忘れえぬ体験-原体験を教育に生かす

原体験を道徳教育にどのように生かしていくかを探求する。

中学校教師のつぶやき08

2012年07月29日 | 中学校教師のつぶやき
第11話 『良い集団と悪い集団』

 集団の中で生活する私達は、集団から計り知れない影響を受けます。
戦前の軍国主義下にあった日本や、共産主義の国、独裁政治の国では、自分の考えを自由に話すができません。
国という集団ばかりでなく、学校や学級という集団においても集団は個人に大きな影響を与えています。
 アメリカの教育困難校では銃や麻薬、犯罪や暴力といった不正が蔓延しているそうです。
ですからアメリカ社会では、ジャスティス(正義)ということが声高に叫ばれます。
それは裏返すと正義が通らない土壌があることを暗示しています。
良い集団とは、正義が通用する集団です。
日本では正義を声高に叫ぶことが少ないようです。
そのことは逆に、治安や道徳の高い国である証拠でもあります。
 しかし最近の日本は犯罪が増加し低年齢化し、モラルの低下が大きな問題となっています。
他人を注意しただけでも殺されるなどという悲しい事件も発生しています。
学校の中でも、いじめや暴力などの不正や悪が広がることもあります。
学校は人を教育する場です。
良い人間を育てる環境は、正義が通用する集団でなければなりません。
いじめが起こっても、傍観者だけの集団から、いじめを許さない、許容しない集団作りが、
学級、学年、学校に求められています。
そして、学校は正義が通用する集団であることだけに留まることなく、ひとりのためにみんなが助け合い、思いやれる集団でありたいものです。



中学校教師のつぶやき07

2012年07月27日 | 中学校教師のつぶやき
第10話 『魔法の言葉』
 オーストラリアへホームステイをしていた高校生の話です。
その子がステイ先のお母さんやお父さんに、「コップをとってくれますか」などと頼むと、決まって返ってくる言葉が、「魔法の言葉は」という返事だったそうです。
人に何かを頼むときにはまず「魔法の言葉」を言いなさい、ということなのです。
その言葉を言えば自分の頼みを聞いてくれるのでしたら、まさしく「魔法の言葉」です。
その「魔法の言葉(Magic Word)」とは、実は「Please(お願いします)」という言葉なのです。
 「なあんだ」と思うかもしれませんが、このたった一言が人と人の人間関係を大きく変えるのです。
まさしく魔法の言葉です。
日本語にも、この Magic Word に当てはまる言葉がいくつかあります。
「お願いします」「ありがとうございました」、などがそうでしょう。
こうした言葉がしっかり身に付いている子どもは、周りの人達にかわいがられ応援される幸運な生き方ができます。
しかし、「お願いします」と言いなさいとか、「ありがとう」を言いなさい、などと口調を荒げて言えばとげとげしくなります。
「魔法の言葉は」、と穏やかな口調で身に付けさせていく姿勢に懐の深さを感じます。
かけがえのない我が子です。
 子どもが周りの人達にかわいがられ、応援される幸せな生き方ができるように、この魔法の言葉をしっかり身に付けてもらいたいものです。


中学校教師のつぶやき06

2012年07月26日 | 中学校教師のつぶやき
第9話 『言葉のキャッチボール』

 キャッチボールは相手のボールをしっかりと受け止め、相手にとれるようにボールを投げ返すものです。
このことは、「会話」についてもいえます。
相手の言葉をしっかりと受け止め、相手に投げ返してあげなければ、楽しい「会話」を交わすことはできないからです。
相手の言葉をしっかりと受け止めるということは、相手の話を耳で「聞く」のではなく、心で「聴く」ということです。
 子どもに限らず大人でも、外であった出来事や悩みを家族に聴いてもらいたい、自分の気持ちをわかってもらいたいと思うことがしばしばあります。
楽しかった気持ちや、困った気持ち、悔しかった気持ち、つらかった気持ち、その時々の気持ちを共有してもらいたいのです。
「聴く」とは、相手の心情、思いを察してあげることです。
会話の内容だけでなく、感情をしっかりと受け止め、共有できることが大切なのです。
アドバイスよりも、まずは子どもの思いをしっかりと受け止めてください。
これからどうしたらよいかは、子ども自身がわかっているものです。


中学校教師のつぶやき05

2012年07月25日 | 中学校教師のつぶやき
第8話 『やって見せ、言って聞かせ、させてみて、ほめてやらねば人は動かず』

 どのように教育すれば良く身に付くのか?
企業でも、学校でも、家庭でも大いに苦心するところです。
 昔、第2次世界大戦時の連合艦隊司令長官であった山本五十六大将は、
人を育てるには「やって見せ、言って聞かせ、させてみて、ほめてやらねば人は動かず」と言われたそうです。
 この言葉には仁将と言われた山本大将の教育者としての心構えが込められています。
教える側が「出来て当たり前」という気持ちでは、習う側は意欲を失うでしょう。
出来なければ落ちこぼれでは、劣等感を育てているようなものです。
一生懸命に努力している点を理解し、評価してあげなければ誰でもやる気は起こらないのです。
 「ほめてやらねば」という言葉には、前向きな姿勢を支えている「向上心」を育てていく姿勢がうかがわれます。
中学生を育てるのも、大人を育てるのも、年齢という違いはあるものの、人の本質に違いはありません。
努力している姿勢こそが大切であり、出来たことを上手に評価し自信を育て、ほめながらもうぬぼれさせるのではなく、前向きな姿勢を如何に育んでいくかに教育の本質があるのではないでしょうか。

中学校教師のつぶやき04

2012年07月24日 | 中学校教師のつぶやき
第7話 『ありがとうの一言』

家族の中や、親しい間柄のゆえに「ありがとう」の一言が言いにくいことがあります。
長年一緒に暮らしているから「何も言わなくとも思いが通じる」、と考えている人もいるでしょう。
しかし、本当にそうでしょうか。
あるお父さんは、会社から帰宅すると居間に座るなり、お母さんに向かって、
「お~い、ビール」「めし」「風呂」、お母さんと交わした言葉がたったこの三つだけだったそうです。
長年一緒に暮らしているのだから、この三つの言葉だけでもお互いを思いやり信頼し合える関係なのだと、本当に言えるのでしょうか。
お父さんは仕事で疲れていますが、お母さんにしてみても同じです。
女中さんのように命令されてばかりでは嫌になってしまうでしょう。
親しい間柄であっても「ありがとう」、という一言が大切なのではないでしょうか。
互いの心の距離は、ささいなすれ違いから生じてくるものです。
夫婦の間であっても、親子の間であっても、相手を思う心配りをおろそかにしてはいけないと思います。
「ありがとう」「おはようございます」のたった一言ですが、その一言に温かい心を込めて身近な人にも使いたいものです。

中学校教師のつぶやき03

2012年07月24日 | 中学校教師のつぶやき
第6話 『中学生の時期の子育て』

小学生の時期の子育ての主眼は躾です。
躾とは、漢字が表すように「身を美しく整えること」です。
挨拶や態度、目上の人への敬語など、社会生活を送る上で大切な習慣を身に付けさせることです。
中学生の時期の子育ての主眼は、「自律」や「自立」へと移っていきます。
自分で自分を律せる力、自分から行動できる力を育てる時期です。
中学生の時期は、自分の考えが出てくる時期でもあります。
ですから「いけない」と注意するだけでなく、「なぜいけないのか」という「理由」をしっかり理解させることも大切です。
中学生の時期は、自身で納得できなければ無条件に大人の言うことに従いません。
これが「反抗期」と呼ばれる所以です。
子どもに理由を納得させることも大切なのですが、他に重要なことがあります。
それは、注意する側の大人の姿勢です。
「自分を棚にあげて」という姿勢では子どもは決して納得しないということです。
納得しないばかりか、反発や反抗も生じてきます。
親や教師の姿勢が問われる時期が、「中学生の時期の子育て」なのかもしれません。
人として完全な親や教師など、どこにもいません。
大切なのは「よりよく生きようとする姿勢」ではないでしょうか。

中学校教師のつぶやき02

2012年07月23日 | 中学校教師のつぶやき
第5話 『見習い』

「誰もがわかるような教え方」ができて、初めて一流の先生と呼ばれます。
しかし、一流の先生であっても教えられない生徒がいます。
それは、「学ぼうとする意欲」のない生徒です。
昔の日本には、「見習い」という制度がありました。
「見習い」とは、「見て習う」という意味です。
今の世の中は、手とり足とり懇切丁寧に教えることが良いことだと考えていますが、
「見習い」の世界では、先輩は新入りの人に何一つ教えません。
下働きといって、先輩の仕事のごく一部を手伝わせるだけです。
それでもみごとな日本の匠の技は、みごとに伝承され発展してきたのです。
「先輩の仕事を手伝わせるだけ」という関係は一見すると、とても意地悪な世界のように見えます。
しかし、「見習い」の人達は先輩に怒られ続けながらも、わずかな時間を惜しんで先輩の技を盗み取っては、先輩の匠の技を身に付けていったのです。
「学ぶ」とは、「まねる」という言葉から由来しているように、まねることから勉強は始まるのです。
ややもすると最近の生徒たちは、「教え方が悪い」と原因を相手に転化をしがちです。
しかし、自分の力で「分かろうとする思い」や「マスターしようとする思い」、そうした強い意欲をもっていれば、たとえ何一つ教えてくれない先輩であっても、匠の技が習得できることを「見習い制度」が教えているのです。
物事は、「学ぼう」「習得しよう」という強い意欲が湧き起こったときは、どんな悪い環境の中であっても、その願いが成就できるものです。
「意欲」をもつこそが、勉強の第一歩なのです。

私の原体験 ㉓(妻の死)

2012年07月23日 | Yutakaの原体験
 妻が亡くなってからようやく、2年が過ぎました。
物事を忘れることは、いけないことのように考えていましたが、忘れることも大切なんだと感じています。
 どんなにつらいことが起きても、忘れることで救われることもあります。
記憶が、ゆるやかに溶けていくことが時には必要なことだと思えています。
 同じように、さみしさや悲しみという感情がいけないことのように考え、消そう消そうと今まで努めていましたが、けっして悪い感情ではないように考えるようになりました。
大切な人が亡くなったのですから、さみしくて悲しいことは当たり前の感情であって、けっして悪い感情ではないと考えるようになりました。
このさみしさや、悲しみを心の片隅に置きながら、さみしさ、かなしさと寄り添って生きていくことが大切なんだ、と考えるようになりました。
 毎日毎日妻の部屋で線香を上げ、手を合わせながら妻に語りかけています。
すると、妻が何を言っているのかが伝わってきます。
私の心の中に語りかけてくれる妻は、いつでも今までのように、私を励ましてくれています。
 不思議に、毎日見ている妻の写真が、時には微笑んでくれていたり、泣いてくれている時もあるのです。
妻は肉体が無くなってしまいましたので、姿を見ることや肉声を聞くことが出来ません。そのことがさみしく、悲しく、つらく思うのですが、大きな空を見つめるとき、ふと見あげる新緑の木々や小鳥たちのさえずりを聞いているとき、妻が見守ってくれている感じが体に伝わってきます。
 死んでも、無にはならないということが、感じられるようになりました。

中学校教師のつぶやき01

2012年07月22日 | 中学校教師のつぶやき
『暴力は暴力を生む』

子育ては、時として子どもを厳しく叱らなければならない場面があります。
子どもを厳しく叱ることも、時にはとても大切なことです。
しかし殴られて育てられた子どもは、殴られることを嫌悪しながらも、暴力をふるう子どもになることが多いように思います。
暴力を、知らず知らずのうちに学習しているからです。
家庭内暴力や幼児虐待のニュースが時々流れてきます。
幼児虐待や、子どもに暴力をふるう多くの親は、子どもの頃に同じように親から虐待や暴力を受けていたケースが多いとの研究報告がなされています。
心の深層に知らず知らずのうちに、暴力がすり込まれているからです。
子どもは、親や教師の行動様式を無意識の内に学習します。
心理学ではモデリングなどと呼びますが、教えてもいない親の行動様式が子どもに伝わる現れる現象です。
子どもは無意識の内に学習しているのです。
「子どもは親の背中を見て育つ」などと言います。
子どもは大人の姿勢を見て学習するのです。
子どもの模範となる姿勢で、親や教師は生活したいものです。

震災と「精神」(4)

2012年07月11日 | 東日本大震災と道徳教育
◆『日本人の心はなぜ強かったのか (PHP新書)

続けて「日本文化のユニークさ」7項目に沿って検討する。とくに(4)と(5)に注目したい。

(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。

(5)森林の多い豊かな自然の恩恵を受けながら、一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。

まずは(4)から。異民族による侵略、征服がほとんどなかったということは、日本文化や日本人の性質を語るうえでかなり重要なことである。要点のみ述べよう。

民族相互の争いに明け暮れる悲惨な歴史を繰り返してきた大陸の人々は傾向として、常に相手からつけこ込まれたり、裏切られたりするのではないかと怯え、基本的には人間を信頼しない。つねに警戒すると同時に、どうやったら相手を出し抜き、ごかませるかと、攻撃的、戦略的に身構える。そこには前提として人間不信がある。

一方日本のように平和で安定した社会は、長期的な人間関係が生活の基盤となる。相互信頼に基づく長期的な人間関係の場を大切に育てることが可能だったし、それを育て守ることが日本人のもっとも基本的な価値感となった。その背後には人間は信頼できるものという性善説が横たわっている。

加えて日本人は、人口の8割以上が農民だったので、田植えから刈入れまでいちばん適切な時期に、効率よく集中的に全体の協力体制で作業をする訓練を、千数百年に渡って繰り返してきた。侵略によってそういうあり方が破壊されることもなかった。

礼儀正しさ、規律性、社会の秩序、治安のよさ、勤勉さ、仕事への責任感、親切、他人への思いやりなどは、こうした歴史的な背景から生まれてきたのであろう。

(5)についても要点を記す。異民族間の戦争の歴史の中で生きてきた大陸においては、信頼を前提とした人間関係は育ちにくい。戦争と殺戮の繰り返しは、不信と憎悪を残し、それが歴史的に蓄積される。一方日本列島では、異民族による殺戮の歴史はほとんどなかったが、自然災害による人命の喪失は何度も繰り返された。

しかし、相手が自然であれば諦めるほかなく、後に残されたか弱き人間同士は力を合わせつつ、忍耐強く生きていくほかない。こうした日本の特異な環境は、独特の無常観を植え付けた。そして、人間への基本的な信頼感、優しい語り口や自己主張の少なさ、あいまいな言い回しは、人間どうしの悲惨な紛争を経験せず、天災のみが脅威だったからこそ育まれた。

以上のような日本人の特質は、東日本大震災後の混乱状態のなかでも保たれ、世界の人々を強く印象付けた。それは、戦後も失わなかった日本人の特質だが、齋藤のいう「精神」が戦後失われてしまったのだとしたら、失われたものと失われなかったものとの違いは何か。

太古の昔から地理的・歴史的条件の中で自然に身についてしまった文化の基盤は、そうおいそれとは失われない。しかし、それはあまりに自然に生きられてきたので、自分たちの特質として自覚されにくく、ましてや共有される「精神」とはなりにくい。

齋藤のいう武道「精神」や儒教「精神」は、江戸幕藩体制に組み込まれ、強化されてきたという側面もあり、それらの「精神」を伝えていく教育方法もしっかりと確立していた。しかし、その教育制度を断ち切られてしまうと途絶えてしまうもろさも持っていた。それは比較的新しい教育方法の上に成り立っていた「精神」だからである。逆に言えば、その教育方法を取り戻せば復活しうる「精神」だともいえる。

一方、(4)や(5)のような地理的・歴史的条件によって育まれた日本人の特質は、おそらく日本の歴史とともに古く、あまりに当然のものだったので、それを誇りに思うことも、共有財産として自覚的に生きようとすることもなかった。しかし、共有財産として自覚するようになれば、それは「精神」となる。何らかの教育によってそれを次世代へ伝えていこうする自覚が生まれ、「精神」としてさらに強化される。そうなったとき、心がもろくなったと言われる日本人にとって、心の大きな支えになることは間違いない。

子どもたちの視点から言えば、自分たち日本人の礼儀正しさ、規律性、社会の秩序、勤勉さ、仕事への責任感、親切などが、日本の地理的・歴史的条件の中で育まれてきた大切な財産であることを自覚する学びとなり、その学びが誇りともなる。ときに震災などによる犠牲をともないながら日本人が守り育ててきたかけがいのない財産であることを学ぶのである。そして、それを守り、未来に伝えていこうとする「精神」をともに生きることは、子どもたち一人ひとりの心にとっても、何よりも力強い支えとなるはずである。

震災と「精神」(3)

2012年07月10日 | 東日本大震災と道徳教育
◆『日本人の心はなぜ強かったのか (PHP新書)

齋藤がいう「精神」がどんな意味をもっていたのか、もう少し具体例を挙げて見てみよう。

たとえば戦前なら、悟りを得るのは無理にしても、禅がどういうものか感覚的に分かる人が多かったという。生活習慣の中に禅的な発想が入り込んでおり、普通の暮らしが多かれ少なかれ禅的な「精神」につながっていた。武道はもちろん、茶道、華道、書道‥‥などを通して禅的な生き方が生活の中にあふれ、それが心の支えになり、日本人の心の強さを形づくっていた。

かつての日本人は、精神の領野と身体(習慣)の領野を切り離せないものとして発達させていた。禅の修行でも、座禅ばかりではなく、作務と呼ばれる日常の作業のなかで無心を学ぶことが大切だといわれる(日常工夫)。また、手作業が心を和らげることは、最近の研究でも実証されつつあるという。体内にあるセロトニン神経系が、リズムカルな運動によって活性化され、心を安定化させるというのだ。

職人の仕事もそれぞれに固有のリズムを持っている。職人気質で一つの仕事に徹する人生も、人の心に深い安定を与える。それが○○道として自覚されれば、禅的な求道の「精神」を生きることになり、心の安定はさらに深まる。職人がその「道」を究めようとする姿勢は、日本文化の深い「精神」に通じており、これも日本人の心の強さを形づくっていた重要な要素だ。

前回挙げた『論語』などの素読も、リズムカルに声を出す「作業」であると同時に、古典の「精神」を呼吸することにつながり、日本人の心を強くしていた大切な要因で、これはとくに齋藤が強調する方法だ。彼の本『声に出して読みたい日本語』はベストセラーになったから知る人も多いだろう。

このように、それぞれの「精神」を生きる手段を豊富にもっていた日本人は、もともと強い心を持っていた。だったらそれを取り戻せばよい。一昔前の日本人がふつうに実践していたことを復活させればよい。それだけで日本人は元通り強くなれると、齋藤はいう。私もこの点は、大いに賛同する。

一方で、「日本文化のユニークさ」7項目で見てきたような特色は、「精神」として自覚され共有されるほどにはなっていないが、GHQの政策など関係なく、途切れずに受け継がれている。では、それらは齋藤のいう「精神」とどのように関係し、日本人の心にとってどのような意味をもつのか。それが私にとっての新たな問いになったのである。

まず、前回指摘したようにそれらは、齋藤がいう「精神」の層よりは古い層に属し、日本列島という独特の地理的、風土的条件の中で長い年月の間に育まれたものである。そして日本は、豊かな森や自然に恵まれ、他にもいくつかの条件が重なったため、現代の高度産業国家にしてはめずらしく、太古的な母性原理を保ったまま現代に至っている。以上を確認したうえで個々の項目を見ていこう。まずは最初の二つ。

(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。
(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた。

ケルトと日本 (角川選書)』の中の「現代のアニミズム-今、なぜケルトか」(上野景文)という論文では、日本人や日本社会の思考、行動様式を以下の7つの特質にまとめる。

イ)自分の周囲との一体性の志向
ロ)理念、理論より実態を重視する姿勢
ハ)総論より各論に目が向いてしまう姿勢
ニ)「自然体的アプローチ」を重視する姿勢
ホ)理論で割り切れぬ「あいまいな(アンビギュアス)領域」の重視
ヘ)相対主義的アプローチへの志向(絶対主義的アプローチを好まず)
ト)モノにこだわり続ける姿勢

これらの特質の根っこに共通の土台として「アニミズムの残滓」が見て取れると、論者はいう。たとえば、ロ)やハ)についてはこうだ。自然の個々の事物に「カミ」ないし「生命」を感じた心性が、今日にまで引き継がれ、社会的行動のレベルで事柄や慣行のひとつひとつにきだわり、それらを「理念」や「論理」で切り捨てることが苦手である。それが実態や各論に向いてしまう姿勢につながる。ホ)やヘ)も、一神教に対して多神教やアニミズムの傾向を多分に反映している。そしてこれらすべてが、父性原理というよりは母性原理の特質を示している。

日本人は、こうした傾向を自分たちの長所と見るよりも短所ととられる傾向がある。実際には長所でも短所でもあるのだが、長所の面を日本人が分かち持つ共通の「精神」として、自覚的に生かしていくべきなのだ。そのとき、上のような性向を個々人が自分の短所として思い悩む度合も減るだろう。長所として自覚的に生かすとき、短所としての面への対処の仕方も自ずと違ってくる。

この中でニ)とト)は、日本人に共有される「精神」として、充分に自覚化されてきた伝統がある。「自然体的アプローチ」は、禅の精神と結びついて日本人の人生哲学のひとつとなっている。つまり、意識的、作為的に何かを「する」より、自然で計らいのないあり方を善しとする哲学である。ト)は、すでに上に述べたようなモノ作りの「精神」、職人気質という「精神」に流れ込んでいる。

いずれにせよ、日本人はGHQの政策ぐらいでは消すに消せない、何千年の歴史の中で育まれた無自覚の心性を生きている。ただしそれらは、日本人の心を支える本当の意味での「精神」になるのを待っている。

震災と「精神」(2)

2012年07月08日 | 東日本大震災と道徳教育
◆『日本人の心はなぜ強かったのか (PHP新書)

齋藤は、さきの敗戦こそ日本人が心と精神と身体のバランスを崩したターニングポイントだという。戦後、日本人は精神という言葉に強いアレルギーを持つようになった。それは、軍国主義に少しでも結びつくものは排除しようとするGHQの政策とも深く結びついていた。たとえば武道が日本人の強い精神の柱になっていると考えたアメリカは、武道とその精神を徹底的に潰しにかかった。そうしたアメリカの意向を日本人自身が喜んで受け入れた面もある。

また、戦前の日本人の精神性を圧倒的に担っていたのは儒教だっという。戦前の教育の柱とされた「教育勅語」にも「父母に孝に、兄弟に優に、夫婦相和し、朋友相信じ‥‥」など、儒教的道徳観が盛り込まれていた。過度に神聖視され国家主義体制のために利用されたが、内容的には道徳心を説いた部分が多い。ところが戦後になると、過去の「忌わしい記憶」として全面的に排除され、これに限らず日本古来の「精神」はおしなべて国家主義と批判された。

しかし、言うまでもなく儒教的精神そのものが好戦的でナショナリズムに結びつくわけではない。儒教的道徳心が浸透していた江戸時代が軍国主義だったわけでもない。江戸時代の子どもたちは寺小屋で『論語』を素読し、その精神を感じ取っていた。が戦後は、素読自体が頭ごなしの非民主的な教育とされた。『論語』を中心とする儒教教育全体を捨てたことは、精神の半分以上を捨てたことになり、儒教教育の喪失は日本人にとってマイナス面の方が大きかったと齋藤はいう。

儒教や武術のように古来から精神の形成に一定の役割を果たしてきたものを禁じられると、その結果、個人の感情や気分が一気に肥大化する。共有できる精神を持たない民族は弱い。それが露わになったのが、経済成長が一段落した1970年以降だという。戦前の教育を知らない世代は、精神や身体といった土台が緩んでしまい、その分、心が膨らんでしまった。日本人は概しておとなしく、不安定な心を抱えるようになったというのである。

ここまで読んで読者はどのように感じられるだろうか。私は、日本人が共有できる古来の精神を復活させることが肝要だという齋藤の主張に共感する。しかし同時に「ではなぜあのようなことがありえたのか?」という疑問が生じた。「あのようなこと」とは、東北大震災の際に日本人が見せた忍耐強さや落ち着きやいたわり合いの精神である。それは戦前から、いやもっと古い時代から日本人に受け継がれてきたものではないのか。確かに戦後失われた、共有の精神もあるだろうが、連綿と受け継がれ、少しも損なわれていない日本人の精神もあるのではないか。私は、失われずに受け継がれている日本人の精神の方に、より強く関心が向かう。

では、失われたものと受け継がれたものとの違いとは何なのか。これはかなり重要な問いだと思う。齋藤の本に刺激されて私の中で生まれたのはこの問いであった。その違いは日本文化の中の母性原理の部分と父性原理の部分に深く関係していると思う。

GHQの政策によってかんたんに失われてしまう精神とは何だったのか。戦後日本人が失ったという武道精神にしても、儒教精神にしても、日本の長い歴史の中では、比較的新しい時期に成立したものである。たとえば剣道は、15世紀後半の室町後期に成立した「神道流(新当流)」「陰流」「中条流」の三源流が、江戸時代には200余流まで分かれ、また、禅仏教や儒教の影響を受けて武士の精神修養の道ともなったものだ。また、『論語』を中心とする儒教の精神が庶民にも学ばれるようになったのは、寺子屋が爆発的に増加した江戸時代の後半だろう。それらは、日本文化の層でいえば、比較的新しい層、上層に属するものである。だからこそ、GHQの政策によって忘れてしまうこともできたのである。

しかし、日本人がはるか縄文時代から受け継いできた古い層は、GHQの政策ぐらいで潰されるものではない。その古い層とは何か。それは、私がこれまで日本文化とは何かを考えるなかで整理した「日本文化のユニークさ」7項目にかかわるものである。日本人はそれをほとんど無自覚のうちに生きているので、武道精神や儒教精神のように「これがその精神だ」とは自覚しにくい。自覚的にその「精神」を生きるといことはしにくい。しかし、日本人の心の中には確実にそれが生きており、危機的な状況下では日本人の強さとして表面ににあらわれるのである。

「日本文化のユニークさ」7項目は、縄文時代以来の豊かな自然に育まれた母性原理的な「精神」である。それは、精神というにはあまりに自覚しにくく、だからこそ逆にそうかんたんには消えない。日本人が日本人であることの底流を形づくってきたし、今の日本人の心にも底流として流れている。

これに対して武士道精神や儒教精神は、日本文化の底流を土台としながらも、大陸文化の強い影響下で出現した。そしてどちらかといえば父性原理的な「精神」であり、江戸幕藩体制の中で日本人の心に定着していった比較的新しい「精神」である。だから外圧によってその伝統を断ち切ろうとすれば、ある程度可能だったのである。

もちろん、自覚的にそれを生きることができるような江戸時代以来の「精神」を復活させることは、心が肥大化してしまった現代日本人にとって充分に意味のあることだろう。母性原理と父性原理とのバランスをとるという意味でも、それは必要なことかもしれない。しかし同時に、私たちの心の中には、縄文時代以来、断絶せずに底流としてながれている「精神」もあるのだというこを自覚化する努力も欠かすことはできない。無自覚にそれを生きるのではなく、日本人に共有される「精神」として自覚的に生きるならば、それは日本人にとって本当の強さとなるであろう。

震災と「精神」(1)

2012年07月07日 | 東日本大震災と道徳教育
◆『日本人の心はなぜ強かったのか (PHP新書)

齋藤孝の書いたものは好きで、かなり読んでいる。最近は仕事の関係もあって彼のコミュニケーション論を集中的に読んでいた。『コミュニケーション力 (岩波新書)』や『偏愛マップ―キラいな人がいなくなる コミュニケーション・メソッド』などである。他の著者の類書に比べ、はるかに実践的に有効な創意工夫に満ちており、仕事の面でも大いに参考になった。

まず断っておくが、私はこの本の主旨には大いに賛同するし、最初は、この本のレビューとして出発する。しかし私の思考は、この本を足がかりに本の主旨とは別の方向に深まった。この本との関係は保ちつつ、後半私の議論は、震災と教育の問題に触れていくことをご承知おきいただきたい。

まず齋藤は、戦前に比べ日本人の心は格段に弱くなったと主張する。たとえば自殺者は、もう13年連続で3万人を超えている。その背景の一つには、心の肥大化があるのではないか。この本の副題は精神バランス論である。心の肥大化とは、心と精神と身体(習慣)のバランスが崩れて、心の働きが相対的に大きくなり過ぎたことをさす。

心と精神はまったく別物だと齋藤はいう。心は個人的だが、精神は、共同体や集団によって共有される。民族の精神のような大きなものもあれば、会社や学校の精神もあり、多かれ少なかれその精神は、所属する個人に内面化される。人間は、心と精神と身体(習慣)の三つにより成り立ち、それらがバランスよく伸びることで真っ直ぐに成長できるという。

ところが昨今は、心の問題がバランスを欠いて大きくなり、思い悩んだり仕事が手に付かなくなったり、体調を崩してしまうことも多い。逆にいえば、それだけ日本人は、精神と身体が弱っているのだ。精神や身体もしっかり機能していれば、心だけが異様に大きくなって余計なことで思い悩むことは少なくなる。共同体に共有される精神や、身体に身に付いた習慣にまかせておける部分が大きいからだ。つまり心の土台がしっかりするからだ。

日本人の心が肥大化したのは、敗戦を境にして、かつての精神や身体の継承が途絶えたからだとよくいわれる。「日本的なるもの」の多くが捨て去られ、以前は共同体によって共有されていた諸々の精神は失われ、個人的な心が肥大化した。頼るべき精神がなく、悩みやストレスばかりが大きくなるところに日本人の心の危機がある。

残された道は、精神と身体の復活しかない。日本古来の伝統を学びなおしたり、地域や会社という所属共同体を見つめなおしてみることが大切だ。これが本書での齋藤の主張であり、本の後半ではそのためのノウハウがいろいろ紹介されている。ただこの本は、コミュニケーション論など他の齋藤の著作に比べると、具体的な方法の部分が少し魅力に乏しい感じがする。他の本では、これはと思えるような画期的なノウハウがいくつも紹介されているが、この本にはそれが少ないのだ。

しかし、この本は私にとって別の面で大いに刺激となった。その点に触れつつ次回もう少し突っ込んで本の内容を紹介したい。

覚醒・至高体験をめぐって16: (3)至高体験とB認識④

2012年07月02日 | 覚醒・至高体験をめぐって
《渡邊満喜子》

つぎに挙げるのは渡邊満喜子氏(わたなべみきこ、一九四四~)の体験である。彼女は、メキシコに滞在中に、自然に感応する生来の敏感な身体感覚によって、この国の大地がもつ深く大きな自然の力と共鳴するというエネルギー体験をする。帰国後、不整脈などの症状に悩み、「野口整体」の健康法のプロセスで、「活元」による自然発声からヴァイブレーションを基にする歌が生まれた。さらにその後のメキシコ旅行の途中で自然のエネルギーに導かれ、「自らを癒す歌」から「他者を癒す歌」が生まれた。そして、生命の根源から生まれる声と歌による「ヴォイスヒーリング」で多くの人を癒しているという。

以下に引用するのは、最初のメキシコ滞在中にあった体験である。

『この町(グァダラハラ)に友人や家族と旅行した。この町には有名な革命期の画家オロスコの壁画がある。かつては孤児院であったその建物は、内部に24の小さなパティオがある独特の構造をもっていた。

私はオロスコの絵を見てしまうと、ぼんやり窓の外をながめた。絵のある部屋は窓の外にあふれる午後のひかりにくらべると、薄い闇におおわれているような気がした。私は窓に近づいて、ひかりにくっきり浮かびあがったパティオをながめた。小さな庭の真ん中にがっしりした樹があった。見つめていると、樹の輪郭がわずかにずれているのがわかった。 樹はゆらゆらと視界のなかで揺れた。

「この樹は樹であって、しかも樹ではない」と何かが私にささやいた。

じっと見つめていれば、それが何であるかわかると思った。深い戦慄が背中をはいあがってきた。もう少し、もう少し……と張りつめたものがはじけそうになる寸前、何かがもう一度私にささやいた。

「あの樹が樹でないことがわかれば、私もまた私ではないことがわかるだろう」

私はとっさに方向転換した乗り物のように、日常の水面に浮かびあがった。みぞおちに恐怖感のさざ波が打ちよせていた。部屋の薄い闇の奥から、娘が小走りに駆けよってきた。 暖かいその体を抱きよせると、微かに汗のにおいがした。それはいとおしい「こちら側」の手触りだった。』(『聖なる癒しの歌―ヴォイスヒーリングへの道 (現代のさとり体験シリーズ)』金花舎、一九九六年)

ここで「この樹は樹であって、しかも樹ではない」と語られる言葉が、八木誠一の「いままで樹は樹だと思っていた。何という間違いだろう」と響きあうのは、いうまでもない。渡邊氏の体験で興味深いのは、さらに「あの樹が樹でないことがわかれば、私もまた私ではないことがわかるだろう」と語られていることだ。つまり、樹が樹でないことと、私が私でないこととが、同じこととして語られている。しかも、「私もまた私ではない」世界へ行ってしまうことの恐怖とともに。

「私もまた私ではない」は、至高体験における「1、‥‥自己の利害を超越し、対象をあるがままの形で全体的に把握し、認識の対象を完全な一体として見る」や、「4、‥‥認知が自己超越的、自己没却的で、観察者と観察されるものとが一体となり、無我の境地に立つことができる」などの特徴との深いかかわりが感じられる。

至高体験においては、たとえ一時的であろうと「自己」は消える。「自己」というフィルターがないからこそ、「自己」の利害や「自己」によるラベル貼りを超えた生き生きとした現実が姿を現す。しかし、「自己」の消滅は、「自己」にとっては恐怖である。渡邊氏は、おそらくその恐怖に直面したのであろう。