第16話 『競争はいけない?』
学校生活の中にも、たくさんの「競争」があります。
合唱コンクールや体育祭、球技大会などです。
高校入試などは最も大きな競争かもしれません。
「競争」は「争い」ですから、必ず勝ち負けがあります。
勝ち負けという「優劣」をつけることは、人間を序列化し選別することですから教育上良くないことです。
したがって「教育活動の中ではいっさい優劣をつけるような競争はしてはいけない」という考え方もあります。
例えば、運動会のかけっこで順位をなくした小学校があるそうです。
かけっこの苦手な子どもが劣等感を抱かないための配慮なのでしょう。
では、かけっこで1等をとることを目標に「努力」することはいけないことなのでしょうか。
私は「競争」というものは、社会の必要悪だと考えています。
「競争」による優劣の結果を人間の評価として捉えることには大反対ですが、子どもの能力や良さを伸ばすためであれば、賛成します。
かけっこで1等をとることはすばらしいことです。
しかし、例えビリでも人間として決して劣っていることではない、ということです。
重要なことは「目標」をもって「前向き」に生活していることです。
「競争」はどちらが優れているかを調べるためではなく、共に前向きにがんばるために行われなくてはならないと考えています。
学校生活の中にも、たくさんの「競争」があります。
合唱コンクールや体育祭、球技大会などです。
高校入試などは最も大きな競争かもしれません。
「競争」は「争い」ですから、必ず勝ち負けがあります。
勝ち負けという「優劣」をつけることは、人間を序列化し選別することですから教育上良くないことです。
したがって「教育活動の中ではいっさい優劣をつけるような競争はしてはいけない」という考え方もあります。
例えば、運動会のかけっこで順位をなくした小学校があるそうです。
かけっこの苦手な子どもが劣等感を抱かないための配慮なのでしょう。
では、かけっこで1等をとることを目標に「努力」することはいけないことなのでしょうか。
私は「競争」というものは、社会の必要悪だと考えています。
「競争」による優劣の結果を人間の評価として捉えることには大反対ですが、子どもの能力や良さを伸ばすためであれば、賛成します。
かけっこで1等をとることはすばらしいことです。
しかし、例えビリでも人間として決して劣っていることではない、ということです。
重要なことは「目標」をもって「前向き」に生活していることです。
「競争」はどちらが優れているかを調べるためではなく、共に前向きにがんばるために行われなくてはならないと考えています。