忘れえぬ体験-原体験を教育に生かす

原体験を道徳教育にどのように生かしていくかを探求する。

私の原体験 ③

2010年03月04日 | Yutakaの原体験
 鴨川中学校では、大学4年生に混じって、26歳の私が一緒に教育実習を行いました。
あっという間に、3週間の教育実習が終わり、子どもや妻の待つ横浜に、勇んで帰りました。
 それから何日か過ぎ、私の出身地である八王子市へ行く用事ができ、八王子の私の実家に妻と行きました。
私が用事を済ませ、その日の夕方実家に戻ると、薄暗い部屋の中で電気もつけずに、妻と私の母が泣いていました。
 私は何が起こったのかわからず、「どうしたの?」と尋ねると、私たち夫婦の仲人が昼過ぎに、お酒に酔った状態で実家に来たそうです。
仲人は、私が会社を辞めるようなバカな行動をとるのは、母親の育て方が悪いからだ、と母親を罵ったそうです。
また、旦那が会社を辞めることを許した妻も、バカだと責めたそうです。
妻も、私の母も仲人に言い返すことをせず、ただ聞いていたのですが、涙が溢れて止まらなかったそうです。
仲人が帰った後で、私が帰宅したわけです。
 その話を聞いた後で、私は妻や母親に何の言葉もかけられませんでした。
ただただ、申し訳ない気持ちと、教員になって見返してやろうと、思っていました。
 その日から、採用試験の日まで、必死に勉強したことを覚えています。
採用試験が終わり、後は結果待ちです。
次の問題は、お金、生活費を稼ぐことでした。
 引っ越しのバイトから、ネジ屋のバイト、義理の父が、次から次にバイトを見つけては、私の仕事を持って来ました。
 私は、日能研という塾で講師のバイトを始めました。
バイトをしながら職安に行き、失業保険の申請に行きました。
そこで、また職安の職員と言い争いになりました。
(つづく) by yutaka

私の原体験 ②

2010年03月04日 | Yutakaの原体験
 妻は、私の生きたいように生きることが一番良いと考えてくれていました。
教師になりたいということに、大賛成でした。
問題は、周りの人たちの説得でした。
妻の両親は、妻からの説得で、しぶしぶ承知してくれました。
私の両親は、私が拍子抜けするほど、すぐに賛成してくれました。
 その後、私たち夫婦の仲人をしてくれた親戚、その叔父夫婦は共に東京都で小学校の教員をしていました。
教育委員会にも親戚が勤めていました。
仲人に相談すると、「そんなバカなことはやめろ」「会社をそのまま続けろ」という返事でした。
私は、仲人夫婦が応援してくれると思い込んでいたので、大変動転しました。
 その後、私は仲人に連絡することなく、会社を6月一杯で円満退職しました。
会社の同僚や先輩、上司ともに応援してくれました。
上司の人は、子どもの家庭教師までやらせてくれました。
 そして私は、母校の大学へ聴講生という形で、教員免許状をとるために復学しました。
大学に戻ると、すぐに教育実習を担当している学生課の職員と、言い争いになりました。
その年の教育実習は実習校の手配がすべて終わっているので、実習は来年度になる、ということでした。
 来年度の実習では、教員採用試験をうけるのが、再来年になってしまいます。
子どもを抱え、1年間という時間を、どうしても無駄にしたくありませんでした。
今年、なんとか教育実習が受けられないか、その点での言い争いでした。
大学の学生課の職員は、実習校を自分で探すことができれば、認めると言う返事に変わりました。
妻も必死に、実習校探しに当たってくれましたが、本人ではないという理由ですべて断られました。
私は東京都の出身で、その当時横浜の住民でした。
東京都の教育委員会は、実習受け入れは東京都にある大学だけという決まりがありました。私の大学は神奈川県にあるため、私の出身校での教育実習は不可能でした。
そこで私は、父親を経由し、父の故郷で塾を経営している叔父の手配で、千葉県の鴨川中学校で実習を引き受けてくれることになりました。
 私は退職金40万円をもって、単身、鴨川へ行きました。
(つづく)by yutaka