玄文講

日記

干し首

2004-11-12 17:55:09 | 怪しい話
木乃伊。今日の話はミイラである。

上野の国立科学博物館の最上階のあるコーナーには幾つもの遺物が展示されている。

たとえばあるガラスケースの中には野球ボール大くらいの大きさが微妙に異なる3つの小さな頭が並べてある。手のひらに乗るくらいの大きさの小さな小さな頭だ。
それは青白くて、かみを生やし、目を閉じていて、口がヒモで結ばれている。しかもヒモの長さが長すぎるらしく、白いヒモが口の横からヒゲのようにヒョロヒョロと伸びている。

これは実は本物の人間の頭である。つまり3体の死体の生首である。

こんなことを言うと、この小さな人形みたいな頭が本物の死体のわけがないと驚く人もいるだろう。
だがこれは南米のヒバロという民族が宗教的な理由で作った正真正銘本物の人間の干し首なのである。
彼らはまず倒した敵の首を切り取り、骨を抜いて頭を茹でる。生首は茹でることで拳くらいの大きさにまで小さくなる。そして魂が逃げ出さないように口をヒモで結び、この生首をトロフィー代わりに家に飾るのである。
それがどういう経緯かは知らないが、日本の東京の上野の一角で展示されているのである。

これを未開の民族の蛮習だと思ってはならない。日本や中華人民国は昔から即身仏を作ってきたし、文明の進んだ西洋様だって聖人の死体をロウで塗り固めて防腐加工して「聖人の死体は腐りません」と言って信者たちに見せている。死体をどのように加工し、どのように崇めるかは各文明の自由である。

もちろん現在では干し首を作るために人を殺せば「殺人罪」であり、即身仏を作るのを手伝えば「自殺幇助」である。現在の私たちは法治国家を選択したのだから法に従う義務がある。
しかし数百年前の江戸時代の人間や南米民族にまでケチをつけるのは余計なお世話である。
彼らにとっては干し首作りは殺人ではなく立派な社会的行為なのだ。文句を言われる筋合いは彼らにはない。

まぁ、そんな話はどうでもいいのである。殺人だろうが聖なる行為だろうがそんなことは知ったことではない。私はそんな話をするつもりではないのである。
私はミイラの話をしたかったのである。しかし今日は時間がないので続きはまた明日。

[参考]
http://www002.upp.so-net.ne.jp/yasuko-i/literary/kengaku/k2.html
http://tomovie.hp.infoseek.co.jp/peru/pp13.htm