忘れえぬ体験-原体験を教育に生かす

原体験を道徳教育にどのように生かしていくかを探求する。

前向きの心には病を癒す力がある

2012年06月04日 | 原体験をめぐって
 心(想念)がストレートに影響を及ぼすものとしては、一番身近な自分の身体を挙げることができます。そのことでは、まず私自身が死の病状から回復した体験をお話しすることにします。それは今から1年8ヶ月ほど前(2010.9)に体験したことです。

 発病後の経過
 2010年4月頃より持病が今までになく悪化し、9月はじめ頃にはさらに速いスピードで進行し、いよいよ死ぬのだなと思わざるをえない状況になりました。よもや病がこの時期にこれほど急変して悪化するとは思っておらず、また、それがすぐ死に直結するようになるとは思わぬことでした。
病名は、口内の舌を中心に広がる「扁平苔鮮」というもので、私の場合40代初めに発症し、それから二十七、八年になります。はじめは舌の右脇中央部あたりがヒリヒリし、ときにうっすらと血がにじむというところから始まりました。最初は患部にステロイド剤を含む軟膏を塗るなどすると、二週間ほどでほぼもとに回復しました。しかし半年後には再発し、今度は舌の左側も、そして歯茎全体も赤く充血し、食べ物や飲み物が滲みるようになったのです。でもすっきりとは治らないものの、二週間ほどの手当で、食べるに支障は感じなくなりました。医師からは、この病気は自己免疫性疾患から来る難病で完治することはないが、比較的良好な状態と悪くなる状態とが繰り返されていくだろう。しかし癌になるケースはまれなので、まずその点は心配いらないと言われたときには、ホッとしたものでした。
 そうした具合の悪さは、最初の六ヶ月間隔から年月を経るにつれ次第に短縮され、四ヶ月、三ヶ月と短くなっていき、定年(還暦)を迎える頃には二ヶ月周期になっていました。その頃の口内はもはや普通の状態でも、正常からほど遠いものになっていました。普通の辛さのカレーライスでさえ痛くて汗がしたたり落ちるのでした。でも、もう二十年近くも病んできているのですから、そうなるのはむしろ当然と思っていました。何とか食事ができればよしとしなければならない、そんな想いで過ごしていたのです。だから悪いときの違和感は相当なもので、食べ物がまともな味がしないくらいでした。そんな状態でも半月ほど我慢していると、何とか症状が和らぐのでした。
 しかし、2010年の初め頃には、その周期は一ヶ月と短くなり、その年の4月には、それまでに見られない変化が訪れたのです。いつものように口内の違和感が強くなったのですが、それまでと違うのは、それが半月を過ぎても一向に回復に向かわないことでした。回復どころかさらに異常さがつのり、ついに食べ物を噛むのも困難になり、話すことも難しくなったのです。とくに舌の一部に今までにない鋭い痛みを感じ、何とか痛みをこらえて飲み込むようにして食事を終えても、その痛みが治まらないのです。こんなことは今までになかったことでした。口内を鏡に映してみると、舌の周辺がびらんと潰瘍で埋め尽くされ、舌の表面がまるでとろけているようでした。舌自体の機能が喪失し始めているに違いない、そう思ったとき、はじめて生命の危機を感じたのです。とうとう来るときが来たか、そう思うと同時に、こんなにいきなり生命の危機が来るとは、と暗澹たる気分になりました。
 というのも、還暦過ぎたあたりでは、持病のようすから長生きは無理であろうと思っていたものの、その後の8年ほどは予想したほどには悪くならず、何とか無難に過ごせたので、まだ当分は大丈夫であろうと高をくくっていたからです。ところが今述べたように、そうは問屋が卸さなかったのです。

 すべての気力を奪うような猛烈な嫌悪感が突き上げて
 私はあわて、必死になりました。インターネットで少しでも扁平苔鮮の治療効果を上げた医師を見つけると、すぐ予約を取って出かけました。病院をかけずり回ったのです。しかしどの病院の医師も、過去に治療効果のあったという塗り薬やうがい薬を処方してくれるものの、きまって難病だから確かな治療法は見あたらない、というばかりでした。それならば、と病院巡りをやめ、いよいよ悪くなった場合に備え、近くの大学病院にかかっておくのがよかろうと判断、それからはその大学病院のみを頼りにするようにしました。
 その後の病状は、舌全体がびらんした状態が続き、舌の表面にも裏側にも点々と潰瘍ができて、それが舌を動かすたびに歯に当たり、顔がゆがむほどの痛みが走るようになったのです。また、舌の付け根や舌全体からグワ~ッと嫌~な気分が、もう、すべての気力を失わせるような、あるいは身体にある力を根こそぎ奪い去るような嫌悪感が身体の内部から突き上げてくるのでした。それでも食事時は、痛みをこらえつつそろりそろりと噛んで飲み込みました。
 すでに数ヶ月前から流動食にしており、栄養だけはなんとしても摂取するよう努めていました。それは栄養の偏よりにより他の病気(ガン)を併発させてはならないとの想いからでした。食べ物を味わう楽しみや、美味しいと感じる食事はとっくに失われ、その点ではすでに絶望的な気分に陥っていたのです。
 九月に入ると病状は一段と悪化しました。舌から血が流れ、食べるときや話すときの痛みは耐えられないものになり、話は筆談でするようになっていました。以前からお味噌汁やお茶を飲むときも痛みましたが、ついに水を含むだけでも、そして何も口に入れていないときも痛みが走るまでになったのです。この時点で、舌としての全機能が喪失するのだと思い、もはやこれまでかと暗黒の冷たい世界に投げ出されるような感じでした。
 しかしそれでも、どこかにまだ打つ手はあるかもしれないとパソコンにしがみつき、ネット上で自分と同じケースがないかと捜したのです。すると、ある重い病気を長く患っている人が口内炎を併発し、それが重症化してしまった事例が出てきました。その方の場合は壊疽性口内炎といって、歯ぐき、唇、ほおなどの口腔の組織が腐っていくとありました。口内の組織が腐る!? 壊死か! 自分のこの舌に生じている事態は。私は死が逃れられないものとして間近に迫っていることを知り、あらためて愕然としたのでした。
 このとき私の心を占領したのは、次の二つの想いでした。一つは、舌のこの激痛が増す中で悶えつつ死ななければならないのかという不安。いま一つは、自分のライフワークにもう少し核心に迫る表現を与えておけばよかった、それが出来ずに終ることの無念さでした。

 前向きの姿勢、ポジティブ思考の威力
 以上のように不安と無念さの中で、私はいよいよ人生の店じまいをしなければならないなと観念したのです。ところがそこで思わぬことが起きたのです。運命の転換を思わせるような、本当に驚くべき経験をしたのでした。その日の昼食時、食卓に着くと、流動食を無理矢理飲み込んでテーブルを離れる際に、その辺にあった紙切れに、「舌が壊死しはじめた。もうダメだ。」と書いておいたのです。そして自分の部屋に籠もり、身辺整理をと、本の整理をし始めたのです。ところが、その後の妻の態度に自分の気持ちは一変することになりました。夕食時が来て食卓につくと、例のメモ用紙はなく、そして妻がいきなり叫ぶように次のように言ったのです。

 「あなた何言っているのよ! 壊死するとか、もうダメだとか、そんなこと二度と言わないで! これまで肝が潰れるような、心臓が止まるような思いを押し殺してあなたを支えてきたのは何のためよ! 治さなければならない、必ず治ると信じているからよ。痛かろうが辛かろうがしっかり食べて、必要な栄養を摂るのよ。あとは舌をよく動かし、血の巡りをよくすることよ。そうすれば舌に栄養が行き届いて細胞は再生するのだから。」

 とても深刻な事態に立ち至っていると伝えているのに、そして、もはや万策尽きたと告げているのに、妻は実状を無視し、とんでもない無理を言っている。そう思う一方で、こんな凡庸な夫を、妻は以前から肝を潰すほどに心配し、しかもそれを顔には出さず、毎食自分のとは別の、栄養に気配った流動食をつくり続け、また友達から治療に関わる情報をかき集め、サブリメントの数々を取り寄せ呑ませてくれていたことなど、実に真剣で神経をすり減らすものであったことを思うと、本当に済まなく申し訳ないと思ったのでした。
 もう、彼女にこれ以上の心配をかけてはならない。私は決心しました。〈よし、実際倒れる寸前まではどんなに痛く辛かろうが、妻の前ではそれを表情に出してはならない。必ずよくなると信じ、明るい表情に心がけ、食物を力強く噛んで飲み込むようにしよう〉と。それでもう、がむしゃらに噛み続け飲み込んだのでした。すると、なぜだか不思議にも、痛みが若干弱まったように感じられたのです。おそらく一時の気のせいであろうと思いました。食後舌の患部に直接ちょっと指で触れてみると、これまでと同様にビリビリッと強烈な痛みが走りました。ああ、舌の状態は同じなんだな、と思いました。しかし食べているときの痛みは我慢できる程度で、その状態が不思議にも続いたのです。それでその三日後には、〈これはもしかして、奇跡が起きつつあるのではないか〉とポジティブに受け止め、思い切って流動食をやめて妻と一緒のものを食べることにしたのです。すると、あれだけ傷んている舌には過酷なはずなのに、痛みもそれほど強烈には感じず、それまであった食後の舌からの出血も少なくなっているように思えたのです。
 引き続き部屋で本の整理を続けていると、二十年近く前に読んだ西野皓三氏や籐平光一氏の気功の本が目に飛び込んできました。懐かしく読み返してみると、当時は半信半疑だった「気の力」が、今の自分の体験と重なって本当のことと思えてきたのです。というのも、口内の病状が急に好転し始めたのは、妻にはもうこれ以上の心配はかけられないと決意し、とにかくよくなると信じ、がむしゃらに病に立ち向かったその前向きの思い(気の力)によるに違いない、そう合点できたからです。そして幸いにも、死の差し迫ったあの時から1年5ヶ月ほど経過した今日まで、ぶり返すことはなかったのです。

 心が身体に与える劇的な影響
 死に至ると思えた病状からいきなり回復に向かわせたものは何か? それは先にも述べたように、明らかに妻にこれ以上の心配と苦労をかけてはならないという強い思いと、病に向かう自分の態度を、必死で前向きに一変させたことにあるだろうと思いました。
 そこで私は考えました。私たちは心の持ち方、思い方によって、身体に与える影響は想像以上に強いものがあるのではないかと。少なくとも病気の場合には、病状を治癒不可能と悲観的に受け止めるのか、それとも、何としてもよき方向に変化させるのだという前向きの意志を発動させるのかによって、事態はがらりと変わりうるというのが私の体験だったからです。そうすると、思い方次第で病状が劇的に変わるのですから、心には常識を越えた大いなる未知の力がひそんでいるということになります。そうであれば他にもそのような事例があるはずと考えたとき、思い浮かんだのが、かつて読んだバーニー・シーゲル著『奇蹟的治療とはなにか』(日本教文社)でした。この書には生物学や医学分野では無視されているものの、心が身体を支配するという事例が多く挙げられていたからです。
医師である著者は、心が身体に与える影響がいかに劇的なものであるかを多くの気丈な患者、すなわち必ず治ると信じる強気の患者たちから学んだと述べています。また著者の毎日の病床体験からも、心の変化が中枢神経、内分泌系、免疫系を通じて身体的変化をもたらすことは明らかであるとして、次のように断言しています。「われわれはすべての人間が持っている内なる(心の)力を使うことで奇跡が起きる」と。(takao)


2 コメント

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読んで迫るものが (Noboru)
2012-06-05 07:20:14
貴重な体験を読ませていただき、ありがとうございます。読み始めると引き込まれ、一心に読み終わりました。

舌の状態についての描写は、読んで迫るものがあり、そのような限界的な状態から回復されたきっかけとなった夫婦の絆や、必死の言葉を受け止める心の強さに、あらためて強い印象を受けました。
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相手への気遣い (Unknown)
2012-06-15 18:44:11
感想をありがとうございました。仰るように「夫婦の絆」というのでしょうか、妻にはこれ以上心配はかけられない、かけてはならないとの思いと、だから倒れるまでは明るくふるまおうと、一種の捨て身、開き直りのような心境が身体にパワーを与えたように思います。(takao)
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