忘れえぬ体験-原体験を教育に生かす

原体験を道徳教育にどのように生かしていくかを探求する。

私の原体験 ⑪ (妻の死)

2010年03月29日 | Yutakaの原体験
 私と妻は、ガンを直すことをあきらめていたわけではありません。
絶対に治る。
いや、絶対に治す、と2人で確信していました。
 妻は、自身で針治療や食事療法といった免疫療法を選択した訳です。
私は万が一のために、ホスピス医である小澤先生と連絡をとりました。
小沢先生は、道徳学会の講演を依頼して以来の、私が信頼している医師です。
 電話をすると、小澤先生はすぐに承諾してくれ、妻は小澤先生の診断を受けました。
小澤先生は、妻の治療方針に沿って援助してくれることを約束してくれました。
 妻は、その日から小澤先生の勤務する横浜甦生病院に外来患者としてかかることになりました。
 妻は初めて小澤先生に会った時以来、心から小澤先生に信頼を置いていました。
私の親友の母親が、当時やはり肺ガンにかかっており、その際使用していた薬を親友が進めてくれました。
その薬はガン細胞への栄養補給を断つことを目的とした薬でした。
 小澤先生に相談すると、すぐに承諾してくれました。
そこで、イレッサと呼ばれるガン治療薬を5月から使用してみることになりました。
服用するために、妻は1ヶ月近く大部屋の病室に入院しました。
 病院は夜8時が見舞の門限でした。
毎日私は見舞いに病院に通いました。
 学校を7時過ぎに出て、夜8時の門限まで毎日病院にいました。
妻は、病室に着く私の顔を見ると、
必ず片手をあげ、ニコッと笑顔を見せてくれました。
 門限の夜8時にやっと着いて、妻の笑顔を見ると、そのまま帰ることもありました。
妻は、1日だけ私が来なかった日があると後に言いました。
その日は、妻が寝込んでいました。
妻の寝顔をずっと眺めて、門限の時間にそっと帰ったが、
その日でした。
「良く寝ていたから帰ったんだよ」、と言うと
妻は、がっかりした表情を浮かべたことを覚えています。
起こしてもらいたかったのでしょう。
きっと、ずっと私を持っている間に
疲れて寝込んでしまったのでしょう。
後から振り返ると、一期一会の日々でした。
私の判断が、間違っていたのかもしれません。
(つづく)

中学生の時期の子育て(yutakaの学級通信:第6話)

2010年03月29日 | 教育談義
 小学生の時期の子育ては、幼児から教えてきた「躾」の最終期に当たると思います。
 躾とは、漢字が表すように「身を美しく整えること」です。
挨拶や態度、目上の人への敬語など、社会生活を送る上で、大切な習慣を身に付けさせる時期です。
 中学生の時期の子育てになると、加えて「自律」や「自立」心の育成へと移っていきます。
自分で自分を律せる力、自分から行動できる力を育てる時期に成長します。
 中学生の時期は、自分の考えが出てくる時期でもあります。
したがって、「いけない」と注意するだけでなく、「なぜいけないのか」という「理由」をしっかり理解させることも大切です。
中学生の時期は、自身で納得できなければ無条件に大人の言うことに、従わなくなる時期でもあります。
 これが「反抗期」と呼ばれる所以です。
子どもに理由を納得させることも大切なのですが、他に重要なことがあります。
それは、注意する側の大人の姿勢です。
「自分を棚にあげて」という姿勢では、子どもは決して納得しないということです。
納得しないばかりか、反発や反抗も生じてきます。
親や教師の姿勢が問われる時期が、「中学生の時期の子育て」なのかもしれません。
しかし、人として完全な親や教師など、どこにもいません。
 重要なのは、「よりよく生きようとする姿勢」があるか、ということではないでしょうか。
 この時期の子どもには、大人の姿勢を見抜く力があります。
偽善が通用しない時期なのでしょう。
「後ろ姿の教育」「親の背中を見て、子は育つ」などと形容される教育作用が、良くも悪くも影響する時期なのでは、ないでしょうか。