忘れえぬ体験-原体験を教育に生かす

原体験を道徳教育にどのように生かしていくかを探求する。

夢の風景

2012年01月29日 | 夢 未生の体験
フロイドによれば夢は欲求の表出である。
それは日ごろ覚醒時に願っていることを夢の中で解消しようとする行動である。
しかし私は昔から夢はそれだけではないと思っている。

私には小さい頃から追い求めている食べものの味がある。
ある時それはこの世界ではない味覚なのだと分かるようになった。
日常、食べ物を口にする時、なんとなく裏切られた気分であるが、
その味覚ではないと絶対に嫌だということでもない。しかも私は大食漢である。
それらの食べ物は本当の食べ物ではないという感覚だが胃袋は満足するのである。

たぶんその食べ物は夢の中で食べていたような気がする。
それはお腹を膨らますためのものではなく、口をさわやかにし、
物感から解放されているものである。
聖書の中にマナという食べ物があるが、
そんな食べ物を彷彿とさせるが、それはどんなものであるか分からない。

夢はそんな異世界の体験に通じているものではなかろうか。
何処かで、何時か体験したことが意識の底深くから顔を出すのである。
それもまた原体験であろう。
それはまた私の小さいころからの、いつまでも消えないものであると言える。
アジャセの「未生怨」ということがあるが、「未生の体験」とも言えようか。
「未生怨」は悲しい体験であるが、喜ばしい体験もあるだろう。
私たちそんな体験を沢山、意識の底に秘めているかもしれない。
ただ意識野に上るかどうかにすぎないのではないだろうか。