玄文講

日記

進歩と進化

2004-11-03 13:00:17 | メモ
現在の人類を発展させうる一番大きな要因は何だろうか?
歴史とは進化するものなのだろうか?
人類はいつかは滅びの時をむかえなくてはいけないのか、それとも永続的な発展は可能なのだろうか?

昔のまだ青かった頃の私はそんなことを考えていた。
近所の定食屋で財布を見つめながら50円を余計に出して大盛り定食を頼むか否かなんて考えている現在の私とはえらい違いである。

そういうことを考えなくなったのは、私が大人になり 大げさな話に現実感を感じないようになったからなのだが、理由は他にもある。
自分なりの回答をある程度出し、これ以上は考えても仕方がないと思うようになったからである。

まず歴史とは進化するのか?答えはもちろん進化する。ただしそれは進歩ではない。

進化と進歩は異なる概念である。
より劣った存在がより優れた存在へと変わるのが「進歩」
環境に適応して自らの存在を作り替えるのが「進化」である。
例えば、砂漠に適応して「進化」したサボテンは別に他の植物より「進歩」した優秀な存在というわけではない。水の無い地域に適応したか、水のある地域に適応したかという差があるだけである。

歴史も同じである。環境の変化に合わせて進化はするが、進歩しているわけではない。
ここで歴史=政治思想と考えても同じことが言える。
統治の形態は封建主義から民主主義へと進歩しとたわけではない。
その地域の環境に合わせて統治形態を柔軟に選んでいるのである。現在でも民主主義より中央集権国家の方が統治に適した地域がある。
歴史は今後も時代の変化に合わせて民主主義から封建主義に進化するかもしれないが、それはやはり進歩とは別のことなのである。

では人類を発展、つまり進歩させる要因は何だろうか?

政治思想は上に述べたように人類を進歩させたりはしない。それはむしろ人類を維持させ安定させるのに必要なことであり、進歩という不安定さから遠いものである。

では哲学はどうか?それは進歩からも進化からも無縁の学問である。超越している。
最近の哲学、ポストモダンは違うのかもしれないが、私はそれらをまったく理解できないのでそれについて何かを言うことはできない。
(しかし科学が哲学や思想になるとき、それは私たちに人類の未来についてのイメージを与えてくれることがある。)

では宗教はどうか?確かに無視できない大きな要因である。しかしそれは進歩とは違う。
神が人類を導くと信じている人にとっては これだけが人類発展の要因なのだろうが、私にとってはただの尊重すべき他人の風俗の1つに過ぎない。

文学は?音楽は?芸術は?マスメディアは?
これらはただの娯楽である。深読みするだけバカみたいである。
もちろんこれらの文化が時代を反映し人々を啓蒙するということはあるかもしれない。
マスメディアが世論とか大多数の見解を代表し、政治を動かすこともないとは言えない。
しかしそれらは全て単なる時代を映す鏡である。
一部の人間が考えていることを大多数の人間に知らしめるための投影機である。
何かを進歩させる直接の原因にはなりえない。

それでは科学はどうだろうか?
産業革命、緑の革命、エレクトロニクス。いずれもが人類のあり方を変えてしまった。
人口は急増し、期待寿命は伸び、飢える人や貧困は減少し、快適な電気製品に囲まれて、行動範囲が大幅に広がり、新しい資源が開発される。
人類を進歩させるのは科学である。私はそう結論を出した。

ところで私はここまで進歩という言葉を何の定義もせずに使ってきた。これを定義せずに「人類を進歩させるのは科学だ」と言っても説得力がない。
それは同時に進歩の行き着く先である「ユートピア」とは何かを定義することでもある。

(続く)