未だ、学生運動を引きずる赤い教師が闊歩する昨今。今時の子供達は、ネットの情報と馬鹿な赤い教師に挟まれ、もがいているのだろう。真実を知りたいのであれば、本を読め。それで、結論は出るはずだ。
そんな赤い教師の前ではニコニコ良い子を演じ、家に帰れば2CHに興じる子供もいるのだろうな。それを見て、所詮、赤い教師は、過去の産物として語られているのを見ると、愕然とした気持ちになるかもしれない。真実を覆い隠そうとする手法で日本人を抑圧するプロパガンダは、もう通用しないのだよ。赤に染まった者達よ。
--------------------------------------------------------
東京都多摩市立中学校の女性教諭が、授業内容の改善を目的とした、市教委の研修への出席を命じた校長の職務命令に従わなかったことで、減給処分となったのは不当だとして、東京都や多摩市などに処分の取り消しなどを求めた訴訟の判決が16日、東京地裁であった。白石哲裁判長は女性教諭の請求を棄却した。
白石裁判長は「教諭の授業は、生徒や保護者から『従軍慰安婦』の問題ばかり扱うと苦情があり、改善が必要だった」と指摘し、研修への参加を命じた校長の命令を、必要な措置と認定。「命令に違反した教諭の姿勢は、教員としての自覚に欠く」として、減給処分は妥当と結論付けた。
判決によると、教諭は平成12年度の3学期、3年生の家庭科の時間で『従軍慰安婦』や『ジェンダフリー』をテーマに授業を続け、校長の職務命令に従わなかったため、都教委は14年2月、減給処分とした。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080716/trl0807161737006-n1.htm
↓どうやらこの人らしいですね。なんでクビにならないのか、不思議でしょうがない。
http://www.okidentt.com/nezu/rireki.html
第1次処分(1994・3)……八王子市立石川中学校 減給処分
第2次処分(1995・3)……八王子市立石川中学校 訓告処分
第3次処分(1999・3)……八王子市立石川中学校 訓告処分
第4次処分(2002・3)……多摩市立多摩中学校 減給処分 ←★★★
第5次処分(2003・3)……調布市立調布中学校
第6次被処分(2005・3)……立川市立立川第二中学校 減給10%・6ヶ月
第7次被処分(2005・4)……立川市立立川第二中学校 停職1ヶ月・ボーナス0
第8次被処分(2005・12)……立川市立第二中学校 減給1ヶ月
第9次被処分(2006・3)……立川市立第二中学校 停職3ヶ月 ボーナス0
第10次被処分(2007・3)……町田市立鶴川第二中学校 停職6ヶ月 ボーナス0
--------------------------------------------------------
■共産党礼賛と反日教育一色の悪魔教師
~ 足立12中学増田教員の教え子の手記
私は今は大学生だが、この増田教諭の前任校である足立12中学で、2年間、社会科の授業を受けた。増田教諭の授業というのは一言でいえば、すさまじい洗脳教育だった。最もひどかったのは、3年の時に受けた公民の授業だ。反皇室、反自衛隊、日本侵略史、共産党礼賛と反日教育一色だった。社会科の先生は多少左がかった人が多かったけれど、増田教諭の場合は常道を逸していた。
紙上討論のテーマは 「 戦争責任 」「 天皇制 」「 自衛隊 」「 安保条約 」「 日の丸 」「 君が代 」 だった。最初のテーマの 「 戦争責任 」 では、まず先生が 「 戦争責任の問題を考えましょう 」 と言って、「 戦争責任 ⇒ 1.天皇、2.軍部、3.政党・・・・ 」 といった具合に黒板に書き、説明を加えた。そして生徒に感想を書かせた。次回に配られたプリントにはこんな感想ばかりが並んでいる。
みんなにこれを読ませ、増田教諭が特に気にいった意見には、生徒にアンダーラインをひかせた。プリントに感想文を掲載したり、アンダーラインを引いてもらった生徒の自尊心をくすぐるやり方だった。
授業では 「 日本軍の侵略 」 といったビデオもたくさん見せられた。教科書に 「 スミ塗り 」 もさせた。例えば、自衛隊の役割を説明したような記述が教科書にあると「 ここはウソだから、そこに 『 ウソ 』 と書きましょう 」 と、線で消させるのである。
増田教諭は露骨に共産党を礼賛した。三党連立内閣の時代には、正しいのは共産党だけといつも言っていた。試験問題もひどかった。世界地図を見て答える地理の試験なのに、「 最近、虐殺はでっちあげと発言して法務大臣を辞任した人物名を書け 」 などという問題を平気で出した。
友達の中には陰で 「 あいつは共産党員だろう 」 などと言うものもいた。でも公民の授業で増田教諭の考えに批判的なことを言うものはいなかった。それは私たちが高校受験を控えてた中学3年生で、先生ににらまれて内申書に響くのがこわかったからだ。
『注:この手記は、事実かどうかは不明だが、その判断は各人に委ねます』