間もなく夏休みも終わり、秋の到来である。夏の日差しもジリジリと、後退し、やがて、涼しい季節がやってくると思うと、侘しさと哀愁が感じられるのである。
今回のテーマが墓穴を掘ると言うことで、民主党を見ていれば、如何に墓穴を掘りまくって、嘘をつきまくっているかは、痛感されたかと存じます。もちろん、諺の意味を皆さんが知っているとは、存じますが、念のため調べますと、諺データバンクより、「破滅に導く原因を自ら作る」という事です。
まずは、冗談にもならない、嘘のような本当の話し。
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■8/28 NHKニュースより「夫を驚かそうと落とし穴を掘り、二人揃ってお亡くなりになってしまった痛ましい事故?
27日夜、石川県かほく市の海岸で砂浜に掘られた穴に23歳の夫婦が転落し死亡しました。転落した穴は、妻が夫を驚かそうと友人と一緒に掘った落とし穴だったということです。
27日
午後10時すぎ、石川県かほく市の大崎海岸で、金沢市の会社員、出村裕樹さん(23)と妻の里沙さん(23)が、砂浜に掘られた穴に転落し、砂に埋まりました。2人は、近くにいて悲鳴を聞いた友人からの通報で、駆けつけた消防によっておよそ2時間後に助け出されましたが、すでに意識はなく、搬送先の病院で死亡が確認されました。死因は砂に埋まったことによる窒息死とみられるということです。
警察の調べによりますと、2人が転落した穴は里沙さんが夫の裕樹さんを驚かそうと友人4、5人と一緒に27日の昼すぎから掘ったもので、直径が2メートル40センチ、深さが2メートル50センチほどあり、シートでふたをして、上から砂をかぶせていたということです。夜になって里沙さんが裕樹さんを現場に連れて行ったところ、2人とも転落したということで、警察は近くにいた友人から話を聞くなどして、詳しいいきさつや転落した状況などを調べています。
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いや~なんと言いますか。なんとも痛ましいですね。合掌。単純に加減と言うものを知らなかったとしか言えないですね。物事には、さじ加減と言うものがありまして、驚かそうとする馬鹿さ加減といいますか、悪戯の限度を越えたら、命に関わるという教訓です。つい先日も、滝ツボに飲まれた19歳の女性も、安全柵にまたがり、傘を持ったままの絵を、写真に収めようとしたばかりに、落ちてしまうという痛ましい事故があったばかりです。命あってのモノダネですよ。
さて、テレビ界では、島田神助 氏が引退を発表。何やら、暴力団との関わりがあったから、引退を決意したとか。ま、何処まで本当なのか判らないが、何やら表には出ないキナ臭い話も、あるんじゃないだろうかと勘ぐるのは、探偵小説の読みすぎだろうか。
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■8/24 J-CASTニュースより「あの程度で引退に疑問」
タレントの島田紳助さん(55)が活動自粛ではなく、いきなり引退を表明したことで、様々な憶測が出ている。吉本興業による解雇説から、紳助さんのクーデター説などまであるが、どれが真相なのか。
(中略)
そもそも、メールがやり取りされていたのは、2005年6月~07年6月までのことだ。報道などによると、その相手は、山口組系暴力団の相談役だった元プロボクシング世界王者の渡辺二郎被告(56)(恐喝未遂罪で実刑判決を受け上告中)だった。紳助さんは十数年前、渡辺被告から紹介されたこの暴力団の組長にトラブルを解決してもらい、以降2人と親密な関係を続けていたという。
紳助さんの黒い交際のうわさは、数年前からも度々週刊誌に報じられている。最近では、週刊現代が11年5月7・14日合併号で、この暴力団組長が05年6月に家宅捜索を受けたときに、紳助さんの手紙や写真が多数見つかったと指摘した。
それが、11年8月20日になって、外部から吉本興業に情報提供があって発覚したというのだ。
事情に詳しい芸能関係者は、真相は分からないものの、警察の動きが何か関係しているのではないかと推測する。
(中略)
島田紳助さんが引退したのは、吉本興業側の事情もあったのではないかと芸能関係者はみる。
「コンプライアンスを重視するようになった吉本は、会社として何が得かと考え、暴力団とのうわさのある紳助さんを切りたいと思ったのでしょう。紳助さんのレギュラー番組の視聴率が低下し、タレントの賞味期限を考えたこともあると思います」
一方、紳助さんにも事情があったようだ。
「バッシングなどで芸能活動の先行きが見え、情熱を失っていたようです。ですから、引退のタイミングをうかがっていたはずですよ。テレビ局には迷惑をかけることになり、吉本とは円満退社したとは言えません」
そんな両者がそろって会見したのは、落としどころが見つかったためではないかと芸能関係者はみている。
(以下略)
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そして、あのアップルの創業者:スティーブジョブスCEOが退任されるそうな。(こちらは墓穴を掘った結果じゃないですけど・・・
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米アップルは24日、病気療養中のスティーブ・ジョブズ氏(56)が最高経営責任者(CEO)を退任し、取締役会会長になったと発表した。事実上、経営の第一線を退くことになる。
(以下略)
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さて、世の中には、自分の興味の無い大会とか会合とかに出席すると寝ぼける人は必ずいますが、原爆投下されて、大量の無差別殺人が行われた日を間違えると言うカスが首相であった事に、憤慨しない人間は、日本から消えた方がいいと思うのである。
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■8/9 読売ONLINEより「空菅中身が空洞化」
菅首相が9日、長崎市の平和祈念式典後に行った記者会見で、冒頭に「昨年に続いて8月8日、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に出席させていただいた」と述べ、原爆投下日を間違える場面があった。
この日、菅首相と面談した長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一議長(71)は「首相も随分疲れているのだろう」と気遣った。
一方、長崎原爆遺族会の正林克記会長(72)は「原爆は国にとっての惨禍。その日を間違うとは、情けない気持ちでいっぱいだ」と憤慨していた。
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菅直人首相の資金管理団体が、日本人拉致事件容疑者の長男(28)が所属する政治団体「市民の党」(酒井剛代表)から派生した政治団体に計6250万円を政治献金していた問題で、自民党の古屋圭司議員は8日の衆院予算委員会で、菅首相との関係を追及、「この問題のキーマンだ」として、市民の党の酒井代表の証人喚問を求めた。今後理事会で実施の是非を協議する。
古屋氏は予算委で、市民の党や派生団体に対する所属議員16人からの個人献金額が3年で計1億円を超す実態を指摘。月額報酬50万円台の地方議員が年500万円以上献金しているケースもあるとし、「これだけの献金をできること自体が摩訶(まか)不思議だ」と寄付金の原資に疑問を呈した。
また、地方議員らは、民主党議員の国会議員関係政治団体など複数の政治団体を通じて、一団体に対する個人献金の年間上限額の150万円を超える献金を行っており、「(民主党の団体を使った)迂回(うかい)献金に当たるのではないか」との見解を示した。
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菅直人首相の資金管理団体が、日本人拉致事件容疑者の長男(28)が所属する政治団体「市民の党」から派生した政治団体に計6250万円を政治献金していた問題に絡み、市民の党に計392万円を献金していた黒岩宇洋法務政務官は9日、衆院法務委員会で拉致被害者家族への謝罪を促されたが「拉致実行犯の息子について知らなかった。今後拉致問題に一層取り組む」とだけ述べ、応じなかった。自民党の稲田朋美議員の質問に答えた。
黒岩政務官は、市民の党が自身の国会議員関係政治団体に登録されていたことについて、「登録は抹消した。今後の付き合いは控えたい」と回答。稲田議員は黒岩政務官の罷免についても言及したが、江田五月法相は「(献金先の選定に)ルーズな部分があったのは事実だが、政務官としては信頼している」と擁護した。
菅首相は7月21日の参院予算委員会で「もしそういうこと(拉致実行犯と近い関係)があったとすれば、大変申し訳ない」と拉致被害者家族に謝罪している。
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■8/10 ZakZakより「(朝鮮)市民の会 空菅とS代表
「(政治団体『市民の会』の)S代表は訪朝して、よど号ハイジャック犯と会っている。このことは把握しているか?」
自民党の「菅首相拉致関係献金疑惑プロジェクトチーム」座長の古屋圭司衆院議員は8日、衆院予算委員会でこうただした。公安調査庁長官は即答した。
「訪朝したことは把握している」
菅直人首相をはじめとする民主党の国会議員や地方議員の資金管理団体などから、北朝鮮による日本人拉致事件で国際手配されている森順子容疑者と、よど号ハイジャック犯の故田宮高麿元リーダーを両親に持つ長男が所属する「市民の党」など関連団体に、2億円以上の政治献金がされていたスキャンダル。古屋氏はこうも尋ねた。
「マスコミは『S代表や市民の党は、公安当局にマークされている』と報じているが、公安庁としてはどうか」
これに対し、同長官は「よど号犯や過激派の動向は把握している。個別具体的な調査内容は答弁を控えたい」と語った。
自民党関係者はこう解説する。
「公安調査庁は、S代表や『市民の党』をマークしてきたことを完全否定していない。裏を返せば、『市民の党』は、前身の『MPD・平和と民主運動』時代を含めて、公安当局のマークを受けてきたのではないか」
一方、菅首相はS代表について「かなり以前、先輩に紹介された」「いろいろ会って話をしてきたのは事実だ」といい、深い関係を認めた。
菅首相とS代表の関係を裏付ける証拠がある。
私(田村建雄)の手元に1983年と84年、今から27、28年前の「市民の党」の前身、S代表が「立志社」のころから発行していた機関紙「新生」(党名は変わっても2002年ごろまで発行)がある。83年12月の「新生」では、勇ましく、こうスローガンを掲げている。
菅首相の選挙を支援するために「菅候補の勝利を」と題し、「菅直人氏は80年の衆参同時選挙で東京7区から初当選した市民派の象徴というべき人であろう。議員会館を広く市民、学生に開放し、丸山ワクチンなど市民との共同で取り組んできた課題も多い。金も組織もない市民派の議員に二期目はないという政界の常識を打ち破り、市民の政治参加の流れを確固たるものにすることが求められる」とある。
84年1月1日の「新生」には、今度は菅首相自らが「市民政治の芽を太い幹に」というメッセージを寄せている。
前年の選挙を踏まえ、菅首相は「市民政治がかなり社会的な認知を得ることができた」として、その橋渡しを「市民の党」の前身、S代表らの「立志社」に期待を滲ませているのだ。
「菅首相とS代表は極めて近い関係にあったことが分かる。菅首相の資金管理団体は07年から急に6250万円を振り込んだのではない。30年来の同志としての、厚い信頼関係の上での寄付だと思えば理解しやすい」(自民党関係者)
「新生」には、よど号犯の田宮リーダーや、カンボジアのポル・ポト派幹部も手記を寄せていた。菅首相は「市民の党」について、「そんな団体とは知らなかった」と国会答弁しているが、にわかには信じ難い。
自民党の古屋氏は疑惑解明のため、S代表の証人喚問を求めた。
拉致被害者や家族だけでなく、一般国民にとっても、政府の拉致問題対策本部長である菅首相と、北朝鮮の「闇」は放置できない。菅首相が潔白を主張するなら、民主党やS代表を説得して、堂々と喚問を行うべきではないのか。
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朝鮮人に阿(おもね)る日本人のマヌケっぷりは呆れるばかりなり。朝鮮人は、日本人を犬扱いしているそうで、少しは怒りなさい。ブタの食べる食べ物や文化を有り難がるのは、情けない事です。
で、こう書くと擁護する意見と言うのがありまして、マニュアルでもあるのか、同じ穴の狢(むじな)・・・同じメンタリティで、攻撃するのはみっともないとか、感情論で理屈を言うなとか、言う人もいますね。でも、批判されているのに、言い返さないのは、その批判を認めていると言う事になるのですよ。
それが、海外と日本との違いなのです。下僕以下になりたくないなら、攻撃されたら、反撃しなさい。それが、海外と渡りあうと言うことなのです。同じメンタリティがどうのなんて、取って付けた理屈は、どうでもいいのです。
こうした文化人気取りの馬鹿は、上から目線で、子供をあやしていると思っているようですが、自分が反撃出来ないヘタレであると、態々露呈しているのは、如何なものか。日本でしか通用しないような、法律に頼り、固執したメンタリティこそ改めるべきなのです。
奴らは、文化を押し付けようとする意地汚い根性丸出しで猛然と襲ってきます。当然、反撃として、攻撃しないと、一方的にやられるだけです。
もちろん、今のKブームとやらは、捏造されたブームなので、普通の日本人は、誰が乗るものか。精々、珍しいものとして、珍味の味見程度で、終わるのが堰の山。そう、二度も食べるような代物じゃないしね。特に食べ物では、キムチラーメンだの売っているが、あまりに不気味過ぎる。
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■8/4 産経MSNより「入国拒否したら、更にファビョるのだった」
自民党の新藤義孝衆院議員ら「領土問題に関する特命委員会」の国会議員3人が、韓国政府の入国拒否により視察を果たせなかった鬱陵(ウルルン)島(韓国慶尚北道)。韓国が不法占拠する竹島(韓国名・独島)への経由地だ。
入国拒否の翌日の2日朝、鬱陵島行きの船が出る浦項港は混雑していた。レジャー用品を手にした家族連れの一方、軍服に韓国旗のはちまき姿の初老の集団が目立った。
島へ渡る日本人の身分確認は厳重だ。券売窓口では職員が大声で上司を呼ぶ。パスポート内容をすべて書き取り発券。改札口では係員が「日本人だ」と警察官を呼び個室に誘導。既に日本人2人が訪問目的を聞かれていた。「記者で入島目的は取材」と答えたが、出港時刻は過ぎていた。
「もう船が出るから」との係官の声で乗船は認められた。竹島研究者の下條正男・拓殖大教授のような議員の同行者をあぶり出すことが目的だったようだ。
鬱陵島は韓国東岸から最短距離で約130キロの日本海に浮かぶ。浦項から217キロの航路を高速フェリーで3時間。到着すると、狭い港湾施設で異様な熱気が待っていた。一帯を包む“愛国・反日”の熱気のもとは軍服姿の集団だった。
入国を求める議員3人が1日、韓国当局と協議している間、金浦空港で議員らの顔写真を燃やした人々だ。ソウルの日本大使館周辺での過激反日デモで有名という。彼らは鬱陵島で2日に韓国閣僚を招いて開かれた集会でも気を吐いた。竹島周遊の遊覧船に乗る際も、警察官がいるのに手荷物検査さえ受けなかった。
(以下略)
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【ソウル聯合ニュース】在外韓国人数が増加し、犯罪被害も多様化している。また、在外国民が外国で犯した犯罪は不法滞在と出入国法違反が最も多かった。
国会の外交通商統一委員会所属の具相燦(ク・サンチャン)ハンナラ党議員が7日、外交通商部から提出を受けた「在外国民犯罪および犯罪被害現況」によると、2008年から2010年まで在外公館に届けられた犯罪被害は計9279件だった。
この3年間、平均20件以上の犯罪被害があった国は、中国、日本、オーストラリア、ギリシャー、ドイツ、ロシア、英国、フランスなど25カ国だった。
犯罪被害は、窃盗・紛失が4234件(45.6%)で最も多く、行方不明1031件(11.1%)、詐欺914件(9.9%)、暴行・傷害830件(8.9%)、強盗572件(6.2%)順だった。特に中国での犯罪被害は全体30.5%(2833件)を占め、最も被害が大きかった。
一方、2006年から今年上半期(1~6月)まで在外国民が犯した犯罪は計9149件に達した。不法滞在と出入国関連犯罪が全体の48.8%を占めた。国別は日本で犯した犯罪が4683件(51.2%)で最も多く、中国(1759件)、米国(626件)、タイ(283件)と続いた。
※意外にもYahooがこの記事を残しているとは、驚きだね
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さて、お次は、フジテレビですね。傲慢な姿勢が顕著なテレビ局。電波を独占しているのに、公的使命は果たさないなんて、独占禁止法で退治されるべきなんだよ。
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■8/21 J-CASTニュースより「フジテレビは、抗議される覚えは無いと平然と言ってのけた」
フジテレビの「韓流偏重」に抗議するデモは、日の丸やプラカードを掲げた参加者で埋め尽くされた。動画サイトによる生中継には、デモ開始前から2万人の視聴者が集まり、ツイッターでも刻々とコメントが寄せられる。
人数は、主催団体代表に聞いたところ約6000人。「これほど大勢集まるとは」と驚くほどだ。フジテレビ前に着いたデモ隊は、口々に抗議の声を上げた。
(以下略)
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さて、あんまり墓穴を掘る人ばかり取り上げても、暗くなるので、こちらは、「情けは人の為ならず」という諺の答えですね。
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第二次世界大戦末期から戦後にかけて、ドイツ・ベルリン近郊のウリーツェン市で多くの命を救った八王子市出身の肥沼信次医師(1908~46年)への恩返しにと、現地の聖ヨハネルーテル高校が生徒や市民から東日本大震災の義援金として集めた6900ユーロ(約76万円)を、姉妹校の私立八王子高校に託した。 (加藤益丈)
肥沼医師は八王子市の開業医の長男として生まれた。旧府立二中(現都立立川高)などを経て三七年からドイツに留学し、放射線医学の研究者として成果を挙げた。大戦末期にウリーツェン市に移り、ポーランドから引き揚げてきた市民の治療にあたった。
戦後の混乱や医薬品不足の中、肥沼医師は献身的に伝染病患者らを救い続けたが、自らも伝染病で三十七歳の若さで死亡。現地の墓石には「伝染病撲滅のため自らの命をささ(捧)げた」と刻まれ、ドイツの教科書でも紹介されているという。
(以下略)