を連続的、同一的、主体的なものとみなすことを批判し、西洋哲学などの示す自我概念に対する強い拒否が含意されているのである。(「自我の哲学史」酒井潔 講談社現代新書P.32)

ところが酒井氏は一方では、欧米では「『近代』のそれとは別の『自我』概念が提起されているような場合でも、よく見ると、そこには近代自我論の理性主義的な伝統が、やはりさまざまな仕方で浸透しているのであって、つまり自我は、理性によって理解可能なものとして了解されているのであって、決して訳の分からぬもの、不気味なものとは見られていない。理解可能な自我とは、連続的同一的な自我である。非連続のそして非同一的な自我を我々は実際には認識することなどできない。ましてそのような自我を持って社会生活は営めないだろう。」(「自我の哲学史」P.152)と言い、ここにおいて酒井氏は欧米的スタンスに立ち、非連続的・非同一的自我と社会性の両立性を否定している。さらに同著第2部「西田哲学の自我論――我は我ならずして我なり」の西田幾多郎についての論説において「しかし疑問も残る。私は何でもない、私は変化するし、同一的ではない。そのような自己理解で我々は、今日の公共の、つまり個人の権利と義務を縦軸・横軸とする社会で、個々の局面にどれだけ有効に対処し得るのであろうか。」(「自我の哲学史」P.181)というように、近代社会では自己同一性、連続性、統一性は欠くことができないと主張する。

つまり酒井潔氏は西欧的自我の限界を見ながら、またそこへ戻るかの如くである。それは自我を放棄する立場を主張しながらそうした生き方への不安が過ぎるということであり、西欧的自我からの脱却が不徹底ということに他ならない。日本的にはそうした自我は馴染まないものであるがゆえに、ここにこそ我々の問題が横たわっているのである。

現実の私たちは日常的に非連続的・非同一的に過ごしている。この現実のメカニズムがどうなっているかが問題なのである。またそうした自己によって制御し得ない非連続性をどうやって道徳的にうなずけるものにしていけるのかということが問題なのである。近代的西欧ではこれに責任を持つのはすべて自我である。私たちはそうは生きてはいない。責任は共同体の上にかかってくるし、もっと違った風土や自然などに関わってくる。そしてそうした風土や自然を良きものにしようとするのが我々の社会の中枢にあり続けた祭祀の根源にあるものである。


日本的倫理性 4 第2章 ロックのタブラ・ラサ 

2018年10月29日 | 日本の原体験

2章 ロックのタブラ・ラサ

 

第1節 タブラ・ラサのマジカル性

現代人間観の出所は欧米的近代的人間主義にある。この人間観が思想家や哲学者にとってだけではなく、一般人にとっても重要であるということは見逃されやすい。私達現代人が常識的に抱いている考え方はこの哲学的な根拠にもとづいているものである。常識はいつからか私たちに備わっていて、その出所を特定することはなかなか困難であるだけでなく、特定されたとしても現実感が伴わないものである。それで自分の常識は生まれながらにして自分に備わっている考え方や思考であって、いうなれば自分の固有の考え方であると思い込んでいるのである。その考え方がいつの間にか自分に移植され、自分の中で寄生している考え方や感情であるということだとは思いも及ばないのである。ロックの白紙説もそうした影響力を持っている1つの説である。

 ジョン・ロック(1632-1704)は英国の哲学者で、経験論の父と言われている。ロックもやはり近代的ヒューマニズムの開拓者であった。その示しているところは現代の生き方の基本となっており、私達はその範囲内で自己を理解し、形成しようとしてきているのである。特にその人間観の中心はタブラ・ラサに象徴される。

「人間は初め白紙(タブラ・ラサ)である」というロックの主張はデカルトのコギトのように大変インスピレーションに富む命題である。近世以降この命題は呪術的とでも言える力を発揮していると思える。「人間がその初めは白紙である」という命題は、誰もが大きく頷いて迎える信憑性を持っている。人間の一面の真理を指摘するのに成功しているのである。ロックの主張が厳密にはどんなものであるかということはこの章の課題であるが、私達がこの命題から勝手に受けとっているインスピレーションは、多分人間の在り方に関する、ある重要で本質的なものだろうと思う。また逆に、ロックの主張がどんなものであるかということを理解している場合でも、その言葉の呪術的とでも言える力によって、私達は自分達が勝手に抱く白紙観を重ね、この命題を賛美しているのである。そうしたマジカルな言語表現的な力があるように思われる。本章の目的はこの幻惑を指摘し、それによって近代が私達に実際に示しているのは一面的な生き方であり、そのために他の面が隠蔽されてしまい、現代の混乱をもたらしているということを指摘するところにある。先ずロックのタブラ・ラサ説を理解し、次に私達がそのロック説に重ねてしまう深層的というか本質的な人間観からくるタブラ・ラサ観を見、現代が近代によって覆い隠されてしまっている重要な人間観を取り戻す一助としよう。

 

第2節 ロックのタブラ・ラサ説とは何か

1)私達は何時からタブラ・ラサなのか

先ずロックの白紙説で抱かれる疑問は次のような物である。①私達が白紙であるのは初めだけなのか、それとも②その度ごとに白紙であるのかということである。

①    の初めだけ白紙であるという時、

ⅰ一体何時がその初めの時点なのかということ

が問われる。私たちは母体にいるときから感覚している。であるから産まれた当初から私たちには感覚が備わっている。胎教では音楽を聞かせたりして情操教育を実施するそうであるが、生まれたときには既に私たちにはいろんな人的な影響を蒙っているというのが今日の考え方である。そこで、いったい何時私たちは白紙状況であると言えるのであろうかという疑問が抱かれるのである。

ⅱそこでロックのタブラ・ラサは「産まれながらに」という点に修正が加えられることになる。何時の時点を産まれながらに白紙であるとするかということが問題になる。まだ認識的器官が成長していないときを白紙だとするわけにはいかないから、私たちの認識器官は何時白紙状況として完成するかということである。

ⅲしかしまたここでの認識とは細胞が栄養分を摂取するレベルでの活動も認識現象とされるかどうかということが考えられる。

どういうことかというと、この細胞活動レベルでは例えば水分不足のとき細胞は循環する血液から水分を補充するが、それは単に浸透圧の差からおこる現象であるとも言えるが、私たちにはのどが渇いたという生理的認識が発生するのである。この認識は物理的あるいは化学的浸透圧現象が意識化するということを示している。ということは私たちが子宮の中で卵細胞として発生した時点で認識が発生しているとも考えることも出来るのである。所謂受精の瞬間からである。

ⅳしかし逆説を採ると、認識が発生してもまだ白紙であるという説も言えるかもしれない。というのは今述べたような、細胞レベルな現象的意識が発生してもそれは記憶として残らないかもしれない。一過性の現象で時間的に次の現象に影響を与えない場合がそうである。そうした場合には白紙現象が継続していることになる。この場合意識は胎児として宿った時から細胞レベル的に発生しても、記憶として継続しないで、心や自我という現象にならないので、まだ白紙という状況にもなっていないと考えられる。この見方は②の私達の精神はその度毎に白紙ではないかという説に関わる。

②の私達の精神はたとえ、成長した人間でも何時も白紙に返り、何時も始まりにいるという観点は、私達に記憶という現象があるということで否定されるかもしれない。

ⅰ記憶のメカニズムについては、神経のニューロン回路が形成されるという生理学的説明があるが、このニューロン回路は使われなくなるとやがて消えてしまうといわれる。身体の反応は遅いだけで、使われなくなる前に再度同じ感覚知覚が発生すれば記憶として継続しているが、基本的には白紙に戻るというのが私達の精神の方向性ではないかと考えられるので、この場合の言い分はあるのである。

ⅱこの立場は自己形成に関するまったく違う観点を示すものである。というのは①の観点では外界の知覚を多く集めてそこからよりよいものを育成し蓄積していくという生き方であるが、それに対し、何時も精神(記憶)を空にし、新しい自己を生み出していくことになり、全く違う生き方を形成することになると思われるからである。私達は暗黙のうちに①を採用し、②についてはむしろ不可解に思うのではないだろうか。というのは記憶に頼って多くの情報をタブラ・ラサな精神に蓄積し、いろんな知恵や技術や法則を巡らすことが近代の示した生き方で、その方法を私達は踏まえているからである。

ⅲしかしライプニッツのモナド論はこの②とは関連しそうだし、我々日本的倫理性の特色の一つである、常に無の中から生まれ無の中に変える日常の生活態度は正しくこの②「私達はその度ごとに白紙である。」に同じになるのである。これはタブラ・ラサの意図の外のことであるが、そこで我々はタブラ・ラサに日本的倫理性に親しい連想をしてしまい、インスピレーションを受けるのである。

以上の問題のほかに指摘される重要な問題がある。それは上記の問題とクロスするものであり、問題を複雑にするものであるが避けては通れない。次にその問題を検討し、その後2つの問題を収束して論じよう。その次の問題とは、ロックの白紙の精神を満たすものは何であるかということである

2)白紙の精神は感覚と理性によって埋められる

ロックのこの白紙説は「精神は感覚の働きによって印象をうけ入れられる前は白紙(tabula rasa)である」というものである。この白紙説を、ロックは人間行為の原理である自然法を人間がいかに知るかと言うことを説明するために主張している(「人間知性論」ジョン・ロック 大槻晴彦訳 岩波文庫)。ロックにおいては、自然法は生得的なものではない(「ジョン・ロックの生得論に関して」奥田寿珠子 学習院大学哲学会哲学会誌第25号)。ロックの自然法は神によって与えられている道徳法則であり、ホッブスの生存闘争の自己中心的なものと真反対である。この自然法は、ア・プリオリに存在し、人間は理性によって認識できる対象であるが、理性は生得ではないので、自然法も生得ではないのである。それは理性と感覚的知識の合作物であり、それ以外の要素はない。理性と感覚のみが、知られず暗闇に置かれていたものを精神に提示するのである。理性と感覚とは相互補助的関係にあり、理性がなくて感覚だけであれば人は動物にも劣るし、感覚がなく理性だけであれば人は暗室にいると同然で何も見えない、というものである。感覚は理性に個々の知覚の観念を与え、理性は感覚を指示し、感覚から引き出された影像を理性内部で整理し、新しい影像を作る。人間の観念はこの過程から発生し、精神や自我認識はここに起因する、と考えられている。

3)認識器官と認識内容

ロックは生得的観念を認めないけれども、この理性や感覚という認識能力は白紙状態にある精神に先立つものでなければならないとする。この二つの関係はどんなものであろうか。2つとは認識能力とその形成した精神、すなわち認識内容との関係についての問題である。精神が白紙であるということは認識内容の問題であり、認識能力としての感覚や理性の問題ではない。従って感覚や理性という認識能力は感覚や理性によって得られた認識内容とは独立に我々に備わっているということが前提にされている。そこで2つの問題が出てくる。先ず

ⅰこの認識能力は一体どのように発生してくるのであるか(認識能力の発生の問題)。

観念は認識能力によってもたらされるとすれば、その意味で生得的ではないとしても、それをもたらす認識能力の方はどうなのであろうか。何がもたらすものであろうか。少なくともその身体の持ち主がもたらしたのではないと思われる。また

ⅱ認識器官の外の対象がどのようにして知覚や観念という認識内容になるのであろうか(知覚や観念の発生の問題)。

4)認識能力の発生

先ずⅰ認識能力の発生の問題についてⅱの知覚や観念の発生と照合しながら見ていこう。その能力は感覚と理性の二つであるが、そこには大きな機能的相違がある。①まず感覚は所謂身体による知覚であり、身体上の意識現象である。②もう一つの理性は論理的には感覚とは別なものであるが、感覚知覚をアレンジして観念を生成するものである。

従ってこの観念にはドイツ観念論的なア・プリオリな形式があるわけではない。では理性が感覚からもたらされる知覚を材料として感覚とは別な意識を生産するのなら、そうした理性の機能はどこから来るのであろうか。考えられることは、1つは大陸合理論的な先験的といわれる観念論的な分野に属するかということになるが、それはロックや英国経験論においては認められ得ない。強いて言えば白紙状況の精神に知覚が積み重なっていく過程で出現してくる形式があるというものであろう。身体上の現象であるのかそうでないのかは分かりづらいところであるが、身体的現象としてそうした観念が発生しているというのが基本的な英国経験論の考え方であろう。そこでロックにおいては、認識能力は身体現象であることになる。

但し、この理性の所在位置が不明な点がロック経験論の課題である。ここでの理性は神の法によって導かれる精神の推理能力である。デカルト的な近代的自我の中核的な理性ではなく、感覚から供与されるものがなければ何もできない機能的能力と考えられる。つまり理性的能力と言える。従って理性には感覚に相当するような器官は見当たらないし、人間の内部で働くが、具体的な位置のない曖昧なものである。(「自然法論」ジョン・ロック 「世界思想全集」河出書房新社、「ジョン・ロックにおける世論の位置:ロックに内在する「輿論」と「世論」谷藤悦史)

つまり理性に関しては行き詰まりがあるということであり、ここには日本的倫理性においての取り組みが興味深いと考えている。デカルトにおける(我?)に関係するところである。

5)感覚器官と理性能力のア・プリオリ性

この時、疑問に思えることは、この感覚器官や理性能力は精神を形成する知覚や観念にとっては先に立つものではないか、ということである。この問題は、人の根拠というか存在性ということの問題に関わる。①人が存在するのは身体を持ったときであり、その身体が自分によってではなく存在せしめられたものであれば、その意味で身体はその人に先立つものである。この場合のア・プリオリの意味は大陸合理論的なものではない。文字どおり先立つという意味である。そこでその身体が形成したものもア・プリオリな領域内のものではないかと思われる。②一方ロックにおいては私達が自我というときは精神に知覚や観念が発生した時と言えるであろう。人が一つの固体として人間であり始めるのは胎児のときからか、出産後か、自我の自覚を持った時からか、ということについては重要な実践的議論が必要だが、ここでは感覚器官や理性の作動が何時から始まり何時から精神が形成されているかということはさておき(というのは胎児のときにもそのような様子が伺われるし受胎何ヶ月ごろからそうなのかという調査に入らなければならない問題になるからである)、作動と同時に精神が形成されるのであるから、自我の発生は認識器官が出来たときをもって言えるということであろう。そしてその認識器官の基である身体は決して知覚や観念に先行されるものではないのだから、その意味では我々の知覚や観念はア・プリオリなものの延長線上にあるのである。しかしそのア・プリオリ性は物質的な世界のものであり観念論的なものではないということである。そこで帰結することは知覚や観念は物質的で、人間精神や自我にとってはア・プリオリなものであると言うことが出来る。

6)タブラ・ラサ説の示すところ

 以上のロックの認識のメカニズムから出てくることは、人間の精神は感覚知覚とそれらから自然的に合成された観念によって出来るということである。このことは私達の精神が私達の感覚の外部にある感覚対象という情報源から成り立っているということ示している。それら外部から収集された情報が整理されて観念となり、それが自我を形成しているというものである。このタブラ・ラサ説の示す方向は、一つは①その知識主義でありもう一つは②その環境主義である。知識主義とは私達の精神は感覚知覚によらなければ空虚であり、その意味では私達には自我と言えるような主体的地位が見えていないということである。何故ならその知識の源泉は私たち自身によることは全くなく、私達の外部から感覚というパイプを通してやってきたものである。その意味で私達は私達以外のものによって構成された観念の寄せ集めであり、自我というものは外部からやってきた感覚知覚のかけらのモザイク的な彫像のようなものだと考えられるのである。すなわち②の環境主義がここにはある。ここに英国経験論全体を貫く知識主義の限界があるのではないかと私は考える。しかし私は、ロックが批判した、理性が経験によらず生得的であるというデカルト的な合理論を採用するわけではない(「人間知性論」ジョン・ロック 岩波文庫)。

こうした白紙的人間観の生き方から見えることは、私達には主体的位置がなく、自我を支えて生きるためには、あらゆる情報を自分以外のところから収集しなければならないという像が出現するのである。こうした生き方の発展的方向を見ると、現代人の行き方にその典型を見る思いがして驚くところがある。私達の生き方は外界から収集し、外界に依存する傾向が強いし、道徳的には他人依存症候群が強く、国家や社会、学校や会社、地域や家族、友人などのせいにしてしまうのもそういったことから来ると思われないであろうか。

それからもう一点タブラ・ラサの示すところは初めに 1)で提起した点である。すなわち①このタブラ・ラサが何時から始まるのか、②それともいつも白紙状態に戻るのかという視点である。それと絡めて問題を整理してみると次のような表になる。この表中のBのコーナーはまだ見ていないが、ここで論じたように外部からだけのものではないという論点を無視しないことから設けられている。それは次節のテーマとなっている。それはロックの認識論の検証ということになる。それによってロックのタブラ・ラサから現れた英国経験論的近代的人間観の問題を考察してみたい。 

      内容の出所

時期

A  知覚は外部にのみ根拠を置く

B 外部とは限らず異質な世界からも関わる

①始まりがある

①―A

①―B

②何時も白紙の精神に帰る

②    ―A

③    ―B

この時外部とは一体何であって、外部に対するものは内部なのかという疑問が残る。ここでは外部とは身体的五感感覚器官の外部という意味である。Bの異質なということで示そうとしているのは次節で論じられる。紛らわしいのは外部という意味が白紙の精神の外部という意味と考えられる場合、観念的実在についても当てはまるからである。しかし一応ここでは観念的世界については除いておく。それについても取り上げなければならない重要な問題ではあるが、それは第3節で取り上げる。

 

第3節 ロックの認識論の問題点

1)感覚能力について

まず「第2節の 4)の①」の感覚能力について見て見よう。感覚と知覚との関係で考えられることは、ロックにおける素朴実在論の考えかたでは、感覚器官の外部の現象が感覚器官にそのまま反映して知覚が発生するというもので、感覚器官の外部のものと知覚とは同じものであることに疑いが抱かれていないのである。例えばここに黄色の花があるとする。私達が黄色という知覚を持つのは、黄色の花が持っている性質黄色が私達の視覚感覚に入るからである。

しかしその後に、英国経験論者たちは問題がそんなに単純ではないということから、感覚の外部のものと知覚とは同じものであるのかどうかとか、感覚器官はどうして知覚を生み出すのかとか、知覚が生み出されたのは感覚器官によってのみだろうかとか、いろんな問題を取り上げたのである。

その場合でも経験論者達の基本的姿勢は、知覚内容は感覚器官の外部に実在するものの性質であるということには変わりない。その意味では私達の側に所属しているものではないということは先に見た通りである。この時、私達の側というのは、「感覚機能や理性機能を持っている側」ということである。感覚は外界の性質からの導管であり、知覚の経路である。理性はこれらの知覚に特別な何かを加えたり、独自の決まりなどで編集したりするわけではないのである。

しかしここにはどうしても何か無理なところがあるように思われる。というのは感覚の外の物体の性質黄色と感覚から得られた知覚としての黄色の性質とがまったく同質のものというのは検証が難しいのである。何故なら一方は実在世界のものであり、他方は認識世界のものであるという意味で同質のものと見なすことには無理が感じられるのである。実在物と認識物とが対応しているということは容易に受け入れられるが、それらは異質なものではないかと考えられるからである。①この「対応と異質性」ということがこの問題をややこしくしているところである。なぜなら、認識の出所が実在世界からだという裏づけをしているのは対応しているということだけで、だからここでは異質であるということを問題としてはいないのである。②そこで異質に注目してみると、異質化するということはそこに何らかの影響が加わっているものと考えられるので、対応しているからといって認識物が全面的に実在から出所しているということを保証するとは言えないと考えられるのである。③その影響はなんであるか。a感覚からなのか、b他の何かであるのか、ということも気になるが、②の問題を見ることで判明してくると考えるのでここではその問題には入らない。異質であるということが当面の課題であるからである。④他にこうした主張のベースになっている実在世界の実在性は本当に確かなものであろうかという問題がある。何故なら実在を実在とするのは認識によっているのであり、認識の領域の問題だと考えられるからである。感覚の外の実在世界を常識と考えるこの経験論の前提を覆す問題はバークレイによって展開された世界である。この主観的観念論の立場は自分の認識のみは確実であるという楽観論的なものであり、デカルト的な批判の前では半減するものである。しかしロック的な実在と認識との単純な構造について別の光を差し込んだという功績は大きい。

私はこの問題について②の異質性に注目する考え方を検討してみる必要があると考えている。私の考えるところは実在と認識とはそれぞれ世界を独立にしているというものである。ロックのように実在世界が優位であるとかバークレイのように主観が優位であるという立場をとらない。そこで実在と認識との関係がどんなものであるのかということが検討課題になるのである。

2)感覚能力と感覚内容(知覚)における素朴実在論の問題点

上記の実在と認識の関係問題を見るのに以下の例を検討してみよう。針で腕の皮膚を刺したとしよう。当然、痛みの知覚が私達に起こる、この針刺し事件と痛みの発生は、花の黄色を知覚するのとは少し違う。その流れを対比してみると次のようになる。

感覚器官の外部の花(性質黄色)→感覚器官の目(視覚感覚)→認識領域の黄色(知覚)  感覚器官の外部の針(性質痛み)→感覚器官の皮膚(痛覚)     →認識領域の痛み(知覚)

黄色と痛みの違いは、黄色の方は感覚器官の外部の花の性質であるが、痛みはそうではなく、針の性質とは言い難いということである。ここに疑問が発生することは、痛みに限って感覚外部の性質ではないのかということである。この疑問に対して選択肢が3つある。

①    上記のように花には黄色の性質があるが針には痛みの性質は属していない

②    花と同様針にも痛みの性質が属している 

③    花にも針にも痛みの性質は所属していない

である。

①    の場合は一貫性を欠き感覚論の基礎を弱いものにすると思われる。②の場合は、針

に痛みの性質が所属しているというのは何かアニミズム的で経験論らしくない。しかしよく刺さることが針の優れた徳性であるということを思い出すと、痛みもその派生的な性質といえるかもしれない。しかしこの説には無理があるように思える。③の説を検討してみよう。この説は素朴実在論の立場を否定して、黄色が花に属した性質ではないということを主張することになる。こうした一貫性をもって検討されるのがここに取り上げている実在と認識の問題である。

痛みの知覚というものは皮膚感覚においておこるものである。その刺激は針が皮膚に刺さるということによる。針には痛みの性質は所属していないが、痛みをもたらす性質は所属している。先ほどの流れを再編成すると 針(痛みを生む性質)→皮膚に刺さるという事象 → 痛みの知覚 となる。ここでは痛みを生む性質と痛みの知覚とは明らかに違うものである。これから黄色の知覚についても見てみよう。黄色は視覚によるものであるという点を考慮に入れると、花(黄色を生む性質)→反射光線が目に入るという事象→黄色の知覚 と考えられる。以上から痛みや黄色という知覚はそれを生む感覚器官外部の物の性質とは異なっているということが出来る。

 さらにこの分別は五感感覚器官の事象とそこに得られた知覚の間にも下される。それは針が皮膚に刺さったり、黄色の光線が視覚を刺激したりしてもそれ自体はそうした事象であり、痛いという知覚や黄色という知覚とは別なものであるということである。前者は身体事象であり後者は知覚という認識内容である。そこで実在や事象と認識を峻別できるのである。

そして実在や身体の事象と認識との間には対応関係にはあっても、異質的であり、その間にはブラックなクレパスがあるようでパラレルな世界だと思われるのである。我々現代はこのブラックなクレパスを現象の対応関係を見ることだけで納得できないのである。たとえ外部的刺激とその知覚とが同一線上にある、同一のメカニズムのものであったとしても、少なくとも論理的にはその針刺しという事象と痛みの知覚という現象はパラレルであり、別物であるという主張が可能なのである。我々はこの断絶にまだ橋を渡せていないのである。

そこで先ほどの表は次のように修正される。

感覚器官の外部の花→感覚器官の目(視覚感覚):(現象黄色)→認識領域の黄色(知覚)  感覚器官の外部の針→感覚器官の皮膚(痛覚) :(現象痛み)   →認識領域の痛み(知覚)

つまり感覚は感覚器官の外にではなく感覚器官の側にあるということである。

しかしここで私たちは奇妙な事態に遭遇しなければならない。牛の目だけを取り出して像を作るという実験がある。またカエルの足に電気刺激を与えると反応が起こるという実験もある。従って感覚は目や皮膚にあるのかということになる。これに対して取り出した目や足に加えた刺激と反応は感覚性質を根拠づけるものではないという受け止めかたがある。実験台にあるカエルの足は通電で動くがそこには痛み感覚はないのである。従って身体に想定されている感覚現象は感覚性質とは言えないものである。ここに出現した問題は、身体の感覚現象は黄色や痛みの感覚知覚とは別物だという指摘である。ここからまた感覚知覚と感覚性質の概念にも左右の意見が出て、込み入ってくる。

身体における感覚現象や感覚知覚の問題はさらに議論が展開すると我々の脳の内部に感覚性質が存在する、起こっているという議論に発展する。脳にはそれぞれの感覚を担当する分野があり、ご感覚に対応した分野があると考えられている。しかし脳のMRIをとってもそうした感覚性質はどこにも見受けられない。人工頭脳の研究が進む現代では感覚野や言語野の複雑な連動によって言語観念が誕生すると考えられても不思議はない。しかしそれでも脳に起こる現象は身体的現象であって感覚性質とは言えないということに変わりはない。それではこの感覚性質はいったいどうやって我々に興ってくるのであろうか。これが、白紙状態がどうやって諸々の感覚や観念によって埋め立てられるのかという問題なのである。

3)感覚性質はどこから白紙の下へ

しかしそんな細かい議論をしてどんな意味があるのだろうか思われるかもしれない。ただ細かい分析の迷路に誘い込むだけで生産性がないのではないかと叱責されそうな気もする。こういう非難や疑念には確かな理由があるかもしれない。というのはこの分析の作業はたまねぎの皮を剥いていくようなところがあるからで、どこまで行っても決着がつかないようなところがあるからである。それでも基本的には、素朴実在論に加えられた批判のように、感覚器官と知覚とはパラレルであるから、そこに何らかの融和的な境界を置いて終着を見なければならない問題なのである。問題はどこでその融和に納得できるかということでしかない。実は素朴実在論に浴びせられた批判は局面が後退しただけで真実在論でも同じ問題が出ており、無限後退的にこのクレパスは横たわっているのである。これは英国経験論を生みの親とする科学のおかれている宿命的課題でもある。さらに複雑化した英国経験論の議論はヒュームにより大陸合理論のカントに影響を与えて、哲学の大きな問題として継続しているのである。

4)感覚(感覚現象)と知覚(感覚性質)の橋渡しをするもの

私はこの断絶を埋めるのにワープ現象という解釈をしている。世界はワープに溢れている。人の生から死はワープであり、めまぐるしい細胞生成や化学反応もワープである。あまりにありふれているこの現象はその神秘性を感じられないでいる。その意味では世界は神秘に溢れている。これを因果論によって説明されているが、因果論こそそのワープ現象の領野にはいるものである。ただ因果論は原因A⇒結果αであることを100%確立を疑わない。ワープの場合は、それは判断保留である。因果論にも言えることであるが、結果αがあって、これを目的とすれば結果は未来にあることになるが、過去データから原因Aを割り出すわけである。そして原因Aから結果αの過程には無数のワープが展開している。因果論はこの過程は1過程ないしは数過程と見るであろうが、ワープでは無数であるとみなす。つまり原因と結果の間には暗いクレパスがあるのである。一晩寝て起きたらサンタクロースが枕元にプレゼントを置いてくれているように、原因と結果の間にはサンタクロースの存在を信じて疑わない純真な子供の心に満たされた無邪気な夜の眠りが必要なのである。

5)知覚と言語の境界

針刺しと痛み知覚とのパラレル性についての考察は言語を媒介して考えられることが多い。私達が針刺し現象で痛みを知覚するのは「痛い」という言語によるというものである。言語は直接的な身体現象ではない。身体現象から離れているものである。直接的な身体現象としての針刺しとその知覚は身体以外の世界である言語の世界に移行するのである。この時身体現象としての痛みの知覚が言語化するという言い回しは紛らわしい。身体現象が痛いという言語を産み出したとは断定できないからである。またそうした言い回しは観念論者の反論を招くのである。私達が針刺しという身体現象で痛みを知覚するのはそういう観念を先験的に備えているからだという主張である。観念論のそうした主張は信念以外に根拠を持ち合わせていない。一方身体現象が痛みという言語を生み出すという主張も観念論における信念と同様に、同類の推理を根拠としており決定的根拠を示し得ていないのである。この痛いという言語は身体現象を指示しているが、身体現象以外の位置にあり、身体にはないものである。いわば言語世界に位置しているものである。この言語の示しているものが観念であるとか、その観念が実在しているとかという議論に魅了されるかもしれないが、それは飛躍しすぎであると思う。私は身体には身体の複雑な世界があり、同様に言語には言語の体系世界があると思う。これらの世界はそれぞれ独立した体系世界でありながら関連しあっていると考えられる。但しこの関連がどんなものであるかはまた大きな問題を孕んでいる。取り敢えずパラレルな関連である。このパラレル性に見るように針刺しという身体事象と痛みという知覚のパラレル性が指摘されるのである。何故なら痛みという知覚は言語化されることによって言語的に顕在化されているものであり、身体的に現象していることとは区別されるからである。そしてパラレルを超えて両世界を橋渡しするのがワープ現象である。

6)認識の場

わたしにはこうした言語的顕在化は一つの認識的な場としての役割を果たしているようなものであるように思われる。言語は身体現象として起こった知覚ではなく、それとは異質なものである。身体現象は言語化することによって言語世界の体系に存在を主張し位置を獲得する。言語化する以前の身体現象としての知覚は感覚器官において発生する一時的なものである。感覚器官はそうした現象を起こすところなのである。この現象に知覚として特定するのが言語である。認識というものが一つの機能や行動的なものであればそうしたプロセスの過程にあるのが感覚である。それを認識が発生する一つの場として捉えることも出来る。場というものは知覚自体ではない。知覚が現象化するところに刹那的に発生する。しかし感覚器官にひとつの現象が起こったとしても言語に掬い取られることがなければ単なる刺激反応の領域に止まったままでしかない。その現象に言語のたも網が入った瞬間、知覚化するのである。そして言語世界はこの掬い取られた知覚が言語的に存在するところだと思われる。

7)理性における同様な問題

こうした一つの説明できない現象が感覚器官と知覚の間にはあるのである。同様なことが理性と知覚の間にも言える。理性が感覚領域に発生した知覚を合成して新しい影像を作成するということには五感感覚器官という身体上の現象が知覚という認識物に生成されるということと同様なワープ現象が起こっていると考えられる。理性はここではドイツ観念論的理性とは考えられていない。一方、感覚に見るような身体上にある五感感覚器官のようなものとも指摘されていない。「理性は感覚知覚がなければ暗闇にいる人のようなものである。理性だけでは何も為しえない。理性がその役割を果たすには感覚からの知覚が欠かせないのである(「人間知性論」 J.ロック 大槻晴彦訳 岩波文庫)。」こうした表現から考えると、ロックにおいては、理性の中には生得的に獲得されている何物もない。人は精神を生成する理性という機械のようなものである。しかしその素材である感覚知覚がなければどんな精神も形成できないのである。材料の込められないミキサーのようにむなしく回転しているだけである。そしてその状況をタブラ・ラサと言うのである。しかし通常感覚知覚のない状況は有り得ないし、いつからそれが始まっているのかということは不明のままである。従ってタブラ・ラサというのは論理的な意味での設定で、現実人間状況に充当するものではない。ここにタブラ・ラサによる人間観への幻惑があるのであり、第4節で検討する。

8)理性の所在

①理性や観念の所在:理性が感覚から発生した知覚をどのように観念化するのかという問題は、理性が、感覚が明確に身体的に対応する器官を持っているようには、器官を持っていないようなのであるから、曖昧なものになっている。第2節の 4)の②で提示されている問題である。理性が観念を生成する素になっている感覚から生成された知覚は、この時一体どこに乗っかっているのかという問題が浮上する。我々には感覚が身体的なものであるという前提がある。従ってその生成した知覚も身体的であり、それを理性が扱うのであれば理性も身体的であるという単純な一貫性に従わなければならないのかもしれない。あるいは理性も身体的能力であるならば、脳にあるともいえるかも知れないし、痛みの感覚器官である手の上にあるといえるかもしれない。しかし知覚は感覚器官から生まれたとはいえ、感覚器官内に止まっているものではないということは、感覚器官と知覚の間にはブラックなクレパスがあるというワープ現象の主張で見たように、身体ともドイツ的観念論のいう観念ともいえないような新領域が考えられねばならないだろう。その世界はワープ内の世界でブラックなところかもしれない。しかしそれはデカルト的二元論を意味するものではない。仮にそうであったとしても完全な二元論ではない。むしろライプニッツ的な多元論であるかもしれない。

繰り返しになるが、つまり、理性に関しては行き詰まりがあるということであり、ここには日本的倫理性においての取り組みが興味深いと考えている。デカルトにおける(我?)に関係するところである。

②認識と存在:ここには長い論争の歴史に見られるように認識と実在の問題がある。カントがその問題を物自体の認識ということで最もよく、極限的に表現している。私は物自体の認識は可能かという問いは紛らわしい問いであると思う。物自体Aがあるとしよう。それの認識Aがあるとしよう。カントの問はこの二つが同じかどうかということをテーマとしているのである。物自体Aと認識Aの関係について、カントの探求が与えるインスピレーション、物自体A=認識Aであるかということがあるが、認識は認識であって物自体であることは出来ない。その認識Aが物自体Aについてのものであるということは可能かもしれない。しかし認識が物自体にはなり得ない。認識は物自体には届かないものである。哲学や学問は認識を過信しているのかもしれない。認識の出来ることは認識する限界内であって物自体に届くことはできない。実存哲学の目的が物自体に届くことであるなら認識の地上から飛び上がらなければならないのである。パスカルは、人は考える葦であるといったが、認識の両足を大地に踏みしめているのが哲学の道である。認識に対してその能力以上のことを課してはならない。その目的や希望が地上から物自体の世界に飛翔することであるなら別の方法を得なければならないのではないだろう。認識は万能ではない。カントの物自体はそれだけのことを言っているのである。

そこで理性の所在問題は、感覚が身体的な認識器官でなく認識の場のようなものであるとすれば、理性にも同じような位置づけが可能なのである。

②    認識は我々のものであるか:物自体が認識に所属しないものであるなら、同様な発想から考えると、認識は我々に所属するものであろうか。我々はそれが我々の言語や我々の行動に結果して起こっているので我々に所属するものと受け止めているが、そのことがこれを保証することであろうか。ここでデカルトの我の問題が浮上する。ここで前提としている、認識が所属しているという我がデカルト的な我から(我?)へと移るなら我に所属しているという認識は何に所属していることになるのだろうか。(我?)に所属しているということはどういうことであろうか。ここで日本的倫理性においてはどうなるのかという次の展開に入ることになるのである。

 

第4節 新タブラ・ラサの主張

1)ロックのタブラ・ラサを批判する

以上のように、ロックのタブラ・ラサ説にはまだ不十分な面があった。ロックの認識論への疑問点を整理すると次のようなことがあげられる。

  1. 感覚器官の外部の世界
  2. 感覚器官の世界
  3. 感覚器官に知覚が発生する現象
  4. それにその知覚が言語化した世界。

以上、少なくとも4つの世界が、対応はしているが、質的に異質な世界であるという構造から、認識内容が我々の感覚器官の外部からのみやってくるものとは言い切れない、ということが言えるのである。私達の精神が、外の物的環境世界からの知覚によって形成されるというロックの主張に従うと、人間の全ての精神性は身体の感覚や物質的世界に拘束されるということになってしまうし、その問題点は私達の精神から物的な知識以外の知識を排除してしまうということである。必然的に私達の価値観や生き方は物文化的になり、外的世界依存型になる。科学はそうした生き方を展開したものであり、産業革命によって大成したものである。今日、科学や物中心の行き方が疑問視されるのは、人間はもの的な一面だけではなく幾つもの異質な世界を内在しているので、物という一面的な世界だけでは満足できないということからであろう。

 こうした問題点への見直しは、タブラ・ラサな私達の精神を満たすものが決して単純に物的だとか、外部的だとか言えない、その独自な世界からのものであるということである。それらの世界は独自性があり、互いに異質であるというところに、私達の精神性も単に物や外部の世界の限界内に押し込まれているのではなく、独自の世界を形成しているということが出来るのである。これに対してロックの「反省」に期待がかけられるかもしれないが、反省は外部の感覚を内的に処理するという意味で外部存在に依存したものであるからここでの議論に加えていない。

2)観念的なものという外部的なもの

私たちの精神の独自性は決して物や外部世界に拘束されない開放性や自由性を示しているものだと思う。ここではロックの認識論を検証した結果、その経験論的な、物から知覚という過程を取り上げたので、それ以外の過程について取り上げていないが、私達のタブラ・ラサを満たすものは他にもあるかもしれない。それを特に観念的なものとは言わないが、むしろ観念的とされているものにも検証の手を加え、観念的という意味で、第2節  6)の表中Bから除外している、外部的なものの手がかりを得ることが出来るように思われる。

私達がここで観念的ということで示しているのは、長い間プラトンのイデア的実在説で示されているようなもののことである。私はそのイデアが実在しているかどうかは知らない。普遍論争以来出口のない迷路に人類を落とし込んでいるこの問題はそれに答えようとするときからその術中にはまってしまうのである。何故それに答えなければいけないのだろうか。何故実在することが大切なのだろうか。実在ということで私達が希望しているものはなんだろうか。その問題は次のような別の検討の道に入ることによってその迷路から逃れることが望ましい。

私は観念ということで、身体的な認識現象と対応して発生する知覚とは区別されるようなものを考える。観念をもたらす構造については、知覚をもたらす構造と同様に、

  1. 観念をもたらす観念の外部世界と、
  2. その認識の場と
  3. それを掬い取る言語的世界と
  4. その観念

という4つのものは、やはりそれぞれ異質な世界、パラレルなのであろうと考える。    

この観念の外部世界について明らかにしなければなんとなく落ち着かないかもしれないが、同様なことは知覚をもたらす感覚現象の外部世界についても言えるのである。両方の物自体とそれを知ることとは異質な世界にある、パラレルということは第3節の 8)の②で述べた様である。

従って、花やりんご等の物世界は明らかに存在しているということも、観念をもたらす観念の外部世界が存在しているということも同等に不確かであるし、また確かであるともいえるのである。

3)ロック的タブラ・ラサの呪縛

私達にとっては、そうした物自体の存在性の証拠集めよりもっと重要なのは、そんな世界からやってくるだろうと仮想されるような、知覚や観念というものが私達のタブラ・ラサを満たしているという日常が重要なのである。ロックにおけるタブラ・ラサの欠陥は、それを満たすものを、物にのみ注目したところにある。それは一種の呪縛的力をさえ持って、精神の本来の、物との異質性をさえ排除し、精神の物化をさえ引き起こしていると言える。たとえそうした観念世界というものがないとしても、ロックのように物世界に呪縛されている必要はない。知覚や言語の世界は決して物世界に拘束され、物世界から自由になれないという世界ではない。というのは、知覚でさえもはや物とは異質なのだから、我々はもはやロック的タブラ・ラサの呪縛を解いて、自由であっても良いのではないかと思う。

こうした呪縛力がロックのタブラ・ラサにあるのは、次のような2つの理由からだと思われる。①人間が物への執着を完全に捨て切れない、ということと②タブラ・ラサの命題が人間の本質を言い当てているということである。デカルト的幻惑でも言えた事であるが、ここには私達が幻惑される好条件が整っているのである。①によって物とは異質であるにもかかわらず、物への執着心が物へと惹きつけられ、知覚を物と同一視してしまう幻惑現象が起こるのである。そこでその物化した知覚がタブラ・ラサを満たすというように屈折してしまうのである。②によって人間の本質面に従っているということで真理的満足に侵されているのである。①で物化への方向を肯定した結果、人はパンによって生きるというささやきに従い、やがてパンだけによって生きるという生き方に身を売ることになっているのである。人はパンのみにて生きるにあらずという中庸の道は、人が幾つもの異質な世界をそれぞれに受容できるという視点に立つということであろうか。さらに②において起こっている幻惑は、精神がタブラ・ラサであるということの強いインスピレーションと、①によって、物によってのみ生きるという不公正さが、そのタブラ・ラサを物的知覚認識によって充足しようという、光が重力に惹かれて曲がるように、曲がってしまっているのである。しかし第3節 7)で見たようにそうした空虚なタブラ・ラサは存在しない。

4)物化の呪縛の結末

物世界に呪縛されているということは、私達の精神が物的知識や物依存傾向になってしまうということに止まらない。私達の関わる幾つかの異質な世界をも物化するベクトルになると思われる。その結果幾つかの質的に違う世界は物的に改質されて理解され、物に統一して表現されるようになるだろうと思われる。例えば金や権力やという表現手段を絶対視するという傾向である。そして物以外には理解しにくくなり、物的にしか自己表現や自己実現を果たせない状況が進行していくのである。

5)新タブラ・ラサ

しかし、私達がタブラ・ラサから強烈なインスピレーションや魅力を感じるのは、「第4節の 3)の②」で指摘しているように、タブラ・ラサがとても重要な人間本質を示しているからだと思う。しかしロックの言う意味での意味ではない。私はまだこの章では自我について特定していないが、自我とはロックが言うようにタブラ・ラサであると思う。自我は一つの空であり無の状況である。その次にその空を満たす有機的知識でもある。しかしこれは2次的なもので、自我は第1次的には無である。その無はどこにあるのかとか、どんなものであるのかとかいう問は問の領分を超えているものである。というのは「私は無である」といっておきながら、無である私が問いを発することは不可能であるからである。問が問うことが出来るのは私が無であることを止めるところからである。問の領域というものは無である私以上のことについては問えないものであろう。第2次的な自我はこうした無の自我に幾つかの異質な世界から入って来た知識からなっている私である。自我はそうした幾つもの異質性からなる多層の構成になっているのであろう。これを物とか観念とか、あるいは他の何かに一元化して捕らえようというのが長い哲学の道であった。しかしそれは第2の自我であって、にもかかわらずその第2の自我の主張が第1の自我を覆い隠してしまったのである。そしてロックにおけるタブラ・ラサの主張は物によって覆い隠すという結果に終わっているのであるが、第2の自我の支配を退け、何時も第1の自我に帰るということが新タブラ・ラサの提唱である。

こうした第1の自我は真我とでもいえようか。私達はそうした自我を日本の伝統的な自我観に見ることが出来る。それがロックのタブラ・ラサの幻惑から自由になる道である。

6)悟りと自我

以上の意味で、真自我というものは空虚であるかもしれない。神道的な自我観にこの空虚な自我観を見ることが出来る。本居宣長によると、明き心と言うことがそれを示しているのであろうか。仏教的な無我観にもそれが伺える。人が無我の境地に入るとどうなるかと言うことがこの世界の興味深いところである。仏陀は自分の悟った世界は誰にも分かってもらえないだろうから誰にも伝えないで行こうと思ったそうである。それを天下の諸神々が請って仏法を説いてもらったそうである。それは非常に微妙で分かることが至難ということである。聖書には油を塗られたものという自我観がある。私はこれらの教示していることはみな同じことであると考えている。

こうした観点から、日本においてはそうした真我をテーマとした方法が歴史的に維持されていると主張される。


日本的倫理性 3 第1章 私は誰だろうか

2018年03月25日 | 日本の原体験

1章 私は誰だろうか “who am I?” ― 近代的自我批判より新自我へ

 第1章の目的は、現代日本の混迷が近代的自我観に基づいた自我観に起因しているという観点から、近代的自我観の批判と新しい自我観の方向を示し、今日の日本的倫理性の混迷に何らかの明かりを見たいということである。

 

第1節 デカルトの求めたもの

はじめにルネ・デカルト(1596-1650)は近代的自我を発見したことで哲学史上重要である。デカルト哲学が生まれる機縁になった時代背景を説明しておく。

R.デカルトの関心は明晰確実なものを求めることであると本人は記述しているが、コギト「我思う故に我在り( Cogito ergo Sumコギト・エルゴ・スム)」(「方法序説」デカルト 谷川 多佳子訳 岩波文庫)によればそれは自分というものを巡ってのことのようにみえる。しかし、その目的は中世のキリスト教教会主義に対してそれに代わる新しい保障を得ることであった。彼には教会への懐疑が根深かった。そこには教会権威を既得権益とする支配者達に敵対して台頭してきたブルジャジー達の正当性を獲得する政治的な思惑があった。それは教会の神存在の証明の理論的根拠が破綻したことから来ている。教会学問はデカルトを支えるものではもはやなかった。それに代わる新しい根拠が必要であったのである。それは教会的迷信ではなく当時の社会に新興して来た工業的技術の発生源である知識であった。この技術・知識がブルジャワジー達の力であった。それを根拠とする生産と流通から生まれる富が支配者たちを凌ぐ力をもたらしているのである。この知識・技術の正当性を彼は必要とした。その正当性はもはや教会に依るものであってはならなかった。それは貴族たちの権威の象徴であったからである。そうではなく自分たちの根拠を要したのである。

しかしその権威の拠り所はなかなか見つからない。当初ブルジョワジーが傾倒した方向は古代ギリシアであった。つまりローマが生まれる前、中世貴族者たちとそれが根拠とする教会が生まれる前の社会である。それがデモクラシーである。市民政治である。しかし近世の産業技術とその知識の根拠は古代ギリシアにはなかった。古代ギリシアにあったのは自然哲学とソクラテスの人間哲学であった。そこには科学哲学はまだない。従って科学的思考を裏付ける人間の知的根拠はそこには求められない。自然哲学は自然にプシュケー(魂)を見ていたからである。

デカルトが追い込まれたとどのつまりは古代ギリシアの自然哲学からも中世の修道院護教神学からもはみ出た、孤独な「我」であり、ある意味ではデカルトはその孤独な我であることを決意したのである。近代的自我の発生はこうして生まれた。そこでは科学的技術・知識を以て歴史の転回が行われたのである。こうした過程の中でデカルトは人間の本質的な有様に接触している。自分たちの生き方に根拠を得る必要があって、その根拠は形骸化した自然哲学からも教会哲学からも実質的に自立して存在するということであった。それが、デカルトが獲得した独立であった。それゆえデカルト的自我は独我論であるとの批判を蒙ることになった。しかしここにはデカルトの錯覚がある。錯覚とは、その「我」を実体存在者だと思ったことである。そしてその実体を瞑想することに専念せず、実態から離れてその外に向かっていったことである。そうした経緯を以下に述べる。

先ず、近代的自我観の基礎付けとなったデカルトの命題「我思う故にわれあり」の分析から検討する。

 

第2節 デカルトの命題にある幾つかの我

1)コギトの解体

初めに述べたように、当時の時代状況の中でデカルトは確実なものを求めた。そして「我思う故に我在り」という確信に到った。これはデカルトが自分の存在を確信した言葉である。しかしどんな存在を確信したのかはこれだけではよく分からない。そこでそのことについてこれまで多くの人たちが解釈して来た。ここではそうした解釈に囚われず自由に考えてみる。

この「我思う故に我在り」は「我思う」の我と、「故に我在り」の我によって成り立っている。前者を思惟の我(我1)とし、後者を存在の我(我2)とする。それから実はその他にもう一つの我がある。「我思うゆえに我あり」だということを自覚した我がその外にいる。これを自覚の我(我3)とする。「『我思う』に気づいた我」(我3)は「我在り」(我2)と結論付けた我であろう。このとき「我在り」(我2)の我は「『我思う』⇒思っている我」(我1)の我であろうか。つまり(我2)は(我1)のことであると考えられるだろう。(我1)と(我2)が同じであるかないかによって事情はどう違うかを検討してみよう。

2)(我1)と(我2)が同じ我であるとする場合から始めよう。

「我思う故に我あり」の命題を分析すると、「我あり」(我2)という結論は「我思う」(我1)から引き出されたものである。つまり「我思う」(我1)は「我あり」(我2) の根拠となっているのである。ここで奇妙なことに気づく。(我1)も(我2)も同じ我であるとすると、「我あり」という結論が「我思う」という根拠に先取りされているということになるのである。であるから「我思う故に我あり」の命題の示していることは、「『我思う』は『我在り』を含んでいる」ということである。つまり根拠の中に既に結論が前提とされているのである。「我思う」と「我在り」は「故に」という関係ではなく、同一の関係なのである。言い換えると「(「我在り」という)我は思う。故に我在り」ということである。もう少し見ると「我在る故に我思う」ということにもなるのではないだろうか。「我思う」ということの自覚によってその背後の「我在り」ということに気づいたということではないだろうか。従ってこの場合「我在り」ということの根拠を示していることにならないのである。このようにデカルトのコギトはよく考えるとおかしなことがあるのである。

3)(我1)と(我2)が同じ我ではないとする場合を見てみよう。

「我思う」(我1)の背後に「我在り」(我2)が隠されていないか、あるいは隠されているとしても(我2)とは違うものではないかという可能性を見てみよう。デカルトの命題が前提にしていることは「我思う」において「我」が「思う」とされていることである。この我は近代的自我とされている我である。デカルトのコギトは近代的自我の確立ということで西欧哲学の基礎となっている。しかしこの命題は幾つかの刺激的な思い付きを与え、それらが奇妙で魅惑的な混乱を引き起こして、迷路にはまり込んでしまうのである。この魅惑的な迷路の中で近代的な自我が顔を出し、「我在り」という悟りのような位置を獲得するのである。そこでその近代的自我というものはどんなものかを検討してみよう。「思う」「我」(我1)は「在る我」(我2)ではない。まだ存在に届かない我である。言語の意味としては矛盾する。というのは「我」という語は存在を内包しているように私達は使っているからである。しかしここではその一般的用法に従うことができない。すなわちデカルトの近代的自我はまだ存在に届かない「思う」だけの「我」ということである。否、「我」とも言えない、「思う」何かである。否、何かとも言えない。「思う」現象なのである。しかしデカルトはそれに気づいていない。気づいていたとしてもこの「思う」現象だということを採用しなかった。そして「我」を実体化してしまったのである。

4)近代的自我の姿

近代的自我というものは、中世的な教会支配下の人間観から、何者にも支配されない独立した人間へと移行するところに発生したものであることはすでに述べたことである。近代が中世のキリスト教支配から抜け出すためには神という人間存在の根拠に変わるものを捜し求めねばならなかった。デカルトはその根拠を「我思う故に我在り」によって、「我思う」に置いたのである。近代人としてデカルトは明晰なものを求めて一切を疑う内に、疑う自分だけは疑い得ないということを発見したが、彼の疑いの始まりは近代人としての自我である。だからこの「我」はデカルト的近代的自我をはじめに置いているのである。そもそも疑いは近代的発想である。だから自分だけを信じようという主張をしているのである。従って明晰なのは「我在り」なのではなく「我思う」である。この近代的自我としての我は孤独である。なぜなら何者にも根拠を置くことを拒否しているからである。従ってこの我はどこにも存在していない。というよりただ思うだけである。「思う」ということは「在る」から成立するのであるが、そんな常識的な規範はここでは拒否されている。もし一歩譲っても、どこにあるかということを示してはくれない。何故なら「思う」ということが始まりで、そこ以外に世界はないからである。従ってあるとすれば、「思う」という世界に在るとしかいえないのである。しかもその思うという世界は一切のものを疑うという近代的な「思う」である。だから存在でさえ「思う」を根拠にせざるを得ない。そこ以外のどこにも存在できない。もっと言うと、デカルトの命題には本当の意味での存在はないのである。「思い」だけがあって、近代的自我は思い続けなければ存在できないという構造に落とし込まれているのである。

結局は「我思う」の「我」つまり(我1)は表現上の「我」であって、欧米言語では欠かせない形式主語的な役割を果たしているに過ぎず、空虚なのである。しかし「我」という表現のせいで「我」の持つ内容が入り込んで混乱させているのである。従ってデカルト的近代自我は空虚で形式にすぎないものとなる。もっと言えば実在しないものということになる。そして「思う」だけが真実だということが判明するのである。しかしデカルトはその「思う」に「我」を置き、実体化してしまったのである。

5)デカルトの命題の奇妙な魅力 (「我思う」に見る「2つの我」)

デカルトの命題が奇妙な魅力を持っているのは、なんだか魅惑的なインスピレーションを我々に与えるからである。その正体は一体何であろうか。「我思う」の「我」(我1)がデカルト的近代的自我だということに拘らなければ、「我」はそれほど孤独な立場にはいなくなるのではないだろうか。先に見たようにこの命題は「思う」ということが先にあるが、この「思う」が近代的な排他的「思う」ではないという場合を考えてみよう。命題からのインスピレーションは(我1)にデカルト的近代的自我ともう一つ別な「我」を同時に示してくるのである。この別な我を(我?)としよう。しかし(我?)は(我3)ではない。(我3)は「我思う故に我在り」全体を見ている我で、いわば結果的な我である。それに比べて(我?)は「我思う」の「思う」の現れる前の「我」とも言えない現象である。つまり「思う」が現れたのである。(我?)は我というよりもっと他の何か(ー?)である。しかしここでは(我?)としておく。

(我1)は、欧米語は必ず主語を必要とするから、私達日本人的には必要としない「思

う」だけのところを、「我」を主語として入れて考えることによってつけられた所謂、形式主語である。「(我1)とはそうした複合的な曖昧さの中で、何かに魅了された幻惑によって、近代的自我だけを樹立してしまっているのである。魅惑的なのは(我?)の方であるにもかかわらず、それは置き去りにされ、孤独な近代的自我にその魅力を、幻惑のうちに盗取されて、独占され、隠れてしまっているのである。偽装しているのである。これを「コギトの幻惑」と言いたい。私はそれを「天岩戸隠れ」に連想する。

 「天岩戸隠れ」は日本神話で天照大神が岩戸の中に隠れてしまって世の中が真っ暗になって困った事件である。これは歴史的事件と言うより我々の内的深層意識の話である。つまり(我?)が隠れていて本当の自我が分からなくなっている状況である。「天岩戸開き」は我々の天照大神(我?)が開かれて再出現することである。デカルトはその深い自我に届いて接触したものだと思われる。コギトはそうした非論理的な直観世界を再現する呪文のようである。

6)「コギトの幻惑」

デカルトの命題の不思議な魅力は、上記「4)近代的自我の姿」で見たように、デカルト的近代的自我は孤独で、根拠のない、身勝手であるしかないものであるから、そこにあるというより、前述 5)の(我?)にあると言える。しかしその(我?)はコギトの発想に複合されているが、いつの間にかコギトの示す世界からは消えているのである。コギトの魅力の根拠ではあるが、コギトの晩餐には招かれてはいないのである。近代的自我観の中には含まれていないのである。しかし近代的自我観はその(我?)の存在を隠してしまって、その魅力だけを取り込んで、自らが魅力的であるかのように欺いていると言えるのである。こうした過ちを「コギトの幻惑」と私はいう。

コギトの幻惑が犯される原因は私たちの洞察の光がその分野にはまだ達していないということによって起こるのだろうと思われる。デカルトは中世の教会主義や貴族支配から逃れる原理を打ち立てる目的のためにこの真我の方向を見失ったと言える。もしデカルトがそうした政治的、権力的な目的に関心がなく、真我を求めていたなら(我?)に到ったであろう。ここには日本的倫理性の道を究める生き方との根本的な違いがある。近代において指針を見失ったデカルト達はその近代的自我を着想することによって、この幻惑を犯してしまったものと思われる。

 

第3節 「思う」と主体

1)「思う」主体の存在

 私は「第2節 4)」で「思う」だけが事実であると推断し、5)ではその主体として(我?)を提示した。この(我?)はその正体はまだ明確ではない。ここには「思う」の主体はあるのかないのかを含めて、あるとしてもデカルト的近代自我「我1」とはおよそ様子の違ったものであることから、それがどういう様相なのかを見てみる。

①    「思う」主体はあるのか:その疑問から再吟味してみると、第1に、「思う」というこ

とは主体がなければ成立しないものだろうか。ハイデッガーは「思惟は向こうからやってくる」(「思惟の経験より」ハイデッガー 理想社)、という表現で、このことに関連することを暗示している。言葉的には我思うは主語と述語の関係である。この場合、主語は名詞で述語は自動詞でもあり、他動詞でも有り得る。我々の言語では名詞は存在者であり、動詞はその存在者の行動である。そこで「思う」というからには「我」という主体が当然前提にされているのである。しかし我々のこの言語用法は必ず妥当なものであろうか。デカルト的発想はこの言語文化への無前提な信頼に基礎を置いているのである。平安文化や万葉文化の中に私たち日本人は主語のない表現を持っている。三上文法では「思う」には主語ではなく主題があると言われる。これは何を提示しているのであろうか。

 「思う」の主体と「思う」と言うこととの収拾は西田幾多郎の場所論にヒントがある。これはこの小著が目的とする日本的倫理性が追及している確信的な問題に関わる。私は「第2節 3)」で「『思う』現象」といったが、その現象の主体はデカルト的近代自我「我」とはし難い。近代的自我の範疇を超えているからである。現象する「思い」が「我」をも伴い、「存在」をも伴ってくるのである。従って「思い」にはデカルト的な意味での主体はない。その「思い」とは何であるのだろうか?それは認識の淵に届いて意識化した現象である。それは単に認識に限定されるものではなく存在そのものが意識と化したものであり、存在と無縁などではない。「思う」の主体として(我?)が候補となるなら(我?)はこうした存在に匹敵するものである。

②    「思わない」主体:デカルトは「我思う」ということを最も明晰なこととしたが、「我

思わず」ということにも言えるのではないだろうか。思わない「我」は明晰ではないのだろうか。「思わず」とも私達は存在しているのではないだろうか。思い続けなければ存在できないことはないのである。それはデカルト的近代的自我観が「思う」ということを存在根拠にするという無理から来ているものである。「思わない」「我」は「思う」ということによって保障される「我」ではない。すなわち近代的自我ではない。この(我?)としている「思わない」時もある「我」はデカルト的「思う」時の「我」をも含みこんでいるものである。デカルト的近代的自我は「思う」時しか存在できないが、ここに(我?)はそれにかかわりなく存在している。この「思わない」主体とは何であろうか。無念無想の「我」存在とでもいえようか。「思い」も「思わぬ(無心)」も共に遍在している世界である。ここにこそ(我1)のはじまりが伺えると思われる。「我思う」の始まりはこの主体の存在主張であるともいえる。コギトの幻惑によってこの主体は近代的自我に錯覚されてしまっているのである。こうした幻惑に陥ったとはいえ、こうした失われた自己の基盤を求めさせたのはこの主体である。この主体に焦点を当て、この主体に帰るのが現代のテーマである。デカルトが明晰確実なものを求めた本来的動機となっているのはこの主体への志向性であると思われる。しかしその志向性はコギトの幻惑によって薄れ、抹殺され、魅惑的な香りだけを残して、姿を隠しているのである。しかしこの主体としての(我?)は①で見たようにデカルト的な意味での主体とはおよそかけ離れたものである。

③    何が明晰さを求めたか:そこで、デカルトは「思う」という近代的行為のみを明晰で

あると主張したのである。しかし今見ているように、「思わぬ」という行為も不明晰ではないという主張をすることができるのである。ここでは「我思う」のは必ずしもデカルト的な「我」ではない「我」であるという発想が持たれている(我?)である。デカルト的には、一切を疑い確実なものを得ようとする時その発想を持つのは「我思う」の「我」であろう。この「我」はデカルト的には近代的な自我であることを我々は見てきたが、ここではそれと違って(我?)としての「我」としている。この(我1)は明晰確実なものを求める「我」である。デカルトは明晰確実なものを求める「我」がいることだけは明晰確実だといったのである。しかし明晰確実なものを求めるのは必ずしも近代的自我だけの専売特許ではない。一体明晰確実なものを求めるのは「我」であると断定できるのであろうか。明晰確実なものを求めている何者かがいて、その何者かは「我」であるということではないだろうか。「我」とはそういうものではないだろうか。「我」が先にあって求めるのではなく、求めが先にあってそこに「我」が発生するということも言えるのではないだろうか。歴史的事情から明晰確実のものを求める自我が形成されたことは言えるであろう。そうした自我は近代的自我と言えるであろう。しかし明晰確実なものを求めるのは歴史的事情や環境によって形成されずとも、人間の本性的な欲求であり、デカルトの(我1)はそうした両面性のある「我」として混同され、本性的な欲求が言語的・文化的という環境的欲求にスリップしているものであるというのがここで主張されていることである。この本性的欲求の出所を(我?)としているものである。

明晰確実なものを求めることは、古事記的には、思兼神(思い兼ねの神)の業である。天照大神が天岩戸隠れの折、天の安河原で諸神と諮り岩戸開きを計画することがそれであるように連想する。

酒井潔氏が「自我の哲学史」において、「こうしたデカルトのコギトは「懐疑を方法としながら、実は最初から、我の存在並びに意識(思惟、コギト)の明証性を2つの聖域に設けていたのである。懐疑が真に徹底されるべきでなら、そうした私の行う説得、あるいは思惟そのものも否定されなければならなかったはずであろう。しかしデカルトの懐疑は、「私」の存在には向けられぬばかりか、意識の、疑ったり自己説得したりする働きそのものの明証性にも決して向けられない。」(PP.39-40)と指摘するのは当を得ている。しかし私はこうした酒井潔氏の指摘どおりではないと思う、つまりデカルトの作為によるものではないと思う。次の第3節でみるように西欧近代個人主義の本質を示しているものと考える。その前に末永氏文美士が、この(我?)に関連したことをマリオンの「存在なき神」によってのべている説を次に検討してみる。

 

第4節 コギトの発展

1)マリオンの存在なき神

末木氏は近代科学の合理主義によって説明される世界を「顕」とし、それに対して近代科学・合理主義によっては説明がつかないが故に、迷信とされて存在を抹消された存在を「冥」とし、その意義を主張する。そしてハイデガーの存在論に唱えられている存在者の陰に隠れている存在を「冥」なるものとし、着目することを主張する。しかし「顕」はもちろん「冥」も存在を問題として議論される対象である。真の存在はそうした存在を超越して「溟」としても現れることがないものである。マリオンはこうした「顕」や「溟」のような存在者ではないところに(我?)に類似して存在なき神=神とした。これに倣って松木文美士氏は有無を超える無=無を主張している。それは有と対立する無ではなく、有無をともに入れる根底なき無(←マリオン的)である(「哲学の現場 日本で考えるということ」末木文美士 トランスビュー PP.141-142 下図は同著より転載)。これは私の言う(我?)あるいは(ー?)に関係する世界であると思う。

 

 

2)カント認識論への発展?

デカルトはこの疑問を「哲学原理」において意志作用によって解消している。「思う」という意識の極めたことの真偽の決定は意志が行うというものである。コギトの「思う」には「意識と意志」とが含まれており、そこにデカルト的コギトの魅力が潜んでいるのである。しかしデカルトがその意志としての部分を捨象し、性急に意識の部分に偏って進んだことが違和感を持たれるところである。

 カントがこのデカルトの意識的部分を強調し、判断力批判において意志的部分を寸断し、主観における現象世界として世界を理論づけたことはそののちの欧米哲学や科学を発展せしめるに大変評価されるところであるが、果たしてそれで、デカルトのコギトがカント哲学の未発達型ということができるかどうかは疑問である(「哲学原理 ルネ・デカルト」から考える私」を読む―」荒井正雄 愛知教育大学学術リポジトリ)。

 デカルトのこの意志作用を、カントの認識部分や、それを取りまとめる超越論的自己意識(統覚)と考えることは一面的には納得できることである。というのは、デカルトは意識の発生や意識の現象も超越論的自我に内在的するものとすることを打ち消していると思われず、これはカントの統覚に類似するからである。しかしコギトを確信させるものはカントの統覚とは別で、「在る」ということを決定した意志作用である。カントの統覚に相当する「思う」ということが「我」に帰属するのであるから、そこにも意志作用があるのではないかということが言えれば、デカルトの意志作用はカントの統覚と言えるであろうが、この場合「在る」と意志した意志作用は除外されていることになる。つまりここには「思う」という意識行為と「在ろう」という意志行為とが混同して同居しているのである。そしてカントはこの同居を切り離し、意識から「在ろう」という意志部分を避けてしまったのである。

 これに対してデカルトのコギトは、カント哲学の未発達型というより、まだ日本的倫理性がテーマとする意識と意志の未分離状況が残されていると考えられる。デカルトのコギトにはこの合一点が見られると考える。この意味ではデカルトのコギトは日本的倫理性の方向に踏みとどまっているものであり、その故に我々はコギトに何か強いインスピレーションを感じるのである。

 西田幾多がその「デカルト哲学について」で以下のように記述していることが該当するだろうと思う。「私はカント哲学に到って、純粋な科学の哲学に入ったと思う。カント哲学は科学的自己の自覚の哲学である。しかし単なる科学の世界は、自己自身によってあり自己自身を限定する真実在の世界ではない、真の具体的実在の世界ではない。最初に言った如く、カントはこの問題を打切ったに過ぎない。実践といっても、そこからでは形式的規範が考えられるだけである。カントの実践哲学は、近代社会における市民道徳の基礎附けである。私は決してカントの道徳的規範を無視するものではないが、今日の歴史的世界は新なる哲学の出立点となる実践原理とを求めるのである。我々はなお一度デカルトの出立点に返って考えて見なければならない。」(「デカルト哲学について」西田幾多郎 青空文庫)
3)日本的コギト

西田的日本精神性は、つまり純粋意識の分離と合一の両側面にあるという、日常の凄惨な生活世界で、その凄惨な状況は変わらないままでは、どんな意味があるのかというと、その凄惨さが無に基づくものであるということを知っているというところにある。

これはすべての事象を客観的科学的に把握しようという欧米のやり方と目的を同じくするようである。これが西田にしてさえもデカルトのコギトに「デカルトの「余は考う故に余あり」は推理ではなく、実在と思惟との合一せる直覚的確実を言い表したものとすれば、余の出発点と同一になる。」と言わせるほどに微妙な思考の流れがあることに依るコギトの誤りのもとである。

西田をしてかく言わしめたデカルトのコギトの微妙なミススリップは「第2節 6)コギトの幻惑」で見たところである。

日本精神性においては、意識はやがては純粋意識へと成長していく連続性にあるものであり、これをどこかで区切るということには合点がいかないところである。意識は純粋意識である以外には言いようがないのが正直なところである。従ってデカルトのように自我意識として実体化することには違和感がある。しかしデカルト的自我意識はそれだけが明証であると言い、それ以外が打ち消されることは、意識には自我も純粋も区別されないという日本的意識観に基づけば、同様な主張にあるかのように錯覚される可能性が大きい。この点で西田もデカルトのコギトに自身の純粋意識との類似を感じたのかもしれない。そしてデカルト自身もコギトの明証性の精神状況においてこの西田的な純粋意識に近接したかのように思われる。デカルトのコギトの明証性は論理的展開によって到達したものではなく、直接直観によるものであるというのは、「疑っている私の存在は確実である。」というコギトは論理的結論ではなく、即的直観であるといえるからである。即観と言える。論理的に展開するなら、コギトは論理的誤りを犯しているものである。つまり「我思う、ゆえに我在り」は我ありの覚悟の前に「我思う」という我を持ち込んでしまっているから、論証すべきことを先に使っている誤りを犯しているからである。

しかしデカルトのコギトにはそうした論理を超えた「我あり」という覚醒が起こっているのである。その覚醒は霊的とも言える体験であり、「我あり」というものとされ、ここから近代的自我が発生するのだが、この「我あり」の直観は「我」より「在り」ということの確信であるだろう。何者であるかということではなく、存在者の存在の確実性を直感したものではないだろうか。ところがここでデカルトは(我)の側にスリップインしているのであり、ここに西田との決定的な違いがあるのである。西田はデカルトのコギトに実在と思惟の合一を見たが、しかしそれは無におけるものである。西田における「無」は無私から連鎖的に無が連続して、ついには存在者の無へと溶け込んでいく。デカルトの体験は西田がみたように思惟と存在の合一であると思われるが、その存在は存在者の存在の直観ではなく、逆に自我を志向していた。この自我意識はついには西田の言う純粋意識とは異なる。そこには反省意識が混入しているといえる。デカルトは明晰なるものを求めたのであるが、その根底には「自分にとって明晰である」という自我に基づかせるという反省がベースにあったといえる。この点において酒井潔氏をして「こうしたデカルトのコギトは「懐疑を方法としながら、実は最初から、我の存在並びに意識(思惟、コギト)の明証性を2つの聖域に設けていたのである。」(前掲書 酒井潔)と言わしめるものと思う。そしてそれはむしろデカルト的な欧米の近代的エゴの本質を示しているものではないであろうか。

こうして西田的日本的精神性は無私に基づく意識の基礎づけにあることが分かる。我々は無私の世界においての意識によって生きていこうという姿勢にあるのである。この姿勢の効能は仏教的に言えば自我観による無明からの解放である。それは、自分が何者であるかを求め、また日々の生きる意味や基盤や目的を追求することに覚醒を得て、安心に生きることを可能とするものである。先ず真理というものはあり、それに至る道があることの覚悟による安心である。さらに私の意識や考えや悩みや苦しみ等などが私のものというより私が存在している全世界のものに他ならないという合一観から来る覚悟の世界を歩むという明らかな境地である。

我々は理屈によって、論理によって納得することでこの問題を解決したいのではない。我々は確信して、即的直観によって自らの存在や生きることについて知りたいのである。それは学問や研究が可能とするものではなく、学問や研究はそれへと導く場合もあるものであるが、即観を与えるものではない。日本的倫理性はその即観を得ることをテーマとしているものである。

 この即の観はそこに至るために諸々の方法があり、それぞれ素晴らしいものである。たとえば「日本仏教」諸派や種々の「道」などを上げることができるであろう。

4)デカルト的近代自我観と日本的自我観の対照

自我観について、デカルトの近代的自我観はそのスタート時点から間違っていることが考えられる。「我思う故に在り」の「我」は基本的に我々にとってはまったく異質なものである。日本人には「I」はないという見解がある。日本人の「我」は欧米人の「I」とは根本的に違うものである。日本人の「我」は社会を引き連れて、社会を含めようとする志向性に基づいて形成されているが、欧米人の「I」は社会から区切られ、社会から独立したところで形成されようとする志向性に基づいている。従ってコギトははじめから我々日本人には求めの外にあるものである。(「日本人の脳には主語はいらない」月本洋)

 デカルトの「我」が欧米の言語脳の構造からくるという見解から見ると欧米人にとっては「我」は必然的なものである。しかし日本人にとっては必要としないものであるからそうした自我観はテーマとならないものである。

 しかしグロバリゼーションの見地から国際理解のためには欧米人の拘りを理解するという意味では必要である。欧米的な自我は先ず自他の観念を定立し、自他分離観が強いということを理解しておくことが大切である。その上で共有観を提示し、共同性を樹立するという手続きが必要なのである。日本語が明治以降欧米観念を造語したのはこうした欧米的観念を理解することによって欧米脳に配慮できてきたということになる。

欧米脳においては自我が確実ではないというところにある。つまり、言語野が自我を感知する視覚野から距離があるのでいったん自我を定立するのである。日本人においては同じ左脳の視覚野から直接言語野に伝わるので自我を定立する前に会話が進められる。したがって欧米脳では自我は明確に言語化されており、自我の説明や確立は重要な問題である。デカルトの自我はそうした背景で追及された。そうして確立された自我が人間のあり方に自我という軸を供与しているのである。

この自我「I」は我々日本人には必要としないものである。この自我は自我の外在化をもたらす。欧米人が母音を右脳で聞くということによってその隣にありそれに連動する分離脳が自我ばかりでなくあらゆる存在についても外在化する作用をすることはあり得ることである。欧米科学精神はこうした分離、外在化に基づいているということになる。

日本での科学は欧米的分析や外在化を方法論的に採用して発達している。日本人の脳は合一的に理解するので問題の解決を自分の側を改善することで解決しようとする。また証明や理解も内的な同意や同情によって解決しようとする。例えば乗り物について、欧米人は道路を石敷きにし、アスハルトを敷き、車や列車を作り出した。日本では牛車を籠に変え、つまり自分の側を変えようとする。欧米的手法ではエヴィデンスによって立証し、同意を得ようとするが、日本人は同情に訴え、地縁血縁に寄ろうとする。つまり内在的に合一しようとするのである。那須与一の弓矢も内的な同一により、オイゲント・ヘルゲルの弓道の世界もそうである。自我観においてもこうした内的な解決を図ろうとするのが日本人的で、デカルトのコギトについても日本人的な反応では、自我の内的な合一の追及と受け止められる。しかしデカルトにおいてはそうした内的合一は自覚されていない。しかしそのコギトは内的な合一に近接している(「日本人の<わたし>を求めて 比較文化論のすすめ」新形信和 新曜社)。

 日本人がコギトから受けるインスピレーションは内的な合一観である。内的な合一間とはすべての世界が自分と合一することである。これは西田幾多郎の純粋経験や絶対矛盾の自己同一に共通する。日本人にとっては、コギトは存在との合一観の獲得・自覚を意味するものである。

一方欧米的にはコギトは「我」が「思う」という行為に外在する。「思う」ということが純粋に直接的に在るものである。純粋で直接的であるから明晰で確実で疑いの余地のないものなのである。しかしそれはデカルトのように「思う」は「我」という存在者へとスリップインするのである。この我は完全に分離された、独立したものであることが求められる。いわゆる実体とされるのである。


日本的倫理性 2 要約

2018年03月25日 | 日本の原体験

要約

第1章 私は誰であろうか
この章では現代欧米倫理性の近代欧米自我主義の樹立者カントの自我論を扱う。
第1節ではその歴史的経緯を説明している。教会や貴族という支配者達に代わって台頭したブルジャジー達には新しい支配原理が必要であった。それがデカルトのコギトである。何物にも支配されない独立者「我」である。
第2節ではその命題「我思う故に我あり」を分析し、その「我」を詳細に分析している。第1項では3つの「我」に解体された。第2項ではこれらの「我」の関係が分析され、第3項では「我」の実在は「思う」と現象によっているのではないかと指摘され、第4項はこの点がもっと追及され、「我」の実体性が疑われている。そこで「思う」が明晰なのであり、実はデカルトには存在はないのではないかと推断される。ここにデカルトの過ちがある。第5項、にもかかわらずデカルトのコギトには奇妙な魅力がある。その出所の原因はコギトの背後に隠れている(我?)にある。この我は捕えがたく「我1」にスリップしてしまう。「我1」は(我?)の魅力をまとって魅力的にわれわれを欺いている。これを「コギトの幻惑」という。第6項は「コギトの幻惑」を定立的に確認している。
第3節は「思う」は主体を有するのか、またそうだとすればどのような主体なのか、その実状はどうかを問題としている。第1項は「思う」にはデカルト的な意味での主体はなく、先ず現象であり、(我?)を提示しているが、西田幾多郎の場所論をヒントにしたい。それは「思わぬ」ということも含めた何ものかであり、また明晰を求める何ものかである。
第4節では第1項は(我?)のヒントとしてマリオンの存在なき神を示し、第2項ではデカルト的「認識と存在論」をカント認識論へと展開してみた。その結果カントはデカルトの(我?)への可能性を閉じてしまっている。デカルトにはその意味で日本的倫理性への道は開いていたと考える。第3項ではデカルトのコギトから日本的なコギトを思案している。デカルトのコギトは実は西田哲学の純粋経験や純粋意識に接触するものであるが、実体的「我」にスリップしたものであることを指摘し、第4項ではデカルト的「I」は日本的な「我」とは根本的に違っているので、我々はデカルト的コギトにではなく日本的倫理性によって生きていく道があることを言っている。例えば欧米のように自己を外に外在化し、外を変えるのではなく、自己の中に内在化し、中を変えていくという文化傾向などに象徴される。

第2章 ジョン・ロックのタブラ・ラサ
第1節では、タブラ・ラサにはマジカルな力があり、近代以降大きな影響力があるということを言っている。その訳は、私たちの精神が白紙であるということは強いインスピレーションを与えるからである。
第2節では、その白紙状況の実態を調べている。第1項では現実的に私たちが白紙であるというのは立証されているのかという観点から調べると、時間的に初めが白紙であるというわけではなく、精神に感覚や観念が発生するプロセスにおいて白紙であると言っているようである、と言っている。第2項では白紙状況は感覚と理性によって埋められ、第3項ではこの感覚や理性と言う認識能力の発生問題を提起し、第4項でそれらが身体に起因するものだと言っている。ここでロックの理性の位置づけには課題が残ると指摘しているが、課題を残しながら第5項ではその裏付けをしている。第6項はそのロックのタブラ・ラサは知識主義的で環境主義で、そこには私たちの主体的な自我のようなものが見えないと言っている。ロックはデカルトの生得的理性を批判するが、第3節ではこのロックの問題の所在を検討する。
第3節では英国経験論的な認識の構造を検討する。先ず感覚について検討している。第1項では感覚は感覚器官(身体)外部から感覚器官を通してやってくる、つまり対応しているということの検証をする。そうすると第2項では黄色と痛みの感覚の事例から感覚性質は感覚器官の外部のものとは違うということが判明する。そこにはクレパスがあってパラレルがみられる。結果的には感覚性質の所在は不明である。第3項ではこの問題の大きさを指摘し、第4項でこれらの間を埋め合わせているのはワープ現象であると主張している。第5項は言語とここにおける言語の役割を指摘しているが、ここにもパラレルとワープ現象が出てくると言っている。第6項ではこうした直接的な関係を立証できない、パラレルなそれぞれの世界が言語的・感覚的に現象することを認識の場で説明できないかといっている。次いで第7項からは理性ついて同様に検討している。第7項では理性の位置づけから見ると、ロックのタブラ・ラサは現実的には成立しないもので、論理的設定でしかないとわかり、第8項でこうしたロックの理性には行き詰まりがあり、認識と実在の問題の解決に依る必要があると考えている。カントの物自体の問題に波及するが、理性においても認識の場があげられる。
第4節ではロックのタブラ・ラサに提案をする。第1項ではタブラ・ラサはロック的な感覚知覚や理性観念だけがその内容とは限らないので見直せないかというものであり、第2項ではロックの感覚と知覚や理性と観念とがパラレルであるように、知覚や観念とタブラ・ラサの内容ともパラレルであれば、パラレルを解消する場所について考える必要が出てくることになる。第3項ではロック的タブラ・ラッサの呪縛を分析している。白紙状況は日本的倫理性の本質である禅的無我の境地を連想させ、それゆえに強いインスピレーションに魅了されて、いつの間にかスリップして無我の世界を経験的物観念に侵されているという仕掛けになっている。第4項ではその結果の物化した私たちを自覚し、第5項で本来のタブラ・ラサである無を指示し、第6項では日本的倫理性である悟りへの展開を提案している。

第3章 ライプニッツのモナド論について
ライプにチュのモナド論は総合的・体系的でその自我観はユニークで説得力に長ける。
第1節ではモナドについて予定調和を含めて一応の外観をする。第1項はモナドについて、具体的な個である実在で、実体観念であるが、窓がない、しかし一つ一つのモナドそれぞれ宇宙である。これは人間個々人にも当てはまる。疑問はそうしたモナドとモナドの外との関係はどうなっているのかということである。ここでの枠内の論点は重要である。論理的に固定された実在がその論理的説明を満足しながら、しかもその論理を超えて実在しているということであるが、それより重要なのは、モナド論の「モナドには窓はない」の定義がモナド論的にその定義を満足しながら、その定義からはみ出るという、モナド論的不思議世界を描いているのである。第2項ではその関係は予定調和によって説明される。横同士の連絡や情報がないまま宇宙自然現象だけでなく人間社会現象も秩序を以て展開するのはこのあらかじめ神が各モナドに設定してある予定調和によるものである。
第3項から第5項までは上記の説明が先取りして説明した。ただ第5項では予定調和にワープ現象を重ねてみることができるということを述べている。
第2節ではモナドを人間個々人と見なして自我観から考えてみた。第1項ではモナドの特に認識論的意味を英国主観主義特にJ.バークレイの絶対的主観主義と対比した。第2項ではそれを受けて、認識と存在について、モナド論的観点に入る前に、その問題点を説明している。第3項でも同様にカントの物自体問題を認識と物自体の断絶という困難から説明している。であるからモナド論も個人主観の域を出ないということで存在との断絶は解消できなのではないかと言っている。しかし第4項では予定調和によってその難を逃れると言い、第5項で窓がないにもかかわらずモナド間には現象的に窓があるかの如くに共時現象が起こっている。本文ではアナロジーと言っているが、パラレルな世界間でのスリップ現象といっている。このようにしてモナド論は窓がないことを基本としている。そこに欧米的な強固な自我主義があるとみなされる。
第3節ではモナド論から近代的自我観の本質を見ようとしている。第1項ではモナド論の本質は個人が教会や国家の支配の及ばない神に直結した神聖にして侵さざるものというところにあると言っている。それはデカルトやロックと同様な個人観で近代的自我観の樹立と政治的主権獲得にある。第2項ではモナドと個人のパイプについての問題と、窓のないモナドという個人同士での他者との関わりについての問題を扱っている。この他者との関わりはモナド内での他者との関わりではない。第1節第1項を受けてモナド外他者との関わりを論じている。「モナドには窓がない」にもかかわらず、中と外とがここでは行き来しているのである。異なる次元のものが次元を共有することによる矛盾の成立を見る。こうして自我の位置を獲得しているのである。第3項ではこうしたライプニッツのモナド論は実は強固な自我を構築しているが、一方日本人はそうした自我の構築をから遠ざかると言っている。第4項では第3節第2項の「個人と神との交流の仕方」がテーマである。3通り考えられる。ⅰ神が個人を支配する、ⅱ個人が神に溶解する、ⅲ個人が存在しながら神に溶解する、である。ⅲを矛盾的として強固な自我に逆行する矛盾的自我観と考えている。そして第5項ではその先の神問うている。ライプニッツにおいてはキリスト教の、ヤーベの神であり、日本的倫理性に取っては八百万神であり、自然神である。そこに強固な自我と柔らかな自我との違いがあると言っているのである。
第4節では、モナド論が絶対主観的な「モナドには窓はない」というスタートからはじめているが、認識論には大きな落とし穴があることを指摘している。モナド論はこれをかわしているのだが、先ずその落とし穴を見る。第1項では認識論の自己矛盾から来て、自らをがんじがらめにしている構造を見ている。認識の構造は内側と外側にある。内側では、感覚器官外の物⇔感覚器官⇔感覚・感覚現象⇔感覚性質⇔知覚という具合に流れを分析するが、これらの各部分はみな分断されている。認識の外部に関しても同様で他者についてみると、他者の認識は他者のものであるかどうかの確認は難しいのである。ここでも分断されており、認識が成立しがたくなるのである。これを認識の呪縛と言う。認識を確かなものにしようとして却って認識が成立しがたくなるからである。第2項では物自体の幻惑を指摘している。結論から言うとカントの物自体は存在しないものである。根拠の基本とするところは、認識は認識以外のものでは有り得ないということである。従ってすべての認識以外のものは認識されない。これは第1項の認識の呪縛に関わる。ライプニッツのモナド論から見ればすべての認識はモナドの認識の中のものであるから認識できる。他は認識できない。カントの幻惑は物自体が「認識対象でない」ことを「認識できない」とスリップしたところにある。「認識できない」は2義的でこの2つの意味を我々に伝達する。そこで幻惑と言う。そのため物自体存在が存在位置を占めるのである。正確にはカントの言う認識できないという意味での物自体は存在しない。「認識対象ではない」物自体の存在は第4章に譲る。第3項ではモナド論はこの2つの誤りをかわしていることを述べている。
第5節では、西洋的自我の自己同一的、連続的、統一的な自我に比して日本的自我の非同一的、非連続的、非統一的を対比しそこに我々の問題があることをのべている。

第4章 カントの物自体論
カントの物自体については第3章第4節第2項でかなり立ち入って、結論的に述べた。
第1節では物自体と認識ついてカントの認識論を述べる。第1項では物自体はカントの
超越論的自我も含められるが、落ち着きどころの悪いものであるとされている。第2項では他者を物自体の事例の代表として、認識論的に考察している。この物自体を、つまり本文中の②b「認識は認識であって存在とは別なものである」という認識論の原理を確定して、物自体の認識についての議論に入る準備をしている。第3項では③「存在は認識によって決定される」と④「存在は認識とは別物であり認識は存在問題に侵犯してはならない」の2つの問題を検討している。④は上記②bを踏まえた認識論の原理から来るものであり、認識に上ったものは存在とはされないという主張である。③はその逆で存在は認識によって決定されるというテーゼである。第3章第4節2)の引継ぎの問題である。この④と③の2つは認識と存在にジレンマを持ち込んでいる。第4項は直観を問題にしている。直観についても認識の原理が当てはめられている。直観は表現してしまえばもはや直観とは言えないし、それ以上に直観されたものがもはや他者とは言えないということである。直観内容は存在とは別物であるということである。他者の直観が他者そのものであると断言するなら責任の下に断言されなければならない。第5項では他者認識のための直観の可能性を見ているが、英国常識主義に基づき、直観内容の普遍性、社会的な共有性が見込まれるので直観認識の他者認識の可能性を窺っている。
第2節ではカントの物自体を扱う。第1項では第3章第4節第2項で述べた通りカント
の物自体のようなものは存在しないと言っている。我々は直観を以て認識対象としての現象として可変的な他者を認識しているという主張がなされている。そしてカントの想定する現象的でない、認識対象でない物自体は存在しないと言っている。第2項では物自体の二面性として⑩認識にとって形而上学的存在者であるような他者と⑪第3章第4節第2項で言ってある認識対象としての=現象(第1項では現象とした)としての他者を上げてあるが、⑩の他者は第3章第4節第2項で存在しないとされているのであり、⑪の他者は第4章第1節5項の「⑨直感は個人的のものであるか否か」での共有現象の中で存在すると考えられている。ここでは意識は孤立しているものではなく共有現象である。身体的にも他者認識は可能である。こうした共有現象を西田哲学の「場所論に関連付けてみたいということである。第3項は、認識は必ず対象を必要とするかという逆転の発想を問いかけている。認識は認識対象しか認識しないが、認識対象が無いとき認識は成立しないのか。すると認識の中に対象化したものが認識対象であるということになる。これは時間的には同時現象としても論理的には認識が先んじているのである。これが逆転すると物自体が存在することになるのである。認識の前に認識対象があることは論理的に成立しない。もし認識の前に認識対象があるならばそれはゾンビである。それこそ認識されない認識対象、否、対象⇒物自体である。認識対象は認識なしには現象化できないのである。第4項は「世界の外」と「認識の外」を巡って議論を集約している。ここでは私たちの暫定的な自我や認識対象を仮定的に措定して述べている。でなければすべては非存在で確定できないものとなりその現象と同行するしかなく、論考は表現されなくなる。認識はこの2つの、認識できない、内的無限性と外的無限性の狭間で現象する場である。この説は受入難いかもしれないが、諸々の幻惑や呪縛、スリップを日常的に受け入れている現状でさえ受け入れていることを考えれば、そう難しいことではないと考えられる、と述べている。第5項はコギトから出発した自我は物自体へと追いやられ、虚無化するしかない結果に終わる。デカルトのコギトにはまだ(我?)の余裕やチャンスがあったが、物自体はそのチャンスへの裏切だというのがここでの言い分である。

第5章 西田哲学に見る日本的倫理性
日本的倫理性への本格的叙述を始める。日本的倫理性とは人間の実在問題であり、西田哲学はそれに取り組んだ代表的な哲学者である。
第1節はこの西田哲学に見られる問題点をとりあげている。第2節では西田哲学の分かり難いと言われる問題を上げている。第1項では分かり難いという理由を整理している。①西田自身と言うより、戦前や明治以前の精神構造や表現が現代では通用できなくなっているということがあげられる。②そこで日本的倫理性への回帰、より戻しが必要であると主張されている。③西田の表現は深い内の瞑想を表現しようとするものであり、その意味では素晴らしいものであるが、それは体験世界であり、表現はメタファーなものになりがちである。それが物足りなく我々には思えるのである。④理解の仕方には主語論理的理解と述語論理的理解との2つある。日本的倫理性は主語論理的理解では理解し辛いと言っている。⑤この主語論理とはアリストテレスに由来する西洋的論理で、近代的自我論の世界である。日本的倫理のように私と自然とが一体になることはない。日本的倫理性の述語論理とはこの自然と一体になる体得の世界であり、場所の理論に結びつく。
第2節では西田哲学が求めたものを見ている。西田哲学は「神」を求め、「神」に触れ、「神」を見ることを求めている。私は神を掴むと理解する。ここに日本人の倫理性がある。主語的倫理が自己理解を外に求め、外に展開するのに対して、つまり法を作り倫理法則を作り社会制度を緻密に体系化するが、我々は心を済まし、心の中に声なき声を聴き、見えないものを見ようとする。自己は心深くに潜水し、自己を無化してそこを自己とする。
第3節では西田哲学と西洋哲学を対比し、デカルト、ライプニッツ、カント、ソクラテスの哲学を西田的な視点から批判し、日本的倫理性を追求する。第1項では西田はデカルト的コギトが主語的論理に陥る前のところに戻ろうと主張している。そこは西田の言う矛盾的自己同一の世界にも続く岐路点である。第2項では西田の無の世界について考察している。私が(我?)という世界を西田の無に見ている。そして場所論に続いていく。第3項では西田のカント批判を見る。カントの物自体については第3章第4節第2項や第4章第2節でだいぶ考えたことを踏襲している。西田はカントの認識主観に基づいて哲学を始めるが、そこからの脱却を追求する。そのため主語と述語の論理を突き詰め、極限的主語と超越的述語面により、この超越的述語面を「無の場所」とする。この「無の場所」は(我?)に類似させて述べている。カントは、主語的方面に事態を置いたデカルトの反対の述語的方面に行くが、屈折してその述語面を主語化させてしまった。これは形式主語を要する欧米言語文化のせいであろう。どうしても近代的自我に引き戻されるのである。そこにカントの物自体というものを生み出した幻惑がある。第4項では西田はカントの物自体を「絶対意志の自由」とし、カントが統覚つまり意識によって統一しようとした世界を意志の面から統一しようとしたことが述べられている。これによって西田は自然に「絶対自由の意志」をみ、自然のいのちを吹き返すのである。しかしこの西田の物自体はおよそカントの主観から疎外された物自体とは違い、自由な意志によって現象を続ける自立した自然そのものである。第5項では西田の場所について意識の面から解釈している。場所は、意識が単なる主観に閉塞されたものから純粋意識に広まり、現象することに見る。第6項では場所論を存在論的に解釈している。述語論理の観点から見ると、述語(一般者)は主語(個物)を対象として自己限定する、そして自らは非対象であるというのが述語論理である。そこで一般者が無限の自己限定によって自己限定する個物という対象が無い、つまり主語がない状況を絶対無と言う。神は何者にも限定されない。欧米的にはこの状況は主語論理的にみるから主語が無数の述語を持つという意味で一者としての存在である。日本的倫理性としては一般者が自己限定する対象を無化した〇の絶対無である。これを理論的にではなく境地として実践的にいえば「見るものなくして見る」という西田の表現になる。第7項では西田のライプニッツ批判を検討する。①ではすでに第3章で述べたモナド論の解釈に基づいて、ライプニッツのモナド論が西欧近代的自我論の基本である主観認識からどう解放されようとしたかを見ている。予定調和説はその解決として巧妙で説得力の高い世界観である。その不思議な世界観は、モナドの中の表象や意志が窓の外の分断されている自然世界と共時現象化していることは理論として納得できるといことだけにとどまらないで、そこを超えてつまり意識が意識外のことを意識しているという、カントの物自体の幻惑を晴らしてしまうことが解決されているという世界である、ということである。そこで②ではこのトリッキーな世界観を調べていく。ⅰデカルト的二論の克服は精神も身体もモナドに含まれて一元化されることで実施される。ⅱその克服原理は予定調和説による。池田氏の「包まれ包む」の予定調和の説明を参考に①でのトリッキーさが解消され納得できる。モナドと神との関係は神の「包み包まれる」表象(欲求)の表出をモナドが「包まれ包む」ことによって意識とし、モナドの表象を世界に表出する、というメカニズムである。③これは説得力の高い理論である。西田的にはそこには「私の有様が見えない」、西欧特有の自我の外化に止まる態度でしかない。日本的倫理性では、西田は予定調和の中に身を置いて、宇宙自然の「包みに包まれ」、西田の「包まれ包む」という、日常の禅定に生きていた、というところに自分の身を置くのである。第8項では、こうしたライプッツへの物足りなさで、ベルグソン哲学に惹かれていくということを述べている。①ベルグソン哲学は直観に基づく。西田の純粋持続はこの直観により現実味を帯びる。そこで初めて物そのものをそのうちから知ることができる、という西田の主張が述べられている。②純粋持続とは連続的創造の事であり、そこには緊張と弛緩があり弛緩すると自己は希薄になるが、緊張によって自己のいのちは盛んになる。心身共は共に純粋持続から出ており、閉塞的な近代意識から解放されながら、意識の世界の自立性は保持されている。②しかしベルグソンにも問題が残っている。それは「否定」観の違いによる。ベルグソンの否定は肯定と対立し連続して契機する弁証法的領域にある。西田の否定は肯定と縄目的に交差しながら出滅を展開する。これを別角度からは刹那と表現でき、場所に関係する。それはまた時間・空間の発信源である。第10項では第7章のソクラテスに西田との日本的倫理性に関する共通性を見る。ソクラテスの世界は「無知の知」にあるが、西田や日本的倫理性との共通性は、そこからのソクラテスの転回に見ることができる。そこからソクラテスは神のみが知恵者であるという伝統的ギリシア精神世界に入り、人間としてはその神の完全なる世界を愛求する(エロス)ことが本文の生き方であると主張して啓蒙活動に入る。このソクラテスの世界には自己否定と自己肯定が自己矛盾的に展開していると見ることができる。


日本的倫理性 1はじめに、目次

2017年02月25日 | 日本の原体験

「日本人としてどう生きればよいのか?」について以下に掲載することにしました。何回かに分けることになります。「はじめに」の後には、巻末に置いてあった「要約」を持ってきて読む負担を軽減できればと思います。

はじめに

日本的倫理性はこの小著の書名としては大きなテーマにすぎる。似たテーマとして私達は鈴木大拙の名著「日本的霊性」を連想する。この小著はそれには遥かに及ばず、比べることさえ非礼である。またそれ程の目的を定めているわけでもない。本著の願いは私個人が自分の青年期に抱いた課題「私は誰であろうか?」、「私は何をすべきなのか?」、それから「人間はなぜ生まれてきたのか?」、「人はどう生きれば良いのか?」、そして「最も優れた生き方は何だろうか?」という問いに答えようとして取り組んだ幾つかの中間的報告の1つに過ぎない。
 私の「私は何者であるか?」という一連の問いの向かった方向は「私は日本人である」処に一先ず帰着し、「日本人とは何か?」について関心を寄せていった。
この状態で青年期の疑問が向いた方向は哲学という進路選択であった。哲学は欧米のものを学ぶ領域であるが、迂闊にも私は哲学が私の課題を解決してくれるものと思っていた。長い間その思い込みで西洋哲学書を読み耽っていた。西洋哲学への取り組みは何時も挫折感を味わう事が多かったが、それは私の学習能力や思考の訓練不足のせいだと思い、頭を悩ましながら継続していた。しかしどうも見当違いのような感が拭えなく、悶々としていた。
 日本には哲学がないとか言われるが、哲学(西洋哲学)が日本人の問題を取り扱うものではないということである。そして日本人の問題を取り扱う哲学がないという状況の中で私は「日本人とは何か」という問題の哲学的な解決を期待していたということである。哲学は私の問題「私(日本人)は誰であろうか?」にフィットした問題解決からずれているのであった。哲学は欧米人が自分たちの問題解決に取り組んだものであり、そこで日本人の生き方を期待するのは難しい、ということを理解するにはだいぶ時間がかかった。
 渡部昇一氏が、英語を日本語のように母語として理解できないことを悩み、ニューヨークのホテルに泊まり込んで克服したというエッセイを読んだことがある。哲学を日本人である私が自分の問題を解決するものにするにも似たようなことが言われる。哲学用語を理解するには原典で読む必要があるというのは広く理解されているところである。原典を読んでも原意はゆがめられる(「異文化間の対話(翻訳)の可能性をめぐって」藤田正勝、「世界の中の日本哲学」昭和堂 収録 P.101 )というように、言葉以上の壁があるのである。
 しかし私はデカルトの「コギト」には大変興味を持った。「我思う故に我在り」は欧米哲学の問題解決であるが、私には私の問題(日本的問題)のように思えたのである。思考を巡らすにつれて、やがてだいぶたってからそのずれについて自覚するようになったが、私には日本的問題の解決に思えた事情は次のようである。大きな意味ではデカルトの自覚も日本人としての自覚も同じ覚醒点にあるということが言える。その故にデカルトのコギトは我々には強力なインスピレーションとなるのだろうと思う。つまり自己存在の論理や理由を超えた直観認知という点においてである。ずれている点は、デカルトから出た近代的自我観が日本人にはピントが合っていないという点である。この一致とずれのゆえに我々はデカルトのコギトには深く考えさせられるのである。以上のデカルトのコギトについては第1章で扱われる。 
その一方で、私は仏教や神道に基づくいろんな著書を目にしていたが、何故かそこに目新しい期待感をもてなかった。歎異抄や般若心経などには深く共感したが、馴染みすぎているのか取り組むことはなかった。
しかし私には学校でも社会でも日本人の生き方をテーマとする日本哲学や日本学を学ぶための基礎的な学習がされた記憶がない。およそ日本文学や文化にしても戦後及び明治以降の欧米ヒューマニズムやデモクラシーにも基づこうとするものが多く、私たちの深層から問いかけてくる課題に応えるものが十分にあったという記憶がない。哲学が欧米では自分達の生き方や世界観、自然観、倫理観、等々を扱うようには、日本では日本人の生き方を扱う哲学はなかったのである。若い頃に求めた問いに答える哲学は日本にはなかった。私たちは仏教や儒教や神道などの明治以前の日本人の探求してきた日本人の生き方を反故にされて来たのである。そうした古文や漢文には親しんでいないし、そうした思考回路が稼働しなくなっているのである。
こうして日本的倫理性は、明治以来押し寄せた欧米化の波に翻弄され、日本人らしい生き方がし難い状況が続いた中で、さらに太平洋戦争の敗戦によってはそれに一層の拍車が駆けられ続けているものである。
 昨今のクール・ジャパンブームやおもてなしのプレゼンによるオリンピック開催地決定以来日本の素晴らしさがマスコミを賑わせており、自分たちの生き方に良さを見出すような傾向が出てきている。それは望ましいことであるが、自分たちの生き方がどこにあるのかを再発見するには困難が伴う。
 この日本を見直す傾向があることに気づいたのは保坂幸弘氏の「日本の自然崇拝、西洋のアニミズム-宗教と文明/非西洋的な宗教理解への誘い」2003年を手にした頃からである。それ以前に1949年に比較思想学会という東西の比較をすることによって日本的精神性を捉えようという動きが生まれている。しかし保坂氏の著書によって日本的生き方が一種のトラウマから解放され始める端緒が来たような気がした。その後多くのその類の著書が出版されその動きは活発になっているような気がする。
 「『世界の中の日本の哲学』藤田正勝、ブレット・デービス編、昭和堂 2005年」によれば諸外国での日本哲学に関する膨大な出版があり、それがここ15年間のことだと報告されている。
 角田氏の右脳・左脳問題で日本人や日本文化が欧米人とは異なったものに基づくということが明るみに出たのは30年以上前の1981年のことである。
 日本人であれば誰しも日本的精神性や生き方を求めるものであろう。その生き方は最もなじみ深い家庭や地域でくつろげるところであり、小さいころから育った方言であり食べ物であり習慣や行事である。あまりに馴染んでいるので本当に嫌な、毛嫌いするものもある普段着の世界である。これを阿部氏は「世間」(「『世間』とは何か』阿部謹也著、講談社現代新書)と言っているが、いろいろ小うるさく煩わしいところである。日本人はこれを避けてきたが、ここにこそ私たちの生活があり、いのちが通うものがある。若い時に都会に出ても晩年には郷里にUターンする人々がいる理由であろう。
 こうした近代日本の幕開けで敢然と日本的な生き方を追求し、それを哲学的に完成させたのが西田幾多郎である。その「善の研究」が出版されたときは大歓迎されて日本人の心の支えとなった。ジェームズ・ハイジャック氏は前掲の著書『世界の中の日本の哲学』で「西田、田辺、西谷はただ日本の読者に向けて書いた」と述べているが、当時は欧米的生き方の中でいかに日本人の本質を持って生きるかという問題の解決を志向していたものと考える。
 哲学(philosophy)は欧米人の「生き方の実用学」であるが、我々にとっては欧米を理解するための物以上のモノではない。我々のための「生き方の実用学」としようとしているところに無理があるのである。我々のための「生き方の実用学」を私は「日本的倫理性の学」という。この小著はその目的を果たすにはまだはるかに遠いが、その一端を示し得ていると思う。読者は各々自分の日本的倫理性に取り組んでいただきたい。そうして各箇所で取り上げて、思考していることに触発されたならそこで十分に考察していただきたい。なぜならそこが私やあなたにとっての日本的倫理性のはじまりだからである。1つの課題はあらゆるほかの課題に連関しているので、そこが起点で私達の問題が広められあるいは深められるのである。この小著が役割を果たせるとしたらこの点だけであろう。
日本的倫理性に取り組むについて、脳科学から指摘されている「日本人と欧米人との違い」から日本的特性を知っておくのは、諸説に根拠を置くことができるので有効だと思う。
(「日本人の脳に主語はいらない」月本洋 講談社)によると、脳の言語野は左脳にあるが、日本人は母音を左脳の聴覚野で聞き、欧米人は右脳の聴覚野で聞くという。右脳と左脳は脳幹で結ばれているが、欧米人が右脳で聞いた音を言語にするには左脳の言語野まで時間をかけることになる。さらに右脳の聴覚野の近くに自他の区別をする部位があり、自他の意識が刺激されるのである。このわずかな差であるが、そこで欧米人には主語が存在することが必要なのである。一方日本人は同じ左脳の言語野近くにあり、即座に言語化するので、主語を定立しなくても不自由はないのである。
 右脳・左脳問題は角田忠信氏が「右脳と左脳―その機能と文化の異質性―」小学館1981年」で提示したものである。氏はこの著で、日本人は虫の音や川のせせらぎなどの自然の音を美しいものとして受け止めるが欧米人にとっては雑音でしかないし、庭のタンポポやスミレも日本人は美しい自然として愛でるが、欧米人には雑草にしか見えない。それはこうした右脳・左脳での言語の聞き方によると説明している。
 この違いは欧米人が近代的自我を基本とし、日本人はむしろ自我を無化することを基本とする違いを説明する根拠の一つとなっていることを示している。この点で日本人は近代に欧米文化に接して以降、両者の隔たりに悩んでいるのである。
この小著は筆者がそうした悩みに取り組んだ幾つかの考察を掲載している。第1章は近代的自我を基礎づけたデカルトのコギトについて私たちの視点から見るとどんな疑問があり、それが私達には異質なものであるかということを示している。第2章はジョン・ロック、第3章はライプニッツ、第4章はカントについて、近代欧米の自我論を基礎づけている各哲学者の中心命題を取り上げ、その疑問点を考察したものである。
第5章は先ほど上げた西田幾多郎の哲学に日本的倫理性の特徴を見てみる。第1章から第4章までの各哲学者の問題を西田幾多郎はどのように日本的に受け止め、批判したかを見ることで第5章の目的を達成したい。本小著の目的はここに集中していると言える。西田の哲学は読む分にはなんとなく分かって心地よいものだが、いざ欧米哲学と並べて理解しようとすると難解になる。しかし西田哲学の思考するところは明らかであるのでその光を見失わなければ欧米哲学ほどには分かりづらいということはないと私は受け止めている。基本的に我々の歴史的に積み重ねて来た世界であり、問題を共有しているからである。 
私は、西田哲学は自分の道を求める求道の哲学だと思う。ライフの哲学だと言う人もいる。その意味で倫理の徒であり、そこに日本的特徴がある。小坂国継氏は西洋の「学」に比して東洋の「教」と示しているが(「西洋の哲学、東洋の思想」小坂国継 講談社)、個人が道を歩むことだという主張である。仏教的には人間となるという道である。私はこれを個人倫理と言う。そしてここに日本的倫理性の特徴がある。
第6章は現代英国倫理学を見ることで、欧米的な倫理性を概観する意図で掲載した。英国倫理学には倫理的立場として直観主義と功利主義がある。上記の直観主義は個人倫理学の問題を共有する。功利主義は公共の倫理とされて、社会倫理をテーマとする。この2つの立場は長く論争を続けているが、日本的倫理性からの視点で問題を捉えて、我々の倫理性の理解を深めたいというところにこの章の目的がある。
第7章はソクラテスから学ぶものを掲載したが、私はソクラテスの「無知の知」からデカルトのコギト以上に人間としての生き方の影響を受けている。これについても長く考え続けているものだが、最終的な局面では己の力で知るということを放棄するところに人間の本質を直感するものだと理解している。この生き方は我々日本人の生き方に共通するものを感じる。ソクラテス哲学では産婆術や概念主義を取り上げられているが、それらは己が己を超えた世界にいることを明確に自覚することに到るための道である。この点は分析哲学が結果するところに共通する。但しソクラテスにおいてはダイモンの存在があり、我々のように自然や社会や不特定な、西田的には「無」の世界に基づくこととは違っている。しかし私はこのソクラテスの「無知の知」には馴染むことができる。そうした意味で掲載したものである。この日本的倫理性との関連は第5章で先取りして第3節 9)で述べられている。
 私の叙述の未熟さもあるが、内容が込み入って分かりづらい箇所が多々あると思う。巻末に理解を助ける意味で第1章から5章までの要約を添付してあるので必要なら参考にしていただきたい。



目次

はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ⅰ
第1章 私は誰だろうか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1
第1節 デカルトの求めたもの・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1
第2節 デカルトの命題にある幾つかの我・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2
第3節 「思う」と主体・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 5
第4節 コギトの発展・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7
第2章 ロックのダブラ・ラサ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 12
第1節 タブラ・ラサのマジカル性・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 12
第2節 ロックのタブラ・ラサ説とは何か・・・・・・・・・・・・・・・・・ 12
第3節 ロックの認識論の問題点・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 17
第4節 新タブラ・ラサの主張・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 23
第3章 ライプニッツのモナド論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 27
第1節 モナドとは何か・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 27
第2節 モナドの認識・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・    29
第3節 ライプニッツ・モナド論に見る近代的自我観の本質・・・・・・・・・ 33
第4節 我々にとってのモナド論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 36
第5節 「西洋の自我の確立」と「日本の自我の放棄」・・・・・・・・・・・ 39
第4章 カントの物自体論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 42
第1節 物自体と認識・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 42
第2節 カントの物自体は存在するか?・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 46
第5章 西田哲学に見る日本的倫理性・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 51
第1節 西田哲学の問題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 51
第2節 西田哲学の分かりにくさ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 52
第3節 西田哲学と西洋哲学・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 57
第6章 「英国直観主義と功利主義」の問題・・・・・・・・・・・・・・・・ 72
第1節 個人倫理と社会倫理・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 72
第2節 直観主義と功利主義・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 86
第7章 ソクラテスに学ぶもの・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 92
第1節 古代ギリシャア精神に見る「死」と「不死」・・・・・・・・・・・・ 92
第2節 ソクラテスの「無知の知」から与えられるもの・・・・・・・・・・・ 94
第3節 「生きる意味」の探究・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 98
第4節 ソクラテスから学ぶもの・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 100
要約・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 102




日本の原体験

2012年10月26日 | 日本の原体験
日本的自閉症
敗戦により、明治期からの誇りと気概がモロクも打ち潰され、以来トラウマ化している日本という視点はまだ
自閉症のなかにいる。
日本人の本質を知ろうとしたり生き方を探ろうとすることは敗戦から60年以上経っても軍国主義的と感じる人達の感覚はどうしても理解しにくい。
岡潔の日本人論を見つけたのは高校生の頃だった。自ずと日本人の生き方を知ろうとし始めたのである。
学園紛争の最中、岡潔はあちこちの大学で公演をしていたようだった。
その頃、偶然早稲田大学の講堂でその公演を聞いたことがある。
その頃には、日本人の生き方は、私のどう生きたら良いかというテーマと重なり、馴染み深い普段着の思索であった。
西欧のphilosophy,、我々の日本人論
専攻のphilosophyは欧米人の問題であり、私達日本人にとっては日本人論がそれであることに気づいたのは大分年取った40才近い頃だろうか?
日本人の生き方を知りたい作業はすぐ障害に遭遇した。日本の中の反日である。敗戦後は日本全面否定というヒステリー症状が蔓延していた。
私は深く挫折した。「なんという国に生まれたのだ!」心からそう思い、いまもその思いは変わらない。自分達本来の生き方を否定、封印した国なのである。本来の生き方をすることは犯罪的なのである。
直視し、受け止めよう。
懺悔と自閉症とは区別されるであろう。自閉症では贖罪はできない。敗戦をしっかり受け止め、日本人の本来の生き方で過去からの逃避を止めなければ、日本は失われるであろう。
やみくもに日本を自閉状況に閉じ込めようとする動きは仲間とは言えない。
2っの(or3っとも言われる)原爆や空襲による無数の一般人殺害、沖縄などの米軍基の性犯罪と治外法憲などその蹂躙の継続は止んでいない。
我々日本人の深層には直視し、正当に受け止めねばならない戦争の課題が脈打っている。
我々自身でその戦争を検証し、目を背けてはならない。