忘れえぬ体験-原体験を教育に生かす

原体験を道徳教育にどのように生かしていくかを探求する。

覚醒・至高体験をめぐって09:(2)至高体験の特徴④

2012年06月03日 | 覚醒・至高体験をめぐって
《辻邦生》

次に取り上げるのは、『安土往還記 (新潮文庫)』、『背教者ユリアヌス (中公文庫)』などの作品で知られる作家・辻邦生(つじくにお、一九二六~一九九九)の場合である。

辻は、旧制高校の頃、青年期特有のロマン的気分に惹かれ、詩人プラーテンの 「美しきもの見し人は/すでに死のとらわれ人」という詩に憧れ、自殺願望を抱いたことさえあったという。日常生活がひどく下賤なものに思え、昼夜ドストエフスキーやバルザックに読みふけっていた。平穏無事な家庭生活など文学には無縁だと思い、太宰治の「家庭の幸福は諸悪のもと」を本気で信じて、デカダンスにあこがれていた。

『そんな現世否定的な考えが、決定的に変化して、なみの人間よりも、さらに激しい現世肯定派になったのは、さまざまな読書体験にもよるが、決定的なのは、やはり病気であやうく死にかけたためだった。

大学を卒業した年の春、突然高熱が出た。急性肝炎だった。もう駄目だというところまでいって、奇蹟的に熱が下がり、一ヵ月ほどして退院した。

その当時、東大前に住んでいたので、退院の日、病院から大学構内を歩いて家に帰った。その途中、ちょうど五月の晴れた日で、図書館前樟(くす)の大木の新緑がきらきら輝いていた。私は思わず息を呑んだ。これほど美しいもの を見たことがないと思った。それは、プラーテンの詩にあるような、死と一つになった陰気な美ではなく、逆に、生命が溢れ、心を歓喜へと高めてゆく美だった。

地上の生の素晴しさを、それまでまったく知らなかったわけではない。死に憧れた信州でも、朝日に染まるアルプスや、高原の風にそよぐ白樺や、霧のなかに聞えるカッコウの声など、好きでたまらないものがいくらでもあった。しかしそれは一瞬心のなかを過ぎてゆく映像で、次の瞬間にはもう不安や焦燥や不満が入れ替って心を満たしていた。いつも晴れやかというわけにはゆかなかった。

しかし死をくぐりぬけ、恢復の喜びを噛みしめていたその瞬間に見た樟の若葉は、そういったものとは違っていた。それは、この世の風景のもっと奥にある、すべての生命の原風景といったものに見えたのだった。 (中略)

ちょうど樟の新緑は、心のなかの太陽のように、その後、生命感の源泉となった。物悲しい雨の日も、暗澹としたパリの午後も、目をつぶると、太陽に輝くきらきらした新緑が見えた。その途端、この地上とは、惰性で無感動に生きている場ではない、という思いに貫かれた。死という暗い虚無のなかに、〈地上の生〉は、明るい舞台のように、ぽっかり浮んでいる。青空も、風も、花も、町も、人々も、ただ一回きりのものとして、死という虚無にとり囲まれている。この一回きりの生を、両腕にひしと抱き、熱烈に、本気で 生きなければもうそれは二度と味わうことができないのだ――私は痛切にそう思った。』(辻邦生『生きて愛するために (中公文庫)』中公文庫、)

こうして辻邦生は「地上に生きているということが、ただそのことだけで、ほかに較べもののないほど素晴しいことだ」と思うようになったのである。おそらく辻は、死を覚悟したぎりぎりのところから恢復したとき、目的―手段の連鎖の中で見る日常的なD認識のレベルとはまったく別の視点で見ていたのである。自然は、「生命が溢れ、心を歓喜へと高めてゆく美」であり、「この世の風景のもっと奥にある、すべての生命の原風景」として認識される。これは、マスローがB認識といった視点と同じであろう。

(Noboru)


2 コメント

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Unknown (Unknown)
2012-06-14 21:56:06
駄目だというところまでって、奇蹟的に助かる。そういう体験の所有者には共通して感じられるものがあるにちがいない。もう死からは逃れられないと観念しかかった者にとっては、この世の一切の可能性が消滅するように思われる。だから、いのちを長らえることができるという一転した状況が開かれたときほど嬉しいことはないにちがいない。それは新たに生きる土俵を与えられたことに等しいのだから。
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可能性の消滅 (Nobor)
2012-06-17 11:16:59
そうですね。この世の一切の可能性が消滅する、それを受け入れるほかない状況に追い込まれたとき、人は自我において死ぬ(自我を放擲する)のでしょう。自我に曇らされない眼に、世界は輝く。何という逆説でしょうか。それが悟りであり、仏教の核心でもあったのですね。
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