忘れえぬ体験-原体験を教育に生かす

原体験を道徳教育にどのように生かしていくかを探求する。

無意識・潜在意識の意識へ及ぼす影響

2013年02月06日 | 原体験をめぐって
私は思考を、人間の能力・資質の中で特別重要視するシュタイナーの考え方に同意する点から論じてきました。しかし他方では無意識がどのようなものであるのかや、その無意識がその人の意識にどのように作用するのかにも強い関心を抱いてきました。したがってnoboru氏の無意識のとらえ方から学ぶものが多かろうと思っています。私の究極的な関心は、最終的に意識が無意識をコントロールするすべを獲得する道筋です。
 これは私自身のことで、よくあることですが、日常生活で何かを決めかねて迷うことがあります。先日も迷った挙句、そうすることが妥当であるとの確信のないままにある会に入会することを決めたのでした。しかしその決断は十日ほど後になって、はっきりと誤りであったことに気付かされたのです。そのあと、入会を取り消すために公的機関の人たちまで煩わせ、決着がつくまでに一週間ほどの時間が費やされたのでした。
 入会時の私ははっきりと目覚めた意識状態にありましたし、思考もまともに働いていたと思えていました。にもかかわらず、確信の持てないままに入会を決めていたのです。
 意識ははっきりしていたし、思考もまともに働いていたと思えるのに、なぜ後で後悔するような決定を下したのか、不思議なくらいです。
 これはまさにnoboru氏が主張されている無意識のなせる業ではないかと思うのです。つまりその時私に、意識できていない何らかの作用が及んだ結果であるかもしれないと思うわけです。もちろん無意識の中味は、私自身の人生の来し方と密接したものであろうと思っているのですが・・。いや、もっとそれ以上のものを抱えているのかもしれませんが。

 ところで、こういう人がいます。何であれ生じた状況や事態を大変悲観的にみる傾向のある人です。
たとえば車で移動途中に交通事故を見かけたとします。すると、これは自分にこの先悪いことが起きるきざしであるに違いないと強い不安に駆られます。別の人の場合であれば、ああ、この事故は不注意の結果だ。この先自分に注意して運転しろよと教えてくれているのだ、と前向きにとらえ、明るい気分のままに運転を続けるところです。
 この違いを生じさせるものはその人たちの性格や気質の違いともいえるでしょう。生育環境やそれまでの人生での出来事の集積がその人の性格や気質を形成してきたともいえるからです。そして、この性格や気質は本人自身にとっていつも明らかなものであるとは限らず、かなり不透明な部分があり、私の意識のもとにすべてをコントロール下に置くことはできないものです。
 たとえば、過去に悲痛な経験があった場合を考えると、その悲痛さのゆえにその経験に触れることを無意識のうちに避けてしまい、深く意識下に封じ込めてしまう場合があるのです。ところがある思いもよらないきっかけから、その悲痛な意識が無意識のうちに私の意識的判断や行動に影響を及ぼしてしまう、といったことは心理学が問題にする常識的事例の一つのように私はとらえています。

そういうことからいうと、いくら思考がしっかり働いていても、目的意識や価値意識の形成には過去の体験がかかわっており、職業を決めるとき、あるいは何事かを押し進める場合、それをどのように決め、どのように取り組むと自分にびったり来るかといったあたりで、過去の体験が威力を発揮するのだと思います。そしてそういう場合に、無意識(潜在意識というべきか)も作用するのではないかと思うのですが、いかがお考えになりますか。。

このあたりのことに、私という意識と私によって進められる思考との関連も踏まえながら触れていだけたらと思います。(takao)