忘れえぬ体験-原体験を教育に生かす

原体験を道徳教育にどのように生かしていくかを探求する。

日本的倫理性 9 第7章 ソクラテスに学ぶもの

2019年07月16日 | 日本の原体験

7章 ソクラテスに学ぶもの

 

第1節 古代ギリシャア精神に見る「死」と「不死」

孔子が「未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」(「論語」孔子)と言ったように、「死」は不可解な問題である。しかし、にも関わらず、実際に身近の大切な人を失ったような経験をした人にとっては「死」は驚愕であり、愛しい人を失った衝撃は耐え難く、彼等の悲しみは癒えることがない。失った人を懐かしみ、呼びかけ、ついにはかの世界で生きていると信じ、祭ることで悲しみを癒そうとする。こうして残された者達にとっては、死者は死後もその世界で暮らしているのだと思われてしまうのである。しかし、一方では、自分にもまたそのような「死」が来るということを知る時、それまでの日常的関心事は覆され、人生観は揺れ動いて落ち着かなくなる。しかし私達にはなんとなく一つの期待があり、今までもそれほどに悪い結果で終わったことがなかったのだから、死もまたきっとそれ程悪いものではなく、死後もまだまだ先は続いて生きて行けると思い込んだりしているのである。

 しかし果してそうであろうか。私達は死に対して寛容を要求し、それで安心していないだろうか。死に対面した時の驚愕は死が如何に私達の期待に反したものであるかを暗示しているのではなかろうか。一度私に死のドラマがおきた時には私はもはや何ものでもなくなってしまう。もちろん私であることもないし、霊であることもなく、死者でさえない。もはや私の死後ということにも関わりない。それらはみな残された生者にのみ関わる事でしかない。私の死後というのは残された者にとっての私の死後であり、死者には死後は在り得ようはずがなく、万一在るとするなら、それは別の意味ではまだ生き続けていると考えるしか他ないのである。さらに死のドラマの先は、こうして死について思いを及ぼすことさえも関わりのないことであり、死それ自身さえも問題にならないのである。ただ生きている時にのみ問題になるのである。私達は、死を、死後の世界というものがあって、そこで、継続するわけではない。私達は完全に何ものでもなくなって、ただ土になって、そこらの塵芥に混入して、失せ、もはや土でも塵芥でさえもなくなるのである。

このように人は「死」に到らねばならないのであるが、一方では決して、このような「死」を認め切れなくて、「不死」を期待していたり、求めたり、信じたり、つくり出したりしているのである。一体、「死」と「不死」のどちらなのであろうか。こうした問題に関する対立的な立場を古代ギリシアのイオニア精神とイタリア精神との間にみて以下に推考してみたい。

 タレスをはじめとするイオニア哲学者達にとって、全てのものは生成、変化、消滅を免れ得ないものであった。タレスの「汝自身を知れ」は、人が死すべきものであり、とるにたらぬものでしかない、ということを自覚するように促していると思われる。タレスの水は生成、変化、消滅の主体者を探求するということを提示したものと思われるが、この水は神性を帯びているという意味では、神のみが永遠であるということを示しているのであり、従って一方では、人は、永遠なるものの生成という現象でありながらも、その永遠の中に消滅してしまわなければならない、有限の死すべき身であることを示し、それを受容した生き方をするよう人に説いているように思われる。人の生は水に汎化され、水の生成過程でしかなく、その意味で無きに等しいものでしかない。水だけが有り、人はとるにたらぬものでしかない。こうして人は自然の生成消滅の過程の中で初めて人であり得るのであって、それは自然と同化したものである。そこではまだ自己の自覚は弱いもののように思われる。即ち、人は死すべき身であると言われながらも、人ではない不死なる自然に同化することで、不死なる自然の側のものと思われるのである。その意味で人はまだ自然から独立、分離していないのである。死の意識は人としての自我意識に比例して強まったように思われる。イオニアでは、人は、元は水や空気であり、人である今も水や空気であり、人でなくなっても水や空気であり、その水や空気として生きるのであるから、死すべき、断片でしかない人にこだわらず、人でなくなることに抗いさえしなければ、死への悲嘆もないもののように思われる。ここではこのように不死なるものとの同化が一つの共同意識になっているように思われる。それ故にエレア派からの、有と無との混同に対する抗議に対して、彼等の生成と消滅の説明を、有なる原始の結合と分離という説明に移行し得たのである。そこでは依然として永遠に変化し続ける自然との同化が個々の変化よりも主となっているのである。まだ人は永遠であることや、永遠者を捕まえることも、また永遠者から独立することも望んではいなかった。

 一方、イタリアではピタゴラスやエレアのパルメニデス等によって別の関心が育って来ていた。彼等が掲げた原理は思考の整合性という問題であり、イオニア的共同意識と対抗している。永遠者はイオニア的自然に在るのではなく、「非有では無いもの」という定義によるところにあるのである。かくしてエレアのゼノソはイオニア的永遠者を全て非有なるものとして論駁してしまう。その結果有は論理的整合性に裏付けられたメタフイジカなものとなってしまうのである。そこでは永遠者は自然から消えてしまって、思惟の世界でしか存在し得なくなっているのである。このイタリア的原理の特徴は無矛盾性という、人間思惟の側のもの、人間思惟が関わり理解し立証するという意味で、人間の側ものを優先させているということである。イオニア原理においては最優先されている自然、即ち、死すべき部分に拘泥せず、捨象して、生成、変化、消滅の主体者である自然に同化して、埋没して行こうという態度に対して、イタリアでは思惟という人間行為によって、人間を永遠者へと近付けようとしている態度が窮えるように見受けられる。永遠者は人の思惟によって捉えられ、思惟はまた存在と同一であるのだから、人の思惟に永遠性が期せられているように思われるのである。それは不死への探求の始まりとでも思われる態度である。自己を死すべきものとして、虚しく自然に同化して行こうとするイオニア的方向とは逆に、自然を非有として、自らを不死なるものとしようという方向が、そこでは対立しているように思われる。

 こうした二つの立場に対してソクラテス(B.C.470-B.C.399)が示したことは、イオニアの自然の現象にたいして、エレアの人間の側の概念を近付けて、一致を見ようというものであった。しかしソクラテスにおいてはこの問題は、人間の無知によって、決して一致を見得ないものであった。それが人間の側の無知によっているという意味では、ソクラテスにはイオニア的な姿勢が受け継がれているように思われる。

我々はいったいこのいずれの原理にしたがうべきであろうか。「死」であろうか、「不死」であろうか。現代の我々のこの問題に関する観念はヨーロッパ・ルネッサンスのライン上にあり、それはエレア的人間主義にと遡れるものと思われるが、ここでは我々は理性主義的立場をとる。個々人には理性があり、理性は神の心にも届き、永遠で神性なるものであり、それ故に個々人は尊厳であることになっている。しかし我々はみな理性を所持しているのだろうか。理性に目覚めているだろうか。理性は神に届いているのであろうか。理性を開示することが出来るのであろうか。その方法を確立できているのであろうか。そしてソクラテスの訴えた「無知の知」は現代の我々の態度に対して全く別の方向を示しているように思われる。しかし私達の文化、歴史、生活、真理、外、美、意義、愛等々を省みると、そうした素晴らしい一人一人が虚しいものでしかないということも容易には納得しにくいようにも思われる。

 只、死ということによって私達は私達の頭の中だけの世界から自然というリアルな世界に引きずり出されるのである。死について考えさせられることで、私達は自分の何たるかをかいまみる気がするのである。それ故に私達は自分が尊厳であると思えたり、あるいは逆にそれ故に塵芥に等しいとしか思えなかったりするような問題だと思われる。

 

第2節 ソクラテスの「無知の知」から与えられるもの

マスコミ上、体罰やいじめ、自殺等の教育問題が次々と取り上げられて久しいが、なかなか安堵を得る状況にならないままである。こうした事態の原因のIつとして考えられるのは、熱心に教育改革や指導に取り組まれている部分があるにも拘わらず、一方では今日の教育上の諸問題が問題状況であるとして十分に捉えられていなかったり、あるいは解決のための規準についてなかなか関係者の協力し合える体制にならなかったりするようなところにあるように思える。極端な場合には、そうした問題状況も子供達にとって有効な教育的拭練となるのだから、そんなに危惧することもないという態度かとられたりするわけである。一方全員が協力し合うというような体制へのアレルギーもあったりして、学校だけでなくあらゆる場面で様々な生き方や価値に接し、多様な人間性を理解し、豊かな人格を身につけられるように教育環境を準備するのが望ましい、という考えから、自由に放任し、一致協力等という体制をとらない方が望ましい、という考え方もあるわけである。従って学校と社会、教師と親、夫と妻、教師と教師の間に一致した指導というものが得ることが難しく、曖昧な方針のままでいるうちに子供達だけはどんどん年をとって成長してしまうのである。その上そうした教育目的上の曖昧さそのものさえも、望ましいとまでは言わなくとも、止むを得ない教育環境として容認されたりするのである。即ち問題状況そのものが否定されさえするような、あるいは否定されないまでも、問題解決への意欲や努力に水が差されるような時代性がみられるのである。この状況は長い歴史的経緯を持つもので、正しく一つの時代性ということができると思われる。そしてもしこの指摘が的はずれでないなら、マックス・ピカートの言う「アトム化の時代」はこの時代性をよく説明しているように思われる(「騒音とアトム化の世界」M・ピカート みすず書房 訳佐野利勝)。

 M・ピカートの言うアトム化の状況とは、中心を喪失した、彼の言葉では神が沈黙したところに発生してしまった、社会的・人間的に非連続で分断された状況である。そこには中心を喪失して、無秩序・無法則・無目的に浮遊するアトムが現象するだけである。アトムとは他から分断された個人、時間的に分断された意識等の状況を象徴するものである。我々個々人や我々の人格もそうした非連続で非時間的なアトムと化してしまっているのである。中心が無ければ真理規準はなく、個人の気まぐれによって真理が判定されるしかなく、政治政策も時々の力関係によって移ろう以外に決定手段はなく、道徳も中心の喪失によって善悪の規準を無くしているのだからもはや色褪せてしまい機能せず、教育目的は失われ、目標も個々人により、時によって移ろい、次の瞬間には相反するものに変わっていたりするのである。即ち強者生存と隣人愛が同時に教えられ、何の疑問もなく実行されているのである。以上のピカートの時代分析が正しいなら、我々は今日の教育の問題状況を改革できるどころか、それが問題状況なのだということをキチンと把えるということさえあやぶまれて来るのである。それに対するビカートの指針は「アトム化の世界に絶縁せず、――アトム化の世界の只中に踏止まろうと努め、――孤絶の状況を最大限にわが身に背負わねばならない――。その時我々はあたかも世界の発端に立たされたかの如くである。――その時個々のものから――ふたたび全的なものが生じ得るのである(前掲著 167頁)、

というものである。即ちアトム化されて中心のない粉みじんの世界に単独者として立つということである。当面の我々のテーマに関して、教育問題に一人たりといえども取り組み続け、回避しないということである。さらに我々にとっての教育目的もそうした単独者となるというところに置かれるということになる。従ってここでは中心は復活されてはいなく、その代用品としての単独者が主張されているだけなのである。即ち神の沈黙によって発生したアトム化の状況を単独者として把え直すことで抜け出ようというものなのである。一体この指針はどんな新しい方向を示し得ているのであろうか。神が沈黙した時から人は単独者となるべく運命づけられたのではなく、人が単独者となろうとしたので神は沈黙したのではなかったろうか(前掲著 P.164)。従ってアトム化をもたらした当の原因である単独者となるということが果してアトム化を脱出する方法となるのであろうか。

 こうした単独者への道は中心を喪失した、あるいは否定したことで自己を尺度化しよう としたあのソフィスト達の企てにどこか似ていないであろうか。ここで私がみてみたいのは、こうした意味でアトム化の状況と近似する古代ギリシアの、ソフィスト達が横行した 社会に贈られたソクラテスの訴えたことである。その「無知の知」は我々の時代には有効であろうか、というよく取り上げられる問題である。

 当時のソフィスト達の立場は人間や個人を尺度化しようというものである。その活動は

そうした中心喪失状況に当然現象する対立論争に勝利を占め得るための論争術の教授であった。即ち教えることのできる徳を身につけた市民の育成であった。徳とはより優位な尺度、即ち他人を言い負かす知識を習得することであった。あるいは「状況に最もよく適合する言説を、あるいは公共の利益に最もよく合致すると彼に思われる決定を見つけ出す」技術の習得であった(「ギリシア哲学」ジャン・ポール・デューモン クセジュ文庫 有田潤訳 P.48)。彼らは哲学に相対性のカテゴリーを導入したわけであるが、従ってどうしても一致できないケースが発生することになると思われる。そうした状況にむけてこそソクラテスの訴えがなされたのである(「キェルケゴール著作集21」s・キェルケゴール 白水杜 P.85)。

 彼の「無知の知」は経験的な意昧での無知ではなく、哲学的な意昧での無知であったのであり(上掲著P.31)、「人は何者であり」「何をなすべきか」という間の普遍的な答は人知の及ばぬところであるということを神託によって裏付けられたものであった。従ってソクラテスが言おうとしたことは、中心を喪失した時代状況の中では、単独者となろうとか、自らを尺度化しようとかというものではなく、徹底した人間の限界の認知ということだけであり、それ以外のものではなかったのである。「無知の知」の普遍性の補償さえ人間自らによっては得られず、神託に頼らなければならない、ということも加えられると、人間の無知は二重の意味で主張されていると考えられるのである。それは徹底しており、「無限的かつ絶対的な否定性(前掲著p.295)であり、「すべてを無知の無の中へ突き落す(前掲著P.71」ものであった。従って人間を尺度化しようというソフィスト達や今日のアトム化の中で単独者として生きるということは無知という人間本質からすれば造反していることになるのである。ソクラテスの「無知の知」はそうしたソフィストの状況や今日のアトム化の状況へのイロニーであり、そこで行なわれる尺度化や単独化を一切否定するものであった(前掲著P.99)。それらは、言わば人間の傲慢であって、自らを中心化しようとする、あるいはするしかないと思っているものであり、そこでは多様な主張が同等に自我を主張して譲らない状況となり、従って問題状況そのものが的確に捉えられない状況となるのである。これは今日の我々の人為的で、時には矛盾し会う、多様な教育目標への反省を遣るものであろう。個人の権利の主張、個性の伸張、等々という考え方は多分に単独者的・自己尺度的ソフィスト的に捉えられていないであろうか。そこにはソクラテス的な弱小な人間観はない。人は強い考える葦なのである。人間もしくは個人は偉大化しようとし、あるいは偉大なるものと錯覚したり、その素振をしたりするのは、ソクラテスが試問した賢人達のようである。彼等からは敬虔さや謙虚さは失われ、強者生存の原理が人生観を占め、いじめも罪悪感を伴わない、あるいは打ち消されてしまっているのである。

 しかしソクラテスの「無知の知」の問題点は「無知そのもの、無知の根源などを――無規定のままに放ってあるところにある(前掲著P.126)と言われる如く、その徹底的な否定性はその先に深淵を臨ませるだけで、我々を立ち止まらせるだけであり、「たった一日でもソクラテス的な無知のうちに生きることに耐えられる人が、どんな時代にも一体幾人いるであろうか(前掲著P.126)と言われるように先の見えないところがあるように思われるかもしれない。従って我々の時代にソクラテスの訴えが何処まで有効であろうかという疑問がわくかもしれない。しかしこの疑問は二つの点で弱められるだろうと思う。一つはソクラテス’の「無知の知」が現代に欠けている人間のどうしようもない弱さや無力さをうながしている(「哲学入門」 講談社学術文庫 田中美知太郎 P.286)という意味で我々に反省すべきものを与えているのではなかろうか、という点である。もう一点はこうした弱小な面にこそ人間の積極的な生き方がある、ということを示すものとなるように思えるという点である。即ち彼の「無知の知」は人間の生き方にとって一つの弁証法的な契機となるものではなかろうかということである。それは前述のように二重の意味でも主張されるが故に、神のテコ入れによる転換ではあるが、その故にこそ人間の新しい生き方が止揚されているものと思われるのである。そうした意味では中心を喪失した無知なる人間ソクラテスが、「無知の知」を契機として、以前と同様に無知ではあるが、それ故にこそ、遂に今度は無知を根拠として中心を回復した人間として生まれ変わったのではなかろうか、と思われるのである。それは神への畏敬としてソクラテスの心を占領したのではなかろうか(「キルケゴール全集11」P.143)。

我々に無知という事実があり、その事実は今日も明日もその先もずーっと続くかもしれないが、一方何時か止むかもしれない、という曖昧な無知の認識が、神的な絶対性によって覚悟された時、その事実は新しい生き方を指示したのである。

 しかしこのソクラテスの覚悟は決して単独者や尺度化した自己が要求するような主観的な覚悟とは考えられないのである。というのは、彼は神託やダイモンによってその覚悟に到ったのであり、そこにおいては、主観性は完成されてはおらず(前掲著P. 24)、むしろ客観的精神の陣痛である(前掲著「あとがき 飯島宗享」P.295))と云われる如く、その覚悟さえもが中心に負うて、支えられているからである。それ故にソクラテスは「各個人に彼が持っていたと同じ神的招命を確信させよという神的招命(前掲著P. 37)に従い、「ただひたすらに神に奉仕していっそう偉大な無知を追求する(前掲著P.189)のである。そこにみられる二重のイロニーがこうした事情を明らかに示して呉れる。即ち、第一にはその時代が主体性を建立しょうとしていることに対するイロニーであり、第二には主体性を放棄することで逆に主体性が返えされて来るというイロニーである。このうち後者のイロニーは返えされた主体性がそれ故に再び神の前に捧げられそして返えされるという無限のやり取りが続けられ、最後の死によって返えされるが、ソクラテスにおいては、それは同時に主体性が確立されるということとなっているのである。ここに行なわれた転換は「人は何物で何をなすべきか」という問からダイモン信仰とエロスヘの転換ということではなかろうか(前掲著P.21、P.86)。それらは常に自らの微小さを前提として中心に向けられている畏敬となっているものである。そしてこの畏敬の中で絶えず主体性を返し続けることが人間の主体性を支えてくれるのであり、即ち「全体的な無知のうちにみずからの建徳を求め、みずからの敬虔さを表明する(前掲著P.42)かの如くに思えるのである。そしてこの主体性の獲得こそ単独者が切実に求めるものであるということこそソクラテスから現代に与えられた強列なイロニーであるように思える。

こうしてソクラテスの「無知の知」は積極的な意味で現代の我々にも生きる方向を示そうとしているように思える。それは単独者や尺度化した自己となる方向ではなく、自己や人間の徴小さを認知するところから発生する中心への敬虔であり、より高く美しく善なる完全なるものへのエロスなのである。

 

第3節 「生きる意味」の探究

「共に生きる」ということが今日的主題の1つとして取り上げられる時、そこで目的として追求されている人間の姿はどういうものであろうか。それをおぼろげにでも捉え得るように以下に考察してみたい。

  「共に生きる」ということを考えるに当って思い着くことは「生きる」ということである。「共に生きる」ということが人間の目的としての姿であるならば、それは人が 「生きる」ということとも本質的に繋っているものと思われる。そこで「生きる」ということへの考察を通して「共に生きる」という人間の姿を思い描くこともできるように思われるのである。

 この場合ここで人が「生きる」ということについての考察によって得ようとしている答は「生きる意味」についてのものである。この問題に歴史上最初に取り組んだのは古代ギリシアではソクラテスであったと言われている。当時のアテネでは自然学や形而上学的な傾向が中心であり、ソフィスト達には人間学的な立場が見られた。しかしソフィスト達は「生きる意味」を相対的にしか捉えず、結論的には「生きる意味」を否定することになってしまっていた。

一方同様に人間をテーマとしていたソクラテスは、「汝自身を知れ」という言葉によって、人が「生きる」ことの普遍的な意味を求め続けていた。これは、人は客観対象の意味の決定権を持っているとするソフィスト的立場に対して、ではその決定権を持つ主体者としての汝の意味はどうなるのか、と迫るイロニーであった。ソフィスト的立場では人の「生きる意味」も人が決定するしかないのであり、相対的なものでしかないことになるが、何ものかが有意味であるということは、究極的には普遍的な世界の中で有意味であるということではないだろうか。「私はこの子達にとって必要である」ということは、表面上は私とこの子達という相対関係で成立しているものではあるが、この関係自身が教育なりの普遍的な営みに基づくものであるから、そこで私の「生きる意味」という普遍性が発生するのではないかと思われる。そして「生きる意味」をもたらすこの普遍的な世界こそソクラテスが求め続けていたものと考えられ

ないだろうか。

 その探究の答としてソクラテスが得たものは「無知の知」であった。即ち「人は善美のことについては知ることができない」というものである。これを、人は「生きる意味」については知ることができない、と言い換えることができると思う。というのは善美のこととは価値問題のことであり、即ち、「生きる価値」ということ、「生きる意味」ということに関わることであると思われるからである。これは私達に大変な困惑を与える。というのはこう言われるにも関わらず私達は「生きる意味」を求めることを止めることができないからである。「生きる」ということは必ず意味を求めてのものであり、「よく生きよう」とすることを止めることはできない。その意味で「生きる」ことは何か一つの制御できない意志ででもあるかの如くに思われる。

 しかしソクラテスの「無知の知」は決してこうしたジレンマを残して終わっているものではない。この「無知の自覚」は人知の限界を示すものであり、その意味では人間自身による「生きる意味」の獲得を否定したものではあるが、普遍的な意味での人間の「生きる意味」を否定したものではないと思われる。従って表面上は否定されたかの如くに見える「生きる意味」の問題は別の世界、ソクラテスの回心と言われることによって出現した世界では、弁証法的に新しい世界を展開するように思われる。その契機は当初は二つのことのように見える。即ち、人知の限界によって示されることは、一つにはそれにも関わらず残されている、何か意志の如くでもある、「生きる意味」への渇望という人間の側の事情であり、もう一つは人知の限界を示した神託の主体者=神の存在の認知とそれへの関心の高まりである。

 第一の契機はただそれだけの故にソクラテスが最高の知恵者とされたことである。即ち、「無知の自覚」が字義通りにただ「無知」を「自覚」するということだけなら他の賢者達にもそうした人物がいても不思議はないように思われる。むしろこの自覚は単にこうした事実認識なのではなく、「生きる意味」への熱情的な探究心の自覚という態度発見なのではないだろうか。同じ無知の状態にありながらソクラテスの場合は「生きる意味」への探究心が強く、この一点だけが他の人達と違っていたのではなかろうか。しかし実はこの一点は大変に大きな一点であり、その故に神託はソクラテスを最高の知恵者だと言った一点ではなかろうか。知ることができないにも関わらずなおまだ探究心だけが取り残されているのはどういうことであろうか。実はその探究心が探究しているものが見当違いのものだったのではないだろうか。人間の限界を見たのはこの見当違いを知ったところにあるのではなかろうか。この時「生きる意味」の探究の真に求めるものが現われたのではなかろうか。それはソフィスト的な人工の「生きる意味」の作成ではなく、何か神的なものではなかろうか。即ち「無知の自覚」の根底にあるものは神に向かおうとする強靭な意志であり、それは善や美を求めて倦むことのないエロスであるという意味で、神への諦きらめることを知らないラブコール(愛の運動)ではないだろうか。そしてそうした人間にこそ神は人間としての最高の姿を見るというのがあの神託の意図のようにも思われるのである。

 第二の契機は、既に第一の契機に合流させられて述べられているが、第一の契機の不分明な、方向の定まらない、単なる渇望の自覚に、はっきりとした方向性を与える契機のように思われる。即ち人間の限界の認知によってその後から現出して来るものは、かく言明した神託の主体者である。「生きる意味」の探究についての人知の限界という絶望は、残された渇望を浮き彫りにしたのではないかと言ったが、第二の契機はこの渇望が真に求めているものを指示することになったのではないかと思われる。神のみが善であり美であるという発見は、人間的な力による「生きる意味」の獲得を、神への善美の憧れの中に押し流して解消してしまうのではなかろうか。こうして第一の倦むことのない強靭な愛の運動は第二の神への方向性を得て合流することになるように思われる。

 以上のソクラテスによってみた「生きる」ということを、「共に生きる」ということに受け取り直すと、それを回心後のソクラテスの生き方から知ることができるように思える。人知から神への愛へと説くソクラテスの立場はソフィスト的な相対的意味世界に対してのものであった。ソフィストの立場では各自が意味の主体者であり、それら各自の意味は無連関に飛び出してバラバラであり、「共に生きる」共通のベースが成立しないのである。ソクラテスはそうした共通のベースを提示しようとしていたかのようにも思われる。しかしそのベースは決して盲目的で権力的なものであったとは思われない。ソクラテスはあの神託を一方的に鵜呑にしたわけではなく、疑い、反証を試みているのである。彼は自由人であったのである。神に対しても主体的に対しているところに、ソクラテス的な「生きる」姿がみられるとも思われる。それは意志者であるという意味の主体者ではなかったろうか。愛ということでこそ人間は主体者であり、この意味では神に対しても自由であるということになるのではないだろうか。しかし逆の意味でも、即ち自力で悟ったのではないという意味ででも、ソクラテスは権力的ではなかった。というのは、それは神託によって促えられた境地だからででもある。

 

第4節 ソクラテスから学ぶもの

ソクラテスの無知の知から学ぶものは知によっては道を達成できないというものである。無知の地平の先に求める世界があるということをソクラテスは絶望的に悟ったのである。この絶望ということについてはキルケゴールが示しているところである。この点を以下に述べる

 ソクラテスが「徳は知なり」と言い、「無知の知」に到達したのは人間の生きる道を探求してのものであった。彼にとっての最大の問題は人間存在の有意味性の獲得であったと思われる。また人がその故に優れた存在となりうる徳はその知恵であった。しかしここには一種のジレンマがある。というのは人が人たる優れた特性は知であるといいながら、結果的には人は無知を悟るしかないというというものであれば、人は優れたものにはなれないということになるからである。

 このソクラテスの知は彼が概念哲学の祖であるといわれながらも、一方ではその限界を示しているように思われる。なぜなら彼の問答法は、概念を探求しながらも、結局は問答しあっている者同士がお互いに無知を自覚するための手段でしかないからである。概念は人間の手の届かない神の領域に属するもののようで、人は知の望みを果たすことができないというのである。だから彼によれば、認識はわれわれの魂の空腹をみたしてはくれないというのであろうか。それは認識の本質的な限界を示していると思われるのである。

 無神論者はいかなる神の存在証明をも拒否することができるであろう。なぜなら知は本質的に個人的なものであるからだ。彼にとって目前にいかなる奇跡が起ころうともただの幻覚でしかないし、どんな確信もただの独断以上のものにはならないのである。しかし同様なことが有神論者にも言える。たとえ彼が神を見、神と語り、神に使えても、果たしてそれは自分だけの白昼夢に過ぎないのではなかろうかという疑いは消せないのである。自分の異常な心理現象、あるいは体質の性ではなかろうかと疑われるのである。この彼の迷いを誰もどうしようもないのである。

 知はキルケゴールがヘーゲルに向かって言ったように、人間の存在価値をなんら高めてくれなのである。大いなる神、真理、そして世界について知っても、その後も私たちは少しも変われず、相変わらず愚劣で貧弱であり続けるしかないのである。したがって私たちは単に認識によってはその存在意義を高めることはできないのである。その意味で私たちは知識主義の過ちに陥っているところがあるように思える。「徳は教えうるか」という問題に対してソクラテスが挑んだのは産婆術であったが、それは、結局は知の否定であり、知識主義を超えようとする先駆であったと思われる。

知の克服

ソクラテスの無知の知はこうした地の限界の極限に立とうとするものである。この知の最果ての先は果てしない異世界である。そこでソクラテスが生きたのは完全なる存在への憧れであるエロスとダイモンへの信仰と献身である。いわば知の道から愛の道、信の道へと歩み、自己存在の意味を得たかのように思われる。その意味では彼の「無知の知」は人間の位置づけの基盤を探す手段であったのである。受精卵が子宮の壁に着床して育っていくように、人がその着床場所を探し求めるまでのプロセスのようである。知識主義の過ちとは、この着床に逆行する、知識偏重のことである。

 人がいかに自然と共にあるかということをいくら論理立てて説明して、理解しても、それだけでは決して私たちは自然と共にあることは出来ないのである。それは自然と共にある生き方、すなわち自然に着床することによらねば培われないのである。ソクラテスの求めるところによれば人がその存在の意義を得るのは、神の世界に着床することによるのである。

 知そのものは人間の側のもの、すなわちエゴ的であるように思われる。ハイデガーが言う思惟は神のがわのものであるかもしれないが、それでも人の手に落ちた瞬間からもう神のものとはいえないものである。人の人たる限界はこうしたところに発生するのではなかろうか。


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