忘れえぬ体験-原体験を教育に生かす

原体験を道徳教育にどのように生かしていくかを探求する。

成長という生涯の課題3

2012年11月18日 | 私が頑張ったこと、時
成長という課題のために私が取り組んだ主なものは、心理療法と瞑想だ。

20代の後半にロジャーズ派のカウンセリング理論に出会い、自分が追い求めているものがここにあると、強い共感を覚えた。クライエントの成長とカウンセラーの成長とが、同じ自己理論、自己受容の理論で語られていた。患者の自己受容が充分でないと周囲の人々や社会環境をバイアスをかけて見てしまい、社会の中で生きずらい。カウンセラーは自己受容が深まるほど、そういう患者のあるがままを受容して聴ける。クライエントもカウンセラーも成長という方向性は同じなのだ。

30代前半までの数年間、多くのワークショップに参加してカウンセリングやそれ以外の心理療法を学んだ。その体験は、高校での教育相談の仕事でも生かし、深めていくことができた。

一方、心理療法に関心をもったころから、その成長理論が仏教でいう「悟り」と一直線上でつながっていることに気づき、仏教への関心も深めていった。仏教でいう座禅、一般的には瞑想が、魂の成長にとって大切な要素であることは知っていたが、本格的な実践はしていなかった。50代の前半になって原始仏教の流れをくむ上座仏教のヴィパッサナー瞑想を知り、その方法論が心理療法と深く共通するという事実に感動した。それ以来5年ほどの間に、ヴィパッサナー瞑想の10日間合宿に7回ほど参加し、日々の生活の中でもかなり集中的に修行をしていた時期があった。

その頃の日々の修行や気づきは、ブログ『瞑想と精神世界』に詳細に書き綴っている。また、瞑想合宿の報告は以下のサイトにまとめてある。

瞑想世界の旅

7回目の合宿中に軽い脳梗塞で倒れ入院したのをきっかけに、それ以後は合宿に参加していない。日常生活の中での修行も以前ほど熱心ではなくなった。しかし瞑想合宿はきわめて中身の濃いもので、参加するごとに大きな気づきや成長があった。成長とは、ある意味で自分の無意識との出会いである。抑圧していた自分の影の部分にどれだけ出会えるかに成長、すなわち自己受容がかかっている。自己受容とは、受け入れがたかった自分の無意識を受け入れていくことだともいえる。ヴィパッサナー瞑想は、抑圧していた自分の無意識への気づきを促す、きわめてシステマティックな優れた方法である。

7回の瞑想合宿の中で体験したことの一部でも紹介できればと、久しぶりに読み返してみた。しかし前後の流れが分からないと、一部だけ取り出して紹介するのは難しいと感じた。一つだけヴィパッサナー瞑想の専門用語なしで語った気づきの部分があるので紹介しておく。合宿の最終日に近い夜中に目覚めた時の体験だ。

「9日目の夜中、午前2時過ぎだったろうか、あるいは3時に近かったかもしれない。足の先が寒くて目覚めた。毛布からはみ出していたらしい。目覚めてとくに何を考えていたという記憶はない。急に何かがこみ上げて来たことだけを覚えている。

『これまでずっとたった一人で苦しんできたんだな』と思った。一瞬、これまでに経験したことのない底冷えるような孤独と辛さを感じた。そして一度だけ嗚咽した。すると体がじわーと弛み、楽になった。ふわーっと溶けていくような感覚だった。気がつくと涙が頬を伝わっていた。何かしら抑圧が解けたという感覚があった。無明の凍りがひとつ溶けた。そのうれしさが弛んだ体に広がっていた。

すでに触れたが、若き日に友人に攻撃されて深く傷ついた。それに関連した別の記憶や、それらに共通した自分の根深い劣等感が見えはじめていたことも触れた。その抑圧の凍りが、ふいに目覚めた夜中の布団のなかで溶解したようだった。」(「天女(2)」

こうした抑圧からの解放という体験が、合宿中、瞑想中に何度か体験されることが多く、それによって自己受容が進んでいく。私自身、読み返してなつかしく、また本格的に瞑想を再開したいという思いが強くなった。(Noboru)

成長という生涯の課題2

2012年11月18日 | 私が頑張ったこと、時
今年8月17日に父が亡くなった。89歳であった。亡くなるまでのほぼ一か月、家族全員で父の介護をした。その間、訪問看護師、往診の医師や看護師、訪問入浴のスタッフの方々にとてもお世話になった。なかでも訪問看護師の方には、ほぼ毎日の訪問で、父の体を拭いたりおむつを交換したりなども含めずいぶんとお世話になった。

彼女は訪問看護師として300人もの末期患者を看取ってきた。その経験の中で人間としても、訪問看護師としても大きく成長したという。その彼女にとっての「成長」は、私が生涯の課題とする「成長」の意味と深く重なりあうものであった。

高齢の患者に対するときに、まずしなければならないのは患者が何を訴えようとしているのかを一心に聴き取ることだ。そのとき自分の側に何らかの思い込みや囚われがあると、患者の訴えを正しく受け取れない。自分へのこだわりから限りなく自由になって聞こうとしないと、患者の本当の声が聞こえてこない。

患者ばかりではない。訪問看護は、介護で疲れたり悩んだりしている家族の訴えを聴くのも大切な仕事だという。そんなときも自分のなかに何らかのわだかまりがあると、話を誤解してしまったり、感情的にもつれてしまったりすることがある。彼女も患者と家族、あるいは介護する家族間のトラブルに巻き込まれたりして辛い思いをしたことも少なくなかったようだ。

そんな経験を重ねる中で彼女は、自分の心が次第にピュアになっていくのを感じたという。自分へのこだわりや囚われから自由に患者や家族に接することができるようになった。そうすると、患者や家族の言葉に腹を立てることもほとんどなくなり、仕事が苦痛というよりは、自分をさらに成長させる貴重な体験、そのような意味で大きな喜びへと変わっていったという。

実際、私自身が彼女と接して感じたのは、彼女の前では何も警戒する必要がなく無防備で安心して語ることができるということだった。ふつう私たちは、よほど親しい家族や親友でもないかぎり、人と接するときどこかで警戒したり防衛したりしている。彼女の前では、初対面のときからそれをほとんど感じなかった。自分があるがまま受容されているという安心感があった。

これは、私が求める精神的な成長のひとつの具体的な姿であろう。おそらく彼女は「私」への囚われから限りなく自由に人を受けいれることができるようになったのだろう。それは同時に「私」という自己イメージによる壁を作らずに真実の自分を受け入れることと、表裏一体なのだろう。そのような受容性の増大こそ、私がこれまで追い求めてきたことなのだ。(Noboru)

成長という生涯の課題1

2012年11月18日 | 私が頑張ったこと、時
前回の原体験の会(11月10日実施)で「自分の人生で頑張ったこと、時」というテーマで各自かんたんにまとめたものを持ち寄って話した。私も頑張ったことはいろいろあるが、とくにこれを書きたいというものがなかった。少し視点はずれるが、「これまでの人生で一貫して求めてきたこと」ということでなら書いてみたいと思った。以下は、そのまとめである。

ある時に集中的に「頑張った」というわけではないが、私が生涯の課題としてきたことがある。それを一言でいうなら「心の成長」、「魂の目覚め」ということになるだろう。振返ると確かにそれをずっと追い求めていた。満足な成果を得られたとはとても思えない。ほんのわずかしか成長していない思う。むしろ残されたこれからの時間でどれだけ飛躍できるかという期待の方が大きい。

精神的な「成長」といっても、この言葉から何を思い浮かべるかは人それぞれだろう。私自身は、かなりはっきりした意味で理解している。一言でいえば、自己と他者とをどれだけ受容できるようになったかだ。通常私たちは、自分をあまり受容できていないのだが、それに気づいていない。いわゆる無意識の世界とは、自分で受容できずに意識から排除してしまった自分だともいえる。自分の嫌な部分、見たくない部分をどれだけ受容できるかに、精神の成長がかかっている。可能な限り自己が受容され尽くされたとき、それが「魂の目覚め」のときだともいえる。

他者受容は、自己受容と表裏一体だ。自分を受容できていないと、それだけ他者を受容することもできない。一般的にいって人は、自分と同じような嫌な部分を持っている人を激しく嫌う。自分に隠しておきたい嫌な部分を他人の中に見てしまうから、自己嫌悪を相手に投影してしまうのだ。私は若いころ「カッコつけるやつ」が大嫌いだった。それだけ自分がイイカッコシーで、無意識にそういう自分を嫌っていたからだ。今は、カッコつける人を見ても微笑ましいくらいなのは、そうした自分については少なくとも受容できたからだろう。人は、自分を受容できる程度にしか他者を受容することもできない。受容とは自分のあるがままを愛することだともいえる。だから人は、自分を愛する程度にしか他者を愛することもできない。成長とは、自分の一切をどれだけ受け入れ、愛しうるかにかかっている。(Noboru)