忘れえぬ体験-原体験を教育に生かす

原体験を道徳教育にどのように生かしていくかを探求する。

覚醒・至高体験をめぐって21:  (4)自己超越①

2012年10月23日 | 覚醒・至高体験をめぐって
4 自己超越

精神分析派の思想家であるフロム(Erich Fromm,1900~1980)は、「精神分析学と禅仏教」という論文のなかで次のようにいう。私たちは、日常的な現実を自分達の必要に応じて取捨選択して見ており、しかも多かれ少なかれ私たち自身によって歪められた現実を見ているのだ。したがって、私たちが現実であると信ずることのほとんどは、私たちの心が作り出した虚構の産物なのだ、と。私たち普通人の意識は、主として虚構や幻想から成り立っているとも言えるであろう。(鈴木大拙、E・フロム、R・デマルティーノ『禅と精神分析 (現代社会科学叢書)』東京創元社)

もちろん日常的な認識のこうした捉え方は、マスローのいうD認識のあり方に対応する。マスローにとっても、ごく普通の日常的な認識(D認識)は、多くの場合、自分の都合に合わせて分類し、抽象化し、概念化して見る(概括)という性格をもっている。観察者は、自分が見ようとするものを選び、さらにそれを欲求や恐れや利害関心によって歪め、こうして私たちが経験する世界は、一種の構成と選択によって組みたてられ、再配列されているのだ。

一方、現代の心理学者たちのこうした主張に対応する見方は、東洋の伝統的な思想のなかにも見られる。たとえば、大乗仏教の「空」の哲学者ナーガールジュナはいう、生滅し、たえず変化するこの世界は「あたかも幻のごとく、あたかも夢のごとく、あたかも蜃気楼のようなものである」(『中論』)と。ナーガールジュナは、言語を通してなされるわれわれの日常的な認識のありかたは倒錯であり、夢幻であると主張しているのだ。

覚醒・至高体験をめぐって16: (3)至高体験とB認識④

2012年07月02日 | 覚醒・至高体験をめぐって
《渡邊満喜子》

つぎに挙げるのは渡邊満喜子氏(わたなべみきこ、一九四四~)の体験である。彼女は、メキシコに滞在中に、自然に感応する生来の敏感な身体感覚によって、この国の大地がもつ深く大きな自然の力と共鳴するというエネルギー体験をする。帰国後、不整脈などの症状に悩み、「野口整体」の健康法のプロセスで、「活元」による自然発声からヴァイブレーションを基にする歌が生まれた。さらにその後のメキシコ旅行の途中で自然のエネルギーに導かれ、「自らを癒す歌」から「他者を癒す歌」が生まれた。そして、生命の根源から生まれる声と歌による「ヴォイスヒーリング」で多くの人を癒しているという。

以下に引用するのは、最初のメキシコ滞在中にあった体験である。

『この町(グァダラハラ)に友人や家族と旅行した。この町には有名な革命期の画家オロスコの壁画がある。かつては孤児院であったその建物は、内部に24の小さなパティオがある独特の構造をもっていた。

私はオロスコの絵を見てしまうと、ぼんやり窓の外をながめた。絵のある部屋は窓の外にあふれる午後のひかりにくらべると、薄い闇におおわれているような気がした。私は窓に近づいて、ひかりにくっきり浮かびあがったパティオをながめた。小さな庭の真ん中にがっしりした樹があった。見つめていると、樹の輪郭がわずかにずれているのがわかった。 樹はゆらゆらと視界のなかで揺れた。

「この樹は樹であって、しかも樹ではない」と何かが私にささやいた。

じっと見つめていれば、それが何であるかわかると思った。深い戦慄が背中をはいあがってきた。もう少し、もう少し……と張りつめたものがはじけそうになる寸前、何かがもう一度私にささやいた。

「あの樹が樹でないことがわかれば、私もまた私ではないことがわかるだろう」

私はとっさに方向転換した乗り物のように、日常の水面に浮かびあがった。みぞおちに恐怖感のさざ波が打ちよせていた。部屋の薄い闇の奥から、娘が小走りに駆けよってきた。 暖かいその体を抱きよせると、微かに汗のにおいがした。それはいとおしい「こちら側」の手触りだった。』(『聖なる癒しの歌―ヴォイスヒーリングへの道 (現代のさとり体験シリーズ)』金花舎、一九九六年)

ここで「この樹は樹であって、しかも樹ではない」と語られる言葉が、八木誠一の「いままで樹は樹だと思っていた。何という間違いだろう」と響きあうのは、いうまでもない。渡邊氏の体験で興味深いのは、さらに「あの樹が樹でないことがわかれば、私もまた私ではないことがわかるだろう」と語られていることだ。つまり、樹が樹でないことと、私が私でないこととが、同じこととして語られている。しかも、「私もまた私ではない」世界へ行ってしまうことの恐怖とともに。

「私もまた私ではない」は、至高体験における「1、‥‥自己の利害を超越し、対象をあるがままの形で全体的に把握し、認識の対象を完全な一体として見る」や、「4、‥‥認知が自己超越的、自己没却的で、観察者と観察されるものとが一体となり、無我の境地に立つことができる」などの特徴との深いかかわりが感じられる。

至高体験においては、たとえ一時的であろうと「自己」は消える。「自己」というフィルターがないからこそ、「自己」の利害や「自己」によるラベル貼りを超えた生き生きとした現実が姿を現す。しかし、「自己」の消滅は、「自己」にとっては恐怖である。渡邊氏は、おそらくその恐怖に直面したのであろう。

覚醒・至高体験をめぐって15: (3)至高体験とB認識③

2012年06月28日 | 覚醒・至高体験をめぐって
《八木誠一》
八木誠一(やぎせいいち、一九三二~)は神学関係の学者であるが、久松真一、秋月龍らの禅学者・禅僧とも積極的に議論をかさね、伝統的な神学の枠に縛られずに「覚」の宗教者として活躍する。彼が語る体験を見よう。

八木誠一の事例

この体験中の「いままで樹は樹だと思っていた。何という間違いだろう」、あるいは「あくまで私は私、ひとはひと、樹は樹でありながら、もはや単にそうではなかったのだ」という表現に注目してほしい。

ふつうの人々の日常的な認識の大部分は、具体的というよりむしろ抽象的という傾向をもっている。ごく普通の日常的な認識は多くの場合、自分の都合に合わせて分類し、ラベルを貼り、抽象化して見ているのだ。雑草を「雑草」と概念化し、ラベル貼りして、そうとしか見ないのは、それ以上の必要がないからである。園芸家は必要に応じて雑草の個々の種類まで分類するであろう。しかしそれも自分の必要からする概念化であり、ラベル貼りにすぎない。 いずれにせよ、われわれは日常、自分の必要のレベルに合わせて概念化され、整理された世界を見ている。そして、そのラベルによる抽象、整理された世界を現実と取り違えている。ラベルを貼られてきれいに並んだ整理箱が現実だと勘違いしているのだ。  

抽象化(概念化、ラベル貼り)とは要するに、対象の一面を選択すること、われわれに必要な側面を言葉(概念、ラベル)によって際立たせることである。問題はそれによって現実を固定化し、定式化して見ることにて慣れてしまい、生きた現実、なまの豊かな世界が見えなくなることだろう。

至高体験においては、「具体性を失わないで抽象する能力と、抽象性を失わないで具体的である能力」とが同時に見出されるという。B認識とは、ラベルの向こうに生き生きとした現実が同時に透けて見えることだとも言えるだろう。八木誠一が、「あくまで私は私、ひとはひと、樹は樹でありながら、もはや単にそうではなかったのだ」と感じたのは、いままで「樹」という概念のフィルターで見られていた樹が、それと同時に、概念による整理(抽象)以前の、なまの実在として現われたということではないか。「具体性を失わないで 抽象する能力と、抽象性を失わないで具体的に見る能力」とは、おそらくこういう意味であろう。

(Noboru)

覚醒・至高体験をめぐって14: (3)至高体験とB認識②

2012年06月21日 | 覚醒・至高体験をめぐって
これに対してD認識では、「自己」のその時々の都合と必要に合わせて言葉というラベルが貼られ、そのラベルを通してしか見られない。われわれはおそらく、この世のすべてに自分の整理の都合に合わせて言葉というラベルを貼りつづけているのだ。ラベルを貼ることで、全体(ワンネス)を分割し、分類してしまい、分割・分類することでそれを把握できたと勘違いしているであろう。  

しかし実は、ラベルの貼られた整理箱の中味については何も見ていないことが多いのだ。対象はそのまま見られるというよりも、むしろ「類の一員として、大きな範疇の一例として」整理箱に入れられただけなのである。  

たとえば普通われわれは、道ばたの雑草に「雑草」というラベルを貼り付けてしまえばそれで終わりでそれ以上に対象認識は進まない。このようなラベル貼りによる認知をマスロー は「概括」と呼んだ。もしかしたら桜を美しいと感じるのも、「桜は美しいもの」 という「概括」的な認知のレベルを超えていないのかも知れない。私たちのなかに染み付いた固定化された美意識は、「美しい桜」というラベルを貼ることで、世間一般と美意識を共有し、安心するための道具にすぎないともいえよう。  

しかし、雑草が咲かせた一輪の花に生命の神秘、宇宙の神秘を感じ取る人もいるのだ。自己実現した人々は、ほとんどの人々が現実界と混同している言語化された概念、抽象、期待、信条、固定観念の世界(ラベルで整理された世界)よりも、はるかに自然な生々とした世界のうちに生きる。いま・ここで出逢うひとつひとつの対象が、そのつど宇宙のすべてであり、宇宙のいのちの一体のものとして感じられるのがB認識なのだろう。

5)B認識にはまた、具体的であると同時に抽象的であるという特徴がある。これについては、これまでに取り上げた事例からだけでは、その意味するところが分かりにくいかもしれない。そこで、さらにいくつかの事例を見ながら検討していきたい。

(Noboru)

覚醒・至高体験をめぐって13: (3)至高体験とB認識①

2012年06月20日 | 覚醒・至高体験をめぐって
3 至高体験とB認識

さて、いくつかの事例によって、至高体験およびそのB認識のあり方を確認してきた。つぎは、至高体験におけるB認識の特徴に焦点をあてつつ、さらに詳細な検討をしていきたい。すべて至高体験の特徴の中で列挙したものだが、ここでB認識の特徴を抜き出して確認しておこう。

1)B認識において人や物は、「自己」との関係や「自己」の意図によって歪められず、「自己」自身の目的や利害から独立した、そのままの姿として見られる。
2)B認識は無我の認識である。
3)B認識は、ふつうの認識に比べ、受動的な性格をもつ。
4)B認識では、対象はまるごと一つの全体として把握される。
5)B認識にはまた、具体的であると同時に抽象的である。

以上のうち、1)から4)は、これまでの事例によってもある程度イメージがつかめたかと思うが、ここで再度確認していこう。

まず1)ついて。われわれの日常生活で見られるようなD認識の経験では、対象を利害の立場から見るために、自己の目的達成の手段という視点から対象を一面的にとらえてしまう。ところがB認識では、すべての対象は、あらゆる利害を離れてそれ自体が、全体的なものとしてとらえられる。

2)同様に、B認識は無我の認識であるともいえる。自己実現した人間の正常な知覚や、ふつうの人々の時折の至高体験においては、認識はどちらかといえば、「自我超越的、自己忘却的で、無我」という傾向をおびるという。それは「不動、非人格的、無欲、 無私」とも言いかえられよう。自我中心の見方から脱して、対象中心的な見方に向かう。1)で見たような特徴を別の観点から表現したのだともいえるだろう。

江戸時代の禅者、至道無難の歌「我れなくて見聞覚知する人を、生き仏とはこれをいうなり」というのは、まさにB認識の核心をすばり表現しているだろうし、逆に同じ至道無難の「我ありて見聞覚知する人を、生き畜生とはこれをいうなり」というのは、まさにD認識を表現している。

3)またB認識は、ふつうの認識に比べ、受動的な性格をもつようだ。ふつうの認識(D認識)は、非常に能動的なプロセスである。それは観察者がおこなう一種の構成と選択によって成り立っている。観察者が、見ようとするものと見たくないものを選ぶのである。また、自分が見ようとするものを、自己の欲求や恐れや利害関心と結びつけて歪めて見る。日常わたしたちは、つねに対象に働きかけ、それを組みたて、再配列して作り上げた認識をしているのだ。

それに対してB認識は、はるかに「受動的、受容的」な傾向をもつ。それは経験を前にして「謙虚で、無干渉的」であり、認識の対象を「その本然の姿にとどまらせること」である。そうした特徴をクリシュナムルティは、「無選択意識」と呼び、マスローは「無欲意識」と名づけた。  

4)B認識では、対象はまるごと一つの全体として把握される。覚醒者や至高体験時の認識では、一つの全体として、完全な一体(ワンネス)として見られる傾向があるのだ。この世のすべては、「自己」の都合や目的や手段から独立した一体なのである。そこの街角にたたずむ人が、あるいは道ばたの花が、そのつど宇宙のすべてであるかのように見られるのだ。

(Noboru)

覚醒・至高体験をめぐって12: (2)至高体験の特徴⑦

2012年06月12日 | 覚醒・至高体験をめぐって
《N・K氏》

つぎに挙げるのは、ある女性がTグループに参加した時の体験を綴ったものである。Tグループとは、アメリカ開発された人間関係訓練のためのグループ技法のひとつである。こうした特殊な訓練の場面では、グループの中で自己を開示するに伴って至高体験が得られやすいという。Tグループは、山などの自然の中で合宿形式で行われることが多く、感受性が高まった目にとりわけ自然の美が心に迫り、そこに人生の本質とでもいえるような何ものかが感じとられる場合が見られる。日常の自己執着や目先の目的に縛られた心を解放し(D認識からの解放)、まったく新鮮な眼で自然と世界を感じ取る体験をするのだろう(B認識)。

この女性は、合宿Tグループの合間に、ある山頂で自然の中に融合した体験と、その結果として訪れた「爽やかな生の味覚」、「胸の奥で疼いた生命感」を次のように表現する。

N・K氏の事例

これもまた、至高体験の一種と言えるだろう。日常的自我の枠から解放され、自己の内外に開かれた経験だといえる。彼女は、腹の底を突き上げてくるものに、手放しで、ただ、まかせていた。その結果、一瞬ごとに自分を取り囲むすべてのものが飛びこんできたのであろう。ここでは、至高体験における認識の受動性という性格(7)が確認される。そんな状況の中で、本人はいつの間にか自然の中に深く沈潜し、さらに深く、すべてのものに結びついていった。そして人間の本当の姿、といいたくなるような「たったひとり」を経験したのではないかと思われる。

【注】Tグループについては、上のリンク先の注を参照されたい。

(Noboru)

覚醒・至高体験をめぐって11: (2)至高体験の特徴⑥

2012年06月06日 | 覚醒・至高体験をめぐって
《タゴール》

次に取り上げるのは、インドの詩人であり、宗教哲学者でもあったタゴール(Rabi_ndrana_th Tagore 、1861~1941)である。彼は21歳のときに、以下に紹介するような神秘体験をしている。その体験によって彼の詩の作風は大きく変わり、現実の混沌の背後にある神の創造の美と歓喜の世界を描く大詩人への成長していく。辻邦生が、若き日の至高体験を、その後の作品に色濃く反映させているのに似ていなくもない。(以下、タゴールの体験前後の記述は、森本達雄『ガンディーとタゴール (レグルス文庫)』第三文明社、一九九五年、から要約した。)

少年のころ、生来の自然児だったタゴールは、イギリス式の厳格な詰め込み教育に耐えられず、いわゆる「おちこぼれ」で、三度も学校を変えた。にもかかわらず、生涯一枚も学校の卒業証書を授与されなかったという。そんなタゴールを心配した父は、17歳になった彼をイギリスに留学させた。

一年半のイギリスでの生活は、その後の詩人の成長にとって無益ではなかった。彼はロンドン滞在中、西洋の古典文学やイギリス浪漫派の詩人たちの作品に親しみ、同時に西洋音楽の精神に参入した。

懐かしい故国に帰ったタゴールの創作意欲はますます旺盛で、内心の孤独や失意を、形式や韻律の伝統にとらわれることなく、自由にうたうことで、新しい自己表現の方法を見出した。こうして書かれた一連の作品は、一八八二年に『夕べの歌』と題する一冊の詩集として出版された。これらの作品によって彼は、「ベンガルのシェリー」として、一躍文壇にその名を知られるようになった。

しかし、これらの作品はおおむね、「主観的な幻想と自己陶酔のなかで孤独を嘆き、人生を悲しむといった青年期特有の憂欝や不安」を表現していた。後年タゴールは、この時代の作品を「心の荒野」としてまとめている。タゴールがそうした病的な感傷世界の殻を破って、「遍照する朝の光へ、生命の歓喜の世界へと躍り出た」のは、それからまもない21歳の初秋のことである。

ある朝タゴールは、カルカッタのヴィクトリア博物館に近いある街の、兄の家のヴェランダに立って、外を眺めていた。東の方向にある学園の校庭の樹々の向こうに、ちょうど朝日が昇りはじめた。陽はみるみる樹をつたって昇り、茂った葉のあいだから金色の光が射し、葉の一枚一枚が光を浴びて踊っていた。タゴールは、そのときの不思議な感動を次のように回想する。

「ある朝、わたしはたまたまヴェランダに立って、その方角を見ていた。太陽がちょうどそれらの樹々の葉の茂った梢をぬけて昇ってゆくところだった。わたしが見つづけていたとき、突然にわたしの眼から覆いが落ちたらしく、わたしは世界がある不思議な光輝に浴し、同時に美と歓喜の波が四方に高まってゆくのを見た。この光輝は一瞬にして、わたしの心に鬱積していた悲哀と意気消沈の壁をつき破り、心を普遍的な光で満たしたのだった。」

「私がバルコニーに立っていると、通行人のそれぞれの歩きぶりや姿や顔つきが、それが誰であろうと、すべて異常なまでにすばらしく見えた――宇宙の海の波の上をみんなが流れて過ぎてゆくように、子供の時から私はただ自分の眼だけで見ていたのに、今や私は自分の意識全体で見はじめたのだ。

私は一方が相手の肩に腕をかけて無頓着に道を歩いてゆく二人の笑っている若者の姿を、些細の出来事と見なすことはできなかった――それを通して私は、そこから無数の笑いの飛沫が世界中に踊り出る、永遠の喜びをたたえた泉の底知れぬ深みを見ることができたのだから」(タゴール『わが回想』、『自伝・回想・旅行記 (タゴール著作集)』第三文明社、一九八七年所収)

この体験もまた、マスローのいう至高体験の特徴をよく表している。眼から覆いが除かれ、全意識をもって世界を見はじめたタゴールにとって、この世のどんな人も事物も、無意味でつまらないものはなく、存在するすべてを通して永遠の生命と歓びがかがやいて見えたであろう。この体験もまた、マスローのいうD認識からB認識への変化を如実に物語っている。また、至高体験の特徴でいえば、それは「11 愛し、赦し、受け入れ、賛美し、理解し、ある意味で神のような心情をもつ」にも対応し、さらに「12 純然たる精神の高揚、満足、法悦」も、はっきりと読み取れる。

こうして丸四日間、「自己忘却の至福の状態」にあった後、タゴールはふたたび日常の時間のなかへもどっていったという。しかし、ひとたび実在のかがやきを体験し、真の自我を見たという歓びは、その後、詩人の心から離れなかった。むしろ、そのときの直観を深め、詩という芸術へと結晶化することが、タゴールの生涯の課題となった。

興味深いことにタゴールは、それからまもなく体験の再現を期待して、ヒマラヤ山系の風光明媚なタージリンヘ旅した。しかし、「山に登ってあたりを見まわしたとき、わたしはすぐにわたしの新しい視力を呼び戻すことができないことに気づいた。‥‥‥山々の王がどんなに空に聳え立っていようとも、彼はわたしへの贈り物に、なにも持ち合わせていないこと」を知ったのだという。そして詩人は、神秘体験はけっして環境の美や、整備された宗教的状況のなかで来るものではないことを悟ったのだという。

(Noboru)

覚醒・至高体験をめぐって10:(2)至高体験の特徴⑤

2012年06月05日 | 覚醒・至高体験をめぐって
作家・辻邦夫の若き日の体験は、その後の彼の作品にも色濃く反映されている。以下に挙げるのは、作品の中の明らかに彼自身の体験に根ざして書かれた思とわれる文章である。

「…そんな人間にも、いつか死が訪れてくる。死は自分を消滅させる。 どんなにじたばたしたって最後には自分を放棄するほかない。人間はそのときになって初めて、自分中心の気持ちから解放されるんだよ。もう諦めて、自分に執着することをやめて、ただ黙ってこの世を見るんだ。そうすると雲も風も花も光も今まで見たこともなかった美しいものに見えてくる。玻璃のような世界がそこに姿を現しているのに気がつくんだ。だから人間にとって死とは、この世が何であったかを知る最後の、最高の機会になるんだね。その意味でも、死は、人間にとって、やはり素晴らしい贈物であると思わなければならないんだよ。」 (辻邦生『樹の声 海の声 ) (朝日文庫)』朝日新聞社、一九八五年)

「‥‥あなたも何が正しいかで苦しんでおられる。しかしそんなものは初めからないのです。いや、そんなものは棄ててしまったほうがいいのです。そう思い覚ってこの世を見てごらんなさい。花と風と光と雲があなたを迎えてくれる。正しいものを求めるから、正しくないものも生まれてくる。それをまずお棄てなさい。」(辻邦生『西行花伝 (新潮文庫)』新潮社、一九九九年)

最初の例で、「人間はそのときになって初めて、自分中心の気持ちから解放されるんだよ。もう諦めて、自分に執着することをやめて、ただ黙ってこの世を見るんだ。」と語られるのは、「1 対象をあるがままの形で全体的に把握」、「3 人間の目的とは無関係な独立した存在として対象をとらえる」、「4 認知が自己没却的で無我の境地に立つことができる」などの至高体験の特徴に対応する。二番目の例で、正邪の判断を棄ててこの世を見ると言われるのは、「7 至高体験は能動的な認識ではなく、受動的である」という特徴に関係するとも言える。正邪の判断は能動的な認識活動につながっているからである。

さて、辻邦生の体験は、もうひとつ別の観点から見ておく必要がある。それは、彼がこの体験に至ったきっかけ、すなわち死への直面という観点である。死への直面が、至高体験や覚醒の契機となったという事例は他にもかなり多く集められている。いずれわれわれは、何が契機となって至高体験に至ったかという観点から事例を検討する機会があるだろう。その中で死への直面がきっかけとなった事例もいくつか取り上げる予定だが、その時、辻邦生の事例をもう一度思い起こすことになるだろう。

(Noboru)

覚醒・至高体験をめぐって09:(2)至高体験の特徴④

2012年06月03日 | 覚醒・至高体験をめぐって
《辻邦生》

次に取り上げるのは、『安土往還記 (新潮文庫)』、『背教者ユリアヌス (中公文庫)』などの作品で知られる作家・辻邦生(つじくにお、一九二六~一九九九)の場合である。

辻は、旧制高校の頃、青年期特有のロマン的気分に惹かれ、詩人プラーテンの 「美しきもの見し人は/すでに死のとらわれ人」という詩に憧れ、自殺願望を抱いたことさえあったという。日常生活がひどく下賤なものに思え、昼夜ドストエフスキーやバルザックに読みふけっていた。平穏無事な家庭生活など文学には無縁だと思い、太宰治の「家庭の幸福は諸悪のもと」を本気で信じて、デカダンスにあこがれていた。

『そんな現世否定的な考えが、決定的に変化して、なみの人間よりも、さらに激しい現世肯定派になったのは、さまざまな読書体験にもよるが、決定的なのは、やはり病気であやうく死にかけたためだった。

大学を卒業した年の春、突然高熱が出た。急性肝炎だった。もう駄目だというところまでいって、奇蹟的に熱が下がり、一ヵ月ほどして退院した。

その当時、東大前に住んでいたので、退院の日、病院から大学構内を歩いて家に帰った。その途中、ちょうど五月の晴れた日で、図書館前樟(くす)の大木の新緑がきらきら輝いていた。私は思わず息を呑んだ。これほど美しいもの を見たことがないと思った。それは、プラーテンの詩にあるような、死と一つになった陰気な美ではなく、逆に、生命が溢れ、心を歓喜へと高めてゆく美だった。

地上の生の素晴しさを、それまでまったく知らなかったわけではない。死に憧れた信州でも、朝日に染まるアルプスや、高原の風にそよぐ白樺や、霧のなかに聞えるカッコウの声など、好きでたまらないものがいくらでもあった。しかしそれは一瞬心のなかを過ぎてゆく映像で、次の瞬間にはもう不安や焦燥や不満が入れ替って心を満たしていた。いつも晴れやかというわけにはゆかなかった。

しかし死をくぐりぬけ、恢復の喜びを噛みしめていたその瞬間に見た樟の若葉は、そういったものとは違っていた。それは、この世の風景のもっと奥にある、すべての生命の原風景といったものに見えたのだった。 (中略)

ちょうど樟の新緑は、心のなかの太陽のように、その後、生命感の源泉となった。物悲しい雨の日も、暗澹としたパリの午後も、目をつぶると、太陽に輝くきらきらした新緑が見えた。その途端、この地上とは、惰性で無感動に生きている場ではない、という思いに貫かれた。死という暗い虚無のなかに、〈地上の生〉は、明るい舞台のように、ぽっかり浮んでいる。青空も、風も、花も、町も、人々も、ただ一回きりのものとして、死という虚無にとり囲まれている。この一回きりの生を、両腕にひしと抱き、熱烈に、本気で 生きなければもうそれは二度と味わうことができないのだ――私は痛切にそう思った。』(辻邦生『生きて愛するために (中公文庫)』中公文庫、)

こうして辻邦生は「地上に生きているということが、ただそのことだけで、ほかに較べもののないほど素晴しいことだ」と思うようになったのである。おそらく辻は、死を覚悟したぎりぎりのところから恢復したとき、目的―手段の連鎖の中で見る日常的なD認識のレベルとはまったく別の視点で見ていたのである。自然は、「生命が溢れ、心を歓喜へと高めてゆく美」であり、「この世の風景のもっと奥にある、すべての生命の原風景」として認識される。これは、マスローがB認識といった視点と同じであろう。

(Noboru)

覚醒・至高体験をめぐって08:(2)至高体験の特徴③

2012年04月27日 | 覚醒・至高体験をめぐって
《林武》 

まずは、その強烈な表現と独自の造形理論で知られた画家・林武(はやしたけし、一八九六~一九七五)の体験である。彼は、一番大事な絵を捨てようと決心した、あるときの心境と体験を次のように語っている。(『美に生きる―私の体験的絵画論 (1965年) (講談社現代新書)』)

『僕は、絵の道具を一切合財、戸だなのなかにほうりこんでしまった。愛するものを養うために、あすから松沢村役場の書記かなんかにしてもらって働こう。僕はそう決心した。それは実になんともいいようのない愉快な気分であった。からだじゅうの緊張がゆるんで精神がすっとして、生まれてこのかた、あんなにすばらしい開放感を味わったことはいまだなかった。』

『それは一種の解脱というものであった。絵に対するあのすごい執着を、見事にふり落としたのだ。僕には、若さのもつ理想と野心があった。自負と妻に対する責任から、どうしても絵描きにならなければならなかった。だからほんとうに絵というものをめざして、どろんこになっていた。そのような執着から離れたのであった。』

『外界に不思議な変化が起こった。外界のすべてがひじょうに素直になったのである。そこに立つ木が、真の生きた木に見えてきたのである。ありのままの実在の木として見えてきた。』

『同時に、地上いっさいのものが、実在のすべてが、賛嘆と畏怖をともなって僕に語りかけた。きのうにかわるこの自然の姿──それは天国のような真の美しさとともに、不思議な悪魔のような生命力をみなぎらせて迫る。僕は思わず目を閉じた。それはあらそうことのできない自然の壮美であり、恐ろしさであった。

この至高体験をまず取り上げたのは、マスローのいうD認識からB認識への変化をみごとに描写しているからである。B認識において人や物は、「自己」との関係や「自己」の意図によって歪められず、「自己」自身の目的や利害から独立した、そのままの姿として見られる傾向がある。自然がそのまま、それ自体のために存在するように見られ、世界は、人間の目的のための手段の寄せ集めではなく、それぞれのあるがままで尊厳をもって実感される。 逆にD認識においては、世界の中の物や人は「用いられるべきもの」、「恐ろしいもの」、あるいは「自己」が世界の中で生きていくための手段の連鎖として見られる。

林武の事例において、木が「真の生きた木、ありのままの実在の木」として見えたとは、主体との関係や主体の意図によって歪曲されず、主体自身の目的や利害から独立した「それ自体の生命(目的性)において」見られたということであろう。そのとき「その情緒反応は、なにか偉大なものを眼前にするような驚異、畏敬、尊敬、謙虚、敬服などの趣きをもつ」のである。認識が、D認識(目的―手段の連鎖の中で見る日常的認識)からB認識(それ自体の尊厳性において見る)に激変したことの驚きを、画家は「きのうにかわるこの自然の姿──それは天国のような真の美しさとともに、不思議な悪魔のような生命力をみなぎらせて迫る」と表現している。

覚醒・至高体験事例集・林武の事例も参照のこと)

(Noboru)

覚醒・至高体験をめぐって07:(2)至高体験の特徴②

2012年04月25日 | 覚醒・至高体験をめぐって
1 至高体験においては、自己の利害を超越し、対象をあるがままの形で全体的に把握し、認識の対象を完全な一体として見る。

2 至高体験においては、認識の対象にすっかり没入してしまう。

3 対象を、人間の目的とかかわりのある見地から見るのではなく、人間とは無関係なものとして、それ自体独立した存在としてとらえる。

4 至高体験においては、認知が自己超越的、自己没却的で、観察者と観察されるものとが一体となり、無我の境地に立つことができる。

5 至高体験においては、対象に熱中し、没入するので、主観的に時空を超越している。

6 至高体験は、相対的ではなく、絶対的なるもの、永遠なるもの、普遍的なるものとして体験される。

7 至高体験は能動的な認識ではなく、受動的である、経験を前にして、謙虚で無干渉である。

8 至高体験においては、偉大なものを眼前にして前にして圧倒され、驚異、畏敬、謙虚、敬服といった色合い、感情をもつ。

9 至高体験では、「具体性を失わないで抽象化する能力と、抽象性を失わないで具体的である能力とが同時に見出される。」また、対象を類の一員としてではなく、それ自体唯一の個別的存在として見る。

10 至高体験においては、人間性の本来もつ「多くの二分法、両極性、葛藤は融合し、超越し、解決せられる。」

11 至高体験においては、人の行動はすべて愛し、赦し、受け入れ、賛美し、理解し、ある意味で神のような心情をもつ。

12 至高体験においては、一時的ではあるが、恐れ、不安、抑圧、防衛、統制が失われ、純然たる精神の高揚、満足、法悦が体験される。

ここに挙げたそれぞれの項目はたがいに深く関係し、ひとつの現象を別の角度から捉えなおしたような表現も見られる(たとえば、1と2と4、3と7の関係等を参照されたい。)

また、既に触れたようにマスローは、高度の成長、自己実現の状態に達した人々の認識のあり方や、至高体験に見られる認識のあり方をB認識として特徴づけている。B認識は、ごくふつうの人々の日常的な認識のあり方であるD認識(D=deficiency=欠乏)と比べられる。

マスローによる以上のような至高体験の特徴と、それを認識面からとらえたB認識の特徴とを、今後「覚醒・至高体験」の事例を検討していくためのさしあたっての基準としたい。だたし、これはあくまでも出発点での目安に過ぎず、今後事例を検討していくなかで、他の重要な特徴が付け加えられたり、たんなる列挙ではなく、より構造化された記述に深められていくかも知れない。

われわれの当面の課題は、上にあげたような至高体験の特徴、とくにB認識の特徴を、具体的な事例にそって確認することである。

(Noboru)

覚醒・至高体験をめぐって06:(2)至高体験の特徴①

2012年04月24日 | 覚醒・至高体験をめぐって
2 至高体験の特徴

心理学者マスローは、「至高体験」と呼ばれる状態の心理的な特性や、自己実現ないし自己超越したと思われる現代の多くの人々の心理的、人間的特性を緻密に検討した。マスローの「至高体験」についての記述と分析は、彼が行った心理学的な調査の結果にもとづいている。彼は、八十名ほどの人々との個人面接、一九〇名にのぼる大学生に実施したアンケート調査、さらに五〇名ほどの人々からの個人的報告などをもとにして分析を行っている。

アンケートは、宗教的経験、美的経験、愛情経験、創造性の経験など、人生のうちで最も感動を覚えた瞬間の記述を求めるものであった。それは、「あなたの生涯のうちで、最も素晴らしい経験」、「おそらく恋愛に浸っている間や、音楽を聴いていながら、あるいは書物や絵画によって突然『感動』を受けたり、偉大な創造の場合に経験する最も幸福であった瞬間、恍惚の瞬間、有頂天の瞬間」に関して、「このようなはげしい瞬間に、あなたはどう感じるか、ほかの時にあなたが感じるのとは違っているか、あなたはそのとき、なにか違った人になるかどうか」を報告してもらう内容であった。

この調査をもとに彼がまとめた至高体験の内容のいくつかを、その著『完全なる人間―魂のめざすもの』(A,H,マスロー、誠信書房、一九九八年)等にもとづいて紹介しよう(上田吉一『人間の完成―マスロー心理学研究』誠信書房、一九八八年をも参照)。

覚醒・至高体験をめぐって05:覚醒・至高体験とは③

2012年04月23日 | 覚醒・至高体験をめぐって
◆至高体験は多く、覚醒は稀

こうして玉城氏は、その稀有な求道の果てに「爾来、入定ごとにダンマ・如来、さまざまな形で、通徹し、充溢し、未来へと吹き抜け給う」、「形なき『いのち』が全人格体に充濫し、大瀑流となって吹き抜けていく。その凄まじい勢いは、何物にも警えようがない」という境地に至るのである。少なくともこれは、つかのまの「至高体験」ではありえない。
若き日の一時的な大歓喜の繰り返しの果てに至りついた、形なき「いのち」への目覚めだったのである。

さて、この事例によって、つかの間の至高体験と真の覚醒との間に横たわる深い溝を感じ取っていただけただろうか。事例を収集してきた私自身の感触から言えるのは、至高体験は一般的に予測されるよりも、はるかに多くの人々が持っているらしいということ。しかし、永続的な覚醒は、きわめて稀な出来事であるということである。

先に「覚醒・至高体験の事例集」には、80余人の体験が集まっているといったが、そのなかで永続的な覚醒と言えるのは、おそらくほんの数例だろう。「おそらく」としかいえないのは、事例の報告のなかに「永続的な覚醒」と言えるような表現や特徴がはっきりと現われているかどうかで、筆者自身が判断するほかないからである。

一言で「至高体験」といっても、その内容や深さには、事例によってかなり大きな差があるだろう。今後、至高体験のさまざまな事例を検討していくことになるが、そこにはほとんど無限といってよいほどのバリエーションがある。とすれば、永続的な至高体験としての覚醒にもまた、さまざまなレベルや内容の違いがあり、おそらくその深さの違いは無限といってもよいのだろう。

とすればなおさら、何を「覚醒」とし、何を「至高体験」とするのか、探求の出発点において、ある程度の目安がなければならない。現象としての覚醒や至高体験には無限といってよいほどの諸相があるにせよ、両者を成立させる何らかの共通の構造もまたあるはずである。この連載のテーマは、多くの事例を検討しながら、その「共通の構造」を探っていくことだといってもよい。その探求の手がかりとしてわれわれは、マズローの研究の成果を持っている。それが、この連載にとっての「循環的方法」の出発点となるだろう。

覚醒・至高体験をめぐって04:覚醒・至高体験とは②

2012年04月22日 | 覚醒・至高体験をめぐって
《玉城康四郎》
ここで再び事例を取り上げたい。若き日に繰り返された至高体験が、やがて晩年の覚醒へとつながっていくという意味で、ここに紹介するにふさわしい事例だろう。

故・玉城康四郎氏は、専門である仏教研究にとどまらず、近代インド思想、さらには西洋の諸思想をも幅広く考察し、それらの〈根底にあるもの〉をつねに探求し続けた。また学者であると同時に、稀に見る求道の人であり、深い宗教体験も持つ人である。しかし、その求道は苦難の連続であったようだ。

まずは若き日の至高体験を取り上げる。『冥想と経験』(春秋社、1975年)その他、彼のいくつかの著書の中に記述が見られるが、ここでは『ダンマの顕現―仏道に学ぶ』(大蔵出版、1995)から収録する。

東大のインド哲学仏教学科に入学した玉城氏は、奥野源太郎氏に師事し座禅を続ける。文中先生とは奥野氏である。

玉城康四郎の事例(1)

このように玉城氏は、若き日の苦悩のなかで一時的に大爆発を起こし、「覚醒」するものの、しばらくするとまたもとのもくあみに戻ってしまう、ということを何度か繰り返した。つまり、われわれの使い分けで言えば一時的な至高体験はあったが、永続的な覚醒には至らなかったのである。それゆえ一時は、今生で仏道を成就し覚醒を得ることに絶望することもあったが、それでもひたすらに仏道を求め座禅を続けた。

そして最晩年に、ついに下に見るような覚醒に至るのである。求道への、その真摯で変わることのない熱情には頭が下がる思いである。(以下も『ダンマの顕現』大蔵出版、よりの収録である。)

玉城康四郎の事例(2)


(Noboru)

覚醒・至高体験をめぐって03:覚醒・至高体験とは①

2012年04月21日 | 覚醒・至高体験をめぐって
1 覚醒・至高体験とは?

以上のように私自身は、覚醒と至高体験という二つの言葉をはっきり区別して使用している。この区別は、人間性心理学の代表的な提唱者・マズローに負っている。  

◆自己実現した人間
マズローによれば、人間は一般に心理的な健康に向かって成長しようとする強い内的傾向を持っている。そうした潜在的な可能性を完全に実現し、人格的に成熟し、到達しうる最高の状態へ達したと思われる人々のことを、彼は「自己実現した人間」と呼んだ。  
しかし、心理的・精神的に「最高の状態」や「完全な発展」を問おうとすれば、何が「最高の状態」で、何が「完全」であるのかという価値基準や判断の問題がつねについてまわるだろう。そこでマズローは、客観的・分析的な心理学の方法ではなく、いわば循環的方法を採用した。
 
循環的方法とは何か。とりあえず世間一般で通用している言葉から優れた「人間性」を意味するものを集め、その用い方や定義をつきあわせ、論理的にも事実の上でも矛盾するところがあればそれを除き、定義をしなおす。そしてその定義に適合すると思われる「自己実現した人間」のデータを集め、それによってもとの定義をもう一 度検討する。
 
こうして修正された定義からさらにデータを見直すという作業を繰り返す。このようにラセン階段を登るように修正を繰り返して定義を検討していくのが、循環的方法です。 このプロセスをへて、最初はあいまいだった日常的な用語をますます厳密で科学的なものにしながら研究を深めていくのである。  

こうしてマズローは、たとえばアインシュタイン、シュバイツァー、マルティン・ブーバー、鈴木大拙、ベンジャミン・フランクリン等の著名人を含む、自己実現したと思われる多くの人々を研究した。この研究を通してマズローが気づいたことの一つは、 高度に成熟し、自己実現した人々の生活上の動機や認知のあり方が、大多数の平均的な人々の日常的なそれとはっきりとした違いを示しているということだった。
   
平均的な人々の日常的な認識のあり方と区別される、自己実現人の認識のあり方を彼はB認識と呼んだ。BとはBeing(存在・生命)の略である。こうした認識のあり方が、実は覚醒とか自己超越とか呼ばれるものとぴったりと重なるといえよう。

◆至高体験  
ところで、マズローがこの研究を学問的に説得力のあるものにすることが出来たのは、 ごく少数の「自己実現した人間」の研究ばかりでなく、平均人の一時的な自己実現とでもいうべき「至高体験」の研究をも同時に行ったからである。
「至高体験」とは、個人として経験しうる「最高」、「絶頂=ピーク」の瞬間の体験のことだ。それは、深い愛情の実感やエクスタシーのなかで出会う体験かも知れない。あるいは、芸術的な創造活動や素晴らしい仕事を完成させたときの充実感のなかで体験されるかも知れない。  

ともあれそれは、一人の人間の人生の最高の瞬間であると同時に、その魂のもっとも深い部分を震撼させ、その人間を一変させるような大きな影響力を秘めた体験でもあるといわれる。そうした体験をすすんで他人に話す人は少ないだろうが、しかし、マズローが調査をしてみるとこうした「至高体験」を持っている人が非常に多いことに気がついたという。  

ここで大切なのは、いわゆる「平均的な人々」のきわめて多くが「至高体験」を持っており、その非日常的な体験が、「自己実現」とは何かを一時的にではあるが、ある程度は垣間見せてくれるということだ。何らかの「至高体験」を持ったことがある者は誰でも、短期間にせよ「自己実現した人々」に見られるのと同じ多くの特徴を示すのである。つまり、しばらくの間彼らは自己実現者になる。私たちの言葉でいえば、 至高体験者とは、一時的な自己実現者、覚醒者である。  

こうしてマズローは、ごく少数の人々にしか見られない「自己実現」の姿を、多くの人々が体験する「至高体験」と重ね合わせることにより、彼の研究の意味をより一般的なものにし、その内容をより豊かなものにした。  

以上で、覚醒と至高体験の区別をマズローに負っているという意味が理解いただけただろう。至高体験とは、つかのまの覚醒を意味する言葉として使用しているのである。