玄文講

日記

天才にあらずば、いかに生きるか

2004-11-15 13:15:23 | 個人的記録
自分の実力がどの程度のものなのか。
その実力ではたして生活をしていけるのか。
私は時おり、そんなことを考える。

私は大学院で物理学を勉強している。
しかしいまだ自然の深遠を理解できずにいる。この業界内では私は下の方に位置する程度の実力しかない。

もちろん私は世間様と比べればはるかに物理を理解している。
しかしそれは元・野球部員が野球の経験のない人間に比べれば野球がうまいのと同じことに過ぎない。
人生の一時期を野球だけに使えば、他の普通の人より野球がうまくなるのは当然で、それはその人に野球の才能があるかないかとは関係がない。

だが元・野球部員では甲子園球児、プロ野球選手、メジャーリーガーと比べれば何もできないに等しい存在でしかない。
私もそれと同じである。
私の眼前に並ぶ、歴史に名を残すであろう天才と秀才の群れ!
その圧倒的な存在感を前にして、私にできることは少ない。

しかし天才や秀才でないと生きていけないのなら、この世のほとんどの人間は死ななくてはいけない。
私も生きていかないといけないので、この手持ちの貧弱な知識で口をのりする方法を考える必要がある。
だが実用性皆無の役立たずの知識を使える場所はあまりなさそうである。

ところで私はもう1つだけ、生計をたてるための技術を持っている。
それはイラストやhtml、写真加工などのDTP技術である。
たとえば上の写真は私の書いたイラストである。
特に上手でもなければ、ましてや作品と呼ぶにはおこがましいクズ絵である。

こちらの方の実力も、世間様以上プロ以下でしかない。

しかしチラシやカタログの隅に使う程度であるならば、使用に耐えられるぐらいの品質はある。
貧弱で役立たずな科学知識と中途半端なデザイン能力。
どうやらそれが、天が私に与えた武器らしい。これだけであと約40年は生きていかないといけないのである。

やれやれ、である。